2017年06月20日

夏の海(見晴らしが良くなった津浪の後の萱浜)


夏の海(見晴らしが良くなった津浪の後の萱浜)




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奇しけくも十一面観音の残りけり囲む木立の神寂びにけり

三本の樹高台に残りまばゆくも夏の花咲き海を望みぬ

広々と海の開けてハマヒルガオ都草咲き沖に船行く

萱浜に矢車草の一面に津浪の後や海の暮れにき

夏の海望みて墓地の萱浜の高台よりや沖行く船見ゆ

萱浜や海を望みて残る墓地沖に船行き夏の日暮れぬ



日々晴れて泰山木の大輪の花の真白に空に向き咲く

夏菊のエントランスに咲きにけりこの家新しく朝日のさしぬ


萱浜は津浪の後六年すぎて見晴らしが良くなった、海が広々と見える、この海が広々と見えるのは松原とかにさえぎられて見えないことがあった
萱浜の松原はいい松原ではなかった、何か陰気だったのである。
松がなにかぼそぼそと生えていて暗かったのである。
右田の松原は調ったいい松原だったのである。
あそこで女子高校生を殺して自殺した若い人がいたのである。
何かあそこは陰気な場所だったのである。
自分はだからあそこは好きではなかった
何かそういう場所だからこそそんな事件が起きたのかと思う
自然でも何か場所的にも悪い所があるのかもしれない
そういう場所で自殺が起こり安いかもしれない

ただ六年すぎて萱浜に行ったら見晴らしが良くなり気持ちよかった
広々と夏の海が広がり沖に船の行くのが見えた
雫(しどけ)の方は萱浜よりずっと高く高台に樹が残っていたりまた十一面観音堂は木立に囲まれ残っていた、あそこも津浪が来たが高台なので残った
墓地も高台なので残った。
十一面観音堂は泉が先でここに移されたのだろう。
雫(しどけ)という地名は謎である。ただ雫(しどけ)は高い所にあり家も残っていた
つまりそこは古くから人が住んでいたのである。
萱浜は江戸時代には住んでいてもその前には住んでいたのか?
雫の謎は雫(しどけ)とは山菜のことなのである。
とすると山菜が地名化したとしたら海ではなく山側に山菜とれて名になったのか?
そこは高い場所であり山の暮らしもあったのかとなる
ただ山といっても山とも言えないしここは謎なのである。

津浪で変わったのは景観を変えてしまったことなのである。萱浜は相当に変わった
見晴らしが良くなって気持ちいい、夏の海が広々と開けて沖に船が行く
ここで良かったのはソーラーパネルがなかったのである。
磯部や右田はメガソーラー場になったからここもなるのかと思っていた
これかるなるのかわからない、海側はソーラーパネルになってもどうにもならない
これから風力発電の風車が作られるからまた景観が変わる
それも景観を乱すものになるがこれもどうにもならないだろう。
海側は家がなくなったし開発しやすいからだ
ただ飯館村の森は保存してもらいたい、でも誰も住まなくなるとどうしてもソーラーパネルとかになりやすいのである。後は放射性廃棄物の捨てる場になりやすいのである。

これだけ景観が変わるということは思わなかった、自然はそもそも変わらないものとしてあると見ていたからである。
常磐線沿線は海が開けて高架橋になり見えることは観光的にはいいだろう。
矢車草の畑があったのも変わったことである。
菜の花の春に咲かせたが夏は矢車草である、これは海にあっているかもしれない
青い色が海をイメージするからである。
何か景観が変わると雰囲気まで変わる、萱浜というときこんな感じではなかったろう。

景観というとき泰山木の花が今さいているけどこれはアメリカ大陸に咲くのにふさわしい、ひまわりとか泰山木の花はアメリカ大陸が原産地だとなる
そこの気候は空は広く毎日晴れているのである。
今年の梅雨は空梅雨なのか毎日晴れているから泰山木の花がふさわしいことを感じたのである。
花は原産地がどこかということを知るといい、つまり花でも咲くにふさわしい風土が場がある、日本の花は南国系統が多いのである。
ただ北方系は北海道に咲いているのである。
今年の梅雨はどうなってしまうのか?紫陽花は梅雨にあう花であり日本原産なことでもわかる、紫陽花は日本の風土に咲くのふさわしいのである。


万葉集志賀の白水郎(しかのあま)の歌の解釈


万葉集志賀の白水郎(しかのあま)の歌の解釈

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古代の対馬(つしま)は、対外貿易の中継基地として重要であった。時の政府は、年に一度、秋の収穫後に九州本土から食糧を送るよう命じていた。玄界灘を輸送する船団の人数は百数十人。その水先(みずさき)を務める船頭の腕には責任がかかる。
 その年、太宰府は、経験のある筑前の津麻呂(つまろ)を船頭に任命した。しかし、年老いて気力のなくなっていた津麻呂は、友で年若い漁師、志賀島(しかのしま)の荒雄(あらお)に頼んだ。義侠心が強く、友情に厚い荒雄は、同じ海に生きる男として、進んで頼みを引き受けた。

志賀の山 いたくな伐りそ 荒雄らが 
     よすかの山と 見つつ偲ばむ
     
(志賀の山の木を、あまり伐ってくださるな。荒雄の縁のある山として、見ながら夫のことを偲(しの)ぼうとおもいますので。)
 形が変わるほど木を伐らないでくれと訴えている。志賀島は山の島である。とはいっても、最高部の潮見公園でも166m。カシやマテバシイに覆われている。

官(つかさ)こそ さしてもやらめ さかしらに 
    行きし荒雄ら 波に袖振る


荒雄らは 妻子(めこ)の産業(なり)をば 思はずろ 
     年の八歳(やとせ)を 待てど来まさぬ

沖つ鳥 鴨とふ船の 帰り来(こ)ば 
    也良(やら)の崎守 早く告げこそ
    
 「沖つ鳥」は「鴨」の枕詞。防人とその地の民衆との関わりが推測できる歌。能古島にはいま狼煙(のろし)台が再現されている。


 沖行くや 赤ら小船(おぶね)に つと遣(や)らば 
     けだし人見て ひらき見むかも
     
(沖を行くあの赤い丹塗(にぬ)りの官船の小船に、包みをことづけてやったら、もしや夫が包みを開いて見はしないか。)
 沖の彼方、海の底に生き続ける夫の姿を思う。

 大船に 小船(おぶね)引き副(そ)へ 潜(かづ)くとも 
     志賀の荒雄に 潜(かづ)きあはめやも
     
(大船に小船を引き連れて海に漕ぎだし、海に潜(もぐ)って捜そうとも、志賀の荒雄に海中で逢うことができようか、いやできはしない。)




志賀の山 いたくな伐りそ 荒雄らが 
     よすかの山と 見つつ偲ばむ
     
これは何なのだろうか?漁師は山を目印しとしている、でも木を切るなというとき木があってこその山である、山をよすか(よすが)にするというとき山には先祖が眠る、死者が葬られているということもあった、海からながめた山はまた地上からながめる山の感覚は違っている、でも木が繁っていてこそ日本では山である。
山は神聖な場所だったのである。
だから最近飯館村とかで山がソーラーパネルとかになるとそのよすかとする山の森が消失する、それは経済的な問題ではない、精神に影響する問題である。
飯館村は森におおわれているとき一つの別世界を形成していたのである。
ここには景観問題もあった、景観を自分は常に重視したというときそれが心に影響するからである。

荒雄らは 妻子(めこ)の産業(なり)をば 思はずろ 
     年の八歳(やとせ)を 待てど来まさぬ

ここに八年待ったということに重みがある、いつも帰ってこないかと待っている
漁師というのは夫が無事に帰るか心配になるのは今でもそうである。
いくら待っても待っても帰ってこないとなる、こういうことはいつの世もある
戦争のときも戦地に出て帰ってこない息子や夫を待っていたのもそうである。
夫が去って暮らしするのにも苦しいからこの歌ができた

沖つ鳥 鴨とふ船の 帰り来(こ)ば 
    也良(やら)の崎守 早く告げこそ

海での暮らしは船を出して海に出ることは常に見送り帰ることを待つ場なのである。
当時の舟は遭難しやすいから余計にそうなる
待つ場所というとき鉄道の駅も出てゆき待つ場所なのである。
ただ鉄道だと安全であるが海は常に危険な場所だから違っていた。
そして海では今でも遭難した人がいて若くして死んだ人がいるのが普通である。
だから海での暮らしは変わっていない側面があるのだ。
海での暮らしは舟が無事に帰ってきたというとき大きな喜びがあったとなる
    

沖行くや 赤ら小船(おぶね)に つと遣(や)らば 
     けだし人見て ひらき見むかも
     
(沖を行くあの赤い丹塗(にぬ)りの官船の小船に、包みをことづけてやったら、もしや夫が包みを開いて見はしないか。)
 沖の彼方、海の底に生き続ける夫の姿を思う。

 大船に 小船(おぶね)引き副(そ)へ 潜(かづ)くとも 
     志賀の荒雄に 潜(かづ)きあはめやも

これらの二首は切実な夫への思いである。何かこれは現代風に解釈すると津浪で死んだ人を思うのともにている
実際に未だ死んだ人が行方不明になっていて探している人がいるからだ
でももう海の底を探しても見つからないのである。

ここで一番感心したのは

志賀の山 いたくな伐りそ 荒雄らが 
     よすかの山と 見つつ偲ばむ

志賀の山の森の木をあまり切ってくれるな、そこは心のよすが(よすか)にする山だからというのはやはり山が単なる木材を供給するだけではない「心のよすか」になっていたことなのである。つまり日本の自然が心のよすかでありその心のよすかがなくなったとき日本人の心も消失するのである。
飯館村ではソーラーパネルになりそういうことが起きている
他でも日本は戦後は高度成長で自然を破壊してきたのである。
そしてそこに現れたの殺伐とした風景だったのである。        
     
     
      
  
posted by 老鶯 at 09:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 万葉集