2017年07月28日

野馬追い(鹿島村(北郷)で旗が立った家) (只野(ただの)系統は杉の旗印-菊の紋も南北朝の争いに由来か?)


野馬追い(鹿島村(北郷)で旗が立った家)

(只野(ただの)系統は杉の旗印-菊の紋も南北朝の争いに由来か?)

suginomonnn111.jpg


kashimamurahata111.jpg

knomahata12345.JPG
ここになぜ旗が立ったのかわからない
勝手にはたてられないはずである
nomahatasagi123.JPG
ここはいつも立っている
ただ記録では鹿島村の旗印にはない
原町の北原に鷺の旗印があり他にもあるが鹿島村にはないみたい
だから他から移り住んで来た人かもしれない

kikumonnnnnnnn345.JPG

kikunomonnnn345.jpg
kikumonsaka1.JPG

これは霊山城炎上の時,落ち延びた者に由来する
桑折とかはの姓はそうだからである。
只野:桑折とか菊地の姓がそうなのかもしれない,南北朝の争いで落ち延びてきた
一団だった,杉の紋と天皇の菊の紋はそうだった



只野家について考察したが南北朝に由来して古い家系である。その元は郡山近くの多田野村だったのである。

平景政(鎌倉)までたどれる只野氏の由来
 (奈良の三輪山に野馬追いの杉紋は由来している)


南相馬市鹿島区に多い只野(但野)氏の謎 (お浜下りの祭りのおつづら馬の話ー野馬追いの旗印は杉紋)

この杉紋は古代の奈良の三輪山から生れたとするといかに古く由緒あるものかわかる
そしてこの杉紋を旗印とするのは鹿島村から他にも広がっている
この辺では電話帳を見ればわかるが只野姓というのが多いのである。
只野一族系統がこの地に根をおろして広がった,それは南北朝の霊山炎上から落ち延びた侍だった,その落ち延びたものが祭りとなったのが江垂(えたり)のお浜くだりき祭りである,只野家がその祭りで重要な役を受け継いでいたのである。

そのことは近くの同級生がいて教えられて知った,その人は脳梗塞になり九死に一生を得た,でも最近土手を歩いているのを見ないな,まだ生きているのだろうかともなる

杉の紋の出ている村

宇多郷(中村) 伏見

下栃窪村 只野六郎

岡和田村 只野津右衛門

小池村 只野三郎衛門

鹿島村 只野善衛門 只野仁右衛門

横手村 只野仁衛門

只野一族は鹿島区中心に広がった,宇多郷にもあったのは鹿島村を基にして広がったのである。

次に天皇の菊の紋が鹿島区の町内に旗がたった,これは何に由来するのか?
堀川忠三郎 菊地義兵衛 菊地重朗治 桑折利平治 遠藤八朗(北屋形村)が記録されている
これは天皇の御紋である,それはおそらく南北朝の争いのとき,天皇の旗印として使ったのもかもしれない,正当性を主張して旗印にしたのかもしれない。
なぜなら明治維新でも菊の紋の錦の御旗が作られたからである。
日本では動乱になると天皇の主導権争いになるからだ
そして桑折氏も霊山炎上のとき落ち延びた一族でありその系統も菊の旗印であることもつながる

つまり野馬追いの旗印は鎌倉時代にさかのぼり南北朝の争いからはじまっている
だから旗印を見るとき南北朝の争いも思い起こして見る必要があるともなる
相馬氏は南北朝の争いにかかわりこの地方を制覇したのである。

野馬追いの旗印は何を意味しているのか?また何に由来しているのかわかりにくい,一つの系統として南北朝の争いに由来しているものがある,それが一つの謎を解くものとなる

posted by 老鶯 at 18:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

日本人には外国人メイドを使えない (主従関係が作れない)


日本人には外国人メイドを使えない

(主従関係が作れない)


日本にバックグラウンドのない外国人メイドを雇うなら 
はっきり主従関係を作らないとお前の財産は奪われ 
下手したら殺されるかもしれない 
それぐらい外国で育った環境は日本のと違う 
それさえも周知しないで 
外国人家政婦を始めるなんて間違い 

責任の所在もあやふやのまま 
数件家政婦が主人を殺す事件が続いたころは 
一儲けした企業も撤退して終わり 
こんなの目に見えてる

日本人って白人みたいに移民を奴隷扱いできるわけがないのがよくわかる。 
むしろ日本人が奴隷になってるよ。


自分の家でお手伝いさんを使ってわかった。お手伝いさんといっても一時間もいないから家政婦とも違う,今だって皿二三枚洗うだけである。10分で終わる

むしろ日本人が奴隷になってるよ。

まさに自分の場合はこれだった,どっちが使われているのかわからないのである。
一人は本当に大金を奪われたしへたすると殺されるかもしれないというのは経験でわかった,経済的差がありすぎると人間は危険になる
そもそも人間だからなぜこの家はこんなに金があるんだと家に入ると実感する
その差が大きすぎるから不満が大きくなるのである。

主従関係がある社会なら通用する,江戸時代だったら侍階級がいて仕える者がいた
それはそういう社会の中で生きていたからできたことである。
戦前でも中産階級で二人も女中を雇っていたというとき家事労働が女性の働き口であり他にないからそういう社会で女中という仕事が一般化していたからできた

今は一般の家庭で家に入れて女中を雇うことはできない,大金持ちであるならばできる,でも30万くらい月給を払わないとできないしそういう家政婦を雇うことが習慣になっているような金持ちでないとできない,日本では外国人をただ安く使おうとしているだけである。

そして戦後は徹底して平等を教育で教えられてきたのだ,平等意識が極端化している
あらゆることが平等でないと不満になる,才能でもなんでも平等であり才能があったとしてもみんな同じでなければならない,突出したものは許されない社会である。
日本ではもともとそういう平等社会だったけど民主主義になって極端になったのである。家の中に入るとその差が目に見えてわかるから家の中に入れることは危険なのである。
なぜここの家はこんなに贅沢なんだとかなり不満が大きくなる
それが具体的に目に見えてそうなるから危険になる

日本では平等意識が強いというとき雇う方でもそうなのである。お手伝いさんが家族の一員のようになってしまうのである。それはいい面でもあるが外国人を雇うとしたらそうはいかない,外国人も人間だから家に入れば家事だけではない人間として扱うとなるとめんどうになる,日本人はやさしいから余計にそうなる
すると家事だけではないその他に負担が増えることは確かである。
危険も増してくる,外国人だといつでも国に帰るということもあり一時的だから余計にそうなる

ヨーロッパでは貴族がいて階級制度が歴史的に作られてきた,ローマでは奴隷を使っていたとかそういう歴史がある,スラブ民族のスレーブは奴隷の意味である。
奴隷になる民族がいたということである。そういう伝統があって召使を雇うことができていた。でも結局相手が人間だから黒人でも平等を要求してくるし今でもその問題は解決していないのである。
つまり人間は機械の部品ではない,その部品のように人間は使いないのである。

江戸時代の主従関係は歴史的に作られてきたものである。戦国時代に生死をともにするということで強い絆が作られてきた,それはもう現代のような金だけのつながりではない
精神的に強いつながりを歴史的に形成されていたのである。
それは家族ぐるみであり地域も一体化して作られてきたのである。
ヨーロッパではさらにそういう伝統があり言葉まで庶民階級とでは違っていた
ただ日本でも侍言葉がありそれを庶民が使うようになったこともあるからにている

いづれにしろ普通の家庭で外国人をお手伝いとして家政婦として雇うことは日本ではむずかしい,そういう伝統もなくなっているしそういう社会でもなくなっているからだ
ただ便宜的に金で雇えばいいとはならない,人間は何でも金では解決しないのである。
家事は機械化して今では一人暮らしでも困らないのである。
一人の人間が外国から入ってくることはその背景に国の歴史とか宗教とか様々なものがもちこまれるのである。そこに衝突が生れてテロにもなっているのがヨーロッパなのである

では人手不足をどう解決するのか?それは日本で別な方法で解決するほかない
外国人を安易に入れると日本社会そのものが変質してくる
それでも外国人を入れるとなると相当な覚悟が必要になる
日本社会が変質してもいい,外国人を許容する,そういう寛容さをもつ
でも本当に日本人がそれをできるのか?それに耐えられなくなるだろ。
外国人を入れるとすると簡単に安い労働力としてだけではすまなくなる
その覚悟があれば国民にあれば入れるということはできる
安易に外国人を入れることは危険になる
posted by 老鶯 at 11:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題