2017年05月31日

さまよえるボランティア老人 (祭りを見るために来ているだけの老女)


さまよえるボランティア老人


祭りを見るために来ているだけの老女

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今日駅に来ていたのは猫背になりいかにも老人という女性だった、何しに来たのかと思ったらボランティアだという、何のボランティアだと思った
猫背であり歩き方もよろよろなのなのである。
ただ話してみると知的な女性なのかもしれない、祭りに興味をもっている、
石巻の雄勝では全く知られていない祭りがあるという、男だけの祭りで女性は入れないという、何でもフランス人がそれで見れなかったと怒っていたかという、それは別の場所でだろう。日本の祭りは女性だけが集まる祭りがあるし男だけの祭りもある
日本を知りたいなら祭りを見ることである。
それでフランスの人が何カ月もかけて民宿に泊まり歩き祭りを見る旅をしていたとのを知っている

その老女はボランティアとして来ているのではなくただ祭りを見たいためにボランティアを名乗っているだけなのである。
第一格好から見てももう力仕事もなにもできない、やっと歩いているのである。
ただ頭はまだボケてはいない、知的なところがあり祭りとか歴史に興味をもっている
歴女なんかが話題になったがそういう人にも前にあった。

その老女は年は71歳とか言っているけどもう80歳にしか見えない、ただ顔はきれいな顔している、その女性はもうボランティアなどできないのだ、実際は70だと若い人がいる、人によって十歳とかの差がでるのも老人である
この人はただ祭りを見にきてただ泊めてもらうだけである。
ボランティアの宿が前は用意されていたからである
ボランティアでは自転車の旅の途中によった若者もいる、それは無料で泊まる場所が提供されたからだとその人は言う
右田の方にそういう津浪の被害にあった家が一時ボランティアの宿になっていた
だから自転車旅行の途中による人もいたのである。

その人はだから祭りだけを見る人はいらないとボランティアを断られたのも当然である。祭りを見るために来てそして宿を無料で泊めてもらうのだからボランティアではない
その人は何もできないのである。
川崎から来た人は男性で74歳だけで若い、だから引っ越しの手伝いなどができるからボランティアとして役立つのである。

何かこれも高齢化社会で見られるようになった変な人なのかもしれない
東京の人で何もすることがなくボランティアにこじつけてふらふら全国を回っている
何か彷徨っている感じなのである。つまり老人にはそういう人が増えているのだ
ボランティアで生きがいを求めるのもそうだが何か暇をもてあましふらふら祭りでも見て歩く人もいる、いろいろな老人がでてくる
ボランティアにこじつけて全国の祭りを見るために彷徨っている老女なのである。

駅には変な人もくる、昨日来た人も杖ついて新幹線できた、その人には世話になった人の墓参りに来たということで目的があった。
この老女は別にボランティアするというのではなくそれにこじつけて祭りを見るために全国をふらふら回っているのである。
だから断られたというのもわかる、祭りを見るために来ているだけだからである。

なんかおかしな老人が増えてくるきも高齢化社会なのである。それは老人が邪魔な社会であり活かされない、老人のいる場がないからである。家族のなかでも孤立している老人もいる、独居老人も増える、そして暇をもてあましている
するとふらふらとボランティアにこじつけて祭りを見るために全国を歩く
ただその老女はそういうものに興味を持っているのだろう。
歴女なのかもしれない、ただなんか変な老人も増えているなとなる

一応この辺の歴史を説明したが何かその老女は変だった、その人は今度は浪江に行った
浪江にも前にも行っている、飯館村から鹿島に来て今度は浪江に行くのである。
でもそんな人が来てもボランティアなどできない、かえって接待させられるだけだとなるだからボランティアにもおかしな人がいるのである。
そしてボランティアには老人が多い、暇だからそうなる、勤めている人は土日くらいしかボランティアはできないからである。そして老人は居場所がなとか相手にされないとかある。それは家族と同居してもそういう人はいる。何かそういうことで放浪するような老人もでてきているかもしれない。
ともかくこの人にも高齢化社会の一端を見たのである。

駅は監視カメラの上に燕が巣を作っていた、そこにも網が張ってあった
駅の中にも監視カメラがあった外にも二台あり中にあるのは知らなかったのである。
今やどこかで必ず監視カメラで見られていることは間違いない
だからここで振り込め詐欺の人が一人つかまったというのもわかる
監視カメラはどこかで見ている、それが意外とわからないのである。


生きがいが無いと悩むシニア

ここのプログは面白い、いろいろ老人のことを書いているから参考になる
自分も介護なくなりこういう状態になったからわかる
自分はやることはあるが一人でいることが今までと相当に違ったものとなったからだ

白藤(鹿島区小池の道)


白藤(鹿島区小池の道)

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石すえて菖蒲を奥に庭成りぬ

これは最近できた庭である。いい庭である。

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山高く迫りし朝や夏雲雀

故郷の昔を語る緑陰に

石すえて菖蒲の奥に庭成りぬ


白藤の散りてひそけきこの道に倒れし墓や名をとどめけり

白藤のさわに咲きける小池なるこの道今日も行きにけるかな

一本の木陰に菖蒲ここに咲き白き山藤咲きつづくかな

我が庭にまだ色づかぬ薔薇の花咲きしを見ゆかな朝の一時



白藤の花

白藤の花の散るかも
ありとしもなくあわれ
この道や小池の墓地へ
倒れし墓一つ名をとどむ
いづれは誰も墓の中かな
ただここに生きしと
墓に名をとどむもかな


この辺の山には高い山がない、でもなんか朝に高く見えた、それは気持ちで高く見えた
山は実際に気持ちで高く見えることがある、自然も人の気持ちが影響して見え方が違っている
健康であれば自然も力強く見える、病気になると気弱になると自然も萎縮するのである。

小池の脇の道は静かでいい道である。でもここを今はダンプが通るからまた田舎の良さがそこなわれてしまった。ただコモドインとかのホテルができたのは何もないところだから良かったとなる、まずいつになったら工事が終わるのかわからない
ダンプが裏の道でも突然来るから危険である。

だから詩にしたような感じは今はない、ただあそこの道があれだけ白い山藤が咲いているのはめずらしいと思った、この山藤は結構咲いている
ダンプが通らなければここは何か木陰になっていていい道だとなる
詩にしたのは家の庭の藤棚に咲いていた白藤である
その白藤と山藤は違っている

この道を行くと墓地がありそこに倒れた墓があったのもあわれだとなる
小池というとき古墳が多い、だから古墳を今も発掘していたし古墳を見に外から来た人もいたのである。
何かどこにでも町でも田舎で面白いのはさらに村ごとに地形的にも特徴がある

橲原(じさばら)村になればもっと奥になる、そのじさばらはジサの木に由来していたのである。
なぜここにこんなに山藤が咲いているのか?
もともとこうした森があり咲いていたのだろうか?人工的に植えたとも思えない
数が多いからである。

万葉集にでてくるこの「やまぢさ」はエゴノキのことだという。

 木材は緻密で粘り気が強く、各種の木工細工 に適しているため、「ろくろ木」とも呼ばれてい ます。 薪炭にも使用される。

エゴの木というのは多い、エゴの花は良くみかける、

橲原(じさばら)の名前はここに由来していた。やまぢさのぢさである。


なぜぢさとなったのか?万葉集を知った人がなづけたのか?めずらしい名前だから不思議だとなる、地名には何か古い由来がある。寺内などもなぜなのか?
寺があったからなのか、あそこにホトケッポという村の埋葬地があった
それも関係しているのか、寺内は古い場所でありそれから小池の方に広がった
小池はどうしてその名がついたのかこれもよくわからない、池とか関係しているのか?
小さな池があったからなのか?堤のことなのだろうか?

わかっているのは橲原(じさばら)はもともとエゴの木の森であり開けていなかった
ただ江戸時代には木材の供給地として村としてあったのである。

いづれにしろどこでも田舎の面白さは地形が違っていて村ごとに特徴がある
海側と山側では根本的に違っていることもある
この村ごとになると相馬市でも原町でもわかりにくくなる
大原とか深野はわかりやすいが他はわかりにくくなる
浪江とかなると村ごとにはさらにわかりにくくなる、細部がわからなくなるのだ。





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