2017年10月11日

カルマは苦しむ時に自覚される (原発事故も人類のカルマでもあった)


カルマは苦しむ時に自覚される

(原発事故も人類のカルマでもあった)


天界の火を盗んで人類に与えた存在として知られる。また人間を創造したとも言われる[4]。日本では長音を省略してプロメテウスと表記されることもある。
その名は、pro(先に、前に)+ metheus(考える者)と分解でき、「先見の明を持つ者」「熟慮する者」の意である。他にも、ギリシャ語から「Προμη:促進する、昇進させる」「θεύς←θεός:神、ゼウス」と解釈すると、人類に神の火を与えた事で「神に昇進させた者」との説も有る。
弟のエピメテウス(Ἐπιμηθεύς、Epimetheús)は、epi(後で)+metheus(考える者)と分解でき、「後で後悔する者」「後知恵をする者」くらいの意である。
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の地でプロメテウスは磔(はりつけ)にされ、その胸に杭を突き刺され、その杭には一羽の鷲(わし)が止まっています。鷲はプロメテウスの肝臓を啄(ついば)むのです。一日かけて食い荒らすと、次の日にはまたプロメテウスの中に新しい肝臓が育ち、その日もまた鷲に突かれるのです。来る日も来る日もその繰り返しです。
 こうしてプロメテウスは、永遠の責め苦を味わわなければならなくなったのでした。
さてプロメテウスの刑罰は「3万年」と定められていました


個人的にもカルマを必ず人間はもつ,ただカルマは苦しみがないと意識されないのである自分が30年間苦しみがない平和な楽な生活を送っていた,でもその時でもカルマは知らずに積まれていたのである。
ただカルマは苦しみがなければ意識されないのである。
そして苦しむようになるとなぜ自分はこんなに苦しむのだとなりカルマを意識するのである。
家族二人を介護することは自分のカルマだった,それから逃れることはできなかった
そして誰の助けもないこともカルマであり自分自身が病気になってもそうだった
そういうカルマを積んでいたとなる

それは個人的にもそうだが今回の原発事故のようにこれは深く考えれば人類的カルマだったのである。火を盗むとは火は現代になれば原子力である,そしてその罰は過酷なものとなる

プロメテウスの刑罰は「3万年」と定められていました

この年数と符号しているのがプルトニウムの毒が二万年消えないということである。
それだけのカルマをこの辺で背負ったという恐怖である。
だからこそ神にまで昇進させるとなる,つま科学技術によって人間が神のごとくなるということである。科学者が神のごとくにもなるということである。
それだけの力を科学技術は人間に与える,その最たるものが原子力であり核兵器になる

そしてその科学技術もすべていいものとしては働かない,人間を苦しめるものとして働くようになる,その罰はプロメテウスのように過酷なものとなる

「後で後悔する者」「後知恵をする者」

結果的に新しい科学技術を作り出してもその結果を見て後悔する,科学技術にはそういう面がある,車社会になれば交通事故で苦しむ,かかって車が無ければと事故にあって死んだ人は思うのである。
人間はともかく科学技術でも先のことは考えない,核というものがどういう働きを人間にするかを考えない,まず科学技術はそういう社会的影響を考えないですべていいものとして推進されるのである。
そしてとりかえしつかないものとなり後悔する
カルマが苦しみとなりカルマを意識して後悔するのである。カルマとは人間の業であり
科学技術もまた人間の業として追及されてきたのである。
その結果として原発事故でありそのカルマに苦しむことになる

人間とは何かとなると道具を使うものというとき石を道具としたときすでに人間のカルマがはじまっていた,なぜなら石器は道具として生活で役に立つものでもまた武器ともなる殺人の道具ともなる,そういう人間の歴史は石器時代からはじまっていたのである。
ヨーロッパでは石のこん棒とか石の兵器が発達した,それは殺りく兵器として発達したことでもわかる
この殺りく兵器の発達が核兵器で頂点に達したのが現代なのである。

人間とはそういうカルマ(業)を背負ったものなのである。
そして科学技術文明は最終的に滅びることになる
マヤ文明は高度な天文学が発達したがカルト宗教のようになり人間が滅びる日まで割り出したが滅びた,知の限界に達して滅びた
核というのも原子力というのもやはり人間の知の限界に達して崩壊した
人間は全能ではないから限界があるからそうなる

人間は例え2000年前でも今日のことは予言できた,それがギリシャ神話とかなっていて警告していたのである。
それは宗教でも予言されていた,キリストの剣をもつものは剣で滅びるとは核をもつものは核で滅びるとなる
つまり人間のカルマ(業)はついには歴史的結果として現れるということである。
それはすでに石を道具としたときからそれは予想されていたのである。
石を道具とする人間の業(わざ)が業となっていたのである。
動物のようにそれができなければ今のような災いはないからである。
まさに災い(わざわい)は技(わざ)であり業(わざ)であり災いという漢字は火のことだったのである。これをみてもすでに人間が生まれてからその災いは予想されていたのである。
プロメテウスの刑罰は「3万年」と定められていました

プルトニウムの毒は二万年すぎないと消えないとかあるから同じである。
それだけのカルマをこの辺では背負った,それはこの辺だけではない,実際は広範囲に放物質で汚染されたのである。それはこのように消えないものとして毒が残る
それは人類的カルマだったのである。これはここだけではない世界でも起きることであり核兵器で人類が滅ぶというとき人間のカルマ(業)の帰結として起こる
そういうカルマを背負っていたのが人間だったとなる
原罪を背負っているというのもそうである。
人間は神の禁忌を破ったものとして罰を受ける宿命にある
それから逃れられない存在だともなる
それはこうして苦しみが現実化したとき自覚されるのである。
この辺はそのカルマを背負った土地になったということである。
posted by 天華 at 10:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

コンピュターで写真から絵に加工することの謎 (枯山水の庭ーjapanese garden)

コンピュターで写真から絵に加工することの謎

(枯山水の庭ーjapanese garden)

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写真と絵は何なのだろうとなる,それは写真の時代になったのと写真を絵にコンピュターで加工できるようになったから生じた問題である。
そもそも写真がない時代は絵が写真の代わりをしていた
写実的な絵は写真とにている,写真は絵として見れる

何が写真で絵かも区別できなくなっているのが現代である。
だから私がしている抽象画というのも本当にこれは何なのだろうと自分自身でも不思議なのである,こんなことがありうるのかということを経験しているのである。

これは日本の枯山水という庭を模したものである。そのオリジナル作品は雑誌の写真である。だから著作権に違反するかもしれない
白くしたのは砂であり砂と石で成るのが枯山水である。
その白い部分は各自がイメージする世界である。

ここで岩が調和している,私は石に興味がある,この石の配置は独特である。
これは人間が作ったものなのか自然をそのまま活かしたものなのか?
オリジナルの写真は露天風呂である。そこには女性が入浴している写真なのである。
それを加工して自分が作ったのである。


What will be the picture and picture, it is a problem arising from the fact that it became the age of photography and the photograph can be processed with a computer as a picture.
A picture was taking the place of a picture in the age when there was no picture in the first place
Photographical drawings are in photographs, pictures can be seen as pictures

It is a modern day that it is impossible to distinguish what is a picture or a picture.
So I am experiencing whether it is possible for such abstract paintings to be such that it is really strange to themselves what this is.

This is a model imitating the garden called Karesansui in Japan. That original work is a photograph of a magazine. So it may violate copyright
It was sand that whitened, and it was Karesansui to be composed of sand and stone.
The white part is the world that each image imagines.

Here the rock is harmonious, I am interested in stone, this stone placement is unique.
Is this something made by humans or what made nature as it is?
The original picture is an outdoor bath. It is a picture of a woman taking a bath.
I made it by processing it.


japanese garden in Zen


Karesansui is a garden with no water, a garden style that expresses the scenery of mountain water by stone, sand, etc. without using water such as ponds and sewers. For example, it often looks like a white sand or a pebble as a water surface, and if a bridge is bridged, the bottom is water. Sometimes it expresses the flow of water with the pattern of the surface of the stone.

2017年10月12日

権力が闇を作る-陰謀論になる (権力によって真実は隠蔽される)


権力が闇を作る-陰謀論になる

(権力によって真実は隠蔽される)

いん ぺい  【隠蔽・陰蔽】

ある物を他の物で覆い隠すこと。見られては都合の悪い物事を隠すこと。 「陣地を−する」 「事実を−する」 〔類義の語に「隠匿」があるが、「隠匿」は隠してはいけないものをひそかに隠す意を表す。それに対して「隠蔽」は都合の悪い物事故意に隠す意を表す〕


なぜ陰謀論になるのかというと権力のことがわからないからである。一体誰が権力をもってそれを実行できるのか?
これが庶民にはわからない,だから江戸時代の時代劇でも役人がいてその背後さらに大きな権力をもつ上役がいてその人は表に出てこない黒幕としてある
闇の中に本当の権力をもった人がいるとる

世界的になるとさらに一体この世界を動かしているのは誰なのか?
それはさらにわかりえようがないのある。
するとロックフェラーだとロスチャイルドとかユダヤ人だかといろいろ陰謀論になる
最後には遂に不可解になりそれはサタンであり悪魔がこの世を支配しているとなる
サタンに操られているのがこの世だとなる,陰謀論の帰結はそうなる
なぜならその闇の主とは誰なのか?それはサタンだとなるのだ

そもそもこの世で権力をもつ力を持つものはサタンに魂を売ったものだと言うときそうなる,キリストはそれでこの世のものをサタンから与えると言われたとき拒否した
でもたいがいはサタンの申し出を拒否したりしない
人間には欲望がありその欲望故にサタンに操られるのである。
もし人間に欲がなかったらサタンも無力になってしまうのである。
人間に欲望があるからサタンはこの世で王となっているのである。

カルト宗教団体などは宗教を装っているがサタンに魂を売った団体である。
悪魔に魂を売りそして自分達の欲望を達成するための団体である。
宗教というのはその仮面なのである。
創価などは目的は権力をとり自分たちの欲望を達成することを目的としている
もう毎日選挙のことしかない,拝むのもフレンド票を得るためである。
その票をもって権力にかかわり社会を動かすためにだけある
その数でもって権力をもち恐れさせるのである。

宗教だと罪の恐れだとか良心の呵責だとか関係しているがそういうものは一切ない
一票とることが至上命令でありそれで成仏するとまでなっているからカルトなのである。
他でも宗教団体はそうして悪魔に魂を売っている団体なのである。
宗教も悪魔にのっとられているのがこの世なのである。
第一そんなに大勢の人が入っていることはすでに俗化している
大衆化している,そこでは崇高なものを追及することなどありえないのである。
だから現代のカルト宗教団体から崇高なものは何も生まれない
ただ政治化経済化しているだけの宗教とは何の関係もない団体である。

平安仏教などは貴族の仏教として批判されるがやはりその時ですら何か世俗を離れたもの崇高なものを追及するものがあった,平安仏教という時代があったからだ
それはやはり一つの文化を形成したのである。鎌倉仏教でもそうである。
その後江戸時代になると仏教は武家の付属品となり役所と化して死んだ
江戸時代をみると平安仏教とか鎌倉の武士の仏教文化とか何か残したものがないからである。ただ死者の供養となり侍の菩提寺となっただけである。

なぜ権力が闇になるのか?
原発事故を追及してきたが政府と東電は10メートルもの津浪が来ることを科学者が予想していたのである。それで政府は対策をしなかったから事故になったと賠償請求の裁判で勝訴した。
そうして権力によって肝心なものが隠されているからこそこういう問題が起きた
もし10メートルもの津浪が来るということを公にして問題にしたらどうなったのか?

津浪でそのことを知っているからいち早く逃げて多くの命が助かった

なぜならこの辺では津浪が来ないというのが確信とまでなっていたからである。
だから何か隠すことが権力者にとっていいことのように見えるが実は違っていた
そのことを公にしていれば多くの人命を救ったとまでなったかもしれないのだ。
ところがそれを隠したのは津浪対策をしたくない,金がかかるからしたくないということで隠していたのである。
何か権力を持っていると不利なことは隠せる,ところがそれが甚大な被害になる

報道関係もそうした権力をもつものが隠したものを暴くのが仕事なのだけどしなかった
結局権力に従うだけの機関だった,福島民報でも50パーセントが県が出資する官報にすぎなかった,何の自主性もないのである。
聖教新聞を刷っているいるし東電から宣伝費ももらっていたから何も追及しない,ただ原発推進になるだけだったのである。

権力は闇になるというとき一党独裁になるともう権力の闇を追及することはできなくなる阿部首相がそうである。自分たちの仲間だけにその分け前を与える,国の財産を与える
そういうことができてしまうのが権力なのである。
警察も権力側につくからさらに権力は闇化する
警察も正義の味方などではない,その権力も闇なのである。
天皇の権力も闇でありそれを批判するものもいる
それは誰が本当に権力をもって動かしているのかわからないからである。
江戸時代の時代劇のように頭巾をかぶって黒幕は顔をださないからである。
だからこそいろいろと陰謀論になるのである。

そしてこの世からそうした闇が払われるのか?
それは永遠にない,それはこの世が滅びてからしかありえないのである。
人間は欲で滅びるというとき人間から欲がなくなることはないからである。
そこにサタンはつけいってくるからである。
金が欲しくない人間もいない,すると金に支配されるのである。
その金をもつものがロックフェラーだとかロスチャイルドとかユダヤ人だとかなる
今の世の中を支配するものは昔と違って武力ではない,金になっているからである。
だからドルが世界の通貨となっているとアメリカが世界を支配しているとなるからだ
ドルはアフリカの果てから砂漠の果てまで通用するからである
つまりアメリカの支配の力は軍事力だけではないドルが世界で通用するとういことにもある

世界中が何でも金で買えるとなる時代である。それで中国人で一人っ子政策で女性が少なくなり結婚できない男性が苦労していた,大金持ちだったら若い子でも寄ってくる結婚できるとなげていた,女性でも要求するのは金だけだとと言っていた
それは世界的にそうなってしまっているのである。
人間の関係が金しかなくなっている,男女の関係でもそうである。
別にその男性は金がないわけでもない,ある方である。でももっと金持ちの人がいるから大金持ちだったら若い子がよってくる結婚できると言っている
金だけではない別な基準があってもいいはずだが現実にはない
若い人はもう金だけの世界になると贅沢すると貧乏したくないとか遊びたいとなる

共産主義とか社会主義の価値観はもともとそういうものではなかったはずである。
結局資本主義的価値観の世界になっている,金があれば何でも買える,人の心も買えるとまでなっている,それはまたサタンに支配されているともなる
金を否定してみても現代を生きるのには否定できない
金があると実際に心にも余裕ができる,金がないと余裕ももていなのが資本主義社会なのである。
第一困ったとき金がないと助けるコミニュティも今はない,隣近所も助けるなどしない時代である。家族すら金の関係にもなる,そういう社会はまちがっている
金は否定できないにしても何か人間的価値観をとりもどし追及すべきだとなる
そういう変換点に来ているのが現代なのである。

ベーシックインカムなどは思想としては理想としてはいい,現実に自分は実行している
その人は家に来てすることはほとんど何もない,家事は全部自分がしているからである。皿洗うとしても二三枚であり一日おきなのである。
していることは小さな畑である。そこで毎日草むしりしている,なにやかにやとある。
そこにも金がかかり収穫はわずかだから他人に与えるものなどない,自分もキュウリ二三本しかもらっていないのである。
ただその人がしたいことは家事ではない,畑なのである。それで金をもらえるから自分の家に来ているだけである。
それは自分がベーシックインカムを実行しているとなるのだ
ベーシックインカムとはその人がしたいことがあればする,したくなければしないともなる,では誰も働かなくなるのかとなるとそうでもなき,その人は草むしりなど不満を言っても畑仕事が好きだしする,そしてその人の価値はまさにその畑仕事をすることにあった畑仕事しないとしたらその人の価値はないとなる

社会に余裕がでてくればベーシックインカムが具体性を帯びてくる,それも理想だけどみんな社蓄だとか奴隷だとか言って働きたくないのに働くのは健康的にも良くないし社会的にも暗くするのである。それは働きたくないのに働いているからである。
畑仕事している女性は文句は言っても農業が好きだからしているのである。
ただそれでは金にはならない,でもベーシックインカムだったらできるとなるからだ

 福島県会津昭和村の地名  (昭和村晩秋の詩)


 福島県会津昭和村の地名

 昭和村晩秋

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野尻村と大芦村過ぎて淋しき
はるか山の上に茫々と芒なびけり
矢の原湿原の沼のひそけし
その幽邃なる沼の水辺
しんとして千古の静謐
沼の精やここにひそむや
かそかに月こそ映し静まれ
晩秋の陽はここに薄れぬ
はるか旅人のここによりしを
その影の留めるなきや陽は没りぬ
誰か知る旅人遠く去りにき

会津藩士ここにも戦う沼ひそかはるか山の上秋の日没りぬ

誰かあれ秋の陽没りて日落沢



昭和村は会津でもかなり奥深い処だった。昭和村への道を入ると温泉が旅館がありそこで温泉にひたり疲れをいやした。それから村の食堂で食事をしてそれからかなりうねうねと山を上っていった。そこは一面の芒、萱原であった。その山の上に矢の原湿原があった。この湿原は日本でも二番目に古いとか道の脇にあるにしては古い沼だったのだ。ここで会津藩士が討ち死にししている。壮烈な戦いがこんな奥まで持ち込まれたのだ。こんな静謐な沼のそばにそんな案内板があるのもにあわない、反面そのことはあの会津の落城は壮烈なものだった。戦いは熾烈だったことを示している。なぜこんなところまで来て戦っているのかわからないからだ。確かにそこまでは覚えているのだがそこからはどこに出たのか覚えていない、自転車で行ってもこのように地理とかがわからなくなったり忘れるのだ。だから記録が大事になる。一面になびいていた萱原と沼とは覚えていたので思い出して詩も書けた。

それで昭和村の地図を見たら面白い地名を発見した。昭和村は大芦村と野尻村が昭和に合併してできたのだ。合併してできた名前はその村の歴史を消す場合がある。この合併地名はかなり多いのだ。大芦村の処は確かに芦が繁る処であり野尻というのも野の尻という意味でそれなりに地形として合っている。ここでは野は山間の平らな所でその尻となる。その他に日落沢とか転石峠とか木地小屋とかあった。これも山深い処の地名に合っている。日影山とか日落沢というのは山で日が落ちて陰るのが早いのだ。そういう地形が多い。転石峠というのは石が転げてくる危ない峠のことだしそういう処も多い。今でも落石注意とか案内板がある。それから駒止峠とは駒が止めるほどの峠道のことでこれは檜枝岐につづいていた。針生部落から檜枝岐は駒止峠でありこの峠は私は20年前くらいにバスで行ったがくねくねくねくねと曲がってやっと越えられる舗装もされていない、埃がたつ凄い峠だったのだ。ここを越えて檜枝岐まで行くのだから檜枝岐は秘境だった。今は観光化されて秘境というのはないのだ。

つまり秘境とは交通でも閉ざされていて外界との交流が少ない処である。交通が発達しない戦後まもなくや戦前はこうした地域は非常に多かった。そこでは自給自足の生活をしていたのだ。だから秘境は多かったのだ。まるでみんな仙人のような生活をしていたのだ。ソバが常食となるのは米がとれないためだし米を食えないという僻地でもあった。旅するならいくらでもその頃秘境があったのだ。今は秘境はない、自動車や交通の発達でどんな奥地にも気軽に行けるから秘境はないのだ。ただ昭和村というと今では観光化した檜枝岐より秘境の感じがある。あまりに観光化するとかえって魅力を失う、昭和村はその点まだそういう秘境的なものがある。インターネットで探したらそこにキャンプ場があり木のバンガロ−があり4000円で泊まれるとあった。ここに行きたいなと電話したら今年は終わったらしい。雪はふらないが紅葉も終わった。パスの便も終わり自動車がないと行きにくい、でもあんな所で3日くらいのんびりすごしたら気持ちいいだろう。この昭和村についてはからむし織りとかで良く宣伝しているがそれよりも何もなくてもわずかに残された秘境として価値あるんじゃないか、つまり秘境とはとにかく鉄道が通らず街からず−と離れた孤立したような山の中であればいいのだ。檜枝岐のように頻繁に人が入るようになると秘境ではもはやないのだ。伝説として次のようなものがあった。

治承四年、宇治川の戦に敗れ命からくも逃れた高倉宮以仁王は越後に落ち延びることになり、中仙道から上州沼田を経て尾瀬から下郷・大内宿に入った。橘諸安公の娘・桜木姫と高野大納言俊成公の娘・紅梅御前は数少ない家来を共に京から王を迫ってこの地に辿りついたものの、恋しい人はすでに越後へと向かってしまったあとだった。身のおきどころなく畑小屋集落にしばし滞在したがどちらも間もなく亡くなり、御前は下郷町戸赤の渓流沿いにまつられ、桜木姫の墓は大内集落のはずれに今もひつそりと残っている。そこから畑小屋の山は御前ヶ岳と呼ばれるようになったが、畑小屋の鎮守は以仁王の父・後白河法王を祀ったものという。

大内部落には都落ちした高倉宮以仁王の一行に同行したある従者の君「桜木姫」長旅の疲れから18歳の若さで亡くなり、この地に眠っているといわれています。このお墓の周辺を御側原(おそばはら)といいます。源氏と平家の争いがこんな僻地まで尾をひいたのか祭りがあるからこれは本当なのだろう。ただ平家落人部落というのはかなり嘘が多い。義経伝説も北海道まであるのだからこれもどこまで本当なのかわからない、それでも奥地まで戦いがあり落人狩りなどが戦争では行われたのかもしれない、執拗な追手というものがあって身を隠さざるをえないこともあった。会津というと何回も行っているがやはりあそこが良かったなとかもう一回行く処はまた調べ直してその土地に詳しくなり今度は別な処を探査してしみようとかするのがいい、あそこはただ通りすぎただけだったから今度はまわりをよく見ようとなる。でも何日か滞在しないとやはり自然はわからない、だから滞在する旅にはそれにふさわしいもの、山小屋のパンガロ−見たいのがいいのだ。今年は自転車で行くのは無理だろう。でも今年の最後はどこかに出かける必要がある。

福島県会津昭和村の地名




これは前にホームページで書いた紀行文である。今回プログの方にも転載した,プログだとキーワードで検索しやすいことがある。
膨大な量だからそこから検索される必要がある,人間は本当に忘れやすい
こういうことを書いたの忘れていた,昭和村に行ったことは覚えている
その時は結構坂があって楽ではなかった,自転車は坂で疲れてしまう
この時は一面に萱に埋もれていた

それで思い出して一句作った

奥会津萱に埋もれて日の暮れむ

本当に日が暮れようとしていたのである。その時どこに泊まったのか覚えていない
なかなか旅をしても時間がたつと思い出せなくなる
特にこの辺は一身上でも回りでも変化が激しかったから旅したことが思い出せなくなった今のことに心も身を奪われてしまったのである。
過去が忘れやすいというとき今が常に変化しているからである。
それも激しい変化に見舞われると今にエネルギーが奪い取られることがわかった
だから自分は旅するエネルギーも消失してできないともなったのである



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2017年10月13日

只見線の旅 (会津柳津町の人口減少がひどい)


只見線の旅

(会津柳津町の人口減少がひどい)

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柳津町の2008年〜2012年における赤ちゃんの出生数は、年平均で23人。人口千人当たりでは5.8人(全国平均8.4人)となり、全国の1,741市区町村中1349番目。同期間の1人の女性が生涯に産む平均子供数を推計した合計特殊出生率では1.48で836番目。

テレビで柳津町が人口が減ってさびれていると報道があった,柳津町は福満虚空蔵尊圓蔵寺で有名である。だから最盛期で4500人でありここ15年で1000人減った
この減少は町全体に相当に影響する,次の世代も子供もわずかしか生まれていない
若者は流出してゆく,40パーセンとの高齢化率である。
この辺は原発事故で35パーセントとかの高齢化率になったのは小高が避難区域になり若い人が流出したからである。
会津は原発事故の影響はほとんどなかった,ただ福島県ということで風評被害はあった

それにしてもこの数字から見ると危機的状態にある,もともと人口が少ない,それにさらに減少してゆく,すると町を維持できるのか?
深刻な状態である。やがて限界集落化してゆく,町自体を維持できなくなる
これが深刻なのは次の世代の子供も生まれないから跡継ぎがいなくなる
老人だけの村になり跡を継ぐ子供も生まれないのである。
限界集落に向かっているという恐怖である。
やがては町自体が消滅してゆくという近未来が見えることなのである。

山間参観地域は会津はほとんど過疎地域になっている,阿武隈高原地域も過疎地域になっている,原発事故でそれに拍車をかけた,飯館村では蕨平に40軒あった農家が一軒しか帰らないとかもう村が維持できるのかともなる
浪江でもこれから帰ってくる人がいるのかというと疑問である。
もう町として維持できない状態になっている
この辺は原発事故のためだったが会津は関係なく過疎化していたのである。
それは全国的に起きてくるこれからの日本の未来なのである。

怖いのは減り始めた人口がさらに減ってゆく,負のスパイラルに入ってゆく,若い人はますます流出するし子供を産む世代も極端に減っているのである。
最後に残るのは老人だけでありまさに限界集落となり町時代が消失してゆく
そうなったのが原発事故の避難区域である。
そこには老人だけが帰り若い人は帰らず流出したからである。

これからの恐怖はこうして人口減少して負のスパイラルに全国の市町村が陥ってゆくことである。それに先駆けてこの辺が原発事故でそうなった,津浪の被害地域でもそういう現象が起きている,若い人が流出して復興できないのである。
浜通り地域は仙台が近いから仙台とつながり高速もできたし鉄道も廃止されることはない工事関係者が増えて前の三倍に増えたというときまだそういう効果がある

只見線に乗ったけど比較するとあまりにも違う,一両の電車であり常磐線は一時間おきには出ているが

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豪雨災害で不通に それから約6年

 JR東日本は2017年6月19日(月)、福島県と「只見線(会津川口〜只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」を締結。同県が鉄道施設や土地を保有し、JR東日本が列車の運行を担う「上下分離方式」で、復旧させる方針であることを発表しました。

 只見線は、磐越西線の会津若松駅(福島県会津若松市)と上越線の小出駅(新潟県魚沼市)を結ぶ135.2kmの路線です。このうち会津川口〜只見間27.6kmは、2011(平成23)年7月の豪雨被害により橋梁が流出するなどして不通になっており、バスによる代行輸送が続けられています。

JR東日本が会津川口〜只見間を鉄道で復旧します。工事費総額約81億円の負担割合は、福島県が3分の2、JR東日本が3分の1です

それにしても工事費が81億円というのは驚く,この辺で津浪で流された常磐線が5年過ぎて復旧したが400億円だった,鉄道はこのように金がかかるのである。
復旧しても保線とかにも金がかかる,駅にいるとしょっちゅう駅や線路や電気関係など点検しているからである。
県で三分の二とか金をだすから復旧できる,でもバスだったら金がかからない,もう鉄道を維持することはそれだけ大変なのである。
ただ鉄道がないと観光面とかでもさらに町でもさびれてゆくのが問題なのである。

只見町には雪祭のとき一泊した,柳津町には粟泡饅頭をもらって食べた
粟とかは山国らしい食料である。檜枝岐などでは米は食べられず蕎麦が主食になっていたあそこは前は本当に秘境だったからである。今はかえって尾瀬に来る人がいるからにぎわっているのである。

只見町雪に埋もれて遠きかな一夜泊まりて雪踏み去りぬ

只見町には雪祭りの時,一夜泊まった,秋にも泊まったことがある
その只見町から小出に行く車両は一両だったのである。
あれでは鉄道を維持すること自体が容易ではない
会津から小出まで自転車で行ったこともある,そして小出町の前を流れている魚野川でとれた鮎を食堂で食べたことを覚えている,とれたてなのでうまかった,それも安かったのである。鮎はもう新鮮なものを食べられない,久慈川では鮎がとれるがそこから鮎を買ってきてもらったがやはり冷蔵庫などに保存しておくのでうまくなかったのでがっかりした

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魚野川釣りする人の映えにけり一両の電車来たりて去りぬ

魚野川夕べ岸辺に待宵草一両の電車只見より来る


只見線は生活路線としては維持しにくいが観光路線としては魅力がある。
ともかく旅というのは旅がはじまる前に計画を練るときから次に実際に旅しているときと意外と見逃されているのが旅の後に回想する旅があることなのである。
その回想する旅をするには記憶する旅をしないとできないのである。
団体旅行した人はどこに行ったかもわからないと言っていた
旅というのは意外と記憶することが大事なのである。

豪華客船の旅のことをテレビで写していたがあれは旅ではない,贅沢なホテルに泊まると同じである。
旅というのは今はそうしてなくなった,だから旅人も現代ではいないのである。
旅とは江戸時代のように歩いて旅するときあった,電車より自転車がそして歩くことが旅になるのだ。車とかバイクでも早すぎるのである。通りすぎる旅になってしまうのである
そうなると相当に時間をかけないとできない,勤め人はできないとなるのだ
今自分がしている旅はこうして旅をふりかえり書くことである。
そうして紀行文をでも書くとなるといかに旅が記憶されているかが大事になるのだ
だから不思議なのは旅でも自分が本当にそこに行っていたのか?
そういうことが今になると不思議になる,そこに行ったという記憶さえ消失している人がいるからだ,30,40年前にあそこに行った,そこで泊まったということが本当なのかとまでなる,そこで泊まったとしてもその民宿の人でももう30年,40年たつと老人になっているのである。そしてもう死んだかもしれないということにもなる




鹿島駅に原の町駅方面の看板を設置


鹿島駅に原の町駅方面の看板を設置

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今日は原町サインという看板屋がきて原町方面へ行く案内板を設置した
いつも自分は駅にいて原町方面へ行くのはどっちのホームなのか聞かれていた
普通はどっちの方向に行くのか案内がある
それが意外と外から来た人にはわからなかったのである。

それで自分が原ノ町駅の人にそのことを言っていた
それでもずっとそのままにしていたから何もしないのかと思っていた
でも今日はその案内板をとりつけたのである。

それで自分が言ったからとりつけたのかと思ってうれしかった
何か一個人が言ったくらいでは大きな会社ではなにもしないだろう。
だから一個人でこうして社会にかかわればその言い分が通ることもある
ただ有効なのはみんなで言わないと通りにくい
何かを通す場合はやはり数がもの言うのである。

この看板にしたってそれなりに金がかかるからJRでは無視することもある
ただ無人駅だから駅員がいないのだから外から来た人がわからないで困る
だからこういう看板は無人駅では必要なのである。
何か必ず無人駅でも困ることはある

最近は長くはいない買い物帰りにちょっとよるくらいである。
でも駅は何か仕事があるものだと思った
大きな自分が作った時刻表はもってゆく人がまだいる
新しい小さい時刻表も置いてあるがそれもなくなる
ただ大きな字の時刻表も必要なのである。

ともかく何かそこに住む人が駅でも市町村でも良くしようという気持ちがあれば
良くなることはある
これも一種の小さな政治である。政治家はそこに住む人達の要望を聞きその政策を実現させるのである。

ただ鉄道でもみんなで維持しようとしなければ維持できなくなる
車がいいとして鉄道を利用しなければいづれはもたなくなる
だから只見線の復旧には県が三分の一の予算をだす,81億円もかかるからだ
つまりそうしたローカル線は県や自治体がかかわらないと維持できないのである。


水戸黄門の相馬焼をテーマにしたドラマを見た感想 (郷土史には悪人がいないからつまらない)


水戸黄門の相馬焼をテーマにしたドラマを見た感想

(郷土史には悪人がいないからつまらない)

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相馬駒焼は藩主相馬氏への献上品から始まったもので、現在まで一子相伝でつくられています。
対する大堀相馬焼は、庶民が日常生活で使える手軽なもので、主に農家の副業として営まれた半農半陶の工芸品だったそうです

14代の兄は乗馬中に落馬し、それがもとで病没。それ以来田代家は野馬追から遠ざかった

江戸元禄(1688〜1704)の初め半谷休閑の下僕左馬が、中村の西山・町方両所陶師のもとで陶法を学び、帰郷して、浪江町井手美森で良質の粘土を発見し、茶碗の製作をした。
この茶碗は「左馬茶碗」と呼ばれ近在に売り出した。
大堀相馬焼を開いた左馬の功績を称え、「嘉績翁碑」が文久3年(1863)大堀後畑の神社の境内に建立されている


相馬焼の歴史



相馬焼の歴史はいろいろある,それを前に書いた,今回またとりあげたのは新しい水戸黄門で相馬焼をテーマにしたドラマを見たからである。
これは史実をもとにしたものであり全部が作り話ではない
左馬茶碗というのがありその左馬の功績を讃えて神社まであるのは知らなかった
相馬焼は技術的にも優れて有名だった,だから益子焼とか笠間焼とかの基になっていたのである。

ドラマでは藩のみに許された田代家の相馬駒焼と庶民化した大堀相馬焼がありそこで争いが生まれたことがテーマになっている
大堀相馬焼には走り駒というのを描いてはいけないものとなっていたがその禁を破ったのでそれをいいことに殿様の子息が悪さをするというストリーである。
これはありきたりのものでストリーはつまらない,ただ史実を基にはしていたのである。
水戸黄門などは旅すらしていない,大日本史を編纂したがそれが後の過激な尊皇思想となり相馬藩も藩士もその思想に洗脳されて天狗党に参加した
水戸光圀の評価はいいものではない,それはドラマと歴史の事実との相違である。
ただ当時の身分制の厳しさは相馬藩にもあった,それでも相馬藩の歴史というのは何かもう一つリアルに再現できないのである。

14代の兄は乗馬中に落馬し、それがもとで病没。それ以来田代家は野馬追から遠ざかった

これは事実であり今でも野馬追いでは落馬する人がいる,落馬は怖いのである。これは今なら交通事故と同じである。致命傷になりかねないのである。
歴史はやはりリアリティがどこにあるか見る必要がある

それで郷土史には悪人がいないので面白くないという人がプログで書いていた

それと郷土史がつまらないのは「悪人」(?)が出てこないからです。歴史小説が面白いのは悪人が登場して物語を活気づけるからです。ところが、郷土史では善人や真面目な努力家しかとりあげませんから内容に深みがありません。もつとも善人を「悪人」にしたてあげると、必ず「うちの先祖はそんなにひどい人ではなかった。我が家に何か恨みでもあるのか」と文句を言われるに決まっていますからしかたがないところがあります

これはいえるのだ,なぜならこの辺で最も有名な悲劇がある。この辺の支配者の岩松氏一族が子供まで皆殺しにされたことである。
それはあまりにも悲惨なので語られつづけた
それがこの辺で地元で語りにくいというときその岩松氏一族を惨殺した子孫が今も生きているからである。一人はその姓を恐れて変えたのである。
そして岩松という姓は相馬藩内に絶えていることもそのことを物語っているのである。
それも歴史的にわかっているからそれをこの辺では言いにくいとなる
500年前の話でも未だにその悪事の影響がある,そういうことが郷土史にはあり現実的にリアリティあるものとして追及しないからつまらないとなる

相馬藩でも実際は悪い殿様をいたとしてもそんなことは語られないのである。
農家の娘を無理やりめかけにしたという話も本当なのかどうかわらないにしてもそういうことがあったとは語られないのである。
歴史は相馬藩という地方史でも相馬氏が治めたから勝利者となったから相馬氏の悪いことは書かれないのである。それは国単位でもそうである。
最近しきりに明治維新について薩摩長州のテロリストが成したものだとか批判がされているのもそのためである。
明治時代だったらそんな批判はできない,現実に権力を持っているのだからできないのである。

今回の水戸黄門でも殿様の子息が悪い奴にされているがそれを地元の人が見たら嫌な感じになる,そんな人は相馬藩にいなかったとなる
郷土史では悪人のことは語られないのである。みんないい人だとなってしまう

いづれにしろこの辺では浪江の大堀焼は消失した,復興できない,もう白河とか他に窯を作り相馬焼をはじめている,大堀相馬焼は復興できない,でも相馬焼の窯元がないことは淋しい,窯元があるとないのでは違う,そこは文化の発祥地としての役割をになうからである。
そして相馬大堀焼のあったところは高瀬川の岸であり高瀬川渓谷に入る景勝の地だったのである。それが失われたことは大損失だったのである。

だから浪江町の復興は本当にむずかしい,山の方だと津島の方まで放射線量が高いからである。ちょうど放射性物質の雲のブルームの通り道となったからである。

窯元のここに並びて技磨くその日は消えぬ帰らざるかな

相馬焼は他で伝えられるが窯元が並んだ光景はなくなる,相馬焼でも現代化して新しいものを作っていた。伝統があってもその伝統もそこから新しいものが生まれないと文化の発展はない,紋様とかなると自分がしているコンピュターのソフトで描く抽象画などが応用されることもありうる
ただそうした文化発祥の地が失ったことは回復しないことは大損失だったとなる
posted by 天華 at 16:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2017年10月15日

食中毒か,嘔吐に下痢


食中毒か,嘔吐に下痢

スーパーで買ったレンジであたためるだけのラーメンが良くなかったのか?
腹の調子は良かった,食欲があったからだ
だから胃腸が悪くてなったのとは違う。

下痢にはなっても嘔吐したことはなかった,かなりの悪い症状だった
だから一日寝ていた

ただその原因を考えると一つではないかもしれない

●天候不順

●ウィルス

●不潔にしていた

天候不順もかんけいしていたかもしれない,急にまた寒くなったからだ
それで体の調節ができなくなったかもしれない,やはり病気は一つの原因ではなく複合的に起きてくる

それでも食中道だとすると問題である。ラーメンを食べた人が何人かでも食中毒になればラーメンに原因があったとなるからだ
それはわからないからやはりなんらかの複合的原因でそうなった

ウィルスでもノロウィルとかで死んだ人もいる,冬になるとウィルスの食中毒になりやすいともある

ただ食道でもスーパ-の食べ物でもなる,そしてもう一つの原因が自分が手を良く洗わないとかあったかもしれない,自分は何か不潔なところがある。
料理するとなると絶えず手を洗う必要があることを知った
そこからウィルスが入ったのかもしれない,それは可能性としてはある


タグ:食中毒
posted by 天華 at 08:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

海の抽象画(abstract sea)


海の抽象画(abstract sea)
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waves

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dawn
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Earthquake waves





介護では「早く死んでくれないかな」と誰でも思う (それは非情ではない,それだけ辛いからである)


介護では「早く死んでくれないかな」と誰でも思う

(それは非情ではない,それだけ辛いからである)




2015年1月14日,岩手県の地方紙「胆江日日新聞」の一面に記載された記事に目が釘つけになった,寒い冬90代の母親と介護していた60代の息子が同時に遺体で発見されたという記事である。

単身介護,連鎖の最期最後

頼りの息子自宅で病死 年老いた母も息絶え

(老後親子破産ーNHKシペシャル)


都内在住の主婦・松山綾さん(仮名・39才)に悪性リンパ腫が見つかったのは5年前。 
以降、商社勤務の夫と5才の息子と過ごす幸せな毎日は崩れ去った。 

「告知されてすぐ入院、手術でした。一命はとりとめたものの、その後に転移がわかり、抗がん剤と放射線治療をして体調が悪化しました。 
夫は最初こそ心配して一生懸命に看病してくれましたが、次第に自宅でぐったりする私を見て見ぬふりをするようになりました」(綾さん)

私が家事をできないことにイライラした夫が子供にきつく当たることも増えて、家庭が極端に不安定になり、ある日、夫から離婚を切り出されました」(綾さん) 

がん闘病で体力の衰えた綾さんに抵抗する力は残っていなかった。結局、抗がん剤と放射線治療の終了を機に夫婦は離婚を選んだ。

世の中はふたりのような強い絆を持つ夫婦ばかりではない。昨今、冒頭の綾さんのように、どちらかががんを患った夫婦が離婚するケースが増えている。 
特に目立つのは、妻ががんを患い、夫から“捨てられる”ケースだ。 



介護はきれいごとではすまされない,負担が大きいからそれが愛情がどうのこうのというきれいごとではすまされなくなる,介護している人が夫婦でも親でも早く死んでくれないかなと思うのは普通なのである。
そんな不謹慎なことを言えるなと良く外から他人は言うが介護している本人にすればそう思うことは人間として非情でもなんでもない,人間として普通のことなのである。
そもそも負担が大きいからそうなっているのである。
自分も介護しているとき何度も死んでくれたらな思ってそれを口にも出していた
一人重度の認知症だった,でも意外と早く死んだので助かったというのが本音である。
介護の問題は長くなることなのである。
自分は家族二人を約十年間介護した,一人でも十年介護しているとかめずらしくないのである。その十年は長いのである。そのために自分はエネルギーを吸い取られ奪われて気力を喪失したとなる
何か正常な感覚が失わせるのが介護なのである。

39才とかで妻が癌になり介護となると仕事も何も手につかなくなるかもしれない,介護は24時間であり見守ることでもありエネルギーを費やすのである。
だから夫婦でもそうなると介護することは容易ではない,若いとなるとかえって仕事のこともありそうした障害かある人の介護することはさしつかえる
仕事をすることはやはりその仕事にエネルギーを費やすことである。
でも介護になったら介護する人にエネルギーを費やさざるを得なくなる
それは別に社会的には何も認められない,夫婦だったら当たり前じゃないかとか親子なら当たり前じゃないかとなるだけである。
そして他人はそんな人を見ても無関心である,むしろそれを見て楽しんでいるような人もいる,自分のことでない限り人間は他人の不幸は関係ないのである。
自分の身にふりかかったとき関心をもつようになる
自分も十年介護してきたからこういうことに関心をもつようになったのである。

岩手県の64才で90代の親を介護していて介護する人が病気になり介護された親も死んだのは悲惨である。自分ともにた状況にあった
自分も介護中に病気になり一カ月入院したり手術もした
だから自分もそういう状況とににたことを経験しているのだ
その時何の助けもなかった,むしろ弱者になったことで金の無心をされ盗まれたり脅迫されてきたのである。
岩手県の人の場合は金がなくて苦しんでいた,では金があるから介護になっても安心かとなるとそうでもない,なぜなら自分が経験したようにその金があれば金だけをとろうとしして近づいてくる人が多いからだ
現実に自分はそういう目にあってきたからだ
金だけで人は人を助けないのである。
人を助けるということ愛情をもつということは金があるからとすることは愛情ではない
金が目当てだとすればそれは愛情ではない,家族の関係はそもそもそういうものではなかった
何でも金に換算することはできないのである。

自分の場合は今ふりかかると確かに早く死んでくれないとか思っていた
それでも自分は一番良くされていたから介護するという動機があり愛があった
だからできるかぎり懸命に介護した
でも内心では早く死んでくれないかなと思うことは常にあった
それは別に非情なことではない,そう思うのが介護という負担をかかえたとき人間として普通の感情なのである。それを責めることはできないのである。
関係のない他人だからそう言うのである。
だからいくら家族でも夫婦でも介護は簡単にできない
自分の場合は特殊な家庭環境でそうなったのである。
ただこれが40代とか介護となると自分の人生も奪われたからどうなったかわからない
親を恨むということもあったろう,自分にはそういうことはなくてすんだのは自分はやりたいことをやらせてくれたということでそういうことにはならなかったのである。
40代くらいで介護になったら人生が奪われるから後で恨むということもある
なぜなら人生で一番貴重なのが時間だったからである。
その時間をはとりもどせないからである。

ほんのかたときも母親から目を離すことができない

介護の一番の問題それは正常な感覚を失ってゆく,日々見守り介護する人にエネルギーを費やす,エネルギーが奪われることなのである。
40代とか50代とかだと仕事盛りにもなる,すると社会的にもっとも油がのっているとき介護のためにそのエネルギーが奪われるのは辛いことなのである。
そして介護したからといって社会では何の評価もないのである。そんなの当たり前じゃないかとなるだけである。
芸術家とかでももし絵を描くことに専念して集中して傑作をものにしようとするとき介護とかしていてできなかったらその本人にとっても悔しいし社会的にも損失となる
エンジアとして活躍していた人が親の介護でそうなった人もいる
それは実は社会的損失にもなっていたのである。

岩手県の人は別に息子が変わった人でもない,懸命に介護しながら働いていたのである。田舎で回りにも仲のいい友達とかもいたのである。そういう田舎でもこういうことが起きているのはまず田舎の人がみんな助け合う時代ではなくなった,それより人間はそうした病人とか介護しているとかになると寄りつかなくなる,それはなぜか?
負担を課せられることが嫌なのである。そういう家にいくことは暗黙の内に負担を強いられるからである。だからよりつかなくなるのである。

そして息子の場合は女性とちがって外部に訴えないし仲間を作ることができない
男としての意地があったりと不利なのである。だからSOSを発信しなかったから回りの人はそんなに困っていたことがわからなかったのである。
その女性は困っていると常に困った困ったと訴える,それで嫌だけで金を与える
男だったらあんなふうに嘆願しにくいだろう。プライドがあるからできないだろう。
事業に失敗した人が金を上から目線で命令するように金を要求してきたのは自分が弱者と化していたからできたのである。
「お前世話してやるから金をだせ」と実際になっていたのである。
その人も金に困っていたからもう相手を思う気持ちも何もないのである。
追い詰められていた人間は人を思うことすらできない余裕がないからである。
自分の所に来たのはそういう人達ばかりだったのである。

いづれにしろこれから介護問題ではこういう事件がもっと起きてくる
日常的に起きてくる,それだけ介護の問題は深刻なのである。
その解決方法は簡単にはない,だから早く死んでくれたらなというのは別に非情なことではないのである。早く死んでくれると楽になるからだ
そうでなければ延々と負担がありその苦しみから解放されないからである。
自分も最近介護が終わって何か正常な感覚がもどってきたなとも思う
でもやはり介護で費やされたエネルギーは大きく回復しないということもある
それはもう年だからということもある,だから自分の場合は親を恨んだりもしない
かえって一面一番良くされたから恩返しできて良かったなとも思っている
親が残してくれ財産がありまた生活には困らないからである。
会社勤めもせず楽に過ごして老後も今は金の面では困らないのである。
例えば十年間保険をかけていて一カ月4万をもらっていた,それは今年で終わるが
金の面では自分は恵まれていたのである。ただ家族では親戚もいないから助けるものがいないから苦労したしこれからも苦労する
ただ人間はあらゆるものが満たされる人などいないのである。
金があるからとすべてがまかなえるわけでもないのである。

人間の一生をふりかえれば

人間は必ず負の部分を背負うことになる

人間いいことばかりではない,結婚してもそうだし何にしろ負の部分がある
その負の部分を負ってこそ絆が生まれたり愛情が深まったりもする
ただそう言われても現実問題となると人間は耐えられなくなるのである。
結婚式でも「苦しいとき悲しいときも助け合いとか・・・」誓っても現実に妻が癌になったとかなると離婚する男性が多いのも現実だとなる
その負の部分を負うことができなくなるからである。
それを責めることもできない,だから「早く死んでくれないかな」というのは誰でも思うことだしそれが非情だとは責められないのである。
ただそういう男性が後で後悔することもある,そういう男性は誰と結婚してもそういう人であるとしたら男性でも女性でも
結婚とは互いの利益と欲でしているだけなのかとなるからだ
人間の問題は老人になってから見るのと若いときの見方が違ってくる
それで人間はみんな後悔しているからである。