2017年07月25日

原町駅の人が駅舎を掃除していた (いろいろな人が駅で混じり合う)


原町駅の人が駅舎を掃除していた

(いろいろな人が駅で混じり合う)


今日は原の町駅から駅舎の掃除にきていた、長い箒をもって蜘蛛の巣を掃除していた
ホームの長椅子と他の椅子には雲の糞がついていいて汚れていた
そこは座るところだから掃除が必要だった
駅には何かしらこうして用事があり来る人がいる
昨日も水戸管理局からきていて建物を見ていた
こうして駅は常にJRでとか下請けで見て回る
それだけで人手がかかっている

だから自治体でもかかわらないと維持できない
トイレは車の人もしょちゅうきて利用している、農協の葬儀関係の人も来ている
トイレはJRを利用したものだけが使うのではない、関係ない人も使っているのである。
そして障害者施設の人に掃除してもらっているが金をJRで払っている
そうなると自治体でも市の方でも負担してくれともなる
つまりJRだけでは維持できないのである。
掃除くらいなら自分もできるが他はできないものがある

昨日は相馬農高の相農の高校生がいたい、その人は農家であり跡を継ぐという、それはなぜそうなのか?梨農家だからである。梨農家だと農業でも収入があり家を継いでもやっていけるからである。農業などやるなと親に殴られた人は梨も作っていない零細な農家だったのだろう。梨とかトマトとか花は収入になり農業でもやっていける
ただ飯館村には梨農家はいないようだったからあそこで梨はとれないのだろう。
他にも梨農家に生まれた人を知っているから梨農家はこの辺で多いのである。
だから一時放射能汚染で苦しかったのである。
今では影響はないとしているが風評被害はまだあるのかもしれない

もう一人の女性は農家ではないが相農に入った、中学生で相農に入った人は花栽培したいということで入ったからめずらしい、その二人の女性は農家の出ではない
一人は勉強嫌いで相農に入った、相農だと無試験でも入れるだろう。
定員割れにもなっている時代だからである。

ともかく駅にいるとこの辺の事情がわかることがある、家の跡を継ぐとなると進路も決まっているから悩む必要もないからから楽だともなる
農業の否定的な面だけを言ってきたが梨農家とかは農業としてやっていけるのである。

駅はいろんな人が行き交う場である。外部の人も交わる
だから何かそこが活気ある場ともなっている、なかなかそういう場がない
高校生が多いにしろ老男若女が行き交っているのである。
老人だけ集まるのが老人ホームであり同じ学年とかか年齢で区切られて集められるのが学校であり今の社会である。そこに何か世代間の交流がなくなっている
むしろ江戸時代の方が世代に関係なく交わっていたともなる
子供が生まれて名付け親になったりするのは村の人だったからである。
ずっと村人がみんなで見守っていたのである。
学校とかは一時期しか関係しないのである。そこに世代間の断絶がすでに生まれている

駅には何もできない場であるようでも何かが毎日ある場でもある
盲人など来て案内したりするのでもそうである。盲人と直接話した経験がないからであるたいしたことをするわけではないが駅は面白い場だなと実感した
ただ自分はせいぜい一時間くらいしか駅にはいないのである。
気まぐれに駅に行っているだけだともなる
それでも何かあるのが駅だったことを経験したのである。

旅だとすぐすぎさるからもったいなとなる、なぜならそこには一度しか行けないということがあるからだ。海外旅行の場合はそうである。
一方こうして定点観測するのも興味深いものだと思った。
一人一人の人間のことをみる、小さな町でも会わない知らない人がいかに多いかのかしるそんな人いたのかとなる、一万人いれば知らない人がそれだけ多いことを知る
これが4万とかさらに十万とかなると人間はもう会うこともちょっとでも関係することもないのである。
一万でも知らない人がこんなにいるのかと思う、世代が変わるとまた知らない人がふえてくるからだ、身内は公務員をやめてから役場に行っても知らない人ばかりになったと言っていた。回りですら知らない人が増えてくる
仕事しないと余計にそうなる、会社の人間が関係がきれるとまた新たな人間関係が作りにくいのである。
定点観測はその地点で何か深く知るのにはいい、一つの定点から街とか社会とかをみる
すると見えてくるものがあるとなる

幻想の森( illusion of forest)


幻想の森( illusion of forest)

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unknown forest

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a way of forest

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mountains in the evening






色には三つの世界がある、光のスペクトルによる物理的色、目で見る恒常性の色(抽象の色)心で見る心理的色、画家が描くとき心で見るのでありそこには外界の色とは異なった
画家の心の色がある、これは外界の特定の形に隷属して、いた色をその形から解放し、画家が獲得した高次の心的創造活動による、色の表現にかえる
(芸術脳の科学)塚田稔

自分のしていることはこれなのかもしれない、ただ自分の心ではしていない、ただコンピュターで変化させて、いるだけだからである。何かそこに創造的なものがないのである。機械的に変化させているだけだとなる
それでもこれだけ変化していることが芸術になっていることの不思議である。
そこには自分が創作したのとは違う、ただ変化したことによる芸術なのである。


When a psychological color, a painter watching it for a color (color of the abstraction) heart of the constancy to watch with the physical color by the spectrum of the light with three world, eyes in a color picture it, I watch it for a heart, and this with the color of the heart of the painter different from the color of the outside world is subordinate to specific form of the outside world there and frees the color that was from the form and is hatched in the expression of the color by the highly advanced mental creation activity that a painter acquired


 change it in one's mere computerj which it does not only do for one's heart which may be that it is this to do, and this is because it is only. There is not something creative there. It is the wonder of it being for art that only this changes in it to become when I only change it mechanically.
It is the different art by having merely changed there that oneself created.

地方の一新聞がピューリッツァー賞受賞 (報道は事実を伝えることー原発事故でも問われた報道)


地方の一新聞がピューリッツァー賞受賞


報道は事実を伝えることー原発事故でも問われた報道

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NHK国際報道


NHKの国際報道で3000部しか発行していない地方新聞がピューリッツァー賞を受賞したことで話題になった、それでも社員が十人くらいいた
そんな新聞社で給料が払えのかと見た
アメリカにもともとこうした小さな新聞社が多かったから伝統があるのかもしれない

この新聞社は地元密着であり狭い範囲でささいなことでも報道している
この新聞社で報道したのは農薬で川は汚染されていることに注目した
それはなぜか?それは毎日その川を見ているからである。
そうしたら地元の人だったら気になるのである。
例えばこの辺で屋形の家の裏の山の土がけずりとられたとき土がむき出しになっている
それを毎日見ているといい気持ちがしない、それはそこを通りすぎることができない、
嫌だなと思っても毎日見る、それは汚染された川を見ているのと同じなのである。

この新聞社では事実を伝えることにこだわった
まず事実を知ることだと事実を調査した
どこから金が支払われたかを調べた
そしたら化学肥料会社から農協のような自治体に支払われていた
それで公平な裁判は行われない
その事実を伝えたことが功績だった
しかし背後の化学肥料会社から金がでていることをつきとめることはむずかしかった
住民でも口を閉ざした、会社はそれだけどこでも権力をもっているからである。

結局人間は金には弱い、金はカルマであり責任であると書いたときここでもそうだった
一旦金をもらえば責任が生じる、それでこの辺では原発事故が起きても東電から金をもらっていたから責任を追及しにくくなった。
それは日本全体でもそうである。マスコミも東電から金をもらっていた
電事連から800億円という金が流れていたという、その額は巨額だったのである。
そもそもこのような一新聞社など簡単に買収できる金である。

この化学肥料会社はまだ小さい、東電は国家並であり国家もかかわっていたのだから
その事実を暴くことさえできなくなって「安全神話」が作られたのである。
例えば地元の新聞でも福島民報でも民友でも何も追及しなかった
福島民報は聖教新聞を刷っているし県で50パーセントも出資している官報と同じなのである。金をもらっているのだから何も追及できないのである
他の雑誌でも小規模だからそれだけの収入を得ることがむずかしい
すると東電のような国家並の会社からの宣伝費とかは経営を支えるものとなる

そもそもこの地方新聞が事実を暴くことができたのはまだ小さい会社だったからかもしれない、国までかかわる会社となると簡単にはできなくなる
原発は危険でもそういうものだったからである。国策として作られたものだからである。ただ今回の原発事故で一体地元を守るものは誰なのか?
それは地元の住民しかないのである。地元の住民が一番被害を受けるのだから無関心ではいられない問題だった、でも地元では金をもらえばいいくらいの意識しかなかったのである。ただこの一新聞社のように真のジャーナリズムがあれば違っていたかもしれない
それでも国家権力を相手にするととなる歯がたたないともなっていただろう。

ただそうはいっても一体地元では地元を自然でも何でも誰が守るのだろう?
それは地元の住民しかない、もしそれができなくなれば今回の原発事故のように地元に故郷にも住めなくなるのである。
そういうことを身をもって知ったのだから地元の人がもっと関心をもって地元を守ることをしなければ今回のように巨大企業や国家の言いなりになり住めなくなる
だから必要なのはこうした一地方新聞のジャーナリズムであることを示した

そういうことは日本でもあった、新潟の巻町は原発に反対して建てさせなかった
それを応援したのは新潟日報だと評価されているのである。
福島県では報道関係でそういうことはなかったのである。
そもそも自然が大事だとか自然を守れとかなると何かインパクトがない
現実に農民が土地を汚染されて農業もできないとかなると深刻に考える
この辺では土も水も空気まで汚染されたからその深刻さを身をもって知ったのである。

ただ原発は金になるからそれに抵抗するのは相当にむずかしい
金が入り豊かになればなんでもいいんだというのが現代だからである。
そもそも自然を大事にしろといっても景観を守れといっても金にはならない
だからソーラーパネルでも何でも金になるならと土地を売るのである
自分の場合は景観を重視しても地元の人は生活のために金が必要だとなる
ただ地元にも住めないとかなることを経験したから他とは違いここは環境破壊する原発には反対する、でも他の原発ではやはりここと同じように金が入るということで是認しているのである。ここでの経験を参考にしていないのである

いづれにしろ報道は何かというときネットでは常に言われている

事実だけを調査して伝えろ

その事実だけを報道してマスコミの報道する者は何か意見を添えるなと言っている
マスコミはNHKでも報道するというとき事実だけを報道するのではない
NHKで事実をそのまま伝えない、編集してこうあるべきだという方針のもと報道する
コメントするものもマスコミで選び、局の方針にそって意見を言わせられだけなのであるだから事実も作られフェイクニュースも流される
だから事実だけを報道している局はないのである。

歴史でも事実を基にしてあるべきだが小説家されドラマ化されるとそれが事実だと思い込む人が多い、それは事実だけだと面白くない、文献を調べたりするのは庶民にとって面白くないしめんどうだしわからないからそうなっているのである

報道というときインターネットはじめてから自分も報道にかかわるようになっていた
第一自分が報道する立場になるとは思っていなかった
それがインターネットだからできたのでするようになって報道を考えるようになったのである。
そしてインターネットでもマスコミと同じようなことが起きていたのである。
何かインターネットでは読まれること自体本当にむずかしい
すると何か目立つことをしなければ読まれないのである。政治家のプログでも読まれないから女性の議員がめだつためにサッカーのことで目立つことを言って炎上して読者の注目を集めるのである。
それはマスコミのしていることと同じだったのである。

インターネットで報道も変わらざるをえない、今までのマスコミの手法では時代についていけなくなる、インターネットはコストがかからないのが強みなのである。
でも読者を獲得することは至難だとなる
新聞はあと十数年で消えるという、そういう感じになっている
紙の膨大な無駄でありいちいち配達するためのコストもかかりすぎる、内容もない、住民のためにもなっていないとなると若い人はすでに新聞をとっていない、ただかえってこの新聞社のように生き残り策はあるのかもしれない福島県でも広いから福島県だけではない、相双地域とかいわき地域とか浜通りとか中通りとか会津とか三つに分かれた新聞などがジャーナリズムが必要になる
やはりより狭い範囲だと川が汚れているとか毎日見るからそこに関心をもち報道するから訴えるものとなる