生け花はやはり剣山を使わないとうまくいかな
(フラワーアレンジメント)
蛍光灯の下でこんな色合いになった
写真にとってまたあとで活け直す,いい写真をとるにはそれが必要
それは生け花を完成させるためにも必要
写真の時代だというときこれもあらゆるところに影響している
写真ぬきでは何もできない時代でもある
我が家に数日活けし花々のその色つくし咲きて散りにき
赤は赤
黄色は黄色は黄色
白は白
それぞれの色に花は咲く
争うことなく
我が家に咲きて散る
かくあれば幸いなるかな
神はそをよしとして
その家を祝福する
花はやはり自ら剣山に植えないと花を活かせない,壺にさしているだけでは活かせない
ただいろいろなことを一人でやるのに限界を感じた
家事からなにから一人でやるのが大変なのである。
花を活けるにしてもやはり時間と金がないとできないのである。
今になるとやることが多くなったのである
ともかく人間はそれぞれの花が調和して咲くような場がない,そして人間は花のように調和しないのである。
赤い花があり黄色い花があり白い花がありそれぞれが活きるのが花である。
そこに無駄なものはない,それぞれの花はその個性を出して活かしあうのである。
生け花は女性として身につけるものだろう。
花を愛さない女性は何か欠けている,美人でもそうである。
その人は全然花に興味をもっていないのである。
その女性は感じのいい女性でも何かそのことが一番欠けているのである。
それは家にそういう花を愛するということがない家だったのかもしれない,その人の性格が良くてもそういう家だったのかともなる。
何か男が生け花すると奇異にみられる,花を買いにいってもそうである。女性が多いからそうなる,今はだから自分では買っていない,でもやはり自分で花を選び買うのも楽しみである。花はすぐ枯れやすいのも問題なのである。
花屋のは冷凍室にあるから枯れやすいというのは本当である。
そして夏は特に枯れやすいのである。だから生け花は金がかかる
ただ女性の、たしなみとして生け花は不可欠と思える
花も飾っていないような家は何か淋しいし大きなものが欠けている
そういう無風流な人を見るとき人自体に疑問を感じる
その人間自体が殺風景なものとして見てしまうのである,ただ男性で花に興味をもっているのは少ない,でも男女に関係なく花を美しいと見る,女性とか男性とか関係ないのである。
この花は近くの花屋で買った,一年以上買わなかった,買う人がいたので買わなかった
でも自分で選んで買わないと自分好みのものもアレンジできない
花も自分のテーマである,ただ生け花と自然の花は違っている
生け花だと自然にもない花がある,大きなダリヤは見応えがある
ただすぐに写真を撮らないと夏は枯れる,冷凍室に置いたのは枯れやいのである。
畑で育てたものを市場で買えば長持ちする
ただ今の時期は枯れやすいから注意である。
明日はこの花を剣山でさしてみよう。
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