駅は街の玄関であり関所の役割もあった
昔は関所がいたるところにあった、白河関はみちのくに入る関所として有名だった
関はもともとは防御のためにありやがて通行人を検めるものとしてできた
そして通行税を寺社がとるためにも関所がもうけられた、それで淀川には300の関所があったとか港でも税金をとっていた
それはライン川でも城が多くそこで通行税を払わなければならなかったとかにている
つまり商業するにも旅をするにも難儀していたのである。
だから鉄道ができて切符一枚で全国を旅することかできることは画期的なことだったのである。アメリカの鉄道もそうである。
東部と西部の間を数ヶ月かかって移動していたのが、3日強で済むようになったのですから、とても有用なものであったのは確かです。
関所にはまた犯罪者を入れないようにもうけられた、「入鉄炮出女」入り鉄砲というとき今でもグローバル社会となったときテロリストが入ってくるから困る、どこの国で世界で行き来できるというときまた犯罪もグローバル化するからである。
それで鹿島駅で監視カメラに振り込め詐欺の人が写っていてつかまったということでもわかる、全国手配の犯罪者の写真もはられているのもそうである。
そして同じ車両に見知らぬ人が同席していることに違和感を感じたというのもわかる
江戸時代ではまず見知らぬ人は常に警戒されていた
それで箱根では関所守り村というのが各地にあり監視していたのである。
与那国島で自分が木陰にいるだけで警察に通報されたようにあのような島では誰か見知らぬ人がくると目立つのである。
江戸時代はほとんど狭い村の世界で同じ人と暮らしていたのである。
見知らぬ人と交わることはまれだった、その時今のように世界のことを知らなくてもすんでいた、狭い村のことを知っていれば良かったのである。
関所があるというとき関所を通ることは別な世界に入ることである。相馬藩でも三春藩とは家の作りが違っていたとか藩が違うと生活も違ってくる
だから江戸時代の旅は今より刺激的だった、食べ物でも言葉でも何でも違ってくるからである。今はどこでも同じになっているからつまらないのである。
どこでもハンバーグを食べている、世界でも同じである。
郷土料理は別に金をかけた贅沢なものではなく貧しいなかで工夫したものが多い。
江戸時代はみんな貧乏だからそうなっている、今は郷土料理はその土地に行ってなかなか食べられないし馬鹿高くなる場合がある
なぜ現代の旅がつまらないのかとなるとそうした土地土地の特徴が一様化されたためである、関所は不便でも今になると関所があることは旅をするなら一つの刺激的な場所になるヨーロッパだったらユーローがない時代はそこで貨幣が変わり両替するからその国を意識する、ヨーロッパの面白さはいろいろな国があり文化が多様なことにある
その多様性の故にヨーロッパにはルネサンスが生れたのである。
自分が駅でボランティアして感じたことは駅は関所の役目もあるのかと思った
なぜなら鉄道は切符を買い改札しないと入れない、自動化して駅員がいないとしても監視カメラがあり見ているとなる、そこはやはり関所のように区切られた場所なのである。
車だったらそういうことはない、どこでも自由に入れる、ただ高速だと料金を払うために関門がありそこで監視カメラがあり誰が入ったか記録されている
いづれにしろ関所ではどこから来た人なのかまたどこへ行くのかなど調べられる、職業まで調べられる、だから関所は人間臭い場所になる
自分も駅でどこから来てどこへ行くのかと聞いたがそれともにている
ただ嫌がれば答えないし今は一般的にそうしたことを聞かれのを嫌がある
それで道案内でも何でもスマホを見てすまそうとしているのである。
それでも見知らぬ土地に来ると簡単なことがわからないのだ
タクシーの番号を書いてあるのだがそれがわかりにくいのだ
それで駅前の店屋に聞いたりしている、食堂もすぐ近くにあるからわかないのである。
駅はその街への入り口、玄関であり関所の役割もあった、そこでいろいろな人が出入りしていたのである。だから駅は不思議な人間臭い場所だったのである。
ただこれも大きな駅になるとどういう人が出入りしているからわからない
仙台駅などでもそうである。いちいち聞くわけにもいかないからである。
ともかく駅は一つの関門なのである。その関門が人間臭い場所になっていた。
ただこう感じたのは自分が旅したときは駅で感じなかったのである。
ただ通過してゆくだけとしか感じていなかったのである。
だから人間は立場が違えば感じ方が変わる、旅として客となるのと旅人を客として迎えるのとはまるで違ったものとなるようにである。
それは医者でもそうである。医者と患者がもし立場が逆になる経験したら違ったものとなる、ただ医者にはなれないから医者のことが理解できないのである。
それはあらゆるところにいえる、農民になって作物を提供するのとただ買うものとはまるで違う。農民が作物を作る苦労などわからないからである。
鈴が音(ね)の 早馬駅家(はゆまうまや)の 堤井の 水を給へな 妹が直手(ただて)よ(巻14)
駅備え付けの駅馬によって早馬を走らせて手紙や荷物を運ぶ役割を果たした。大化の改新の際の詔や大宝律令で重要事項として駅や駅に置く馬などの規定に触れており、実際に『延喜式』では各駅に配置する馬の頭数が事細かに記されている
万葉集の時代からすでに駅があり水を直手で与えてくれというときそこに器で与えるより情がこもるからそう言った、今は何でも機械でしているから情がはぶかれるのである。
スマホを見て人とかかわらないというときもそうである。そこで一言でもしゃべれば情が生まれるのが人間なのである。情報というのは情がかかわり活きてくることもあるからだ
福山市のJR福塩線に「駅家(えきや)駅」がある。これはこの駅周辺に山陽道の駅家(うまや)があったからではなく、福山市駅家(えきや)町にある駅だからである
この駅は面白い、ここに駅家があったのではなく駅家町があったからこの名になった
それは古代に万葉集時代に由来したものだったのである。
秋風や薮も畠も不破の関 芭蕉
この句なども関所であったところが特別であったためにできた、なんでも関所に見えたということである。それほど関所の影響が旅人にあったからである。
かの人のいづこよた来ていづこ行く我が見守りつ今日も駅にいる
関所の俳句十句 (旅には関所も記憶する目印となっていた)