2017年10月17日

あなたの実体験から得た「宇宙論」聞かせてください (私の介護についての返答した人に問う-稲妻捕り様へ)


あなたの実体験から得た「宇宙論」聞かせてください

(私の介護についての返答した人に問う)

稲妻捕り様へ

介護では「早く死んでくれないかな」と誰でも思う
(それは非情ではない,それだけ辛いからである)



経験論から一歩も出ていませんね。これじゃ「早く死んでくれないかな」と思うはずです
寝たきりでただ食って寝て、そんな形で生きていたって何のねうちもないし可哀そうなだけ。

それだけの生ではないのかと、みつめつつやがて自分もおいつめられていく。

こういう自分が求めていたのは、決して介護論でも心理学でも福祉設備の充実だけではないのです。

なぜ生きているのか、それをつきつめればなぜ宇宙に生命があるのかという問いを問うところへゆくのです。

その問いの前で、介護していた自分はまさに宇宙論に直面していたのです。



この人にも言い分があるからその背景がどういうことで言っているのかわからない

経験論から一歩も出ていませんね

人間は実体験がなければその語ることが浅薄になる,人間の真実は実体験からはじまるのだ,介護だって何でもそうである,実体験なしで何も語られないのである。

私が岩手県の介護している60代の男性と90代の母親を介護して60代の息子が病気になり共倒れになったことを書いたのは自分もにた状況に陥ったからである。

あなたは何かそうした経験があるのですか?

あなかたにどんな深刻な経験をして「宇宙論」まで説くことができるのですか?

おそらく都築詠一氏の「弁証論」とか何かのことで言っているのだと予想します

私も彼には感銘して詩も書きました,ただそれは彼の実体験が訴えるものがあったからです,弁証論についてはわからないし「宇宙論」についてもわからない
ただ自分が感銘したのは彼の実体験なのです

空手に精進する姿だったのです,日々裸足で歩く,重い荷物をもって歩く訓練をしていた
そのことが訴えるものがあり詩にしたのです


寝たきりでただ食って寝て、そんな形で生きていたって何のねうちもないし可哀そうなだけ。
それだけの生ではないのかと、みつめつつやがて自分もおいつめられていく。

これは介護もしたことがない人が無関心に無責任に言っているのです
他人の苦しみなど関係ないからそう言えるのです
そんなのは税金の無駄使いだとなるが家族にとってはそれぞれ事情がありそうはならないのです

家族にもそれぞれの歴史があるのです,家族はみんな同じではないですよ
とても他者からは理解できない家族というのものがあるのです
歴史があるというとき家族はやはり長い時間で形成されてきたものだからです
家族の不幸はみんな違っているというときそれは家族がみんな違っていて歴史をもっているからです

つまりあなたはそれぞれの家族の事情を見ないで一般論で見ているだけなのです
介護したこともないだろうし老人はみんな邪魔だ,早く死んだ方がいいとかいつも言っている若者と同じである

でも家族にもそれぞれ事情がありみんながそうはならないのです
国には国の事情が歴史があるように家族にもそれぞれの事情がある
それは他者からわかりえようがないものがあるのです
家族というとき何か単純に考えるけど両親がいて子供いるとも限らないのです
家族の形態はいろいろであり複雑なのです

ではあなたは経験からどんな深遠な宇宙論を展開できるのですか?

それに答える義務があるでしょう

そのご高説をうかがいたいです

でも心の青雲の都築詠一氏とか弁証論とか受け売りではだめですよ
それはそれとして価値があります,でも自分の言葉で語ることが大事なのです
都築詠一氏は一貫して自分の言葉で語っていたしそれはそれで学ぶところがあったのです
あなたはあなたの言葉で語るべきなのです

あなたの体験からどういう深遠な「宇宙論」が生まれたのか?

それを是非知りたいですね

タグ:介護論

原発事故の責任をとらない政府と東電 (自己責任を言うなら「危険」なことも知らせるべき)


原発事故の責任をとらない政府と東電

(自己責任を言うなら「危険」なことも知らせるべき)


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事故にあったらあなたの責任です!



まず東日本大震災で東電が刑事罰を受けないというのがあり得なかった 
日本人のために原発が必要なのではなく、利権で飯食ってる一握りの屑のための原発なんだと言うことがよくわかったわ

自民党は東電とお友達だし、事故の処理でお友達に税金をばらまけるからね 
40年も最終処分場も決められない自民党が原発を継続させるのは無責任だ

東電は人殺し。 
人殺しを裁く法律をつくることなしに原発再稼働なんてあり得ない

何年も原発ゼロでやれてたろ? 

もし原発50基が最初っから無ければ 
今の電気代はせいぜい15円/kWhだよ 
原発のせいで電気が高くなった 
それに合わせてガスや石油などもわざわざ高値で契約してきた

原発ゼロの判定以前に 安部を 
証人喚問だろ何で安全神話を作った!? 
おかげで今も事故は起こらないと 
火災訓練すらしない業界には 
不信感しかないわ 全部安部の事故は 
起こらない これで自民党が再選されれば 
原発は動くことに為る

小池百合子・希望の党は、企業献金を拒否 
原子力利権産業は、金で言うこと聞かせられない希望の党の 
公約である原発ゼロに恐れをなして、マスコミを使って叩かせ始めた


原発の問題を追及してきたけど何が最大の問題だったのか?

 必ず責任をとらせられる

このことを被害にあった地域と人達は痛切に身をもって感じている
外から見ると死んだ人もいないからたいしたことないとかいろいろ言うけど
そうなら政府が避難命令など出さなければ良かったのである。
政府が避難命令を出したから避難して町や村に人が住まなくなり荒廃したのである。

世の中はつくづく必ず責任をとらされる,責任はカルマでもある,そのカルマを自覚するのは責任をとらされるときなのである。
だから本当にその原発というカルマの重さ業の重さを事故で知らしめられたのである。
職業は職の業でもあった,人間はともかく責任から逃れられない
生きることは責任を課せられていることでもある

そしてその責任を最も負うのは誰なのか?

それは原発事故では政府と東電の幹部などであった

しかし原発事故では誰も罰せられないのである。清水社長も天下りしてのうのうと暮らしている,政府関係者でも誰も罰せられないのである。誰も責任をとらないのである。
でも必ず誰かが責任をとらされるのである。

この辺では地元の人達が責任をとらされた,外から見たら死んでもいないからたいしたことがないというけど故郷の自然の中に住んでいたものが水も飲めない,土も汚染されて食物も作れないとか木材も利用できない,空気も汚染されて安心して住めないとかなった
補償金もらって良かったじゃないかとも言われるがやはり代々その土地に住んでいた場を奪われることの精神的被害が大きいし実はそのことを住んでいる人が自覚されていなかったのである。
こういう被害は経験できないからである。

地元の人も原発を建てる前から補助金などで潤っていた,恩恵を受けていた
地元の人も責任があるとなった,それも自己責任だとされた
ところが自己責任というときどういうことで自己責任になるのか?

ここに立て札がある,「危険」「安全」とあるとき危険という立て札があるのにそこに侵入して危険な目にあっても怪我をしても自己責任だとなる
一方で「安全」とあればそこに侵入しても安全なのだからそこで自己責任は問われない
むしろ「安全」とあるのに危険な目に怪我などしたらその立て札をたてたもの,役所でもなんでも責任が問われる
「安全」とあるのに入ったら危険な目にあい怪我までしたとなる
それで裁判にもなるのか民主主義の社会である。

原発では「安全神話」となり原発は「安全」という立て札をたてていた,それは役所でたてたと同じである。だからそこに立ち入っても地元の人たちは安全だと思うのは当然である。
そこで危険な目にあったらその「安全」という立て札をたてた役所の責任が問われるのである。

原発はこれだけ危険なものでもその内部の情報は何も知らされていない,ただ「安全神話」が形成されて「安全」「安全」というだけである。
だから事故になったときの備えもしない,そこで事故になって指示もできない混乱状態になったのである。
「安全」はという]立て札をたてるとき安全についての説明も必要になる
「危険」という立て札についてもそうである。その説明が全然ないのである。

いづれにしろ自己責任というとき鉄道でも「あぶない,線路の立ち入りを禁止する」と看板がたててあった,そこに侵入した人がいて電車が20分以上停止したのである。
この責任は侵入した人にありJRにはないのである。
それと同じように「安全」と立て札があればその責任が問われるのは役所だったり会社だったりする
医者でも手術するとき危険性は言っている,一応それで納得させてから手術しているのである。

だから民主主義ではそうして情報の公開がないと成り立たないのである。

「安全」「危険」も知らされなかったらどうするのか?

どうして調べるのか?原発は秘密のベールの中にあり知り得ようがないからできない
それは国家機密でもあるからできないのである。
するとその国家機密をにぎるものこそ最大の責任があったともなる
なぜならいくら知ろうとしても知り得ないからただ「安全」とあればそれを信じるからである。

ただ実際はこの世で絶対的安全は保証されない,なぜなら必ず今回のような不測の事態が生まれるからだ,でも危険と安全についての説明が必要なのである。
でもそれは国家権力によって隠蔽されてきたのである。

だから責任をとるべきは政府であり東電でありそれに対して何の罰もないとしたら誰も納得しない,でも必ず誰かが責任をとらされるのである。
今回は地元の人達が責任をとらされたのである。
戦争でも戦争を遂行した政府の役人がいたが国民全体が責任をとらされた,それも3百万人の死をもって責任をとらされたのである。
人間は責任か逃れられないようにできているのである。

原発で事故起こしたら死刑にするぞ!腹を切らせるぞ!

もしこれだけの責任を課せなければやれないのが原発だったのである。
それだけの覚悟あるならやれともなるのが原発だったのである。
それが結果的には誰も上の人は責任をとらない
そして責任をとらされたのは地元の人達だったのである。
posted by 老鶯 at 10:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連