2017年10月20日

歯でまともに食べられない影響は大きい


歯でまともに食べられない影響は大きい

つくづく歯は大事である。ご飯がまともに食べられない,触るといたい,右はかむことができないようになっていた,でも左でかんでいたから不自由は感じなかった
食べるのに一苦労なのである。
まともに食べられない影響は大きい,まずご飯をまともに食べられないことは精神力も低下する
人間は食べることが生きることの基本だからである。

ただ自分の母親は60代で自分の歯がなくなって入れ歯になっていた,でも百才まで生きたから不思議である。歯が悪い人が長生きしないとか趣味がない人が認知症になるとかもすべての人にあてはまらない,自分の母親は何の趣味もない,ただは働くことだけだったからである。そうして90数才るで働いていて認知症にならずにすんだ
でも94才ころから寝たきりになり認知症になった
これはやむをえないことだろう。

人間は食べる楽しみがなくなったら終わりなのかもしれない,胃ろうなどで生かされていても何の楽しみもなくなる,食べるということは人間の場合,動物と違って腹を満たすだけのものではない,何か食べることは人間の場合,さまざまな役割があり腹を満たすということだけではないのである。

だから人間が食べることができなくなる,味覚もなくなるとかなると悲劇である。
人間として生きる力もなくなってくる
それは食べることがただ腹を満たすだけではない,何か精神的活力をもたらすものとしてもある。
お茶は食事して飲んでいたがそこから茶の湯が生まれたように人間は必ずしも腹をみたすだけのものとして食事があるのではない,人間は何でも動物とは違いがつがつ食べるだけではない,精神的なものを付加され追及されてゆく

ともかく歯はすぐに直せない,保険の関係で医者は何回も通わせるという
アメリカの歯医者は長い時間治療して一気に直してしまうという
この相違も大きい,医者が今でもめんどうなのは何回も通うようになるからである。
今回も一週間に一回行って一カ月くらいかかるという
そうなると今でも食べるとあたり痛みを感じるから食べづらいのである。
一カ月こうして不自由な生活を強いられるのである。

まあ,こうした歯医者であれ医者は重要なものになる,だから飯館村のような医者も歯医者もない村に住みたくないということがある
別に川俣でも通えるからいいが車がないと不便だとなる
原町だと駅から歩いて行ける範囲にだいたいある,だから不便を感じない
ある程度選ぶこともできる,今回は早く治療してもらいたくてそこにした
一カ月待って初診をうけつけるその後も一カ月くらい置きに予約制となっていたら長すぎる
それだけこむということはやはり他と違ったものがあるのだろう。そこに患者が集中しているからである。

今日は原町駅ではお土産を駅の売店で見ている人があった,その人はこの土地の出身者だった,やはりお土産が必要になる,駅では買いやすいのである。
それから駅前で「原発反対」の抗議をしている人達がいた,どこかの党派とかと思ったがそうではない,みんなで集まり定期的にしているという。
そして駅で桜井市長にあった,最初わからなかった,でも確かに桜井市長だったのであるなんかそれも不思議だった,なかなか市長には会わないだろう。
別にすれちがっただけだったけど原町だとこういうことがある

今日は雨でびしょぬれになった,でも原町でも歩くと違って見える
路地裏の方でもここにこんな店があるとか認識するのである。
歩いて見るものは何か違ったもの死とて見えるのである。
今は歩かないから余計にそうなる,だから本当は街は歩くべきなのである。
すると街に発見するものが生まれまた町の魅力が作られるともなる
原町は大きいけどまだ歩ける範囲内にある
ただ歩けるように街が作られていないのである。
そうなったのは街を人が歩かなくなったからなのである。
posted by 老鶯 at 21:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

今度はかぶせた歯がぬけた (今日の内に歯医者に行く)


今度はかぶせた歯がぬけた

(今日の内に歯医者に行く)

人間はつくづくこの辺の原発事故でもそうだが日常の何気ないことが貴重なことを知ったそういうものは意識できない,無意識的になっていた,空気のようになっていた
それは家族でもそうである,親でも妻ても何でもしてくれるときそれが当たり前と化してありがいともなんとも思わなくなっている
それが一旦死んだりしていなくなるとその存在の大きさと貴重さを自覚する
親に死なれる妻に死なれると家事でも自分でやらざるをえなくなり大変なことになる

今度は歯が奥の方にかぶせたのがぬけた,不思議なのはこの歯もかぶせたものだと思っていなかった,長い間意識していなかったのである。
この歯は自分の歯だとてっきり思っていた,何の不都合もなくなっていたからである。
だから意識しない,前も前の三本の歯が欠けて入れ歯にしていたのも忘れていた
それは自転車で転倒して前の歯が三本折れたのだ
この時は打ちどころが悪いと死んでいた
危険な事故だった,それはすぐ近くのいつも通っている道で起きたのである。
自転車も結構危ないのである。

ともかく人間は体でもどこかが悪くないかぎり意識しない,意識するときは病気なのである。歯が痛いとなればやはり歯が悪いと意識するし体のどこが悪ければ意識する
でも健康であれば意識しないのだ
体の一部が悪くなればそこを常に意識していなければならなくる
歯などは何も意識しないときが一番いいわけである。

人間はこうして日常生活でもそれを意識しない,価値あるとか意味あるとかそんなことを考えないのである。ただ当たり前として日々暮らしているのである。
でもこの辺のように家にも住めなくなり故郷にも住めなくなるとき意識せざるをえない
今まであった平凡な日常の価値や意味を意識する
まず故郷自体に住めなくなるなどありえないことだったからである。
故郷がなくなるなどありえないことだったからである。
でもそれが現実この辺では起きたのである。

例えば医者でも歯医者でも病気にならなければ歯が悪くならなければ別に必要ないとなるでも一旦こうして歯が悪くなると歯医者のことをあれこれと意識する
初診でもみてもらうのに予約して一カ月もかかるのとか驚く,もうこの歯医者にはどんなに優秀でもかかれないのである。
それで今日の内に初診でもみてもらう医者に行くことにした
インプラントできるとなるとそれなりの設備があると思い行くことにした
この辺では歯医者も多いが選べるとまでならない,いい歯医者はすでに予約で一杯とか行けないのである
その医者がうまい下手は関係なくなる,なるべく早めにしてもらいたいのである。
ごっそり奥の歯がなくなったから苦しいからである。
今日は雨ふっているけど予約がとれたので行くことにした




posted by 老鶯 at 12:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記