2017年06月12日

田んぼが回復しないと復興を感じないのはなぜか? (田んぼと蛙は生態系で一体化したもの)


田んぼが回復しないと復興を感じないのはなぜか?

(田んぼと蛙は生態系で一体化したもの)


農家としては花を買って来て植える方をオススメいたします。『地力』とは地力が高いか低いかで野菜や果物の実の美味しさや大きさが決まります

田んぼは約2年作らなければ、床!、トラクターが剝くところより深く入りますのでトラクターは煮え込んでしまいます。
上部から50cm位で床、即ち足が入らない所を床と言います。
これが崩れると大変なことになります。
正規に作った稲でも毎年、下草、雑草を田んぼに入れればこれが肥になります。
休耕田は最低の田んぼですから、誰も作ろうとはしませんし、草の管理が1年大変なのです。

1年放置しただけで樹が生えてきますし
草も当然生えますので
休耕田の管理は面倒なものがあります。


休耕田は最低の田んぼですから、誰も作ろうとはしませんし、草の管理が1年大変なのです。

こういうことだったのか、田んぼの方が回復がむずかしかった、だから畑は原発事故以後もすぐに作る人はいた、田んぼはそうはいかなかった
飯館村は田んぼがほとんど回復していない、無惨に表土がはがされている
田んぼも肥料が必要であり肥料がなければ米でも育たない
それで右田の部落が橲原(じさばら)に肥料となる草刈り場の山を10町とかもっていたのである。そこに今住宅を建てて右田の人が移転しているという。

農家で苦労しているのが肥料なのである。それで角田の方に言って鶏糞を買って畑をしている人がいる、それは趣味の畑である、畑は趣味でもかえって金と労力もかかるのである
田舎では田んぼがない、田舎が考えられないのである。それはもう自然景観と同じとなり心も一体化している、田んぼは田舎では単なる米がとれるということではないのだ
オーストリアとかアメリカでも米は作られている、北海道でも作られている
でも日本の本州の田んぼはもう米をとるというだけではない、一つの心の原風景となっているのだ。だから田んぼがない田舎は田舎なのかとまでなる

それを一番感じたのは田んぼがこの辺で回復して蛙の鳴き声が盛んにひびいたときだった田んぼと蛙は一体化していたのだ、そこに蛙を餌としてとるために鷺がやってきていたのである。ただまだ鷺は今年はあまりみかけない、これから飛んでくるのか、前は鷺の巣が川の藪にあったりした、だから田んぼは自然景観と一体化した原風景なのである。

それで南相馬市は田んぼが作れなかったが相馬市に行くと田んぼがあり松の木がありそれが日本の原風景だと感じた、南相馬市では田んぼは荒地となり草原化したからである。
その草原化した風景は北海道の風景だったのである。
その草原に雲雀が鳴いたとき草雲雀というように雲雀は田んぼより草原にあっていたのかと実感したのである。これも不思議な経験だった。

いづれにしろ田んぼが復興しないと復興がないと感じるのはそのためである。

ケロケロケロ、田んぼがもどった、ケロケロケロ
俺たちはここに住む、俺たちの生きる場がもどった
ケロケロケロ、うれしいな、仲間ももどってきた
みんなで思い切り合唱だ
夜空には星が一杯輝きここが俺たちの生きる場だ

なんかこんなふうに蛙の鳴き声が盛んにひびいていた、そのひびく音が静寂の夜の田舎にひびわたったのである。
田んぼはそうして生態系と一つになった自然景観を形成していたから違っていたのである人間の生活の復興も蛙とか動物とともにもあったのである。
生態系というとき人間も動物でも生物でもその中に生きているからである。
だら蛙でも生きられないとなると生態系自体が破壊機能しなくなっていたのである。
原発事故はそうした生態系を汚染したからもうその土地に生きられないと帰れなくなり脱出したともなる、それが原発事故の罪深さだったのである。

まだ除染してもその効果は無駄だったとかなり4兆円の除染費用も浪費されたとかいわれる、土と水とか森の木とか汚染されることは生態系にとって致命的になる、動物も生きられないし人間も生きられなくなるのである。
浄化するためにはもう30年とかプルトニウムが消えるのは二万年とかなってしまうのが原発事故の過酷さだったのである。
原発事故は一回こんな大事故が起きたら住めなくなるということである。
それをこの辺では実際にそれを証明したとなる

posted by 老鶯 at 20:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2017年06月13日

concentration power(集中力)


concentration power(集中力)

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enlarge
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center of earth

抽象画の特徴は一つの原画から波及していくつかの抽象画が必ずできる
それが具象画との大きな相違である。
だから大量に抽象画が生まれるのである。
そこが面白いということにもなる
他ではなかなかこんなに大量に作れないのが普通だからである。

That of which the characteristic spills over from one original picture, and can do some abstract pictures by all means abstract picture is the big difference with the representational painting.
Therefore an abstract picture is born in large quantities.
This is because what I cannot readily make so in large quantities is common in the others that there becomes interesting.

by machine translation

鹿島駅のトタン屋根がいたんで直す (鹿島駅の駅舎もレールが使われていた)


鹿島駅のトタン屋根がいたんで直す


(鹿島駅の駅舎もレールが使われていた)

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網は安全のため

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ここのトタン屋根も直すーレールの梁
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レールの柱-ここは気づきにく

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ここのトタン屋根も直す

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明治29年に製造とある


レールの製造は国産化が難しく、しばらく輸入の時代が続いたが、1900年(明治33年)に官営の八幡製鉄所が設立され、翌年11月からレールの生産が開始された」

多摩川(六郷川)の六郷川橋梁も、当初はイギリスから鉄と石材を輸入して架けることにしていたが、予算削減のため木橋に変更された


東京の駅もレールを使っている

お茶の水駅(レールがふんだんに使われている!)
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トタン屋根がいたんで直す作業がはじまった。その範囲も広い、鹿島駅の駅舎は明治29年に建てられたから古い、今日良く見たら駅舎は鉄道のレールを使って作られていた。
それは原町駅がそうだったがここもレールを使っていた
これは東京の駅でもレールを使っている、お茶の水駅はレールの駅だった

「お茶の水」の語源は「お茶に使われる水」。現在お茶の水と呼ばれている場所には、高林寺というお寺があったんだ。そこにはきれいな水がわいていて、それを当時の将軍徳川家康に献上したところ、家康がとても気に入り、その水をお茶をたてるときに使うようになったんだって。

お茶の水というのにもこういう謂れがあった、インターネットでは調べやすいから知識が増える

「こちとら江戸っ子でぇ、水道の水で産湯を使ったお兄いさんよ♪」
という啖呵はこの水道の水だったんだそうな。

水道がすでに通じていたのが江戸だった、ローマ帝国の水道が石ではりぷくらされていたように水道は文明の基本にあるとすると江戸は文明都市だったともなる

何でも昔を偲ぶことは歴史を知ることである。それはささいなことからはじまる、むずかしいことだけが歴史ではない、身近なものにも常に歴史がありそれを発見する作業が必要になる。東京は歴史がわかりにくがこういう所に歴史があり興味が湧いた
別にお茶の水駅とかには何回も学生時代おりたがこんなことに興味をもたなかった

鉄道マニアなどコミ障の人が多いとか批判される、ただ人間はつくづく身近なものを見ていない、灯台下暗しなのである。だからこの鹿島駅でもここにも鉄道のレールを使われていたのかとはじめてわかった。他から来た人も必ずしも見ていないだろう。
何かわかりにくいからだ。

そもそもなぜレールの柱を使ったのか?明治30年にはまだ日本で鉄のレールが作ることができなかったのである。輸入品だったのである。それは主にイギリスから輸入したとなるイギリスで鉄道が作られたからである。だからイギリスの鉄道は明治以前からあり古いのである。
このレールの柱から感じたことは日本はその時貧乏であり鉄のレールが作れていないということだった、だから貴重だから柱にも使ったのである。鉄の柱も作れない時代だった。そこに歴史があったのだ。
人間は今だけに生きるのが多い、しかその今が実は歴史の積み重ねがあり今があることを忘れている、ただこうして鉄のレールが柱などに作られていることで昔をしのぶことができるのだ。

いづれにしろ鉄道はその保守管理に駅でも駅舎がありホームがあり高架の通路があり待合室がありとか金がかかるのである。
鉄道はレールだけのものではない、駅舎もホームでも鉄道の一部なのである。
だから絶えず人が来て保守管理が必要になるのだ。それで鉄道が維持できなくなるというときそうしたことに金が人手がいるからそうなる
阿武隈急行が維持できなくなるというのもわかるのである。
鉄道のインフラの維持は金がかかりすぎる、その割には乗る人が車の時代になり少なくなりすぎたのである。

橋にしても鉄か石で作ろうとしてもできなかった。木の橋にしたのは安上がりだからだった、そういう時代があったということも歴史をふりかえる意味がある。

2017年06月14日

メカニカルなものとヒューマンなもの (AI社会でもヒューマンなものが残る)


メカニカルなものとヒューマンなもの

(AI社会でもヒューマンなものが残る)


現代はなんでもmechanicalなもの機械化することが多い、人間にとって機械は欠かせないそれで今は本当に人間社会は全自動化を目指して人間は働かなくてもいい社会になる
それが本気であり夢物語でもなくなっている
その時人間は何をするのか?人間はいらなくなるのか?
そもそも人間とは何なのか?そういうことまで問われる時代となる

それを英語でmechanical comnicationとかmechanical workとかmechanical learning
とかmechanical responseとか前にmechanicalをつけるとわかりやすい
その反対がhuman comnication human work とかなるからである。

それを駅で考えると mechanical stationとhuman stationになる
なぜなら無人駅でも自動化しているからそこはall mechanical stationなのである。
人間はいないのである。これからの社会はそうなってゆく
鉄道はローカル線だともうからない、だから極力人間を雇わない、全自動化した方がいいとなる、それで実用的にできる、実際そうなっている駅が多くなっている

ところが今日の鹿島駅で報告したようにそこに人間的なものが必要になる
盲人が一人定期的に通っている、その人が乗るとき危険なのである。
それで導いてやる必要がある、それは機械にはできない、そのことで盲人団体が無人駅化に反対しているというのもわかる

駅で感じたことは人間は無人化してゆく、機械化してゆく、駅でもスマホを見ている人が多い、すると回りも機械化しているしそこにいる人間もスマホだけと会話しているとかなる、もう人間はいらないとなる
でもそうなるとどうなるのか?人間的なものがない駅は何かが欠けているとなる

それで中学生が近くにお菓子屋があったとき腹が減って食べたいということを言った
それは貧乏ではない、たまたま金をもっていなかったのである。
それで買えなかった、それで自分が買って食べさせてやった、それがヒューマンなことだったのである。
自動化して機械化したらそういうことはなくなる、ただ機械化して自動化した駅を機械的に通りすぎるだけになる
そこにその駅の印象は消失するのである。
人と人は会話も情もかわさなくなる、人間なんていらなくなる、そしてロボットが観光案内でもするようになる、それも必要だがやはりヒューマンなものがなくなるということはありえないのである。

ただこれは駅だけの話ではない、どこでもこういうことが起きてくる病院でも学校でも店屋でも日常的に起きてくる問題である。メカニカルなもの自動化するとヒューマンなものは何かとかえって問われるのである。
そしてそのヒューマンなものの価値が上がってくる
医者でもAI化して診断するときでも医者の価値はヒューマンな対応が問われる
それが何かというとき医者はもう病気に対して処方するより人間的な対応がより求められるから悪いとはならないしそういう適正がないとすると医者失格にもなる

そういうことはどこの職場でも起きてくる、今だってすでにメカニカルなものの中で働いている、それが高度な仕事と思われるものも機械化するからだ
すでに翻訳は機械翻訳を参考にして翻訳者は訂正しているのが仕事になっているのだ。
いくら機械化してもそこにまだ人間がかかわる余地が残るからだ。

でもそもそも人間的なものヒューマンなものは何かというとき明確ではない
例えば情報というとき情に報えるというとき情報はただ機械を通じて伝えられるものではない、情報はまさに人間の情を通じて与えられるものである。
ただ道を教えてもそうである。だからこそありがとうと言うのである。
機械にスマホになればそれもなくなる、人間はいらない、土地の人でも教えてもらう必要がない、そこにはもう人間の情は通わないとなる
そういう世界とは何なのか?殺伐とした世界となってしまうだろう。

別にAI化の前に機械化するということは何か人間的なものを奪われるのである。
車社会になると歩くということがなくなる、それで街はシャッター通りになった
歩くということが人間的に見えるというのもあまりにも機械化したからメカニカル化したからそう見えるようになったのである。歩くことはもっともヒューマンなこと人間的なことだからである。
歩いて旅した時代なら世は道連れとかなりそこに人間的な交流が生まれるが車では生まれないのである。ただ通りすぎてゆくだけだとなる

そもそも全自動化店でロボットがそこにいるだけの店に人は行くとしてもそれだけでは満足しない、それでかえって人間的な対応してくれるサービスをしてくれる店を求めるようになる、だからこれからの商売は自動化する機械化する店と人間的対応する店とに分かれる、いくら機械化しても人間的なものヒューマンなものを求めるからである。
かえってそういう店が繁盛するということにもなる
自動化した店は店として利用してもまた人間的な店も残るのである。
それはどういうものかわからないけどそういう商売はなくならないのである。
かえって機械化するとそういうものが歩くことが人間回復になるように求められるからである。

飲み食いするにしても人間はただ腹を満たすだけではない、そこで会話したりすることが人間的になる、だから何か一人暮らしだとそういう場を求めるようになる
ただ飲み食いするだけではものたりないのである。
そこに人間的なサービスがあればいいとなるのだ
これからの世の中は機械化するけどスシだって実際に回転寿司となるとそうなっている
でも何かそういうものでは腹を満たすだけで満たされないということもある
そこに人間的なものを求めるのが人間たる所以なのである。

家庭でもすでに家事は機械化している、一人暮らしても家事は困らないのである。
オカズは買えばいいし料理はめんどうでもそれも機械化してゆく
その時妻の役割は何になるのか?お手伝いさんとか今はいらないのである。
だから一体なぜ皿二三枚洗うのにも雇う必要もないのである。
それでも人間的なものが必要になる、より人間的なものの価値があがる
一人暮らしだと淋しいからやはり女性がいると安らぎがあるとかなる
いるだけでもいいとかもなっているのが一人暮らしなのである。
ロボットと対話しても人間の代わりにはならないからだ
そこで求められるのは家事をすることではなくなっているのだ。

ともかくこれからの経済は社会は機械化であれ自動化であれAI化であれさらにすすむ
でもその反面人間的なものがかえって強く求められるのである。
するとその人間的なものは何か問われる、人間的なものの価値がかえってあがる
すると機械的なものと人間的なものとの区別をして対応する必要出てくる
そこに価値観が変わるからだ、それにどう対応するか教育ですら変わらざるをえない、
それは悪い方ばかりになるとはならない、なぜなら人間的なものがかえって価値あることは悪い社会ではないからだ。
そういう人間的なものが一番欠けた社会で殺伐としたとなった社会だからである。



posted by 老鶯 at 07:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

集団就職の金の卵が故郷に帰る (真野川の橋の上で)


集団就職の金の卵が故郷に帰る

(真野川の橋の上で)

真野川の橋でやはり川を見ている人がいた

「水がにごっているね」
「鯉はいるけどな」
「昔こんなじゃなかったな」
「昔というとどのくらい」
「わたしは50年ぶりに帰ってきたんです」
「ええ、とすると集団就職の人」
「そうです」
「じゃ、苦労しましたね」
「本当に故郷は変わってしまいましたよ」
「この辺は特にそうですね」
「なんかのんびりしようとしたけどこの辺はそうもならない」
「それは言えます、あまりにも変わりましたから」

集団就職というとき自分の暮らすで三分の一くらいが集団就職だったかもしれない、ただその時何なのかのみこめなかった。
自分は大学に行って遊んでいたからである。その差が大きかったのである。
集団就職の人は相当に苦労したと思う。

「水がにごっていないときは魚とっていましたね」
「ヤスとかで魚を追ってとっていた」
「あの頃は水がにごっていない、きれいな水だった」
「そうです、きれいな水でないと魚はいない」
「上流がダムになったりして魚をとる人はいなくなった」

その人は団塊世代だから同世代だった、だから同じ経験をしていた。
鰻釣りのことも知っていた。田んぼの畦道で穴に餌をついたミミズをつけた棒を入れて釣るのである。子供のとき父親につれていかれて見ていた
それがかなり待っていないとかからないから嫌だった、何か自分は待つのが嫌な性分だったのである。常に動いていないとだめなのである。
子供だからというのではなく今でもそうだからである。絶えず自転車で動き回っているからである。
鰻とか鮎もその時は大きくうまかった、それを料理するとき手伝わされた、家族みんなで料理した、それが思い出となっている、でもその家族もみんな死んでいなくなった
ただ思い出だけになってしまったのである。
それで今日同じ世代の人と話して思い出がよはがえったのである。

団塊の世代でも今になるとこのように故郷に田舎に帰ってくる人がでてきている
今までそういう人と会わなかったのが不思議であった
自分は同級会には出ていないからでもあるがそういう人と会っても不思議ではなかったのである。
集団就職、金の卵、全学連とか学生運動などは団塊の世代の時代の青春だったとなる
ただ学生運動と集団就職の金の卵の相違は大きかった
自分は学生でも遊んでいただけだからである。一方は油まみれになり狭い宿舎につめこまれて下町の中小企業の工場で働いていたからである。
実はそういう所でアルバイトしていたことがあったから知っている
何か自分が働いたというときアルバイトしかないのである。
自分は別に金に困っていたから働いていたのではないのである。
働く経験をしていただけだとなる

これからはこうして集団就職した人たちも田舎に帰る人が増えてくる、でもこの辺は帰ってものんびりできるところではないのが不幸である。
若い人が流出したりして世話する人がいない、人手不足になっているからだ
そして老人ばかり増えても市町村では負担になるだけだとなる
いくら金があっても働いてくれる人がいなくては金も役に立たないのである。

その人も釣りをしているのでスズキのことを知っていた、海には大きな蟹も上がってきているとかスズキが河口で見たとか知っていたのである。
もともと田舎の出なのだから知っている
そして言葉使いが東京弁とこの辺の相馬弁になっている、でも東京にそうして長くいるとなまりが出ないのである。だからこの人は故郷の人なのかと思った
訛りでお里がしれるというが50年ぶりとかなるともう半世紀であり訛りが出ない
それでもなんか帰って二年間いるからなまりがもどってきたともなる
でもやはりなまりだけはなかなか消えるものではない、東京でそれだけ長く過ごしたことがなまりが出ないということがそれを示していたのである。


ガラスの箱をのぞきヤスで魚とる写真
posted by 老鶯 at 11:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

真野川の河口にて(川の漁業権の問題) (シジミとりする原町の人と会う)


真野川の河口にて(川の漁業権の問題)

シジミとりする原町の人と会う

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真野川の河口の方に行ってみた、シジミとりする人が二人いた、聞いてみたら小さなものしかとれないという、昨日も上の方でとる人が5人くらいいたという。
シジミがとれるようになったのか?小さいシジミしかいないことは川が津浪で川が変わってしまったためかわからない、そこは浅瀬になっているからシジミがとりやすい
深くなると船が必要になる。
右田の河口ではシジミはかなりとれた、自分もとったことがある。
右田のシジミはうまいいいシジミという評判だったのである。
でも漁業権をもっている組合からシジミをとることが禁止された
小さいシジミをとることがあり資源保護のためだった
そういうことはやはり漁業権の正当性が認められる

ただ今回の海の漁業権は東電に海を売り渡して補償金を前からもらっていた
それは多額であり事故の後ももらっているのは納得いかないと書いてきた
それで海は誰のものかという議論をした
漁業権は資源の保護などで必要なのであり東電などに売り渡すものとして漁業権はないのである。何かそうした明確に法的なものが漁業権にはない、慣習のようなものがあるだけである。法律として規制していればこうはならなかったかもしれない。
そもそも海を東電に売り渡す権利が船主とか漁業組合にあったのかという疑問があるからだ

無数の小魚が川に上ってきていた、ボラの子なのか?

幼魚のうちはしばしば大群を成して淡水域に遡上する

これだろう。その数は膨大である。前にも金沢で見たことがある、河口の状態が環境的に津浪の後どうなっているかわからない。魚は6年間もとっていないとすると増えたことは確かである。

シジミをとっていたのは原町のおばあちゃんだった、なぜかこの人はしきりに鹿島の人はかわいそうだという、補償金がわずかしかもらえなくてかわいそうだという
その人を最初はそんなに言うから鹿島の人だと思っていたのである。
自転車で原町から来ていたのである。新田川でもシジミはとれるという。
真野川は川が大きいからシジミは多かったことは確かである。

この川は県で管理していてもっと上流でアサリをとっていたら県の担当者に禁止されたという、それは放射性物質に汚染されているからかもしれない、

 福島県相馬市松川浦産のあさりから放射性セシウムが52ベクレル/kg出ています。(2013年11月27日 福島県農業総合センター調べ)位置としては、はやま湖からの水が流れ込んでいる可能性があります

6年ぶり、港に活気 相馬・松川浦アサリ漁再開

こういうニュースがあるからすでにアサリやシジミでも食べられるのだろうか?
ただ河口というのはセシウムのついた泥が大量に流れる所でありそれで阿武隈川の河口では放射線量が異常に高かった、だから河口では放射性物質がたまった泥が堆積している場所だからなんともいえないのである。
アサリをとることを禁止されたのはそのためなのかよくわからない。
別に老人は飯館村でも山菜を食べているから気にしない人は食べていたのである。

ともかくなぜ原町のばあちゃんは鹿島の人をこんなにかわいそうだというのかわからなかった、その人は原町だから何の不満もないが鹿島の人はかわいそうだと言っていたのである。
実際に鹿島の人の不満が大きいのである。そのことはプログで書いてきた
それは自分だけのことではない、鹿島の人の全員がそうなのである。
一番言っていたことは病院とかでも無料になっていたが鹿島の人はすぐに打ち切られたのがかわいそうだと言っていた。その人も病気で病院に行っていたからそこで鹿島の人が不満を言うのを聞いたからかもしれない、そうでなければそんなに原町の人が鹿島の人に同情することはないはずである。
それは相馬市の人も不満を言っていたからわかる。

鹿島の人で原町の人を悪く言う人はいない、そして原町の人がいくら補償金をもらっているからわからない、それがまた不思議だとなる、地域によっても違うからである。
石神辺りは放射線量が高いからそれなりにもらっている
それがわかったのは古い家を新築した人がいたからである。
それは明らかに補償金もらったからできたのである。

いづれにしろシジミでもアサリでも勝手に誰でもとっていいというわけではない、それは資源保護があるからだ、だからこそ漁業権は必要なのであった
シジミでも小さいうらからとっていたから増えなくなるからである。

あのばあちゃんは元気である。原町から自転車で来るくらいだからである。原町といってもすぐ隣だから遠いとは言えないが今なら車で来るからである。
シジミとりはこの辺では夏の風物詩である。何かこの辺でもそうした海の幸の恩恵があっていいとなる

大洗の船溜まりにボラの大群

ボラは数が多い、魚はこういうふうに大量に河口とかに入ってくることがある。


posted by 老鶯 at 18:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2017年06月15日

要になる祝島の漁業権問題(上関原発問題) 権利には責任が課せられている  


要になる祝島の漁業権問題(上関原発問題)

権利には責任が課せられている  

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漁業権放棄をするためには総会の3分の2以上の同意が不可欠で、なおかつ一人一人の組合員に書面同意を取り付けて補償金を分配しなければ「完全決着」にはならない。
kanameninaruiwaisimanogyogyoukenmondai.html


漁業権というとき権利である。それは法律的な権利というより慣習的な権利である。
ここではその権利を楯にして原発を作らせないように戦っている
原発を押し進めるのは県と国と電子力会社なのである。
その大きな権力に抵抗しているのが漁業権を楯にした漁業組合になる

この辺ではこの逆だった、漁業権は東電から金をもらうためにありそれを売り渡した、そして県と国が許可したのである。だから事故前から船主などは原発御殿を建てたとか補償金と関係ない人は回りで不満だったのである。

漁業権はシジミのことでもわかるように小さなシジミをとるとシジミがとれなくなる資源保護が目的だったのである。そのためのに権利でありそれを東電とか県と国に売り渡すためではなかったのである。

そもそも何でも権利を主張する時代だけどなぜ権利が与えられているのだろうかとなる
権利とは何かを守るために何かのために与えられている、ただ権利だけを与えられることはないだろう
漁業権は魚資源とかその環境維持のために与えられている
だから海が汚染されて魚もとれないとなれば補償されるのは当然だとなる

ところがこの辺では

漁業権者   私たちは漁業権を東電に売ります、だから補償金をもらいます

東電や県や国側  一切あとで文句は言わないでください
                       私たちは海を買ったのですから

海が売り買いできるものならこんなふうになる、だから海は誰のものなのか?
海を所有して売り買いできるものなのかとなる
漁業系権利はあくまでも資源の保護とかの目的のために与えられているのであり海を売り渡す権利として与えられていないからである。
法的にそこに権利が認められるのかとなる

土地でも家でも何でも所有はできる、でもその所有することには必ず責任とか義務が生じてくる、土地を所有していればこの辺では原発事故が荒地が多くなった。
そうするといつまで荒地にしていていいのかとなる、土地の所有者がいてその荒地を何もできない、もう畑にすることも田んぼにすることもできない人たちなのである。
それはいくら土地をもっていても迷惑だとなる、ただこの辺では宅地化しているから宅地として利用すれば金になる、それを待っているのか何なのか地主がいて権利があるからと何もできない、そして荒地のままなのである。
空家問題でも家の所有者がいるから勝手にできないが市町村全体からすると迷惑になる
誰かに住んでもらった方が活気がでる、いつまでも空家になっていてもそれは市町村にとって負の遺産になっているのである。

戦後地主が廃止されたのはむしろ田畑を耕す人の方に権利が移ったからである。ただ土地をもっている人が得することは良くないと廃止された。
ただ当時地主には地主の役割があったこともいえる、土地を管理していたことは確かであり有効利用もしていたが小作に配分されないので小作は不満だったのである。

いづれにしろ権利が与えられるとき責任も同時にもたされているのである。
ゴミを投げるのはできる、でもゴミを投げるにも権利があっても利用者は責任も課せられている、烏などに食い荒らされて困るというとき利用者も一人一人責任がありその対処方法を考えねばならないのである。
何か利用する権利があってもまた責任も負荷されているのである、だから権利ばかりに眼がゆき、権利だけを主張するのが民主主義だと誤った理解があった。

第一海を所有するというけどそんな責任をもてるのかとなる、どうしていろいろな権利が与えられるのか?その権利には責任が課せられている
大きな権利になればなるほど大きな責任が課せられている
その責任の大きさから権利を放棄したいとまでなる
責任をもちきれないからである。それで東電では原発でもしたくなかった、事故が起きたら責任を持ちきれないからである。
でも国で補償するということで原発を作ったのである。国家的事業として原発はあった。責任は国で負う、国民全部で負うとなっていたからできたことなのである。

契約は基本的にいかに責任をまねがれるかを条文にしている、それだけ責任が問われることを恐れからである。ましてや原発だったら事故が起きたらもう東電のような巨大企業でも責任をとれないからである。
だから漁業権者でもなぜ海を売り渡すような権利をもったのかとなる
もしその責任を問われたらどうするのかと考えたら簡単にできなかったかもしれない
今はこの辺では船主とか漁業権者に対する風当たりが強いからである。
こうなるいくら補償金をもらっても苦しいとなったからである。
つまり責任問題というのは本当に重大なものとしてある

金でも多くもっている人はそれだけで責任を問われている
なぜそんな大金をもっているのだ、その金はお前だけのものではないないとなりその金の使い道が追求されるからだ。
資本主義社会では金をもっている人が一番責任がある社会なのである。
その金が何に使われているのか厳しく追求されてもしょうがないのである。
いくら地位があり尊敬されるとしても金がついこないなら今の社会は意味がない
なぜなら老人を見ればわかる、誰も尊敬もしないが金があれば力をもつことができるからだ。老人を尊敬するという社会そのものが喪失しているからだ
権利が大きければ大きいほどそれにら比例して責任も重くなっともかくているのである。

その責任は一代だけで終わらないのである。子供にも責任が問われる、お前の親は漁業権を売って金持ちになった、お前の住んでいる家は海を東電に売り渡して得たものだとか言われる、そうなると子供の代まで責任が負わされることになる
借金は相続放棄すればちゃらにるながそうした責任は子供の代まで消えないとなるのだ。それはあまりにも責任が重すぎたからそうなったのである。

もしそういう責任があるとういことをありありと知れば簡単に海を売り渡したりできない他で大きな責任を自覚したら相当に緊張するし簡単には引き受けないだろう。
それより権利だけに眼がゆき利益を得ようとする、でも責任は自覚しないのである。
原発などその責任の重大さを真剣に考えたら誰も引き受けないものであったのだ。
科学者でも技術者でも会社経営としても引き受けたくないものとなっていた
電器製品、家電を作るようなものとはまるで違った代物だったのである。
そういう自覚に欠けて原発を作ったこと自体が間違っていたとなるのだ
原発は何かその危険なのに安易に作られた、だから事故が起きたらどうするかなども検討も準備もされなかったのである。
ただ「安全神話」のみが権力で作られていただけなのである。
それが一挙に津波とか地震で崩壊ししてしまったのである。
そしてその責任の重大さを自覚させられたのである。
posted by 老鶯 at 07:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

認知症のリスクも増加!? お酒を飲み続けると脳が萎縮って本当? 「アルコールが脳に悪いことはまちがいない」


認知症のリスクも増加!? お酒を飲み続けると脳が萎縮って本当?

「アルコールが脳に悪いことはまちがいない」


20〜30代は浴びるほど飲んでいたそうです。過去に飲んでいた経歴が40〜50代になって出てしまうこともあります。

毎日の飲酒は認知症の原因に?脳の萎縮を防ぐアルコール適量とは


 認知症の原因は本当のところはわからない、最近気になったのが認知症はすでに20年前からはじまっているという記事である。
80才でなるとしたら60才から認知症になる原因が作られていたとなる
さらに40代からも20代からも認知症になる原因が作られているという。
そんなに前から認知症になる原因が作られているのか?
それはどういうことなのか?

これを認知症ではなく一般的なこととして60代の老後のことを今は盛んに話題にされる高齢化社会だからである。
ところが60代から人間が変えられるのかというとむずかしい、人生はそれぞれ継続であり積み重ねたものである。特に老人は何でも経験したものとして結果が現れるのである。
金の問題も老後には大きいがこうして積み重ねてきた人生が60すぎて新たに変えられることはできない、継続であり結果でありもう変えられないというのが老人なのである。

それは人間の体にも影響している、酒を飲みつづけると何らか体にも特に酒は脳に影響している、なぜなら素人でも脳を麻痺させることはわかるからである。
脳が麻痺するということは一時的に正常な状態を失うことである。
それは明らかに脳が正常に働かないのだから脳が損傷しているのである。
酒を飲み続けることは脳を損傷させるということは理屈的にわかりやすいのである。
もちろん肝臓とかも酒を飲み続けると弱ってくる
習慣が人間を作るというときそうした悪い習慣も人間を作っているのである。
それは心身共にそうである、だから病気というのは生活習慣病とか日頃の積み重ねの結果として現れる、ただ遺伝病がありすべてではない、でも明らかに心身ともに60以降にその人の人生の結果が心身ともに現れやすいのである。

ただ別に酒を飲んでいなくても認知症になる人はなるから酒がすべての原因ではない
でもそもそもなぜ20年前とか40代とかに認知症になる原因があるというのだろうか?
生活習慣病からすると実際に公務員とか先生とか裁判官とかは認知症になる率が大きいのである。とするとここにも因果関係があるのかとなる
こういう仕事は何か創造性がないからだという、決まりきったことをしているからだという、それが脳の働きに影響しているから認知症になるとなる
生活習慣病として認知症になるということを統計的に見たのである。

例えばデスクワークしている人は猫背になりやすいというときそういう姿勢で長年仕事してきたからだという、それも生活習慣病なのかとなる
そもそも日本人の姿勢は体型は良くない、短足であるので何かそこが日本人の特徴であるそれは長年正座するとか無理な姿勢で暮らしてきたからそれが日本人の足を短くしてきたとか米を穀物を食べるために腸が長くなりそれが体全体に影響して短足になったという説もある、それはそういう生活習慣が民族的習慣でありそれが受け継がれて短足になったともなる、風土とかにも適応して人間も作られるというのはある

自分の姉が認知症になった原因は明らかに20年前にその原因を作っていた。
退職してから家事もなにもしない、自分にあったこともしない、看護婦をしていても退職して以来そういう関係も何もしていない、いつも食事も用意する人がいたから何もする必要がなかったのである。料理も何もしないのである。
なまけものになっていたのである。知的な活動もしない人だから頭も鈍化したのかもしれない。だから生活習慣病として認知症になるというのはある。
ただ退職する前は公務員であり結構頭を使っていたのである。
たから公務員だから認知症になるとも限らない,ただなりやすい傾向はある

いづれにしろ人間は後天的に作られるものである。先天的なものも大きいが人間の特徴は長く生きるから後天的な影響とか環境因子が大きく作用するのである。
才能がないにしても何か60以降になり華開くということがある。
自分はそうだった、第一本を読んでも理解できないことが多かった。
それが即座に理解できる、本を全部読まなくても拾い読みして深く理解できるのである。それだけ理解力がついたとからだともなる

いづれにしろ酒を飲むことは明らかに脳にとってはダメージである。それが積み重なれば余計にそうなる、脳の働きが悪くなり鈍化してゆくことはさけられない
酒は少量でも影響が大きいかもしれない、自分は今はビールでもコップ一杯でも酔うからである。酒を飲まなければそうなるのである。

人間は生まれつきの差も大きい、でも人間の特徴は心身ともに後天的に作られる度合いが大きいということである。経験でも恐るべき危機を脱出したとか何か大きな経験した人はその後の人生にも影響する、何かのきっかけで人間は大きくなる
それはその人の先天的なものではない、後天的なものとして心身を作っているからだ。
だから才能ある人でも体の丈夫な人でも酒を飲んだり不摂生したり努力を怠ればそれが心身に影響して自分を活かせないのである。
天才は例外でありそれはまねできないから参考にはできないのである。

だから教育というのは本当は相当に影響するし人間を作るともなる、なぜ侍が優れていたか?それは知識だけではない文武両道であり江戸時代の社会なのかでエリートとして作られていたからである。それで明治維新を成したのが侍がいたからだとされる
今は教育はない、教育はその社会全体で成すものであり学校だけでは成し得ないからである。結局自分を教育するのは自分しかなくなっているのが現代である。
他人の人生はいくらその人が優れていても他人の人生なのである。
自分の人生は自分で作り上げる他ないのである。

ただ大学でも個性があるのか?慶応ボーイと早稲田のバンカラとかそこに学べば校風に染まるということも環境因子なのである。朱に染まれば赤くなるということは常にある。
だから本でもくだらない本を読んでいたりテレビとかの漫談とかばかり見ていたりそういうことも難でもないようでも積もり重なって人間の心に影響してくるのである。
テレビは洗脳のメデアだから自分で考えることができなくなる
だから極力テレビを見ないとか自分に課さなければ酒と同じようになるのである。
それも麻薬なのである。酒なのである。人間の心を麻痺させているのである。
それが認知症にも通じるとまでなるから怖いのである。

でもなぜこれほど認知症が増えてくるのは解せないということもある
何が原因なのか?生活習慣病もあるが何か他の原因があるのか?
薬で治せるようになるのか?脳の損傷があり薬で直せるならやはり遺伝的なものもあるのか?
認知症は本当になんといっていいかわからない不可解な病気なのである。
自分が経験したことでは正常心をもつことがあり我にかえる時がありそれが一番不思議なことだったのである。

冬の貴婦人と薔薇の花 (フラワーアレジメントには壺の役割が大きい)


冬の貴婦人と薔薇の花

(フラワーアレジメントには壺の役割が大きい)

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「姉妹」

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「清楚」

壺と一体化しているのかフラワーアレンジメントである。
壺によって見え方が違うからだ

上のは壺があっていないのだ、ただ壺もそろえるとなると金がかかる
これらの花はスーパーですでにアレンジメントされたものだったのである。

単純なものでも映える、多くの花をさすとかえってだめにもなる

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冬の貴婦人

これはクリスマスローズとういうから薔薇の一種だけど薔薇に見えない



老鶯や長き土手道歩むかな

路地裏の曲がりし道や黒揚羽


駅にまた新たに花の植えにけり日々我ここに寄りにけるかな

華やかにはや薔薇は散りぬ石の蔭冬の貴婦人なお咲きにけり

蜂のきて夏蠟梅にささやきぬ庭の静かに継ぐ我が家かな

大輪の薔薇に向かいて今日も咲く百合の花かな朝日のさしぬ

移り来て住む人若し夏の日に薔薇明るく咲きにけりるかな

清楚なる紫の花壺にさし我が家落ち着く家族のなしも


何か最近いろいろ駅のボランティアなどして追われていた。だから仙台にも半年で一回しか行っていない、近くをぐるぐる毎日まわっているだけである。
原町や相馬市にも行っていない、なんかだんだん出無精になった
人ごみの中に出たくないとかなった、これも年なんだろう。
老人はあまり遠くに出歩くことに向いてない、家でじっとしているのがあっている。
行動範囲が狭くなるが深くものを観るということに向いている。

だから花というのは外で観るだけでなく身近で観ることが深く見れることになるからどうしても小さい庭でも必要になる
大きな庭だと管理するだけで水やるだけで手間になる、一人で家事全部しているし買い物もしているしできないのである。
自分のテーマは花でもあった、花は高山植物でも北海道でも見てきた。
北海道では花が見れるからだ。檜扇菖蒲なども見たしハクサンチドリも低地に咲いていたのである。北海道ともずいぶんご無沙汰している、20年くらい行ってない
10回くらいそれも一カ月くらいぶらぶら旅していた時がなつかしいとなる
北海道と沖縄は日本では外国なのである。風土がそうだからである。

冬の貴婦人は長く咲いている、目だたない花である。これが花なのかと思う
葉のようにしか見えないのである。ただバラが散ってもまだ咲いている
今年もずいぶん花は咲いたがその初夏の華やかな季節は過ぎた
すでに梅雨の時期に入ってきた。

フラワーアレンジメントは意外と壺が大事である。壺と一体化して花が映えることに気づいた、すると壺をいろいろ用意する必要がある、でも壺は高いからそんなにそろえられないだろう。自分が買ったのは安物だけど別に関係なくいい壺があった。
通販で買った、今はこういう点では便利である。何か買い物も自転車だとなかなか原町でも相馬市でも行けない、何か疲れるようになったからだ。
通販だとボタン一つ押せば配達してくれるから助かる、でもこういうのは買い物の楽しみがないというもいえる、ただ車がないと通販は便利だなとつくづく思う
重いものになると自転車では運べないということもある。
買い物のに関しては田舎でも不便はない、確かに実物をみるのが一番いいがそれができないにしても通販で買えることは田舎と都会の差をなくしたのである。

自分は都会には住めない、人ごみもいやだし騒々しいし嫌なのだ、前からそうだったけど老人になると誰でも都会は嫌になるだろう。
イギリスの貴族が田舎に土地をもつことだというときその意味がわかる
gentleman とはgentle とは静かな穏やかなという意味だからである。
都会ではgentle man にはなれないからだ。
冬の貴婦人ではないが本当の貴族は田舎に住むべきなのである。
田舎でイングリッシュガーデンのようなものを作り住める人が豊かな生活だったのである




八輪の牡丹

八輪の牡丹が我が庭に咲く
朝の光を吸い爛漫と咲き誇る
その栄えを誰が受けるのか
この家を築いた父と姉と母
しかしみな死んでいない
時にその牡丹の前にいる
明るく輝く咲く牡丹の前にいる
八輪の豊穣な牡丹
その前で満面の笑み
その家を栄えさせるもの
家々にその謂れがある
そを受け継ぐものは幸いなれ
ある町に一つの家が栄える
それには謂れがある
しかし富には何か呪いが隠されている
故にこの世の栄はつづかない
その豊穣の富を受け継げない
その後に石の陰にひっそりと
冬の貴婦人が咲いている
薔薇の花も華やかにいろいろ咲いたが散った
ただこの花はいつまでも咲いている
これは薔薇の花とは思えない
それから夏蝋梅の広い葉陰に咲いている
ただ一人自分だけがこの家を継ぐ
その日はまだ長いかもしれない
ここにじっくりと腰をすえて
その余生を実りあるものにしたい
花は尽きず咲いている
その花にあきることはない
それだけ花は豊富である






2017年06月16日

鉄道や駅を維持するのは容易ではない (鉄道は公共性が高く自治体もかかわり維持すべき)


鉄道や駅を維持するのは容易ではない

(鉄道は公共性が高く自治体もかかわり維持すべき)


車両だけでも数億円単位(費用の回収に1年数万円落とす定期利用客が1万人必要という計算にすらなってしまう)、しかもそれは導入費用だけであって、車両の整備にもお金がかかります。当然、電気設備にも費用がかかるし、安全対策なんかはなおさらお金が必要

地方鉄道の復活のためのシナリオ

(国、地方の適切な関与)

これなどに簡潔に問題点をまとめてある。
自分が駅のボランティアして感じたことである。
鉄道はその設備でも駅舎でも老朽化している
鹿島駅のトタンをとりかえるだけでも相当な費用がかかる
そして毎日誰かがJRの職員か委託会社の人が来ている
線路を点検したり建物を見ていたりする
ホームでも長いし広いから整備が必要になる
雪が降るところでは雪かきが仕事になる

そして駅は鉄道会社だけのものではないし運営もできない
公共的なものとして鉄道と駅はある
JRで作ったトイレは最新式のものであるがそれを利用しているのは
農協の葬祭事業をしている人たちであり他にもトイレだけを利用する人が車で来ている
ところがそのトイレの掃除は障害者団体のあさがおがこの辺では担当している
それはJRで費用を負担しているのである。
ここに障害者がかかわっているというのは福祉でもあるとなる
なぜなら盲人が一人通勤している、その手助けもしたがそれも福祉である。

昨日は小学生が駅を先生に連れられて見にきた、野外学習である。子供たちにしても駅はなじみがなくなっている、
親と車に乗るのが多いからである。
でも鹿島駅では必ず孫を迎えに駅に来る祖父母がいる
駅前広場は小学生とか中学生でも高校生でも通学があり世代を越えてまた外部の人も行き来する場なのである。
駅は外部から来る者にとっては街の玄関になるのだ
駅にかかわって思ったことはそこは今の社会は老人は老人しか集まらない
パークゴルフ場でもそうである。子供は子供で学校という場で子供と先生としか交わらない、そういう社会にずっとなっている
でも駅はいろいろな人が世代を越えて交わる、外部とも交わる場だいうことを認識した
これは一つの発見だった

鉄道は鉄道だけとして切り離せないインフラである。公共性が高いのである。
だから近くの区の人が掃除したり花を植えたりしているのである。
ただ鉄道はもともと国鉄であり国が管理していたから地方自治体ではかかわっていなかったという、財政的にも優遇したりもしない、となると公共的なものとして維持できないから地方自治体もかかわり維持しようとしないと維持できなくなる
それは駅の区の人がかかわっていることでもわかる
鉄道は鉄道会社でJRだけで運営するものではないその土地の人もかかわり運営しなければ維持できないものである。そうししないと廃止に追い込まれる

それがわかるのはトイレのことである。そのトイレは農協の人も利用しているし外部の人も利用しているし車で来る人も利用している、それはたいしたことではないようでも実際は公園のように市で運営にかかわるものになっている、それを肩代わりしているのがJRだとなるからだ。それを全部JRに負担させるのはやがては採算がとれないと廃止に追い込まれることにもなる
駅に対して市町村でもそうした自覚をもっている人は少ないだろう
なぜなら電車の乗り方さえわからなくなっている人が多いからである。
何でも結局利用されないものは廃れる、ただ鉄道や駅が公共的な役割があるときあらしめるときもっと駅や鉄道について関心をもち利用することを考えねばならない

そういう自分も鉄道は利用しない、なぜか?駅からのアクセスが悪いからなのだ
駅から目的地に行くとなると足がないからだ
それで高校生でも他の人も家から車で迎えに来るのである。
車の便利さは目的地から目的地まで直通できるこなのである。
電車はそれができない、駅まで駅についてまたそこから目的地に行くまで時間と労力がかかるのである。それが最大の問題なのである。

この辺は仙台との行き来がもともとありまた常磐線が開通してからは3倍に増えたというときそれだけ外部の人がまだ来たりものめずらしがあり来る人もあり増えた
ただ以前として鉄道が現代にそぐわないものとなっているから経営的に苦しい
でも駅にいると駅は鉄道は街と一体化したインフラだから駅を中心に街作りをすることが望まれるというのは実感である。
常磐線はいわき市まで通じないと復興にはならない、それは後2年くらいかかる
常磐線は廃止にはならないだろう。阿武隈急行などはもう維持できない状態になっている鉄道の旅が長いから鉄道には関心がある、バスの旅には旅情がない、バスは鉄道は根本的に違った乗り物なのである。

鉄道はすでに歴史が長く文化なのである。ただ移動する手段ではない、バスは移動する手段である。鉄道は地域の文化でもあり国の文化ともなっていたのが大きな相違なのである
文化というとき田んぼがただ米を作る食料として見ているが原発事故で荒地になり蛙が鳴かなくなったとき生態系にも影響したように田んぼは長い歴史の中で文化になっていて心に影響していたのである。
景観も長い歴史の中で文化として形成されてきたのである。だから田んぼがない田舎が田舎なのかという疑問になったのである。
文化になるときただ腹を満たすだけの食料ではないしただ移動する乗り物でもない
文化は心に深くかかわるものとして人間的独自のものとして形成された
茶の湯だってもともとはただ茶を飲む、喉をうるおす、水分をとるというものだったが文化に発展させたのが人間だったのである。
だから文化というとき鉄道がなくなることは単に移動する手段だけがなくなったというだけにとどまらない影響がある。
何か大きな喪失感が残るのはそのためである。