2017年08月17日

建築現場で人手不足-死者が出る (オリンピックをやる今意義あるのか?)


建築現場で人手不足-死者が出る

(オリンピックをやる今意義あるのか?)


大手ゼネコン「大成建設」の工事現場でまた死亡者が出た。 
20年東京五輪のメーンスタジアム「新国立競技場」の建設現場で、23歳男性が過労自殺したばかりだが、また現場の過酷さを象徴するような事故が起きた。 

土木屋 塗装 やらはスジモンとまでは行かないが、近いのが多いね 
基本的に誰でもできるような職種に多い 
機械工 電機工は技術持ってるから、比較的きちんとした人が多い

建物は残るから悲しみがずっと続く 
浜松のアクトタワーで死んだ電気屋さんは知り合いだった 
浜岡のゴルフ場で資金が尽きて自殺した型枠大工の親方は友人の父親だった 
あそうだ日航機が墜落したその日だった 
この二つの建物は見るたび怒りが込み上げてくる


城を建てるとき人柱伝説がうまれのもわかる,誰かが建設工事で死ぬからそうなる
誰かが人柱になるからその伝説も生れる
そのことは現代に継続している,建築現場にこの辺で除染でも暴力団が入ってきて
治安が悪くなった,郵便局に入れ墨丸出しの若い男がきていた。

ではなぜそうして暴力団がかかわるのか?
つまり最低辺層の人達がまた前科者とかでも何でもかんでも労働者にするからである。
そういう人達は仕事を選ぶ余裕がない,明日食べものがないとなればどんなことでする
原発作業員にもなんでもなる,人間は追い詰められたらなんでもする

借金のカタに遊女にされたりパチンコ屋で働くとかとにかくもうそこに労働のモラルはない,金になり今日食べれればいいだけになる
建築現場は誰でも引き受ける,最低辺層の人達が集まる場所なのだ
事業に失敗した人なども集まってくる
それはそれなりに働く場所を与えて社会の役にたたせている面もある
アメリカの大企業が受刑者を低賃金で働かせているのとにている

ここに人間のブラックなものがあからさまに現れる,そもそも個々人の家建てるとしたらそれには意味がある,でもオリンピンクのために働くというときそこで働き死んだ者はオリンピックは日本で必要なものであり俺たちもオリンピックに貢献するのだ
日本のためになるんだとか考える人はいないだろう。
そもそもそういう人達は金をもらえればいいとしかならない

奴隷労働にされるのは借金のときがわかりやすい,もう遊女にもされるし何でも金のために働く奴隷にされる,そこに働く意義など微塵もないのである。
そういうことは普通にある,でも道路でも鉄道でも建物でもそれなりに社会インフラの整備のために働いたとはなる,そういう意識をもたなくても結果的になることはある

でもオリンピックは国民にしても今必要なのかどうか深い議論もせず行うことになった
前の東京オリンピックには国民的同意と意義があった,日本が戦後の焼け野原から経済成長した証として行われたからである。
そこに国民的同意があったのだ,今回はそれもないのに勝手に政府主導で行われるから問題が起きる

死んでまで犠牲者をだしてオリンピックをやる意義があるのか?

そういう疑問が国民の間に根づよくあるのだ。それはこの辺で行われた除染でもそうだった,飯館村で一軒の家を除染するのに一億円かかったという,それなら一億円もらった方がいいと村の人が主張したのもわかる,なぜなら後ろ森だから除染しても一時的なものであり効果がないからである。
除染費用の莫大な金は大成建設とかその他大手ゼネコンに流れたのである。
大成建設の社員は放射線量を計るモニターの下の土をとっていたのである。
だから放射線量は半分になっているが実際は倍以上なのである。

大成建設は創価と深く結びついた会社である。それは正本堂を富士山の麓に建てたときそうなった,大きな仕事を請け負ったからそうなった,利害関係で結びついたからである。宗教的建造物というとき信者がその建設にたずさわるなら死んでも信心であり成仏したとかされる,ピラミッドは宗教的建造物であるという見方がでている
王の墓ではない,宗教としての建造物ならそこで死んでもそれなりに意義があったとなるなぜならあれだけのものを建てるとしたらやはり死者が相当数でているからである。

働くということを追及するとただ金だけではない,その意義を認めて働いている人はまれだろう。まずは金が価値となり金をどれだけもらうかだとなる
でも労働で人か死ぬときそれまでして働く意義があったのか?
そんなにしてまでオリンピックには意義があるのかと疑問になる
オリンピックは血にぬられたものであり人柱の上に成り立っている
それほどに今オリンピックが日本人の総意として求められているのか?

まだ東北大震災の復興もできていないのになぜオリンピックに金を使うのかということに対して国民は合意していないのである。
ゼネコンと電通とかのためにするのかともされるのはそのためである。
そして死の犠牲までありそんなことをしてまでオリンピックををやる意義があるのかとなる

建物は残るから悲しみがずっと続く 
浜松のアクトタワーで死んだ電気屋さんは知り合いだった 
浜岡のゴルフ場で資金が尽きて自殺した型枠大工の親方は友人の父親だった 
この二つの建物は見るたび怒りが込み上げてくる

これは現場で働くものの率直な感情である。ただ電気屋でも建築現場は常に危険だから事故が起こりやすい,事故はさけられないことは確かである。
でもオリンピックとなると規模が大きいしその犠牲も大きくなるから問題なのである。
建築は戦争ともにている,道路を作ったり橋をかけたりと建築なのである。
ローマ帝国が道をはりめぐらし橋をつくり建築で大帝国を築いたことでもわかる
建築技術に優れていたから大帝国を築くことができたのである。

このことはオリンピックの熱狂があっても何か後ろ暗いものとして冷たいものとして見る今回のオリンピックはそれだけの意義がないからである。
そんな無駄なことのために労力が人命が費やされたことをどうみるのか?
この人のように怒りがこみあげてくるとなるのではないか?
posted by 老鶯 at 22:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

駅から労働することは何になのか考える


駅から労働することは何になのか考える


仕事と労働は別物、仕事っていうのは自ら仕事を創りだすものなんだよ、 
労働ってのは寄生して汁吸ってるだけ


無人駅だけでは困ることがある。困るのは外部から来た人である。
ゴミ箱がホーム内にありわからないのである。
それから切符入れも小さいからわからない,その切符は回収しているのである。
感心するのは金を入れている人がいる,ごまかしたくないという人がいるのは感心する
自分にはそういうことがなかったから余計に感心したのである。
鉄道を支えている人のことなど考えたこともないのである。
要するに電車賃が高いとかしか考えていないのである。
それだけ自分は社会性に欠けていたともなる

今になると無人駅でそれほど何か仕事というものがあるわけではない,
ただ外部から来た人に道案内とかはある
何か聞きたいことが必ずある,それは自動化できないだろう。
80パーセントは自動化しても自動化できないものが残る

そもそも仕事は与えられるものではない,創り出すものだというとき仕事になものを見つけ出し発見する,例えば階段をキャリーバッグを運ぶのは負担になる
もしそれをもってくれる人がいたら助かるとなる
そういうことをポーターなどがいて頼むことがある
でもそうなると無料ではしないとなる,重いし運ぶのが結構な労働となるからだ
それをやる人は金をもらってやることになる

人間はつくづく他人のためにそうした重い荷物を運ぶことはない
自分が病気になったとき,遠い親戚の人はその荷物を運ぶのもを嫌がっていたからであるその人は借金しているからまず金が欲しい欲しいしかないのである。
そういう人は無償の労働など絶対しないのである。

だからボランティアでも水害や津浪のときなど泥をかきだす仕事は苦しい
川崎の人も良く原発避難者の引っ越しの手伝いをしていたと思う
重い荷物を運ぶから74才では苦しくなる,自分ったらできない
そして仮設の人達はむしろ金をもっているのだから近くで金がなくて困っている人がいたのだからその人たちに金をはらって手伝ってもらうべきだとも近くでは見ていたのである
ボランティアというとき盲人を電車に乗せることなどは楽である。
でも案内されることを嫌ったから自分でしたいということが障害者にある
いつも人を頼っているのが嫌だとなるからだろう。
そういうならいいが荷物を運ぶとなるとボランティアではしたくない,ボランティアはそうした苦しい労働には向いていない,そういう辛い労働はやはり報酬があってできるものである。

「このバックが重いのでもってもらいませんか」
「・・・・・・」
「お礼はさしあげますが・・・」
「自分は別に金に困っていませんから」

男性なら若い女性で美人なら無料でやる,その他は無料でやることはないだろう。
金をもらってもやらない,なぜなら金がある人はやりたくないことはやらない,
労働はしないのである。ただやりたいことは金をはらってもやるのが金持ちである。
芸術などは金をはらってもやりたいものである。
美でも何かを創造することは金を払ってもやりたいのが人間なのである。

人間は金があると労働はしない,あの人はキャリーバッグを重そうにして運んでいるけど自分も力はないからしたくない,金をもらってもしたくない
人間は何でも本当に金をもらったからやるだろうか?
もし金をもっていたら嫌な辛い仕事などしないのである。
だからこそ機械化自動化しているのである。
要するにエレベーターがあれば機械化されて人間の助けがいらないのである。
でもそうなるとそのインフラに金がかかるからできないのである。
新地駅とかは鹿島駅より小さいけどエレベーターがついた,それは津浪があって特別にできたことである。

ともかく駅からいろいろ考えることがある,駅から社会が見えるということもある
仕事は与えられるものではない,創り出すものだというとき社会はすべて満たされていわけではない,時代によっても社会が変わりそれで必要なものが生れる
コンビニなどは車社会になってうまれたのもである。
コンビニとか宅配とかも車社会になり新たに創り出された仕事なのである

ともかく鉄道で感じることは駅でもそれを維持するのに人の手間や金がかかっている
自動化してもやはりその自動化のために金がかかる
エレベーターを作っても電気代はかかるからである。
だからインフラは無料では維持できない,そもそもなんでも無料では維持できない
人の手間があって維持できている
だから鉄道会社では郷愁で鉄道を残せるのか?金がかかるのにその金を誰が出すのだとなる,鉄道を残せという人が鉄道を利用しないのである。
その負担は鉄道会社だけで負えきれないからそういうのも当然だとなる