2017年10月01日

老後(定年後)に変わる人生の価値観 (最後は金で買えないものの価値が大きくなる-思い出などの価値が)


老後(定年後)に変わる人生の価値観

(最後は金で買えないものの価値が大きくなる-思い出などの価値が)


今の時代みんな会社員である。会社で人間関係も会社が生活になっている
価値観も会社で作られる,でも一旦会社をやめるとどうなるのか?
会社で培ったものが人間関係でもなんでもなくなってしまう。
これは本当にショックなことだが意外と自覚できない
人間は将来のことを自覚できない,来年のことを言えば鬼が笑うとかなっているからだ
だから結局人間はなってみないとなんでもわからないのだ

自分なんかも介護十年で苦しんだけどそれは予測されたことだった
自分の生活は何か普通とは違う,異様なものだったと思う
こんな生き方をした人は今はニートとか普通だがいるが団塊の世代ではいない
自分の場合は特殊な家庭環境でなってしまったのである。

まず定年後どうなるのか真剣に考える人もいない,それより老後がどうなるか考える人もいない,若い人は60くらいで死ねばいいとか楽観的に考えている
80までは普通に生きる時代に今の若者は高齢者を見ているのにそう言っている
自分は60くらいで死ぬと思っているのである。それがいかに今の時代ならおかしいかわかるはずである。でも若者は老人になったらどうなるなど考えれられないのである。
体力や知力やなんでもそのままつづくと思っているのだ。
病気にならない人は自分は病気にならないと思っているし常に人が死んでいるのになぜか自分だけは死なないような気がしているのが人間なのである。
だからこそ人間は生きていられのだと思う,もしその将来を未来をリアリティをもって見せつけられたら生きていられないとなるからだ

ただ高齢化社会というのは価値観を変えなければなくなる,会社をやめてもその後が長いすると会社を退職して何もすることがないとかなると問題なのである。
地域で活動するといっても簡単にできないからやめろというのもわかる
そんなことが今の時代に用意されていないのである。
ボランティアでもこれもなかなか簡単にできない,日本ではボランティアを受け入れるようになっていないのだ。法整備もしていない。
だからお前はそこで何をしているのだとかかえってあやしまれて自分のように駅でボランティアしてもその価値が認められないのである。

ボランティアはみんな受け入れられるものだと見ているが実情は全く違うと思う
要するにそういう席は社会に用意されていない,だからその席を確保するとなると容易ではなくなる
駅のボランティアをしても誰も認めない,JRではしょっちゅうあっても一言もありがとうなど言わない,こいつ何しているんだくらいしかないのである。
それは回りの人だってそういうことがあり誰かがあやしい警察に連絡して職務質問された要するに自分のしていることは誰も認めなかったとなる
その誰も認めないことをつづけることはむずかしくなる
なぜならそうじゃないか?だからこそ警察にあやしいと通報されたからだ
つまり回りから見て価値が認められないことは遂にお前はそんなところで何をしているのだいるなとまでなるのである。
だからへたにボランティアはできないということもあるのだ
社会でボランティアというのが受けいる体制がないとできないことがあるのだ。

そうなると老後というのは長いしそこで何か生きがいを見いだすことはかなりむずかしい作業になると思う,会社をやめて地域活動をするとか地域を見直すとかもできない時代である。つまり問題は会社で培った技能とか何か活かしにくい社会なのである。
だから会社をやめたとたんに無用化して家でも邪魔者扱いになる
誰もそうした老人など若者でも回りでも尊敬したりしない時代だからである。
かえって無駄飯くらいで早く死んでくれとかいつも若者が言っているからだ

人生の価値観など会社をやめたから何かまた新しいことをはじめるとかなると容易ではない,人間60年生きたらそれで培ったものが後半に生きるならいい,継続するならいいのである。
だから何か経済的問題,老後の金だけの問題がとりざたされる,でも精神的なものが意外と定年後は問われるのである。それは金で解決しないのである。
原発避難民などは故郷を失った,そこで故郷を家を失ったことの精神的被害が実際は大きい,それは金で買えないものだったのである。
それは何十億の金をもらったとしても変えられないものだったのである。
それは故郷で暮らし歳月の記憶であり家での家族の暮らしの思い出とかになる
そういうものが老人になると大事になる,だからみんな老人は家に帰りたい,故郷に帰りたいとなっているのだ。
みんな金の時代だから老後も金だと思っているが精神的なものがかえって大きな課題となる

老後で老人になってい大事なものが何か?それはむしろ精神的価値であり金でそれは買えないのである。例えば思い出を老人になって買えるか?金で買えるか,失われた青春を金をで買えるか?それも何十億金を出しても買えないのである。
例えば芸術などでも学問でもそれは長い間培ってきたから老人になって実るとういことがある。俳句のようなものでも老後にはじめる人がいるがそれでうまくなるかというとむずかしいだろう,何でも老後からはじめたらうまくいかない,継続していたものがうまくいくのである。

そして老後が金がすべてでないというとき一体はあなたは何をしたいのか?
あなたが社会に示せるのは何なのか?
俺は金をたんまりかせいだから金で人を使うことができるしこの世の中年とっても金だよとなる,でも人間は生きる時間が死ぬことが迫ってくるのは長生きの時代でも感じる
明日死ぬかもしれないというのが現実になっているのだ。

それで「心の青雲」のプログを書いてきた都築詠一は69才で死んだのには驚いた。
それは同世代だったからである。ずっとプログも読みつづけていたからである。
人工透析を17年間もしていたというから驚くのである。
その人は透析で金をかけているしなんとか社会に役立つことをしたいとしてプログを懸命に書いていたのである。そういうことが自分にはわからなかった
死んでみてわかったのである。
でもそうしてプログに書いたことで何らか社会に役立ったということがある
自分もそのプログを読んで参考になったからである。

フログなど書くのに金はかからない,金の問題ではない,そこで最後に死ぬ前に自分の思っていたことを書いたのである。学識もあったからそれを参考にした人はいる
ただそのログを自ら消したのか死んだとき消えたのは残念だった,一部残っているのでそれを参考にして自分はレスポンスを書いた

あなたは最後に何をすべきなのか?

だらだらだらと生きながらいて死んでゆくだけなのか?
それは金の問題ではない,画家だったら最後に傑作をものにしようとするだろう。
何か他でもライフワークがありそれを完成しようとするだろう。
何か追及したものがあり残そうとする
だから金だけではない,金がなくてもいいというのではなく老後は人生の総決算としてその人の価値を示す時なのである。
精神的な要素が大きくなるのである。
それに備えている人は少ない,金だけの心配をしているからである。
明日死ぬというとき金の心配する人がいるだろうか?
それが人生の誤算なのである。
人生はどんな人でも老人は後悔している,これすれば良かったとなんとか後悔する
その大きな原因が老人になると老後になると定年退職後は精神的なものの価値が大事になってくるからだ
その人の生きた思い出とか記憶が宝になる,だからこそ原発避難民の老人は思い出がある故郷に家に帰りたいとなるのである。

ともかく老人の問題は老人だけの問題ではない,若者の問題でもある。
なぜなら若者も老人に確実になるからだ,だからこそ老人になった人はどう考えているか知るべきなのである。
老人の言うことなど聞いていられないとはならない,あなたも老人になるからだ
老人になってどう生きるかなど考えることはできない,すでに結果が出たのであ青春時代などかえってこない,二度と帰ってこないのである。時間を元にもどすことだけはできないのである。
そこに老人になってから深刻さがあるのだ。
人間はどう生きるかなど老人になって考えることも何することもできない
老人は人生の結果であり若い内ならできてもできないからだ
ただとりかえしつかない後悔だけが残ったいるだけだとなるのである

結局若者でも今生きていることが老人になって結果として現れる,ふしだらな生活を罪なる生活していれば確実に老人になって後悔する,老人になればそういうことが結果として現れる,そしてもうとりかえす時間もなくなる
宗教でも求道は若い内からしなければ信仰は得られない,老人になってからの宗教は慰めにすぎない
若い内にはじめたものが継続してす老人になって実るのである。

鹿島駅前は駐車場ではなかった (送迎のものしか止められない)


鹿島駅前は駐車場ではなかった


(送迎のものしか止められない)

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指定席の駐車場

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指定席の駐車場

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農協の駐車場



これはわからなかった,ちゃんと看板が出ていたのである。
これを見ている人は少ないだろう
道の駅ではないのだから駐車してはいけないとなっていた
ただ無人駅なのだからそさを注意する人もいないだろう
ちょっとの間なら止めてもいいとなる

でもここが駐車場になっていないことは意外だった
ただ送迎の人は止めている,ここには駐車しても長くは止めていない
道の駅ではテント張ったり車で車中泊する人が必ずいる
道の駅は駐車場だが駅前はそうではなかった

こうなると車で利用しにくいともなる,鹿島には道の駅がないからだ
車にとって駐車場は欠かせないからである。
それができないから街の通りは衰退して郊外のイオンとかになった

駅には待ち合わせ来る人もいるし車で来る人もいる
それが駐車できないとなると駅の活性化はむずかしいともなる
新地駅とか山下駅は駐車場を新しく作ったろう。
駅中心の街作りをしたのである。
それは津浪で根こそぎ駅がなくなったことでそうなった

駅前開発がまず駐車場の整備だということがわかる
指定席の駐車場はあっても外から来た人はとめられないからである。
そうなると車にとっては使いにくいとなる

つくづく駅などいつも行っているがわからないことがあるものだと思った
駅は意外と様々な使い道がありそれがわからないということがあった
それがボランティアのまねごとで駅員をしてみたらわかったのである。

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政権交代なき民主主義は死ぬ (世界も主義理念の対立で二分した)


政権交代なき民主主義は死ぬ

(世界も主義理念の対立で二分した)


都議会に理念とかあまり関係ない。国政は理念が対立要素。

そもそも民主主義がどこではじまったのか?ギリシャのポリスからである。
ポリスといっても一万とか二万の都市なのである。
だから直接民主主義であり代議制ではない,何かをみんなの投票で決めていたのである。だから現代の民主主義とは相当に違ったものである。
民主主義は歴史が短い,だいたい古代から中世とか長い間君主制なのである。
その君主制の時代が二千年とかある,民主制の時代はここ100年くらいしかないのである
世界の政治的形態は君主制である。中国でもそうである。

理念というとき主義である。なぜ主義が争いの焦点になるのか?
世界を見ればわかる,なぜ中国が共産主義でありイスラムがシスラム主義であり欧米が民主主義になっているかである。
冷戦というのが共産主義と民主主義と資本主義の対立から生まれた
主義,理念の相違が世界を二分したことでもわかる

宗教でもカトリックに対抗してプロテスタンが生まれプロテタントイズムが資本主義が生まれたというときやはりそこには主義の対立がある,そもそもフロテスタンとはプロテストであり反抗するから生まれた言葉だからである。
これでキリスト教世界が二分されたことでもわかる
その影響が大きいというとき欧米もカトリック系とプロテスタン系に二分されたからである。
そして南米はスペインとかホルトガルとかカトリック系が支配したら発展しないとかあるアメリカは南北があるとき北が工業化に成功したのはプロテスタン系であり資本主義がそこから発展したという分析がある。
だから主義というのが理念が社会に大きな影響を及ぼしているのである。

そして大事なことは世界を見るとき民主主義,資本主義の世界と共産主義とイスラム主義世界に分かれるていることである。
その特徴は

欧米型の民主主義,資本主義→政教分離

イスラム主義→政教一致
共産主義→政教一致

こういう傾向がある,共産主義がマルキシズムを基にしているときそれはイデオロギーと政治が一体化しているから宗教ともなり政教一致になる
政教分離から分けるということもありうるのである。

政教分離というけどヨーロッパではカトリックがローマ帝国で政治化して支配体制組み込まれた,その反発としてプロテスタンとが生まれやがて資本主義が生まれ民主主義が生まれた,
政教分離というとき政教一致の歴史の方がまた長いのである。
仏教でも政教一致で国を治めた時があった,アシャカ王とかがインドで仏教を基に国を治めた。だから仏教には政治的な思想もある
日蓮宗の王仏冥合(おうぶつみょうごう)とは王は政治だから仏教と一体化して治めることである。
創価はそういう主義で戦っている,そういう主義なのである。ブッデイズムとかなる
だから現代の政教分離を基にする民主主義とは合わないのである。
ただ選挙で合法的に政権奪取ができるのだから選挙で勝つことが仏法の勝利となるのである。

ただ世界をみると政教一致というのは危険な思想になる,政治の世界にもちこむと危険になる,天皇が神とされた大東亜戦争も日本が神国だという宗教になり大きな災禍をもたらした。共産主義でも一千万くらいが政教一致でイデオロギーを絶対化して死んだ

共産主義の一番の問題は何なのか?

政権交代ができないことである。イスラム国でもそうなりやすい,一党独裁になりやすいそもそも選挙がないとしたらそうなる,政権交代の仕組みがないのである。
もちろん君主制には君主制の良さがあり民主主義が必ずしもいいとはならない,民主主義の弱点は今だとポピリズム,劇場型とか大衆主義になる
ともかく頭数だけを集めることが優先されるからである。
大衆にむずかしいことを言ってもわからないからである。
そこに希望の党の小池都知事の問題がある。

ただ政権交代がない限り民主主義はありえないのである。政権交代がなかったら民主主義が死んでいる:それは君主制であり一党独裁であり共産主義と同じである。
それで阿部首相のお友達内閣とか自分勝手に権力者が権力をの濫用する
そして検察も警察も動かすことができて原発を反対するとなると公安とか警察がとりしまりできないように現実にしているのである。
検察と警察は時の権力者につくからである。

要するに政権交代がなければもう君主制なのである。政策の変換も何もできない。
そして権力をもつものがコネとか自分のいいようにできる
そのことが社会自体を腐敗させる,そして民主主義は死ぬのである。

いづれにしろ今回の選挙の争点はなにか?

それは原発問題があり政権交代の党を二大政党制を保守系でも作ることである。
そうしなければ民主主義は死ぬし君主制となり独裁と進むことになる
選挙でも政権交代があって民主主義になる,もしそれもないとしたらどうせ自民が勝つようになっているとしたら選挙しても無駄だとなる
民主党でこりたというのもある,でもやはり二大政党制を目指ささなければ民主主義そのものが死ぬ,そうすると選挙などしても無駄だとなる,選挙の意義がなくなるのである。そしたら日本はもうそうなっているとしたら民主主義をやめて君主制にした方がいいとなる,つまり日本には民主主義は向いていなかったともなる
お上があってそれに従っているのが向いていたとなる
現実に戦後70年で政権交代があったのは二回くらいしかないのだから実質は政権交代なき民主主義になっていたのである。
日本は何か内部からは変革できない社会体質なのかもしれない,不満があってもじっと耐えている,それはいい面と悪い面ともなる
やはえ江戸時代の300年の君主制が政治にかかわらないことが体質的にそうさせているのかともなる,そのことでは江戸時代はマイナス的に作用したともなる
戦後の民主主義にしてもアメリカからおしつけられた民主主義でありただ私的権利のみを主張するものとなった。

日本は何か同調圧力が強すぎる世界である。対立することを嫌うのである。それは村社会が長い間に歴史的に生きる場所でありそこに日本人の性格が作られたからだともなる
だから弁証法などわからないだろう。対立するものからアウフヘーベンしてゆく,止揚してゆく,小池首相が言っていたがそもそも対立を嫌うのだからそういう思想になじまないのである。
だから日本は上からの支持に従う君主制が向いているとなると政治体制まで変えねばならない,みんな選挙に無力感を感じているからである。
それは選挙では何も変わらないとかあきらめの気持ちになっているからである。
posted by 老鶯 at 08:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層