2017年07月20日

夏の日の平和な田舎駅の風景 (駅と街道の茶店には共通したものがある)


夏の日の平和な田舎駅の風景

(駅と街道の茶店には共通したものがある)


 電車が新地を発車した、電光掲示板の印が動くからわかる、相馬市に着き日立木駅を発車した、私は待っている
一人老人がおりた、高い階段を上り高架の通路をわたりまた階段を下りてくる
ここは意外と老人にとって難儀である、荷物をもつとさらに負担になる
原町方面に行くのはだからちょっと難儀になる
駅にはまだこうして乗り降りするにも不便なことがある
実際にその階段をおりるとき老人が落ちてケガをしたことがあった
エレベーターがあれば便利である。新地駅は小さいけどエレベーターがついた
クーラーも駅舎についている、でもここは自然の風がそよいでくるからかえっていいという面もある、海が近いから風が気持ちいい、クーラーもいいがそうなると自然を感じなくなる、何か便利なものは機械化すると自然から離れるのである。
現代とはそういうことが多い社会である。自然から涼しさを感じなくなる
アスハルトの道が照り返しで10度くらい高くなっている、だから熱中症になりやすいのである。

駅では人を待つ場所でもある、東京とか出た息子や娘でも帰ってくるとき駅にきて車で迎えるにくる、それは再会の場でもある、駅は出会いの場でもある
そういう舞台として駅がある、待っているということは不思議に心高鳴ることである
久しぶりで再会を喜ぶ、親しい愛する人と会う、逆に別れることもある
駅はそうした出会いと別れの場を演出しているのである。
車だとそういうことはない、車を待つといっても電車を待つという感覚が生まれない
急に車が来て急に去ってゆく、そこに人間的出会いと別れがない
突然人間が切れて離れてゆく分断されるともなる
車にはこうした人間的リズムがないのである。そこにキレル人間が生まれのも当然だとなる

田舎の駅では誰かが乗り下りる人を記憶している感覚になる、そういう舞台が用意されている、駅で待つホームに出て待つ、高架の通路をわたり待つ、待つ時間が記憶する時間になっているのだ。
例えば江戸時代の街道の茶屋とかだと歩いてきた人が休む、そしてまた歩いて去ってゆく後ろ姿があり記憶にとどめる、だから茶屋の人はそういう人を覚えている


碑にある子規の俳句は「かけはしの記」から採られており、この句の前に次の文が書かれている。
・・・・・馬籠峠の麓に来る。馬を尋ねれども居らず。詮方なければ草鞋はき直して下り来る人に里数を聞きながら
上りつめたり。此山を越ゆれば木曽30里の峡中を出づるとなん聞くにしばし越し方のみ見返りてなつかしき心地す。

 所在地 新茶屋  中山道の路傍

「桑の実の 木曽路出づれば 穂麦かな 」子規

草枕むすぶまもなきうたたねのゆめおどろかす野路の夕立 長塚節

子規の歩いた道

自転車で木曽街道を行ったから子規の句は実感している、ここでは穂麦となっているが
自分の場合は稲の実りだった

木曽路出て恵那に稲穂や月に寝る

その頃麦畑が結構多かったから子規の場合は麦になっていたのである。
長塚節の歌も旅ではこういう驚くことがあるからうまい表現である

木曽路といえば「送られつ別れつ果ては木曽の秋 芭蕉」が有名である。
これも歩く旅だからこそ送る人送られる人がそういう時間をもったのである。
そういう時間の流れがないのが現代である。
人間と人間の関係が突然にキレルのである。
つまり情を交わす時間がないのである。それは人間だけではない自然に関しても情を交わすというか見る時間がもてないのである。
今は茶店でも自動販売機とか駅でも無人駅化して人がいなくなる
それも人間的なものを失うのである。人件費を省くために自動化はすすむ
そうなると何かやはり欠けたものになる、


景色が変わるというとき歩く旅だったら桑の実から穂麦に変わる田園風景を感じる
桑の実というときその頃桑畑が非常に多かった、農家ではどこでも蚕を飼っていたからである。今でも兜型の屋根は多くこの辺にもあり全国的にもある、特に山の方では残っているのが多い、するとそういう蚕を飼う家がありそこを出たら麦が実る平野に出たとなる
自分の家の後ろでも麦畑があり蚕畑があったから戦後まもなくは江戸時代のつづきだったのである。

これは駅と関係ないようでも旅の駅となると茶店にもなる、それで駅弁があるいうとき茶店ではその土地の名物が売られていたというのも同じなのである。
原町駅では弁当をホームで売っていたからである。震災前も売っていたみたいだ
駅弁というのはまさに土地の料理を出すものだったからにているのである。

茶屋のあった場所は小豆餅、代金を受け取った場所は銭取(ぜにとり)という地名で呼ばれるようになった、遠州鉄道奥山線には小豆餅駅、銭取駅がある。
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つまりここでは街道の物語が駅名として残っている、駅に継続されて駅名として残っていることでも駅がやはり茶屋の役割も今でももっている、継続されているのである。
家康が茶店で銭を払わなかったので茶店の婆さんがおいかけてもらったから銭取となったとかあるが盗賊がいて銭をとられたからだともいう。
この奥山線は1964年に廃止されたからずいぶん昔にあった線だとなる
小豆餅にも古い謂れがあり名物となるしお土産ともなる

ただ茶屋というとき水商売とも関係している、茶屋町が各地にありそこは水商売であり女性が接待する場所になった、駅にも水商売、風俗関係の若い女性が来ていた、若い女性の警察官と話していた、何かマークされていたのか?女性の警察官も南相馬市管内にいたのである。それは一目でわかる恰好をしていた、この辺では外部からまだ原発事故などできている
だから原町に韓国系のバーができたとか言われる、暴力団関係も入ってきて治安が悪くなるということも地元の人が心配したのである。駅にはいろいろな人が出入りしているのである。昔の街道でもそうである。
監視カメラが三台あり振り込め詐欺の人が逮捕されたということもあった、どこでも今は監視カメラがある
駅とは関所の役割も果たしている、なぜなら街への入り口となっているからである。
今はただ高速とかの方が関所にてりやすい、そこでも出入りは監視カメラでチェックされている

インターネットはこうして旅をつづることができる、自分のした旅と重ね合わせてできるでもそこを一回も旅しないとやはりその場所を理解できないのである。

一人の労務者が駅の長いホームのベンチに寝ていた、その人は80歳の老人だったのである。海からの風がそよぎ日影であり涼しい、それは平和な風景だった、その時合歓の花に風がそよぎ咲きゆれていた


合歓の花風にそよぎてゆれにけり駅に一人の男寝てをり

a peaceful time
a man is sleeping
on the long bench
at the station
the flower of the silk tree blooms
in the breeze