2017年05月24日

今日の鹿島駅をまとめてカテゴリーに追加


今日の鹿島駅をまとめてカテゴリーに追加


これまで書いた今日の鹿島駅を新しいカテゴリーにまとめた
一月から5月まで書きつづけた
定点観測になった、これは日々変化することだからプログに向いていた
プログとはその日のことを報告することになる
すると日々変わる場で定点観測することに向いているのだ
だから地域地域で放送局になれるのがプログなのである。
それも南相馬市だって広いから鹿島駅を中心にした定点観測になる
他の人はまた別な定点観測の報告する
小高の人がしているが情報量が少ないのである。

駅というのは実際ボランティアしてみたら不思議な所だった
これは駅を利用する一乗客だったらわからないことだった
駅にいると今日も地元の知っている人が話しした、自分の母親のことを知っていた
そしてそのことを聞いてあの人は自分の母親のことを語ってくれたとなり親しみを覚えた
何か故郷とは親とか祖父母とも関係している場なのである。
誰か知っていて語ってくれるとうれしいとなる
誰も知らなくなったら淋しとなる、死者もそうして知る人がいて語ってくれるとここが故郷で母でも父でも生きた場所なんだなとなる
だから避難地域になったところでは墓参りするにしても知己もいなくなったりすると何か淋しいとなる
ただ墓だけが物のように残されているのが淋しいのである。
やはり人間は物だけではない、そこに物語ることがあると死んだ人も生きてくるのである。
だから歴史はHI-STORYなのである。

駅は意外と実際は活気がある場所だった、あそこは駅だけではない、車の駐車場として利用されている
トイレもきれいだし良く車で来る人が利用している
自分の母親を知っている人は孫の迎えるためにきていた、小学生が駅前に集まってくるのである。
だからいろいろな人が来るから活気がある場所なのである。

今日は自分のプログを読んでいた川崎の人が来たのもそうである。
自分はいつもいるわけではない、主に昼間に一時間とかいる
他の時間もいるがいつもいないのである。
その人は会って良かったと言っていた
そういう外部からの人も来て混じり合う場所なのである。

なんかあそこにいるとさびれた町にしても活気があるなと思う
一番人が集まるのは今はどこでもスーパーだけどあそこであまり人と話したりはしない
何か駅の不思議は人を迎えたり送ったり待ったりすることにある
それが人間的な場所を演出しているのである。
駅は駅前は広場になっているのだ、そういう場はなかなかない、そこで町に生きるものの活気を感じたのである。
淋しさをまぎらわすにはいいとなる、そこは何か人間臭い場所だったからである。

今は買物にしても何にしてもほとんど人と話もしないからである。
駅の特徴はまた多様な人が世代でも交わっているのである。
あそこは小学生が集まる、駅前で遊んだりもしている、だから子供から老人から外部の人も来てまじわる場所だったのてある。
そういう場所はなかなかない、確かにスーバーには町の人全員がきている感じにはなる
でもそこで何か多様な人がいるという感覚になれないのである。
大勢人が来ているなと感じるだけである。
おそらく駅は迎えたり見送りしたりするから違っているのだ
それが人間臭い情をかもしだす場にもなっているのだ、別れとか出会いを演出する場だから人間的なのである。
「元気でな」とか「また帰るのを待っているよ」とか親と子の出会いと別れがある
そういう場所は駅にしかない、道の駅ではそんな光景はあまりないだろう。
そういうふうにして人が集まるから違っているのだ




今日の鹿島駅 (川崎市から来たボランティアと駅で会う)


今日の鹿島駅


川崎市から来たボランティアと駅で会う


今日駅で会ったのは地元の人だった、時々自分の家族のことを知っている人とあう。みんな死んだよという、あの人は顔は知っている、近くに住んでいた人である。
だから母親のことも知っている、何か駅はつくづく人が出会う場所である。
それは地元の人だった今はなかなか会う場所がない、すると今あの人はどうしているんだろうとなる、そしたら死んでいたよとかなる
もう誰なのかわからなくなっている人もいる、人も常に変わっているのである。
死ぬ人も増えてくるから余計にそうなる

今日もう一人あった人は川崎から来たボランティアの人だった
その人は自分のプログを読んで駅に来ていたのである。
プログを読んでいる人とじかに会うことはほとんどない
ただ最近駅のことを書いてここにいることを知って会いに来たのである。
原町の橋本町の墓地の近くに事務所がある、その橋本町には自分の母親の実家の墓があるだからあそこに入る所だろう。

川崎市というとき小田急線沿線で百合ヶ丘という所に下宿していた、S大学に通っていた
自分は大学でも問題起こしていたからあまり思い出したくないということもある
ただ自分は確かに川崎市にいたのである。
S大学(生田キャンパス)まで電車5分 新百合ヶ丘→これだった
向ヶ丘遊園地は有名である。百合ヶ丘という所の下宿だった、そこは結構田舎だったのである。回りに田んぼとか畑があったからだ、その様子も相当に変わっているだろう。
川崎市というときそういう因縁があったとなる
それにしてもあまりにも昔であり記憶が遠のいてしまった

ボランティアの人は川崎市の人である。年は自分より4,5歳年上だった
でも小高の人よりは若く見えた、その人は引っ越しの手伝いなどしているから力仕事をしている、でも結構その年では楽ではないとも思う
高速を使ってきている、ここまで来るのに費用がかかるといっていた。
自腹だとなると川崎からここまで往復するとなるとそれなりの費用がかかる
年金暮らしだからそんなに使えないというのもわかる

何でも南相馬市で飯館などで切った材木を燃やしているという、それも何なのだろう。
浪江で森林が燃えて放射性物質が拡散すると騒いだ、飯館村の木材は最初は3マイクロシーベルとあった。だから木材でも高いのである。その後は減った
樹皮に放射性物質が付着しているという、だからそういうものを燃やしていいのかという疑問はある、ただそうしたものでも処理しないと困るから燃やすのである。

それにしても74才くらいなると力仕事は結構きついように思う、ただまだそのくらいの年で農作業もしている人がいるからいろいろである。
そういう年でもやはりここまで来てボランティアしているのは熱意があるというか驚くということもある、この前の人は福岡県から来ていた、駅の前のホンダの車販売店に友達がいるということでここまできた、その後は熊本に移動してボランティアしているという
やはり何か役に立ちたいといいう気持ちがあり行っている
その人はフェスブックもしている、だから年はとっても時代の利器を利用している
自分もそうだがこの年だと簡単にできないと思うからだ
自分はたまたまワープロから通信して覚えたのである。それは偶然だったのである。
それは富士通のワープロに通信するものがついていためにできたのである。
自分でしようとしたのではなくそういうワープロを買ったからできた

何かボランティアの時代ということもある、それだけ老人が多く生きがいを求めているのである。ただ費用がかかるとなると結構楽ではない、自分がしているボランティアは簡単だし金がかからないからそういう負担がないからいい、交通費だけでもそれなりにかかるとなるとボランティアも楽ではないとなるからだ
ただ74歳とかなるとそういう人も来ているのかとなる,だから高齢化社会なのである。
ボランティアというときその土地の人とつながりができる、すると移住しやすくなることは確かである。
ただ働いている人が多いからボランティアは暇がなければできない金も必要になる
それで60代から退職した人たちが多くなっている、でもその人たちが移住するとなるとむずかしい
今はボランティアで助ける方でもだんだん助けられる方になるからそうなる
ただこの浜通りでいいのは気候なのである。これだけはすすめられる
暑くもなく寒くもないから老人が住むにはいいのである。

SHIMIZU様?、ボランティアごくろうさまです

これからも相馬地方の情報発信しますのでよろしくお願いします

よそ者に対する江戸時代と今の感覚 (江戸時代にも習うものがあった)


よそ者に対する江戸時代と今の感覚


(江戸時代にも習うものがあった)

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今日は駅に「浪江」とかいたナンバープレイトを見た、何かめずらしいから「浪江」だけど浪江から来たのと一言聞いただけたである。
その人はそのこと自体不愉快であり怒るように拒否した
地元の人らしい、浪江の人のものを借りたのかどうかわからない、最初から会話を拒否しているからだ、バイクは原町の人げ原付バイクで南相馬とかのナンバープレイトだったような気がする、それで聞いたりしたがその若い人は普通に答えるだけである。
あの若い人は最初はお前はなんで聞くんだということで怒っていた

そういうふうに会話を拒否する人は別に駅でもいる、何か聞かれたくない人はいる
だからプライバシーがあるから一応聞いたとしてもそんなに詮索はしない
嫌だとなればそれ以上は聞かない、でもそこに別に簡単なことでもとっかかりが会話になる、それをしたくない人はいるし現代ではそうしたことを嫌う人が多いかもしれない
そういう自分も旅に出てその土地の人に聞かれても何かも答えないことがある
自分はそもそもコミニケーションができない性格だったのは社会的訓練が欠けていたためである。何か会社で営業のような仕事をしていれば気を使うということがあるだろう。
だからあまり人のことは言えないのである。

与那国島では木陰で休んでいるだけで怪しいと警察に連絡されて職務質問を受けた
その近くの人が通報したのである。それをふりかえると箱根の関所では村々の人が
関所を通らない人を見守りしていた、関所守り村があった
だから関所を通らずに越えることはむずかしいと思った
その土地の人が怪しい人が通ったら番所に通報するからだ
それが江戸時代の感覚なのである。

誰かよそ者、怪しい人が来たらみんなが見ているからすぐにわかる

与那国島は閉鎖された島だからそういう感覚が残っていたのである。
江戸時代の感覚は関所がありその関所を通り別な国に行く感覚になっていたかもしれないパスポートを出して外国に入るという感覚になっていた、関所を出れば外国なのである。今のように自由に旅できる時代ではない、自由に他国に出入りできることもできない時代である。

だから旅すということは容易ではない、気軽に行けるものでもない

 周防なる磐國山を越えむ日は手向けよくせよ荒しその道

峠は、中国地方で垰あるいは乢とも書き、「たお」「とう」「たわ」「たわげ」などと呼ぶ地方があり

峠の語源は「手向け(たむけ)」で、旅行者が安全を祈って道祖神に手向けた場所の意味と言われている。「峠」という文字は日本で作られた国字(和製漢字)である。

なぜ和製漢字となったかというと日本は山が多く峠が多いからである。
峠というのはそこから新たな世界へ入ってゆく場になる
国境になりやすい、そこで手向けするというとき何か江戸時代までは隣の村へ入るのにもよそ者になる、手向けするというとき安全を祈るのだが別な土地に入るということはまた危険にもなる、危険というとき自然だけではない人間が住んでいるから危険になる
よそ者をみんな警戒しているからである。特に江戸時代前まではそうである。

要するに今は明治以降は鉄道で移動するようになったとき関所がなくなり切符一枚で日本全国どこでも行けるようになった、それが日本人という意識をもつようになったというのもわかる、江戸時代だったら日本人という意識がもちにくい、藩が国でありその一員としては意識しても日本人として意識することがむずかしかったからだ

ともかく江戸時代まで他国に行くということは相当に難儀した、関所を通らない人々を監視していた見守り村があったということでもわかる
関所を通り他国に入るときは相当に気遣いがあった、自由がない時代といえばそうである
でも奇妙だけどそうした気遣いまるでなくなったのが現代なのである。どこに行こうがその土地のことを気づかっている人は少ないだろう。
どこにでも行ける泊まるなら金を払えばいいだけだよとなる
それはどこに行っても金を払うものが消費者が王様だとなるのである。
だからよその土地に行って気兼ねなどしない、気遣いがなくなっている
第一旅行してそんなに気づかうとなると行くことさえ嫌になるだろう。
それで東北には旅したくないというとき東北人にはまだそうした自分の土地だとか村だとかいう感覚が残っているからだろうよそ者に冷たいとか打ち解けないとかある
でも「郷に入っては郷に従い」という諺は長い経験から歴史から生れてきた言葉なのである。
長い経験から生れたものには古いというだけではないなにかしら時代が変わっても意味がある
そういうものが無視されると人間社会は成り立たなくなるのである。

何か江戸時代というのがまるで現代からすると自由のない窮屈な世界だと思う
でもそこにも何かそういう時代でも今と比べると何かしら意味があった
現代は全く逆にどこの土地に行こうが気遣いをしない
金を払えばいいんだとしかならないのである。
その金だけ払えば世界中どこでも待遇されるんだとなる

しかし他国に入るときはそれだけではない、その土地の者に世話になることもある
いくら金をやればいいといってもそこの土地には土地の人がいるからである。
そこに感謝の気持ちをもつ必要がでてくる、ただそんな窮屈なことを言っている時代ではないこともわかる、自分自身もそんなことなかったから言えないのだけどいろいろ経験して反省するとそういうこともあったなと思う

だから駅でちょっと案内しただけでありがとうと言われたとき不思議に思ったのである。それは知らない土地に来ればなんらかわからないことがあり尋ねることもでてくるからである。
それはやはり鉄道とか車社会になったとき起きたことである。
峠だろうが何だろうが他国に入るという感覚はなくなる、突っ走って境だろうがなんだろうが突き抜けてゆくだけだとなるからだ。
鉄道でも車で機械はやはりそうした人間的感覚を破壊してしまのである。
機械にはそういうことが常にある、便利なものでもそれが人間社会や人間的なものを根こそぎ無遠慮に破壊してしまうことがある
グローバル社会もそうである。金さえあればその土地の人や文化があってもそんなことは無視する、金だけが力となりあとの人間的なこと歴史的なこと文化的なことなど一切無視されてしまう、金もまた機械とにていたのである。まず機械が気づかうなどありえないからである。

いづれにしろこの辺では小高の人や浪江の人が移り住んだ、するとそこで小高は南相馬市だから補償金でもめた、それもやはり金さえあればいいとなっていたのである。
鹿島の人に別に世話になるのでもない、土地は借りたが買物でも何でも別にそれで土地の人に気づかうということはなかった、かえって買物してやって助けてやっているのよねと小高の女性の人は言っていたのである。そうなっているのが別に小高の人だからというのではなくそういう社会になっていたのである。

その土地の者に気づかうということがなかったのである。それはみんなそういう時代に生きていればそうなる、つまり金だけがあまりにも力をもちすぎてしまったとういことである。もしちょっとした道案内でも小銭をもらっても金をやった方に感謝しろとなるのが現代社会なのである。
なぜ駅で案内してありがとうと言われたのか?それは結局ボランティアであり金をとらないとういことにあった。金を払わないからこそありがとうという言葉になって返ってきたともなる、金が万能になる社会はそうした人と人の関係も気づかうことなどなくなってしまうのである。

多額の補償金をもらってもそれで福島県内でも他でも住んでその土地の人への気遣いがなく、立派な家を建ていい車を買ったとかそういうことをしていて批判されたこともわかるいくら金があるとしてもその土地に前から住んでいる人がいる
その人たちはかえって土地が上がったり病院がこんだり迷惑しているからだ
そういうことは仮設に住んだ小高の人にも言えたのである。
俺たちは避難者なんだから当然だとなってしまったのである。

ただ人間にはいろいろいるからみんながそうではない、最近知り合った小高の人は気があう、だから自分は別に小高の人と付き合わないということでもないのである。
浪江の人もやはりよその土地に来たのだからなんらかそうした気遣いが必要になる
でも同じように現代社会はそういうことがない社会なのである。
だから江戸時代と比べると江戸時代は何でも今から比べると自由がないだとかいろいろ遅れているとなるがそれでもそこにはよその土地に入れば人でも気づかうということがあった、それをマイナスの面にみれば窮屈だとなるが一方ではその土地に長く住む者にとってはやはりそういうふに接してくれば歓迎するともなる
ただそうなると東北はだから嫌なんだ、行きたくないとなるのもわかる
都会だったら別にそんなことが全くない、都会だと誰が来て誰が去ったかもよくわからないからそうなる。田舎ではそれがわかるから問題が起きる


老人の「救世主症候群」で詐欺にあう (老人の生きがい、社会的役割喪失がそうさせる)


老人の「救世主症候群」で詐欺にあう


老人の生きがい、社会的役割喪失がそうさせる


羽鳥慎一モーニングショーで老人か「救世主症候群」になっていることを放送した
老人が話し相手もなく社会的役割もなく孤立している、そこで相手のために何かをしてやりたいとなりだまされる、そこに会話があり何か頼られているとなり感謝されるから
だまされる、その老人の心理を功名につくのがだます方である。

これも現代老人の問題を象徴している、老人は暇で金ある人もいる、金もなく困窮している人もいるし様々である。一般的には暇であり健康であるが家族でも社会でも用なき人となりただ無駄飯食べているだけの人に見られる
老人はただ若者の負担なんだよなとなり早く死ねとかなる
それで若者を困っているのを見て同情するのが人のいい老人だという
その老人もある程度金に余裕があるからそうなる
金があってもどう使っていいかわからないとも言っている

確かに家族から社会から役割がなくなるとき自分が家族で経験したことはそういう人が認知症になりやすくなるから恐怖なのである。
人間はやはり役割がなくなる家族のなかでも社会のなかでも役割が仕事がなくなるということは無用の人となることである。
無用には無用の意味があるが人間は生きがいが必要なのである。
だから家族の中で90すぎても家事をしていた人はボケないで何でもしてもらっていた家事もしない、退職して社会的役割がなくなった女性はぼけたのである。

認知症の原因はわからないにしてもそうして家族でも役割がなく社会でも役割がなくなると頭も働かないし生きがいもなくなりボケやすくなるのだ
だからこれから認知症が増えてくるかもしれない、すでに何百万人が認知症になるという時代である。それも社会の負担が増大するのである。

そもそも高齢化社会というのはみんな経験していないのである。高齢なにることも未知の世界なのである。
小高の人は75歳くらいなのか話して面白い、何か気があう人である。
体も73歳くらいまでは60代の延長である。60代はまだ青年だとか言っていた
体の面からすると73くらいが限界らしい、その人はやはりふけていて足と首が痛くなっている、自分もだからそろそろ苦しくなってきている、ただ後2、3年は60代の延長であり
60代は今は老人ではないのである。本当の老人は後期高齢者の75歳だなと言っていた。
でも80までは生きることはイメージできる、90までもなんとかできるが100まではできない、確かに100までとなると本当に未知の領域になる、90まででもそうだろう
つまり人間はそうなってみないとわからないからそうなるのである。
高齢化社会はそれぞれがその年齢を生きることが未知の世界なのである。

「救世主症候群」とはボランティアをしたいということにも通じている、何か社会の役にたちたいということである。何か自分が存在している意味を見いだしたいということである。そのことが老人になると強くなってくる、一人暮らしとかなると余計にそうなる
話し相手もなくなるし淋しいとなるからだ
それは自分も家族をみんななくしてから感じている、それで今までは人と話しなかったが話するようになった、家に誰いずガランとした家にいることが淋しいのである。
ただ二世代所帯でいたという82歳の女性は息子がかまってくれないとかで淋しいから携帯のメールに答えて詐欺にあっていたのである。
だから家族と暮らしているからといってそれでたりるとはならないし満たされないものがあった

無人駅のボランティアをして自分で実際にこれは奇妙にいつも思っているのだ
こんなことをしている自分が何なのだという奇妙さである。
盲人が一人が通勤しているのかなにかわからない、その人を導いてやる
遠くから来た人の道案内をしてやる、意外とあそこでわからないのがタクシーの番号なのである。入り口に番号を書いたのが張ってあるのだが気づかないのである。
それで前の自転車屋とお菓子やに行って聞いていた
そしてそこからタクシーに乗った人がいる
自分はそのタクシーの番号を教えるときがある
それから近くの食道も駅からわからない、看板があるが見えないのである。
それを教えたら行きと帰りにありがとうと言われたのである。

意外と駅ではちょっとした案内をするとありがとうと言われる
こんなにちょとしたことでありがとうと言われることを自分は経験していない
人にありがとうと言われたことを経験していないのが自分である。
おそらく消費者は王様だというときいつもありがとうと言われる立場にあったからかもしれない、そんなちょっとしたことでありがとうと言われるのか意外だったのである。
ただ今はスマホでそういう情報を見ている、でもそれだけではたりないことがある
やはりどこでもすべて機械ではすまされないのないのである。
何かかにか用がある、例えば今は田植えでも機械でしている、ところが機械でできない縁(へり)は人間でしているのである。
また中国でコンバインで麦刈りをして出稼ぎ者の仕事がなくなったがコンバインが麦刈りできない平坦な土地でない所は人間がしていたのである。
つまり人間の仕事は必ず中にあり機械だげではできないのである。

ともかく老人はありがとうと言われたことがない、感謝されることに飢えているというのもわかる、そのことは用がないということである。
そこで救世主症候群が生れる、助けてやりたいという感情である。
その感情にだまされてもそれがだまささたとも思っていないというからそれだけ自分が他人に何かしてやったという感覚になってるしそうしたいということである。
だから老人のボランティアが多いけどその人たちは何か助けてほしいという要望よりボランティアをしたいという老人の数が膨大になっているのだ
それがないそれがた見つけられないということでそうなっている
ただあらゆる仕事は誰でもいいということはない、適性が必ずあるからだ
そこがボランティアのむずかしさである、いくらボランティアしたとしても仕事している人にとっては迷惑になる場合だってあるからだ
だから意外とボランティアでもそういう仕事が見つけにくいとなる

つくづく何で道路の側の何か金属片のようなものを探していたボランティアがいた
その人は道路公団を退職した人であり道路のことをいろいろ言うのもそのためだった
そんなことしているのもそのためだった、つまり退職した結果仕事がなくなり
道路公団の仕事をしていたから今はボランティアで道路の掃除のようなことをしていたとなる、人間は人生で今までしてきたことにこだわるからそうなる
道路公団で勤めていたからその延長として道路に関心があり掃除のようなことをしていたのである。

いづれにしろ高齢化社会というとき社会全体でもそうだが高齢になること、90までも生きるということが未知の世界なのである。それが優れた人が90まで生きるというのではない一般の人が普通にそうなってゆくのが高齢化社会なのである。
未知の領域だから社会的にも個々人にも問題が起きる
でも老人になったからといって何か急に変わるわけではない、人生は継続であるから老人の生も今までの継続としてあるから何か急にボランティアしろと言っても簡単には見つからないだろう。

つまり人生設計をすでに老人になる前に準備しておく、それは金銭的な面もあるが精神的な面でもそうである。でもそんな設計をすること自体がむずかしいとなる
結局人間は日々のことに追われているのが現実だからである。
でも90まで生きるとしたら60から人生の成果を出せばいいとなるとあせる必要がなくなる
長い目で長い人生設計ができるということは確かである。60くらいで死ぬとなると何もできずに成果を出せずに死ぬということがある、遊んでいてもあっというまに時間はすぎるからである。
つまり人間の経験が限られていてそれで知見も広がらないし深められないからだ

ただ老人というとき

「90歳になって老後が心配とか、わけの分かんないこと言っている人がこないだテレビに出てた。オイいつまで生きてるつもりだよと思いながら見てました」と麻生大臣が語った。

こういう時代だということである。