2017年05月19日

今日の鹿島駅 (原町の人と石巻の娘ところに行く人の話)


今日の鹿島駅


(原町の人と石巻の娘 のところに行く人の話)

三〇キロ圏内で区切ったのは補償金をその他に払いたくない政府の都合だった

今日は結構人の出入りがあった、ちょうど電車が来た時、小池の人が来た、電車は走り出していた、電車は走ったら止まらない、その後は一時間後になった
例の盲目の人が来て案内した、飯館村の蕨平の人も親戚の人が死んで来ていた
その石巻の娘の所に行く女性は石巻に嫁にやった人だった
石巻の娘は困っているので良く行くという,その人も電車のことがわからなくなっている人だった、時間をまちがえて遅れた
娘の夫は一番被害のあた日和山の前の工場で働いたとういう、何でも自転車で逃げて助かったとか言っていた、あの時車だったら渋滞してかえって危険だったとなる
日和山の前は家が本当に多いから被害が大きくなった

そして新しく建てた家が被害にあったという、何かこの新しく家を建てたのに津浪の被害にあったということは良く聞く
他人の家でもあそこでは新しい家を建てたのに被害にあったという
知っている小高の人もそうだった、塚原の人で新しく建てた家であり借金があった
それが津浪で被害にあい帰らないという、ただ小高の人はまだ補償金がもらえたから救われているともなる
海老の人が意気消沈していたのは原発補償金をもらったとしても少ない、宮城県などでも石巻などでも一億円とかもらったのは
極一部の人だろう、ただ何らかの補償が国から出た、一軒五〇〇万円は支給されたみたいだ
津浪の土地は海老でも国で買い上げたが安いと海老の人は言っていた。

それと川がありその川をさかのぼったら被害が大きくなったという
あの川は大きいから確かに津浪だと川をまずさかのぼるから被害になる
この辺でも真野川でも自分のすぐ近くまで川から津浪がおしよせて上ってきていたのである。その時みんな騒いでいたがあとかたづつに追われてわからなかった
物が落ちて散乱していたからだ
石巻は一番被害が大きく死者も多く一年前とか行ったが店も閉まっているのが多いし流出した人口も多いから復興するのも容易ではない
ともかくつくづく津浪の被害は広範囲なのである。何かしら東北では影響を受けているとなる

次に来たの原町の人だった、一人は若く中通りに住んでいるという、小高でも鹿島でも様子を見にきた、その人は津浪や原発事故の時は原町に住んでいた

「小池などは放射線量が高いから補償金高くもらってもいいはずだ」
「でもさ、国で三〇キロ圏で区切ったのはなぜかわかるか」
「理由があるの」
「福島市でも郡山で放射線量はこの辺より高いんだよ、放射線量を基準にしたら福島市や郡山市にも払わなければならなくなる、するととても払いきれなくなる」
「確かにそうだな、三〇キロで区切る必要などなかった、距離と関係なく風の流れて放射線量は影響された、小高でも浪江ですら海側は低いんだよ、相馬市だってこの辺と変わりないよ」
「小池とか山側が放射線量が高い、でもそういうことで補償金払っていたら郡山市とか福島市るで国では払うことになる」
「そういうことだったのか」

そういう理由で30キロ圏で区切ってその内は補償するとうことに決めたのか?
何がしかの科学的根拠もあると思ったがないとすると小高はそもそも避難区域にする必要などなかった、ただ国の政策で三〇キロ圏内にしたとなる
小高が避難区域にされたのは科学的根拠もなにもない、ただ政府の都合で補償金を福島市とか郡山市に払いたくないからそうしたのかとなる
確かに三〇キロで区切ればと政府にとってそれがわかりやすいからであり都合がいいからだとなる、それは住民とはなんら関係なかったことなのである。

南相馬市内でも良く放射線量のことをいう、小池の人も高いというし実際に田んぼを作らないのが多い。放射線量たと南相馬市内でも山側は大原とかは高いから避難区域になって仮設に住んだ人たちがいる
そういう人たちは補償金も高くもらっていた

「俺が住んでいる所は放射線量が高いんだよ、だからもらって当然だよ」
「そうなるとさ、福島市や郡山市はこの辺の海側より高いんだぜ、そうなると国では払いきれなくなる、だから三〇キロ圏内を基準にして払ったんだよ」
「それもそうだな、海側だと0.3以下だから放射線量を基準にしたらもらえない地域だよ
そうしたらまた不満がそこに起きる」
「もしさ、そこに住んでいる家で放射線量を正確に計って補償金を支払っていたらどうなるのか、それで公平になるのか」
「これもならんだろう」
「なぜならこの辺では真野ダムがあったらその水を飲んでもいるし利用するからその影響があるからだ、自分もペットボトルの水を未だに利用しているからな」
「やはり補償金はそうしたスポットスポットの点で放射線量を計ってそれで補償することになじまないんだよ、大地でも川でも山でも空でもみんなつながっているから放射線の影響を受けるからな」

飯館村は高いから例外として後は払わないことにしたというのもわかりやすい
原町でいくらもらったかと聞いても答えない、何かそれがわからないのである。
避難した人はもらったというけど鹿島でも半分は避難したからである。
ただ明らかに三〇キロで区切ったのだからその圏内は確実に補償金を高くもらったのである。
それから二本松とか福島市で耳にしたことではやはり避難した仮設の人がぜいたくして補償金で遊んでいることに不満な人がいるという、やはりそのことはここでも同じだからあった


こうして直接話してみると何か情報はいろいろありわかってくるものがある。
原町の人とあんまり補償金のことは話しない、ただ合併したけど原町中心に予算が組まれて使われたということは確かである。
合併してももともと原町が人口が鹿島と小高を合わせたより多かったのだから当然そうなる、原町が予算を一人じめするということにもなったのである。
そのことは前から言われていた、鹿島では原町に金をくれてやったんだとかとられたんだとか言う人がいた、実際そうだったのである。
だから飯館村は合併しなくて村独自で交渉したから今回は得したとなるのだ

ともかく駅にはいろいろな人が実際交わる場だった、あの人は車で来たが駅に立ち寄って様子を見に来たのである。小高の駅も見に来たがトイレが良くないとかいっていた
鹿島の駅にいると良くトイレを車で来た人も使っている、トイレのために立ち寄っているのである。、鹿島にはそういう場がないからかもしれない、駅はこうして電車を利用する人だけが来る場所でもないのである。
だから駐車場が狭いから広くすれば活性化されることは確かなのである。




●小池の母親が津浪の被害にあった嫁いだ娘のいる石巻に行く

●原町の人が鹿島を見に来る

●中国人が三人駅より帰る


これもニュースである。中国人が三人駅から帰ったのはこの辺では外国人労働者がいる
ベトナム人がいたしネパール人もいた、中国人はやはり一番多いだろう
ただ今は中国人よりベトナムやネパール人が統計では増えている
駅は全国的であり国際的であり地元でもある
これは震災以後にこうなった、だから仙台を行き来する人が三倍増えたのである。

中国人でもやはりありがとうとか言葉を覚えて切符代わりの証明書のことを教えるとそういう、それが印象を良くする、やはりこうして言葉を覚えることは効果がある
ありがという、この言葉外国で一言覚えるだけでかなり効果がある
自分はそういう点だめだった、ただこの中国人は旅行者ではない、日本人に混じって長い間働いた結果覚えたのである。
なにか英語ではない、外国語となると一言でも覚えるのが容易ではない
特に中国語は発音がわからないのでしゃべっているのが皆目わからない
それで漢字を書いたり英語でコミニケーションを計るのである。
英語だと単語を一言でも知っているからいいのである。






















シャガの花(鹿島区でも通りは発展しない) (街作りのテーマ)


シャガの花(鹿島区でも通りは発展しない)

(街作りのテーマ)

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この通りを歩いている人はほとんどいない

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こっちの薬屋は今は行っていない,近くのツルハに行っているからだ


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ここは新しくできたアパートである。

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草原の夕べ明るし夏雲雀


新しき家やはやも草伸びてシャガの花咲くこの通りかな

木陰の道を我が行き来しシャガの花新しき家に咲きて暮れにき

夕日さしシャガの花咲き庭に石新住宅街や街の変わりぬ

色濃くも菖蒲の咲きし通りかな人行くまれに我が今日も行く


なんか前からそうだったけど街でもその回りでも自転車で回っている、まず駅に行きそこで案内したりする、鹿島にボート工場があったの?東京から本社から来る人を迎えに来ていた。他の会社でも駅に迎える来る
それからキクチスーパとシシドスーパーとツルハをドラッグストアを回る

外食は今度は小池のコモドインにしている、距離的に原町になると遠いがあそこは町内だからいい、そしてそこは町から離れているので気分転換になる
外食がうまいものを食べるということもあるが気分転換の効果もある
だから本当はながめのいい郊外とかがいいのである。
街内だとそれがない、それでも仙台辺りは並木があり緑がある
でも最近はまた仙台にも行かない
なんか遠くに行く気力がなくなった

深野のユッサもいいが距離的に遠い、自転車だと遠くなる、最近疲れやすくなるから行きたくなくなる、鹿島で暮らして問題なのは外食する場が限られていることである。
仮設ではもう一軒しかないがメニューが限られている
それでコモドインは日替わりがあるからいい、駅にいると食事したいという人がいて
駅前の鈴木食堂による人がいる、あれを考えると昔は駅前は人の出入りが多かったから駅前で商売になることが多かったろう。
ただ仙台を往来する人が三倍に増えたということはいいことである。

鹿島は前に街作りとして新しい通りを作った
川沿いだがあそこは通りとしては新しいし気持ちいい場である。
木蓮が咲いたり通りに花を咲かせている、川が近くだし自然景観もいい、駅前から昔の旧道は自然景観は良くないからだ

ただその新しい通りがほとんど活かさていない、店がほとんどない、それはどこでも同じである。だから歩いている人はめったにいない、ただ車が通りすぎるだけである。
だから何か淋しいという感じがする、でも通りを花で飾っているのである。
スーパーとかにないものは通りには自然が活きていたり通りを歩く楽しみとかある
それがあれば楽しいとなる、前は喫茶店があったみたいだがやめた

結局街というのはある程度の人口がないと何をしてもうまくいかないだろう。
人口一万では発展しない、少なくても二万あればそれなりの街になるかもしれない。
ただ鹿島区は新しい住宅街ができた、だから人口は減っていないが高齢化もあり活気があるとはいえない、これはどこでも同じだがやはり一万の人口の限界現象がある
だから新しい通りを作っても活かせないのである。

ただ鹿島区は何か都会化したと感じるのは新しい家が増えたためである。
その家の数が多いからである。小池辺りでも増えたしあの辺は田んぼだったが住宅地になった。そこにコモドインなどの復興関係のホテルなどができたから都会化した

基本的に街が死んでいる通りが死んでいるというときそれはシャッター通りになっているというとき車社会になったからでありそれをあからさまに批判している本がでていた
「成熟社会」とかの本である。
今思潮として高齢化した結果、昔のような近隣関係とかコミニュティとかの回復を言う人が増えてきた、それを破壊した一番の原因が車社会になったことだからである。
ただ車をもたないとか車社会を批判すること、それが社会の歪みをもたらしたことはあまり言わない、それは原発に反対できないのと同じだった
車社会に反対するというとき車をなくせということではない、何らか制限が必要だということである。

だから交通にしてもバスとか何かそれに変わるものが必要である。駅にいるとそこからの足がないからだ、だから車で迎えに来る人が多い。
都会でかえって車なしで生活できる、鉄道網がありかえって効率的になる
田舎は広いから車なしでは住めない、ただ街内に住んでいればなんとか住める

人間が住みやすい場所は必ずしも田舎ではない、田舎的ものと都会的なものが調和した場所なのである。田園といってもそこに都会的なものがある場所である。
だから鹿島に欠けているのは外食するレストランなどがないことで一人暮らしは困る

いづれにしろ奇妙なのはシャガの花となると何か山の中の人気のない所に咲くものだと見ていた、そういう感じの花である。それが新しい通りというか住宅街に咲いている
そしてすでに草が伸びてそこに咲いている
このことが何かこの辺の変化を現している、都会的なものと田舎的な幽邃なものがあるとなる、あまりにも都会化した場所にはシャガの花はにあわないからだ

雲雀というとき草雲雀とかあり草原ににあっていた、田んぼより草原ににあうのが雲雀だったのてある。この辺は海側がまだ草原なのである。
この風景も前から不思議だった、草原とういモンゴルになるからだ
モンゴルの風景が一部ここに再現されている不思議である。
ただあとはソーラーパネルになっている、でもあそこだとソーラーパネルはそれほど目立たない、飯館村は森の国でありその山に森を削ってソーラーパネルにすると目立つのである。景観が破壊されるのである。

ともかく津浪や原発事故以降景観までこんなに変わることの驚きである。
それで新しい経験をしているということもある
今日あたりも快晴だけど暑いし日ざしが強いと最近疲れる、紫外線は体に良くない
そういう点で老いを感じる、おそらくなぜ昔を回復しようとする思潮が出てきたかというと高齢化社会は歩く生活とか近接社会とかそうした昔のスロー社会とかに向いているからである。若いときは高度成長とか大都会が向いている、高齢化社会にはそうしたかえって活気あるものと見えたものがあわなくなっているからである
ただやはり人間的活気も必要でありそれが通りにないからもったないと感じるのである。