2017年07月18日

夕日に輝く山 (The mountain which glistens with the setting sun)


夕日に輝く山

The mountain which glistens with the setting sun

sunsetmmmmm1234566.jpg

sunsetssss1111.jpg

rockriverrr1234.jpg

silvermmmmm111.jpg
クリック拡大-ENLARGE
treerooottt123.jpg

コンピュターで作る絵は絵の具で描くのとは違う。それはコンピュターの電気の光として発する色だから今までにない芸術なのである。
コンピュターが生まれてできた芸術である。
電気の光が画面が出るのだからこれを紙に印刷してもその色は出ないのである。
コンピュターとかテレビの画面で見ないとその色は映えないのである。
だからソフトで変形したり電気の色を出している今までにない芸銃になっている
artは技術だからまさにこれが芸術である。
絵を全く描けない自分が絵を作り出していることが不思議なのである。


computer is different from drawing the picture to make with paint. It is the art that is unprecedented because it is a color to give off as electric light of computer
computerが is the art that I am born, and was possible.
Even if electric light prints this on paper because a screen exits, the color does not appear.
The color does not shine when I do not look with a screen of computer or TV.
Therefore this is right art because art where it is to the unprecedented art gun which I transform it by software, and starts an electric color is a technique.
It is mysterious that oneself who cannot draw a picture at all creates pictures.

軽度知的障害者の謎 (知的障害者と人格障害者の相違は何なのか?)


軽度知的障害者の謎

知的障害者と人格障害者の相違は何なのか?




その人は筋骨隆々である。その体つき見たらプロレスラーのようでありうらやましくなるそして顔つきでありちょっとつきあってもどこに障害があるかわからないのである。
ただちょっと知り合うくらいだからわからないのかもしれない
役所に出す書類もわかるしゲームなどしているからスマホなどは普通に使っているし詳しいのである
その人の40歳くらいなのかどこに障害があるかわからない
メール配達とかしていて仕事もしているからである

ただ変だなと思ったのは母親が懸命に世話していて苦労かけているがその母親をいたわりの心がない、母親を大事にしろとかいったらニタニタ笑っていた
母親にめんどうかけても何にか迷惑かけているという自覚がない
母親はそういうものだと思っている
だから母親は世話することを嫌がっている

でもこれも考えてみると別に障害者でなくても母親をいたわらない人は普通にいる
ニートとかいるだろう。20代くらいだと母親をいたわる気持ちがもてない
俺はこの世に生まれたくて生まれたわけではないとか言う
自分も20代の頃まで母親をいたわる気持ちがなかったから普通にそういう人は20代ではいる、でも30から40くらいになると母親が苦労していたりするといたわる気持ちがでてくる
ただ貧乏な国では家族思いであり20代で働かせられて外国人だと今でも仕送りしたりするそれは強いられている面もある、自分の母親などはただ親に尽くすことだけであり
紡績工場で働き女中になったりしていた、そして給料でも親に出していた
その頃子供は農家などでも働き手であり親に尽くしてくれるものとしてあった
それは貧乏だからそうなった、だから外国でも貧乏な国は今でもそうである。

親が苦労して育ててくれたりすると後に子供はそれを知るから感謝する、でも金持ちの家では親が苦労して育てるわけではない、家政婦などが料理を作ってくれたりしていたら親は子供を育てるにしても苦労がなくなる
だから意外と金持ちは親に冷たいとなるかもしれない、だから金持ちの親は子供が直接世話したりしない、介護はしない、金がかかる介護施設にあづけるだけだとなる
それもカルマなのかもしれない、子供だって別に苦労して育てたわけではないから子供も親に対して介護でも苦労はしないとなる
だからすべて金持ちがいいともならない、金をもったらもったでカルマがついてまわる
のが人間である。

不思議なのはではいたわる心がない人は何なのか、それが精神の障害なのかとなる
としたらいたわりの心がない人はいくらでもいる、地位がある人でも豊田 真由子でも東大からハーバードを出ても部下をいたわる心が微塵もなかった
でもそういう人は地位ある人とか金持ちには普通にいるだろう。
するとその人は知的障害者となるのか?
だから何が知的障害なのかわからない、ただ人格障害となると普通にこの世にいる
知的障害者と人格障害は違う、人格障害者は別に病気と認定されないし普通の社会人として生活している
でもそういう人格障害者はこの世で多いのである。

親戚といってもつきあいがなかったからわからなかったが明らかに人格障害者になっていた女性がいてかかわりひどいめにあった、あの人に労(いたわ)りの心がないのである。
でも見た目は普通の人であり外からは善人として見られているのである。
なぜその人はそんな人格異常者になったのか?
金には恵まれていたし愛情も注がれていた、ただ母親が三回変わったとかでそれが障害になったとはなる、でも60近くになってそんな過去のことが影響しているのか?

この世にこうした人格障害者は相当に多いだろう。でも別にそういう人が知的障害者でもないのでありかえって世の中で高い地位についている
そして社長とかなっている人はサイコパスが多いのだとかいわれる
非情な人間でしか社長とか政治家とか何か上に立てないとかも言われる
ブラック会社の社長とかなればそうである
つまり部下にいちいち同情していたら会社も運営できないということがあるからだろう。軍隊になるとまずサイコパスのような人が向いている
非情でなければ戦争などできないからだ

会社の経営者になって失敗した人もやはり人格障害者になったのか、もともとそういう人格だったのか?若い人はいい人だったと近くの人は言っている
会社経営に失敗して借金をかかえて変わってしまったのか?
借金すると人間は悪魔に変貌する、借金のためには犯罪を犯すことが普通にある
だから推理ドラマでは借金していないか調べる、借金していると動機があると見るのである。
こういう借金した人も労りの心などなくなる、ただ相手が弱みがあるとき借金のチャンスとなる、そうなると断りにくいからである。
だから借金した人は悪魔になりやすいのである。人のことなどかまっていられないからである。
そういうことを自分は自分の病気とか親の介護で経験した

いづれにしろ知的障害と人格障害は何が違うのかともなる
労りの心がない、人に同情する心がない、そういう人は知的障害なのか人格障害なのかとなる、あまりに苦労した人は人に同情しなくなる
さんざん苦しい目に合わされているから相手が苦しむといい気味だとなる
狭い市営住宅に住んでいた人は仮設に住んだ人がいたとき狭い所に住んでみればわかるんだと同情しなかった、そういう人もまた多いのである。
それも苦労しすぎて人格障害になったのかともなる

人格障害は恵まれすぎても金持ちでもなるし貧乏でも苦労しすぎた人もなるのである。
あまりに世の中で苦労した人は世の中に人に社会に恨みをもつ、そういう人の不満の捌け口がカルト教団とか左翼系の団体でありそれが票に結びつくのである。
だから「悲しむ者は幸いである」というキリストの言葉は本当に不思議だとなる
悲しむ者、虐(しい)げられたものがそう思わないからである。
みんな恨みとなっているからである。そこまで悟る人は世の中で極わずかである。
だからそうした恨みがカルト教団とか左翼系の団体の票田になっているのだ

ともかく人格障害というのは軽いものと見なせない、例えばヒットラーが画家になりたかっというときなれないから政治家になり自分を誇示しようとした
オウムの麻原も盲人であり劣等感をもっていた、その劣等感からカルト教団の教祖になり社会に恨みをはらそうとする、何かそういうことがカルト教団の教祖には多い
池田大作も大学出にこだわり強い劣等感をもっていた
それで世界から大学の博士号を金で買ったのである。

そしてなぜそういう人を神仏のように崇めているのか?それをいい大人が苦労した人たちがそんな人を崇めているのか?
そんな人を偉いと思うのか?そういうことは常識的にわかることではないか?
そんな人を崇めていること自体何かあわれだとなる
ただそういう場しか与えられないからそうなっているのかともなる
明らかにそういう上に立つ人も人格障害者だともなる
するとその団体に入っている人もみな人格者障害者なのかともなる
だってその人格障害者を模範にしているから当然そうなるのである。

人間は人格形成が大事だというとき教育からしてそんなことを教える人はいない、ただ知的なことだけを教える、モラルなどは教えない、それは受験にも役たたない、社会を生きるにもモラルはかえって邪魔になる、人格だってそういうものにこだわれば高い地位にはつけない、政治家になった人が人格をゆがめることを知っていて大衆にこびることをしている、一票のためには何でもするという、頭をもさげるのもただ票のためであり人びとを思う心からではない、そうしなければ票もとれないからである。
それで豊田由美子議員が金になる人とならない人を分けていたとかなる
要するに選挙は数だから一人一人のことだなと考えられないのである。
どれだけ数を集めるかであり一人一人のことなどどうでもいい、まとまった数を得ることが優先されるのである。

権力者がマキャベリズムに陥るのもわかる、現代だってトランプ大統領でも人格的にはどうをなのかとなると疑問である。プーチンでもそうである。人格がどうのこうのとはか政治家には関係ない世界だろう。政治家も非情にならなければ勤まらないことがあるからだ戦争を命令することは非情でなければできない、人を殺すをことを命令するからだ
そこで人を殺すことは罪だなと言っていられない、政治の世界では非情さが要求されている。トランプ大統領が「国防長官に『狂犬』マティスを指名する」と発表した。
まさに全員殺せとか非情だからこの地位につける

いづれにしろ宗教とかなると本当は人格形成を最大の眼目にしているのが普通である。
でもカルト宗教団体はその教祖がいびつなように歪(いびつ)になっている
それを習う人も当然歪(いびつ)になる、宗教と人格を考えると宗教から見ただけでその人の人格などわからないのである。それは偶像崇拝の一種なのかもしれない。
キリスト教徒がいるイスラム教徒がいる仏教徒がいる、いろいろ宗教があり世界にいる
でもその人たちの人格がどうかとなるとどんな宗教でも人格から見る人はいないのである人格がどんな宗教を信じていもゆがんでいる人は多いのである。
それはどんな宗教でもそうである。キリスト教徒だから人格が高潔だとかならない、イスラム教でもそうである。そこには無数にゆがんだ人格の人がいるのである。
宗教はそういう悪い人格を是正するはずだがそうはなっていない
だから宗教戦争とかあり宗教はなんなのだとなってしまう、世の中に災いをもたらすものが宗教だとなり嫌悪をする人が多いのも当然だとなる