豊かになるには豊かな国に人に習うほかない
(共産主義から富は生まれない,みんな貧乏になる平等だけ)
なぜ金持ちと貧乏人がいるのか?それは謎である。だからこそfutune(財産)が運の意味もあった,運がある人が財産をもつとなっていた
それは歴史上変わっていない,マルクス流に言えば階級が生まれるというときそうであるどこの国でも貴族が生まれて貴族が国を作り文化を作ってきたのである。
そんな貴族がいらないとなれば国も文化もなかったのである。
そもそも文化は財を成さなければ生まれない,国自体が豊かになれなければ生まれない
薬で財を成したメディテ家が富豪になりその富が波及してルネサンスが生まれた
ルネサンスというとき特別な天才が生まれて成ったのではない
総合的なものとして職人とがいて成った
ただフィレンツという都市が豊かになったから生まれたのである。
ではなぜ金持ちと貧乏人がいるのかとなるとき国レベルで考えればわかりやすくなる
イスラム圏がなぜ貧乏なのか?でも砂漠で何もなくても石油があり豊かだとなる
石油は天からの恵みであり何か砂漠の住民が発明したものでもないし勤労の結果でもないその国に与えられて国の恵みなのである。
国々にはなんらか恵みがないところはない
日本でも回りが海なのだから海産物が豊富であり肉とか食べなくても魚を食べられるとかなっていた,その国にはその国の恵みが神から与えられていて豊かさがあるとなる
ではそうして国々が与えられた恵みのみで豊かになるのかというとそうでもない
現代の富は別なところからうまれた,工業化がもたらした富は資源がもたらした富とは違っていたのである。
産業革命は確かにイギリスで生まれた,石炭がとれたということで蒸気機関車が発明されたということはある,でも蒸気機関車というのを発明したことが富を作り出したのである
そして宗教も関係していたのである。ドイツとかイギリスとか寒い国が工業化した
そこはカトリックではない,フロテスタンの国だったのである。
キリスト教の受容でも南と北では違っていたのである。
地中海沿岸は暑いからイタリアでもスペインでもカトリック系になる
そして南米ではカトリック系になりアメリカの東部はイギリスのフロテスタント系が入り工業地帯になった,一方南部は農業中心になった,そこで争いが南北戦争が起きた
この生産形態の相違が人種の相違より大きな差を生み争いになったのが人類である。
遊牧民と農耕民が争い万里長城が築かれた,大和王権と蝦夷が争ったのは蝦夷が縄文人を主体とするとき稲作民族と狩猟,採集,漁労民族の相違で争いが起きた
大和王権は稲作民族にしたかったからである。
今でもわかりやすいのは職業が違うと相手のことが理解できなくなるのである。
人種とかの相違ではなく職業が違うとコミニケーションがはかりにくくなるのである。
だから江戸時代は良かったというとき同じようナコミニケーションがとりやすい人々が集まり生活していたのである。
職人は職人同士,農民は農民同士とか侍は侍同士が同じ地域に長く住んでいたのである。職人ですら十代以上をつづいたりしていたのである。
そういう社会は変化しないのだから安定しているからみんないい顔していたというとき
現代のようにいろいろ悩む必要がなかったからだともなる。
要するに親の職業を継ぐのが一番多かったから職業選択でも悩む必要がないからである。現代は様々なことで悩みが多すぎる時代なのである。だから鬱病にもなるのである。
人間が豊かになるいうことはどういうことか?それをマクロで考えれば国単位とかで考えれば個々人として考えるのと違った見方になる
本質的には人間は国とか市でもマクロ的に見ないとわからない,国が豊かにならなければ個々人も豊かになりえない,高度成長の時代は別にさほど能力がなくてもみんな豊かになったことでわかるのである。それは能力とあまり関係なかったのである。
能力がなくても三流大学でもみんな就職できたからである。
そして今なぜ貧乏にが増えたのか?それは国自体が貧乏になったからである。
電器製品も売れないとかグローバル社会の中で日本が衰退したからである。
歴史的には必ず栄枯盛衰がある,イスラム圏が貧乏だというけどヨーロッパより先進国のときがあり豊かな時代があった,それでその富を奪うために十字軍が生まれたとも言われる,その延長として大航海時代になりヨーロッパに富がもたらされたともなる
ではなぜ日本が貧乏になってゆくのかとなると衰退するのかとなるとやはりどの国でも永遠に栄えている国はない,栄枯盛衰を繰り返している,その歴史の法則でそうなったともなる,日本はアジアでいち早く工業化したから豊かになった,次に韓国とか中国がまねて工業化して豊かになったともなる,富は移動してゆく,めぐってゆくのである。
それは個人的にもそうである。富はある一カ所の家でも個人でもとどまっていない,まずとどめようとしてもとどめられないのである。
もしとどめようとしたりすると盗まれたりするのである。
金は天下の回りものというときそうなる,金の性質が富は一カ所にとどめられないのである。それが歴史の法則なのである
そしてなぜ共産主義が社会主義が失敗したかというとそれは富を生みださなかったからである。みんな平等というときみんな貧乏になるということでもある
富を生みだすには生み出すシステムとか何か他にある,個々人で見ればなぜ金持ちと貧乏人が生まれているのか?
その差はどこからきているのか?貧乏人からは富を生み出す方法を知ることはできない
だから金持ちになりたかったら金持ちに学ぶことが必要であり貧乏人から金持ちなる方法は学べない,だから金持ちをあいつは金に汚い奴だとか嫌っていると金持ちにはなれないのである。もちろんそういう人もいるのはいる,でもどうしてその人が金持ちになったのか?例えば事業に成功したのかとか成功した人に学ばないと金持ちにはなれないのである
浪江の請戸の農家の人は富農だった,娘を三人も大学に出した,それで回りの人も習いにきていたのである。それは農家として優秀であり表彰もされた,農家でも富農となるものもいれば貧乏農家もいる,その差はどこから生まれたのか?
それは貧乏農家の愚痴だけを聞いても農家として豊かになれない,富農の農家に習ってノウハウを取得して同じように豊かになる,その富農をねたんでも豊かに離れ内ののである
共産主義はとにかく金持ちを否定することからはじまる,あいつは不正に金をもうけた,人民を搾取してもうけた悪い奴だとなりそういう金持ちがいるから俺たちは貧乏なのだという論理である。だから革命を起して資本家を殺してもいい盗んでもいいという論理なのである。そしてそこからは富は生まれなかった,みんな貧乏になる平等しかないのであるこういう考えだと絶対に人は豊かになれない
金持ちの家にいってただうらやましいとかねたむだけな人も金持ちになれない
こいつは贅沢している,だから盗んでやれとなると金持ちになれない
この家は金持ちだからその福にあやかろうと思った方が金持ちになる
それは国単位でも豊かな国に習えば豊かになると同じなのである。