「心の青雲」都築氏の死亡について
大成せずに死んだ無念が残る?
「少年老いやすく学なりがたし」というのを年取れば誰でも感じる,先がいくらでもあり時間がいくらでもあると若いときは思っているが時間はたちまち消散する
先がなくなってくるのだ,都築氏は弁証学の師匠のことについてほめていた。
それを継承するものとしてあった,でもそれは何かわかりにくいものとして理解されないものだったろう。
そもそもねの師匠のことも知られていない,そしてその師匠を継承するものとしても自らの学を打ち立てることはできなかった
そして死んだとなる,それもプログでだけ発表して死んだというのも現代的である。
今やプログでもインターネットでも高齢者が書いている場合がある。
すると死ぬということがある。だからインターネットでもプログでももう若い人だけのものではない,まるで遺言のようにして書いている人もいる
そうなるとインターネットでもプログでも重いものとなる
インターネットとかプログは出しやすいから一般の人でも書ける
その中にはこうして遺言のようにして書く人もでてくる
これからますますそうなってくる,若い人でも老いてくるからである。
とにかく「心の青雲」のログは消えているのも問題である。死んだ時点でインターネットは消えるのかとなる,そうなるとリンクもたどれない,そのことは指摘されていた
本だったら長く残ることがある,でも本はなかなかだせない人もいる
公表しにくいのである。本屋では売れない本など置かないし危険な思想のものも置かないインターネットではそういうのが自由だから出しやすいのである。
人間は師匠が必要であり尊ぶとしても10年違っても時代が違うと考え方も変わる,世代間のコミニケーションもしずらくなる,普遍的な価値は変わらないにしてもそういうことがあるし師匠でも弟子でも個々人の個性が違っている,だから師があったとしても師の学があったとしもただ継承するだけでは後世に残せるものは成せない
常に師を乗り越えることで新たな知の世界が開ける
それが都築氏にはできなかった,その前に死んだとうことが無念であり残念だっとなる
「心に青雲」の文は読みやすいし受けた,時の人物批評も良かった,なかなか批判できない有名人もしていた,歯に衣を着せぬ言い方である。
空手をしていたので芯が強い,それが文体にも現れていた
そして一カ月前まで発言して体の調子が悪いとしてプログの発言がなくなった
そしたら死んでいたのには驚いた,まだまだ死ぬとは思えなかったからだ
なぜなら一カ月前まで同じような強きの発言をしていたらからである。
コメントしてきた人が
都築さんは裕福で上品で、でも虚弱で、そのことにひどく劣等意識を持っていました。そのことが、「弱い人ほどほど強くなる」という思想の南郷空手に強烈に心酔していった理由です
そういうことがあったのか,それは三島由紀夫ともにていた,文学するような人が文弱と言われるように身体が弱い人がいる
その反動としてあれだけ肉体を鍛えてみせたのは涙ぐましいとさえなっていた
普通に強い人はそんなことをしないからである。
それは自分ともにていた,自分も虚弱でありなんとか強くなりたいと一時は大学の体育系に入ったがつづかなかった
都築氏も何か常にそういう面が確かにあった,懸命に体を鍛えていた,鍛練していた
強くなりたくてそうしていた,そういう一面があり強い人に憧れていたとなる
それは自分ともにている,だからこそ日本兵の強さとかアレキサンダーのような人になりたいとなっていた
それは文章だけからではわからないものだった,あんなに強きだったというのは自分が弱いからこそそうしていたというのも
今になると意外だったとなる
いづれにしろ弁証学も未完に終わったしその他も未完に終わった
そし死んだらリンクも消えることが問題なのである。
過激な思想でありそういうものでもインターネットならだせたのである。
人間はその人が右だと左だとかで判断すべきではない
何か一貫したものがあれば筋が通ったものとなる
実際は右の団体に属している組織に属している人でも左の組織団体に属している人でも転向は普通にある。日本自体が戦争に負けて転向したからそれに納得いかないというのも当然なのである。その転向したことが次の世代にも影響しているからである。
だから自分は右の団体でも左でもカルト宗教団体でも団体組織は信用できないのである。そこに一貫したものはない,時代によっても変わるしそして政党が変わるように変わるのである。社会党が消えたように時代によって消えるのである。
都築氏は極端な右寄りのようでも天皇を批判していた,特に昭和天皇を批判していたのである。たから右でも天皇を批判するのかとなる,そこが他の右よりの人とは違う
ただ日本軍の兵士の強さを称賛していた,その強さが日本人として誇りとしていた
それも左からするとそうはならない,戦争犯罪者になってしまう
その辺は右よりなのである。
ともかく歴史の見方は人によって違う,そして太平洋戦争についての総括はまだ成されないないのである。
それにしてもログが消えたのだから再検討とするのには困る,それは大きなインターネットの問題である。なぜなら遺言のように残したものが消されたとなると書いた人も無念に思うからである。
ただ自分は数年はずーと欠かさず読んでいた,だからそれが頭に残っている
ただまた再検討するにはログを読み返さないといけない,それがないということは再検討できないということにもなる,だからやはり本にして残すということが必要になる
それで自分もその作業をしているのだが書いたものが膨大になるので苦労なのである。
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