2017年05月20日

(都忘れ)街中の空家の不思議 (空家でもまだ人が住んでいることを偲べる)


 (都忘れ)街中の空家の不思議


空家でもまだ人が住んでいることを偲べる

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木漏れ日に蟻の歩める暑さかな

一畝をうない終わるや暑さかな

車輪梅の垣根や路次の家暮れぬ



鉄線の空家に咲くや路次裏の今日もこの道行きにけるかな

玄関に一本の松残りつつ都忘れの名残に咲きぬ

玄関に一本の松ここにしも暮らしのありし路地裏の暮る

車輪梅の垣根を作りここに住む人のなしかも花は咲けども

雨戸しめそのままなれや空家かな昔住みにし人をしのびぬ

路地裏の道に明るし夏の花咲きしもここを行く人のまれ

夕暮れや空家の庭に紫と白の菖蒲の咲くやいつまた来なむ

いくつかの石の並びつ淋しかな空家の庭や今日も通りぬ

庭の石位置は変わらずここに住む主を待ちぬ久しかりけり



この空家の不思議は何か?古い小さい家だけど狭い庭だけど良く作られている、ジャングルのように木とか葉でおおわれている、そこに花が咲いている、鉄線の花だった
垣根は車輪梅で作っている、車輪梅はこの辺では南限の地に咲くとして海老浜で有名だった、この辺では車輪梅は良くみかけるのである。

玄関に一本の松がありそこを出入りしていたのである。客も迎えたのである。
この空家の不思議は庭が良く作られている、狭いけど庭が丹念に作られている
花もうまくあしらい咲いている,樹々の葉がまるでジャングルのようにおおっている
これは狭い庭だからかえってできたことである。

この家には誰が住んだのか?ここにも生活があったのである。
ただ近くの人はこの同じ町内に新しく家を建てて移ったのだという。
でもこの空家は本当に空家らしい空家なのである。

もう一つの空家は家は古くなっていない空家には全然見えない、実際にその家は時々持ち主が帰ってきてみているのである。
そこに紫と白の菖蒲が咲いている、それをみているのは自分である。

毎日こうして街内を行ったり来たりしている、すると空家でもここには誰が住んだのだろうかと思うようになる、やはり人間は住んでいればどんな場所でも一体化するのである。空家でもやはり人が住まなくても以前としてそこに人が住んだとしてその家と庭からまた人を思ったりするのである。

つまり空家になっても更地にならない限りなにかしら人の住んだとものとして跡をとどめている。だから取り壊されない限り幽霊屋敷のようになっても家があれば以前としてそこに住んだ人を思うのである。

そしてもう一軒の空家は一〇年とか二〇年とか空家になっていたかもしれない、でもやはり時々帰ってきている、それもなぜだろうとなる。
そこには淋しく石が昔のままに置かれて家族が帰るのを待っているのである。
石も人間化しているのである。だからその石は自然にある石とは違うのである。

空家というとき避難区域になったところは空家だらけである。
そして空家が全国で八〇〇万軒になっているとか異常な事態でもある
だからどこでも空家が目立つ、避難区域はそもそも空家の街となってしまったからである。
空家でもいろいろあるがこの空家は庭がいいしここに住んだ人が風流人とかでもなくても何か庭を自然を愛した人かもしれない、花を愛した人かもしれないとなる
この家も壊されればここに住んだという記憶が失われるのである。

避難区域で空家だらけだけどその空家は前に住んでいた人を待っているのである
家もそうだが庭もそうである。時々帰ってくる人があれば完全な空家ではないのである。ただ人が帰るのを待っている一時的に空にした家だとなる

ともかく狭いところでも日常的に行き来していると一体化してゆく
だから年取ってからはあちらこちら旅するというよりこうして一定の場所にいて観察した方がいい、遠くでも一週間とか住んでいるのがいい、するとその土地のこともわかってくるのである。

女性が畑を耕していた、夕方でも今日は暑い、そういう姿をみていると食べ物でも貴重だと思うのである。苦労して作っているんだなと見るからである。
でも機械で自動的に野菜でも何でもとれたらありがたみがなくなってくるのである。
誰も機械には感謝しないからである。
ともかく今日は暑くて外に出れなかった、何か暑さに弱くなっている
疲れやすくなっている、だから今日は一回しか外に出なかった



なぜ原発事故は三〇キロ圏内で区切られたのか? (科学的、経済的、政治的理由があった)


なぜ原発事故は三〇キロ圏内で区切られたのか?


科学的、経済的、政治的理由があった



●科学的理由

●経済的理由

●政治的理由


今回の原発事故ではこの三つが関係していた、だから科学的なものを原子力とか核を知らないとなかなか追求できないものだった、その壁が大きいから素人は立ち入れることができなくなった、お前は原子力のことがわかるのかとなれば自分は科学に弱いからお手上げになる。
それで専門家集団に牛耳られたでしまったのである。

例えば科学的理由というとき原発自体がそもそもが科学者の集まりで作られたから科学的理由を追求する集団だった、だから本当はそうして合理的科学的に原発を建設するべきだった、ところがそこに経済的理由とか政治的理由があってできなかった
経済的圧力と政治的圧力があり科学的合理的にすることができなかった

もともと高い所に原発を建てたのにそれをわざわざ削って低くして電源の近いところに建てたのは経済的理由である。それだと安上がりになるからである。
会社だったらそうして利潤追求だからなるべく安く仕上げようとするからだ。
そこで安全よりはコストをおさえる方にした、それで清水社長はコストカッターとしてのしあがったというときもそうである。
コストをかけないで作り運営して利潤をあげるのが会社だからである。

そして経済的理由というときなぜ三〇キロ圏内で区切って避難させて補償金を支払ったのか?それは科学的理由があってそうしたのではない、経済的理由だったのである。
なぜなら福島市や郡山市の方が浜通りの海岸沿いより放射線量が高い、すると科学的には放射線量が高い所に補償金を支払わなければならない、それが福島市とか郡山市とかなると人口が多いからできないから三〇キロ圏内で区切って支払うことに政府で決めたからそうなった。
それは科学的理由で決められたのではなかった。経済的理由だったのである。

何かこの三つはあらゆることにからんでくる。北朝鮮のミサイルにしてもそこには科学的なものと経済的なものと政治的なものがからんでいる
原発も政治的理由としてはアメリカが大きな力をもっていて影響した、日本に原発を最初に売ったのもそうである、それは古い型のものであり危険だった、アメリカにしてみればそれでもうける経済的理由があったとなる
それから政治的理由としてはアメリカの核戦略がありそれはフランスとかとも協力して成されるものだから日本はその一翼をになわされたともなる
そういう世界政治とも関係して原発は日本に作られたのである。

ともかくもし科学的理由だけを追求して原発でも建てられれば問題なかった
何かそこに原発は経済的理由と政治的理由があり作られた、それによってゆがめられたともなる
科学は悪いものではない、技術が悪いものではない、ただ核兵器とかなると悪く利用されるのである。
科学は純粋に科学ではありえない、そこに経済的理由、政治的が介入してゆがめられるのである。科学者に戦争の意図がないとしてもそれが政治によって戦争に利用される
経済的理由で軍需企業が戦争をしかけるとかともなる、それは経済的理由なのである。
薬などにしても世界的会社が病気がなくなったら困るからガンを直さないんだとかとも言われる、病気がなくなる、病気がへる、ガンがなくなるとしたら薬会社はつぶれるからだ薬はルネサンスの起きたフィレンツのメディチ家が医者や薬の販売で財を築いたというときもともとそれがもうかるものだったからである。薬を売ることは今でもそうだが利益が大きいからである。薬九層倍とはそのことである。

認知症になったから家族をみてもらったが脳の写真をレントゲンでとっても実際は何もわからないものだった
第一脳の写真を詳細にとれるのは福島県には二台くらいしかない、それより脳の写真映像をみてもわからないのが今の認知症の治療の現実なのである。それで三万かかったとすると保険がきいているから五倍くらいの収入が病院に入っている
それは何ら効果のないものでもそうなっていたのてある、医療には膨大な無駄金が使われている
保険から支払われることはまた自分だけではない、国民全員がそうした無駄な金を医療では使われているのである。

何かわからないにてもガンとは実際直せるんだという人がいる、また癌を尿から簡単に発見する技術も開発されたとかある、そういうふうに癌が簡単に見つけられ金もかからないとしたら医療関係者はもうからなくなるから経済的に苦しくなるし会社も倒産しかねないのである。
科学的に病気を治すことを追求するの科学者の役目である、一方で経済的理由でそうなると困るということが起きる、すると癌は直らない方がいいとまでなる
ただ癌を直るとしても馬鹿高い薬の値段にする、そこで科学的に純粋に何でも追求できないのである。そこに経済的理由や政治的理由でできなくなる

科学的合理的に追求すれば三〇キロ圏内で区切る必要がなかった、避難させることもなかった、そのためにこの辺では混乱させられたからである。
それは科学的理由ではない、経済的政治的理由だったのである。
それでこの辺は小高が避難させられて荒廃させられたし補償金で南相馬市は分断されたのである。それは政治的科学的理由のためだったのである。
それはとりかえしのつかないことになったのである。
もう小高は元のように回復できなくなったからである。
そうさせたのは政治的理由と経済的理由であり科学的理由ではなかったのである。

科学的理由というか真理というかそういうものを人類は一方で追求してきた
それは政治的なものと経済的なものと関係はない、地球が太陽の回りを回る地動説は
科学的真理である。それを主張したらカトリック教団からガリレオは批判されて否定された、その時天動説が宗教から定説とされていたからである。
それでそれは神の信仰に反するものだとまでされたのである。
その時宗教というのは政治でもあり権力をもっているから否定されたのである。
宗教的理由というのも歴史的には大きな力をもっていたのである。
宗教というのも何かというとき、それも一つの真理である、不変的真理である。
それは心の内面の問題であり神の実在を信じるものであり政治的なものと経済的なものとは違ったものである。

でも宗教でも政治的理由とか経済的理由がかかわってくる、まずこの二つの圧力が大きいからこれから脱することはできない、それで幸福の科学とかあってもそれはなになのか?
政治的経済的な圧力から離れることはできない,カルト宗教団体はすべて政治的経済的なものと一体化するからカルトなのである。それを如実に示しているのか創価である。
政治経済と完全に一体化しているからである。
日本の戦争にしても天皇教となり宗教と一体化した、でもそれは政治的圧力でそうなったともなる、だから政治、経済、科学、宗教・・・これらは離れられない一体のものとしてこの世にはある。
結果的に今回のように政治経済的圧力がありゆがめらた結果となり甚大な被害を受けたのである。戦争だって現代では宗教と政治と経済と科学が一体となって起されるものである実際に歴史的そうして戦争があった。戦争するにしても勝ちを神仏に祈っているからである。宗教と戦争は一体化していたのである。十字軍もイスラムがその時先進国だから富を奪うためであったとされる、宗教的理由の背後に経済的理由があったとなる
そういうことは人間の歴史をふりかえればいくらでもあるとなる














posted by 老鶯 at 07:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連