2017年10月11日

コンピュターで写真から絵に加工することの謎 (枯山水の庭ーjapanese garden)

コンピュターで写真から絵に加工することの謎

(枯山水の庭ーjapanese garden)

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original photo

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写真と絵は何なのだろうとなる,それは写真の時代になったのと写真を絵にコンピュターで加工できるようになったから生じた問題である。
そもそも写真がない時代は絵が写真の代わりをしていた
写実的な絵は写真とにている,写真は絵として見れる

何が写真で絵かも区別できなくなっているのが現代である。
だから私がしている抽象画というのも本当にこれは何なのだろうと自分自身でも不思議なのである,こんなことがありうるのかということを経験しているのである。

これは日本の枯山水という庭を模したものである。そのオリジナル作品は雑誌の写真である。だから著作権に違反するかもしれない
白くしたのは砂であり砂と石で成るのが枯山水である。
その白い部分は各自がイメージする世界である。

ここで岩が調和している,私は石に興味がある,この石の配置は独特である。
これは人間が作ったものなのか自然をそのまま活かしたものなのか?
オリジナルの写真は露天風呂である。そこには女性が入浴している写真なのである。
それを加工して自分が作ったのである。


What will be the picture and picture, it is a problem arising from the fact that it became the age of photography and the photograph can be processed with a computer as a picture.
A picture was taking the place of a picture in the age when there was no picture in the first place
Photographical drawings are in photographs, pictures can be seen as pictures

It is a modern day that it is impossible to distinguish what is a picture or a picture.
So I am experiencing whether it is possible for such abstract paintings to be such that it is really strange to themselves what this is.

This is a model imitating the garden called Karesansui in Japan. That original work is a photograph of a magazine. So it may violate copyright
It was sand that whitened, and it was Karesansui to be composed of sand and stone.
The white part is the world that each image imagines.

Here the rock is harmonious, I am interested in stone, this stone placement is unique.
Is this something made by humans or what made nature as it is?
The original picture is an outdoor bath. It is a picture of a woman taking a bath.
I made it by processing it.


japanese garden in Zen


Karesansui is a garden with no water, a garden style that expresses the scenery of mountain water by stone, sand, etc. without using water such as ponds and sewers. For example, it often looks like a white sand or a pebble as a water surface, and if a bridge is bridged, the bottom is water. Sometimes it expresses the flow of water with the pattern of the surface of the stone.

カルマは苦しむ時に自覚される (原発事故も人類のカルマでもあった)


カルマは苦しむ時に自覚される

(原発事故も人類のカルマでもあった)


天界の火を盗んで人類に与えた存在として知られる。また人間を創造したとも言われる[4]。日本では長音を省略してプロメテウスと表記されることもある。
その名は、pro(先に、前に)+ metheus(考える者)と分解でき、「先見の明を持つ者」「熟慮する者」の意である。他にも、ギリシャ語から「Προμη:促進する、昇進させる」「θεύς←θεός:神、ゼウス」と解釈すると、人類に神の火を与えた事で「神に昇進させた者」との説も有る。
弟のエピメテウス(Ἐπιμηθεύς、Epimetheús)は、epi(後で)+metheus(考える者)と分解でき、「後で後悔する者」「後知恵をする者」くらいの意である。
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の地でプロメテウスは磔(はりつけ)にされ、その胸に杭を突き刺され、その杭には一羽の鷲(わし)が止まっています。鷲はプロメテウスの肝臓を啄(ついば)むのです。一日かけて食い荒らすと、次の日にはまたプロメテウスの中に新しい肝臓が育ち、その日もまた鷲に突かれるのです。来る日も来る日もその繰り返しです。
 こうしてプロメテウスは、永遠の責め苦を味わわなければならなくなったのでした。
さてプロメテウスの刑罰は「3万年」と定められていました


個人的にもカルマを必ず人間はもつ,ただカルマは苦しみがないと意識されないのである自分が30年間苦しみがない平和な楽な生活を送っていた,でもその時でもカルマは知らずに積まれていたのである。
ただカルマは苦しみがなければ意識されないのである。
そして苦しむようになるとなぜ自分はこんなに苦しむのだとなりカルマを意識するのである。
家族二人を介護することは自分のカルマだった,それから逃れることはできなかった
そして誰の助けもないこともカルマであり自分自身が病気になってもそうだった
そういうカルマを積んでいたとなる

それは個人的にもそうだが今回の原発事故のようにこれは深く考えれば人類的カルマだったのである。火を盗むとは火は現代になれば原子力である,そしてその罰は過酷なものとなる

プロメテウスの刑罰は「3万年」と定められていました

この年数と符号しているのがプルトニウムの毒が二万年消えないということである。
それだけのカルマをこの辺で背負ったという恐怖である。
だからこそ神にまで昇進させるとなる,つま科学技術によって人間が神のごとくなるということである。科学者が神のごとくにもなるということである。
それだけの力を科学技術は人間に与える,その最たるものが原子力であり核兵器になる

そしてその科学技術もすべていいものとしては働かない,人間を苦しめるものとして働くようになる,その罰はプロメテウスのように過酷なものとなる

「後で後悔する者」「後知恵をする者」

結果的に新しい科学技術を作り出してもその結果を見て後悔する,科学技術にはそういう面がある,車社会になれば交通事故で苦しむ,かかって車が無ければと事故にあって死んだ人は思うのである。
人間はともかく科学技術でも先のことは考えない,核というものがどういう働きを人間にするかを考えない,まず科学技術はそういう社会的影響を考えないですべていいものとして推進されるのである。
そしてとりかえしつかないものとなり後悔する
カルマが苦しみとなりカルマを意識して後悔するのである。カルマとは人間の業であり
科学技術もまた人間の業として追及されてきたのである。
その結果として原発事故でありそのカルマに苦しむことになる

人間とは何かとなると道具を使うものというとき石を道具としたときすでに人間のカルマがはじまっていた,なぜなら石器は道具として生活で役に立つものでもまた武器ともなる殺人の道具ともなる,そういう人間の歴史は石器時代からはじまっていたのである。
ヨーロッパでは石のこん棒とか石の兵器が発達した,それは殺りく兵器として発達したことでもわかる
この殺りく兵器の発達が核兵器で頂点に達したのが現代なのである。

人間とはそういうカルマ(業)を背負ったものなのである。
そして科学技術文明は最終的に滅びることになる
マヤ文明は高度な天文学が発達したがカルト宗教のようになり人間が滅びる日まで割り出したが滅びた,知の限界に達して滅びた
核というのも原子力というのもやはり人間の知の限界に達して崩壊した
人間は全能ではないから限界があるからそうなる

人間は例え2000年前でも今日のことは予言できた,それがギリシャ神話とかなっていて警告していたのである。
それは宗教でも予言されていた,キリストの剣をもつものは剣で滅びるとは核をもつものは核で滅びるとなる
つまり人間のカルマ(業)はついには歴史的結果として現れるということである。
それはすでに石を道具としたときからそれは予想されていたのである。
石を道具とする人間の業(わざ)が業となっていたのである。
動物のようにそれができなければ今のような災いはないからである。
まさに災い(わざわい)は技(わざ)であり業(わざ)であり災いという漢字は火のことだったのである。これをみてもすでに人間が生まれてからその災いは予想されていたのである。
プロメテウスの刑罰は「3万年」と定められていました

プルトニウムの毒は二万年すぎないと消えないとかあるから同じである。
それだけのカルマをこの辺では背負った,それはこの辺だけではない,実際は広範囲に放物質で汚染されたのである。それはこのように消えないものとして毒が残る
それは人類的カルマだったのである。これはここだけではない世界でも起きることであり核兵器で人類が滅ぶというとき人間のカルマ(業)の帰結として起こる
そういうカルマを背負っていたのが人間だったとなる
原罪を背負っているというのもそうである。
人間は神の禁忌を破ったものとして罰を受ける宿命にある
それから逃れられない存在だともなる
それはこうして苦しみが現実化したとき自覚されるのである。
この辺はそのカルマを背負った土地になったということである。
posted by 老鶯 at 10:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連