2017年09月13日

東京から故郷に帰る老人が増える (それも困ったことになるのでは?)


東京から故郷に帰る老人が増える

(それも困ったことになるのでは?)


今日駅であったのは昭和11年生まれの人だった,若く見えるから集団就職で東京に行ったと思った

「この駅は変わっていないな」
「これは明治30年建って以来変わっていないです,鉄道マニアが写真とりにきまから」
「わたしは東京に出て帰ってきたんです,東京では車が走っていました」
「そうでか,車は田舎ではみかけなかった,荷車とか荷馬車の時代だった
車がそんなに走っていたんですか」

戦前となるとこれもまた集団就職とは違う,それにしても昭和11年生まれでどうして東京に行ったのか?子供のとき東京に行ったとなる,それはわからないが東京に戦前でも働き口を求めて出た人が結構いるのだ,東京の工場で戦時中働いていた人も知っている
その人はしきりに車に乗っている東条英機を見たと言っていた
自分の母親は女中の仕事で東京に出たのである。
姉も看護婦の免許をとるために東京に出たことがあった
東京とのかかわりはなんかあったのである。

ここで考えたのが一人は集団就職の人だったが実家があって帰ってきた,この人も実家があり帰ってきた,どちらも老人になっているのだ。
するとこれから田舎は東京からなど帰ってくる老人が増える
東京より田舎の方が今度は住みやすくなるからだ,でもこれもまた田舎にとっては困ったことになるかもしれない,なぜなら若い者が働き手がなくてこの辺では困っているからだ80才ともなると介護とかなれば世話する人が必要になる
つまり若い人と違って負担になってくるのである。

何かこれも戦後であれ東京一極集中の経済の問題があった

戦前の銀座通り
戦前の東京

銀座となれば車が結構走っていた,荷車に自転車も走っていた,人力車も走っていた,荷物を運んでいたのが多いかもしれない,その頃自転車自体が相当に貴重なものだったろう。
自転車自体がそんなに普及していない,戦後自転車を自分の家でも買ったが買い換えることはなく,毎日みがいて手入れして使っていたのである。
自分は子供の頃から自転車に乗るのが好きだった,ただ今のような自転車ではなく何か
ごついというか軽快に走るものではなかったのである。

その人は孫か誰か駅に迎えに来ていたのである。
故郷に帰ってくる老人はなまえが消えて東京弁に標準語になっているからわかるのだ
でもしばらくいるとなまりがもどるのである。でも東京弁というか標準語は消えないのである。
だからつくづくなまりは国の手形だというのは今でも変わらなかったのである。

今は駅には長くいない,でもふらっとよると誰かがいる,駅は人が出会う場所なのである警官がきて誰かがあやしいと通報されたことはショックだった
今の時代,みんなあやしいと見れられる,子供や若い女に近づいただけでそう見られる時代である。
だから痴漢を疑われて犯罪者にされるとか問題が起きる
何かそうしたことが常に報道されるから過敏になりみんなあやしいと信じられない時代になっているのだ。
でも信じられる人間も肩書ある人間も著名人でも犯罪はあるのだからこれまたそうなると誰を信じていいのかさえわからてぐなるだろう。
情報にふりまわされ過敏になるのも問題だとだから指摘したのである。

法律ではなんでもあやしいと通報して警官がくるのは「害悪の告知」とかにもなる
害悪がないのに告知する,通報するとそれも犯罪になるのである。
だから警官が来たら氏名を聞いてカメラで写真をとり対抗措置をとる必要がある
なぜなら通報した人は害悪の告知で訴えられるということも知るべきなのである。
そうしなければ田舎で公共の場に出入りできなくなるのである。
現実自分がそうなったのである。その被害は実際は大きかったのである。
ただ今はあまり長居はしない,ふらっとよって誰かいたら話する
そんな程度だと誰もあやしいとはならないだろう。
こうなるとボランティアでもないとなる
ボランティアだったらもっと何か役にたたないとならないからである。

いづれにしろこんなに小さな田舎でもいろいろな人が出入りしていることは意外だったのである。

2017年09月15日

戦後70年で迫られる変革 (男女平等の弊害ー北朝鮮のミサイル-内憂外患)


  戦後70年で迫られる変革

(男女平等の弊害ー北朝鮮のミサイル-内憂外患)


●男女平等の弊害

結局戦後70年は大きな節目になった,明治維新から70年で太平洋戦争になり敗戦から70年でまた大きな変革が迫られる,70年後ごとに大きな変革が起きてくるのが歴史だった。
戦後70年の結果が今現れている,それはいい面と悪い面として必ず現れる
要するにこれもカルマなのである。

戦後は何でもアメリカに負けたのだからアメリカをいいものとして習い取り入れたのである。男女平等とか民主主義の自由だとか権利の主張とかいろいろそうである。
その結果として今がある。
男女平等というとき戦後は教育でも男女平等となり男女が席を同じくするようになった。男女共学になった,これもいいものかどうかわからない,結果的にかえって男性は男らしさがなくなり女性は女らしさがなくなったということもあった
そもそも男女の機能が違っているのだから男女平等というのは女性が男性と伍して働くことは女性にとっても苦しいものでありいいものではなかったのである。

男女平等というとき男性が結婚しないというときいろいろ理由があるにしろ女性の要求があまりにも大きくなりすきだことがある。
女性は男性にとって腫れ物にさわるようなものになりみんなめんどうだから嫌がっているだから結婚しない男性が増えるというとき女性はめんどうだからである。
そして家事も一人暮らしでも困らない社会になったとき余計に一人でいいともなる
そんなめんどうなもなら一人の方がいいとなる

昔だったら女性を召使のようにして使うというかそういう風潮があった,家事が女性の主な仕事であり中流階級でも女中を二人雇っていたのである。
そういうとき女性は男性にとって召使のように見ていたということもあった。
そうなると男性にとっては結婚は必定となる,結婚は今のように女性を特別扱いすることはないからである。それが問題があるにしろ戦後は何でもまた極端になったのである。

いづれにしろ男女共学にしても例えば痴漢でも一緒に電車に乗るから問題が起きる
男女別々の車両にすればいいというのもそのためである。
女性は腫れ物に触るように接していなければならないからだ
女性の要求が大きくなり強くなり男性は小さくなっていなければならない社会になると
男らしさもなくなるのは当然である。
そこにも社会の歪みが生れた,男は男らしくとか女性は女性らしくとかもくなる
だから女性にも異常な人格が増えてきているのかもしれない
女性でもちょっとでも不満があれば離婚するとかなる

結婚しないことで少子高齢化が国力を衰退させるというときそれはいすいろ理由があるにしろ女性の要求が大きすぎて男性はめんどうになる,それに答えられなくなる。
そして家事は自分でしても一人でできる,選択でも食事でもオカズを買えばいいし女性がいらないのである。そうなるとめんどうな女性をかかえることをあえてしないとなるのだ性欲は別な方で処理するとか生身の女性はとにかく男性にとってめんどうであり腫れ物に触るようなものとなっているのである。

● 北朝鮮のミサイルは国難

ともかく現代はあらゆるものが大きな曲がり角にきている,大変革が迫られている
戦後70年の結果が出ている,その弊害が顕著になっている
それはアメリカに負けた結果として日本の主体性が喪失してそうなったのである。
日本には日本独自の国造りがあって良かったのだが敗戦の結果としてアメリカ一辺倒になってしまったのである。
それは教育だけではない,あらゆる分野でそうなのである。
男女の在り方でもそうだし社会そのものの根本的な改革なしでもう日本は存続できない状態になっているのだ。

北朝鮮のミサイルにしても日本では何ら防ぎようがないという,要するに外交とか防衛でもアメリカ一辺倒の時代では成り立たない,何か今日本独自の外交が防衛でも必要だというときもそうである。日本が北朝鮮に働きかける立場にあるというときもそうである。
中国とロシアとアメリカの中で日本が独自の外交が要求されているがこれまではアメリカ一辺倒の外交しかない,だから変革が迫られているのである。

北朝鮮のミサイルにしても防ぎようがない,その国難にもなんら対処できないのである。それはただアメリカ一辺倒の外交しかしてこなかったからである。
そして津浪とか原発事故もやはり大きな変革を迫られる具体的な問題である。
それが自分の住んでいるところにふりかかった大問題である。
これもまた戦後の経済とか科学技術の結果としてカルマとして現れた問題なのである。
個人的にそうだが戦後70年のカルマの総決算みたいなことが起きているのだ。


日蓮の言うように

仁王経に云はく「国土乱れん時は先づ鬼神乱る。鬼神乱るるが故に万民乱る。
賊来たりて国を劫かし、百姓亡喪し、臣・君・太子・王子・百官共に是非を生ぜん。
天地怪異し、二十八宿・星道・日月時を失ひ度を失ひ、多く賊起こること有らん」と。

国土乱れるのは鬼神だとしている,賊とは国をおびやかすもの,北朝鮮とかである。

臣・君・太子・王子・百官共に是非を生ぜん

これは上に立つもの政治家,官僚や経済界の指導者とか資本主義社会で暴利をむさぼるものとか格差社会になりそうしたものへの反発が大きくなり社会が乱れる
金持ちから盗んで当然だとかもなり金持ちも危険になる
天地怪異しとかはこの辺に起きた津浪とか地震とか原発事故だったのである。

国難が内部からも外部からも起きてくる,それに対処するにはどうしたらいいのかとなる日蓮だと法華経を信じろとなるが創価などは宗教と何の関係もない,利権とご利益を目指すだけのカルト団体である。
つまり国難の時日蓮系が出てくる,太平洋戦争でもそうだった,日蓮の思想が戦争の理論的なものとして利用されていたのである。
これをすべて現代にあてはめることはできないのである。
時代的に必ず同じようなことが起きるのは歴史もカルマの繰り返しだからそうなる
でも同じようでも時代によって違ったものだから日蓮の言っていることは現代にあてはまらないのである。

●右傾化するのは日本独自の道を見いだすため

ただ日蓮の国粋主義とか国学とか神道系が国家神道化したようにそういうことが起きてくる。つまり明治維新のようにそこに争いも起きてくる
現代は鬼神乱れる時なのことは確かである。
それは個人的にも経験したことを書いた,自分の家が介護状態になったとき狂気のような鬼神が現れたのである。弱者になったとき信じられない人が来た,泥棒がくる,借金した人がきて脅迫する,それは金に狂った人達だったともなる,それも現代の世相である。何かわからないがそれは本当に鬼が自分の家を荒し回ったのである。これせ自分のカルマだといえばそうだった
金のためにすべてが狂わされている,この辺は原発事故の補償金でもめて分断された
人間は金のために狂気化しているのである。

国が弱体化すると鬼神が乱れる

これは家でもそうであり国でも同じである。弱体化した国がどうっないるのか?
それは世界の大国からでも強国からでも内部からでも食い荒らされるのである。
鬼神が跋扈して乱れに乱れるのである。
弱者化することはそれだけ怖いことなのである。それは国にもあてはまるのである。
国が弱体化するというとき軍備力のことではない,国自体が内部から乱れることなのである。

だから明治維新の大改革,戦後焼け野原からの復興,そして今度は戦後70年で日本は大改革が迫られている,だからどうしても右寄りになるし右に同調する時代である。
アメリカ一辺倒時代から離れるには精神的にもそうなるからだ
日本はアメリカ一辺倒であり精神さえもそうなっていた
日本独自の道を進めなかったのである。だから日本独自の道を鼓舞するとき右寄りになる
日本精神を復古させることが維新になる,明治維新に the Meiji Restoration という「回復」と英訳されている,維新というのはすべてアメリカ流にすることではなかった
古来からある日本精神の復古の意味があった
だからそういう日本精神の復古とともにあらゆるものの改革が制度でも望まれているのである。それは戦後の焼け野原となった時代や明治維新の時と同じなのである。
もし日本が改革できなかったら衰退して三流国になり中国とか今度は他の国の隷属国家となる,そういう大変革が望まれている時代だとなる
ではそれを担うのは誰かとなると今の若い人だといときそれだけの気概とエネルギーがあるのかとなるとそうは見れない,そういう自覚もない,ただ本当にそういう危機が目に見えるとき北朝鮮からのミサイルが本当に落ちてきて多数の死者が出たりしたら目覚めるかもしれない,日本は本当に危機を体験しない限り目覚めないからである。

それでもなぜこれだけの原発事故の被害があったのに原発がとめられないのか?
それだけの危機を体験したのに日本国民は原発を止められないのか?
それはすでに原子力文明となっているからなのか?
つまり今の文明に核は兵器としても必要であり核なしでは国が成り立たないということがあるからやめられない,それは滅びに通じている
人類自体が核を捨てられない,そのことが人類滅亡になってゆく

男女平等の履き違いもやはりそれは単に男女の問題だけではない社会全体の問題として生れているのである。国家の問題としても生れているのである。
確かにだから国家としての存立こそ優先されるべきだという「心に青雲」の都築詠一氏のような思想傾向が強くなる,死んだけどやはりそういう人の思想の影響は大きくなる
それは戦後否定されてきたことである。国家とは悪いものだと敗戦の結果否定されてきたからである。それも北朝鮮から実際にミサイルが飛んでくるとなると見直さざるをえないのである。
posted by 老鶯 at 09:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2017年09月16日

南相馬市の萱浜はカイハマでありアイヌ語地名か? (真野の萱原の歌は萱浜(カイハマ)のことか?


南相馬市の萱浜はカイハマでありアイヌ語地名か?

(真野の萱原の歌は萱浜(カイハマ)のことか?

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●東北地名に残るアイヌ語地名

アイヌとエミシの先祖は、後期旧石器時代あるいは縄文時代において、かなり近縁な種類の人々であったと思っています。

そして、同じ「蝦夷」でも中世以降の北海道人は「エミシ」ではなく「エゾ」であり、「エゾ」の子孫はアイヌだと思います。「エミシ」と「エゾ」は違います。


 この本では、東北地方でドングリの総称を「シダミ」と呼んできたと記している。そう言えば、岩手や青森には「豆シトギ」という餅状のお菓子がある。大豆を素材とする甘味としては宮城・山形の「ずんだ」よりも洗練されているとの評価もあるが、この「シトギ」は「シダミ」と語感が似ているが何か関連があるのだろうか?

 アイヌ料理にも「シトギ」という餅料理があるが、こちらは、大和語の借用と言われている。



アイヌ語のオタ(砂)オル(多い)からタルに変化して「垂る」の字をあて「垂れ」とよみかえたものか。

- 比内
φ 佐比内。比の沢
A 小比内
圃火沢
φ 猿飛来
. 檎(ひ) (沢) (内)
. 檎(ひ)の沢
。檎(ひのき)(沢)
{F 槍木(ひのき) (内)
~ (沢)

福島県以南の分布は以北との聞に断絶があるようでもあり,あるいは北関東にまたがる分布は文字通りの「ひのき」の意かもしれ
ない。しかし・南の分布も「沢」地名であり,文字の構成も北の分布と共通している。

これがアイヌ語地名に由来している,秋田県と青森県に多い,檜(ひのき)は木のことではない,檜枝岐(ひのえまた)もそうである。


●南相馬市のアイヌ語地名?

最近江垂について書いた,江垂(えたり)はタルがアイヌ語のオタ(砂浜)がなまったものだという指摘,それはその地形からしてあっている
江垂は海に面して砂浜のあったところだとなる
それは津浪で六号線の江垂りまで来ていたから具体的にわかった
そして桜田山の下に縄文人の遺跡がありそこから魚の骨や鹿の骨などが発見された
つまりちょうどその江垂から砂浜になった奥でありそこに住居があったとなる
位置的にあっているからだ

shidokeeee1111.JPG

そして原町の海岸に雫(しどけ)とある,これはシダミでありそれがシドキとなった,アイヌ語から来ている,それは食料だったのである。
東北地方にはアイヌ語が地名として残されているというとき蝦夷とはアイヌなのかとなるそれは学問的にもわからないのである。
わかっていることは漁労とか狩猟とか採集であ生活形態が同じなのである。
それは縄文人もそうである。つまり人間を分類する場合人種ではなく生活形態で分ける
羊を飼う遊牧民と農耕民でもそうである。それは人種より差が大きいのである。
だから遊牧民と農耕民は互いに理解できなものとなり争いとなる
それが万里長城を作ったのである。

だから日本でも蝦夷とかアイヌとかあれば稲作をする,米を食べる人達との生活形態の相違で区別されていたのである。蝦夷とはアイヌのように漁労,狩猟,採集を生業としている人達のことである。
だから同じ日本民族と同化させようとしたとき稲作を普及させたのである。
だから原町に雫(しどけ)とあるときそれは採集を生業とするからそういう地名となったのかとなる。
蝦夷(エミシ:エソ)は海岸を中心に生活していたからエのつく地名が多いとなる
海老でも(エヒ)でありエは海の意味だとなるからだ
そういう地名はだから一番古い,縄文時代にも通じる地名だともなる

●真野の草原(かやはら)と萱浜(カイハマ)の謎

この謎は深い,北海道は北加伊道が北海道となった,加伊はそこに育ったものとか住んでいるものとかなる,カイとはアイヌ語でありアイヌの人達はカイとも呼ばれていたのである。
原町の萱浜(かやはま)は前はカイハマだった,そのカイは甲斐の国にこじつけられて地名伝説が生れた,その地名伝説はたいがいあとから来た人がこじつけてつくられたものなのである。
カイとはアイヌ語なのである,そしてなぜカイがカヤとなったのか?
それはやはりなまったからだとなる

そして真野の草原という万葉集の歌は草原という地名が真野郷にはない,これが最大の謎だった,でもカイが萱浜(かやはま)になったように草原(カヤハラ)も同じだとなると
そもそもこの辺にカイというアイヌの人達が住んでいたのかともなる

説としては

●カヤはカイでありアイヌ語である(有力)

●草原(かやはら)-萱が繁っていた

●伽耶(かや)国に由来している

●ツノガノアラシト系の渡来人の系統に由来する

まず草原(かやはら)というとき真野郷内に地名がないということが最大の謎であった
でも真野郷の隣にカイ浜があり萱浜(カヤハマ)になっている
それは近辺に雫(しどけ)でもアイヌ語系統の地名がある,とするとすぐ隣のだから真野の草原(かやはら)とは広い地域としてあり萱浜(カイハマ)も入っていたとなる
そう解釈すると地名が確かにあり説得力がでてくる
ただ石巻には真野という地名がありその中に萱原(カヤハラ)があり一致している
致命的には一致している,ただ発掘物とか最近の研究ではどうしてもこの辺が真野の草原の地域だとされる,石巻の真野の萱原だとすると遠すぎるのである。
ヤマトから進出した人たらは渡来系のツノガノアラシト系などは末続とか小高の角部内(つのべない)とかありこのナイは小さな川の意味があるからツノベとナイというもともとあったナイとアイヌ語の川という地名が合体したのかもしれない

このツノガノアラシト系に津神社(つのみや)神社が海岸線に多い,これはツノミヤでありツノガノアラシト系の神社だった,それは青森の津軽(ツガル)もツノガノアラシト系であり青森と交流も福島県であった
そしてアイヌ語圏は北海道から東北地方にありその境目がこの辺だった
つまり真野の草原(かやはら)の地点だったのである。
ヤマトの勢力圏に入るのとアイヌ語圏との境目が真野の草原(かやはら)の地点だったのである。
海老が車輪梅の南限の地としてあった,それは自然境界であり歴史的境界ともなり一致していたのである。そういうことは自然境界と歴史的境界が一致することがある
ライン川はローマ帝国とゲルマン民族を分ける境界であり自然的境界であり歴史的境界となっていたのともにている

そして確かに伽耶国というのはなじみがない,でも笠女郎(かさのいらつめ)は前にも考察したけど吉備の出身でありそこは伽耶国と深い因縁があり歴史的にもその証拠がの残されているのである。
笠というのは笠とはなんの関係もなく加佐という韓国の地名だったのである。
笠と名のつくのは韓国系統の名なのである。
埼玉の稲荷山鉄剣に記されていた名に加差披余(かさはよ)がいる,これは笠になった,笠原氏なのである。それは明らかに吉備の国の笠に通じて真野の草原の万葉集の歌を残した笠女朗に通じている,笠女朗は笠系統の人でありそれは渡来人系統にもつながる女性だったのである。何か遊行女婦(うかれめ)のうような女性ではない
古代にあれだけの歌をそういう女性が残せるわけがないのである。
相当に教養がないと残せな歌だったからである。
なぜ古代に渡来人がこんなに関係していたのかとなると産鉄族として鉄を作る技術集団だったからである。だから一方でカヤは鉄と関係していたともされる
海岸沿いに砂鉄があり鉄作りしていたことは遺跡からも明確であるからだ。
そして笠女朗というのは吉備の出身でありここは伽耶国の人が移住した地域であり吉備は真金吹く・・・の歌で有名なように鉄の生産が盛んな所だったのである。
そして吉備は会津とも深い関係があったから福島県全体に深い関係があった

ただこの四つの説でどれが有力かとなるとなかなか判定しにくい,伽耶国といってもこれまた何かまだ証明するにはむずかしい,有力となるのはやはりこの辺一体にアイヌ語地名が残されているというときやはりアイヌ語のカイが有力になる
つまりこの辺全体の地名からその共通性があるからだ
ただ問題は真野郷からはずれているがすぐ隣なのだから辻褄はあうのである。
そこは桜井古墳もあり泉官衙(かんが)跡泉廃寺跡もあり真野郷として一体であったのかもしれない

いづれにしろアイヌ語だとするとそれは今北海道にいるアイヌのことかとなるとこれも研究者の間では明確にされない,今いるアイヌとは別だとされている
その謎は解明されていないのである。

posted by 老鶯 at 10:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

いい自転車に乗っている人がいた (駅はいろいろ人がきて休んだりする場所でもある)


いい自転車に乗っている人がいた

(駅はいろいろ人がきて休んだりする場所でもある)


「これは外国製だな」
「フランス制か」
「自転車はヨーロッパがいいですよ,本場ですから」
「でもシマノはやはりこのロードにも使われているな」
「シマノはたいだい使われている」
「自分もドイツ製の折り畳み自転車買ったけど
これどこで買ったの?」
「相馬市だよ」
「どこの店?」
「相馬市に外国製の自転車買える所あるんだ,原町に佐藤自転車屋あるけど,あそこでは外国製の自転車売っているよ,いつも試乗して買ってくると言っていた」


あのロードはいくらくらいしているのか?値段は言わなかったが30万以上しているかもしれない,相馬市でも高いロードに乗る人がいる,この前きたのは仙台からかもしれん,
自転車はまず高い自転車は確実にいいのである。それは間違いないのである。
いい材料も使っているからそうなる。高いものを買って損することはないのである。
自分も25万でヤマハの電動自転車のロードを買ったがいいものであり損したとは思わないのである。
その人は電車できたのではなく駅に休むために来たらしい
駅は何か街の中心でありランドマークとしてくる人がいる
そういう機能がある,ここには道の駅はないからだ

あといたのは病気になっているとか生活保護受けている老人だった
前も事業に失敗した人も病気で生活保護だったらしい,何か外から来る人はそういう人が多い,落ちこぼれた人が多い,
第一履歴書も書かなくても働けるのはこうした建築関係とか除染でもそうだがそういう人である。

もう一人はいわきナンバーの人であり双葉とか大熊とか浪江辺りの人である。
原町から待っている人が来た,車で乗って去った
いわきナンバーの人達も相当来ているのがこの辺である。

ともかく駅は警察に通報されたり嫌な目にあったがいろいろな人の出入りがある場所なのである。
今まで駅は電車に乗るだけの場所だとして利用していたのである。
駅で話したことないのである。
ふらっとちょっと寄ってもいろいろな人がいるのである。
相馬市から来る人が結構いた,厚生病院に相馬市から来た女性もいた,それはなぜか?
この女性もなんらかの関係で相馬市にいても鹿島の病院に来る必要があった
この人もやはり大熊や双葉や浪江などから移住してきた人なのである。
そううい人がこの辺では多いから当然いても不思議ではないのである。

今日は駅内に原町の駅員が来てビラ張りをしていた。駅は人の出入りが多いか宣伝の場にもなる,あれは結構目立つだろう,インターネットだと宣伝してもなかなかわかりにくいのである。使わない人もいるから宣伝効果があるとも言えない

ともかく駅は電車に乗るだけではないその他に人が集まる休む場にもなっている
毎日ジュースを飲みに来る老人がいる,あの人は毎日何もしない,何か生き生きしていない,人間は目を見るとそれがわかるみたいだ,何もしないと生きがいがないと目が死んでくる,とろんとしている
自分の家族で認知症になったのも退職してから生きがいをあるものを見いださずなまけるばかりだっからである。それが実際は老後で怖いことのなのである。
だんだん心も死んだような状態になり認知症になる度合いが強くなるから怖いのである。これは明らかに高齢化社会の大きなテーマとなっている
その準備は退職してからでは遅い,老人になったからといってすぐに何かできるわけではない,今まで積み重ねたことしかできないからだ
パソコンだって自分ができるのは今まで20年とかしているからである。
でも実際はパソコンのことは良くまだわからないしめんどうなのである。
自分は機械が苦手だからである。

ともかくふらっと駅によりそこに誰かがいて話したりするのは気張らしである。
社会にはそうした場所も必要なのである。小さな街だってどういう人が住んでいるのかもわからない,それが多少でもわかるし外からの人も来て生の情報を得ることもある
実際原町でも相馬市でもわからないことが多いからだ
外国製の自転車を売っている所があるというのもわからなかったからである。
近くでも意外とわからないことが多いのである。

病気とブログと私 (心に青雲の都築氏の病気との戦いそして死)


病気とブログと私

(心に青雲の都築氏の病気との戦いそして死)

//kokoroniseiun.seesaa.net:80/archives/201112-1.html

ここに都築氏の病気の姿勢が書いてあった。


私は平成14(2002)年11月に腎不全で入院し、人工透析を受けなければ死ぬと言われて、とうとう障害者の仲間入りをしてしまった。

なにも社会に恩返しもせず、ただボケ老人となって週3回、病院のベッドに寝そべってカネをかけてもらうというのはみっともない。なかには完全にボケ、植物化しているのに、家族の「生きているだけでも…」というわがまま、もしくは生きていさえすれば年金をもらえることを狙いに、意味のない透析をさせられている者もいる。

返す刀でというか、私はブログでしきりに弱者の甘えを叱った。不妊症の女性が人工授精に走ることや、鬱病、ボケ老人、被災地の避難所で昼寝している怠け者などを叱った。
 それに対して、お前は健常者だから他人の痛みがわからないのだと、猛烈な罵倒を浴びることとなった。

 私だって障害者なんだ、弱者なんだとは言わなかった。



この姿勢には感心する,人間はどんな人でも病気には弱いのである。
自分も自分の病気と介護で苦しんだことをプログに書いた
都築氏からはそうした苦しみが伝わってこない,プログを読む限りそういう弱さを感じない,吐露していない,だから何か病気なのかと読んでいた
ただプログからだけではその人のことはわかりにくい

そもそも人工透析でそんなに生きられるのかということが理解できない
2002年からはじまり2017で死んだとかなる
30年も透析していた人もいるから驚きである。
要するに他人の病気というのも理解しにくいのである。
自分の病気なども何の理解もされなかった,ただその病気をいいことに責められたたげなのである。
人間は他人の苦しみを理解することはむずかしい

都築氏の感心するのは死ぬ直前までそういう病気の苦しさをプログではみせなかった
そして体の調子が悪いと書き込みがなくなって一カ月くらいで死んだのである。
寝たきりになり介護状態にもなっていない,死ぬ直前までプログに書くことに情熱を注いでいたのである。
それは意味あることだった,透析で金を使わせてもらい生かしてもらっているからという負い目がありそれで何か社会に役立つことをしてたいとそうしていたのである。

だから他人の介護と老いとか病気に厳しいから批判があった
自分が病気になのにそういう人達に同情しなかったからである。
現実に最後まで強気だったしそういう同情も要求していない,俺はこうして病気で苦しみながらプログを書いているんだよとか同情をかうようなことをしていないのである。
自分などは延々と書いていたのである。別にそれで同情されたこともないけどそうだった

死んでから思うのはそういうふうに苦しいものとして読んでいなかった
今思うと必死になって書いていたのかとなりそのことで書いたことの重みが残った
もっと日本文化面でも展開することがあった,それだけの多様なことに造詣が深かった
日本文化を追及しているのでそのことに共感していた

なぜこういうことがプログで起きたのか?
それはインターネットはプログは生放送なのである。
本とはできあっがものであり性質が違っているのである。
刻々自分の生きている,感じていることを書いているのである。
だからそうして日々書いていることは日々生きていることを伝えていたのである。
それが突然中止となったとき死んでいたのである。
本だったら有名な人でも日々は出していない,一年に一回とかだろう。
本は一冊で完成されたものとして書いてあるし死んでもそのように読んでいる

プログは毎日書いている,それは本とは違って日々の生きているその人の鼓動が伝わるようなものになっている
ただそうして他人のプログを毎日読んでいるのはわずかである。
自分は三人しか毎日読んでいない,第一それだけのものを書ける人はプログを書く人ではまれである。
だから熱心にアジ演説をしていた人が急に倒れて死んだという感じになったのである。
だから今でも死んだように思えないのである

ただインターネットは今までとは違いそういう人もでてくる。軽いメデアとも違い命をかけて書いている人もいるということに気づいた
それは日々の生放送なのである。
ただ都築氏の場合,他だったら癌のことをプログに書いているがそれは苦しみを書く,そういう病気のことはほとんど書いていない,文章からそういうものが全然感じられなかったのである。
だから死んでみてそこが一番不思議だった,自分は直接つきあいがないからわからないこともあった
でもプログを読んでいた人がみんなつきあいがあるわけではない,ただプログからしかその人のことはわからないのである。

だから都築氏のインターネット上でのプログで書き続けた死というのは今までにはありえない死だったともなる
今までインターネットは架空のことだとか重いものと感じていない人が多かった
今や命をかけて書いている人もいるという時代にもなったのかとなる
日々の生放送として伝えることができるということが今までのメデアと違っている
ただインターネット上でプログを書きつづけて死んだということが今でも何かその意味がのみこめないのである。

2017年09月17日

死から偲ぶ俳句と短歌 (心に青雲の都築詠一氏を偲びて・・・) 死から偲ぶ俳句と短歌 (心に青雲の都築詠一氏を偲びて・・・)


死から偲ぶ俳句と短歌

(心に青雲の都築詠一氏を偲びて・・・)



空に伸ぶ竹や秋風にそよぎゆる

ふるさとや夕日のさして実りかな

虫の音の今日は聞こえず夜のふけぬ



「 空蝉の すがれる庵の はしらかな 」 川端茅舎


壮年のわがうつしみは若やぎつついつよりそ死を育みいしは

刻(とき)はいま黄金(きん)の重みよ惜しむべきかな妻に子にしたたりて

上田三四二


「心に青雲」のプログの著者の都築詠一氏の死は衝撃だった,直接かかわったわけでもないし相手自分に関心は全然なかった,ただもしかしたら一〇年くらいも毎日読んでいたのかとなる,とするとその影響はやはり知らず受けていたことになる
相当に人間としても文学関係でも造詣が深くハイレベルの人だった
だから近づきがたいとなる,陰謀論になると特にそうだった

インターネットは何かレベルが低いということがあるし言葉の遊びとか匿名でいい加減なものが多いとか無責任でその場限りの発言で終わるとかある
だから言葉の重みが伝わらないし発言する責任も薄い
誰でも発言できるのだがそれだけ大衆化して低レベルにもなっている

ただではマスコミとかその他が高レベルかとなるとそうでもなくなっている
芥川賞などは出版社が売るために企画されているから低レベルになった
ただ本になるとやはりレベルが一定の高さにあるとみる
都築詠一が死んでも空手関係では暴言を今も吐いている
その人たちは空手には通じていても文学関係など何も知らないとなるからだ

ともかく何か文学関係などは俳句とか短歌でも低レベルなのである。
ただ歴史関係,古代史などは密度が相当に濃いから参考になった
その他で参考にするものが少ない感じがする

俳句とか短歌は短いから鑑賞する方が相当によみこまないと鑑賞できない
その人の鑑賞の仕方によって価値が生れる文学だと思う
読みを深くするというとき死というのは人間にとって最大の変化である。
その死からみるとき物事でも俳句や短歌でも平凡なものでも平凡なものでなくなるのだ。

都築詠一氏が死んでそのことを感じたのである。

空に伸ぶ竹や秋風にそよぎゆる

これは今までなら単なるそれだけの俳句とかなる,でもこれを都築氏の死から読むと「心に青雲」はそうしてまっすぐな竹が空に伸びるという感覚になる
そういうものが文章から感じられた

ふるさとや夕日のさして実りかな

都築氏は人工透析をはじめてからプログをかきはじめた,二〇〇二年でありそして二〇一七年に死んだ,それも長いなと感じた,透析もやはり闘病だったのだろう。
ただ闘病しているという感覚はプログにはなかった
それはすでに晩年のことであり遅かったとなる,現代は長生きだから実りとなるのはそうして遅くなる傾向がある
実りに夕日がさしているというのも自分と重ねて見ているのである。

虫の音の今日は聞こえず夜のふけぬ

虫が今は盛んに鳴いているけど今日は聞こえなかったなというときプログをあんなに盛んに書いていたのに中断してしまい死んでしまったとなる
それはやはり一人の人間の死から感じたものである。

「 空蝉の すがれる庵の はしらかな 」 川端茅舎

この俳句はたまたまインターネットで発見したが深い俳句だなと思った

空蝉(うつせみ)は蝉の殻でありそれが柱にすがっている,それがなんとも不思議である。それは一つの命を象徴して人間と重ね合わせる

例えば柱というとき一家の柱とかいう,空蝉はその柱にすがり死んでいたのである。
柱は残っているのである。
俳句は短いから相当に読みを深くしないと鑑賞できないのである。
死から人間でも事物でもなんでも見ると深いものになる

壮年のわがうつしみは若やぎつついつよりそ死を育みいしは

上田三四二

この人は四〇代で死んだからしきりに死と病気のことを語っていた

壮年になってわかやぐ老人になって若やぐということもある
都築氏のプログの発言にはそうした若やぎがあった,ただ死はその時育まれていたとなる透析が長いからそういう死を身近に感じていたかもしれない,ただ死は急激だったと外からは見る,とても病人が発言しているようには見えなかったからである。
病気だと延々とその苦しみを書くプログが多いだろう。
そういうのがないから死ぬとは思えなかったのである。

死を意識するとき時間は貴重になる,その時やはり重い言葉となり深いものができる
啄木などでも死が迫ったときあれだけのものを書いたということでもわかる
死がなかったら人間の生は何か緩慢なものとなってしまうだろう。
死が人間に緊張をもたらしているのである。

刻(とき)はいま黄金(きん)の重みよ惜しむべきかな妻に子にしたたりて

刻(とき)はいま黄金(きん)の重みよ惜しむべきかなプログにしたたりて

こんなふうになっていたのかもしれない,ただ読んでいる人はそんな重いものとして意識していない,でも死んでみてそれを意識したのである。
死というのは人間に重さを与えるのである。

都築氏は文学にも通じていた,ただ「風雅和歌集」などを評価して写生をリアリティあるとしていたので写生についてもっと書いてもらえばよかった
ただ写生俳句の元祖の正岡子規などを評価しなかった
それだけの時間がなかったともなる,それが惜しいなと思った
十分な評論の展開ができなかったのが惜しいとなる

いづれにしろインターネットではまだレベルが低いし大衆化している,マスコミも大衆化して視聴率をかせぐ,それをまねたのがyoutubeだとなる
テレビも大衆向きに作るし硬いものは視聴率がとれないから出さない
結局なんでもこの世の中低レベル化して俗化する,カルト宗教団体でも大衆化して低レベル化して俗化する,それがこの世だからどうにもならないともなる

ただ今回の「心に青雲」の都築氏の死は高邁なものを追及して死んだので違っていた
インターネット上でもこういうことが起きたということで衝撃を受けたのである。

秋の夜の大河(big river at autumn night)


秋の夜の大河(big river at autumn night)  

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big shokking waves

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大河の対岸に家の灯がともる
月の明かるく星はきらめく
その岸は遠く大河のはばむ
そして秋の夜はふけゆく

on the opposite side of the big river 
a few houses lighted on in the distance
clear moon and strary sky
the deepening gloom at autum night

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moonlight

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railway at night
タグ:大河 big river

2017年09月18日

原町の道の駅で山口県の人と会う (自転車で日本一周四〇日目)


原町の道の駅で山口県の人と会う

(自転車で日本一周四〇日目)


原町の道の駅では自転車旅行している人と会う,その人は学生であり日本一周四〇日目だという,これから帰るが四国の方にもよるからまた三〇日くらいかかるとか言っていた。自分も30日くらい自転車で旅したらくらくらしてきた。
これから飯館の方に行くと行ったが坂を上るのが大変である。
その坂は予想もしないような坂がある,それが自転車旅行では怖いのである。
若い人はまだそうういことができる,でも若い人でもみんなが日本一周しているとは限らないのである。それがどのくらいの冒険になるのかわからないがそれなりの冒険にはなる
その学生が山口の宇部だというとき山口県というときまず萩とかをみる,そこから明治維新が起きたからである。
そして下関からは韓国への船がでている,自分も行ったことがある。
その時ははじめてで滋賀県の大津の人に助けてもらったのである。
そのお礼も言わないままになっていた。

山口県をみるときつくづくそれもわかりにくいのである。
萩は日本海の方であり何か繁華な所には見えなかった
ただ山口県は長州だがなぜそこから明治維新が起きたのか?
それはやはり地の利だったのである。

下関から韓国への船が出ているようにそもそも韓国も外国であり外国が身近なのである。九州でも古代から密接な関係が韓国とあった
それが東北辺りの地理感覚とは相当に違っているのである。
会津と比べればわかる,歴史はだから地理が基になっているのだ

なぜ薩摩と長州が手を組んだのか?
それもなぜ高知から出た坂本竜馬によって薩長同盟ができたのか?
それも地理からみればわかりやすい
薩摩も中国とかの貿易があり外国が身近なのである。
長崎も出島があり鎖国していても外国に開いていたのである。

外国がそれだけみじかになるときいち早く時代を感じた
それは江戸幕府があった江戸や会津よりもその外国が身近だったのである。
歴史が地理が基だというとき地理がわからないと見当はずれの見方をするのである。
そしてなぜ坂本竜馬が薩長同盟の担い手になったのか?
それも四国の高知だということでわかる
薩摩があり長州がありそれを結ぶものとして四国があったとなる

四国がそういう位置にありそこから担い手の人物が生れたとなる
地理と密接に結びついて人物も生れているのである。
だから地理がわからないと歴史もわからないのである。
だから自分は外部の人と駅でも道の駅で話するときそこがどういう場所なのか
全国を行っているから考える

では山口県というときこの山口県全体を知ることはむずかしい
それは福島県全体を知るのがむずかしいと同じなのである。
宇部というと何かなじみがないからである。
でもそうして全国の人とあって話するとき自分は全国に実際にその土地を踏んでいるので旅したことを思い出してイメージするのである。
一回も行っていなかったらイメージもできないのである。
山口県の像をイメージできないのである。

原町の道の駅は車でとまる人も多い,あそこに自転車旅行でテントを張る人もいる
道の駅は外部の人のたまり場になっている,特に原町の道の駅は便利なのである。
スーパーも近いしホテルの湯も入れるよと言った
その学生は入ることはなかった

原町の道の駅で案内のボランティアをするのもいい,あそこでは自転車旅行の人と会うからである。そういう人とは話しやすいとなる
ただ学生が多いからあまり相手から話は聞けない
ただ山口県の宇部から来たというだけで宇部はどこなのだろう,何なのだろうと考える
地理からまずイメージするのである。

原町の道の駅は外部から来る人が多いから鹿島の駅より話できるということはあるかもしれない。そこで道案内のボランティアをする
あそこではあやしいと通報されることはないかもしれない
いろいろな人が出入りするところではかえってそういうことがないのである。
あまり人が出入りしない本当の田舎になると変わったことをすると目立つのである。
ただ原町の道の駅が近いとしてもそんなには行けないから困るとなる

原町でいいのはマルマツとか簡単に食事する所があることなのである。
食事を用意するのが一人だとめんどうになるからだ
あそこでは納豆定食など安いものも出しているからである。
一人暮らしはある程度,都会の方がしやすいことがある
食事関係ではそうである。鹿島にはマルマツとか外食する所が少なすぎるのである。
二三軒しかないからである。

ともかく一人で家にいると誰かとしゃべりたくなる,それで駅で気晴らしに話したりしていた,道の駅でも原町辺りは外から来る人が多いから話できるということはある。
ただ自転車旅行の人などは話やすいが車の人となると別である。
車の人は車の中にいるからわからないのである。
車は開かれた場ではなく閉鎖された空間なのである。
車は外部との交流も遮断している感覚になるのである。

だからテントを張ったときそこに止まっている車に人がいたことがわからなかったのである。だから旅では車の人との交流はあまりないとなる
ただ別に自分は旅してそんなに話したりはしなかった
それはなぜかというと疲れて話する気にもなれないということもあった
自転車旅行はぐったりと疲れるからである。

話するにもやはり余裕がないとできないのである。
地元にいるからこっちは疲れていないから話ができる,相手は疲れているのだから話たくないということもある,駅のような所は別に相手も疲れていないのである。
駅で休む人は車で来たりしている人だから疲れないないから話しやすいとはなる。
ただ道の駅に車を止めている人は疲れてはいない,だから話はできるがしにくいとなる
ともかく駅でも道の駅でも外部との接点になる場である
そういう場所は自分にとって見聞を広める場だともなる
内部だと同じような話になるが外部だと広い世界の話になるから面白いとなる

2017年09月19日

文明は滅び生態系は残る (原子力文明は生態系を破壊し滅びる)


文明は滅び生態系は残る

(原子力文明は生態系を破壊し滅びる)


文明とは何かというとき様々な見方がある。だからいちがいには言えない,でも幾多の地球上の文明は滅びたのである。

文明を作ったものは人間である

生態系を作ったものは神である

文明の象徴としてエジプトのピラミッドなどがある。エジプト文明は三〇〇〇年つづいたというから寿命が長かった,その寿命が長いのはもともとエジプト文明はナイルの賜物というとき生態系に依存して作られていたからである。
その生態系を壊さないように作られた文明なのである。
だから今になると様々な動物が神になっているのはそれは生態系の中でこそ動物は生きられる,生態系が破壊されたら動物は生きられないのである。
農業は生態系に依存している,そしてこの辺で鷺が一時いなくなった
それは田んぼがなくなったからである。田んぼには鷺の餌となる蛙とかがいたからであるその田んぼが回復したとき蛙も増えて鷺も増えたのである。
そして元のように川の竹藪の所に鷺の塒ができてコロニーが回復したのである。
飯館村では田んぼもないから蛙もいてもわずかだし鷺もいないとなる

生態系があって生物は生きられる,人間もその生物の一種だから生きられる,ただ現代はその生態系が文明の系統になっている
東京など大都会には田んぼもないし土も見ることもできない,だから生態系とは関係なく存在しているように見える
時々ダムの水が渇水状態になったとき水がなくなるということで生態系に依存しているということを意識する,でもなかなか大都会では生態系を意識するということができない
でも上流の水がやはり放射能で汚染されたとき生態系が汚染されたということを東京でも意識したのである。

生態系が破壊されたら文明も滅びる,なぜなら文明は人間の知恵で作ったものであり生態系は神の知恵で作ったものだからである。
人間は絶対に神の知恵を越えることはできないのである。
たからこそ人間の知恵で作った文明は滅びるのである
不思議なのはマヤ文明でもピラミッドに神殿が森に埋もれてしまった
同じように原子力文明も森に埋もれるというのもにている

チェルノブエリでは森が復活してヘラジカがもどりそれを餌とする狼がもどってきたのである。田んぼが復活して蛙が増えて鷺がもどってきたのとにている
ただ放射能汚染で怖いのは遺伝子が損傷すると次の代からさらに次の代まで影響するとも言われる,それはどうなるかはわからない未知のものとしてある。
原子力,核の恐ろしさは生物の種を絶えさせるとかなることにある
もうそうなるとその土地には人は生きていけないのである。

文明とは何か?それは人間の知恵で作ったものであり人間が神のごとくなることである。
神のごとくなるとはどういうことか?原子力文明では科学者が神のごとくなることである
マヤ文明ではやはりテクノクラートが天文学の高度な知識をもったものが支配階級になっていたのである。
文明が崩壊するとは滅びるということはどういうなのか?
マヤ文明は何か最後はカルト宗教のようになり迷信的になり滅びた
それはそこに知の限界が生じたからである。
原子力でも人間では操作できない,知の限界が生じたのである。
人間の知恵で作ったものが崩壊して滅びるということである。
ただ生態系に依存した文明は農業文明は長寿になる
でもその上に築かれた文明は崩壊して滅びているのだ

そして資本主義は農業に関しては土地に関してはなじまない通用しない,物を効率的に製造するようにはいかないというとき農業は生態系に属しているからである。
生態系を離れてありえないのである。資本主義は土地の生産性をあげようとしても生態系に依存しているからできない,二十日大根があるとすると大根を早く作ろうとしてもできない,それは土という生態系に依存しているからである。
資本主義もまた反生態系であり資本主義が生態系の環境を破壊するというのもそのためである。経済をすべてとする原理は生態系とは相いれないのである。

原発事故は原子力文明の崩壊現象が起きたのである。
なぜなら原発を支えてきたのは科学者であり政治家であり官僚でありマスコミであり今の支配体制を作るものが一挙に崩壊したからである。
その誇りも砕かれたからである。
それられの人達は国家を形成するものたちでもあったからだ
だから国家自体の崩壊現象が起きたのである。

つまり必ずしも国家と生態系は今や一致しない,江戸時代あたりの農業社会だったら一致していた。これだけの科学と技術とか大規模な経済をになうとなるともうそれは今までの農業文明などとは桁の違う世界に生きているのだ
この辺では国家権力によって地方の生態系が破壊されたのである。
国家権力が地域を破壊する,地域の生態系を破壊するのである。
それは一種の人間の奢りに対する神からの罰だったともなる
それはギリシャ神話時代から指摘されていたことである。

人間の知恵で作った文明は滅びる

神の知恵で作った生態系は残る

ただ神の知恵で作った生態系も実は完全ではない,弱肉強食の世界は神の御意にかなったものではないから是正されることを聖書では説いている
いかなる文明も砕かれその誇りも砕かれる
これからもそうである。AI文明人工知能文明だろうが何かの原因でつまずき崩壊する
AIといったってそれもしょせん人間の知恵で作ったものだからである。
神でもなんでもないからである。

人間はいくら努力しても理想社会は生れない,人間の知恵では作れないからである。
最終的には神による天国の創出であり神の業による天国の形成である
だから人間の知恵ではできないのである。
いくら文明が発達したといってもただ実際は変化しただけであり人間の心は罪に汚れ変わっていないのである。ただその形が変わっただけであり人間の悪はぬぐいされないのである。機械が発達すればその機械で悪いことをする人がいる
核を発明すれば核を悪いことに使い核戦争になり人類が滅びるとなる
いくら科学技術が発達して人類には平和は来ないのである。
そこに人間の限界がある。その限界の故に必ず文明は滅びてきたしこれからも滅びるのである。
posted by 老鶯 at 08:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

看護のための「命の歴史」の物語を読む (都築氏の相互浸透などの思想の基となった本)


看護のための「命の歴史」の物語を読む

(都築氏の相互浸透などの思想の基となった本)


はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。

神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。

神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。
そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。

「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」。そのようになった。
神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた

地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」。そのようになった。 1:12地は青草と、種類にしたがって種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ木とをはえさせた。



「心に青雲」の都築詠一氏の評論のバックボーンになったものは「看護のための命の歴史」の物語という本にあった,それで早速アマゾンで注文して読んだ
アマゾンの便利なのは自分の関心ある本を読めることである。
だから今になって読む本がまた増えて困っているのである。
安いなら買う,古本だと買いやすい,なかなか全文を読むとなると苦労になる

都築氏が言ってこと相互作用相互浸透とかの言葉はこの本を参考にして生れている
ただなぜこの本が看護と関係あるのかというとわかりにくいだろう
相当に難解になるだろう。
わかりやすいのは母乳が必要だというとき牛乳ではなぜだめなのか?
それは命の歴史にかかわっていたからである。
人間が母乳を飲むということ母乳には人間が生れた地球の歴史とかかわっていた
人間から出る乳と牛から出る乳は違っていたのである。
そういうことは確かに看護と関係していることは確かだかその他のことはわかりにくい

ただ聖書の天地創造と一致していたのは水の重要性だった,聖書でも最初に水があり
地球とは水の惑星だったのである。水はまた生命の源だから水の重要性を聖書で記していることは一致しているのである。
そこにも聖書の不思議があるのだ,なぜ科学が発達しない時代に水の重要性を指摘したかも不思議だとなる
何か水の中で生命が育まれたことをこの本でも書いてあるからだ
水の作用の中で相互作用して相互浸透して生まれのが命だとなる
水の中でこそ命はまずありえたのである。陸地で命が存在することはできなかった
地球創生時代の陸地は非常に危険な場所であり生物がまともに棲めない,まともに光を受けるし暑いし火山の爆発もあり危険な場所だった,水の中は安全だったのである。
放射性物質も水の中にあるとき冷やされ放射線がさえぎられるというとき何かそうして防護の役割を果たしていたのである。

太陽の光に直接さらされることは生命にとって危険だったのである。
それで両生類が水の中でも生きられる陸地でも生きられる,でも陸地で生きるためには危険だから厚い甲羅で皮膚で覆われることになったのである。
紫外線とか光を直接受けることは生物にとって危険だった,今年は自分も熱中症になった恐竜がなぜ陸地で生き延びられなかったのか?
陸地は危険な場所であり水生動物のように水では保護されない,するとまともに光でも何でもその体に受ける,すると陸地では耐えられずに滅びたとなる
だから何か急激な変化,小惑星の衝突とか火山の爆発とかで滅びたというのもそのためだろう。

その時ものすごい熱になりその熱に耐えられないのである。
水生動物だったらそうした熱から守られるからである。
哺乳類が生き延びたというときネズミなどは激しく動き回る,その動き回ることによって生き延びたというのも面白い説だとなる
そして多産であり常に若い新鮮な命が送り出される,その命は激変する陸地でも生き延びたとなる,ネズミが生命連鎖では餌になるからネズミが生き延びることは他の動物も生きることになる
相互作用相互浸透するというとき水がその最たるものなのである。
水の中で命が作れたということは聖書とも一致している

聖書では段階的に水が作られ光が生れ陸が生れ草が生れ動物が生れるとかなる
ここでは混沌から水の作用で生命が誕生して適応してゆく
段階的に考えるのは西欧的科学技術の思考である。
荘子の混沌から生れというのは東洋的思想になるかもしれない。
生命を地球でも分離して分けるというのは分子を分けてまた結合させるというのににているのだ。
この本ではそうではなく相互作用相互浸透の中で生命が生れたとなる

確かに猿と木の関係というのも面白い見方である。木と猿は同時に生れた,木と猿は相互浸透して生れたというのも興味深いとなる
猿と木は一体のものだというとき世界もそうみている
それは東洋的思考なのかもしれない,部分に分解しないからである。
では猿が人間に進化したとか動物が進化したとかの説はありえないのである。
様々なものは神が別な種として創造したのである。
猿から人間が進化したのではない,人間という種は別個のものとして神が創造したのである。
なぜなら神は自分の姿ににせて人間を創った,人間は猿とは全く別物なのである。
そして人間として創造されたのはアダムからでありその前の北京原人とかジャワ原人とかピテカントロプスとかなんとかは人間の亜種であり人間ではないのである。人間を塵から創造してそこに霊を吹き込んだとき人間になったのである。

だから魚から両生類になり動物になり猿になり人間になったという進化論はありえないのである。確かにそういう過程が人間の中にふくまれたとしても人間は猿とは別個の種であり進化して作られたものではないのである。
人間とはみんなアダムの子孫であり進化した猿の子孫ではないのである。
だから魚から両生類へ進化して両生類が鳥になったとか動物になったとかないのである。神がその適した場所に創造したのである。
人間の中にそうした進化の過程がふくまれていたとしても人間は別個の種であり進化してできたものではないのである。

これは別に異論はあるが進化論はまた唯物論とも通じているのである。
都築氏は神を信じていない唯物論者だった,ただそれは宗教があまりもに歴史でもゆがめられたものとなっていたからとういことはある。
今でもイスラム教徒のロヒンギャを仏教徒が惨殺しているというのも信じられないとなる仏教もそんな残酷なことをするのかともなる,他にも虐殺の原因があるにしても仏教徒がそんなことをするのかということにもるな,そういうことが宗教を毛嫌いする原因になっているのだ。

人間は魚から猿に進化したとなると人間は魚の子孫なのかともなる,猿の子孫なのかともなる,そういうことはないのである。
人間は神がアダムを作ったその子孫なのである。神の系統に入るものであり進化した猿の子孫ではないのである。
進化論と唯物論が通じているのかというと要するに生命も生物も物質であり人間も物質であり原子でありやがては消滅するという思想になる
ところが人間は肉体は仮のものであり神が霊を吹きこんだものでありそこが根本的に違っているのだ。
そこに結局進化論とか唯物論とかの限界があり都築氏の限界もあったとなる

ただ批評する価値はある,大きな存在だったとはなる。批評するというときまず対等かそれより上にたつと批評はできない,一段上にたたないと批評はできない,そこに批評のむずかしさがある。だから若いときは批評はできない,ただまねるだけなのである。
それで師でも偶像化したりいろいろな論があるときただそれをまねるだけになるのであるともかく批評精神をつちかわないと結局カルト宗教団体とか権力集団組織にとりこまれて自主的に考えることもなにもできなくなるのである。
だから右で左でも何かの団体に所属している人は信じられないのである。
それらは集団で組織で圧力をかけるからである。

その点,都築氏にはなかったから好感をもって読んでいた。相いれない所があってもそういう組織団体に属していないことで自分は評価していたのである。
別に敵でも高邁な敵だったら剣の世界でもおのしやるなとなりかえってそういう手ごわい相手との勝負を望むのである。それは学問とかでもそうなのである。
論敵がありかえってそれで説が磨かれるということもある
世界を見ることは様々な視点があり一つではないからである。
死んでしまったけど都築氏はそういう手ごわい相手であり評論に値する人物だったとなるのである。



ただこの本などは知らない人が多いのではないか?
つくづく本というのはその数に種類に今になり驚くのである。
こんなに本があったというのが驚きなのである。
それがボタン一つで配達されるとなると知の世界が飛躍的に拡大した
自分は本を買うために仙台に行かなければならなかったし本は高いから買いにくいこともあった
でも仙台の本屋でも今になると本当にわずかの本だけだったのである。
それでベストセラーになって百万部売れた本などがあった
冠婚葬祭の本とかである。なぜそんなに売れたのか?

地方の小さな本屋でしか本が買えないとういことがあったからだ
だからそうした本屋ではベストセラーだよと置けば商売になったのである。
あと専門的な本など小さな地方の本屋にはなかった
このハンディキャップは大きかったなと今では思う
古本も膨大であり安く買える,これも知的な世界を追及するには有利である。
何か興味がありそれと関連したものが読めるということがいいのである
だから田舎でも今までのような知識のギャップを感じることがなくなっているのだ
こうなると別に文系などなら東京の大学などに行かなくても学問はできなるとなる