2017年08月24日

なぜ復興ができないのか? (戦後の焼け野原からの復興と原発避難区域の相違)


なぜ復興ができないのか?

 (戦後の焼け野原からの復興と原発避難区域の相違)

戦後の焼け野原からなぜ日本が復興できたのか謎である。焼け野原になった写真を見たらあまりにも絶望的だからである。津浪の被害でも原発事故の被害でもあんなふうにはなっていない,津浪の被害も悲惨だったがまだ一部なのである。
そんなところからなぜ戦後の復興ありえたのか?ふりかえるとその当時を生きた人達は団塊の世代の親やその前の人であり死んでいる人が多くなった

ただ団塊の世代は子供時代の貧乏を経験している,みんな家には電化製品はなにもない,飯台一つしかなく炭であり竈でご飯を炊いていたから手間だったのである。
洗濯は近くの小川でしていたし洗濯板でごしごし洗濯していたのである。
そういう時代があったということが今になるとはるかに昔になってしまった
それは自給自足の生活の延長だったのである。
だから卵は贅沢であり玉子焼きが食べられるようになったとき豊かさを実感したのであるただその時農家は鶏を飼っていたら卵を食べていた,農家の方が贅沢だったのである。
物がない時代,自給自足しているような農家がかえって豊かだったのである。

日本がなぜ戦後焼け野原復興できたのかというとき朝鮮特需とか軍需経済から民間経済にシフトした,軍需に労力を費やすことをしなくて良かった,世界の環境でもアメリカがソビエト連邦とかを敵視するようになり共産主義の驚異を感じていたので日本をその防波堤としようとした,何かそうした世界情勢が味方した。
それにしてしもなぜあの焼け野原が10年とか20年で復興したということは驚きである。
日本の底力があったということになる,日本は戦争でも一丸になるし挙国体制では得意である。切り換えも早いということがある,日本の国民性が復興をできた推進力だったというのもわかる

それに比べてなぜ津浪とか原発被害地域が復興できないのか?
それはその当時の情勢とあまりに違う,なにもかも豊かになりできあがった社会が崩壊した,戦後の焼け野原も同じじゃないかというがその時は回りもみんな同じ状態だった
今は回りはみんなやはり同じように豊かな便利な生活をしている
するとゴーストタウンのようになった町や村を見て愕然としてしまうのである。
何か住めないという感覚になる,それは理屈ではない,実感である。

戦後焼け野原になったとき戦地から帰ってきた引揚者がこの辺だと町内から近い小池でも開墾に入った人を知っている,引揚者は浪江でも対馬とか飯館村でもそうだしどこでも不便な不毛な地域に入ったのである。
今ならそんなところに開墾などに入らない,でも仕事となるものがないからそうなった
食料も何もないとなるとそういう難儀な場に人は入ってゆくほかないのである。
もし今のように回りが豊かな生活していたら別である。
人はそんな所に入って行かないのである。対馬では中国人の嫁が夫を都会に出たいと鉈(なた)で襲った事件があった,あんな山の中だとは思わずそうなった

なぜ原発避難者が帰らないのかというときこうした時代の影響が大きい
何でもある便利な豊かな社会に生きていたときそれが突然ゴーストタウンになったとき
もう帰らないという選択をするのも当然だとなる
小高だったら隣の街に行けば前と変わりない便利な豊かな生活をしているからここに住んだ方がいいとなる,飢饉のとき越中からの移民がなぜ来たのか?
それはその時越中などの移民も苦しい生活をしていた,それで土地があるなら与えられるならと移住してきたのである。農業が主の時代だと土地が与えられるならそうなる
今は農業主体の生活ではない,みんな会社員なのである。

ただ故郷に老人だけが取り残される,老人ホームも立派な建物があっても小高では人手が集まらないので再開できないのである。
そのことはここだけではない,ここでは何でも極端なものとして起きている
第一老いた親を残して肝心の子供たちは去り他で別な生活を築くようになったから帰ってこないのである。
でも親を捨ててその親を今度は残った人達がめんどうみろというのも勝手に思う
親を引き取るならいいが残された人たちがめんどうみろというのも勝手だと思う
親は故郷に住み死にたいという気持ちはわかる
でも誰が最期に世話するのかとなると残った人達になるのか?
帰らない人達は親を捨て残った人達が世話するというのもまた勝手だとなる

結局街はどうなってゆくのか?ゴーストタウンとなり残された老人が幽霊のようにさまようとなるのか?
外から見ればそういう街は面白いとか興味本位の対象にされてしまう
そういうことで面白いかとか楽しいかとか小高の若い者は批判した
廃墟趣味のような人も来ている
実際にそれは個人的にも自分は経験している,介護から自分の病気になったとき人はよりつかなくなる,社交的だった女性が認知症になったとき誰も来なくなった
そうして苦難にある家には人が近づかない,近づいてくるのはカルト教団くらいである,それはなぜかとなるとへたに近づくと自分もその苦難を負わせられるしそうでなければ近づいてもかえって嫌がられる

お前はただ俺たちの苦しみを面白がり楽しんでいるだけだとなるからだ
実際はそういう人が多いのである。
そういう苦しんでいる人とかかわるとき自分もその苦しみを背負わされるという覚悟も必要になる,それができるかとなると簡単にできない,ボランティアでも一時的になるからだ。その苦難を共にする人はかかわってもいいとなる
それで関心したのは女川だったのかそこに住み着いた若者だった
それは一時的なボランティアではなかったのである。そこに住み復興を一緒にずっとするという仲間になったからである。そこまで覚悟するとなると簡単にはできない

それより誰が復興の主体であり復興しようとしているのか?
外からの支援ばかりを望みもう死ぬまで支援してくれ補償してくれとなる
そこに残り住んでいる人すら外部からの支援が頼りなのである。
外部から来た人がボランティアでもいくら復興の支援となっても肝心のそこに住んでいる人が復興する気がなかった復興できるのかとなる
肝心な人は故郷を捨てて出て行っているからである。
それなら外部の人が移り住んで復興の主体になればいいと思ってしまう
その方が復興しやすいともなる

戦後の焼け野原の時は苦しい場所でも開墾に入った,それはそう強いられていたのである他に生きる場所がないからそうなっていた,今ならどこでも生きられるとなるからそんな所に入って苦労はしないのである。
そんな貧乏の時,団塊の世代のように子だくさんになった
それは高度成長となり労働力として供給されたのである。

何かこうした時代の相違で復興できない,少子高齢化も影響している
ジジババに予算をつぎこんでも復興できない,無駄だと官僚が本音を言ったのもわかる
ただ復興した例としては新地町は津浪があってかえって前より良くなった
駅前は開発されて新しい街が作られる,相馬市にすらエレベーターがないのにあるのは贅沢だとなる
もともと駅前は何もない所だから開発しやすかったのである。

戦後の焼け野原になったときもかえってそれで新しい街作りとか国造りがしやすくなった戦前の既得権者もいないなくなり日本は新しい国造りに邁進したのである。
そういう場所には何か今までにない新しいものが生れるということもある
要するにその復興の主体になるものが誰なのか?。残された老人なのか?。
そこが戦後の焼け野原になって復興したとき根本的に違っているのである。
posted by 老鶯 at 22:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2017年08月25日

生け花はやはり剣山を使わないとうまくいかな (フラワーアレンジメント)


生け花はやはり剣山を使わないとうまくいかな

(フラワーアレンジメント)

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蛍光灯の下でこんな色合いになった
写真にとってまたあとで活け直す,いい写真をとるにはそれが必要
それは生け花を完成させるためにも必要
写真の時代だというときこれもあらゆるところに影響している
写真ぬきでは何もできない時代でもある

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我が家に数日活けし花々のその色つくし咲きて散りにき


赤は赤
黄色は黄色は黄色
白は白
それぞれの色に花は咲く
争うことなく
我が家に咲きて散る
かくあれば幸いなるかな
神はそをよしとして
その家を祝福する 


花はやはり自ら剣山に植えないと花を活かせない,壺にさしているだけでは活かせない
ただいろいろなことを一人でやるのに限界を感じた
家事からなにから一人でやるのが大変なのである。
花を活けるにしてもやはり時間と金がないとできないのである。
今になるとやることが多くなったのである

ともかく人間はそれぞれの花が調和して咲くような場がない,そして人間は花のように調和しないのである。
赤い花があり黄色い花があり白い花がありそれぞれが活きるのが花である。
そこに無駄なものはない,それぞれの花はその個性を出して活かしあうのである。
生け花は女性として身につけるものだろう。

花を愛さない女性は何か欠けている,美人でもそうである。
その人は全然花に興味をもっていないのである。
その女性は感じのいい女性でも何かそのことが一番欠けているのである。
それは家にそういう花を愛するということがない家だったのかもしれない,その人の性格が良くてもそういう家だったのかともなる。

何か男が生け花すると奇異にみられる,花を買いにいってもそうである。女性が多いからそうなる,今はだから自分では買っていない,でもやはり自分で花を選び買うのも楽しみである。花はすぐ枯れやすいのも問題なのである。
花屋のは冷凍室にあるから枯れやすいというのは本当である。
そして夏は特に枯れやすいのである。だから生け花は金がかかる
ただ女性の、たしなみとして生け花は不可欠と思える
花も飾っていないような家は何か淋しいし大きなものが欠けている
そういう無風流な人を見るとき人自体に疑問を感じる
その人間自体が殺風景なものとして見てしまうのである,ただ男性で花に興味をもっているのは少ない,でも男女に関係なく花を美しいと見る,女性とか男性とか関係ないのである。

この花は近くの花屋で買った,一年以上買わなかった,買う人がいたので買わなかった
でも自分で選んで買わないと自分好みのものもアレンジできない
花も自分のテーマである,ただ生け花と自然の花は違っている
生け花だと自然にもない花がある,大きなダリヤは見応えがある
ただすぐに写真を撮らないと夏は枯れる,冷凍室に置いたのは枯れやいのである。
畑で育てたものを市場で買えば長持ちする
ただ今の時期は枯れやすいから注意である。
明日はこの花を剣山でさしてみよう。

2017年08月26日

テレビでは他人の不幸は蜜の味になる (報道は今やネットで個々人もモラルが問われる)


テレビでは他人の不幸は蜜の味になる

(報道は今やネットで個々人もモラルが問われる)

病気の人にかかわれば病気の苦しみを負う
貧乏の人とかかわれば貧乏を負う
借金している人とかかわれば借金を負う
苦しんでいる人ととかかわることは苦しみを負う
もめごとのある人とかかわるともめごとにまきこまれ傷つく

病気の人とかかわることは自らも病気の苦しみを負うことになる,医者とか看護師はそういう立場にある,その苦しみを受けているのである。
だから精神的負担が大きいからタフな図太い人間でないと勤まらないとなる
障害者の介護とかで精神がおかしくなった人がいて大量殺人までになったが
自らも障害者の苦しみを負わされるからそうなる

貧乏人とつきあうことは貧乏を負わされるのである。
金持ちだったらその金を絶えず請求されるし平等を追及される
例えば一億円もっていたら5千万円よこせとなる
田舎だと特にみんな同じでないと許されないのである。
なぜお前は金をもっているんだ出せとなる

アメリカではそうした黒人とか底辺層とは住む場所も違っているという
広い国だからそういう棲み分けがてきる,一緒に住むだけで軋轢が生れるからである。
底辺層と住むことはやはり金があれば請求される
人間は決して奴隷の身分に甘んじることなどないのである。
いづれは奴隷でも平等を要求してたちあがる,それが人間の歴史である。

借金している人ととかかわると必ず借金を負わせられる
なぜなら借金は大きな重荷でありその重荷をとりのぞきたいといつも思っている
すると金があるなら金を借してくれとなる
例え口で言わなくても無言でもかかわる人に金を要求しているのである。
事業で失敗したような人とかかわると億の借金があったりする
普通の人がそんな人とかかわったらどうなるのか?
そういう目にあったから借金している人かかわることは危険になる
保険金かけて殺された人も現実にいるからである。
借金が犯罪の動機になっているのが多いのである。

何かもめごと争いのある人と所にかかわるのもまたきれいごとではすまない
シリアのような所で記者が残酷に殺されたけどもそういうことがある
喧嘩の仲裁で殺されたりすることがあるからだ
それで報道でもマスコミでもそういう紛争にかかわることは実際は危険である。
マスコミは毎日のように事件が起きるがそれを興味本位に伝える
津浪とか原発事故でもそういうことはあった
報道することはどちからの立場にたって報道している
すでにマスコミは中国,在日が主流をしめているから左寄りになるというのもわかる
すると右寄りの人達からの批判が強くなる,ネットではNHKであれ絶えず批判されているからだ,中国,韓国や在日が支配していると批判される

原発避難者でも一時はNHKは原発避難者側についていいたことを書いた,しかし原発避難者を受け入れた自治体では補償金をほとんどもらっていないから不満がつのっていたのである。そうしたもめごとが紛争がある所に入って報道するのことは危険になる
喧嘩している所に入って一方の言い分だけを報道していたらそのマスコミ自体がたたかれる,それがネットではできるようになったからだ

本当に原発避難区域などに入るのは興味本意の人がほとんどである。人間は別に直接かかわらなければまるで映画のようだとして面白いとなる
それはそこに住んでもいないし遠くから一時的にくるだけでありその人にとって直接は被害をもなにも負うことがないからである。
テレビなとはそうして興味本位に事件を犯罪でも事故でも伝えているのである。
それを見る人も火事で死んでも直接関係ないから興味本位で見ているのである。
もし近くに火事があったらそんなのんきに見ていられないからである。
自分は原発事故では30キロ圏外にしろ放射能の被害があったから外からとは違った見方がある,なぜならやはり被害者だからである。
ただ被害者と被害者も補償金で争ったとなる

報道にもいろいろ問題がある。今までならマスコミだけが報道する権利をもっていた
一般の人は報道などできないから責任もなかったからマスコミが常に批判の的となっていたのである。インターネットで個々人でも一応報道できるようになるとき
今度は個々人が批判の対象になる,それで自分も批判された
それは数行でしかないがグサリとつきささるものがあった

八沢浦で元の美しい入江にもどったということを写真入りで報道したとき
ここで幼児が泥まみれになって死んで俺たちは泥をかきわけて探していたのだぞと言われた
その時何が美しいのかということでその人は怒りになっていたのである。
個々人が記者のようになるとあらゆる場面で映像としてとり残しインターネットでプログでもなんでも出すことができるからそうなる
津浪にのまれる人をビデオにとっていた人もいた,助けないでビデオをとっていた
それはまさに記者でありそううい衝撃的な映像は放送すると視聴率がとれるからである。個々人がそうしてマスコミと同じようになっていたのである。

いろいろな人がいたが作家と詩人とかもいた,フランス文学賞とかもらった詩人もいた,それも原発事故を契機にネタにして有名になったのである。売名詩人とか作家とかなる
その詩の内容はどうでもいいのである。
それをNHKでもマスコミでももてはやしたのである。
そういう人もやはり興味本位であり本当に被災者を思っているかとなると疑問になる
つまり全国民が興味をもっているときそういう人は話題になりここで名前を売り込むことができるのである。
NP法人でも国から自治体から金をだましとった人も普通にいた。
つまり善意を装って被災地を食い物にする人達が普通にいるのである。

だから原発避難者にしてみれば原発避難区域になったところでは興味本位で面白がって来ている人が多いのである。ゴーストタウン化した街というのはどういうものか見たいとなる,自分もそうだった,興味本位でありそこに住む人のことを考慮していない
ただ自分の場合は同じ被害者でありまた同じ南相馬市とか相馬藩内であり密接にかかわるから外から傍観者とは違う,その影響を受けるからである。
自然を破壊されたりしているとやはり景観でも水でも何でも影響を受ける
だからなんとか復興してほしいとか傍観者でいられないから発言しているのである。

ただ原発避難者でも興味本位とか面白いとかいうけどその人たちは毎日パチンコ通いギャンブルしていのがほとんどだったのである。
外からは興味本位の人が来て内部の人はギャンブルしていたというのも異常である。
もし内部の人が当事者が本当に病気であれ貧乏であれ苦しんでいたら別だが補償金もらって喜んでいた人が多いのも現実なのである。
そういう人達を見ていたら街が興味本意の対象にされていることに怒りなどもたないだろう。なんとか本当に復興しようと汗を流しているなら別である。
俺たちはこんなに苦労しているのに外からくる人はしょせん興味本意で楽しんでいる
そうなるとそういう人達に怒りにもなるのである。
でも避難者の当事者が実際はギャンブルして避難区域の復興などどうでもいいとなれば
外から興味本位で見に来る人も批判できないともなる

いづれにしろ自分も経験しているけど他人の不幸は蜜の味になる
毎日テレビで事件を報道しているけどそういう面がある
別に自分たちに直接火の粉が降りかかってくるけでないからである。
ただ傍観者として楽しんでいるとなる
そこに報道の問題があった,常に言われるのは貧乏人のことを話題にするけど
マスコミの人は高給取りでありそんな貧乏人と関係ない暮らしをしているのである。
そして報道ではそれみよがしに同情したふりして報道しているのである。
そのことは常にネットで批判されているのである。
マスコミで報道する人など貧乏人のことなどどうでもいい,興味本位の対象にしているにすぎないのてある。それに視聴者も興味をもつからそうなる
NHKですら貧乏人を捏造していたのである。

貧乏人とかかわることは身銭を切って助けなければならないようになる
報道する人はマスコミはそんなことはしないのである。
報道は必要でもなにかその報道の姿勢が問題になる
なんのために報道しているのか?ただ興味本位であり視聴率をあげるために衝撃的な映像でだす,それは個々人のレベルでも起きているのだ。
報道の倫理というのものは何なのか?マスコミにはそういうものはなかった
ただ視聴率をあげることが最大の眼目でありモラルなどないのである。

別にインターネットで報道しなければ自分だって報道は何かなど考えない
そもそも報道できないのだから考えようもないのである。
視聴者はテレビとかと比べると極端に少ない,でも報道することはそれなりの姿勢が必要になる,モラルも必要である。
どういう趣旨で報道するのか?ただ刺激的なものを報道して視聴率をとればいいのかとなる
津浪の被害地域であれ原発避難区域であれその状態を知ってもらいたいということがあるでも興味本位になったら面白い楽しんでいるだけだとなる
そうしたらその当事者は怒りになるのである。
俺たちはこんなに苦しんでいる,家族も死んだ家もなくなった,それを面白がり楽しんでいるのかと怒りになるのである。
一時自分でもそういうことがあった,そう受け取られた,誤解があり批判されることもある,報道すること自体絶えず批判にさらされているのである。

あなたは何のために報道するのですかとなる,駅のことを報道してきたがそれは鉄道を利用してもらいたいという自分の願いがありそれは別に津浪とか原発避難者とか区域を報道するの放とは違っている,誰からも批判されることはない,無視はされるが批判されないのである。そこで津浪の被害者や原発避難者などの怒りをかうことはないからである。
報道で問題になるのはだから苦しんでいる人達のところにづかづか入っていってただ興味本位で報道するときである。その時怒りをかうことになるのだ。
実情を知らせるためですというのもわかるが実際は興味本位に報道して視聴率をあげるためだけなのである。

実際に何か大きな事件とか災害とかないとテレビなど見ない,芸能人のゴシップばかりにもあきているからである。でも一旦そうした大きな不幸かあると視聴率があがる
だからテレビにとってマスコミにとって他人の不幸は蜜の味なのである。
そして視聴者でも他人の不幸は蜜の味である。自分に被害が及ばないから傍観して見ていられるからである。

ともかく報道することにもいろいろな問題がある,本当にその人に同情して報道しているのか?そういうことは報道にはまれではないか?
マスコミの記者は絵になる報道したいからポーズをとってくれとか被災者に要求してくれとかそこで泣いてくれとか要求しているのである。
テレビでは役者が本当に涙を流すがそれも役者だからできる
何かそうしてドラマのように作られて真実が何なのかわからないのである。

自分の場合は現場にいるのだからリアリティを追及して報道した
それで原発避難者から批判があったがそれも現実なのである
きれいごとではすまされないのである。
原発避難者側にもかなりの問題があったのである。
本当に働いたのは津浪のときは自衛隊だったと言っている
瓦礫をかたづけたからである。それで過労で三人くらい死んでいるからである。
他は津浪の被害地に来ても興味本位なのが多かったのである。

みちのく鹿島球場で二軍の試合 (東京からもファンくる-シャトルバス運行)


みちのく鹿島球場で二軍の試合


(東京からもファンくる-シャトルバス運行)

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みちのく鹿島球場で今日は楽天とジャイアンツの試合があるとシャトルバスがとまっていた,女性二人も案内に出ていた
東京の方からも来ると言うから二軍でも見る人がファンがいるものだと思った
なぜなら東京からだ電車賃が高くなるからだ
よほどのファンでないと来ないだろう,でも東京から来るということはにぎやかになっていいことである。

みちのく球場は津浪の被害がありあそごでも死んだ人がいた,何か津浪が渦のようになりはいりこみ死んだという,あの辺は被害が距離的にも大きかった
それが復興して野球試合が行われる,そして今度は常磐線が開通したから東京からでも来やすいのである。
これは大きなイベントでもある,鹿島ではあまりそうしたイベントはないからである。

入場券は1500円だから高いのか?その人は老人でシャトルバスには乗らないで自転車で行くと行った,自転車でも遠くない場所である。

駅はしょうちゅうJRの関係の人がきて工事したりしている,最近は小屋を建てるらしい
仙台から来た人がいた,新幹線の無線関係で仕事したことを語った。
なんでもトンネルで無線が切れるのでその工事をしていたという
今はスマホとかいろいろ無線機器を使っているからトンネルで切れると困るからだろう。

次に問題になったのが警察が二人来て職務質問されたことである。
誰かが怪しい人がいると匿名で通報してきたのである。
そのことに頭に来た,匿名であやしいと警察に連絡するとすぐに行く義務があるという
ただそんなことをしていたら匿名の人を信用してそんなこたとをしていたら仕事も増えるしこなしきれなくなると思った

このことは次回に書く

警察官が二人駅に来て職務質問される (近くの誰かが怪しいと警察に通報したから)



警察官が二人駅に来て職務質問される


(近くの誰かが怪しいと警察に通報したから)


今日駅にいたら景観が二人来て自分が駅で何をしているのか聞きにきた
それは近くの誰かが「怪しい人が駅にいる」と通報したからである。
自分は駅でもう数カ月ボランティアで道案内とかいろいろしていた
もう結構長いのである。よそ者がぶらぶらしているのとは違う。
そしたらあの人は何をしているのかと直接聞きにくればいいのである。
そこが常識的な方法である
よそ者で一回限りのような人ではないからだ

警察は何度でも言った,あやしいと通報があれば必ずかけつけなければならない,
その通報する人が匿名で信用できないではないかとしてもそう言っていた
通報があるかぎり必ず確かめに行くという
こんなことをしていたら警察の仕事がふえて重要なことに時間がさけなくなるのではないか?
怪しいというだけでその根拠は何もないのである。

■正当な理由(犯罪に関わっていると疑われる相当な理由)がなければ、そもそも職務質問に応じる義務はない。
■警察署に連行される義務はない。質問に答える義務もない。身体検査も拒否できる。
■礼状が無ければ、逮捕されることはない。
■大声で助けを求めるのも有効。
■高圧的な相手には、名前を聞くこと。警察官は身分を明かさなければならない義務がある。
■そして、録音・録画をすることで、横暴な捜査を防げる。懲戒請求も可能になる

そもそもその前に匿名の人がなぜあやしいというだけで警察に訴えて受理されるのか?
その匿名の人こそ警察であやしいと思っても不思議ではないか?
その匿名の人こそ職務質問をしなければならないのではないか?
いだすらで通報する人もいるしいろいろいるからだ
もちろん匿名ダイヤルがあるというとき匿名で通報して犯罪を防止したり摘発したりすることはできる,だから匿名で通報することがその時は許されている

じも駅であやしい人がいるというときどうしてその人が怪しいのかとなるそれは何も聞かないのである。いつも駅にいるが何しているのかわからない,何か犯罪のようなことにかかわっているのかどうかもわからない,なぜその匿名の人の通報の方を信じるのだろうか?
その匿名の通報した人こそあやしいのである。

匿名で通報した人は実際は訴えられるべき人かもしれない

でも現実に警察ではあやしいと通報があればなんども来るという
事情を話したのだから今度は自分のしていることを話してくれといってもしないという
せめて事情が警察ではわかったのだから話してくれと言ってもだめだという

警察ではともかち匿名の人の誰だかわからない人のことを全く信用しているのである。

その匿名の人の所にまずいって職務質問すべきなのである。
その人の方があやしいかもしれないからである。
なぜすぐに電話で匿名で通報してそのことを信じるのかとなる
もちろんよそものがいたり本当にあやしい人はいる

でも何でもかまわないのである。匿名で通報したらすぐに警察官が職務質問に来るのである。
どういう事情も全くきかない,「あやしい人がいる」
それだけでかけつけるのが警察の任務だといっている,そのことに全く疑問をもたないのである。
必ず匿名でも確かめに来なくてはならないのです
それより「あやしい」というのはどういうことであやしいのことか聞くのが普通である。人間社会の常識ではそうである。
つまり警察は人間社会の常識が通用しない場である。ただ一方的に「あやしい」というだけでその人を信じてしまうのである。

訴えられるべきは匿名で通報した人である。

なぜならよそ者としてとおりすぎるわけでもない,もう数カ月も駅にいるからである。
だったらその人は何をしているのか聞けばいいのである。

匿名で通報した者よ,あなたが職務質問されるべきである。

こんなことをして田舎でしていたら疑心暗鬼になり何もできなくなる
田舎だったらあの人毎日来ているけど何しているのかと聞けばいいわけである。
その匿名者こそ責められるべきなのである。

まず警察では大きな犯罪とかはとりあげない,大金を盗まれて届けてもとりあわない,自分で経験しているからだ,何か大きな犯罪にはなるべくかかわらないようにしている
ただいちいち匿名の通報などにはかかわっている,時間をさいているのである。
そして日本の警察は外国に比べて逮捕率が90バーセントとか高いのである。
そこには不当逮捕とかあるから深刻であり怖いのである。

そういう警察に対して苦情を聞く場所がある,電話でうけつけている,それは逮捕されたとかの深刻な人である。
警察に抗議することができるという,個人的には警察は相手にしないだろう。
そんなことができるのか?警察は権力が強すぎる
これも市民が監視しないとこうした横暴がまかりとおる

あやしいというだけで田舎でいちいち職務質問に来ていたら仕事が増えるだけである。
それも事情は全くきかないのである。「あやしい」というだけで職務質問にくる
それこそが横暴なことであり警察権力の乱用になる

どういうふうにあやしいんですか?そのことすら聞かないで職務質問に来るのである。
一言も聞かなくもかけつける義務があるのですと言っていた

「見慣れない人がいて駅にいつもいます,何しているのかわかりません,不安です」
「何か悪いことをしていますか?そんなそぶりが見えますか」
「いいえ,何もありませんが・・・・」
「ではどうしうてあやしいとして通報したのですか?」

このうよに匿名で通報した人を職務質問すべきことがある,見たことがない人があやしいというのはわかる,その人はずっと数カ月もいたのだからそこでなぜ今になってあやしいと通報したのかとなる,そのことこそ職務質問されるべきだったのである。
これは法律の前に人間としての常識からはずれている,でも警察は常識は通用しない,警察の常識が通用するのである。それで不当逮捕もあるから怖いのである。
ともかく警察に常識は通用しないのである。脅しでもなんでもまかり通ってしまう世界である。どっちがあやしいかわからないのに匿名の通報があったらすぐにかけつける
こんなことがありうるのかともなる,犯罪のそぶりもなにもないのにそうしている

警察には何か理不尽なことが多い世界である。
ともかくインターネットでも匿名が問題になったが実社会でも匿名がこれほど警察にも認可されていることに驚いたのである。
常識では匿名は信用できないということである。だからネットでも実名の人が増えてきたのである。
ただ匿名の効用はあるが実社会でこれほど匿名が通用していることの驚きだったのである匿名ならまず疑い信用しないのがネットである。実社会では匿名がこれほど警察にも信用されていることは何なのだろうとなる
これは自分だけの問題ではない,地域社会でも国民の問題でもある

匿名の人があやしいというだけでかけつける,職務質問する

事情も聞かない,匿名の人をまず信用しているのだ

こんな社会だったら本当に疑心暗鬼になり平穏に暮らせなくなる
これは小さいようで大きな問題かもしれないのである。
これは自分だけの問題ではない,警察の在り方とか匿名のことについて国民は考えるべきである。

「救援連絡センター」は、警察の横暴などについて相談を受け付けており、「まさに職質中の場合、代わりに警察と電話で話をする」こともしてくれるそうだ。
 電話番号は、「03-3591-1301」
 営業時間は、平日は9:30〜20:00、土日祝は12:00〜18:00だそうだ。

「あやしい」というだけで警察に通報することは違法である (これは国民全体の問題である)



「あやしい」というだけで警察に通報することは違法である

(これは国民全体の問題である)

■正当な理由(犯罪に関わっていると疑われる相当な理由)がなければ、そもそも職務質問に応じる義務はない。

警察に誰かが通報したということは警察がその通報者をあやしいというだけで全面的に信用ることである

その通報者に事情を一言も聞かない
「犯罪に関わっていると疑われる相当な理由」などなくても通報できる
「あやしい」というだけで十分なのである
すぐに警官はかけつけく義務があるという

匿名の通報者を全面的に信用している,でも実際は匿名でも電話番号がわかり相手のことがわかる,するとその匿名というのは調べてわかり通報した人を信用したのだうか?
そうかもしれない,何かいつも駅にいる人がいる,あやしいとして通報した
その事情は一切警察では聞かないという

警察に通報することはいろいろ問題がある,どういう理由で通報するのかが問題になる
嫌がらせとか隣人トラブルは常にあるけど警察に通報するとなると大事になる
それで相手も心証を悪くしてかえってこじれる,そして殺人までになったことがある

警察がなんでも介入することがいいことではない,介入するにしても何か理由が必要なのである。

今回自分にはその理由が見当たらない,駅にいつもいるというだけで警察に通報する理由にはならない,何かそこで問題を起すそぶりがあるとかなればありうる
でも毎日のようにいたのだから直接聞いてみればわかる

あやしいというだけで通報する理由がないのである。
あいつはあやしいというだけで警官がすぐに駆けつけるとしたら警官でも仕事が多くなりこまる,警察は大きな犯罪にはかかわらない,小さな犯罪にはやりやすいからかかわる,うるさいのである。
いちいち騒音トラブルでもなんでもない,近隣トラブルでもない,第一駅にいつもいるからと誰も迷惑になっていない,たいがい通報しているのは迷惑になっているからである。
そもそも警察に通報することはやっかいなことである。警察が近隣トラブルとかで介入すると角がたち田舎などでは住みずらくなる
いつも顔を合わしているからそうなる,だから警察は田舎だとあやしいとかでいちいちかけつけて近隣トラブルに手をつっこんでいたら田舎の治安は乱れる

すでに田舎の治安は乱れたのである。そんな匿名の人に事情もきかない,ただあやしいというだけで警察に通報することが田舎の治安を乱したのである。
匿名で通報した人も悪いにしろなぜ警察がそんなことでいちいち来るのかとなる

ともかく

あやしいと通報すれば警官がすぐにかけつける,事情は全くきかないのである。

正当な理由(犯罪に関わっていると疑われる相当な理由)がなければ、そもそも職務質問に応じる義務はない。

そんな人が通報しても警察が答える必要もないともなる,第一通報者に正当な理由がまずないからである。そこが警察の一番間違っていることなのである。

通報者があやしいというだけでは正当な理由にはならない

通報者を全面的に「あやしい」というだけで信じるのか?

それより通報者のことをわかって職務質問に来たのかもしれない,でなければそんなことできるのかともなる

これを法律的に訴える根拠になる,警察を訴えるとなるとめんどうでもあやしいというだけでその通報者のことを事情を一言も聞かないで職務質問に来たからである。
そういう職務質問には答えなくてもいいとある
これは通報者の問題だけではない,警察自体のそうした姿勢が問題になる
通報者があやしいというだけで即座にかけつけたりしていたらどうなるのか?
そんなことでいちいち通報されていることに答えたらどうなるのか?

これは法律としても明らかに違反しているだろう。ただ権力があるから

あやしいというだけで職務質問にかけつけてきた

その理由がこの社会で通っていいのだろうか?
これは自分だけの問題ではないのである。

今の社会は匿名社会である。タニコウは会社としてこの辺では有名である。
社長が東京から来るので迎えに来る,そして友伸エンジニアリングを知っているかと聞いたら知らないのである。
友伸エンジニアリングの関係の人も東京から結構来ているのである。
会社が違うとこれだけ狭い田舎で知らないとなるのだ
そういう社会だとなる,田舎でもそういうことがある

都会だと駅など無数の人が行き来するからわからない,でも田舎だと行き来している人とかいつも駅を利用る人などはわかる,自分は毎日冬からもいたのである。
だから長いのである。としたらその人があやしいというとき聞きにくれば良かったのである。ただ誰が通報したかはわからない,でも外から来た人が通報するとは思えない
駅にいつもあやしい人がいると言っていたからである。

通報した人は自分を長い間見ていたとなる,ただなぜ今になって通報したのかわからないこれはただ自分だけの問題ではない,警察がそうした通報でいちいち職務質問したりしていたら田舎の平穏が乱されるのである。
疑心暗鬼になってしまうのである。警察に通報することはなかなか普通はできない
近隣トラブルでも警察に通報したら角がたち恨まれて殺されたという事件も普通にあるという。
要するに警察がかかわってかえって治安が乱れることもある,事前に犯罪も防ぐ効果もあるが近隣の信用関係が壊される,田舎は住みずらくなるのである。
その辺を警察は考慮しなければならない,それが今回はなかったのである。

通報者を信じる正当な理由とは何なのか? (あやしいという通報だけで職務質問できるのか?)


通報者を信じる正当な理由とは何なのか?

あやしいという通報だけで職務質問できるのか?


正当な理由(犯罪に関わっていると疑われる相当な理由)がなければ、そもそも職務質問に応じる義務はない。

なぜ今回の通報が問題だったのか?まず通報した人が悪いことは確かである。
なぜなら駅にいたのだからきいてみる,回りの人に聞いてみる
自転車屋はいつも自分より駅を見ている,駅前で仕事しているからそうなる
だから自分より詳しいのである。
そういう人に聞いてみたりしてもいいのである。
その人は実は駅のことを一番知っていたともなるからだ
何かあやしい人がいたら自転車屋の人は見ているとなる

法律で追及されているのは正当な理由なのかもしれない,自分は理屈好きだからそういうことは関心がある

正当な理由とは何なのか?

あやしいということだけで正当な理由ですぐにかけつけて職務質問できるのか?
何かこういうことであやしいのですというならわかる
警官は何度も言ったのである。
「あやしい」と通報があればなにがなんでも確かめに来なければならないのです
それが匿名でもそうなのです,ただ警察だと電話してきたらその番号がわかり住所でも特定できるし誰かわかるのである。
するとそうしてわかって通報した人を信用して職務質問にかけつけたのかとなる

あやしいというだけですぐにかけつけるのは正当な理由としてあるのか?
実は自分はに与那国島で経験している,木蔭に休んでいるからあやしいと警察に通報され即座に警官がかけつけてきたのである。
その理由が木蔭に休んでいるという理由なのである。
ここでは一応理不尽でも理由があった,でも今回はあやしいというだけで理由がないのである。
全く理由が無くてもあやしいと通報があるとかけつけねばならないのです,そこを知ってもらいたいと何度も言う
正当な理由もなしにただあやしいだけでかけつけねばならないのですと何度も言ったのである。
その理由は聞くことはないのです,そしてまたあやしいと通報があると職務質問に来なければならないのですという
これも理不尽なことである。こんな横暴が通っていいのか?
それは自分だけの問題ではない,他の人もこうして職務質問されることになる
理由などなくてもあやしいと通報されるとすぐにかけつけて職務質問されるのである。


ただ与那国島は小さな島であり閉鎖された世界である。だからよそ者を警戒している
でもその理由は木蔭休んでいるからというのが正当な理由になるのかとなる
ただそこでもその警官は島の人の言い分は聞かなければならないと言っていた。
今回の場合とにているのだ。
ただ今回は自分は地元でありずっと駅でも長くいたのである。
通りすがりの旅人ではない,そこが根本的に違っていたのである。
今日何かあやしいこともしてない,ただ二軍の野球の試合があるので写真をとったりしていた,それであやしいとなるのだろうか?
今はスマホでもなんでも写真とっているからである。

だから外部の人とは思えないのである。市の女性の若い職員が来ていた。
これも何かあまりにも子供っぼいので話しにならなかった
何か市職員は若くまともに話ができない,正式の職員なのかときいたがそうだという,何か違っているかもしれない,臨時とかアルバイトとか雇っているからだ
パークゴルフ場ではそうである。あのような女性は正式の職員にみえなかったのである。市の職員自体が地元のことに熱心だとは限らないのである。
まだ若いからやむをえないにしても何か質が悪い感じに見えたのである。
駅のことを話しても関心などないのである。

今回は外部の人でもない,地元にずっと住んで駅にも冬からいる,その間に問題を起こしていない,誰にも迷惑をかけていない,案内などをつとめ地元の人に教えたりしていた
たから多少は役立っていたのである。認められてもいたのである。
だからなぜ匿名で通報した人のことに一言も事情をきかないで「あやしい」というだけでかけつけてきたのか?そのことが理解できないのである。
そして「あやしい」と他にまた通報があればかけつける義務があるという
自分が事情を話したのに関係ないという,それが警官の勤めですからという
事情を話してもその警官は認めないのである。

「あやしい」と通報があればすぐにかけつけると言っていた,子供などいるからそういうことで心配した母親などいるかもしれない,そういうことに過敏になっているからである前にそうした経験もある,今の時代はともかく互いが信じられない,田舎でも知り合えないとか理解しえない社会になっている
でも犯罪はどんなところでも起きている,最も信用した人でも犯罪を犯しているのである疑うべきない人が犯罪を犯しているのである。
そして横領の罪などその金額が多いのに軽いのである。でも百円でも盗めば警察は逮捕までする,何かそうしたことが警察が人を犯罪者にするものとして嫌われる
警察官の罪は人は罪にすることであり罰することである。そこにすでにそんな仕事につくこと自体罪深いのかともなる
ただそんなことを自覚している警官などいないだろう。
権力を傘にして何でもできるんだと思い上がっているだけである。

だから今回は警察にみんなで抗議してほしいとなる
このプログを読んだ人はしてほしい
それが圧力となるからである。

つまり警察はあくまでも市民に奉仕するものであり市民に害になったとしたら市民が警察をとがめなければならない,そうしないと市民の平安すら保てなくなるのである。
なるべく田舎では警察は市民の間に介入しない方がいい,何か角がたちややこしくなるからである。
そんなただ「あやしい」という通報者など無視すればいいのである。
たいがい大きな事件になることはとりあわない,無視するのになぜあやしいとして通報した人に即座に来なければならないとかの理由がわからないのである。
そんなことにいちいちとりあっていたら田舎の平安が乱される
でも即座にかけつけるのが勤めでありこれは断れないと言っているのである。

その通報するものに正当な理由がないのである。
法律的にはやはり理由がないということは大きな問題になる
理由もなしに相手をなぐったりすることはない,何かしら必ず理由があって犯罪になる
その理由がないのに人を勝手逮捕したり犯罪者にすることはできないのである。
何か納得する理由があるならしかたがない,それないとしたらただ賢察の権力の横暴がまかり通るだけだとなる,それは市民にとって恐怖社会になる
そんなことたいしたことがないと他人事にしているといつのまにか警察のやり放題になり治安もなくなる,平穏に暮らせなくなるのである。

ここでは病院で診療を断る理由が書いてある
断るのにも理由が必要なのである。
そして警察に通報するとある

正当な理由なしに、その委託を受けた事務に関して知り
得た秘密を漏らしてはならない。

常に法律では正当な理由が追及されている,正当な理由なしにというのが法律なのかもしれない,正当な理由なしには警官は権力を行使してはならないのである。
あやしいというだけの通報で職務質問する正当な理由にはならないのである。

田舎などの市町村でも狭い社会ではもめごとにNHKでもマスコミがかかわるとかえって問題がこじれる,一方の言い分だけを聞いていたらか争いをかきたてるようになる
家族のもめごとでもかかわりにくいのは骨肉の争いであり他者がかかわりにくいからである。そういう面が田舎の争いにもある,だから安易に一方の言い分を聞いて「あやしい」というだけでかけつけて職務質問などするものではない
田舎とはそういう場所なのである。かえって問題をこじらせてしまうのである。
そもそもそうした争いごとに介入すること自体容易ではない
公平な立場を維持できないからである。

それが原発避難者に一方的についていることで争いがかえって治まらなくなったともなる田舎だと村のような所になると余計にそうなっていた
そこは警察とか介入しにくく犯罪も隠された,それも問題だが警察が介入したからといってでは村の問題が解決するかとなるとならない,かえって介入した結果事態が悪くなることすらある,だから警察というのは万能ではない,日本では内々に治めるということがありそういう文化なのだからそれでもいいとなる
警察に頼りすぎる社会は日本ではいいものではないのである。
そういう社会であり平和を保ってきたのが日本の歴史だったともなる
日本では警察力が弱い方がいいのでてある。警察があまりかかわらない方がいいのであるその時日本では平和なのである。だから警察に通報などは簡単るするものではない
また警察では正当な理由がないのだからとたあげるべきでもなかったのである。

2017年08月27日

しのびよる警察国家の影(白川勝彦) を読む


しのびよる警察国家の影(白川勝彦) を読む

職務質問でここまで抵抗できる人はいない,どう対処するのか国家公安委員長までしているきだから心得ていた

私が会いたいのは署長だけですから、誰が出てきても同じです

つまり警察でも市役所でも会社でもどこでも対応するのは責任もない下の人でありそういう人とあっても言っても何の効果もないのである。
私は上の人の命令でしているからわかりませんで終わりになる
市の問題でも何か市民が訴えても同じである。

でも署長に会えるのかとなると普通の人はできない,そこまで通すことはできない
それでも署長が最大の権力者でありその人に会って言わない限り効果はなにもないのである。下の人は何の責任もとらないし実行力がないからである。
適当にあしらって終わりになる
そういうことはみんなどこでも経験しているだろう。
官僚でも役人でも会社だったそうである。会社だったら社長に会えば社長が権限をもっているのだから効果がありその他はないのである。

つまり下の人は何もできない,すると権限をもっている社長が本当は大きな責任をになっている,警察署長なら署長が権限をもって部下に命令できるのである。
部下がそうして無法なことをしていたら注意するし改めさせることができる
部下が無法な職務質問しているのは実は署長の責任になる
でも署長は部下のしたことを知らないとうことがある,でも署長が責任があるとなる
それは公安委員長までしていた人だから知っていてできたのである。
社会とは誰が実質動かしているのか?そうして権限と権力をもっている人だとなる

ここで問題になるのは、Due Process Of Law という考え方なのです。法の適正手続きなどと訳されますが、本来の意味はちょっと違うような気がします。国民の生命・身体・財産などに対する強制力の行使は、法が定める正当な手続きと方法に基づいて行なわれなければならないという、かなりポヂィティブな意味をもっている概念で、アメリカ法のもっとも基本的な理念のひとつです。

誰に対してもできるというものではないのです。

異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して、何らかの犯罪を犯し、または犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者

こういうことが匿名の者があそこにあやしい人がいるというだけで職務質問できるのか?
その理由が全くないのである。第一あやしいというだけでどうしてあやしいのか聞いていないからである。理由がなくてもしやしいと通報があったら職務質問する
それも何度もあやしいとだけでも通報があれば職務質問に来る,それが勤めだと言っていた,こんなことが通るのかとなる
こうなったらもう警察国家ではないのか?
誰かが勝手に通報する,そしたら市民を勝手に職務質問して身体検査もできる
それはまさに警察国家である。

国民に信頼されない警察には、情報も集まらなければ協力も得られないからです。国民の情報提供や協力がなければ、犯罪の捜査といえどもその実をあげることはできないのです。それは、他の警察活動でも同じです。しかし、権限の塊ともいうべき警察組織の中で育った警察官は、意外にこうしたことを知らないのです。国民に恐れられる警察が強い警察だ、と勘違いしている人も結構いるのです。だから、私は「国民に信頼される警察になれ」ということを強調したのです。

警察のこうした横暴を許したら警察国家になる,市民は誰かがあやしいと通報されれば強制的に職務質問される,これこそ昔の特高と同じである。つまり警察国家であり市民の安全は警察がおびやかしているとなるのだ。
警察でも市民に国民に信頼されなければつとまらない,だって公務員とは市民に奉仕することだからである。その市民が主役なのである。
市民の意識をもち市を作り上げてゆくのが市民なのである。
そういう市民意識がないと北朝鮮のような戦前の日本のような警察国家軍隊国家になり市民が300百万人も死ぬはめになる

そういう危機意識をもつ必要がある,何でも権力の一方的行使になると危険になる
それは原発事故でもそうだった,「安全神話」には検察がかかわり今でも幹部が逮捕もできないからである。ここでも原発の被害にあったものはそうした国家と一体となった
東電とかに疑問も抱くことがなかった,それがこれだけの被害になったのである。
それは戦争ともにている,行政でもこういうことがある。
市役所の職員が必ずしも市民に対して奉仕するということがあるとは限らない
適当にして無関心だということもある,市民が主役であり市民が目覚めなければ
市も良くならないのである。

日本は歴史的にお上に支配され言いなりになってきた歴史が長い,だから市民意識が希薄なのである。村という狭い意識しかもっていない,そううい歴史がないことが日本も容易に警察国家になりやすい体質になっているのである。
欧米では権力の抵抗から市民革命が生れてきた経緯がある,それがない日本は容易に警察国家になりただお上の言うことを信じる,そして戦争でも原発事故でも大被害を受ける
市民というときブルガーであり市壁に囲まれて市民が敵と戦うという歴史がヨーロッパにはあった,日本は村がコミニュテイの単位でありそういう市民が共同して戦うという歴史がない,ただお上の言いなりになりやすい国なのである。

ペイトマンは政治参加の体験が政治的有効感覚を生みさらなる政治参加を促進するとしているが、バーバーは政治参加によって市民相互の友情が育まれ公共善への関心が生じるという。

政治に課せられた最も重要な課題はアクティブな市民社会を再生すること
である。そのためにはシティズンシップの尊重と市民に公的空間へ参加する権利を保障する必要があると主張している。

パスポートにはどこのシティに市に属しているか書く,日本の感覚ではない
(citizenship)もない,市民という言葉そものものが日本にはなかったのである。
だから訳しようがないとなっていたのである。
市民の政治への自主的参加なのである。それはボランティア精神にも通じている
警察が市の職員が公的な機関にまかせるだけで市は良くならないのである。
駅は公的空間でりそこに参加する権利があり保障する必要があるとなる
その公的空間から排除されたら市民はただ警察の言うなりになり市民の連帯も失われるのである。

原発でも市民の抵抗が弱いのはそのためだった,市民というときまた左翼のようなものではない,それもまた一つの権力を形成する,カルト教団も一つの大きな権力を形成する
そういう団体はまた国家権力を形成する,それは中国が共産党一党支配となっているのと同じである。それは市民の国でもないし政府でもないのである。
まさに警察国家になる,そこには民主主義などないのである。


駅の公的共同空間から排除しようとする警察と通報者に抗議を!


駅の公的共同空間から排除しようとする警察と通報者に抗議を!

ペイトマンは政治参加の体験が政治的有効感覚を生みさらなる政治参加を促進するとしているが、バーバーは政治参加によって市民相互の友情が育まれ公共善への関心が生じるという。

政治に課せられた最も重要な課題はアクティブな市民社会を再生すること
である。そのためにはシティズンシップの尊重と市民に公的空間へ参加する権利を保障する必要があると主張している。

駅は市民の公的共同空間である。そこから排除しようとする通報者は許されない,市民の権利を奪うからである,公共的空間の立ち入りを禁止される
これは重大なことである。市民としての自由が奪われる

正当な理由なしに「あやしい」という通報があれば警察がまたかけつけて職務質問するという,そして公的共同空間からの排除しようとする,市民の重大な権利を奪うのである。なぜなら公園でも広場でもただ自由にぶらつくことだってある。
それをあやしいというだけで通報されていちいち警察が来て職務質問されたら市民は広場でも公園でもぶらつく散歩することもできないのである。
何かあやしいという理由も根拠もないのである。
ただあの人があやしいというだけで通報されて職務質問に何度もかけつけるという
市民の権利と人権侵害なのである。

これが許されたらまさに警察国家である。それは自分だけの問題ではない,みんなの市民全員の問題なのである。
誰かが匿名でもなんでも通報すれば警察がやってきて職務質問して身体検査までする
そして共同空間からの排除しようとする,ただあやしいというだけで理由もなしに
通報されただけで共同空間から排除される
そんなことが許されたらここではもうまともに暮らしていけない,自由が奪われるのである。そんな通報をいちいち聞いて理由もなしに職務質問されたらもうここで生活すらできないのである。

駅をぶらついていても駅に毎日来てジュースを飲んでいる人もいるし会話を楽しむ人もいる,そのことを書いてきた,駅は公的共同空間なのである。
その市民の権利はただあやしい人がいると理由もなしに職務質問して何度もあやしいと通報されるだけで警察は来る,それが義務であり勤めなのだという
例えばこ公園でもぶらついていてあやしいと通報する人がいたら公園すら利用できないのである。公的空間の排除が警察によって行われることなのだ

これは自分だけの問題ではない,白川勝彦氏にも起きたようにみんなの問題なのである。だから市民がみんなで抗議するべきである。
そうしなければ公共的空間で暮らすことの自由が失われる,何の理由もなしにあやしいと通報されただけですぐに警官がかけつけて職務質問されることが許されのか?
警察は市民を守るということもあるが市民の敵と化すこともある。それが怖いのである。まさに警察国家になる,地元で公共善も追及できない,警察があやしいとだけ通報あるだけでかけつけて尋問して公共空間から排除しようとする
警察はもう市民のためにあるのではない,市民の公共善を追及することをはばみ,そして公共的空間から排除しようとする,隔離しようとする
警察は市民に敵対するものとなるときまさに警察国家なのである。
市民は警察を糾弾しなければ警察が権力がありなんでもできるとなり警察国家になるのである。

警官は何度でもあやしいと通報があれば来るというからだ,事情を説明してくれといってもきかない,あやしいと通報があれば何度でも来ると言うのである。
その理由は問わないのである。権力の横暴がこうしてまかりとおったとき民主主義もなにもない,恐怖政治であり警察国家になるのである。
それは自分だけではない,市民全員に及ぶことなのである。
だから市民は警察と通報者を糾弾すべきである。抗議すべきである。

治安の悪化は被疑者が権利を主張しすぎるから、ではなく、警察が信頼を失って法治主義が崩壊/衰退したから、ではないか。

烏賀陽(うがや)弘道という人も警察にひどいめにあった,それを書いている
この人も記者だから弁護士を知っていたりして抵抗した
でも一回でも警察にひどい目にあうと警察を信頼できなくなる
それで法治主義国家が崩壊してゆく,その時村の自治のようなものが残っていれば対処できるが国レベルで対処できなくなる
今の時代コミニュティの力が弱い,分散しているからまたむずかしい,自治体というけど自ら治める力が衰退しているのである。

そうなると誰が市町村の治安を守るのかとなる,住民が守らなければ守れないとなる
その住民の間でも今回のように互いに不信感があり相手を知らないこともあり
コミニュティとしての絆が弱くなるとどうして治安が守れるのかとなる
いづれにしろ有名人でもそれなりに力があっても警察には抵抗できない,一回でもこういう目にあったら恐怖になり忘れられないのである。


警官自体がよそ者であり田舎の事情を知らない (それでづかづかと田舎の事情を知らないで介入してきて平和を乱す)


警官自体がよそ者であり田舎の事情を知らない

(それでづかづかと田舎の事情を知らないで介入してきて平和を乱す)


今回駅で一見「あやしい」と通報した人がいて警官がすぐにかけつけることはいいことのように見える,でも何の正当な理由もないのにしているとき田舎だと特に狭い範囲で生きているからかえって治安を乱す,田舎ではそうしたことは狭い所で生活しているから深刻になるのだ,だから村社会ではなるべく争わないように工夫していたのである。
毎日顔を突き合わせて生活しているからそうなった,村八分があったとしても簡単にはできなかったのである。

今回の問題でそもそも警官が駐在所で南相馬市警察署でもそうである。
その警官はみんな地元に長く住んでいるものではない
一時的にいて転勤してゆく,つまり警官自体がよそ者なのである。
ずっと住んでいればいいがそういう人がいても大方は転勤する人が多いのである。
それは銀行でもそうだし現代ではそういう人が田舎でも多くなっている
そうなると一時的にいるだけだら元から長くいる住民とは違って田舎のことを知らないのである。
その土地土地のことを知らないのである。また愛着など郷土愛とかもないのである。
田舎がどういう所なのかもわからない,その人間関係もわからないのである。

ただ田舎自体が昔の田舎とは違う,会社員がほとんどであり農業しているわけではない,すると田舎でも何をしているのかわからない人が多いのである。
そこに田舎自体のコミニュティが失われている,だから簡単に誰か知らない人がいて駅をうろついているだけでも通報される,でも自分は冬から駅にいたのだからそこで問題がなかった,だから通報した人は聞きにくれば良かったのである。
冬からいるということは相当長いのである。

ともかくそこに長く住んでいる人はやはり信用に値するともなる,外から来た人はなかなか信用できないとなる,それで農家では三代つづい一人前の農家として仲間になるというそれは農業時代のことである。今は全く違うみんな会社員の時代なのだから何をしているのかわからない人が多いのである。
田舎でもそうである。東京から会社の社長がきて迎えに来る,そうなると東京の会社の社長はここに住んでいないから土地のことに関心がないともなる

例えば市役所の人がきても原町の人だったら鹿島駅に関心がないし車だけで電車を利用しない人は駅には関心がないのである。
そういう時代だから何か一つのコミニュティというのが形成しにくいのが現代である。
すると誰かわからない人が駅にうろついているだけでも警察に通報する
直接いつもいたのだから聞きもしないでそうしている
あやしいとしてもその正当な理由がないのである。
その通報をうのみにして警察が飛んできて職務質問する
何か迷惑をかけているわけでもないのにそれが義務だとして正当化している

広域化社会とかグローバル社会とかになったがその弊害も大きかった
昔の村のような核となるコミニュティが崩壊したとき原発事故でもわかるようにコミニュティは簡単に崩壊して元にもどらなくなった
広域化グローバル化の影響は確実にある,金さえあればどこでも暮らせる便利に豊かに暮らせるというときそうなる,それもいい面と悪い面としてある

物事は必ずいい面と悪い面に働くは便利でも交通事故がない日はない,車も諸刃の剣なのである。
その最たるものが原発だったのである。これも事故がないならいいものだった
でも事故になったらもう故郷でも住めなくなったのである。
この被害は大きいのである。
なんでも諸刃の剣だということを知らないとそういう危険な目にあう。

要するにこの世に絶対的いいものはない,いいと思ってもダークサイドとか悪いものともなる,科学技術は人間にとっていいものだとしても悪く働くと交通事故になり原発事故になり住めなくなる
警察権力でもそうである。いいものとして働けば治安を守る,逆に悪いものとして働くと住民の自由な権利やコミニュティをも破壊するようになる
田舎では極力警察権力は嵌入しない方がいいいのである。
ただあやしいと通報しただけで昔から長く住んでいる人を職務質問したりしては田舎は住みずらくなる,だから極力角をたてないように田舎では配慮する必要がある

警察は権力があるから家の中までもずかずか入り込んでくる,相手のことなどかまわないのである。暴力的であり横暴になりやすいのである。
それでいいとして警官があるとき田舎でも平和が乱される
そして気まずくなり住めなくなるのである。

やはり人間は生物の一種だからどこであれ一カ所に長く住むことで信頼でもアイディンティティも形成しやすいのである。自然と一体化するのが自分の詩のテーマである
自然も木でも寿命が長い,最低で百年とかなる,縄文杉だと千年とかなる
そういう時間が長いものには重みがでてくる
住民でもそこに長く住んでいる人は信頼するとなる,コミニュティが形成されてゆく
それがない時代だからこそコミニュティは原発事故があったりすると簡単に崩壊してゴーストタウンになったのである。
それは必ずしも原発事故だけの原因ではないと書いた
その土地に根ざす生活を現代はしていないからである。

いづれにしろ警官自体が転勤してきたよそものであり銀行員もそうであり長くはいないのである。だから土地のことを知らないし愛着もないのである。
知らないからづかづかとただあやしいというだけで地元に長く住んでいる人でもあやしいという通報だげで土足で入りこむようにかかわる
通報した人にも問題があるがやはり正当な理由もないのに権力を乱用してはいけないのである。
つまりそこに長く住んでいる人にはそれなりの権利が生じているのかもしれない
転勤とかよそ者を別に拒否するわけではないがそこを分けるべきなのかもしれない
そういう場でづかづか警察権力を乱用すると田舎の平和が乱されるからだ
農民だったら草分けは尊重された,最初にその土地を開いた人である。

鹿島区でも会社の社長は東京からくる,その社長は地元に住んでいないのである。
すると地元の愛着はない,ただ地元で人を使い社長は東京で暮らしていたのである。
それで社長だから給料は高いのである。それせ何か不自然なのである。
東電の社員でもそういうことがあった,地元にずっと住んでいるのではなく一時的なものとして住んでいた
もしずっと長く住んでいると原発が事故になったら被害が及ぶから考える
でもまた地元から離れたりするから転勤する人は転勤した人にはない
そして本社が東京にありフクシマの所長と事故のとき意思疎通ができなくなっていたのである。
それは本社が東京にあったからである。地元にあったらそういうことはないしもっと真剣に安全を考慮したかもしれない,
なぜならそこに長く住むからである。

今はそういうことはない,新参者の方が威張っていることもあるし力があったりする
金があればどこでも威張れるとかなる,そこにまた問題が生れている
そうなると田舎はそれだから嫌なのだとなる
それもわかるのだが今回の駅での自分の問題でも困ることにもなる
警官自体がよそものでありそのよそ者が権力をもっているから田舎の平安が乱されたからである。
村でも庄屋でもなんでも権力をもっていた人はいた,でもその人は村の事情を知り尽くしているからもめごとでも丸く治められるということはあった思う
警察権力はそういうものではない,村の田舎の事情など考慮しないのである。

昔から日本では長いものに巻かれろとかあるから別に今だけのことではない
ただ現代はまたそういう社会ではない,自由社会であり民主主義を追及している過程にある,警察にかかわりたくないというのはわかる,自分もそうである。
スネに傷もたない人はいないからである。
でもそうしていると自由や地元に生きる権利すら侵害されて生活もできなくる
この辺では原発事故で同じようなことを経験しているのである。

現代社会は法律がすべてであり法律で解決しようとしても実際はできない,そして泣いている人は大勢いる,だから法律も万能ではないのである。
警察は上級国民の見方であり弱いものの味方ではない,だから東電の幹部すら未だに罰せられない,東電は検察の天下り先になっていたからである。
今回の問題も原発事故でもそれは何か現代社会の問題を浮き彫りにしたのかもしれない,あんなに簡単に町自体が村が崩壊してしまうことはイメージもできなかった
それはどうしても原発事故だけの影響ではない

そういうことが起こりやすいのが現代社会なのかもしれない,だから今度は大規模な大都市でも一挙に崩壊してくることが起きるかもしれない,外からの攻撃かもしれない,
ミサイル一発でも東京でも崩壊してしまう恐怖がある:また大地震でも何か原発事故でもそうである。そういう社会に住んでいるということである。
そして文明自体が崩壊するということもありうる,この辺ではそれとにたことが起きたからである。治安が乱れるのもその一つなのである。無法状態のようになるかもしれない
そういうことが一見平和であってもやはりこの辺のように近未来に起きてくるかもしれない,その危機感がないだけであり突然なるのがこの辺を見ればわかるのである。