政権交代なき民主主義は死ぬ
(世界も主義理念の対立で二分した)
都議会に理念とかあまり関係ない。国政は理念が対立要素。
そもそも民主主義がどこではじまったのか?ギリシャのポリスからである。
ポリスといっても一万とか二万の都市なのである。
だから直接民主主義であり代議制ではない,何かをみんなの投票で決めていたのである。だから現代の民主主義とは相当に違ったものである。
民主主義は歴史が短い,だいたい古代から中世とか長い間君主制なのである。
その君主制の時代が二千年とかある,民主制の時代はここ100年くらいしかないのである
世界の政治的形態は君主制である。中国でもそうである。
理念というとき主義である。なぜ主義が争いの焦点になるのか?
世界を見ればわかる,なぜ中国が共産主義でありイスラムがシスラム主義であり欧米が民主主義になっているかである。
冷戦というのが共産主義と民主主義と資本主義の対立から生まれた
主義,理念の相違が世界を二分したことでもわかる
宗教でもカトリックに対抗してプロテスタンが生まれプロテタントイズムが資本主義が生まれたというときやはりそこには主義の対立がある,そもそもフロテスタンとはプロテストであり反抗するから生まれた言葉だからである。
これでキリスト教世界が二分されたことでもわかる
その影響が大きいというとき欧米もカトリック系とプロテスタン系に二分されたからである。
そして南米はスペインとかホルトガルとかカトリック系が支配したら発展しないとかあるアメリカは南北があるとき北が工業化に成功したのはプロテスタン系であり資本主義がそこから発展したという分析がある。
だから主義というのが理念が社会に大きな影響を及ぼしているのである。
そして大事なことは世界を見るとき民主主義,資本主義の世界と共産主義とイスラム主義世界に分かれるていることである。
その特徴は
欧米型の民主主義,資本主義→政教分離
イスラム主義→政教一致
共産主義→政教一致
こういう傾向がある,共産主義がマルキシズムを基にしているときそれはイデオロギーと政治が一体化しているから宗教ともなり政教一致になる
政教分離から分けるということもありうるのである。
政教分離というけどヨーロッパではカトリックがローマ帝国で政治化して支配体制組み込まれた,その反発としてプロテスタンとが生まれやがて資本主義が生まれ民主主義が生まれた,
政教分離というとき政教一致の歴史の方がまた長いのである。
仏教でも政教一致で国を治めた時があった,アシャカ王とかがインドで仏教を基に国を治めた。だから仏教には政治的な思想もある
日蓮宗の王仏冥合(おうぶつみょうごう)とは王は政治だから仏教と一体化して治めることである。
創価はそういう主義で戦っている,そういう主義なのである。ブッデイズムとかなる
だから現代の政教分離を基にする民主主義とは合わないのである。
ただ選挙で合法的に政権奪取ができるのだから選挙で勝つことが仏法の勝利となるのである。
ただ世界をみると政教一致というのは危険な思想になる,政治の世界にもちこむと危険になる,天皇が神とされた大東亜戦争も日本が神国だという宗教になり大きな災禍をもたらした。共産主義でも一千万くらいが政教一致でイデオロギーを絶対化して死んだ
共産主義の一番の問題は何なのか?
政権交代ができないことである。イスラム国でもそうなりやすい,一党独裁になりやすいそもそも選挙がないとしたらそうなる,政権交代の仕組みがないのである。
もちろん君主制には君主制の良さがあり民主主義が必ずしもいいとはならない,民主主義の弱点は今だとポピリズム,劇場型とか大衆主義になる
ともかく頭数だけを集めることが優先されるからである。
大衆にむずかしいことを言ってもわからないからである。
そこに希望の党の小池都知事の問題がある。
ただ政権交代がない限り民主主義はありえないのである。政権交代がなかったら民主主義が死んでいる:それは君主制であり一党独裁であり共産主義と同じである。
それで阿部首相のお友達内閣とか自分勝手に権力者が権力をの濫用する
そして検察も警察も動かすことができて原発を反対するとなると公安とか警察がとりしまりできないように現実にしているのである。
検察と警察は時の権力者につくからである。
要するに政権交代がなければもう君主制なのである。政策の変換も何もできない。
そして権力をもつものがコネとか自分のいいようにできる
そのことが社会自体を腐敗させる,そして民主主義は死ぬのである。
いづれにしろ今回の選挙の争点はなにか?
それは原発問題があり政権交代の党を二大政党制を保守系でも作ることである。
そうしなければ民主主義は死ぬし君主制となり独裁と進むことになる
選挙でも政権交代があって民主主義になる,もしそれもないとしたらどうせ自民が勝つようになっているとしたら選挙しても無駄だとなる
民主党でこりたというのもある,でもやはり二大政党制を目指ささなければ民主主義そのものが死ぬ,そうすると選挙などしても無駄だとなる,選挙の意義がなくなるのである。そしたら日本はもうそうなっているとしたら民主主義をやめて君主制にした方がいいとなる,つまり日本には民主主義は向いていなかったともなる
お上があってそれに従っているのが向いていたとなる
現実に戦後70年で政権交代があったのは二回くらいしかないのだから実質は政権交代なき民主主義になっていたのである。
日本は何か内部からは変革できない社会体質なのかもしれない,不満があってもじっと耐えている,それはいい面と悪い面ともなる
やはえ江戸時代の300年の君主制が政治にかかわらないことが体質的にそうさせているのかともなる,そのことでは江戸時代はマイナス的に作用したともなる
戦後の民主主義にしてもアメリカからおしつけられた民主主義でありただ私的権利のみを主張するものとなった。
日本は何か同調圧力が強すぎる世界である。対立することを嫌うのである。それは村社会が長い間に歴史的に生きる場所でありそこに日本人の性格が作られたからだともなる
だから弁証法などわからないだろう。対立するものからアウフヘーベンしてゆく,止揚してゆく,小池首相が言っていたがそもそも対立を嫌うのだからそういう思想になじまないのである。
だから日本は上からの支持に従う君主制が向いているとなると政治体制まで変えねばならない,みんな選挙に無力感を感じているからである。
それは選挙では何も変わらないとかあきらめの気持ちになっているからである。