2017年07月17日

認知症の人の聞き書きは郷土史の発見に通じている


認知症の人の聞き書きは郷土史の発見に通じている


 高齢者に、その人生を語っていただき、その方の歴史として編集する「聞き書き」は、第三者がそれを行うことにより、高齢者が自分の人生を客観的に振り返ることができ、やり残した事を思いだす、生きがいを見出す、など、精神活動に効果があると考えられています。実際に、認知症で引きこもりがちであった高齢者が、「聞き書き」によって元気を取り戻し、自立に近づいた例も経験されています。



認知症というのは不可解な病気である。90歳くらいの女性が何もする気がないのだが草取り、草むしりをしたいという、その人は草むしりをずっとしてきたからである。
だから草むしりをしたいという、それで草むしりを介護の職員がさせた
その時車椅子から離れて草むしりをした、そしたらそのおばあちゃんは元気になった
ある女性はベッドで田植えのしぐさをしていたという、その人も農家の出だからそういうことをしていた

草むしりは農家では日常的な仕事である。草は絶えず生えてくる、草にもいろいろあり根を深く張るものもあるしいろいろなのである。
ともかく草むしりは農家の毎日の仕事なのである。
そういうことを長年してきたからまたしたいとなる、その草むしりは役に立つことである掃除ともにている

認知症でも過去にしたことは忘れない、姉は機械の操作がボタンを押すことすらできなくなった。テレビのリモコンも操作できない、すると洗濯していたのだが手でごしごし洗っていたのである。洗濯機がそばにあっても使えなくなっていたが手で洗っていた経験があり何か役に立ちたいとして洗濯を手で洗っていたのである。

老人ホームなどは確かに前に近くでデイサービスとかに行って話を聞いた、その聞いたことをプログに書いたりした、ただ内容を深くつっこむことができなかった
それは一回しか聞けなかったからである。何回も聞けばその人の経験したことがストリーとして理解できる
その人は老人ホームにいた人ではないが小高の80歳になる人の話は面白かった
原発でも働いていたのでその話を聞いたり全国を建築関係で回っていた
その人は話上手だった、男にしては何か話がうまいのである。
その人とは何回も土手の所で話した
今は小高に帰っている

話を聞いて興味を覚える人とあまり覚えない人がいる、ただそうして介護民俗学の本を出した人は介護に実際たずさわっていたからできたのである。
老人ホームの内部の人になったからできたのである。なかなか人の話を聞くことはむずかしい、語りたくないこともあるし聞く相手にもよるからだ

それと話を合わせるにはその土地のことに詳しくないとできないことがある。
どこに住んでいてそこがどういう場所かわからないと話を合わせられないのである。
自分は駅で遠くから来た人とちょっとでも話するとき出身地がわかると全国を隈なく旅しているから見当がつき話をあわすことがある程度はできる

話を聞くにしても聞く方でもまたその人を理解する力が必要になる
地元の人だと地理的なことや外に知っているから合わせやすいということはある
普通は地元の人から聞いたりすることもむずかしい、それができたのは原発事故とかで避難してきたりしてその話を聞きやすかったのである。
老人ホームなども話を聞き安い場所である、それも何回も聞けるからそこで働いていた人は本まで出したとなる

認知症の介護は身体介護は体力が必要なので若い人が向いている、でも認知症となると精神的介護の比重も大きい、認知症は生まれつきの知的障害者とは違う
長い年月を生きてきた足跡がありそれはその人の一生であり歴史である。
その歴史は郷土史でもありまた大きくは国の歴史ともかかわっている
姉は従軍看護婦としてシンガポールに4年間いたことは国の歴史に深くかかわってそうなった、戦争を経験した人はみんなそうである。そういう人はまだ生きている
でももう90以上であり戦争自体にかかわった人、戦地に行った人は相当に少なくなっているだろう。

でもそういう人の経験は貴重であり歴史の生き証人ともなる
姉は死ぬ間際まで戦争のことを語っていた、それだけ戦争というのが人生の中で最大の印象に残ることであり忘れることができなかったのである。
若い時のことは別に平和な時でも一番印象に残る
30歳くらいすぎると何か特別印象に残るということも希薄化する
人間は30歳まで経験したことが後の人生を作っているともなる

だから若い時苦労しないといくら東大出ても、ハーバード大学ででても豊田真由子議員のようになる、ただ一般的にそういう女性は優秀だと思うのが当然だと思う
ただ人格形成で下積みとかないと人間はまともになるないことがありうる
自分は苦労がなく大学など出てうぬぼれていたが就職もできず底辺で働いたりしてうめぼれることもなくなった、その後は隠者として老人になるまで故郷にいたのである
だから超エリートの家族に生まれても人格形成がうまくいかないことがあるから人間は本当に環境が影響するとしてもその環境に恵まれても恵まれすぎてだめになるものもいる、であういう女性は例外的なものだろう。
そういう異常な女性がいたからやはり恵まれたからといって金持ちの家に生まれても男でも女でも人格形成がうまくいくとは限らないのである。

いづれにしろ確かに認知症の介護というとき身体的側面だけではない、そうした老人の人生をふりかえることを共にする、聞き書きは有効である。
ただこれはかなり聞く方にもそれだけの聞く能力が必要になってくる
自分は原発事故とかで小高の人が仮設に住んだりして多少は話を聞いた
でも話す相手にもよる、小高の人と鹿島の人はうまくいかないこともありしずらかったことはある。
だから一人だけは話がうまいから聞くことができたとなる

郷土史はおじいちゃんやおばあちゃんの話を聞くことからはじまるということを書いた
それは家のことには誰でも関心があるからだ、それが身近だからそこから郷土史に興味をもつ、だから古い旧家に生まれた人は有利である。
そこには実際に蔵などに資料が物でも書類でも残っている場合がある、江戸時代のものも残っている、まず江戸時代のものが残っていたとしたら相当に貴重なものとなるからだ。そこから郷土に関心をもつことになる、自分はだから常に墓をを見てあるったのはそれが過去に生きていたものの証として残されていたものだからである。

老人ホームで認知症の人で若い時のこと過去のことは覚えているからその話には意外なものがあり郷土史の発見に通じるものがある、ただその作業となるとやはり老人ホームに勤めていたらしやすい、外から入って聞くのはむずかしくなるからだ。
何か老人の介護など特に認知症の介護などしたくない、馬鹿を相手にしたくないということが若い人にある、でも郷土史ということから入ると認知症の人にも興味を覚えるのである。 


驚きの介護民俗学 (シリーズ ケアをひらく) (単行本)

六車 由実 (著)
これは読んでないけどこういう本があるのも驚きである、ともかく本の量は膨大である。
今や読みきれないのである。だから一部分を抜粋して読む、それだと読むことかできる
全文を読むとなると本は長いからできなくなるのだ。


ちょっとした親切はしやすい (でもタイミングが大事)


ちょっとした親切はしやすい

(でもタイミングが大事)


自分が駅でしていることはちょっとした親切である。道案内したり無人駅だから乗車証明のとり方とか教えるのはそうである。
それから中学生が仙台の方から試験に来てちょうど昼間に腹が減っていた、その時近くのお菓子やで柏餅をくれた、そういう時は腹が減っているのだからタイミングが良かった
例えば砂漠のような所で水がないとき水がある場所があったら救われたとなる
乾いた土に雨がしみこむような感覚になる

今回は冷しタオルというのがアマゾンで売っていた、今暑い時期だから買ってみた
これが意外といい、ただ汗をふくだけではない、水にひたすと冷えたままになっている
だからそれでふくと汗をとるだけではない、ひんやりとして気持ちいいのである。
それを太っていて汗かきの女性にくれた、千円くらいだかやれた
その人は畑で仕事するのですごく汗をかくからだ
これは今の時期にいいものだった、相手も喜ぶものである。

こうしたちょっとした親切はしやすいのである。負担も少ないからだ
でも一方でなぜ人は病気になったり介護状態になったり借金とかしているとか重いものをもった人に近づきたくない、それはなぜなのか?。
自分も重い負担を強いられるからである。
例えは駅で盲人を電車にのせるのはちょっとした親切であり楽である
でも障害者の世話をするとなると特に重度となると負担が重いからしたくない
それで大量殺人までになった、その負担を負うことが重すぎるからそうなる

外にも金持ちでも貧乏人とつきあうことは負担を負うことになる
常に金がないという状態の人は相手に負担をかける、お前は金があるのだから金をよこせということを言わないまでもその人がいるだけで要求しているのである。
実際そういうことを経験しているからお手伝いさんとか家政婦とか家で働いてももらうことは負担になる
だから普通は金持ちは貧乏人とはつきあわない、アメリカとは極端であり富裕層と貧乏人は一緒に住まない、住む場所が分かれている、そしてその富裕層が住む所は門があり警護していて入れない、アメリカのような広い所だとそういう棲み分けができているという。つまり貧乏にとは極力接しないのである。そういう社会なのである。
日本では狭いし富裕層でも貧乏人でも混在して住んでいる
田舎だとまず徹底して平等を追及してくるから特別な富裕層は住めない
田舎だとそういう人は目立つからである。

良く親切にしなさい、愛をもちなさいというけどそれを実践すると簡単にはできない
ただちょっとした親切はしやすいのである。
それでもその機会はそんなにないのである。タイミングが大事なのである。
冷しタオルは今の時期に最適の贈り物だった、贈り物でもその人にあったものその時期にあったものだと喜ばれる
物でもこのタオルを発明した会社がありそしてその物を活かす人がいて物も活きる
物に愛が加わってその冷しタオルが活きたとなる
これはスーバーなどではただ買うだけでありそういうことを感じない
また通販という便利なインターネットが生まれてできこことでもある
その人はパソコンなどしていない年寄りだからである。

ともかくちょっとした親切はしやすい、負担も少ないからしやすい、ただ問題はそうした機会があまりない、タイミング良くできないことである。
一方で病人の世話とか介護とかなるとこれはちょっとした親切ではとてもできない
負担が大きいから誰でも敬遠するのである。そういう家にはみんな近づかなくなる
それは重い負担を背負っていからその負担を強いられることを嫌があるからである。
借金している人もにも近づきたくない、その借金はやはり大きな重荷を背負っているからそういう人とつきあうことはその借金を背負わされるからである。
ただ借金している人はわからないから知らないで近づく人は相当いる
病人とか老人の介護とかなると見てわかるから近づかないが借金の場合は隠しているからわからない、それが実際は怖いことなのである。
なぜなら借金の標的にいつされるかもしれない、その機会をねらってもいるからだ
そして何かの機会に借金を要求してくる、それは断りづらいときだといいわけである。
そういう経験をしたから借金ある人は危険なのである。

つくづく人間はこうしてちょっと親切くらいですむならいい、後腐れもないし負担もないそれが福祉でも病人とか老人介護とか障害者の世話とかその他でも負担が重すぎるから誰もしたくないのである。
医者とか看護師は給料が高いし地位も高いからいい、介護士とかなると給料も安いし負担ばかり多いから人が集まらないとういのもわかる
福祉でも認知症の話し相手くらいならしていいが下の世話となるとしたくない
そういう仕事は誰もしたくない、家族だったらしかたなくしているし動機もある
でも他人だったらそうした動機もないからだ
いくら愛だとか言ってもそれだけではもうすまされない、負担が大きいからもう耐えられないとなる、そして相手を殺したりまでするようになる
その人が愛がないとか責めることもできないことである。
それだけ負担が大きすぎるからそうなっているのだ。

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タグ:親切心