2017年07月06日

80歳の労務者(駅で寝ていた人) (高齢化社会の影響が大きくなる)


80歳の労務者(駅で寝ていた人)


(高齢化社会の影響が大きくなる)

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野馬追いの旗にはいろいろある、これは茶壺である




その人は駅で寝ていた、そろそろ電車来るよと言ったら自分はバス行くんだと言った
福島市までバスで行ってそれから夜行のバスで横浜に帰るという
その人はいろいろなことを話した、妹が精神病院に入って出れなくなった
医者はわざわざ薬で症状を悪くさせる、なぜかというと家ではとても置けないからまた病院に入れるためだという、精神病院は実際はそうして人をさらに廃人にさせる恐怖がある病院自体が何か怖いものをもっている、医者でも怖いものをもっている
それはなぜかとうと権力をもっているからである。
医者と警察の権力は一番大きいから怖いのである。
医者だと自殺していても自殺ではないようにできる
それも医者の裁量でできてしまうのである。

それから横浜で戦争を経験した、銃弾が飛んできて逃げたとかそういう戦争経験をしている、昭和11年生まれだと子供でも経験が生々しいだろう。都会は爆撃されると火事になると怖い、逃げ場がなくなるからだ
都会だと65歳以上はバスは無料だという、その定期パスを見せた、こういうところは都会のサービスはいい、そしてヨコハマとかなると車がなくても暮らせる、交通の便がいいからだ、福祉の面では田舎より都会がサービスがいいということはある


その老人は鹿島から飯館回りで福島市に行き横浜へ夜行バスで帰る人だった、新幹線は高いからは言っていた。それにしても荷物をもっているし移動するのも80となると楽ではないだろ。そして仕事までするのか?そういう人を受け入れたのか?
それは人手不足からきているのか?普通だったら断るだろ。
外人も受け入れているから受け入れる側の事情でそうなっている
この前は74歳の川崎から来たボランティアがいて驚いたがその人はボランティアである。この人は働いて金をもらっているのである。
その人は自分は丈夫だというとき体つきが80には見えない、体が筋肉質で強く見えた
そういう仕事をしてきたからかもしれない、まだ仕事をできる体と見たのだろう。

それにしてもつくづく今は高齢化社会である。80歳の作業員がこんなところまで来て働いている、その人は必ずしも金が欲しいから働きに来たのではない、体を動かさないと弱るとかも言っていたから働くことで体を弱らせないようにしている
車に乗っている奴は体が弱くなっている、死んだのも多いとか言っていた
その人は体が丈夫なのである。でも80歳で肉体労働しているというのも驚く
建築現場でも老人が多いというとき人手不足でありまたそれだけ老人が多く金も欲しいとなるそうなる、そして若い人はそういう建築現場を嫌うから余計に人が来ないからでもある、だから建築現場のような所でも老人が多くなっている
この人は現代の高齢化社会を象徴していた人である。
こうしてはきはきもの言う人は話を合わせやすい、相手がどういう人物なのか察しがつくからだ

ただなぜ前科者といって役所と交渉しろとかその人は言っていた、役所の人も言うことをきくとか言っていた、怖いからそうなのか、その人が前科者なのか?そうではないみたいだ、暴力団だどうのうこうのと言っていたから脅しとしてそういうことを覚えたみたいだなんかそういう方面の人かとも思ったが普通に盆栽しているとかもあり何か良くわからない人だった
高齢化社会では都会の老人が多いからそういう人たちが田舎に来る、田舎から都会への移動は少ないが都会から田舎への移動は増えてくる、ただ80歳で働きにくる人がいるとは思わなかった。

ともかく無人駅は寝ていて電車を待つのにふさわしいともなる、自分も旅してそういう駅で寝ていたことがあった、それは北海道でありなつかしく思い出す。
ふらふらとどこに行くとなく旅していた時が長かったからだ、それがここ十年は全くそういうことはない、介護していたから近くに自由に出れない身になった
そしてもう年になり外を出歩くのが億劫にもなった
でも80歳で仕事に遠くまで来る人がいることには驚いた

高齢化社会でイメージしているのは寝たきり老人とか認知になった老人とかである。
でも逆に80歳でも働く元気な老人がいるのも高齢化社会なのである。
だからそういう元気な老人がいるという面からも見る必要がある
その人は働いているのだから労働者としてなお現役であるとなるからだ
人手不足を補っているということでもあるからだ。

バス停には休む場所がないと言って駅で寝ていたのである。バス停には休む場所かあったとして狭い、駅は広いしホームにも休む場所がある。
そして駅は駅前も駐車スペースもあり一つの人が集まり休息する場にもなっている
だからあの人も駅に来たのもそのためである、ここには道の駅がないからそうなっている街の中心として駅が機能していたのである。

平均年齢72歳!高齢化が進む工事現場の「高齢者用ルール」とは?




私の会社は建設業ですが、高齢化が進んでいます。
20代の社員はおらず、60代の社員は2人います。整備工場には、80歳の人がいます

学歴で形成されない人格 (人間を作るのは体験)


学歴で形成されない人格


(人間を作るのは体験)


東大だとかなれば誰でも一目おく、その人は人格的にも優れていると見る
自分なども劣等生だから特別な人だと見る、何か体力的にも意志的にも性格的にも違っているとみるからうらやましいとなる
そういう人は天才的な人かともみる、現実に相馬地方では東大に入った人は何十年もいないだろう。東北大さえなくなっている
学歴は何か理系と文系はまるで違っているとみる
理系は自分ではFランでも文系よりは優れているとみる、文系の知識は本当にいい加減だからである。

ただ人格形成からみると一流大学の性的な不祥事が連続したようにやはり知識だけからは形成されない、Fラン大学生ではなく一流大学のエリートから起きたということは何かを語っているのかもしれない、Fラン大学は女性にも相手にされないうというからだ
それで謙虚になっているというのも奇妙である。
でも一流大学もそれも医学部だとかなるともう天狗になるだろう。
誰もが一目をおくからである。

人間は若いときうぬぼれる、それは別に大学生とかなると世間を知らないそうなりやすい自分なども苦労をしらなかったからそうなっていた
ただ世間に出て自分の非力を知って底辺層でしかありえなかった
そしてうちのめされたということがかえって謙虚になったのである。
つまり人間は一度でも二度でもうちのめされる、激しくたたかれる
何かそういう失意の経験とかないと傲慢になってゆく
それが一流大学生とかは学生の時から起きているしその後も医者とか高い地位につくと
傲慢になってゆくのである。それが人格をゆがめる

謙虚になれといっても一流大学とか高い地位についたらなるのがむずかしい、いつも持ち上げられている立場になればむずかしい。
だから社会では学歴がすべてではなく通用しないというこを知ることも大事である。
それは人を使う立場になるということは相手の身になることでもある
ところがそういう人はいつも何でもできる学歴もある、知識もある。
でもそういうものがない人のことを知り得ない、それであれほどまでに豊田真由子議員で秘書をもう人間扱いしないのである。
つまりそういう人格形成された人が下々の人の心もわからない、そういう人がどうして指導者になれのかともなる、いくら学歴知識があってもそうである。

あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさいーマルコの福音書

上に立つ者の心得である。世の中はこうはなっていない、上に立つ者は露骨に下のものをこき使う、人間とすら見ない、こういうことは使う者と使われ者の間に起きやすい

結局人間の危険は傲慢になることである。奢りになることである。それが身を滅ぼすし国すら滅ぼす、奢れるもの久しからずである。
原発事故だって奢りから生まれた面がある、政治家の奢り官僚の奢り科学者の奢りマスコミの奢りが権力を持つものの奢りが集積して事故につながった
科学者は日本の技術は優秀だから事故は起きないという幻想をいだかせていた
それは原発に関してはそうではなかったがそういう幻想をいだかせていたのである。
その奢りを生むのがこれらの人々が権力をもっていたからである。
だから難であれ権力は奢りをうみ、絶対的に腐敗するとなる

だからどうしても権力者はまともな人格形成が成すことがむずかしい
なぜ「悲しむ者は幸い」なのだろうか?
悲しむ者は常に不満であるのは権力がない、金もないからである。
では権力者が幸いだとは言わない、そこに人間の逆説がある
つまり人間が権力を持つと奢りに陥ることが人格をゆがめるからそう言っている
王様のような人はとても天国に行けるような人ではなかったとなる
権力をもっていて謙虚であることはむずかしいということである。

いづれにしろ若いとき権力ももったり高い地位につくことは最大の危険である
世間的に成功してもそうである。それが奢りになるからである。
ある人は理系で資格をとり優秀だから事業をはじめて失敗した
それも奢りをもったからそうなった
人間の優秀さとといっても多様であり人間は確かにあることには優れている
あらゆることに優れいてる人はいない、理系で仕事しているのと事業を経営するのとはまるで違った才能が必要になる、そこに人間の限界がある。
おそらくその人には理系の能力があっても人間的常識すらもっていなかったのかともなるこの人もただ人をこき使うというか人を使えるような人ではなかった

現代は知識を過度に追求する社会である。すべてが知識だともなる
その他人間の人格などは見ない、学歴には知識に優劣をつけられる点数をつけられる人格というのは何かとなると点数がつけられない、点数がつけられないものは無駄なものとなる、教育自体が点数をつけることであり点数によってすべて評価される
そこに異常な人格が形成されても関係ないのである。
江戸時代だと人格が形成されたというとき知識だけではない社会に生きていたからである現代は膨大な知識を追求する社会である。遂にはもうそれは人間の能力を越えているのでAI化するようになる、AIの判断の方が人間より優れいてるというときもう人間はとても膨大な知識を処理できなくなっているからだ
ただAIにはコンピュターには人格形成はできない、人格はそもそももてない
そのようなものに指導されたらどうなるのか?
それは非情な機械に支配された悪夢の社会となってしまう。

人格形成に失敗するというとき学歴でも知識でもできない、体験を積んで謙虚な心になる奇妙なのは本当は学問すること自体人格形成することが目的だった
まさか悪人にになるために学問しろなどとは言わないが金儲けなら学問しろとなっている金儲けがすべての目的化しているのが現実である。
そういう社会であるとき異常人格者が増えて当然だとなる
人格から見れば今の人間は最低であり異常人格者が目立つ社会かもしれない。
要するに豊田真由子のようなとんでもない人間が生まれやすい社会だとなる
学歴知識偏重社会だからそういう人間が生まれても不思議がないからである。