2017年10月03日

震災6年後にもどった故郷の景色 (ふるさとの秋(詩)


震災6年後にもどった故郷の景色

(ふるさとの秋(詩)

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ふるさとの小径を行きて
我が足元に野菊の花咲く
野に黄金の実り
今一しきり蝉の鳴きにつ
夕べ鷺の群れ大空を
悠々と大気を吸いて
翔りつつ巣に帰りぬ
川の面に写る秋の雲
流るるもなくとどまり
鴨数羽むつみ離れじ
我一人旧き家に帰りぬ
ここに住む日も長しも
我がはらからのみな死にぬ
悲しかな世の無常身にしむ
ただ思い出のここにあるかな
歳月の過ぎるは早しも
同じ歳逝く人の帰らじ
夜こめて虫の音聞きつ
訪う人もなく月ののぞき
広き間に一人眠りにつきぬ
み空に星影清くきらめきて
地は遠く離りて安らぎぬ
穏やかにその放つ光よ
まことに神のそこにあれかし
死者は今は霊となり
天にそ輝き憂いなからむ


復興というとき田舎の場合,自然が関係していた,都会だったら自然は関係していない,最初に田んぼが増えたとき蛙が盛んに鳴いた,それは去年だった
その時もその鳴き声に復興を感じた

今年は鷺が増えたことである,大空を群れなして飛ぶ鷺の姿に感動した
前は一羽くらい飛んでいたが今は群れなして飛んでゆく
それがなんとも気持ちいいのである。
そういう姿を6年は見ていなかったからだ

そして川岸の竹藪に50羽くらいが帰って眠る,それもこの辺の自然が復興したことなのである。つまり田んぼが増えたそれだけの餌が蛙でも増えたからである。
田舎はそもそもだから田んぼとか畑がない田舎が考えられなかった

そういう景色は見慣れたものであり単なる景色というより原風景である
だから一旦荒野化したときこれは何のだろうと見た
今でも津浪の跡とか田んぼでも荒野化している所はある
でも50羽も鷺がいるということはここに餌があり自然が回復したとなる

田んぼとか畑とかはそれは人間が自然に手を加えたものでもやはり自然の延長としてあるだからそこに蛙がすみ水生動物がすみそれを餌とするものが棲むようになる
ただ鹿島だと新築の家が何百軒と建ち増えたから何か都会化したなと思う
でもやはり田んぼが広がり畑があるのは田舎なのである。

小高とか浪江とか他の原発避難区域とか津浪の後に回復しない土地は蛙でも鷺でも帰ってこない,ただ一時湿原化して沼とかがあちらこちらにできた
それで日本にはともかく沼という地名が多いのはそうした原初の状態があったからだ
そこにトンボとか一時水生動物が住みついたのである。
トンボは水辺で繁殖するからである。
何か赤とんぼある場所で増えた,それは湿原化して沼地が生まれたらだろう。

ともかく田舎の風景は長い間に千年とかで作られた風景なのである。
それが原野化して湿原化した,それも逆に原初の状態にもどったのだから
自然の回復だったのである。だからそこには美も生まれたのである。
これを言うとまたここで被害にあい死んだ人がいるんだとしかる人がいる

それでも自然は都会とは違って美を作り出すのだと思った
湿原は原初の状態であり釧路湿原のようになる
防波堤かできたがもしそれがなければ自然の回復だったのである。

一方で稲の実りがあるのも元の景色の回復である。それは景色だけではない,
生活の基盤としてある米をとれるさとの回復である。
この辺の米は原料米とかで家畜の飼料になっているのは残念だろう。
でも一応田んぼとか畑が回復することは自然の回復でもあった

この詩はまさに田んぼとか畑とかが回復して鷺が帰り元の故郷の秋になったからできたとなる

ラスベガス銃乱射事件の犯人の動機の謎 (老人特有の心理が関係していたのか?)


ラスベガス銃乱射事件の犯人の動機の謎

(老人特有の心理が関係していたのか?)


人間というものは何するにもどうしてそうするのか?その動機が問題になる
神が人の心を見ているというときもそうである。
その行為があってもどういう心でその行為に及んだのかを見ている
一見善いことをしているようでも行為として現れていてもその心が実は名前を売りたいとか偽善の場合が人間には多すぎるからだ。
だから行為からだけでは人間は判断できないのである。
慈善でもそれも利用して金持ちになっているのもいる
第一寄付金がどういうふうに利用されているのかわからないからだ
それでアグネスでも天皇すら批判されている
赤十字は天皇家がかかわっているがその金をどうしていのか見えないからである。
それはタブーになっているから余計にわからないのである。

今回のラスベガスの事件でも犯罪でもその犯人はどうしてそんなだいそれたことをしたのか?
その動機は何なのだろうと疑問に思う

●ギャンブルで大負けしてやけくそになった

●64才で年なので一発大きいことをして死ぬことを選んだ

●その他

人間は犯罪心理学というも気があってもいいだろう。
まずなんでもそうだが動機が一ついうことはない,動機は三つも四つもあって犯罪にいたる,犯罪の経験があればそうなる
だからこの人の動機も一つではない,ギャンブルに負けたとしてもそれがすべての動機とはならない,何か他にある。

老人の心理も関係している,老人の心理は若者には理解しにくい

どうせ人生も終わりだ,最後に一発大きいことをして死んでやる

そんなことを考えるのも老人なのである。
どうせ死ぬというとき自殺を前提にしてあれだけのことをやったからである。
若者とは違いもう人生終わりだとなるといろいろ家族と社会のことでも考えなくなくなる社会がどうのこうの社会のためになれとかもなくなる
そんなこと死ぬ前にどれだけ意味がるのだとさえなる
社会のためにとか社会といってもそういうものが何か現代はわからないからである。

この犯人は社会から第一疎外されている人ではない,裕福な人だったのである。
そしたらそうした社会の恨みから犯行になったとはならない
では何なのだろうとなると不可解だとなる

誰かの恨みではない,では何のためそうしたのか?
ギャンブルに負けてやけくそになったことが大きな一因であることは間違いない
それで財産全部すったとかなればありうるがその人は金持ちなのである。
すると金だけが動機なのかとなるとこれもわからない

ただ若者と違って老人特有の心理が影響していたかもしれない

一発大きなことをして人生を終わりにしよう

何かそういうことが老人では動機になりうる,老人が起こした老人の心理から特有の犯罪だったかもしれない,だからそれは日本でも起こりうるし起こっていることせある
老人は社会規範からはずれてくる,会社から退職したりするとそういう縛るものがなくなる,この犯人は家族もいないみたいだから余計にそうなったのかもしれない
そもそも親が有名な銀行強盗だったというのも驚きである。
その子供だったとしたら相当に社会では苦しい立場になっていたが別に会計士とか金持ちでありそうもなっていないのである。

ともかくアメリカの銃社会というのは日本ではわかりにくい,西部劇の延長としてそれもある。国の成り立ちとかかわっているから簡単に銃は無くせない
それが外国からすると日本などからすると理解できないのである。
それぞれの国に事情があるというのは本当である。
インドではカースト制が残っていてそれで上の階級の人が下の階級の人が伝統を破ったと殺しているからインドにはインドの事情があり中国にもあるが中国は情報統制されているから悲惨な事件が報道されないのだろう。

いづれにしろ人間の心はあまりにも複雑で犯罪の動機もいろいろあるから決めつけることはできない,アメリカはとにかく犯罪でもスケールが大きいと感じる
ラスベガスというとギャンブルで有名だが何か芸術家が集まる場所でもあるらしい
それでラスベガスから常時アクセスあるのは自分が抽象画を定期的にアップしているからである。
そんな人達もいるしそこがギャンブル場になっているから芸術家がいるにはふさわしくないと思っても第一アメリカは広いのである。
ラスベガスでもいろんな人達がいる,ギャンブルだけではないのだろう。
それにしても最初二万人いたという観客は何が起きたのかわからなかった
銃声が連続的になってもわからない,だからとっさに何をしていいのかわからない
普通銃で打たれるときは伏せろというがかえって伏せたら今回は標的になったのである。
なぜなら30階もの高所から打ったのだから伏せていれば上から撃たれるのだからかえって危険だったのである。その場から逃げることだったのである。
だから何か事件があったとき一つのパターン化した考え方は通用しなくなる
それは自然災害でもそうである。その時々でどういう状態なのか違っている場合が起きるそれで誤り死にいたるから怖いのである。
人間は緊急な事態に弱いのである。とっさに判断できなくなる
だからテロに対処するといってもどういうふうにテロが起きるから予想つかないから備えようがないともなるのだ。
どこかに必ず穴がありそこで大惨事になってしまうのである。
posted by 老鶯 at 09:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層