2017年08月18日

戦意を喪失させられた日本人 (原爆のショックは永遠に消えない)



戦意を喪失させられた日本人


(原爆のショックは永遠に消えない)


NHKの放送で「なぜ日本は焼き尽くされたのか〜米空軍幹部が語った“真相”」を見た
アメリカ軍がB29で日本を焼け野原にしたのは日本が戦争をやめさせるため,市民までまきこんで爆撃した,市民に戦意を喪失させるためにやったという
その目的はあまりにも見事に想像した以上に効果を発してアメリカでも驚いたという
原爆を落としたのも日本に戦争をやめさせるためだったと常にいう
理屈あとでどうでも言えるのである。

こうした焼け野原された日本人はその後どうなったのか?その惨状を見たときどうなったのか?

まさに言葉を失った

言葉に現せないものとしてこの世の地獄を見たのである。爆撃して焼かれた人が子供でも写されていた,それは地獄の光景だった,戦争は非道でありイスラム国だけが非道ではない,過去の戦争でもそれ以上のことが行われていたのである。
戦争というは人間の悪を最大限にひきだすものとしてある。
日本のことを非道というがアメリカの非道も信じられないとなる
それはあまり赤裸々に報道されないからわからないだけなのである。
インターネットを調べればその悪逆非道に戦慄を覚えるだろう。
そんなことがあったのかとういことである。人間の悪逆の限りが尽くされたとなるのが戦争だった
アメリカ人の悪逆非道の方が日本兵の非道よりどうしても勝っている
その悪逆非道を知ったら身の毛のよだつようなことが現実にあったということに戦慄を覚える

ピカートもナチスについて言っていたが

まさに言葉を失った

それが第二次世界大戦の結果だったのである。アメリカが正義でもなんでもない,ただ戦争の勝利者になったというだけである。
それも膨大な人命の犠牲の上に勝利者になったのである。

結局日本は戦争に負けてどうなったのか?

今でも戦意を喪失してしまった

そのあまりの悲惨さに戦争というのは口にしたくないとまでなった
だからウヨが戦争を鼓舞しても日本人は別に9条を守れば国が守れるという左翼も極端だがそもそも日本人は原爆であれなんであれ日本は戦争をする戦意を今でも喪失しているのである。
もちろん戦争をじかに経験していないものがそう言っても説得力がないことはわかる
でも戦争の悲惨さは映像でも残っている

それは津浪とかともにている,あの悲惨な状態の前に自然の大きな力の前に言葉を失ったただ茫然としているというだけだったのと同じである。
あれだけ大きな力を示されるともう何も言えなくなる,ただ自然の力に驚嘆するだけだとなる,それと同じようなことが戦争で起きていたのである。

日本はアジアから中国とか韓国から戦争のことでバッシングされるけどそもそも日本はその報いを敗戦の焼け野原で受けているのである。
なぜそれだけのことが成されたのにさらに日本をバッシングするのか?
それは「水に落ちた犬は打て」になる,弱者になるとかえってその弱さにつけこまれて個人的にひどいめにあったことを書いてきた
それは国家間でも同じなのである。

韓国や北朝鮮は常に不満をもっている,強いものにたかれつづけられた国である。
だからこそその腹いせを日本人に向けているのである。
日本人は確かに今戦わなければ国も守れないと危機意識をもつ
でも戦争で戦意を喪失してまった,悪くとれば戦争する気力がない,意気地がないともなった,それで非戦国家になり9条だけに頼る弱い国家でいいのかとなる

でもあれだけの戦争の悲惨さを見たらとにかく戦争はしたくないと別に経験しなくてもなる,自力で国を守らねば侵略されるというのもわかる
でもその戦意が喪失させられている,それは戦争が終わっても継続しているのである。
それだけ戦争の影響は大きかったのである。
日本全土が焦土となった記憶は簡単には消えないのである。

ではアメリカの戦争犯罪はこれからどう罰せられるのだろうか?
それだけのことをしたアメリカはやはり良心に怯えている
戦争を終わらせるためだったという理屈はただ理屈である。
その良心からその悪が消えることはないのである。

その報いはやはりカルマとなってアメリカに向かってくるかもしれない,なぜ今北朝鮮がアメリカに狙いを定めて核弾頭のミサイルを打ち込もうとしているのか?
それは日本もまきこむのだがやはり原爆を使用した日本を実験場としたカルマであり
核に怯えているである。
核爆弾を使ったものはまた核爆弾が落とされるという恐怖におののくことになる

国内的に人種差別でもめているようにアメリカ自体が分裂するかもしれない
人種差別が日本人に対してもあったがアメリカは白人主義だけではもう成り立たない国である。人種差別したら第一国内で統一できない,それだけ白人ではない人達が増えすぎたのである。

ともかく戦争は人間を非道にする,もう歯止めがきかない,ルールもなにもなくる
人間の悪の限りが戦争で噴出する,それが第二次世界大戦の結果だったのてある。
だから日本はその戦争を身をもって経験した唯一の国なのである。

日本人はもうどうしても戦争ができない

戦意が喪失した

それがいい悪いと関係なく戦争に負けた結果として日本人にもたらされたのである。
要するにアメリカも全土が焦土になれば戦意を喪失する
そういうことが核戦争ではなりうる,なぜ北朝鮮のような弱小国にアメリカがおびえなければならないのか?
それは核がそうさせているのである。核はアメリカでも怖いのである。
日本を空襲するとき飛行機を爆撃する体制が日本にはなかった
だから空襲も容易と見たというときもそうである。
やはりアメリカも核は怖いから簡単に攻撃できないのである。
そして核の呪いがカルマがアメリカに回ってくるかもしれない,それをしているのが北朝鮮なのかもしれない,それはアメリカだけではない,日本も恐怖である
ただ一番恐れているのはアメリカだとなっているのである。
posted by 老鶯 at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

金の損得,人生の損得 (あと何年生きるのか?)


金の損得,人生の損得

(あと何年生きるのか?)


年金を早くもらえばすでに400万もらえた,最後までもらわなかったから繰り下げしたからそんなにすでにもらえていたのかという驚きもある。
ただたいした年金ではない,国民年金はたかがしれている
でもその400万をとりかえすのには80越えないと元がとれないというのも良くわからなかった
人間はそもそも金の計算ができない,あと何年生きるかもわからないからだ
親戚の人は60で死んで厚生年金がもらえなかった,そういうこともある
自分の母親は60才で3万もらって失敗したといっていた。
なぜならそれから100才も生きたからである。65才からもらうと5万くらいもらえたのかもしれない,そうなると差が大きくなるからだ。
それでも3万×12×40=14400000になった,千四百万になっていたのである。

自分の母親は趣味もなにもない,働くことがしかない,花さえ無駄だとしていた,田から金は使わない,馬鹿げているのはそのためた金も盗まれたが不思議なのは認知症になっていたためなのかどうかわからないが無頓着になっていたのである。
金のことが良くわからなくなっていたのかもしれない。
姉は本当に認知症になって金のことがまるでわからなくなっていた
いくら自分が金をもっているのかもわからなくなっていたのである。
それで銀行からも金をおろせなくなっていたのである。
このことには本当に驚いた。

人間は終生金に異常にこだわり生きている,普通に生きているときはそうである。自分の親も身内もそうだった,金のために大喧嘩したこともある
でも結果的にどうなったのか?そのこだわっていた金も盗まれたり認知症になり銀行からおろせなくなったのだから金はもう自分のものでなくなったのである。
自分の親は金を盗まれたといったとき笑っていたのである。
頭が正常な時は一円も無駄にしない人だったのになぜ大金を盗まれて笑っていたのか解せないことだったのである。

いづれにしろ人間は金も計算どおりにいかない,人生が計算どおりになった試しがないのだ,何か必ず不測の事態が起きる,津浪や原発事故がそうだった
そこで予定がまるっきり狂ってしまうのである。個々人なら病気になったり事故が起きたりする,それで人生が狂ってしまうのである。

だから人生など計算できないし何か損得なのすらわからない
人間は懸命に得しようとしていきているのだけど結果として何が損得かも最後はわからなくなる
得だったものが損だったり損した思ったことが得だったりもする
人生の損得など誰もわからないのである。

美人と結婚できなくて損したとか何に何しないで損したとかいろいろ老人になって後悔する、でも最後はどうでもいい,それは若い内ならそうなる
人間は結果的に何が損か得なのか,本当にかわらないのである。
結局塵となり灰となってみんな終わるだけだとなる
大金持ち地位ある人も美人も行くつく先は老いることであり死である。
それはみんな平等である。いくら金持ちでも老いを金でみんな補うことはできないからだ失われた美貌は決して帰ってこないのである。

人間はもっとうまいものを食べていれば良かったなどと最後に思わないだろう。
老いて病気になるとますどんなうまいものでも食べたくないからだ
食欲があって健康であってうまさを感じるからである。
健康なくしたらいくら金があってうまいものが買えても何にもならない
それで自分の父親は病気になりサシミを食べれるようになったが食べたくないと言って死んだのである。
明治生れの人であり一生貧乏だったが最後の二三年金持ちになったがその時は病気になっていたのである。

人生の損得など最後になると本当にわからない,何が得したのか?何が損したのか?
それも良くわからないのである。みんな得しようとして懸命に生きてきたはずなのだが最後は金をためても金をおろせなくなったとかの喜劇なのか悲劇なのか
金にそれぼと執着しても何の用もたさなくなったのである。

金は別にないよりある方がいいことは確かである。
ただ人生の損得の計算はできないということである。
結婚して得したのか損したのかそれもわからない
結婚しないで損したのか得したのかもわからない
結婚しない損は実際は自分の経験では大きかった,病気になっても誰もみるものがいないからだ。でも自由に生きたいうことは自分の場合大きな得だったのかともなる
自分の場合は社会に適合できないからそうなっていたのでありそれて得だったともなる
まず自分は無理をしなかった,疲れたら寝ているだけだから体が弱くても生きられたのかもしれない,母も体が細くて力ある仕事などできない,でも百才まで生きたのは無理をしなかったからだと言っていた

でもそれが得した,百才まで生きたのだから得したのか?それも良くわからないのである得したというか俺は生きたとかなるのは実際は危険を乗り越えたり困難を克服したりするときである。その時俺はやったとなり達成感がある
その時こそ本当に生きたことになり生の充実感を得る
でもそれは危険であり死ぬこともある,だからこそ生きたということに価値が生れる
そういう経験を一回もしないとしたら生きたとも言えないのである。

そもそも人生は損得では計れない,損したことが実は大きな得だったこともふりかえればあるだろう。運不運もあり不運にも若くして事故で死んだりする人もいる
ただわかっていることは時間をともかく人間はみんな無駄にしている
金は一円でも無駄にしないように生きているが時間は本当に浪費しているのである。
時間は金のように計算しにくいからそうなる
若いときこの先ずいぶん長いなと思っているとあっというまに時間がすぎてしまう
白髪の老人となりもう死を待つだけだとなる

要するに死を前にして人間の損得などたいしたことではないのかもしれない
大きな家に住めなくて損だったとか,うまいものが食べられなくて損だったとか,美人と結婚できなくて損だったか,いろいろ損なことを考える,でもどうせ死ぬんだとなると
そんなことどうでもいいやと最後はなる。
要するにソロモンのようになるのである。どんな栄華を生きても最後は人生は虚しい,死があるだけだとなる

あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ

こうなるのである。ただ自分として後悔しているのはヒマラヤに一回しかいかずその時曇りで8000千メートル級の山が見えなかったことである。
だからヒマラヤにもう何回が行きたかったが行けなくなった
それはなぜか?そもそも外国に行けると自分では思っていなかったからだ
外国でもどこに行くか迷う,やはりヒマラヤは見物である。
十回もヒマラヤに行ったという人がいたがそれだけ行ったら満足だとなる
今の時代でヒマラヤだろうアフリカだろうがどこにでも行ける時代である。
ただ老人になり体力鳴くなと行けない,だから若い内に行くべきだったとなるが時遅しとなってしまったのである。

要するに登山でも旅行でもいつもその機会が与えられているわけではなかった。
これだけ旅行した自分でも外国に関してはそうだった,外国を知らなかったからである。
だから若い人は老人を見て何が失敗したのか後悔しているのか良くしるべきである。
このことは若い人同士ではわからないからだ
後悔しないように生きるためにはどうするのかを良くしるべきなのである。