2017年07月27日

原町駅の前で報道機関の人と出会う (野馬追いの取材で来た)


原町駅の前で報道機関の人と出会う

(野馬追いの取材で来た)


29日(相馬市:鹿島区)30日神旗争奪戦(原町雲雀が原)

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本陣山を上る

ここは急な七曲がりの坂を上るから力がいる

ここが一番祭りで迫力を感じた


 

どこの報道機関かはわからない,原町の駅前で野馬追いの報道機関用の用紙を読んでいたあれは雲雀が原で柵の中に入れる許可証である。
また必ず写真とる人がいてその人も一年前くらいから許可証もらっている
そして場所を確保する

でも今日は27日であり29日が中村神社から今の相馬市から出陣して北郷(鹿島区)で合流する,7月30日が雲雀が原で神旗争奪戦である
27日,28日ととまって帰るのかとなる

遠くから東京辺りから来ると交通費とか宿泊代がかかる,二人来ていたからそうした出費がある,報道には金がかかる,そしてどのように報道するのかとなるとそれも問題になるまず一応そ木土地の歴史をある程度知る必要がある,でも簡単には知ることはできない
報道となると結構手間がかかるしノウハウとか学も必要になる

ただ仕事として記者は面白いかもしれない,プロクで報道しているのは記者でもある
写真を撮って報告すればそれは記事である。
ただ報道機関の人は雲雀が原で柵の中にと入れるので特権がある
いい場所が与えられているからいい写真がとれるとなる

ただ野馬追いの写真は地元でもいいものがとれない,それは一回限りであり通りすぎて行くのが早いからいい写真がとれないのである。

中村神社と太田神社と小高神社が雲雀が原に集結して中村神社の神輿を雲雀が原の本陣山を上る時が見物である。ここで昔の相馬藩が一体化する感じになる
そしてあの坂が急なので神輿を上に上げるのが難儀する
馬でもそうだが神輿をみんなで担ぐとき何か相馬藩として一体感を歴史的に体験するのである,あれは氏子だけで担げないので会社員に頼んでいるらしい。
かなり力があり若くないとできない:そもそも祭りは若い人がその村をになって受け継ぐものとしてやっていたのだろう。
その若い者が村からいなくなくなるとき祭りの継承もできなくなるのである。

野馬追いには別に老人でもでている:でも甲冑も重いし暑いと楽ではない
旗取りにはだから若い人しか出れないだろう,40代でも50代でもでているかもしれないがきつい,鹿島区では二組でる:旗がたっていたからだ
街内ではほとんどでたのを見ない:それは相馬市でも原町市でもそうである。
ほとんどは農家からでる,もともと農業をしていた侍であり郷士と言われた人たちである中村に今の相馬市の城に移ってから城勤め人のが増えたのである。

野馬追いでは500人出るとしても全体の人数としては極めて少ない,10万くらいの人口があるのに五〇〇だとなれば少ないのである。
江戸時代はどのくらい出ていたのかもっと出ていた
飯館村が山中郷として出ていたし数は多かったろう,今でも飯館村で野馬追いに5騎くらい出ているという。

ただ地元でも参加できるのはそうした歴史的由緒ある者だけであり他は参加できない
野馬追いは歴史保存のためにある,だから何か相馬地方全員で盛り上がるふうにはならないでも相馬藩が一体となる祭りでありそこに意義がある

今日は涼しいので一カ月ぶりくらいに自転車で原町に行くことができた
原町駅にはやはり来る人が違っている,報道機関の人がくるのは原町である。
ホテルもあるからどうしても原町になる
ただ原町では話しかけにくいと思っていた,でも話しかけたら報道機関の人だったのである。他にも相当数報道機関の人がくる
再興に盛り上がったのは震災と原発事故で祭りが再開されたときだった
その時復興するという祭りとなっていたからだ

でも今となると何かもう外部からも忘れられるということがある
関心が薄れている:今でもまだボランティアは来ているが下火だろう
災害は各地にありそっちの方に移ってゆく
横浜から来た工事関係の人は見たいと言っていた
原町の行列は10時頃行かないとみれなくなると教えた
行列が早いのは五〇〇騎となると相当な長さになるから時間もかかるからである。
だから早めに行って見た方がいいとなる

ともかく震災から6年すぎてこの辺は一体感が失われた
相馬市だって補償金で不満が多いのである。そこにも仮設に住んだ人たちがいるからだ
また今は復興住宅などで浪江とか飯館村の人が住んでいる
そういう人たちとも一体感が失われる
だから野馬追いはそうした一体感をとりもどす祭りとしてはいいとなる