建築現場で人手不足-死者が出る
(オリンピックをやる今意義あるのか?)
大手ゼネコン「大成建設」の工事現場でまた死亡者が出た。
20年東京五輪のメーンスタジアム「新国立競技場」の建設現場で、23歳男性が過労自殺したばかりだが、また現場の過酷さを象徴するような事故が起きた。
土木屋 塗装 やらはスジモンとまでは行かないが、近いのが多いね
基本的に誰でもできるような職種に多い
機械工 電機工は技術持ってるから、比較的きちんとした人が多い
建物は残るから悲しみがずっと続く
浜松のアクトタワーで死んだ電気屋さんは知り合いだった
浜岡のゴルフ場で資金が尽きて自殺した型枠大工の親方は友人の父親だった
あそうだ日航機が墜落したその日だった
この二つの建物は見るたび怒りが込み上げてくる
城を建てるとき人柱伝説がうまれのもわかる,誰かが建設工事で死ぬからそうなる
誰かが人柱になるからその伝説も生れる
そのことは現代に継続している,建築現場にこの辺で除染でも暴力団が入ってきて
治安が悪くなった,郵便局に入れ墨丸出しの若い男がきていた。
ではなぜそうして暴力団がかかわるのか?
つまり最低辺層の人達がまた前科者とかでも何でもかんでも労働者にするからである。
そういう人達は仕事を選ぶ余裕がない,明日食べものがないとなればどんなことでする
原発作業員にもなんでもなる,人間は追い詰められたらなんでもする
借金のカタに遊女にされたりパチンコ屋で働くとかとにかくもうそこに労働のモラルはない,金になり今日食べれればいいだけになる
建築現場は誰でも引き受ける,最低辺層の人達が集まる場所なのだ
事業に失敗した人なども集まってくる
それはそれなりに働く場所を与えて社会の役にたたせている面もある
アメリカの大企業が受刑者を低賃金で働かせているのとにている
ここに人間のブラックなものがあからさまに現れる,そもそも個々人の家建てるとしたらそれには意味がある,でもオリンピンクのために働くというときそこで働き死んだ者はオリンピックは日本で必要なものであり俺たちもオリンピックに貢献するのだ
日本のためになるんだとか考える人はいないだろう。
そもそもそういう人達は金をもらえればいいとしかならない
奴隷労働にされるのは借金のときがわかりやすい,もう遊女にもされるし何でも金のために働く奴隷にされる,そこに働く意義など微塵もないのである。
そういうことは普通にある,でも道路でも鉄道でも建物でもそれなりに社会インフラの整備のために働いたとはなる,そういう意識をもたなくても結果的になることはある
でもオリンピックは国民にしても今必要なのかどうか深い議論もせず行うことになった
前の東京オリンピックには国民的同意と意義があった,日本が戦後の焼け野原から経済成長した証として行われたからである。
そこに国民的同意があったのだ,今回はそれもないのに勝手に政府主導で行われるから問題が起きる
死んでまで犠牲者をだしてオリンピックをやる意義があるのか?
そういう疑問が国民の間に根づよくあるのだ。それはこの辺で行われた除染でもそうだった,飯館村で一軒の家を除染するのに一億円かかったという,それなら一億円もらった方がいいと村の人が主張したのもわかる,なぜなら後ろ森だから除染しても一時的なものであり効果がないからである。
除染費用の莫大な金は大成建設とかその他大手ゼネコンに流れたのである。
大成建設の社員は放射線量を計るモニターの下の土をとっていたのである。
だから放射線量は半分になっているが実際は倍以上なのである。
大成建設は創価と深く結びついた会社である。それは正本堂を富士山の麓に建てたときそうなった,大きな仕事を請け負ったからそうなった,利害関係で結びついたからである。宗教的建造物というとき信者がその建設にたずさわるなら死んでも信心であり成仏したとかされる,ピラミッドは宗教的建造物であるという見方がでている
王の墓ではない,宗教としての建造物ならそこで死んでもそれなりに意義があったとなるなぜならあれだけのものを建てるとしたらやはり死者が相当数でているからである。
働くということを追及するとただ金だけではない,その意義を認めて働いている人はまれだろう。まずは金が価値となり金をどれだけもらうかだとなる
でも労働で人か死ぬときそれまでして働く意義があったのか?
そんなにしてまでオリンピックには意義があるのかと疑問になる
オリンピックは血にぬられたものであり人柱の上に成り立っている
それほどに今オリンピックが日本人の総意として求められているのか?
まだ東北大震災の復興もできていないのになぜオリンピックに金を使うのかということに対して国民は合意していないのである。
ゼネコンと電通とかのためにするのかともされるのはそのためである。
そして死の犠牲までありそんなことをしてまでオリンピックををやる意義があるのかとなる
建物は残るから悲しみがずっと続く
浜松のアクトタワーで死んだ電気屋さんは知り合いだった
浜岡のゴルフ場で資金が尽きて自殺した型枠大工の親方は友人の父親だった
この二つの建物は見るたび怒りが込み上げてくる
これは現場で働くものの率直な感情である。ただ電気屋でも建築現場は常に危険だから事故が起こりやすい,事故はさけられないことは確かである。
でもオリンピックとなると規模が大きいしその犠牲も大きくなるから問題なのである。
建築は戦争ともにている,道路を作ったり橋をかけたりと建築なのである。
ローマ帝国が道をはりめぐらし橋をつくり建築で大帝国を築いたことでもわかる
建築技術に優れていたから大帝国を築くことができたのである。
このことはオリンピックの熱狂があっても何か後ろ暗いものとして冷たいものとして見る今回のオリンピックはそれだけの意義がないからである。
そんな無駄なことのために労力が人命が費やされたことをどうみるのか?
この人のように怒りがこみあげてくるとなるのではないか?