2017年10月10日

国と東電に責任 福島地裁が賠償命令 (今なおつづく原発事故の後遺症)


国と東電に責任 福島地裁が賠償命令

(今なおつづく原発事故の後遺症)


原発事故の補償は南相馬市でも避難区域になった所とならない地域30キロ圏内と外ではその差が大きかった,でも実際の放射線量はほとんど変わらないけど線引きされた
放射線量で決めたのではなく政府が勝手に線引きして補償金をおさえたのである。
補償金をそんなに払うことができないからである。

南相馬市でも30キロ圏外とその内でどれほどの放射線量の差があるのか?
ほとんどないのである。だから南相馬市内は一応補償金をもらった
でも相馬市でもほとんど放射線量など街内では変わらなのである。
だからその不満を相馬市で言う人はいた
南相馬市でも30キロ圏外になった鹿島区ではその不満が根強くある
それで小高の人とうまくいかなくなったのである。

そもそも小高は避難させる必要もなかったのである。
避難させたことがいたずらに混乱を招いたのである。
小高が避難しなければ南相馬市全体で一律の補償を要求すれば良かった
30キロとかで区切らないで南相馬市全体が一律に補償金を要求すれば良かったのである。そういうことは市政として市長でも率先してするべきだった
補償金で南相馬市の一体感は失われたのである。

今回の訴訟にかかわった人達は相馬市の魚屋をしている人と福島市の果樹農家だった
相馬市の魚屋さんは松川浦から魚を仕入れていたができなくなって売り上げが落ちた
この被害も大きいから補償してくれというのもわかる
松川浦の魚は新鮮だから高く売れるし前は行商にも来た人がいた
その女性は小高の人だったのである。
この辺での贅沢は松川浦の新鮮な魚が食べられることだった
ただ石鰈などは一匹2000円とかしたがそれでも新鮮だから価値があった
松川浦で漁師をしている人は二三日内にとれた魚しか食べないと言っていた
魚ではこの辺では贅沢していたのである。
それで会津の人に石鰈を送ってやったら喜んでいた
身知らず柿が送られたが石鰈の新鮮な方が価値があった

つまり漁業関係では漁師だけではない,それを売る人と食べる人もこの土地に生きる利点を失ったのである。それも被害だったのである。
ただ松川浦でも磯部でも右田でも烏崎でも請戸でも船主に対する不満が大きい
なぜなら松川浦に住んでいてもみんなが船主ではないから補償がないからである。
それは前から不満だったのである。
東電から補償金が定期的に事故前も入っていたし事故後も一番手厚く定期的に補償されるのである。だからいち早く立派な家を建てたのは船主だったとなる

ただそれでこの辺に生きるメリットは漁師だけではない回りの人も失ったのである。
だから魚では生活できないとかプログに出していた漁師がいたけどそれもなんなのだったとのかとなる
魚は高いから東京の方に出していたりしていた,地元ではそれだけ高いものを買う人がいないからだ,新鮮な魚はここでではない,高価に東京で買い取られて料亭で使われていたのである。
福島市の梨農家もそうである。贈答用の高級な梨で東京とかの方に売っていたのである。広域化グローバル化社会ではそうなるのである

相馬市でも請戸の人が船主だろう,特等室に入り家を建てるとか言っていた
それも相馬市で不満な人がいるのだからそんなことを言うと不満な人がでてくる
その時はそういうことはあまり意識していなかったのかもしれない
みんなが補償金をそんなにもらったわけではない,放射線量がたいして違わないのに
政府によって線引きされたのである。

とにかく原発事故は広範囲に被害があった,それはもう補償しきれない,だからその後でもなぜ除染に何兆円も使ったのか?
今放射線量を計ったらまた上がって同じになったとか報告があり除染はそんなに効果あるものでもなかった,そしたらそういう金を補償金にまわせば良かったとなる
何かそういう事故後の対策が誤っていた,金はゼネコンとか暴力団とかに流れたとされる政府の事故処理が失敗していたともなる
まず双葉大熊はしょうがないとしても浪江だったら全部を避難させたのかいいのか疑問になる,小高は避難させるべきではなかった
それがかえって復興できなくなさせたからである。
避難させた結果もう若い人達は生活は別になり帰らなくなったからである。
これは政府の事故処理の失敗だったのである。

いづれにしろ水は飲めないとかの被害はつづいている,ペットボトルを買うとなると金がかかる,それがいつまでも水が飲めないとなると金がかかる
それは相馬市でも同じでありその分だけでも補償しろとはなる
ただその補償金も国民の税金になるから今度は国民が非難する
そういうジレンマに陥っている
こうして南相馬市でも補償金のために分断されたのは政府で小高を避難区域にしたことや30キロとかで線引きしたことでそうなった
それに対して南相馬市では無策だったとなる
ただ鹿島区は補償金をもらえる地域ではなかったが南相馬市ということで少ないがもらったのである。でも鹿島の人達は不満が根強くある
小高の人達に対して不満が大きいのである。

一応政府と東電が津浪が予測できたということで責任が生じて訴訟で勝った
その文書が出てきたのは最近のことである。
それも隠されていたのである。もしその文書が公にされて問題になったらこの辺にそんな大きな津浪が30年以内に来るかもしれないとなると大騒ぎになったろう
この辺では津浪は来ないとされて関心がなかったからである。
それが隠されたのはなぜなのか?
政府ではその対策をしなかったのはなぜなのか?
金がかかるからであり知らせたくなかった
それが致命的結果になったのである。

科学者はやはり30年以内に8メートルなのか10メートルなのか大きな津浪が来ることを予想していた,だから科学者はやはり今の社会では大きな役目があるからこそ社会の中枢にあり指導者になっていることがわかる
またそれでけ科学者の責任が重い社会だということもわかる
そういうことが科学者にも自覚されていたのか?
核自体があまりにも危険なものだから科学者が扱うから科学者の責任も問われる
ただ政府とか東電とかの命令で何でもしていいのかともなる
湯川秀樹博士がフクシマの原発を作るとき時期が早いと言って反対した
でも技術的に未熟でも最初にフクシマに原発が作られたのである。
それはアメリカの命令でなったというのもあるだろう。
その時はまだ日本に原発を作るのは無理な面があったが強行されたのである。
そして安全性も無視されていたのである。

原発は国策だからどうしても政府の責任が重くなる,現実にその事故のしりぬぐいは税金でしている,国民がその膨大な補償金を支払っているのである。
結局政府の責任は国民の責任となり税金を支払わせられている
だから国民が原発に対して反対すべきなのである。
でも国民が全部反対ではない,電気連合なども核兵器には反対でも原発には賛成していたのである。なぜならそこで働いているから金をもらっているかそうなっていたのである。国民が反対すべきだといっても利害関係がありみんながそうはならないのである。

でも結局人間は必ず誰かが責任をとらされる,戦争では国民が3百万人死んだとか責任をとらされる,この辺では水もまともに飲めないとか住めなくなるとか責任をとらされる
国民は莫大な補償金を税金でとられるとか責任をとらされる
だからそんなに責任をとらされるのなら原発はいらないと国民も言うべきなのだが全部はそうはなっていない,賛否両論がある
原発は一旦事故になったらこの辺のような甚大な被害になるということを知らせた
水も汚染されて飲めなくなる,土も汚染ささて食物もとれなくなる,森林も汚染されて木も利用できなくなる,空気さえ汚染されて住めなくなるのである。
そういうことを国民は知ったのだからそれで原発をまだ必要になるのか?
そのことが理解できないとなる
posted by 老鶯 at 20:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

老人は田舎など狭い所で住むのがいい (なぜ江戸時代の盲人が旅できたのか?)


老人は田舎など狭い所で住むのがいい

(なぜ江戸時代の盲人が旅できたのか?)


昨日はサイフを忘れた,でもたいがいサイフはもどってくる,もう10回くらい忘れているどうしてもスーパーとかで忘れやすい,今回もコンビニによってそこではサイフがあった次にスーパーによった,あの時忘れたなと思っていたらそうだった
狭い場所だと行った径路も覚えている,だからその記憶をたどりやすいのである。

それで認知症の人は狭い一室に住まわせてそこで暮らせば忘れ物してもすぐに見つけやすい,必ずなくしてパニック状態になりすぐに見つける必要があるだ
狭い一室で暮らしていればすぐに見つけやすいからである。
二階に忘れたとき,物がなくなったと泣いて騒いでいたからである。
一階と二階で暮らすとそうなりやすいし大きな家は認知症の人には向いていないのだ
徘徊するときも田舎のような狭い場所だと発見されやすいが都会だとまずそこで生活すること自体が複雑になり向いていないのだ

老人というのも都会になると生活しにくいだろう。ただそこで暮らしてきた人にとってはそうでもないかもしれない,かえって便利だということもある
ただ今回のようにサイフを忘れるとかあると探しにくいだろう。
田舎だと狭い所だからどこに寄ったかなどその径路を覚えているからである。

老人だと特に認知症とかなると狭い範囲でわかりやすい,人でも知っている人がいるといい,それが今では田舎でもない,江戸時代のような村だったら認知症の人でも住みやすいとなる,不思議なのは座頭市でも盲目の人が江戸時代には多かった,人口の一割近くいたでもそういう場所で良く歩いて旅などできたと思う
それはやはり江戸時代がそういう環境にあったためだろう。
道なども狭い危険なものがある,琵琶転がしとか座頭転がしとか狭い道だから転がり落ちることがあった
でも車などがないのだからなんとかたどって歩けたということがある
今は盲人用のブロックとかあるが盲人がとても隣町までも歩けないだろう。
そこが何か不思議なのである。

盲人が車社会では危険である。電車にのるのにも危険になる
でも江戸時代なら意外と安全だったのかとなる,盲人は旅することができたということである。盲人を助ける人もいたのかもしれない,そういう親切な情ある社会だったのかもしれない
現代は福祉は進んでいてもとても盲人が一人で旅はできないからだ

老人は今の社会には向いていない,認知症になるとリモコンのボタンを押してテレビも見ることができなくなる,機械が苦手になる,一般的に老人は機械が苦手である。
ただ60代でも今はスマホでも何でもしている,自分もしているのパソコンをしていたからその延長としてしている,みんながパソコンを使っているわげではないから使えない人も多い

そして現代は情報過多でありその情報を理解することがむずかしくなる,変化が激しい社会は老人に向いていない,江戸時代はみんないい顔をしていたというとき意外と貧乏でもストレスがなかった,都会の長屋でもそこに長く住んでいた,突然見知らぬ人が引っ越してきたりしないのである。すると人間関係も安定するということがある。
今は人間関係でも広域化しているからいつも同じ人と生活することがない
すると精神的にも安定しなくなる
やはり同じ村でいつも変わらない親しい人と暮らしていれば心も安定する
会社でも変われば安定しない,派遣とかの暮らしは安定しない,経済的にも精神的にも安定しないのである。

江戸時代はいろいろと今からみると不思議であり理解できなくなる。
どうして盲人が旅できたのか?それも目の見える補佐役もいないのできたのかとなる
今は福祉関係で必ず補佐役がついていて移動しているからだ
江戸時代にはそうした補佐役なしで旅していたのである。
そういうことができること自体不思議だとなる,また江戸時代にはそういう環境があったともなる,ともかく車にぶつけられないからそういうことができたともなる
それにしても盲人が旅できること自体が今になると理解できないのである。
そこに大きな時代の差があった

こんなことを考えるのは高齢化社会というのは栄養面などでは恵まれているがその他ではかえって江戸時代の方が住みやすかった
老人にとってはいい環境だった,ただうば捨て山とかあり貧乏だから老人を養う経済力がなかった,でも今のように長生きするのはまれだから長生きした老人は敬われたしかえって今より幸福だったとなる
つまり認知症になってもそれほど困らない環境にあったともなる

現代の高齢化社会はその江戸時代とはあまりにも環境が違っている
栄養とかとれるのだが老人はこういう社会では適合しにくいし不幸だともなる
だから江戸時代がすべて悪いとかとはならない,ただ時代は元に戻すことはできない
現代は老人にとってはともかく住みにくい社会である。