2017年10月21日

斉藤茂吉の馬の短歌を読む (野馬追いに思う忘れられた馬のこと)


斉藤茂吉の馬の短歌を読む

(野馬追いに思う忘れられた馬のこと)

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馬屋のべにをだまきの花ともしらにをりをり馬が尾をふりにけり

にんげんは牛馬となり岩負ひて牛頭馬頭(ごづめづ)どもの追い行くところ

馬車とどろ角(くだ)吹き塩はらのもみづる山に分け入りにけり

ほしくさの馬車なみ行きしかば馬はかくろふ乾くくさのかげ

しんしんと行きふるなかにたたずめる馬の眼(まなこ)はまたたきにけり

馬子ねむり馬はたたずむ六月の上富坂のをつかれてくだる

三宅坂をわれはくだりぬいななかぬ裸馬一つ淋しくくだる

馬一つ走りひびきて来るまの墓石店まえに泥はねかえる

あたらしき馬糞ありて朝けより日のくるるまで踏むものなし



おさなごの馬の貌(かお)なづなごむかな相馬の里の秋の日暮れぬ

野馬追いに馬いななきてよみがえる馬ありしとき糞もするかな

その旗のほこらしきかな同類の旗印の馬駆けてくるかな


人間は時代がすぎるとその時代のことがわからなくなる,相馬野馬追いというとき旗祭りとも言うがまた馬の祭りなのである。
ところが馬というものがわからなくなっている,でも戦前から戦後何年かは馬車屋とか馬を運搬のために使っていた,子供のとき馬車の後ろに乗って遊んでいたからである。
馬車はまもなくして消えた,でも馬との生活は人間には長い,それが馬はもはや生活の中にはない,だから野馬追いのときあれだけの馬が集まることで馬があった時代を思い出すのである。馬はあとは競馬馬の馬になってしまったからだ

斎藤茂吉の馬の短歌は集めたがこうして馬は活きていた,東京でも馬がいた,上富坂とか三宅坂がそうである。馬は運搬のために欠かせなかったのである。
野馬追いのとき馬糞が道に残る,これも馬とともに暮らしていたときは普通の光景であるそれで嫌がる人もいる,現代は馬のことがわからないから嫌悪感を感じる
でも牛舎では今でも汚いからにたところがある。

馬屋というものがあり曲がり屋として有名である。馬と一つ屋根の下で暮らしていたのである。曲屋は今でも会津辺りにまだ残っている,そこで生活している人もいる
牛はまだ肉にするにしろ牛乳にするにしろ生活の中で活きている,でも馬は野馬追いとかギャンブルのなかでしか活きていない,だから馬のことがわからなくなったのである。

この辺では馬を野馬追いのために飼っている,それで親しむことがある
子供が馬となじむこともある,だから他とはここは違っている
そうして馬でも牛でもいると情がはぐくまれる,相手が生き物だからそうなる
機械だと車などになると愛車となるが生き物のようにはならない,毎日のように交通事故がありぴりぴりしてぎすぎすしたものになる
そして切れる人間が生まれる,車は何か突然突っ走ってきて走りさるから切れるのであるそこに人間的情をはぐくむものがない

そうなると人間はどうなるのか?人間に情が失われて人間が残酷になってゆく,非情化してゆくのである。子供のときから動物と接していると情がはぐくまれることは確かである今はペットがその代わりをしているのである。

斎藤茂吉の歌は戦前のものが主でありそこに当時の生活が歌われている,それはあくまでも当時の生活の中で歌われたから今はそういう歌は作れないのである。
今の馬が野馬追いのときとか競馬でしか活きていないからそうなる

馬はそもそもモンゴルの草原のような場所にあっている,どこまでも疾走していける平原にあっている,だから馬の原産地は草原とか平原なのである。
とにかくこの辺は馬と縁ある場所である。馬を考える場所でもある
そこに野馬追いの祭りの意義がある

馬も津浪で流されたりして被害にあった,右田の牧場のあったところも流された
そこで見たのがおさなごと少女か馬の顔をなでていたの光景だった
他でも馬を津浪で流された家があった,この辺ならではの被害だったのである。
他に牛も流されたりしたのである。牛馬の被害もあったのである。
だから慶長津浪では馬も死んだと記してあるのである。

南部藩・津軽藩の海岸でも「人馬死んだもの3000余」という記録が残されている(『駿府記』

人馬というとき人間と馬が一体だったからこそ記されたのである。
posted by 老鶯 at 17:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

ベーシックインカムに自分は賛成 (嫌々ながら仕事している人が多すぎる)


ベーシックインカムに自分は賛成

(嫌々ながら仕事している人が多すぎる)



ネットがざわついた「ベーシックインカム」に希望はあるのか?


希望の党がベーシックインカムを一応実施するのは別にして取り上げただけでもやはり先進的なことかもしれない,そんなもの空理空論であり馬鹿げているというので取り上げることもしなかったからである。
それは全くの理想論でありとるにたらない空想にすぎないとなっていたからである。

でも現代のゆきづまり社会の変化に対応できるものとして今とりあげられている
現実にスイスとか小国では実施されているのである。
これも賛否両論がある
例えば武田邦彦氏などは反対している,それは彼がエリートであり底辺層のことを知らないからである。底辺で働いたこともないからである。

自分は若い時は流れ作業とか底辺の仕事しかしていない,大学のアルバイトでも底辺の仕事,肉体労働しかしていない,武田氏くらいの東大卒のレベルだと家庭教師でかせげる
要するにこの世にそうしたエリートは少ない,みんな俺たちは社蓄なんだ奴隷なんだとなっているのが普通である。働くことでもそう感じているのである。
働くこと自体に生きがいを感じていないのである。

自分はそうした底辺労働,流れ作業などばかりしていて完全に労働意欲を失った
それはロボットと同じ仕事だからである。三流大学でも出ているのにそんな仕事しかしたことがない,だから社会からドロップアウトすることになった
その後はこれも実に不思議なのだけど仕事していない,それも老人になるまで仕事はしていない,稼いでもいない,旅ばかりしていたともなる
そういうことが許される環境にあったからそうなっていたのである。

それも自分には自分にあった仕事が与えられない得られないということにあった
そういう人の方が世の中の大半なのである。
だから奴隷なんだ,社蓄なんだと言うことになる

だからAIとかロボット化は人間にとって悪いものではない,誰も流れ作業などしたくないのである。一つのネジをボタンをひたすら組たてる仕事に生きがいを見いだせないのである。家だったら大工でも一人で家を請け負い作った人がいる
そうできる人はやはり大工として生きがいを感じるのである。
農業も金になちらないとかいうけど生きがいを感じる仕事なのである。

だから知っている人は趣味なのだが小さい畑で仕事していることに生きがいを感じているしそれがその人の価値になっている,何もしなければその人の価値がなくなるからだ
ただ金にならないというだけでその人に不本意な仕事をすると奴隷だ,社蓄だとなる
今そんなことができるのは家事自体仕事がなくなっている
機械化しているしもう買ってなんでもできる,この前けんちん汁の材料が売っていた,汁もついていた,肉を入れて簡単にできた,それがうまかったのである。
これには野菜が入っているから自分は好きだったが食べることができなかったができたのでうれしかった,家事は一人暮らしでも困らないのである。
だからその人はただ話し相手とかにきて畑のことを話すのが仕事だともなる
家事の仕事は皿に二三枚洗うだけだから必要ないからである。

これはAI化すればますますそうっなってくる,人間から仕事がなくなってくるのだ
すると人間が何をするのかということになる,知的な分野でもそうなる
ビッグデーターは素人でも学者になりうる,古代史関係で自分はそれを利用した
ビッグデーターになると膨大な地方史や古代の情報をキーワードから調べると見えてくるものがあったので書いた
ビッグデーターから自ずと見えてくるものがある
そういう利用の仕方は図書館でも何でもできなかった
今は本も古本だと安いからボタン一つ押して本を集めビッグデーターとのように活用しているのである。

そういうふうにAI化で社会も変わってくるのである,それに適応するには時間がかかるがベーシックインカムを将来の政策として検討したことには意味がある
そしてオリンピックなどは今の時代にもう何のためにしているかもわからないものとなった,今までは何か世界的に意味があるものとして行われていたが今はその必要性がなくなってきたのである。
だから時代と共に人間の社会は変わりそれに適応してゆく政策も必要になる

ベーシックインカムはいろいろ問題があるしそんなこと実現しえようがないというのもわかる,誰も働かなくなる怠け者になり遊ぶだけの人間になる
それもありうる,でも働く人は働く,なぜなら退職した人がいかに働きたいか?
それでボランティアを探してしていることでもわかる
ボランティアは金をもらうためではない,生きがいのためにしているからである。
まさにその時こそ人間は働いているのだ。自由意志でボランティアで働いているのであるそれはベーシックインカムを実現していると同じなのである。
退職して金に余裕があるから時間にも余裕があるからできるからである。

だから豊かになればベーシックインカムが架空のことではない,現実味を帯びてくるのである。全く荒唐無稽なことでもない,現実に退職した老人がそれを実行しているではないかともなるからだ。
自分のしていることもそうである。プログで書いていることはボランティアであり何の収入も得られないけど生きがいを感じるかからしているとなる
芸術的創造とか人間は創造的行為となると無料でも金をはらってでもしたいのである。
つまりそれが極めて人間的なことなのである。
画家でもなんでも芸術を追及するとき絵が売れないとか金にならないとかなる人が多いからである。そんなことを関係なく創造を追及できるのがベーシックインカムとなるからだこの理想もまた現実でくじけたりすることはある,でも現実的にそういう条件が調ってきたとき実行してもいいとなる。そういう環境がAI化などで調いつつあるからこそ今や空理空論でもなくなりつつあることは知るべきだろう。

posted by 老鶯 at 11:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

駅から社会の動向を見る (原の町駅は大きいから違う)


駅から社会の動向を見る

(原の町駅は大きいから違う)


昨日は原の町の歯医者に行った,30分くらい駅にいた,そしたらお土産を探しいる人が売店にいた,鹿島駅でもお土産を探している人がいてわざわざ香の蔵まで買いに行った人がいる,ここでも香の蔵のお土産を買った人がいる
何か必ずお土産は必要になり駅では買いやすいのである。
お土産が売れるのは中味もあるが場所なのである。駅がお土産を買うのに一番適しているからだ

次に不動産を探しいる人がいた,いくつもの不動産会社をあたっていて土地が買いないんだよと言っていた,その不動産会社の電話番号に通じないから売店のおばさんにたずねていたのだ
駅はこのように何か聞かれる場所なのである。道案内とかも必要なる
それは自分が鹿島駅で経験したことである。
つまり駅は人が集まるというとき情報のセンターになりやすいのである。
インホメーションが必要になる場なのである。
ただ駅は鉄道だったら案内所があるがそこは鉄道の案内しかしていないのである。
そこに問題がある

何かそうしてコオディネイトするものが必要になる,AとBとC・・・などをしりつなぐ人である。情報関係などマスコミはそうした仕事でもある
いろんなことを報道するからそれを説明するにはいろんな分野の人が必要になるからである。司会者もそういう役目だけどなんでも詳しい人はいないからコオディネイトするのもむずかしいのである。

駅前では立憲民主党が演説していた,あと原発に反対の市民グループが運動していた
定期的に集まり運動しているという。
それから不思議だったのは駅で桜井市長とすれちがったことである。
最初わからなかったが確かにそうだった
原町にいればそういうことはある

鹿島駅だと社会の動きがあるとしてもそれは狭い範囲である。
原町だと社会の動きは大きくなる,だから原町のことはわかりにくくなる
どういう会社があるのかもわからないのである。

社会の動きは肌で感じることも大事である。それで直接演説を聞きにくるという人もテレビで写されていた,今回の選挙でも結局福島一区での候補者を見たこともないし演説も聞けなかったのである。雨のせいもあったかもしれない,昨日はどしゃぶりの雨だったから今年の選挙運動はしにくくかった

ともかく駅から社会を見ることがある,歴史的に見ると原の町は昔のいわきの平機関区と原の町機関区があり原の町機関区だから前は一杯車両が並んでいたのである
その時は蒸気機関車の時代でもあった,その時高校だったから自分は通っていた
それから自分の大正生まれの母親は原町紡績で働いていた,その原町紡績に引き込み線があった,直接鉄道で運んでいたのである。
そして自分の異父の兄は集団就職だったから原ノ町駅から行ったとなる
でも40才で交通事故で死んで実家の墓に埋まっている

原ノ町は自動ドワにもなっていない,大きな梁が天井にあり古い建物のままである。改築していないのである。
ただ原ノ町駅と鹿島駅ではずいぶん違うなと思った
原ノ町駅だと人事的なものだけになってしまう
鹿島駅だと自然が反映する
駅前には切られたけど八重桜が咲くの特徴だった,今でも一本は残っている
今は秋薔薇が咲いている,ホームの近くに合歓の花が咲いたり今は柿がなっている
虫の声も聞こえたりする

それで俳句を作ったりする

駅に会う地元の人や柿なりぬ

これが原ノ町駅だと自然が反映しなくなる,都会の駅になる,その相違は大きい
そこに風流がなくなってしまうのである。
ただ社会の動向を見るにはいい,鹿島駅では限られているからだ
それで渡り廊下で桜井市長とすれちがったのもそうである。
小高の方から来たらしい,どんな活動しているのか?
何かそうした活動を肌で感じられば社会の動きがわかるとなる
人間は今は何か情報社会でも肌で感じることが少なくなっているからだ

南相馬市と合併して歯医者に行ったら後期高齢者ではないがカードが配られていた,今までは3割負担だったが2割負担になるカードが市役所から配られていた
それがないとうけつけできないと言われたが市役所がすぐ近くなのでそこで事務手続してくれとなった,でもハンコとかないのでできなかったが市役所の人が連絡して了解してもらった,これは南相馬市に合併したからできたことだったのである。
事務手続きは南相馬市内ならどこでしても同じでありできるからである。
そういう点は便利になっていたのである。
合併していい面と悪い面が生まれたことは確かである。

明日は選挙だけど何か今度の選挙は何が争点なのかわかりにくい,野党が一本化しなかったのもわかりにくい,この辺は原発では反対である。でもその他はみんなまちまちである駅前で原発反対していた市民運動の人は鹿島が補償金のことで分断されたことを言っていた,それは深刻なものであり南相馬市の一体化が失われたのである。

タグ:原ノ町駅