2017年08月14日

お盆もすたれる? (何でも時代の影響を受ける)


お盆もすたれる?

(何でも時代の影響を受ける)


そもそもお盆に先祖の霊が帰ってくるということそのこと自体が維持できないものになってきたのかもしれない,その感覚がのみこめなくなった
ただ慣習としてお盆があるから墓参りするとかとなる
それが若い人に顕著になったというときお盆自体がすたれてゆくのか?

墓の跡継ぎもなく,墓を維持できないとかある,墓とは何かというとき江戸時代あたりだと庶民に墓はない,この辺だとホトケッポというのがあり共同墓地であり村の人を埋めていた場所である。そこには墓はなかったのである。
そして今そうした墓をもたない共同墓地を志向しているのも昔に回帰しているとなる
ただそれは昔と同じではない,墓友達とかいっても村のコミニュティは根本的に違う。

家制度ができたのは明治以降である。・・・家の墓というのは江戸時代にはない,武家でも個人墓である。墓とは特定の個人を思い出すものとして作られた
だから一家の墓とかでも知らない人がいると供養するにもしにくいのでてある。
自分の場合は父親と姉と母と兄は知っているから供養しやすい
一番かかわったのは姉と母であり終生忘れることができない生々しいものしとてある
一家の墓でもやはりその人を知らないと供養しにくいのである。

現代の社会は広域化している,昨日駅に来た人は宮城県の主審で大阪の会社に勤めているという,ここに来たのは営業のためだという,墓参りに来る人もいる
前に来た人は小高の出身で鹿島にきて新地にも墓参りしていた,その人は仙台に住んでいる,駅にいると仙台に住んでいる人が本当に多い
自分の墓地でも実家の原町の墓地でも仙台から来る人が多いのである。

故郷に代々生活する人が少なくなっている,だから家でも墓でも跡継ぎがなくなる
ただ江戸時代辺りは家は代々つづくものとしてあった
あまり変化がない農業社会だからそうなっていた
でも別に一家の墓はないのである。
墓を作るだけの富がなかったともいえる

現代人が墓に執着しなくなったのはなぜかと問えばもともと墓に執着していない
その昔にもどったのかともなる,お盆に墓参りというけどこれも江戸時代なら墓がないのだから墓参りはしていないとなる,ホトケッポという村の共同墓地に墓参りしたともなるのか?それは村人が埋まっているのであり個々人や家族の墓ではないのである。


ただ墓というのは家がなくなっても墓地にある,ここに生きていた証のように墓だけが残っていることがある,近くで事業に失敗して一家離散になった人の家の墓も残っていた
それでその人のことを思い出した,その人のことを知っているひとはもう若い人にはいないのである。
人間は死ぬとすぐに忘れられる,それより生きていても退職したりしてなにもしないと会社からも忘れられ地域でも活動しないといるのかいないのかさえわからなくなる
退職して何もしないで20年くらいたつといることすら忘れられる
それが実際は怖いことだった,それは一つの死だったのである。

今の時代高齢化社会そういう生きながら死んでいる人を大量に産み出しているのである。
家制度の上にお盆が成り立つというときそれもすたれるのかもしれない,社会が変わったからである。それとともに風習とか慣習も維持できなくなる
あらゆるものが変わることをまねがれない,ただ死んだ人を偲ぶということは変わることがない,人間であるかぎりそうなる,ただ先祖とか一家とかなると偲ぶとしても抽象的になるからすたれる
妻をなくした人が毎日あたたかいご飯をあげているというのには感心する
自分はずぼらだからそんなことはしていないからだ

ただ自分は姉と母のことは終生忘れないのである。
争いがあったにしても何か自分にとってはいいものだったのである。
姉と母がいなかったらこんな自由な生活などできなかったからである。
自分にとってはいいものだったから死んでも思っているとなる
でも親子でも必ずしも親を思うとは限らないのである。
親にひどい目にあった人は供養すらする気がないのである。
だから親だからといって親を思うとは限らないのである。
つまり親にもいろいろあるからである。毒親も普通にいるからその子は親を思わないのである。。

人間の心は偽れない,供養するにしてもそうである。死んだからみんなかわいそうだともならないのである。墓参りをしても実際は何もえられないから死んでも墓参りもしたくないというときその人は死んだ人に対して何の思い入れもないからである。
別に墓がなくても死んだ人を思っている人は思っている
それが墓参りとなり供養となっているだけなのである。
そもそもその心がない人は供養する心ももてないのである。
一番大事なのは墓があるとないとかではない,心があれば墓が無くても供養するのである
だから別にお盆がなくなっても死者を偲ぶということはなくなることはない,個々人でもそうであり供養するからである。ただ集団で国の行事のように供養するということがなくなるだけである,故人を偲ぶということはなくならないのである。

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こうして捨てられる墓が全国的無数に増えている


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木槿とお盆


木槿とお盆

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写真は花を活けたらすぐにとらないとだめになる
とりかたも結構むずかしい




なにかあれここに住みつき木槿かな

雨しとと石に木槿や田舎かな

夏燕水面に触れ飛び涼しかな

電車来て黒揚羽舞う田舎駅


姉と母なお我が家にともにあれ今争わず供養するかな

畑よりとりにしダリヤ霊前に備えてでで虫つきてありにし

のうぜんのなお残り咲き雨にぬれ散りけるかな夏はすぎなむ


今年の天気はおかしい,最初に早めに暑い夏が来て次に梅雨が長引いていま感じだ
だから季節の感覚がおかしくなる,こういうことがこの頃多い
蝉にしても夏に盛んに鳴くが実際はもう秋であり秋の蝉になるけどそういう感じがない
逆に秋が早く来すぎたともなる,季節感がこの十年間くらいおかしいのである。

お盆にふさわしいの木槿の花である。何か田舎的であり素朴な感じになる
花にはいろいろあるが何かを象徴している,俳句は短いなかに深さを現す
要するに俳句は作る方より鑑賞する方が試されているのである。
短いからそこに深いものをくみ取ることが鑑賞することが必要になる
そもそも木槿の花がどういうものか深く見ることが必要になる

そして人間はある場所に定着しないと深くなんでも見れない,旅では通りすぎるだけだからである。定着する場が必要なのである。それは故郷なくてもいいのである。
ただ田舎でないと定着しても何か自然の深さを知ることはできない

知っている人が畑からダリヤをもってきた,そのダリヤを見たらでで虫がついていた
こういうのが田舎ならではではでる,ただその畑では金がかかり収穫がほんどない
ただ草むしりしているだけなのかとなる

電車が来てく黒揚羽が舞う,黒揚羽がつくづく田舎の駅にふさわしかった
駅もお盆でにぎわっている

ともかく今年は季節感が狂った,そうなると俳句でも何かうまく作れないとなる
俳句は季節感を基にしているからである。ここ十年は季節感が狂う,すると俳句の文化すら影響を受けているのである。
5,6月辺りが真夏のような時がありその後梅雨が今もつづき秋になるとなると季節感が狂ってしまうからである。

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