JRには人へのサービスが欠けている
(技術者集団であり人へのサービスは重んじていないからか?)
市で作ったトイレが障害者の団体のあさがおで毎日掃除しているという
たまに行くと見かけるけど毎日にしていた
そんなに掃除しなければならないのか?
いつもきれいになっていた,その分金がかかっていたのである。
その金は市で払うから市民が払っているともなる
なぜそれがわかったかというと向かいの自転車屋はいつも駅を見ているから知っているのである。自分は一日一二回くらいしか行かない
その人はいつも駅を見ている一日中駅を見ている
何もしなくても駅とかかわっているのである。
道案内などやタクシーのことも聞く人がいた
つまり駅には誰いない無人駅だからそうなっていたのである。
その人は駅舎が空いているのでそこを利用すればいいと言っていた
それが観光協会がなんとかでうまくいかなかったという
鹿島駅てはあそこで弁当などを売りたいという人がいるという
それなりの人が出入りしているからである。
前は売店まであった,その時はまだもっと人が乗っていたときである。
駅で弁当でも何か売りたい人がいるということは初耳だった
でも観光協会がどうのこうのとかできないらしい
JRはこうして市民が地区の人が掃除していても何も礼も言わない
それは自分もそうだった
いろいろ駅を見ているですよと言っても何も礼も言わない
それがJRだという,確かにおそらくその駅前の人も地区の人も礼など言われたことがないから言っている
何か注文をつけるとうるさいというくらいにしか思っていないのかもしれない
これもどういうことなのか良くわからない
道案内しただけでありがとうと言う人もいるのになぜJRではそうして地区でも掃除したり自分もいろいろみていて補佐しているのに何も礼も言わない
一言ありがとうとも言わない,むしろどうでもいいという感じになる
それで自動化して無人駅化する
何かJRでは人へのサービス精神に欠けているのだろうか?
その辺の事情はよく分からない
今日前の自転車屋に聞いてJRはそうだなと思った
2013.10.15
JR、ずさんなサービス品質の実態〜安全対応軽視、黙り込む駅員、顧客無視のシステム
東京駅の改札前のメイン・フロアでは、カート用のスロープが一路あるだけ。それ以外は、階段と小さなエスカレーターが一機設置してあるのみ。ほとんどの人がスーツケースを重たそうに持ち上げ、階段を上っている。
東京駅でもそういうことがあるのも驚きである。そういうのは駅員が見ているとわかる
田舎の駅ではエレベーターがない駅が多い,するとスーツケースでもキャリーバッグでも階段を上り通路をわたり改札口まで結構な労働なのである。女性もいるから楽ではないと見ている
ここの記事では駅員が何かと不親切だとかインターネットの予約でも何か人へのサービス精神がJRでは欠けていると指摘している
そもそもJRは線路の保守とかメカの点検保守がメインの仕事であり人へのサービスは別なのもと考えているのかもしれない,そういう集団であり組織なのかもしれない
サービス業だとは思っていないのかもしれない
理系とか技術者関係にはそういう人が多いだろう。
でもホテルとか売店とか経営するようになっているから今は変わっているが基本的にはそういう姿勢なのかもしれない,線路とか鉄道の技術としての保守管理がメインの仕事であり人へのサービスは付随したものでしかないと思っているのかもしれない
実際に地区の人でも自分が駅をみてしていることでも全く無関心なのである。
その駅舎でも自分たちのものではないという感じにもなる
すると機械だけおく無人駅でいいというのがJRの態度になって行くのもわかる
それはただコストがかかるからというだけではないのかと今日話を聞いて思った
機械にたいしてメカには保守点検は厳重にしているが人へのサービスは重要なものとして考えないということである。
ただ駅はJRのものだけではない,駅に来て無人駅で案内する人もいないとなると駅が街の玄関の役割を果たしているというときその街自体の印象が悪くなるのである。
駅はJRだけのも問題ではない,その市町村と密接に結びついてある
経営として人へのサービス精神からみる必要もある
駅はJRだけのものではない,それは街と一体化していることを市民でも自覚する必要がある,でも車時代になると常磐高速道でも四車線化しているように
車は乗る人が多いから便利になる,鉄道は利用する人が少ないから便利にならないのである。乗る人が多くなれば三〇分感覚に電車に乗れるようにしたりできるからである。
どうしても経営はコストなしには語れないということである。