2017年08月26日

通報者を信じる正当な理由とは何なのか? (あやしいという通報だけで職務質問できるのか?)


通報者を信じる正当な理由とは何なのか?

あやしいという通報だけで職務質問できるのか?


正当な理由(犯罪に関わっていると疑われる相当な理由)がなければ、そもそも職務質問に応じる義務はない。

なぜ今回の通報が問題だったのか?まず通報した人が悪いことは確かである。
なぜなら駅にいたのだからきいてみる,回りの人に聞いてみる
自転車屋はいつも自分より駅を見ている,駅前で仕事しているからそうなる
だから自分より詳しいのである。
そういう人に聞いてみたりしてもいいのである。
その人は実は駅のことを一番知っていたともなるからだ
何かあやしい人がいたら自転車屋の人は見ているとなる

法律で追及されているのは正当な理由なのかもしれない,自分は理屈好きだからそういうことは関心がある

正当な理由とは何なのか?

あやしいということだけで正当な理由ですぐにかけつけて職務質問できるのか?
何かこういうことであやしいのですというならわかる
警官は何度も言ったのである。
「あやしい」と通報があればなにがなんでも確かめに来なければならないのです
それが匿名でもそうなのです,ただ警察だと電話してきたらその番号がわかり住所でも特定できるし誰かわかるのである。
するとそうしてわかって通報した人を信用して職務質問にかけつけたのかとなる

あやしいというだけですぐにかけつけるのは正当な理由としてあるのか?
実は自分はに与那国島で経験している,木蔭に休んでいるからあやしいと警察に通報され即座に警官がかけつけてきたのである。
その理由が木蔭に休んでいるという理由なのである。
ここでは一応理不尽でも理由があった,でも今回はあやしいというだけで理由がないのである。
全く理由が無くてもあやしいと通報があるとかけつけねばならないのです,そこを知ってもらいたいと何度も言う
正当な理由もなしにただあやしいだけでかけつけねばならないのですと何度も言ったのである。
その理由は聞くことはないのです,そしてまたあやしいと通報があると職務質問に来なければならないのですという
これも理不尽なことである。こんな横暴が通っていいのか?
それは自分だけの問題ではない,他の人もこうして職務質問されることになる
理由などなくてもあやしいと通報されるとすぐにかけつけて職務質問されるのである。


ただ与那国島は小さな島であり閉鎖された世界である。だからよそ者を警戒している
でもその理由は木蔭休んでいるからというのが正当な理由になるのかとなる
ただそこでもその警官は島の人の言い分は聞かなければならないと言っていた。
今回の場合とにているのだ。
ただ今回は自分は地元でありずっと駅でも長くいたのである。
通りすがりの旅人ではない,そこが根本的に違っていたのである。
今日何かあやしいこともしてない,ただ二軍の野球の試合があるので写真をとったりしていた,それであやしいとなるのだろうか?
今はスマホでもなんでも写真とっているからである。

だから外部の人とは思えないのである。市の女性の若い職員が来ていた。
これも何かあまりにも子供っぼいので話しにならなかった
何か市職員は若くまともに話ができない,正式の職員なのかときいたがそうだという,何か違っているかもしれない,臨時とかアルバイトとか雇っているからだ
パークゴルフ場ではそうである。あのような女性は正式の職員にみえなかったのである。市の職員自体が地元のことに熱心だとは限らないのである。
まだ若いからやむをえないにしても何か質が悪い感じに見えたのである。
駅のことを話しても関心などないのである。

今回は外部の人でもない,地元にずっと住んで駅にも冬からいる,その間に問題を起こしていない,誰にも迷惑をかけていない,案内などをつとめ地元の人に教えたりしていた
たから多少は役立っていたのである。認められてもいたのである。
だからなぜ匿名で通報した人のことに一言も事情をきかないで「あやしい」というだけでかけつけてきたのか?そのことが理解できないのである。
そして「あやしい」と他にまた通報があればかけつける義務があるという
自分が事情を話したのに関係ないという,それが警官の勤めですからという
事情を話してもその警官は認めないのである。

「あやしい」と通報があればすぐにかけつけると言っていた,子供などいるからそういうことで心配した母親などいるかもしれない,そういうことに過敏になっているからである前にそうした経験もある,今の時代はともかく互いが信じられない,田舎でも知り合えないとか理解しえない社会になっている
でも犯罪はどんなところでも起きている,最も信用した人でも犯罪を犯しているのである疑うべきない人が犯罪を犯しているのである。
そして横領の罪などその金額が多いのに軽いのである。でも百円でも盗めば警察は逮捕までする,何かそうしたことが警察が人を犯罪者にするものとして嫌われる
警察官の罪は人は罪にすることであり罰することである。そこにすでにそんな仕事につくこと自体罪深いのかともなる
ただそんなことを自覚している警官などいないだろう。
権力を傘にして何でもできるんだと思い上がっているだけである。

だから今回は警察にみんなで抗議してほしいとなる
このプログを読んだ人はしてほしい
それが圧力となるからである。

つまり警察はあくまでも市民に奉仕するものであり市民に害になったとしたら市民が警察をとがめなければならない,そうしないと市民の平安すら保てなくなるのである。
なるべく田舎では警察は市民の間に介入しない方がいい,何か角がたちややこしくなるからである。
そんなただ「あやしい」という通報者など無視すればいいのである。
たいがい大きな事件になることはとりあわない,無視するのになぜあやしいとして通報した人に即座に来なければならないとかの理由がわからないのである。
そんなことにいちいちとりあっていたら田舎の平安が乱される
でも即座にかけつけるのが勤めでありこれは断れないと言っているのである。

その通報するものに正当な理由がないのである。
法律的にはやはり理由がないということは大きな問題になる
理由もなしに相手をなぐったりすることはない,何かしら必ず理由があって犯罪になる
その理由がないのに人を勝手逮捕したり犯罪者にすることはできないのである。
何か納得する理由があるならしかたがない,それないとしたらただ賢察の権力の横暴がまかり通るだけだとなる,それは市民にとって恐怖社会になる
そんなことたいしたことがないと他人事にしているといつのまにか警察のやり放題になり治安もなくなる,平穏に暮らせなくなるのである。

ここでは病院で診療を断る理由が書いてある
断るのにも理由が必要なのである。
そして警察に通報するとある

正当な理由なしに、その委託を受けた事務に関して知り
得た秘密を漏らしてはならない。

常に法律では正当な理由が追及されている,正当な理由なしにというのが法律なのかもしれない,正当な理由なしには警官は権力を行使してはならないのである。
あやしいというだけの通報で職務質問する正当な理由にはならないのである。

田舎などの市町村でも狭い社会ではもめごとにNHKでもマスコミがかかわるとかえって問題がこじれる,一方の言い分だけを聞いていたらか争いをかきたてるようになる
家族のもめごとでもかかわりにくいのは骨肉の争いであり他者がかかわりにくいからである。そういう面が田舎の争いにもある,だから安易に一方の言い分を聞いて「あやしい」というだけでかけつけて職務質問などするものではない
田舎とはそういう場所なのである。かえって問題をこじらせてしまうのである。
そもそもそうした争いごとに介入すること自体容易ではない
公平な立場を維持できないからである。

それが原発避難者に一方的についていることで争いがかえって治まらなくなったともなる田舎だと村のような所になると余計にそうなっていた
そこは警察とか介入しにくく犯罪も隠された,それも問題だが警察が介入したからといってでは村の問題が解決するかとなるとならない,かえって介入した結果事態が悪くなることすらある,だから警察というのは万能ではない,日本では内々に治めるということがありそういう文化なのだからそれでもいいとなる
警察に頼りすぎる社会は日本ではいいものではないのである。
そういう社会であり平和を保ってきたのが日本の歴史だったともなる
日本では警察力が弱い方がいいのでてある。警察があまりかかわらない方がいいのであるその時日本では平和なのである。だから警察に通報などは簡単るするものではない
また警察では正当な理由がないのだからとたあげるべきでもなかったのである。

「あやしい」というだけで警察に通報することは違法である (これは国民全体の問題である)



「あやしい」というだけで警察に通報することは違法である

(これは国民全体の問題である)

■正当な理由(犯罪に関わっていると疑われる相当な理由)がなければ、そもそも職務質問に応じる義務はない。

警察に誰かが通報したということは警察がその通報者をあやしいというだけで全面的に信用ることである

その通報者に事情を一言も聞かない
「犯罪に関わっていると疑われる相当な理由」などなくても通報できる
「あやしい」というだけで十分なのである
すぐに警官はかけつけく義務があるという

匿名の通報者を全面的に信用している,でも実際は匿名でも電話番号がわかり相手のことがわかる,するとその匿名というのは調べてわかり通報した人を信用したのだうか?
そうかもしれない,何かいつも駅にいる人がいる,あやしいとして通報した
その事情は一切警察では聞かないという

警察に通報することはいろいろ問題がある,どういう理由で通報するのかが問題になる
嫌がらせとか隣人トラブルは常にあるけど警察に通報するとなると大事になる
それで相手も心証を悪くしてかえってこじれる,そして殺人までになったことがある

警察がなんでも介入することがいいことではない,介入するにしても何か理由が必要なのである。

今回自分にはその理由が見当たらない,駅にいつもいるというだけで警察に通報する理由にはならない,何かそこで問題を起すそぶりがあるとかなればありうる
でも毎日のようにいたのだから直接聞いてみればわかる

あやしいというだけで通報する理由がないのである。
あいつはあやしいというだけで警官がすぐに駆けつけるとしたら警官でも仕事が多くなりこまる,警察は大きな犯罪にはかかわらない,小さな犯罪にはやりやすいからかかわる,うるさいのである。
いちいち騒音トラブルでもなんでもない,近隣トラブルでもない,第一駅にいつもいるからと誰も迷惑になっていない,たいがい通報しているのは迷惑になっているからである。
そもそも警察に通報することはやっかいなことである。警察が近隣トラブルとかで介入すると角がたち田舎などでは住みずらくなる
いつも顔を合わしているからそうなる,だから警察は田舎だとあやしいとかでいちいちかけつけて近隣トラブルに手をつっこんでいたら田舎の治安は乱れる

すでに田舎の治安は乱れたのである。そんな匿名の人に事情もきかない,ただあやしいというだけで警察に通報することが田舎の治安を乱したのである。
匿名で通報した人も悪いにしろなぜ警察がそんなことでいちいち来るのかとなる

ともかく

あやしいと通報すれば警官がすぐにかけつける,事情は全くきかないのである。

正当な理由(犯罪に関わっていると疑われる相当な理由)がなければ、そもそも職務質問に応じる義務はない。

そんな人が通報しても警察が答える必要もないともなる,第一通報者に正当な理由がまずないからである。そこが警察の一番間違っていることなのである。

通報者があやしいというだけでは正当な理由にはならない

通報者を全面的に「あやしい」というだけで信じるのか?

それより通報者のことをわかって職務質問に来たのかもしれない,でなければそんなことできるのかともなる

これを法律的に訴える根拠になる,警察を訴えるとなるとめんどうでもあやしいというだけでその通報者のことを事情を一言も聞かないで職務質問に来たからである。
そういう職務質問には答えなくてもいいとある
これは通報者の問題だけではない,警察自体のそうした姿勢が問題になる
通報者があやしいというだけで即座にかけつけたりしていたらどうなるのか?
そんなことでいちいち通報されていることに答えたらどうなるのか?

これは法律としても明らかに違反しているだろう。ただ権力があるから

あやしいというだけで職務質問にかけつけてきた

その理由がこの社会で通っていいのだろうか?
これは自分だけの問題ではないのである。

今の社会は匿名社会である。タニコウは会社としてこの辺では有名である。
社長が東京から来るので迎えに来る,そして友伸エンジニアリングを知っているかと聞いたら知らないのである。
友伸エンジニアリングの関係の人も東京から結構来ているのである。
会社が違うとこれだけ狭い田舎で知らないとなるのだ
そういう社会だとなる,田舎でもそういうことがある

都会だと駅など無数の人が行き来するからわからない,でも田舎だと行き来している人とかいつも駅を利用る人などはわかる,自分は毎日冬からもいたのである。
だから長いのである。としたらその人があやしいというとき聞きにくれば良かったのである。ただ誰が通報したかはわからない,でも外から来た人が通報するとは思えない
駅にいつもあやしい人がいると言っていたからである。

通報した人は自分を長い間見ていたとなる,ただなぜ今になって通報したのかわからないこれはただ自分だけの問題ではない,警察がそうした通報でいちいち職務質問したりしていたら田舎の平穏が乱されるのである。
疑心暗鬼になってしまうのである。警察に通報することはなかなか普通はできない
近隣トラブルでも警察に通報したら角がたち恨まれて殺されたという事件も普通にあるという。
要するに警察がかかわってかえって治安が乱れることもある,事前に犯罪も防ぐ効果もあるが近隣の信用関係が壊される,田舎は住みずらくなるのである。
その辺を警察は考慮しなければならない,それが今回はなかったのである。

警察官が二人駅に来て職務質問される (近くの誰かが怪しいと警察に通報したから)



警察官が二人駅に来て職務質問される


(近くの誰かが怪しいと警察に通報したから)


今日駅にいたら景観が二人来て自分が駅で何をしているのか聞きにきた
それは近くの誰かが「怪しい人が駅にいる」と通報したからである。
自分は駅でもう数カ月ボランティアで道案内とかいろいろしていた
もう結構長いのである。よそ者がぶらぶらしているのとは違う。
そしたらあの人は何をしているのかと直接聞きにくればいいのである。
そこが常識的な方法である
よそ者で一回限りのような人ではないからだ

警察は何度でも言った,あやしいと通報があれば必ずかけつけなければならない,
その通報する人が匿名で信用できないではないかとしてもそう言っていた
通報があるかぎり必ず確かめに行くという
こんなことをしていたら警察の仕事がふえて重要なことに時間がさけなくなるのではないか?
怪しいというだけでその根拠は何もないのである。

■正当な理由(犯罪に関わっていると疑われる相当な理由)がなければ、そもそも職務質問に応じる義務はない。
■警察署に連行される義務はない。質問に答える義務もない。身体検査も拒否できる。
■礼状が無ければ、逮捕されることはない。
■大声で助けを求めるのも有効。
■高圧的な相手には、名前を聞くこと。警察官は身分を明かさなければならない義務がある。
■そして、録音・録画をすることで、横暴な捜査を防げる。懲戒請求も可能になる

そもそもその前に匿名の人がなぜあやしいというだけで警察に訴えて受理されるのか?
その匿名の人こそ警察であやしいと思っても不思議ではないか?
その匿名の人こそ職務質問をしなければならないのではないか?
いだすらで通報する人もいるしいろいろいるからだ
もちろん匿名ダイヤルがあるというとき匿名で通報して犯罪を防止したり摘発したりすることはできる,だから匿名で通報することがその時は許されている

じも駅であやしい人がいるというときどうしてその人が怪しいのかとなるそれは何も聞かないのである。いつも駅にいるが何しているのかわからない,何か犯罪のようなことにかかわっているのかどうかもわからない,なぜその匿名の人の通報の方を信じるのだろうか?
その匿名の通報した人こそあやしいのである。

匿名で通報した人は実際は訴えられるべき人かもしれない

でも現実に警察ではあやしいと通報があればなんども来るという
事情を話したのだから今度は自分のしていることを話してくれといってもしないという
せめて事情が警察ではわかったのだから話してくれと言ってもだめだという

警察ではともかち匿名の人の誰だかわからない人のことを全く信用しているのである。

その匿名の人の所にまずいって職務質問すべきなのである。
その人の方があやしいかもしれないからである。
なぜすぐに電話で匿名で通報してそのことを信じるのかとなる
もちろんよそものがいたり本当にあやしい人はいる

でも何でもかまわないのである。匿名で通報したらすぐに警察官が職務質問に来るのである。
どういう事情も全くきかない,「あやしい人がいる」
それだけでかけつけるのが警察の任務だといっている,そのことに全く疑問をもたないのである。
必ず匿名でも確かめに来なくてはならないのです
それより「あやしい」というのはどういうことであやしいのことか聞くのが普通である。人間社会の常識ではそうである。
つまり警察は人間社会の常識が通用しない場である。ただ一方的に「あやしい」というだけでその人を信じてしまうのである。

訴えられるべきは匿名で通報した人である。

なぜならよそ者としてとおりすぎるわけでもない,もう数カ月も駅にいるからである。
だったらその人は何をしているのか聞けばいいのである。

匿名で通報した者よ,あなたが職務質問されるべきである。

こんなことをして田舎でしていたら疑心暗鬼になり何もできなくなる
田舎だったらあの人毎日来ているけど何しているのかと聞けばいいわけである。
その匿名者こそ責められるべきなのである。

まず警察では大きな犯罪とかはとりあげない,大金を盗まれて届けてもとりあわない,自分で経験しているからだ,何か大きな犯罪にはなるべくかかわらないようにしている
ただいちいち匿名の通報などにはかかわっている,時間をさいているのである。
そして日本の警察は外国に比べて逮捕率が90バーセントとか高いのである。
そこには不当逮捕とかあるから深刻であり怖いのである。

そういう警察に対して苦情を聞く場所がある,電話でうけつけている,それは逮捕されたとかの深刻な人である。
警察に抗議することができるという,個人的には警察は相手にしないだろう。
そんなことができるのか?警察は権力が強すぎる
これも市民が監視しないとこうした横暴がまかりとおる

あやしいというだけで田舎でいちいち職務質問に来ていたら仕事が増えるだけである。
それも事情は全くきかないのである。「あやしい」というだけで職務質問にくる
それこそが横暴なことであり警察権力の乱用になる

どういうふうにあやしいんですか?そのことすら聞かないで職務質問に来るのである。
一言も聞かなくもかけつける義務があるのですと言っていた

「見慣れない人がいて駅にいつもいます,何しているのかわかりません,不安です」
「何か悪いことをしていますか?そんなそぶりが見えますか」
「いいえ,何もありませんが・・・・」
「ではどうしうてあやしいとして通報したのですか?」

このうよに匿名で通報した人を職務質問すべきことがある,見たことがない人があやしいというのはわかる,その人はずっと数カ月もいたのだからそこでなぜ今になってあやしいと通報したのかとなる,そのことこそ職務質問されるべきだったのである。
これは法律の前に人間としての常識からはずれている,でも警察は常識は通用しない,警察の常識が通用するのである。それで不当逮捕もあるから怖いのである。
ともかく警察に常識は通用しないのである。脅しでもなんでもまかり通ってしまう世界である。どっちがあやしいかわからないのに匿名の通報があったらすぐにかけつける
こんなことがありうるのかともなる,犯罪のそぶりもなにもないのにそうしている

警察には何か理不尽なことが多い世界である。
ともかくインターネットでも匿名が問題になったが実社会でも匿名がこれほど警察にも認可されていることに驚いたのである。
常識では匿名は信用できないということである。だからネットでも実名の人が増えてきたのである。
ただ匿名の効用はあるが実社会でこれほど匿名が通用していることの驚きだったのである匿名ならまず疑い信用しないのがネットである。実社会では匿名がこれほど警察にも信用されていることは何なのだろうとなる
これは自分だけの問題ではない,地域社会でも国民の問題でもある

匿名の人があやしいというだけでかけつける,職務質問する

事情も聞かない,匿名の人をまず信用しているのだ

こんな社会だったら本当に疑心暗鬼になり平穏に暮らせなくなる
これは小さいようで大きな問題かもしれないのである。
これは自分だけの問題ではない,警察の在り方とか匿名のことについて国民は考えるべきである。

「救援連絡センター」は、警察の横暴などについて相談を受け付けており、「まさに職質中の場合、代わりに警察と電話で話をする」こともしてくれるそうだ。
 電話番号は、「03-3591-1301」
 営業時間は、平日は9:30〜20:00、土日祝は12:00〜18:00だそうだ。

みちのく鹿島球場で二軍の試合 (東京からもファンくる-シャトルバス運行)


みちのく鹿島球場で二軍の試合


(東京からもファンくる-シャトルバス運行)

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みちのく鹿島球場で今日は楽天とジャイアンツの試合があるとシャトルバスがとまっていた,女性二人も案内に出ていた
東京の方からも来ると言うから二軍でも見る人がファンがいるものだと思った
なぜなら東京からだ電車賃が高くなるからだ
よほどのファンでないと来ないだろう,でも東京から来るということはにぎやかになっていいことである。

みちのく球場は津浪の被害がありあそごでも死んだ人がいた,何か津浪が渦のようになりはいりこみ死んだという,あの辺は被害が距離的にも大きかった
それが復興して野球試合が行われる,そして今度は常磐線が開通したから東京からでも来やすいのである。
これは大きなイベントでもある,鹿島ではあまりそうしたイベントはないからである。

入場券は1500円だから高いのか?その人は老人でシャトルバスには乗らないで自転車で行くと行った,自転車でも遠くない場所である。

駅はしょうちゅうJRの関係の人がきて工事したりしている,最近は小屋を建てるらしい
仙台から来た人がいた,新幹線の無線関係で仕事したことを語った。
なんでもトンネルで無線が切れるのでその工事をしていたという
今はスマホとかいろいろ無線機器を使っているからトンネルで切れると困るからだろう。

次に問題になったのが警察が二人来て職務質問されたことである。
誰かが怪しい人がいると匿名で通報してきたのである。
そのことに頭に来た,匿名であやしいと警察に連絡するとすぐに行く義務があるという
ただそんなことをしていたら匿名の人を信用してそんなこたとをしていたら仕事も増えるしこなしきれなくなると思った

このことは次回に書く

テレビでは他人の不幸は蜜の味になる (報道は今やネットで個々人もモラルが問われる)


テレビでは他人の不幸は蜜の味になる

(報道は今やネットで個々人もモラルが問われる)

病気の人にかかわれば病気の苦しみを負う
貧乏の人とかかわれば貧乏を負う
借金している人とかかわれば借金を負う
苦しんでいる人ととかかわることは苦しみを負う
もめごとのある人とかかわるともめごとにまきこまれ傷つく

病気の人とかかわることは自らも病気の苦しみを負うことになる,医者とか看護師はそういう立場にある,その苦しみを受けているのである。
だから精神的負担が大きいからタフな図太い人間でないと勤まらないとなる
障害者の介護とかで精神がおかしくなった人がいて大量殺人までになったが
自らも障害者の苦しみを負わされるからそうなる

貧乏人とつきあうことは貧乏を負わされるのである。
金持ちだったらその金を絶えず請求されるし平等を追及される
例えば一億円もっていたら5千万円よこせとなる
田舎だと特にみんな同じでないと許されないのである。
なぜお前は金をもっているんだ出せとなる

アメリカではそうした黒人とか底辺層とは住む場所も違っているという
広い国だからそういう棲み分けがてきる,一緒に住むだけで軋轢が生れるからである。
底辺層と住むことはやはり金があれば請求される
人間は決して奴隷の身分に甘んじることなどないのである。
いづれは奴隷でも平等を要求してたちあがる,それが人間の歴史である。

借金している人ととかかわると必ず借金を負わせられる
なぜなら借金は大きな重荷でありその重荷をとりのぞきたいといつも思っている
すると金があるなら金を借してくれとなる
例え口で言わなくても無言でもかかわる人に金を要求しているのである。
事業で失敗したような人とかかわると億の借金があったりする
普通の人がそんな人とかかわったらどうなるのか?
そういう目にあったから借金している人かかわることは危険になる
保険金かけて殺された人も現実にいるからである。
借金が犯罪の動機になっているのが多いのである。

何かもめごと争いのある人と所にかかわるのもまたきれいごとではすまない
シリアのような所で記者が残酷に殺されたけどもそういうことがある
喧嘩の仲裁で殺されたりすることがあるからだ
それで報道でもマスコミでもそういう紛争にかかわることは実際は危険である。
マスコミは毎日のように事件が起きるがそれを興味本位に伝える
津浪とか原発事故でもそういうことはあった
報道することはどちからの立場にたって報道している
すでにマスコミは中国,在日が主流をしめているから左寄りになるというのもわかる
すると右寄りの人達からの批判が強くなる,ネットではNHKであれ絶えず批判されているからだ,中国,韓国や在日が支配していると批判される

原発避難者でも一時はNHKは原発避難者側についていいたことを書いた,しかし原発避難者を受け入れた自治体では補償金をほとんどもらっていないから不満がつのっていたのである。そうしたもめごとが紛争がある所に入って報道するのことは危険になる
喧嘩している所に入って一方の言い分だけを報道していたらそのマスコミ自体がたたかれる,それがネットではできるようになったからだ

本当に原発避難区域などに入るのは興味本意の人がほとんどである。人間は別に直接かかわらなければまるで映画のようだとして面白いとなる
それはそこに住んでもいないし遠くから一時的にくるだけでありその人にとって直接は被害をもなにも負うことがないからである。
テレビなとはそうして興味本位に事件を犯罪でも事故でも伝えているのである。
それを見る人も火事で死んでも直接関係ないから興味本位で見ているのである。
もし近くに火事があったらそんなのんきに見ていられないからである。
自分は原発事故では30キロ圏外にしろ放射能の被害があったから外からとは違った見方がある,なぜならやはり被害者だからである。
ただ被害者と被害者も補償金で争ったとなる

報道にもいろいろ問題がある。今までならマスコミだけが報道する権利をもっていた
一般の人は報道などできないから責任もなかったからマスコミが常に批判の的となっていたのである。インターネットで個々人でも一応報道できるようになるとき
今度は個々人が批判の対象になる,それで自分も批判された
それは数行でしかないがグサリとつきささるものがあった

八沢浦で元の美しい入江にもどったということを写真入りで報道したとき
ここで幼児が泥まみれになって死んで俺たちは泥をかきわけて探していたのだぞと言われた
その時何が美しいのかということでその人は怒りになっていたのである。
個々人が記者のようになるとあらゆる場面で映像としてとり残しインターネットでプログでもなんでも出すことができるからそうなる
津浪にのまれる人をビデオにとっていた人もいた,助けないでビデオをとっていた
それはまさに記者でありそううい衝撃的な映像は放送すると視聴率がとれるからである。個々人がそうしてマスコミと同じようになっていたのである。

いろいろな人がいたが作家と詩人とかもいた,フランス文学賞とかもらった詩人もいた,それも原発事故を契機にネタにして有名になったのである。売名詩人とか作家とかなる
その詩の内容はどうでもいいのである。
それをNHKでもマスコミでももてはやしたのである。
そういう人もやはり興味本位であり本当に被災者を思っているかとなると疑問になる
つまり全国民が興味をもっているときそういう人は話題になりここで名前を売り込むことができるのである。
NP法人でも国から自治体から金をだましとった人も普通にいた。
つまり善意を装って被災地を食い物にする人達が普通にいるのである。

だから原発避難者にしてみれば原発避難区域になったところでは興味本位で面白がって来ている人が多いのである。ゴーストタウン化した街というのはどういうものか見たいとなる,自分もそうだった,興味本位でありそこに住む人のことを考慮していない
ただ自分の場合は同じ被害者でありまた同じ南相馬市とか相馬藩内であり密接にかかわるから外から傍観者とは違う,その影響を受けるからである。
自然を破壊されたりしているとやはり景観でも水でも何でも影響を受ける
だからなんとか復興してほしいとか傍観者でいられないから発言しているのである。

ただ原発避難者でも興味本位とか面白いとかいうけどその人たちは毎日パチンコ通いギャンブルしていのがほとんどだったのである。
外からは興味本位の人が来て内部の人はギャンブルしていたというのも異常である。
もし内部の人が当事者が本当に病気であれ貧乏であれ苦しんでいたら別だが補償金もらって喜んでいた人が多いのも現実なのである。
そういう人達を見ていたら街が興味本意の対象にされていることに怒りなどもたないだろう。なんとか本当に復興しようと汗を流しているなら別である。
俺たちはこんなに苦労しているのに外からくる人はしょせん興味本意で楽しんでいる
そうなるとそういう人達に怒りにもなるのである。
でも避難者の当事者が実際はギャンブルして避難区域の復興などどうでもいいとなれば
外から興味本位で見に来る人も批判できないともなる

いづれにしろ自分も経験しているけど他人の不幸は蜜の味になる
毎日テレビで事件を報道しているけどそういう面がある
別に自分たちに直接火の粉が降りかかってくるけでないからである。
ただ傍観者として楽しんでいるとなる
そこに報道の問題があった,常に言われるのは貧乏人のことを話題にするけど
マスコミの人は高給取りでありそんな貧乏人と関係ない暮らしをしているのである。
そして報道ではそれみよがしに同情したふりして報道しているのである。
そのことは常にネットで批判されているのである。
マスコミで報道する人など貧乏人のことなどどうでもいい,興味本位の対象にしているにすぎないのてある。それに視聴者も興味をもつからそうなる
NHKですら貧乏人を捏造していたのである。

貧乏人とかかわることは身銭を切って助けなければならないようになる
報道する人はマスコミはそんなことはしないのである。
報道は必要でもなにかその報道の姿勢が問題になる
なんのために報道しているのか?ただ興味本位であり視聴率をあげるために衝撃的な映像でだす,それは個々人のレベルでも起きているのだ。
報道の倫理というのものは何なのか?マスコミにはそういうものはなかった
ただ視聴率をあげることが最大の眼目でありモラルなどないのである。

別にインターネットで報道しなければ自分だって報道は何かなど考えない
そもそも報道できないのだから考えようもないのである。
視聴者はテレビとかと比べると極端に少ない,でも報道することはそれなりの姿勢が必要になる,モラルも必要である。
どういう趣旨で報道するのか?ただ刺激的なものを報道して視聴率をとればいいのかとなる
津浪の被害地域であれ原発避難区域であれその状態を知ってもらいたいということがあるでも興味本位になったら面白い楽しんでいるだけだとなる
そうしたらその当事者は怒りになるのである。
俺たちはこんなに苦しんでいる,家族も死んだ家もなくなった,それを面白がり楽しんでいるのかと怒りになるのである。
一時自分でもそういうことがあった,そう受け取られた,誤解があり批判されることもある,報道すること自体絶えず批判にさらされているのである。

あなたは何のために報道するのですかとなる,駅のことを報道してきたがそれは鉄道を利用してもらいたいという自分の願いがありそれは別に津浪とか原発避難者とか区域を報道するの放とは違っている,誰からも批判されることはない,無視はされるが批判されないのである。そこで津浪の被害者や原発避難者などの怒りをかうことはないからである。
報道で問題になるのはだから苦しんでいる人達のところにづかづか入っていってただ興味本位で報道するときである。その時怒りをかうことになるのだ。
実情を知らせるためですというのもわかるが実際は興味本位に報道して視聴率をあげるためだけなのである。

実際に何か大きな事件とか災害とかないとテレビなど見ない,芸能人のゴシップばかりにもあきているからである。でも一旦そうした大きな不幸かあると視聴率があがる
だからテレビにとってマスコミにとって他人の不幸は蜜の味なのである。
そして視聴者でも他人の不幸は蜜の味である。自分に被害が及ばないから傍観して見ていられるからである。

ともかく報道することにもいろいろな問題がある,本当にその人に同情して報道しているのか?そういうことは報道にはまれではないか?
マスコミの記者は絵になる報道したいからポーズをとってくれとか被災者に要求してくれとかそこで泣いてくれとか要求しているのである。
テレビでは役者が本当に涙を流すがそれも役者だからできる
何かそうしてドラマのように作られて真実が何なのかわからないのである。

自分の場合は現場にいるのだからリアリティを追及して報道した
それで原発避難者から批判があったがそれも現実なのである
きれいごとではすまされないのである。
原発避難者側にもかなりの問題があったのである。
本当に働いたのは津浪のときは自衛隊だったと言っている
瓦礫をかたづけたからである。それで過労で三人くらい死んでいるからである。
他は津浪の被害地に来ても興味本位なのが多かったのである。