2017年10月18日

九州の熊襲は鹿文(かや-伽耶族) 景行天皇(ヤマトタケル)の時代の勢力


九州の熊襲は鹿文(かや-伽耶族)

景行天皇(ヤマトタケル)の時代の勢力


景行天皇は 熊襲八十梟帥くまそのやそたける、厚鹿文・迮鹿文を討伐する為、その娘の市乾鹿文・市鹿文を欺いて召した。
時に市乾鹿文が天皇に言うには「熊襲が服従しないことを憂えてはなりません。私に良い謀りごとがあるので、一人二人の兵を私にお付け下さい」と。
そして家に帰ると、沢山の酒を準備して父に飲ませた。すると酔って寝た。
市乾鹿文は密かに父の弓弦を断った。そして従ってきた一人の兵が熊襲梟帥を殺した。

厚鹿文

ヤマトヲシロワケ(12代景行天皇) が討ったクマソの頭のひとり。 
セカヤの兄。フカヤとヘカヤの父。 
娘フカヤの寝返りによって討たれる。

  

┌アツカヤ──┬フカヤ
│      │
│      └ヘカヤ
│        ┃
└セカヤ───トリイシカヤ

「鹿屋」はクマソ国の中の「投馬国」に属しており、「神武紀」に記されているように鹿屋を含む大隅半島は「神武東征」の出発地でもあった。


 鹿屋は半島南部の「伽耶」すなわち「弁韓狗邪国」「狗邪韓国」と直結する名称である。後者は3世紀には存在した国々であるが、3世紀の半ば(247,8年ごろ)に起きた大規模な「反魏闘争」により、敗れた弁韓・辰韓のそのような航海民が多数流れ込んだゆえ、「かや」という地名が生まれた可能性がある。

 しかし先に大隅半島側に「かや」なる名称があったとも考えられる。

 今のところ、どちらが先かの結論は出し得ないでいるが、「鹿児屋(かこや)」すなわち「鹿児(鹿児)の屋(や)=航海民の住みか」と言われていたのが、「児(こ)」の脱落で「鹿屋(かや)」になったのかもしれないとも思っている。

日本書紀の景行天皇に記された名前

厚鹿文、迮鹿文取石鹿文、弟鹿文、厚鹿文、迮鹿文、熊津彦

市乾鹿文、市鹿文   字也鹿文、市乾鹿文、市鹿文、難升米、掖邪狗

陸奥風土記に出てきた「神石萱」に関して、興味のある指摘をしてみたいと思います。即ち、景行12年紀に熊襲のある一族の名前として、「厚鹿文」、「末鹿文」、それに「市乾鹿文」と「市鹿文」の姉妹が出てきます。同27年紀には「取石鹿文」が出てきます。「鹿文」は「カヤ」と読みます。

景行天皇紀に現れる賊の名前を検討した一文がありますので、ご参照ください。景行紀の蝦夷
これらの名前の後半「鹿文」と、陸奥の「神石萱」の最後の「萱」、特に「市鹿文」と「石萱」の酷似は、九州の熊襲と陸奥の土蜘蛛の間で名付けの慣習に何らかの共通性があったことを推定させます。とりもなおさず、言語の共通性、と言いたいのです。

この名も同じく中国王朝一字名と考えるべきであろう。名は「取」、「字」が「石鹿文」である。いずれも始祖「忌」の栄光ある「字・鹿文」を受け継いでいる。

松野連姫氏系図

この地に八人の土知朱(つちぐも)が居た。一を黒鷲、二を神衣媛、三を草野灰、四を保保吉灰、五を阿邪尓那媛、六を栲猪、七を神石萱(かむいしかや)、八を狭磯名という。それぞれに一族があり、八ヶ所の岩屋に住んでいた。この八ヶ所は皆、要害の地であった。だから皇命に従わなかった。国造(くにのみやつこ、律令施行以前の時代、朝廷から一国の長官に任ぜられた現地の豪族)の磐城彦(イワキヒコ)が敗走した後は、人々を奪い去る事が止まなかった。景行天皇は日本武尊に命じて土知朱を征伐させた。土知朱は力を合わせて防戦した。また津軽の蝦夷と共謀し、多くの鹿や猪を狩る強弓を石の城柵に連ねて張り、


カヤノヒメ(カヤヌヒメとも)は、日本神話に登場する草の神である。 『古事記』では鹿屋野比売神、『日本書紀』では草祖草野姫(くさのおやかやのひめ。草祖は草の祖神の意味)と表記し、『古事記』では別名が野椎神(のづちのかみ)であると記している。

南相馬市鹿島区の真野明神は祭神は草野姫命(カヤノヒメ)ですがこの姫神は比売許曾神社(ヒコソ)の祭神と同一神 コソが朝鮮語の社である


草枕旅を苦しみ恋ひ居れば可也の山辺にさ雄鹿鳴くも

陸奥(みちのく)の真野(まの)の草原(かやはら)遠けども面影(おもかげ)にして見ゆといふものを (笠女郎)

日本の人種的国の成り立ちは原住民に蝦夷がいた,それはエミシであり蝦夷はあとに名付けられたものでありエミシという族がいた,それは縄文人の末裔ともなる
そのエミシと蝦夷(エゾーエソ)は違うものである。
だから蝦夷というとき今のアイヌとは全く別なのである。
つまり蝦夷の中にアイヌがいたかもしれないという説でありそれは証明されないのである蝦夷語があるとしてアイヌ語がそれなのかはわからないのである。

真野の草原(かやはら)の万葉集の歌は一体何を意味しているのか?
草原がただの萱の原なのか?それとも何か別なものに由来しているのか?
カヤを伽耶国に由来しているというときその背景をこうしてインターネットで調べると
それなりに信憑性が生まれてくる,情報が集積されて統計的にも信憑性が出てくるのである。
カヤは伽耶であり鹿文(かや)とあてられた,景行天皇(ヤマトタケル)の時代に神話となり日本が一つの国として意識される征服が行われた,その時必ず九州の熊襲でもその中味は中心的氏族は鹿文(かや)なのである。
そき鹿文(かや)は何者かというとき,韓国からわたったてき人達だとなる
それは大和の国造り神話ができるときすでに鹿文(かや)が日本列島の原住民化していたのである。混血していたのである。

なぜそうなったのかというとき伽耶から渡ってきた人達は鉄を作るとか農業でも焼き畑をするとか先進的技術をもっていたから有力な指導的立場になった
それは弥生式文化が根付いたのも稲作文化をもたらした人達でありそれで優位に立った
日本海から入ってきたツノガノアラシトの伝説もそうである。

だから蝦夷というときエミシとか日本古来の縄文人の末裔もいるけどそこに韓国から来た渡来人と混血したのである。それがあとで蝦夷となったのである。

「鹿文」と、陸奥の「神石萱」の最後の「萱」、特に「市鹿文」と「石萱」の酷似は、九州の熊襲と陸奥の土蜘蛛の間で名付けの慣習に何らかの共通性があった

それより混血した結果としてそうなった,鹿文(カヤ)いうとき女性のことでありそれはその当時女酋長がいたということであり最初の邪馬台国が卑弥呼で女王だったとういことと通じている,それは巫女とかシャーマンであり女性だったのである。
今でも女性の占い師とかいる,神がかりするのが女性だったとなる
鹿島区寺内にある「真野明神」に祭られているカヤノヒメとは女性の酋長に由来するのか?ここに検索した鹿文(かや)と関連してある


いづれにしろ真野の草原(かやはら)は謎でありかわらない,でもこうして情報を集積すると見えてくるものがある。
インターネットの検索で見えてくるものがある,それが歴史にも情報社会が影響しているとなるのだ
posted by 老鶯 at 16:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

日立の風力発電会社の事務所にドイツ人三人が来る (駅からすぐ近くにその事務所がある)


日立の風力発電会社の事務所にドイツ人三人が来る

(駅からすぐ近くにその事務所がある)


まず一人はいわきからレンタカーを借りて駅に来た,その人は日本語をしゃべったしナビでも日本語のナビを車の中で聞いていた,日本に慣れた人なのだろう。

その後に土浦ナンバーの車がやってきた,ここで待ち合わせるするという人だった
その人たちはドイツ語で話しした,ドイツ人だった

なぜ三人も来たのかと思ったら車がすぐ近くの路次を曲がり入った,それで気づいた
「風力発電の事務所」が作られていたのだ
それで風力発電関係の技術者だということがわかった

ドイツの電力需要に占める風力発電の設備容量は2010年末時点で9.3%、2011年末時点で10.6%であった[2][3]。
国内に21,607機の風力発電機が設置されており、ドイツはさらに多くの発電機の設置を計画している[4][5]。2011年時点で、ドイツ連邦政府は特に洋上風力発電の利用に焦点を当てた再生可能エネルギーの商業化(英語版)を増大させる新しい計画に取り組んでいる

2011年の東日本大震災による福島第一原子力発電所事故の後、ドイツ政府は特に洋上風力発電に焦点を当てた再生可能エネルギーの商業化加速を見込む新しい計画に取り組んでいる[17]。計画では、大型の風力発電機が陸上よりもより恒常的に強い風が吹き、巨大な発電機でも住民を気にしないで済む海岸線から遠く離れた場所に建てられる。
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日立ソリーシュンというの名の事務所があるから茨城県にあり駅で待ち合わせした人は土浦ナンバーなことも辻褄が合う

ドイツでは風力発電が進んでいる,太陽光発電も進んでいる,なぜなら原発を廃止したからである。それで風力発電でも技術的に進んでいたのである。

風力発電と太陽光発電を一体化した技術の開発も進んでいる

何かこの辺はそういう点では国際化している,ドイツ人が三人も来るなど普通はないからだ,前は東北電力にドイツ人が一人来た,一人は日本人の通訳だった

駅は何かこうしていろいろな人が出会う場所なのである。
この辺は外部からの人が入るようになって国際化したということもある
全国からも人がまだ来ているから前とは違った駅となっていたのである。

駅近くの事務所

株式会社 日立パワーソリューションズ 電源インフラ事業統括本部 新エネルギー本部
風力システム部  茨城県日立市幸町三丁目2番2号