2017年06月21日

格差社会で金持ちは日本に住めなくなる (金しか働くモチベーションがない時代の恐怖)


格差社会で金持ちは日本に住めなくなる


(金しか働くモチベーションがない時代の恐怖)


真面目に質の高い接客をしてほしいなら、バイトを正社員に変えてくれ!と要望するのが多分1番効果があると思います


バイトなんだから責任が重いものはさせるなとか質の高いサービスをさせてくれるなとか激しい労働はお断りだとか言える、賃金分しか働かないとなる、こんな賃金で働くの馬鹿らしいとなるのも当然である。
モチベーションがもてないのである。そういう人は社会に忠誠を尽くせない、ロイヤルティとか忠誠心は簡単に作れない、だから江戸時代とか戦国時代であれ主君に仕える侍がありえたのは今になるとうらやましいとなる
なぜなら主君とともに生死を共にするまでになっていたからである。
忠義とかの武士の道徳も生まれたからである。

今はそれだけの忠誠心を会社であれどこであれ得られない、ただ金で雇われ金で人を使い金が縁の切れ目で分かれてゆくだけの関係しかないからである。
人間のそうした強固な絆がどこから生まれたのか?それは経済的なものだけの関係ではなくなっていたからである。
そんな人間関係が現代では生まれようがないことを見ればわかる
正社員ではなくアルバイトとか派遣とか増えてくると余計にそうである。
派遣というのはまさに一時的に派遣される、時給でいくつもの会社に派遣されるだけでありその見返りは賃金しかないのである
派遣にはまたキャリアをつけることもできない、江戸時代の職人とかとも違う。
だから働くモチベーションがもてないのである。
ただ賃金だけがモチベーションになっている
もちろん資本主義社会ではみんな奴隷なんだよというとき労働は強いられたものでありみんなしたくないのである。

だから人を雇うことは特に家の中に入れることほど怖いことはない
その家に尽くすということなど微塵もない、ただ金が欲しいというだけである。
それで金をくれと来て家捜して金を奪うことも平気でされたからである。
今の時代働くモチベーションが金しかない、すると金のある者から奪うというのが一番効率的になるのである。
時代劇でも盗賊が強盗に入るために女性を女中として「引き込み女」として働かせて家に導かせるのが常套の手段である。
推理小説で家政婦が犯罪にかかわるのが多いがそれはその家の内情が詳しくわかるからである。家族の一員のようになるのが家政婦だからである。
だからこそ危険度が普通の会社で働く人より高くなるのである。
その引き込み女は女中してもただその家から盗むということしかないのである。

つくづくそういうことを実際に経験したからわかる、雇うにしてもそこには金しかモチベーションがないなら金持ちの家から盗むのが一番てっとりばやいのである。
なぜそうなったかというと働くモチベーションが現代では金しかないからである。
人間関係は家族意外は金でしか作れないとなまでなっている
それは親戚でも血縁でもそうだというとき金に関してはそれだけ厳しいものとして扱わざるをえないのが現代である。

税理士も、親戚も旦那も妻も子供も信用してはいけない

「だまされるな」「警戒せよ」「用心せよ「「近寄って来た人間は信用するな」

税金恐怖政治が資産家を追い詰める(副島隆彦)

こういう世界に生きることはこの世が金持ちでも地獄になる、心を許せる人もいなくなるからだ。家族さえそうなると金をもっていても安心できない、常に 疑心暗鬼で生きた心地もなくなる、そんな社会に生きたいと思うだろうか?

その人は毎日家で皿二三枚洗うのも嫌なのである。賃金は別にそれだけだったらわずかでいいのだか自分にしても三倍かくら払っている、でもその人は極力働かないですまそうとしている、家族だったらそうはならない、現実に息子がいてそのためには朝晩ご飯を作って世話しているからだ。その息子は働いていても金はそれほど出していないのである。
でも息子のためならそうして朝晩ご飯を作ってやっているのである。
それは自分もずっと親にそうしてもらっていたから今までは感じなかった
今やいかに皿に二三枚洗ってもらうことにさえ苦労しているか?
要するに自分のために何かしてやるという人はいなくなったのである。
だから皿二三枚洗ってもらうことなど今は必要ないからしてもらわなくてもいいのである
働くというときどうして働くのか働かせるのか?

●金のためだけ

●解雇される怖のため

●ミッション(使命)のため

●事故実現のため(work-作品の完成のため)

働くというとき雇用者はいつもやめさせられるという権力をもっている、それが雇われる人の恐怖となりやめたいのだがしかたなく働くとなる、それがブラック会社に多い
何か人間の弱みをつかんで働かせる、それはまさに恐怖政治とにている
人間を支配するのは恐怖を使う、マキャベリズム的手法である。
これはカルト宗教の支配でもそうである。宗教によって恐怖を与えるのである。
地獄に落ちるとかなんとか脅してやめさせないようにする、でもまたカルト宗教の場合は自らもその恐怖に呪縛されているのである。カルト宗教は地獄とか罰の恐怖しか与えられないのである。幹部も宗教に呪縛されているのだ。地獄と罰を恐れているのである。
精神的にも奴隷人間化しているのである。
なぜ創価が権謀術数の三国志を教科書としているのか?
宗教と何の関係があるのだろうとなる、そして世界平和のためにとか言っているのだから矛盾しているけどそれがカルトなのである。
権力とるために中国は何千年もそうしてきたからそれに学んでいるとなる、中国人はそれだけ権謀術数にたけているのだ。
それはあまりにも苛烈な社会で生きてきたからそうなったのである。

結局働くというときミッションのためとか自己実現の労働があまりにも少なすぎることなのだ。WORK(作品)がない。江戸時代の職人はWORKしていたが今はただ賃金のために金のためにだけ働いている、何かを消費するために働いている、それが労働のモラルを荒廃させているのである。
恐怖で働かせられているのもまさに奴隷だからである。
資本主義とか自由主義とか民主主義でもそこには必ず奴隷化するものがある
人間社会はいくら進歩した改革したとしてもそうなりやすいのである。
だからこの世は変わったようで一向に実際は変わらないのである。

前の親戚の人も事業に失敗したから要求するのは金であり借金だけだった
自分が病気とか介護で苦しんでいても関係ない、自分か困窮しているから他人のことなどどうでも良くなっていたのである。ただ金を欲しいということだけだった
だから荷物一つもつことさえ自分のために持つのを嫌がっていたのである。
それはみんなそうだった、金しかモチベーションがないからそうなる

もう一人の親戚の女性は自分の親に対して
おばちゃんは金があるんだから金にめんどうみてもらへ血相変えて去って行った
その女性は別に金に困っていない、金に恵まれたから何もしたくなかったのである。
金しかモチベーションがないというときどうなるのか?
例えば一人暮らしでも金しかもっていないとなると身寄りがないとかなるどうなるのか?
介護施設に入ってもモチベーションがないのだからすべて金になる
そこにはいたわりの気持ちもないのだから金をもらったとしてもその扱いはぞんざいになる、そういう人はこいつは金があるんだから奪ってやろうとも普通になる
なぜならモチベーションが金しかないからだ。
だからいくら金持ちでも今の資本主義社会では幸福になるとは言えないのである。
金持ちの親は必ず高額な施設に入れられるがそこで心のこもった介護はされないのである金で愛情とか心のこもったもてなしは受けられないのである。

現代が豊かでもみんなこんなふうに金だけすべてとなるとき不幸になっている
金持ちでも貧乏人でも不幸なのである。金持ちは金持ちで幸福は限らないのである。
回りを高い塀で囲んで泥棒から守ろうとしてもできない
日本では特にできない、狭い範囲で生活しているからできない
アメリカ辺りだと広いから黒人でも嫌なら近くに住まないとか棲み分けができているという、日本は国土が狭いからできない、特に田舎になったらもう徹底して平等を追求される金持ちは貧民に分けないと住んでいられないだろう。
そして今や格差社会になると金持ちはさらに危険になる
金持ちの家が貧民に破壊されることある、昔のように打ち壊しもある。
そういう時代になっているのだ。
太宰治の生家は高い煉瓦の塀を作り小作が暴動を起こすのを恐れていたのでそうなった
警官が警備員のようになっていた。今ならそうしていただろう。
つまりいくら金持ちでも田舎では安心して暮らせなかったのである

副島隆彦は千二百万盗まれてショックを受けたとあるがそれでも警察はとりあわなかった警察は殺人事件とか重要なものしか扱わない、一千万盗まれても扱わない
だから今どれだけの人がそういう被害があっても泣き寝入りしているかわからない時代である。わずかの百円盗んでも刑務所に入る人もいる
でもその何千倍なのかしらないけど多額の金を盗まれても罪は問われない時代になっている、盗まれ損なのが膨大になっているのだ。だまされた人もそうである。
警察は何もしない、そういう時代になっているのだ。

こういう時代はもう長く続かない、こうした資本主義も崩壊寸前なになっているのだ。
それは格差社会で決定的になる、暴動が起きたり打ち壊しになり金持ちも安心して住めなくなるからだ、金持ちも安閑としていられない社会だからこそ金持ちも格差があるのは当然だとか自己責任だとか言っていられない社会なのである。
なぜならそんなこと言っていると貧民の暴動が起きたりして財産を根こそぎ奪われたり殺されたりもする時代になっているからだ。
税金をとられるから海外で暮らせとかなんとか言っているけどそれも無駄である。
そんなことよりもう日本人を捨てる意外道はない
でも日本人として金儲けもできないし日本人として保護もされない覚悟はすべきである。もう日本では特別な金持ちの存在は許されなくなっているのだ。
小金持ちはなんとか貧民と暮らせるかもしらないけど五億円ももち資産まである人は一緒に生活できなくなる、非常に危険になる、命も保証できない時代になっているからだ。
それが貧困化した日本の実情なのである。

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posted by 老鶯 at 20:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

原発事故で問われた自覚された重い責任 (しかし誰も責任をとっていない、でも地元では責任を負わされた)


原発事故で問われた自覚された重い責任

(しかし誰も責任をとっていない、でも地元では責任を負わされた)


原発事故ほど責任が問われたことはない、責任の重大さを問われたことはない、それはあまりにも被害が大きかったからである。
戦争でもそうである。三百万人死んだのだから一体その責任は誰にあるのか未だに問われている

東電は原発をしたくなかったのである。でも国で責任をもつということで請け負ったのである。東電は原発は危険なことを知っていた、だから東電だけではしたくなかった
国で責任をもってくれるということで原発事業をはじめた
そして東京に作らずに福島に作ったのは危険だからそうしたのである

株式会社の責任というとき株主も責任がある、ただ株に投資した分だけの責任である。
会社が倒産すれば株はゼロになる、でも会社は借金するとその分の責任がまだある
中小企業では社長がその責任を負い家族までまきぞいになり悲惨な結果となる
事業して失敗した人など無数にいる、自分の身近にもそういう人がいて自分が苦しんできたことや事業で失敗して除染の仕事に流れてきた人もいる
中小企業だと家族までまきぞいになり家族も崩壊することが普通にある

何でも責任がつきまとってる、それで法律で契約するとき会社でも個人でも私たちは責任をもちませんということを明示しているのである。
あとで責任を追及されるからである。ただ被害を受けた人はその契約のことをあまり見ていない、そして会社でもその責任はとらないと条文に書いてあることを知るのである。

事業で成功する人がほんのわずかなとき二十人に一人とかなると本当は誰も責任とるとなると簡単にはできないはずである。その責任があまりに重いからである。
回りのものにも失敗したら迷惑をかけるし家族も塗炭の苦しみを味わうからである。
でも意外と安易な気持ちで事業をはじめる人が多いのである。
戦争でも三百万人も死んだというのは戦争の結果であり責任になった
その後始末をどうするのかと七十年たっても解決しないのである。
国で英霊として祀りその霊をなぐさめるとなっているがそれで死んだ人が報われるのかともなる、天皇も責任を問われたから天皇という立場、空恐ろしい責任を負わされていたのである。そしたら天皇になどなりたくないとなる

責任というとき一代で終わらない、戦争責任を中国や韓国で追求されるのもそのためである。個人的にも親の責任を子供がとらされる、自分にしても親がいていい長くいい思いしてきたが介護とかなり今度はいろいろ親が残したものの責任をとらされたのである。
親の代の責任が子供に課せられるのである。もともと原発だって誘致したのは親の代の人だったからである。でもその責任は確実に子にその責任が引き継がれるのである。
そして子や孫に恨まれることにもなるのである。
親の因果が子に報いになるのである。

責任の重い仕事は立場の人は責任の重さをしりその責任を回避しようとする
病院は医者は責任が重いから医療ミスも多いから組織ぐるみで医療ミスを隠蔽できるようにしている、そうしないととても医療ができないからそうなっている
医療ミスは実際は膨大にあり裁判にもならないのが多いのである。
実際に手術してガーゼが体に残っていて一年後にとりだしたとかした人を知っている
でもなんら病院から謝罪すらなかったのである。
そういうことは病院や医療関係では普通のなのである。それだけ医療ミスが多いから責任をとらない体制ができているのである。

医療関係では常に日々そうした医療ミスが起きているからその責任を回避するためにそうしていた。ところが原発ではそういう重大な責任があるとしても危険がわかっていても対策をしなかった、安全神話を作り必死になり隠蔽しようとしていたのである。
それは地元でもその責任を自覚しないことがあった
漁業権者は海を東電に売り渡したというときそうである。漁業権は北朝鮮では魚をとる船がないということで漁業権を日本など外国に売り渡して年に七十億とかの収入を得ている漁業権は大きな権利なのである。
だからこの辺では漁業権をもっている船主などは事故前も事故後手厚い補償金をもらっていたのである。それが今回りのものから反発される
なぜ漁業権など東電に売って補償金をもらっていたのだとなる
つまり責任が今になって問われたのである。

つくづくだから今になると責任は分担するのが一番いいとなる、漁業組合だけで漁業権をもっているからそれで利益を得るより市町村単位で漁業権をもっていればそうはならないみんなの責任だとなるからだ、ただその時は補償金はかなり少なくなるからそうしなかったのである。
ただ事故前に漁業権を東電に売り渡したことが責任を問われたのであり事故があったら補償を要求するのは当然である。その前から手厚い補償金をもらっていたことが問題だった権利を主張するのはいい、でもそこに責任もともなっていたのである。

ともかく責任というとき分担するのがいい、大企業になると大きいからもう簡単につぶすことができない、それで国が援助したりする、その影響が大きくなるからだ。
戦争は結局は国民の責任だとなり三百万人が死んでも国民の責任だとなれば誰も責任を負う必要もないとなる
原発でも国の責任だということは国民の責任でありその賠償金は国民の税金で払われることになる、本当は政治家や官僚や東電の責任が大きいにしても問われないのである。
学者や科学者や技術者の責任もあったが問われない
武田邦彦氏が一ミリシーベルトを守れというときそれが原発事故の前にそれだけ危険なものだと警告していればいいが今になってそんな厳しいこと言われてもできない
みんな住めなくなるからだ。それは科学的根拠があってもできないのである。
だからそんな厳しいことを言うならその前に原発の危険性を言うべきだったが言っていないのである。

責任というときどうしても上に立つ指導者が一番責任が問われる、それで侍はその責任を自覚していたから切腹した、切腹を覚悟して事にあたっていたとなる
そういう立場を自覚していたとなる、でも現代ではそういう自覚がない、上に立ちいい思いをして利益を得る、でも責任はもたない、現実に東電の幹部は何の責任もとっていないからである。裁判にすらならない、結果的に誰も責任をとらないのである。
責任をとらされたのは地元の人たちだったとなる
ただその責任として補償金を与えるだけだとなる、それも国の税金であり東電が全部ではないのである。

すると国民ではなんであんなに補償金を払うのかと不満になり原発避難者のいじめとかなる、お前たち事故前もいい思いした、金をもらっていたではないかとなり批判する
つまり地元の人たちへの責任論である。それがわかりやすいのは漁業権者への手厚い補償がわかりやすい。結局原発を作った方が勝ち組なんだよとかなる
何かこうして責任問題になると責任の転化になる、誰も責任を負いたくないからである。そして戦争のように誰も責任をとらない、国民が悪かったのだとなればみんな悪いのだから責任をとらないのである。赤信号みんなでわたれば怖くないとなる

それは集団組織が大きくなればなるほどそうなる、だれも大企業であれ巨大化したものは責任をとらない、カルト宗教団体でもあれだけ巨大化すれば責任は全員にあるから問われない、巨大な権力集団になったとき責任は問われないのである。
それが誤っていてもそうである。それがナチスのようになって国民にもその責任が及んでもその巨大な権力集団の前には何もできないとなる

原発事故はその被害が甚大でありその責任も無限大にもなってしまうものだった
なぜならプルトニウムが二万年消えないとかなる空恐ろしいものだったからである。
その責任を誰がとるのか?結局地元の人が一番とらされているのである
そういう重い責任となると人類的なものになる

 その地でプロメテウスは磔(はりつけ)にされ、その胸に杭を突き刺され、その杭には一羽の鷲(わし)が止まっています。鷲はプロメテウスの肝臓を啄(ついば)むのです。一日かけて食い荒らすと、次の日にはまたプロメテウスの中に新しい肝臓が育ち、その日もまた鷲に突かれるのです。来る日も来る日もその繰り返しです。
 こうしてプロメテウスは、永遠の責め苦を味わわなければならなくなったのでした。
 さてプロメテウスの刑罰は「3万年」と定められていました。しかししばらくして開放されたようです

このような過酷な刑罰が課せられていた、核を開発した原爆を作った人類にもその罰が課せられたともなる、三万年で解放されたというとき二万年プルトニウムの毒が消えないのとにているからだ。、放射線が遺伝子に影響すればその土地では生きていけない、子孫も絶えるとなるからだ。
アダムの原罪もありエデンの園から追放されたのもにている
それは人類的カルマだったのである。人間は個人的にも集団的にもカルマから逃れられないのである。集団に属していてもそれでカルマから逃れられるわけではない
責任を集団で分散してもその責任から逃れられないのである。




posted by 老鶯 at 09:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連