2017年09月26日

警官も医者も教師も他の職業も土着的であるべき (一時の赴任では仕事ができない)


警官も医者も教師も他の職業も土着的であるべき

(一時の赴任では仕事ができない)



職質の技術の基本は会話である。が、地域警察官と市民との会話の機会が少なくなっている今日では、職質技術は育たない。本来この職質は、刑事警察官の聞き込みや取り調べの技能の基本にもつながるから、刑事警察官にとっても基本的な技術なのである。

地域に愛されたお巡りさんが退職 住民嘆願、異例7年勤務

同小の橋本佳史校長(55)は「地域にとけ込む努力を欠かさず、私たちにとっては良い仲間でもあった」と退職を惜しむ。先月だけで送別会は7回催され、PTA役員や町内の医師たちが長年の労をねぎらった。同小児童と、隣接する美川幼稚園の園児計25人は「お別れ会」を開いた


警察とか警官の仕事もどういうものなのか?
何か駐在さんなどというときは地域に土着して親しまれた感じである。
第一駐在というとき在とういのはある程度そこに継続して在中することである。
でも7年でも短い感じがする,それだけ今は何か一時的にいる人が多い時代である。
広域化グローバル社会になるとそうである。

そして警官でもそうだが土着性がなくなる,その土地に長くいないからその土地のことをわからない,人ともコミニケーションがとれないということもある
実際コミニケーションとは最もむずかしい問題なのである。
それはどこでもそうでありそれでみんな悩んでいるのである。
田舎などはまるで相互監視状態でありそういうところでは本当は犯罪は起こりにくいともなる
みんなが監視カメラのようになっているからだ,みんな何かしたかを知っているからである。犯罪した人も知っている,ただそこに警察が介入しないだけである

現代は何か相互のコミニケーションが欠けた時代である。インターネットでコミニケーションするというのもそうだがそれで本当のコミニケーションができているかとなると疑問になる
広域的にグローバルに知るにはいいが肝心の実際に生活している場を知ることはかえってできていない,何か田舎町でも何で生活しているのかわからなくなっているのが現状である。
昔だったらたいがい何をしているかわかっていたし相互に関連した社会に生きていた
それが今は田舎町でもわからないのである。

例えばこの辺でタニコーという会社は有名である。その近くに友伸エンジニアという会社があった,それをタニコーに勤めていま人も知らなかったし自分も知らなかった
これは自分にしても小さな町に住んでいるのに知らなかったのである。
それはすぐ近くの小池に工場があるからそれを見てわかった
そして東京から友伸エンジニアの関係の人が来るし社長も来る
東北サッシも有名だが駅に社長が東京から来ていた
社長は東京の人であり地元に住んでいない,そのことは土着していないということである本拠地は東京にあるからだ

東電でもそうである。東電の本社は東京にあり事故が起きたとき本社とコミニケーションができず吉田所長が独断で決めたりした,つまり離れているといくら通信技術が発達しても意思疎通ができなくなるのである。それでその後事故の処理につまづいたのである。
ローマ帝国でも権力の崩壊は地方から起きてくる,それは中央と地方が意思疎通できなくなり地方が独自に力をもつようになるからである。
中央からの統制がきかなくなるからである。
それは戦争のとき起きた,関東軍が天皇の命令をきかずに暴走して戦線を拡大しすぎたのである。

現代の問題は人間と人間がコミニケーションできなくなった時代ともなる
相互の意思疎通ができないのである。
そこに今回のように権力で警察が介入したりするとかえって田舎の和を乱したりする
ただそのコミニケーションにしても簡単にはできないのである。
それは家族だってそうだろう,コミニケーションというか意思疎通自体が最高にむずかしいのである。
だから外から赴任して7年くらいでその土地のことがわかる,意思疎通できるのかともなる

ただ現代は土着性が希薄な時代である。そこで何が起きるのか?
互いに誤解が生じたりそれで争いになったりする,都会であるある女性はそれで被害妄想になり隣人を疑っていたが犯人は風だったのである。
風によって鉢植えの花が壊されただけであり隣人は何もしていなかったのである。
それも日頃から意思疎通ができない,引っ越してきたばかりとかなるとできないからそうなる

現代とはそういうことは非常に多い時代なのである。小さな町すらそうだとしたらもう4,5万の市だってそうなる,ましてや十万以上の市だったらさらにそうなる
もうそういう市が多いのだから当然意思疎通しにくくなる
人間は農業中心の時代は土着的に生きていた,そうするほかなかった
でも広域社会グローバル社会になると移動する社会になるから一時的にいるだけだからその土地とも人とも深く交わらないとなる社会である。

この辺では医者でも前は開業医が多かった,大きな病院はなく開業医が多かったのであるだから一万くらいの町に小児科の開業医があった,そこで自分は幼児の時注射をしてもらいそれが基で成長してから股がヤケドしたように大きな傷として残ったのである。
その頃子供が多いから小児科の開業医も成り立っていたとなる
そして原町の産婦人科の医者は原発事故でこの市のために尽くしたいとしてがんばった
それは開業医だったし長くここで医者を勤めていたからである。
つまり土着的になっていたのである。

何か人間は土着的でないと仕事ができない,報道にしても一見そんなこと別にそこに長く住まなくてもできるではないかとも思われる
ところがその土地の事情に歴史でも自然でも知らないと報道もできない
だから自分は今回の津浪とか原発事故では地元で生活してきたことから報道したのである報道にしても土着的であることが必要だったのである。
確かに外から来たひともいろいろ報道したり本を出したりした
でもやはり地元に住んでいることで地理などもわかり深い報道ができるのである。

現代の問題はあらゆることで土着性がない,そこからコミニケーションが互いにとれず意思疎通できない,警官でもそれができなくなっている,駐在さんなどと呼んでいれば土着しているのである。ただ7年では短いとなる

自分がしてきたこと詩とか芸術にしてもその住んでいる自然とアイディンティティ化することは時間が必要になる,石と樹でも山でも長い時間で見ないとアイディンティティ化できないのである。それは地元の人にとってはそうしたことは実際の生活では関係ないことだったかもしれない,文化的なことでもやはりその土地に長くいないと創造できない。、そもそもエジフト文明は3000年とかで形成されたものでありマヤ文明でもそうである。
日本文明だってすでに二千年とか縄文時代を入れればどのくらいになるのかその歴史は長いのである。

ともかく土着性がないことは現代社会に大きな歪みをもたらしているのである。
それが大きな問題をある時原発事故であれ犯罪であれ致命的にもなる事件となる
大げさだったかもしれないが警官が介入してきてかえって田舎の和が乱されたりもする
それは警察というのが土着的なものではない,一時的に滞在するだけであり田舎に深くコミトメントしない,交わらないということがある。
それだけの時間がないということがある

要するに何でもそうだが時間が関係している,土着的とはやはり時間的にそこに長くあって土着的になる,原発というのもそもそも日本の土着的なものから見れば津浪とか地震かありそれを無視して作ったのだから大事故になったともなる
土着的というとき技術も土着的なものから生まれていたのである。
風車は中東で発明されたのは風が強く吹く土地だからである。
日本でトンネル技術が発達したのは山が多いからである。技術も土着的なものとして生まれてきているのである。
土着的になるとき技術もその土地に根付くということである。

そして意思疎通ができない,コミニケーションができない社会に何が起こるのか?
それは社会的にはファシズムでありナチズムになる。強権的一方的権力による支配である。
そしていかに自動化するとかAI化するとか機械化しても
それ自体が今回の原発事故のように破滅的な事故につながる
機械とコミニケーションできなくなるというか今度はAIが人口知能が暴走するのである。
それを誰もとめられず社会自体のメルトダウンが起きてしまうかもしれないのである。
決してAI化とかは人口知能が万能ではないからだ
駅の無人化でも様々な問題が生じている
なんでも自動化無人化すればいいとはならないのである。
やはり人間と人間のコミニケーションが基本にあるのが社会だとなる
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職務質問してなぜ悪いのか (なぜ警察を挑発するのか-コメントの答え)


職務質問してなぜ悪いのか

(なぜ警察を挑発するのか-コメントの答え)

コメントは直接プログに出ると思っていたら一旦許可してからでないと出ないものがあった

前は許可していたが最近は直接コメントがそのまま出ていたのである。

警察官から職務質問を受けることが
そんなに不愉快ですか?
私も今までに数回、警察官から職務質問を
受けたことはありますが、普通に応じたら
すぐ終わりました。何の不都合もありませんでしたけど。
正当な理由(犯罪に関わっていると疑われる相当な理由)がなければ、そもそも職務質問に応じる義務はない?
小賢しい法律知識を盾に不必要に警察官を
挑発する必要がどこにあるのですか?

Posted by 垰田敦嗣 at 2017年08月29日 10:08

コメントありがとうございます

すぐにプログの方に自動的にコメントがアップされる仕組みになっていたが
このコメントはアップされなかった

遅くなりましたが返答します

職務質問がみんな悪い訳ではないのです
別に自分も旅したときなどは職務質問されています

職務質問はその状況によって変わってくるのです
それを受け入れられるものと受け入れられないものがある
そういう状況を自分は鉄道の部で書いてきました

自分は善意で半年くらい駅でボランティアしてきたのです

それを誰かの悪意の通報でだいなしにされたのです

あやしい人がいるということで警察がのりこんで職務質問すればみんなもあやしいとなる

それは警察がみんな悪いとはならないです
通報した人も悪かったのです

この事情は複雑です

良く自分が何をしてきたのか読めばわかることです

ただフログだけでそれを理解するのはむずかしいかもしれません

鉄道の部を詳しく読めばわかるでしょう

自分が何をしてきたかそれが簡単には理解できないです

何でもそうですが職務質問は全部悪い訳ではないです

要するにケースバイケースなのです

警察はそこを考慮しない

土足で踏み込んでくるのです

そういうことは警察には多いと思いますよ
何しろ権力をもっているからそういう強引なことになりやすい

だから慎重さが必要なのですが
その配慮が警察には全くないのです

そうすると地元からも警察は信用されなくなる
そういう事情は書いてきたのです

人間社会は複雑なのです
何でも職務質問していいかとなったらならない
ケースバイケースでありそういうことに警察は
無遠慮なのです

家族の問題でもなんでもその家族の事情があります,そういう複雑なことに考慮しない
ただ警察にとってもむずかしい面はある

ストーカー問題などでそういうことがあった
だからいちがいに警察を責めることはできないです

でも今回自分が怒った事情はフログに書いたことを良く読めばなぜ怒ったかるでしょう

遅れてすみませんがそういう疑問があるのも当然ですがやはりなかなかその人のことをわかるのはプログだけからむずかしい面はあります

これはフログにまとめて書きますので読んでください


なぜ自分が今回警察の職務質問に怒ったのか?その事情は鉄道の部に書いてきた

自分はこの半年間くらい駅でボランティアしていたのである。
もうそれだけ長かったということである。
なぜそうしてボランティアしていたのに誰かがあやしいと通報したのか?
それは誰かわからない,外部のものかもしれない,しかし自分はそのことでひどく傷ついたのである。

別に自分は旅したときなど必ず職務質問されていたけど嫌だったけどこんなに怒ることはないのである。
つまりなぜ自分があやしいと通報されるのか?そして警察がすぐにかけつけて自分を職務質問したのか?
その警察官は「あやしい」と通報されれば必ず来る義務があるのですと言っていた

そして自分は言ったのである。

ここで駅のボランティアしているから今度通報があったら訳を説明してください

それはできないです

「あやしい」と通報があれば必ずまた来ます

なぜそうなのか?

今自分がこうてし何をしてきたか説明しているのです

そしてまわりのものも認めていたのです

職務質問はすべてに許されいるわけではない

ところが警察では許されていると思っている

「あやしい」と通報されればとにかく相手のことをかまわずかけつけて職務質問する

職務質問していい場合とそうでない場合が確実にある

なぜ今回自分があやしいのかそして警察に通報されたのか?

その理由が全くわからないのです

あやしい素振りがあればいいですがそうではない

自分はずっと長い間駅でボランティアしていたのです

それは駅員に聞いてみればわかる

無人駅でも管理している駅員がいてあっていたからです

自分が何をしているかは回りでもわかっている人はいたのです

そういう善意の行動がだいなしにされたのです

だってそうでしょう

また「あやしい」と通報されるならすぐに来ますと警官が言っていたからです

今説明したし回りでもそう認めているのにですよ

そうしたら自分はそこに普通に安心していられますか?

別にボランティアでなくても駅はみんなが待ち合わせとか交流の場としてもあるのです

それでただうろついているからとそいつがあやしいとなればそうした公共の場に自由に出入りできなくなるのです

そうでしょう,また誰かが悪意で「あやしい」と連絡すればまた職務質問に来ると言ったのです,そしたら安心して出入りできますか?
また警察が来たらやっかいだな,回りでも自分をどう思うのかかなとなるでしょう
それは警官だけが悪いとはならないです
でもただ「あやしい」というだけで相手のことをまるでわからないのにすぐに職務質問するのは許されるのでしょうか?
通報する人がどういう意図でしたかわからない,悪意があるかもしれない
実際それで自分は疑心暗鬼になったのです

自分をこの辺ではあやしいとみている,そして警察に通報される,そうしたら公共の場さえ出入りできないのです
自分の自由は奪われたし常に密告というかそういうものを恐れなければなくなる
それは警察が「あやしい」というだけで職務質問にかけつけることにあったのです
みんなの前で職務質問されればあいつは何なのだと田舎だと目立つのです
自分は善意でボランティアを半年くらいしていたのにそれでできなくもなったのです
あいつはあやしいと誰か一人でも通報すればそして警察がそれに答えればそうなる
むしろ通報した人に問いただすべきなのです

なぜあなたはその人をあやしいと思うのですか?

それが全くないのです,ただ「あやしい」と匿名でも通報すればすぐにかけつける,この次もあやしいと通報があればかけつけると警官が言ったのです
なぜそれほど匿名の通報者を信じるのか重んじるのか?
このことが全くわからないのです

はっきりいって「害悪の告知」という法律違反に通報した人はなるかもしれない
通報した人も罰せられべきでありまた警官も同罪になる可能性がるのです

別にそんなこと気にしないでやれともなりますがやはり警察というのはそれだけ権力をもっているから影響が大きいのです

こうした事情があるし田舎ではまた簡単に誰かが通報したからと職務質問していたら疑心暗鬼になってしまう:それは密告とにているのです
その最大の問題がそうした内輪の問題に警察権力がかかわることで起きているのです
だから権力をもつものは慎重さが要求されるのです
職務質問がみんなが悪いとはならない,でもケースバイケースでありその職権を軽く行使しただけで被害があることもある

だから通報する人にもどうしてあやしいとあなたは思ったのですか?

こうきくべきだったのです

それが職務質問には一切警察では考慮しないです

だから警官は横暴であり警官は信じるなとまでなってしまう

田舎の人でも回りでもそう見てしまうことだったあるのです

田舎はみんなしっているし狭い所で生活している

だから田舎の事情がわからいないで警察が介入することでかえって田舎の和を乱すことだってある,そのことを書きました

ともかく警察が権力をもって横暴になる,そういうことを職務質問などで経験している人が多いから嫌われるとか不信感をもつことがあるのです
権力をもつものは慎重さが要求されるのです
何かそういうことは他でも多く起きているでしょう
そこで警官に不信感をもつ人が増えているのです

それは元公安委員長の人が職務質問されて怒ったことでもわかるでしょう

とにかく一方的であり相手の事情など考慮しない

「あやしい」と通報があればすぐにかけつける,何度でもあやいしと通報があればかけつける
こんなところでうろうろしているなよともなるのです
それはそれだけ警官というのがかかると田舎ではそう見るからです
別に地元に生活しないなら職務質問されてその土地を去るけだからいいのです
あとは関係ないですから,ここでは駅に出入りしなくては生活できないしそういう日常の生活の場なのです
そこであやしいというだけですぐに警察官が何度でもきて職務質問する

そうしたらどうなりますか?

公共の場あですから散歩がてらに来る人もいますし待ち合わせする人もいます
そこをうろついているだけであやしいとさたら出入りできなくなるのです

そんなことで通報する人も悪いですがそんなことを何の考慮もせず職務質問に来るということも納得できない
なぜならみんなが見ている所で職務質問したらあいつは本当になにか悪いことをしているのではないかと回りから見られるからです,田舎だとそういうことにうるさいからです

いづれにしろ今回のことは自分では納得していないです

警察には不信感をもっています,それが警察だけが悪いのではないにしろ権力が介入することがいかに大きな影響をもたらすか
警察では考えるべきなのです,冤罪とかもそうして起こる
それが警察の不信感になり警察だって回りから信頼されなくなる

職務質問ってみんななにか一方的犯人扱いされるような感じを受けている人は多いと思います

ただいちいちそうした事情までふみこむことはむずかしいということがありますがどうしても警察は横暴だなと思う人が多いように思う
今回でも一方的であり何も相手の話しなど聞かないからです

ただ警察に警官には警官の事情がある,それも考慮せねばならない,要するに民主主義とはめんどうなのですが話合いが基本なのです,権力だけで力あるものが一方的に言いなりに行動できるなら民主主義はなくなる
警察にとってそうなると確かにめんどうになるがそれが民主主義であり権力あるものは慎重に相手の話でも聞く必要があるのです
それが全くないからただ怒りになり警察に対して不信感だけが残ってしまうのです

こういう事情を書いたとしても

こいつは警察を挑発している不届きな奴だ,マークしておけ?

挑発という言葉にすでに警察の姿勢が出ている

それははわからないにしても普通の人が挑発しているなどと書かないように思う

警察に逆らう奴は許せないという権力をもつものの姿勢が自ずとでてくる,それが習慣性になっているのが警察や権力をもつ人ににはある,ただ警察にはだからかかわらない方がいいとなっていて表立って言う人はまれである
そうするとそういうことで警察でも警官でもますます冗長してくるということがある
俺たちには逆らえない,俺たちは正しい,いちいち文句言うな,それは警察を挑発している不届きな奴だとマークされる

もしこれを書いた人が警察関係だとしたらこういうことでやはりインターネットでも警察に逆らう奴をマークしているのかともなる,するとは警察を批判するようなことをちっょとでも書けないとなる
それは警察国家となり民主主義社会とはまるで違ったものとなる

ともかくただどっちにも言い分はあります,警察だって相手の事情にどれだけ踏み込んでいいかわからない
それでかえって関係しないで殺人までストカーなどで起きているすから
その時は実際は権力で介入すべきだったのです

つまりケースバイケースなのだけどその判断が簡単にはできないのが問題なのです
それは都会と田舎でまた事情が違ってくるしそういうこともまた考慮する必要があるとなるとめんどうだともなる
ただ警察の影響力がかん大きいから慎重さや話し合いも相手の言い分を聞く態度が必要なのです
それがなにか警察にはないから問題だと思うのです

「心に青雲」の都築詠一氏が誉めていた光厳天皇の跡をたどる

「心に青雲」の都築詠一氏が誉めていた光厳天皇の跡をたどる

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光厳天皇の御歌

夕日さす落葉がうへに時雨過ぎて庭にみだるる浮雲のかげ(風雅730)

冬歌の中に

さむからし民のわらやを思ふにはふすまの中の我もはづかし(風雅880)

ただしきをうけつたふべき跡にしもうたてもまよふ敷島の道(御集)

地図を見ると常照皇寺と鞍馬寺と大原が山中にある,都築氏は鞍馬寺と常照皇寺を訪れている,その時自分はそのフログを読んで感想を書いた
インターネットで調べたら常照皇寺のことはでている,写真もでている,それでイメージして自分も短歌を作った。
都築氏は風雅和歌集を評価していた,写生の歌でありリアリティがあると評価していた
ただ写生俳句の創始者の正岡子規は評価していない,というよりそこまで手がまわらなかったともなる,自分は写生俳句から写生の短歌を基にして創作してきた
だからそこを見ていたとは相当に深い見方をしていたなと感心していたのである。
インターネット上には文芸分野では深いものが見られないからそこに注目していたのである。ただ評論としては未完成に終わってしまったのが残念だった
「光厳天皇論」は圧巻だったしそのログは残っている

夕日さす落葉がうへに時雨過ぎて庭にみだるる浮雲のかげ(風雅730)

晩年に常照皇寺で作ったものだろう,これはまさに光厳天皇の心境そのものだった
南北朝争乱に翻弄された一生だったからである。
南北朝は全国に深い傷痕を残した,この辺でも自分の住んでいる場所が霊山城が南朝の城であり炎上して逃れてきた落ち武者が先祖になっている,南相馬市には鹿島区には只野という姓が本当に多い,その只野は郡山の多田野村から発していたのだ
それが南朝に加わり霊山城が炎上してきたとき逃れてきた,それは今も祭りとなって残っているのである。

ただ光厳天皇は北朝であり都築氏は北朝に義があるとして醍醐天皇を批判していた。
日本を争乱に導いたものとして糾弾していた。
そして光厳天皇を高く評価していた,それは昭和天皇と比べて高く評価していた。
昭和天皇はいろいろと蓄財していたとか辛辣にこきおろしていた
右なのに天皇をそんなに批判するのかということで驚いていた
光厳天皇は自ら反省して僧になり乞食までしたと評価していた
昭和天皇は何の責任もとらない,日本国を利用した国賊のような扱い方になっていた
それもやはり現人神(あらひとかみ)から人間宣言などとアメリカ軍に占領されて
全国を行脚して国民に迎えられたがそれも何か責任をとらないしずるいと見ていたのである。それで光厳天皇が反省した態度にひかれた
最後は常照皇寺にこもり果てた,その寺実に質素なのである。それもまた評価している

ただしきをうけつたふべき跡にしもうたてもまよふ敷島の道(御集)

最後まで正しき道を求めたのが南北朝の戦乱で最後まで迷っていたとなる
南北朝とは何の争いだったのかわかる人はいるのかとなる

さむからし民のわらやを思ふにはふすまの中の我もはづかし(風雅880)

この歌も評価していたのは昭和天皇などと雲泥の相違がある。
昭和天皇でも今の天皇でも民を思う心などない,震災で慰めにきて帰れば贅沢な暮らしがあるだけだと言って批判していた。
だからこそ光厳天皇は天皇の中でまれな存在として評価していたのである。

天皇の寺の石段雪ふりて誰かたずねむ山深きかな(自作)

写真がここに

常照皇寺


人間は死ぬと美化されやすいのはなぜか? (都築詠一氏が死んで語るもの)


 人間は死ぬと美化されやすいのはなぜか?

 (都築詠一氏が死んで語るもの)


人間が死ぬということは何なのか?死ぬという現実を人は簡単に受け入れられない
骨となり灰となり消える,その変化を受け入れられない
無神論者とか普通にいるし都築詠一氏は無神論者だから死んだらただ消える無になると思って死んだのかとなる
でも一旦死んだとなると都築詠一氏は何なのだろうとなる
今までプログに熱心に書いていたのに急に死んで途絶えた
そして永遠に語らぬ人となったのである。

では都築詠一氏は死んだから全く何もなくなったのか?
肉体は消えた,でも彼が残したものは以前として消えない
その消えないものとは何なのか?それは彼の生きざまでありまたその崇高なものを「心に青雲」を目指した精神である。
彼が現代の英霊になったというときそれは戦争で人を殺したわけでもない
だから戦争で死んだ人達の英霊とは相当に違った英霊である。
それは優れた人が英霊になるのであり戦争に参加しただけではなれない
戦争に参加した人で死んだ人は膨大である,それらが全部英霊になるというのも疑問なのである。

無神論者でも英霊になる人はいる,ただ人間は生きている時はそうした英霊にもなりえないし,祭られることはない,生きていれば何かとケチつける人はいるしおとしめる人はいる,でも何か普通の人でも一旦死ぬと美化されやすいのである。
自分がすでに都築詠一氏を美化しこた詩を書いたのもそうである。
死はともかく人間の見方を変える,生きていれば自分も都築氏を美化したりしないのである。

美化するというとき明治維新で活躍した吉田松陰とか長州の志士たちはテロリストにすぎなかったということが最近言われる,都築氏も言っていたのである。
そもそも吉田松陰のまわりに集まった人達はテロリストでありそこには何の教育も行われなかった,松下村塾などで何か講義されたこともなかった,ただテロリストが集まる場所にすぎてかったとしている
それもそうかもしれない,それは何か死んでから美化されたのである。
吉田松陰は権力をとった長州のテロリスト達によって祭りあげられた
それは司馬遼太郎の小説の影響がありそれで評価が定着した
坂本竜馬もそうである。現実はどうであったのかは歴史的に不明になっているのだ。

ただ何か人間は死ぬと一般的に美化されやすい,それだけ死というのは人間にとって
生きていたときとは全く別なものとして見るようもなる
人間の宗教がたいがいどこでも先祖崇拝から起きているのは死ぬと神となるとか美化されるからである。それはどんなぐうたらな人間でも死んだら崇拝の対象になっていたとういことでもわかる
それだけ人間は死ぬともう現実にいないのだからその人の欠点とか汚いものは見えなくなるから美化されやすいのである。

ただでは自分でも家族が二人死んだけどその人となりは熟知している
だから冷静にいい面でも悪い面でも見ているし死んだから特別な人にはならない
一人は認知症で死んだから無惨だったし一人は死ぬまで花でも庭もいらないとか金がかかるからいらないとか狂気のように主張していたのである。
そういうことを知っているから死んでもそのことに関して今でも自分は頭に残っているから美化しないのである。

でも吉田松陰とかなると現実はどうだったのかとなるとそれを調べるのも容易ではなくなる,だから明治政府になって元勲となったテロリスト達が祭り上げた人にすぎなかったという説もでてくる
元勲となった人達は権力をもったしそれができたからである。
そういうふうに勝者によって歴史は作られてきた
だから吉田松陰は後の権力をもった人達によってち山県有朋となどによって祭り上げられた虚像だとしている

そもそも明治維新というとき一体どういう日本の未来像を描いていたのか?
それも定かではない,ただ幕府を倒して政権をとるという野望だけだったのか?
まずその時どういう新しい社会を作るかという像は描かれていなかった
だからただ尊皇攘夷とか佐幕とかでありそこに日本の新しい像はビジョンは描かれなかった,そこで無益な争いが殺傷が行われたことは確かである。
そういう変革の時期にはテロリストが暗躍する
思想もなにもない暴力だけが全面に出てきてしまう

西郷隆盛によって作られた赤報隊がそうだった,ただ暴力だけで攪乱したのである。
それはシリアのISみたいものだったかもしれない。
その動乱でいろいろな勢力が入り乱れて争いになる
吉田松陰もその思想はアジア侵略思想でありそれが大東亜戦争にまで影響したことは確かなのである。明治維新と大東亜戦争は連続していてその種は明治維新の吉田松陰などによってテロリストによってまかれたとなる

「心に青雲」の都築氏も自分でも死んだとき生きているときとは違った見方になった
10年間くらいフログを書き続けて自分はずっと読んでいたのである。
その歯に衣着せぬ評論は心にひびくものがあった
では都築氏を評価するとき死んでからどうなるのか?
都築氏とはどういう人なのかどういう思想の持ち主なのかとなるとプロクでしかわからない,だからその記録したログが消えることは致命的になるのだ
つまり彼自身が書き残したものから現実を判断する,それしか方法がないということがある。それは間違いなく彼自身が書いたものだから彼自身を知る唯一の手がかりとなるからだ

だから自分はそのプログに書かれたことを手がかりにして批判もしている
原発に関しては疑問だった,原発事故の被害にあった地域は犠牲になってもらわなければならないとか全体の戦力を維持するためには犠牲になってもらうほかないと言っていた
これもおかしいと思わないかか?
そもそも東京で原発事故が起きては困るからフクシマに原発を作ったのである。
そして事故が起きたら犠牲になってもらおうとか言うの東京都民の勝手ではないか
犠牲になるべきは東京都民でもあるのだ,東京に原発を作るべきだったというのは今では正論だからである。
人口に比べたら経済力から比べたら福島はとるにたらないとなり都築氏は犠牲になってもらわねばならないと発言していたのである。
経済的価値からすれば東京がダントツに価値がある,でも飯館村などは森につつまれた貴重な村だった,だからその価値はわからない,ただ田舎にしても昔のように自給自足だったら都会の人に言えた,今は東京の人でも税金を地方に払うから不満になっているのである。

それから都築氏は空手で東電の人とも仲間となっていたりしていた,全日空の人も空手の仲間だったから批判はしない,それはすでに都築氏も利害関係がある人のことは批判しないとなり不公平になっていたのである。
福島は犠牲になってもらおうというときなぜ東電の事故を起こした幹部は罰せられないのか?これこそ犠牲になってもらうべき人間だったのである。

ただこういう矛盾は人間なら必ずあり完全な人間はいない,自分だってそうである。
どこかで矛盾が生まれる,だから都築氏についてもそうである。
ただ都築氏にひかれたのは汚いものと交わらない潔癖性がありそれで常に有名な人物でも批判していたのである。マスコミの人間でも交わると相互浸透するからしないとかなり
そういう人は孤高になる,そういうところに自分はひかれていたのである。
それがフログのみで最後の十年間を主張したということが貴重だったのである。
そして遂に力尽きて死んだのである。透析を17年間して遂に死んだのである。

そして弱みを自分が病気だということをプログではほとんど言わなかった
ただ強気の発言をつづけて死んだ,そのことが何か英雄的に思えたのである。
何も戦場で死ぬだけが英雄とはならない,普通に生活しても英雄的なことは目立たなくてもあるかかもしれない,病気に負けないことが都築氏の場合,英雄的だったとふりかえればなるかもしれない,常に介護される人とか認知症の人とか震災で津浪にあった人でも甘えるなと厳しいことを言っていたが本人が病気でありその弱みを言わないのだから
そういうことを言うことができた,だから非情だとは言えないのである。

ともかく人間は死ぬと見方が変わる,また死ぬとその人の貴重さもわかる
生きていればそんなに関心がなくても死ぬとその人の貴重さをまたその人のことを見直すでも本人は死んだのだから答えはない,生きている人のみが語り都築詠一氏を知るともなる,ただ全部は良しとはてきない,現実に語ったものはプログにまだ残されているからである。