2017年09月30日

ようやく秋になる (俳句や短歌は読みを深くして鑑賞する)


ようやく秋になる

(俳句や短歌は読みを深くして鑑賞する)

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ここから海老の海が見える
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津浪から6年すぎて成長した海老浜の松

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八沢浦から見える蔵王連峰



コスモスや海に通じて陽の昇る

牛のいて秋の日ざしや田舎かな

柿なりて電車を待つや田舎駅

季(とき)変わる電車を待つや秋薔薇

衰えぬ枯蟷螂やみな老いぬ

老人のパークゴルフや秋の雲


津浪より6年すぎて生い立ちぬ松の緑や秋の海かな

秋晴れに蔵王望みぬ八沢浦昔の面影なお残りけり

水無川今日流れひびきて秋風に竹そよぎゆれ走る道かな

東京へ出かける人や今しばし故郷の駅に柿はなりにき

はや風に散る木の葉二三枚今70才に死ぬは早しも

よく見れば我が足元に野菊咲く実りもあれや里の暮れにき

この辺り蝉のへりにつ鳴く声を聞きつつあわれ今日も来るかな

ひたすらに虫の鳴く声ひびきけり命短く夜も鳴きにき



俳句は短歌より短いからどうしても鑑賞する方が実はむずかしい,鑑賞する方が優れていれば写生俳句は生きる,でも鑑賞する方が劣っているといくら優れた俳句でもその良さががわからないのである。

例えば今日の俳句では

季(とき)変わる電車を待つや秋薔薇

これをどう読むか?駅は自分のテーマになった,だから一応今も毎日行っている:ただ長くはいない,今は柿がなっているし秋薔薇の季節である。
するとそこから鑑賞する,季が変わるということは女性だったら春の薔薇の季節があり夏の薔薇の季節がありそして秋の薔薇となり冬の薔薇となる
若いときは春の薔薇であり夏の薔薇であるがやがて結婚して母となり成熟してくると秋の薔薇とかなる,中年になり中高年になってゆく

そして今までは駅では見送られた方なのである。
かならず東京辺りに行く人をみかける,一方で娘や孫を駅に出迎える人もいる
そのように立場が変わってくるのである
そして不思議なのは見送られていたときと今度は逆に見送る立場になるが両方を経験するとき人間として成長することがある。
見送られるだけではその時見送ってくれた人の気持ちがわからないのである。
親になってはじめて親の気持ちがわかると同じである

今日は八沢浦から蔵王が見えた,あれが蔵王なのかといつも不思議である。
あんなに大きく見えるのかというのが何回も見ているが不思議なのである。
八沢浦は別に津浪が被害があったからといって地形までは変わっていない
津浪で地形まで変わることはない,海岸線は変わったが地形全体は変わらないのである。もともと八沢浦は入江であり蔵王をその入江の水面に写していたのである。
それが津浪で再現されたとき驚いたことはなかった。

いづれにしろ「心に青雲」の都築詠一氏が69才で死んだのは驚いた
それはやはり十年間くらいプログと読みつづけていたからだろう。
そうなるとやはり何かしら相当な影響を受けていたのである。
それにしても本当にひたすらに最後を鳴いていた虫の声だった
そして命が尽きたのである。
団塊の世代はこれから死ぬ人が増える,では何を語って死んでゆくのか,戦争経験者と違ってたいして語ることもなく死ぬのが団塊だとか評判が悪い
だから尊敬も若い人はしない,それに不満があってもどうにもならない

川子にパークゴルフ場は今日も老人でにぎわっていた,あそこは広いし見晴らしがいいから気持ちいいい場所なのである。
パチンコなんか一日狭い所でとじこもり健康的ではない,パークゴルフはその点健康的なのである。遊びでも自然の中の遊びなら気持ちいいのである。見ている方も気持ちいいのである。

ともかく秋らしくなった,日ざしもそうである。だから外出するにはいい,自転車でまた遠くへ走りたいとなるが何か疲れるから原町辺りまでしか最近は行かない
相馬市まで原町の倍あるから長い間行っていない,やはり疲れるようになったのである。,

選挙でどこに投票するのか? (実質一党独裁であり民主主義が機能していない)



選挙でどこに投票するのか?

(実質一党独裁であり民主主義が機能していない)

都議会に理念とかあまり関係ない。国政は理念が対立要素。

いつも無党派層は選挙でどこに投票していいかわからない,それはなぜなのか?
まとせな野党がいないからだ,共産党はいやだとか民進党はもう終わりだとか
現政権に対抗する政党がないのである。
そして野党同士で内ゲバであり分裂して自公政権に有利にしている
みんなそして政治なって何も変わらないよなとなって投票もしたくないとなっている
どうせ投票したって何にも変わらないという政治に対して無力感で一杯なのである。
若者は若者でこれだけ老人が多いのだから俺たちが投票しても変わらないとなり投票しない,すると固定票の公明党とが実際は投票率50パーセンとしかないのに数を確保できる

創価などは毎日二年前から選挙運動でありほぼ毎日が選挙運動のための活動なのである。それでも増えないのだから衰退して停滞するだけである。
選挙で勝てば仏法の勝利だから毎日拝んでF(フレンド票)とりに必死になっている
一票でもとれば数を確保すれば信心の勝利なのである。だからカルトなのである。
今は老人クラブのようになっているというのもわかる
時の権利をもつ側につくのが公明創価である。
こういうふうに公明党に頼る自民も情けないとなるが他に選択がないからもう一党独裁のようになっている

もう民主主義は対抗する勢力がなくなれば一党独裁になり阿部首相のようになんでもやり放題になる,自分は別に右でも左でもない,日本の文化とか伝統とか歴史は大事にするから右よりともなる,左翼になるとこれもネットで常に批判しいてる
中国と韓国のスパイの巣窟でありマスコミもそうでありNHKでもそうである。
マスコミはかたよりすぎているのである。だからネットではその反動として常に在日に支配されているとか中国の傀儡だとか批判のオンパレードになっているのだ

日本では民主主義は機能していない,民主主義とは何かというとき主義なのである。
それは主義だから思想運動なのである。ただそれが共産主義なとと違い明確なものがないでも三権分立とかの法整備があり権力を互いに制御するとか報道の自由とか国民や市民の自発性を育てる思想がある
制度としてはそうなのだが自発性となるとそれは国民が市民が自ら育てない限り自然とは生まれないのである。
だから民主主義は市民の自発性を育てる過程にある
それは国民が市民が目覚めて育てるのである。

では自分はどこに投票するのか?どこにも投票したくないのである。
ただ選ぶとすると政策的には原発ゼロ政策の「希望の党」などがいいとなる
そこに問題があるにしろ民主主義には政権交代が必要なのである。
権力は必ず腐敗するし対抗勢力がなければ一党独裁のようになる
そこではなんでもやりほうだいになる
昨日書いたけど原発では自民党と東電と警察まで一体となり事故にもなった
それを正すとがめるものもいなくなる
天下りもとがめるものもいなくなる
そこに警察権力の横暴も起きてくる,現実にそういうことがあり国民や市民はおびえる,それは時の政権によっても支持されてそうなっているからだ

自分は左ではないけど民主主義の推進にはどうしても対抗勢力が必要であり権力のパランスを計るのが民主主義なのである。民主主義とは権力をいかにして制御するかというものがあり生まれた,それが権力をもつもものが政権交代がなければ一方的になってしまうのである。誰も正すものがいない,すると天下りなどもとめることができない

細野豪志補佐官(当時-原発担当大臣)も追及していた

「警察から東電へ天下りしている元警察官が32人もいるのは多すぎないか。
しかも東電は栗本英雄顧問(元刑事)をはじめとして,彼らの職務内容を明らかにしていない,反原発運動の情報を警察から提供されたりそういう運動をおさえこもとして私兵として使ったりする見返りに業務と関係のない,元警察官を大量に雇用しているのではないか?」

こういう質問する議員すらいなくなる,するとどうなるのか?
原発はとめられずいつか日本自体がメルトダウンして滅びるとまである。
東日本が終わりだとフクシマの原発事故では騒がれていたからである。
民主主義が成り立たなくなり一党独裁になり原発はとめられず遂に日本は滅びる
なぜなら警察だって時の政権側の下僕となり検察でも時の政権側につくからこそ
東電の家宅捜査でも何もしないからである。
そして社長は天下りして何のとがめもないし幹部もないのである。
自公政権がそうさせているともなるからだ
もし政権が交代したら原発に関しては変わるかもしれない
ただ今度はアメリカの圧力を受けるからわからないにしても変わる希望はもてるのかとなる

民主主義にはともかく政権交代が必要であり小選挙区にしたのはそのためである。
一気に政権交代が起きる仕組みだからである。
希望の党とはなにかわからないにしてもそれでも政権交代を言っているのはそうしないともう民主主義は機能しなくなる,一党独裁であり全体主義であり次はファシズムであり戦争に突入とまでなる
前に藤原弘達が創価のファシズム的なものが自民の右などと合体して独裁になってゆくということを警告していた,創価はカルトだから日蓮主義は他でもそういう傾向がある。
だから戦争中も日蓮主義の思想がありナショナリズムと結びつきやすいのである。
日蓮の国粋主義と結びつきやすいのである。

そして公明党は聖教新聞系とかは原発の広告を一番か二番くらいにのせていたのである。それも広告費を東電からもらいたいためにそうしていただけである。
それは他のマスコミも全部そうだった,新聞社とかは維持するには金がかかりすぎるからそうなる,だから昨日も書いたように東電とか電力関係の会社は莫大な宣伝費をマスコミに出していたのである。たから実質の支配者はマスコミではなく宣伝費を払っている会社だったとなる

いづれにしろ右は原発推進である。「心に青雲」の都築詠一氏も右だから原発推進であり核武装はである。そして低い放射線量は体にいいとかフクシマは全体を維持するためには犠牲になるべきだとか言っていた,それには反発を感じたのである。
東京に原発を建てるべきだったというのが今では正論だったのである。
もちろんフクシマとか地方に問題がありそのことは書いてきた
ただ希望の党の「原発ゼロ」政策にはこの辺では賛成するだろう。
まず被害にあったものとないものの差は大きいからだ

ただ正直地元でも何が価値あるものかその価値が認識されていなかったのである。
金になればいいとかしかなかった,そして自分たちが生きる場すら奪われたのである。
だから地元でも反省すべきだが自公政権はもはや一党独裁と同じなのである。
民主主義が機能しなくなったときどうなるのか?
それはただ形だけでありもう崩壊しているのだからその思想を実現することは不可能だとなる,ただ名目としてあるだけであり何の働きもしていない,死んだともなる
そういう状態がやはりつづいたのである。
だから「希望の党」がそういう民主主義の危機でありそれを変えようとすることに期待する,民進党よりましであり保守でも政権交代できる二大政党を日本はめざすべきだとなる

都議会に理念とかあまり関係ない。国政は理念が対立要素

理念となるとわかりにくいけど理念は目標であり行動の基盤である,だから理念に主義に死ぬということもあ
それは利益を越えたものがありカルト宗教団体はその理念を間違ったものとして活動している
原発ゼロというとき相当な変革である。それは社会そのものも変える
原発をもたないことは核をもたないことにも通じている,それは平和の理念を核をもたないことで追及する理念になる,だから大きな争点となるのである。







posted by 老鶯 at 08:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層