「心に青雲」都築氏の死亡で考えたこと
(実績で決まる死後の評価)
人事は棺を蓋うて定まる
人間の真価は、その人の死後に初めてきまる。棺を蓋(おお)いて事定まる。
人間は評価るのがむずかしい,偉大な人になると評価がむずかしいのは偉大な人を普通の人は理解できないからである。
他に文学とかでもその内容を深く知らなければ評価できない
だから文学作品でも芥川賞などでも出版社の宣伝であり売るために作られているのである出版社では売れないと困るから話題性のあるものを出して売ろうとする
人間は死んだとき確かに評価しやすい,生きている時は偉大な人になると力量が違うから評価しにくいのである。へたに評価するとその評価する人からの反撃をくらう。
だから「心の青雲」の都築氏は評価しにくかったとなる
自分が共感したのはそこに一本筋が通ったものがあり何か貫くものがあったためである
右とか左の思想ではなく人間そのものの魅力である。
第一右と左とか団体化して騒いでいる人たちはマスである。個人はいない
人間はマスとしてみるのではなく個人としての人生をみる
それがどこの団体に属していたかで見ることはできないのである。
そこにはいろいろな人がいて尊敬するような人などいないからである。
「心の青雲」には何かそういう右左関係なく人間的なものを一本筋を通ったものを感じていた,何か強い意志があった
ただ陰謀論は受け入れることができない,この世の中陰謀論で見たらきりがない,陰謀にまた陰謀になり何がなんだかかわからなくなるからだ
ユダヤ人がこの世をすべて支配できるのか?別にキリスト教徒でもユダヤ人が良くならなければ世界が良くならいなとしている,ユダヤ人が特殊な地位にあることは確かなのである。でもユダヤ人が世界を支配する力があるとは思えない
現実に世界をみれば中国が台頭してくればアメリカの力は弱まる
そしたらユダヤ人の力も弱まるとなるからだ
人間は死んで評価ができるというときそもそも人間の評価は何なのかとなる
死んだ人が何を残したのか?何か実績を残さないと評価できないだろう。
「心の青雲」都築氏ではプログに残したものしかない,本も出していないのである。
それが死んだ時,ログが消えている,すると読み直して評価するのもできなくなっているただ毎日読んでいたからその趣旨はわかる
そして実績から考えると年齢は関係ないのかもしれない,若いときすでに天才的な人がいて科学の分野でも実績を残したとすればその人は歴史にも残る
野口英男などがそうだろう,細菌と戦い黄熱病の病原体を発見して51才で死んだけどその実績は評価されて残る
人間は年齢ではない,何かを残したかの実績である,芸術家だったらなぜ啄木などがあれほど評価されているのか27才で死んだのにである。
別に若くして死んでも評価される人はされる,それは何か実績を残したからである。
ただ長く生きればそれだけ文学とか芸術の分野でも実績を残しやすい
でも別に若くしてすでに成熟した理解力をもつ人もいるのである。
だから人間を評価するのは実績であって年齢ではない
馬齢を重ねるとかありいくら長生きしても実績がないものは評価されないのである。
「心の青雲」の都築氏の実績は何なのかとなるプログしかないのである。
そのプログからしかしりえようがないのである。
そのプログが死んだら消えたことが問題なのである。
人間は実績を残すには時間の無駄が多すぎるのである。
「時間は有効に使おうと思えば思うほどたりなくなる」と「日本人の死に時」の著者の久坂部羊氏は言っている
有効に時間を過ごそうとするとそうなる,例えば小説一つでも書こうとする論文を書こうとする絵を描こうとすると時間がたりなくなるのである。
何か作品を仕上げようとするとき時間がたりなくなる
そしてたちまち時間は消失する,それで老人になるとまた病気になったりするともう何もできないということになる
ただ都築氏の場合は17年間透析していたというのも驚きである。
透析しても人間は普通に生きられるという不思議である。何か病気になったら必ず弱気になる,自分もなんか今年は体弱わった,やはり年なのかと感じた
すると先がないんじゃないかと心配する
都築氏の場合なぜあれほど強気でいられたのか?終始そうであり体の調子が悪いとプログの書き込みがなくなって一カ月くらいで死んだのである。
まだまだ文章からは死ぬものとは思えなかったのである。
だらだら介護されて死ぬのではなく簡単に死んだということで本人も生前介護などされたくないと言っていたからそのように死んだのである。
ひっそりと死んでゆきたいというのももっと有名になりたいということもなかった
その死は見習うべきものがある
死といっても生と死は連続したものである。その人の一生が死にも現れる
だからその死はその人の一生を示していたともなる
ただその実績を問うとき十分なものが残せなかった,弁証論も学として師を継承したにとどまり自らの学を打ち立てることができなかった
それより一つの学を打ち立てることは本当にむずかしい
何か断片的なものとしてプログで発言して終わった
ただその断片的なものでも光るものがあったのである。
そういうことで実績を残せず死んだともなる
何を追及したのかというと一日本人として
豊国の 企救(きく)の浜辺の 真砂地(まなごつち)真直(まなお)にしあらば何か嘆かむ
(巻7−1393)
これを追及したのかもしれない,これは日本人的なものの見方である。
神道に通じる心である。直し赤き心などという,ただそれは日本の自然の中でそうあるのでありそれが戦争に結びつくのとはまた違う。
良く人の顔を見て批判していた,あいつの顔はだめだとなりその人を評価しない
それは人間の心が顔に否応なく反映されるからだろう。
それは自分が真直なるものを追及してきたからそうなった
ただ横浜とかに住んだらそういう自然はない,田舎でも真砂地というのは砂浜がなくなっている,そこからして日本人の心も失うとなる
実際に企救の浜辺は小倉であり工業地帯になったときその面影すら偲べないのである。
いづれにしろ数年は毎日プログは読んでいた,文章がわかりやすい,読みやすいということがあった,断片的なものでもその人の人生経験からもれてくるものには訴えるものがある。若い人にはそういうものがない,ともかく人間を評価するのはむずかしい。
偉大になればなるほどそうである。ただ死んだとき評価しやすいのである。
要するに簡単に評価される人間は偉大ではないとういことである。