2017年05月30日

札幌から新幹線で来た年配の女性 新幹線ができて遠くから来る人が増えた


札幌から新幹線で来た年配の女性

新幹線ができて遠くから来る人が増えた

老いてきぬ鹿島駅かな恩あるとはるばる遠く暑き日なりしも


最初あったのは40代くらいの女性だったか、何か買いたいということで大岩菓子店によった、ちょうど留守でお菓子が買えなかった、何でも十三年前はそば屋もあり弁当も売っていたという、ええ、13年前はそうだったのか?
もっと前ならわかるけどそんなときまだソバ屋があり弁当売っていた?
そのソバはうまかったという、13年前というとそんなに昔のことではない
その頃まだ駅前に今と違って店があったとなるのか?
駅前ではコンビニとか何か軽いもの買う店がないことが問題なのである。
大岩菓子店だけであるが前にもその女性は買っていたのである。

もう一人の女性は杖ついて歩いていた、タクシーできた、墓参りに来たという
鹿島の親戚の人に戦時中なのか戦後なのか食料をもらって助かった
そのお礼にきて墓参りしにきたという、魚をとっている漁業関係者で魚ももらったのかもしれない、今頃世話になったときているのはよほど苦しいときで食料が貴重な時だったからだろう
自分の家の人にも戦後仙台に買い出しに行ったということは聞いている
その女性はこの辺に住んでいたのか、あとで北海道に移ったのか?
話す時間は短かった、すぐに電車が来たからである

ただつくづく駅にちょっとの間いてもいろいろな人が来ると思った
そこに駅の魅力がある、例えは会社でも学校であれ公務員であれみんな決まりきった人とつきあっている、農家でも農家の人とか他の人と接する機会がないのが現代である。
駅にはいろいろな人が一時でも交わるのである。
そういう場所は今はなかなかないだろう

その女性が札幌から足が悪くても来れたのは新幹線ができたからだとなる
それと常磐線が開通したので乗ってみたいと来る人も多い
だから仙台を往来する人が3倍に増えたのである。
新幹線効果が大きい、足が悪くてもここまで来れる
ただ函館まではいいにしてもそれから札幌まで遠い
自分も乗ったことがあるから遠いなという記憶がある。
函館までなら相当に近くなっていることは確かだがそれから札幌までとなるとやはり遠い
前も函館から来た人はいた、やはり新幹線にのって来てみたいという人がくる
新幹線効果というのは確かにローカル線でもある
新幹線とつながってローカル線も生きてくるからだ
新幹線の収入と他の駅の売店とかホテル経営で95パーセントの収入があり今回の常磐線の復興は400億円かかったがそれでまかなえたのである。
まずここのローカル線でそんな金が出せないからである。

駅からいろいろわかることがある、今日見たら燕が入ってきて糞をして壁とか汚れていたそれで巣を作れないように網をしたりした、あの被害は結構大きいかもしれない
ガラスだとふきとれるが壁だとふきとれないからだ
小さな駅でもなにかかにかある、自分が行っているのは一日の内一時間かくらいである。でも何かあるし用があることが不思議なのである。
全く用がないとつまらないともなるからだ。


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豪華列車「四季島」に乗りたいか? (旅がなくなった現代-何でも金では買えない)


豪華列車「四季島」に乗りたいか?


(旅がなくなった現代-何でも金では買えない)


人間は何か常に金で計られるのが資本主義社会である。金がすべての価値基準になる
例えば最近「四季島」という豪華な列車で旅する、三日間くらいで百万くらいする
それが人気だという、たいがい金持ちで老人が多い。
自分はそれに乗りたいともうらやましいとも思わない
普通はやっぱり金持ちだからあんなぜいたくできるからうらやましとなる

そもそも旅というものを今の人はわからなくなった、今旅するとしたら移動と保養なのである。旅するというとき金がなくてもできる
旅は時間と体力があればできる、こっちの方が大事なのである。
自分が旅の俳句とか短歌を今になって思い出して書くとき鉄道の旅はなかなか思い出せない、景色でも早く過ぎ去ってしまうからだろう。
人間が記憶に残すには時間が大きく関係している
そこに長くいれば記憶に残る、だから敷島で三日間くらい旅して記憶に残るだろうかとなる、そんな豪華な旅をしても旅したことになるだろうかとなる

旅は楽する旅はこれも車のことで批判しているがいい旅とはならない、例えば峠を越えるときそこを苦労して歩いて越えればその峠を越えて新しい世界へ入る、視界が開けるという感動を得られる、でもあまりにも楽に簡単に峠を越えると感動が得られない
だからあまりにも便利になったとき旅はなくなりただ目的地にどれだけ早く着くかが旅になってしまった。そしてうまいものを食べるとかが目的になる
それは旅ではない、ただ早く早くと移動しているだけなのである。

結局人間は今の世の中金からのみみる、金さえあれば何でもできるとなる
でも旅に関してはむしろ金より時間と体力なのである。
ただ金が全くなくていいということではない、金はそんなになくても旅はできる、時間と体力があればできる、そっちの方が大事だということである。
本当に旅するとなると時間がかかるしかけないと本当の旅はできない
旅をしても今や何か感動しないというとき決められた観光コースを行く、でも旅とは本来何か未知の世界へ行き発見することである。道は未知なのである。

だから近くでも旅はある、気ままに近くでも自転車でも歩いて行くとする道が別れているするとこの道はどこに行くのだろうとなる、春の日にそうした気ままな散歩でもいい
それが旅にもなる、ただ車だと早すぎてそういう感覚がなくなる
バイクでも早すぎるのである。ただスピードを出す快感だけになる
だから車とかバイクは旅にならない、ただ目的地に早く着くということだけである。

日永きや道の分かれていづこへと

こんなふうになる、鉄道の旅とかではこういうことはありえない、決まったレールを走るだけだからである。
現代の人間の経験は何か機械を道具を通して媒介として経験することが多い、そのことがまた老子の言うように本来の人間の持っているものを奪っているのである。
自分も鉄道は好きだけど鉄道の旅も記憶に残りにくかった
鉄道の旅も早すぎることが問題なのである。
各駅停車でゆっくり走っていれば記憶に残るかもしれない、人間が記憶に残るのは不思議に閑散とした所である。だから混雑した都会は記憶に残らない、どこに何があったかもわからなくなる、でもそれは別に旅をしなくても人間が記憶に残るのはそうした閑散とした場所なのである。

するとビジネスと旅や観光は違ったものである。ビジネスは早く目的地に着くことだから新幹線のようなものがいい、でも観光とか旅となるとむしろ普通列車でゆっくり行った方がいいとなる、でも実用から考えると鉄道も観光のためにだけあるのではない
もともと貨物列車で石炭を運ぶために鉄道が作られたというのが多い、それは世界的にそうなのである。観光とか旅はそのあとに生れてくる
まず観光用にだけ作られる輸送機関はないからである

でも旅とか観光面からすると実用とビジネスとその目的が根本的に違ってくる、実用とかビジネスになれば早く目的地につくことがいいのである。
だから何か観光もビジネス的に考えるとそれが思い出とはならない
つまり観光と旅は実際は別ものだということである。
旅にはだから金より時間と体力だとなる、峠を越える体力と時間である。
それが老人になると体力がなくなるからできなくなる、時間があっても楽な方を選ぶ、
それで豪華列車の旅になったりクルーズになるのである

人間が贅沢というとき金があるだけではできない、そこに時間や体力があってできる
なんかここ十年が介護で遠くに旅もできなかったし今は体力がなくなり遠くに行く気力もなくなる、そんなふうにして金があっても人間は何でもできるわけでもないしうらやましいともならないのである。
老人になってみんな後悔している、そうして体力があるとき自転車でも歩いてでも旅していたらなとかふりかえる後悔する、その穴埋めが豪華な列車でしてもできないのである。そんな豪華なものに乗るなら豪華なホテルに泊まっていい景色を眺めていた方が記憶にも残るからそっちの方が老人にはいいと思う。
自分は一万以上のホテルに泊まったことがないからそういう贅沢はしてみたいとはなる