2017年05月23日

抽象画(森の王国-KINGDOM OF FOREST) the imaging IIDATE VILLIGE


抽象画(森の王国-KINGDOM OF FOREST)


the imaging IIDATE VILLIGE


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森の王国というとき飯館村がそうだった、森林が70パーセントあったからだ
そこに森の王国としてイメージされるものがあった
今になると悔しいのはその森が放射能に汚染されたことである。
ソーラーパネルとかもできて景観が悪くなったのである。
飯館村は森につつまれた森の王国だったのである。
そこからイメージされるものがいろいろあった、詩にもした、これからもそこからイメージされるものがある、だから芸術的にはイメージが湧く場所だったのである。


It is that the forest was polluted by radioactivity that a thing imaged as King of the Wood country body there where 70% of forest where a meal building village was so was at time called the Kingdom of the Wood country is regrettable when it is in now that there was.
I had it with solar panel, and a scene worsened.

The meal building village was Kingdom of the Wood state surrounded in the forest.
It was the place where therefore an image sprang out artistically with the thing which was still imaged from there which did it in the poetry that had a thing imaged from there in various ways.

タグ:森の抽象画

菖蒲(原町の庭二つを見る)


菖蒲(原町の庭二つを見る)

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老鶯や畑耕して夕暮れぬ

新築の家次々にツツジ咲く

石の庭垣根に覗き菖蒲かな

石の蔵木一本に菖蒲かな

夏菊や六号線を原町へ

浪江まで電車の行くや夏の山

喪にあれや濃紫の菖蒲咲く


静かにも藤の花散るそのあとやひそけく我が通りゆくかな

一本の樹の影なして菖蒲咲くこの家変わらずここにありしも

新緑の森にあわどもその中に枯れし樹ゝも交じり立つかな


老鶯が鳴く、その鳴き声に合わせて畑を耕す女性がいる、その時間は自然の中にある。
原町にひさしぶりに行った、駅の方に行っていたし暑くて行けなかった
今日くらいの暑さはそれほど答えないみたいだ

原町も新築の家が次々に建っている、スーパーキクチの隣は新しい住宅街になった
鹿島も新しい住宅街ができた、原町は復興団地も10くらいできたのか?
広いからわかりにくい、今日は川子の森の道を通りパークゴルフ場を回り六号線を下り道の駅に出た
別にな何か見るべきものもないがダイユーエイトの隣の家の庭は良くできている
何か落ち着く庭の作りである。庭というのは一見しただけでは鑑賞できない
時間が必要なのである。それはなぜか?石というのは時間の中で見ないと見れないからだ
樹でもそうである。時間の中で心の中に定着できるのである。
石灯籠も塔になっていてあれも合っている
そして水が流れていないが流れるようにしていたみたいだ、堀のようになっている
この庭を垣根から覗くと菖蒲が咲いているのもうまく作られている
隠されるように咲いているからだ。

庭は家々で違っているのがいい、家はそんなに違うように見えない、ただ家は庭と違って住んでみないとわからないから評価しようがないのである。
庭は見ればわかるということがある。
原町の今回写真に撮った庭は古い家のもともと農家の庭である。
だから石の蔵がある家は古い、そこの庭は広い、藤棚があったがすでにみんな散ったのが残念だった
今年は藤の花を見ないうちに散ってしまった。駅の方にかかわったのと暑い日がつづいたこともある

あの広い庭の蔵のある家でもなんかこの辺では変動が激しいからなくなってしまうのかとさえ思う、あれだけの家に人が住まなくなったりするとそう感じてしまうのである。
普通だったらこの辺でそんなことは考えない、農家は何代もつづきそこにあるからだ。
なくなることなど想像もできないのである。

川子の森は日影になり気持ちいい場所である。近くにあういう場所があるのはいい
遠くになるとそういう場所があっても楽しめないのである。
ただなんかこの辺はそうした自然の場所も変わりやすいのである。
ソーラーパネルとか何か切られて宅地になることが多いのである。
それだけ変化が激しい場所なのである。
だからどこでもダンプが来るから自転車でも怖いとなる、まだ落ち着かない場所なのである。ただそれで人が外から入ってきてきているから活気がでているともなる
それでも相当に減ってきているし仮設のプレバブの宿泊所も壊されているのである。

ともかく今日の夏の日は暑くないから出かけることができた
何か気候が変わっているから困る、5月というといつも自転車で遠くに出かける季節だった、それがなかなか行けなくなった、疲れやすくなっているからだ
今日みたいだったらまだ行けるが遠くに行くの億劫になるのだ
今日は夏らしい夏だった、五月の夏だった、山脈も夏の山であり一応浪江までは通じた
浪江まで電車で行けるということはできる。

近くの知っている人が死んだ、同じ病気だったけど何かで重症になった
でも実際は十年介護していたのである。そうなると自分もそうだが疲れたとなる
その妻も老けてしまったとなる、介護は長いから苦しいのである。
十年となったら一昔になるくらい長いのである。その負担にまいってしまうのである。

菖蒲といったら普通は紫である。黄色の菖蒲は黄菖蒲となるのだろう。
庭は別に自分の庭でなくても鑑賞できるのである。日本の庭は垣根になっているから外から見える、格子のようにさえぎられていてもそこから見えるというのも風情がある。
ただ塀で囲っている所もありそうなると全く見えないからつまらないとなる
吉田兼好風に言えばそうして塀で囲った庭に風流はなくすさまじきものとなる
垣根はやはり日本独特のものである、外から満ちれてもいいという安心感があってできたことだからである。ヨーロッパの庭は塀で囲まれているから全く外から見えないからである。






タグ:菖蒲 夏の庭

2017年05月24日

老人の「救世主症候群」で詐欺にあう (老人の生きがい、社会的役割喪失がそうさせる)


老人の「救世主症候群」で詐欺にあう


老人の生きがい、社会的役割喪失がそうさせる


羽鳥慎一モーニングショーで老人か「救世主症候群」になっていることを放送した
老人が話し相手もなく社会的役割もなく孤立している、そこで相手のために何かをしてやりたいとなりだまされる、そこに会話があり何か頼られているとなり感謝されるから
だまされる、その老人の心理を功名につくのがだます方である。

これも現代老人の問題を象徴している、老人は暇で金ある人もいる、金もなく困窮している人もいるし様々である。一般的には暇であり健康であるが家族でも社会でも用なき人となりただ無駄飯食べているだけの人に見られる
老人はただ若者の負担なんだよなとなり早く死ねとかなる
それで若者を困っているのを見て同情するのが人のいい老人だという
その老人もある程度金に余裕があるからそうなる
金があってもどう使っていいかわからないとも言っている

確かに家族から社会から役割がなくなるとき自分が家族で経験したことはそういう人が認知症になりやすくなるから恐怖なのである。
人間はやはり役割がなくなる家族のなかでも社会のなかでも役割が仕事がなくなるということは無用の人となることである。
無用には無用の意味があるが人間は生きがいが必要なのである。
だから家族の中で90すぎても家事をしていた人はボケないで何でもしてもらっていた家事もしない、退職して社会的役割がなくなった女性はぼけたのである。

認知症の原因はわからないにしてもそうして家族でも役割がなく社会でも役割がなくなると頭も働かないし生きがいもなくなりボケやすくなるのだ
だからこれから認知症が増えてくるかもしれない、すでに何百万人が認知症になるという時代である。それも社会の負担が増大するのである。

そもそも高齢化社会というのはみんな経験していないのである。高齢なにることも未知の世界なのである。
小高の人は75歳くらいなのか話して面白い、何か気があう人である。
体も73歳くらいまでは60代の延長である。60代はまだ青年だとか言っていた
体の面からすると73くらいが限界らしい、その人はやはりふけていて足と首が痛くなっている、自分もだからそろそろ苦しくなってきている、ただ後2、3年は60代の延長であり
60代は今は老人ではないのである。本当の老人は後期高齢者の75歳だなと言っていた。
でも80までは生きることはイメージできる、90までもなんとかできるが100まではできない、確かに100までとなると本当に未知の領域になる、90まででもそうだろう
つまり人間はそうなってみないとわからないからそうなるのである。
高齢化社会はそれぞれがその年齢を生きることが未知の世界なのである。

「救世主症候群」とはボランティアをしたいということにも通じている、何か社会の役にたちたいということである。何か自分が存在している意味を見いだしたいということである。そのことが老人になると強くなってくる、一人暮らしとかなると余計にそうなる
話し相手もなくなるし淋しいとなるからだ
それは自分も家族をみんななくしてから感じている、それで今までは人と話しなかったが話するようになった、家に誰いずガランとした家にいることが淋しいのである。
ただ二世代所帯でいたという82歳の女性は息子がかまってくれないとかで淋しいから携帯のメールに答えて詐欺にあっていたのである。
だから家族と暮らしているからといってそれでたりるとはならないし満たされないものがあった

無人駅のボランティアをして自分で実際にこれは奇妙にいつも思っているのだ
こんなことをしている自分が何なのだという奇妙さである。
盲人が一人が通勤しているのかなにかわからない、その人を導いてやる
遠くから来た人の道案内をしてやる、意外とあそこでわからないのがタクシーの番号なのである。入り口に番号を書いたのが張ってあるのだが気づかないのである。
それで前の自転車屋とお菓子やに行って聞いていた
そしてそこからタクシーに乗った人がいる
自分はそのタクシーの番号を教えるときがある
それから近くの食道も駅からわからない、看板があるが見えないのである。
それを教えたら行きと帰りにありがとうと言われたのである。

意外と駅ではちょっとした案内をするとありがとうと言われる
こんなにちょとしたことでありがとうと言われることを自分は経験していない
人にありがとうと言われたことを経験していないのが自分である。
おそらく消費者は王様だというときいつもありがとうと言われる立場にあったからかもしれない、そんなちょっとしたことでありがとうと言われるのか意外だったのである。
ただ今はスマホでそういう情報を見ている、でもそれだけではたりないことがある
やはりどこでもすべて機械ではすまされないのないのである。
何かかにか用がある、例えば今は田植えでも機械でしている、ところが機械でできない縁(へり)は人間でしているのである。
また中国でコンバインで麦刈りをして出稼ぎ者の仕事がなくなったがコンバインが麦刈りできない平坦な土地でない所は人間がしていたのである。
つまり人間の仕事は必ず中にあり機械だげではできないのである。

ともかく老人はありがとうと言われたことがない、感謝されることに飢えているというのもわかる、そのことは用がないということである。
そこで救世主症候群が生れる、助けてやりたいという感情である。
その感情にだまされてもそれがだまささたとも思っていないというからそれだけ自分が他人に何かしてやったという感覚になってるしそうしたいということである。
だから老人のボランティアが多いけどその人たちは何か助けてほしいという要望よりボランティアをしたいという老人の数が膨大になっているのだ
それがないそれがた見つけられないということでそうなっている
ただあらゆる仕事は誰でもいいということはない、適性が必ずあるからだ
そこがボランティアのむずかしさである、いくらボランティアしたとしても仕事している人にとっては迷惑になる場合だってあるからだ
だから意外とボランティアでもそういう仕事が見つけにくいとなる

つくづく何で道路の側の何か金属片のようなものを探していたボランティアがいた
その人は道路公団を退職した人であり道路のことをいろいろ言うのもそのためだった
そんなことしているのもそのためだった、つまり退職した結果仕事がなくなり
道路公団の仕事をしていたから今はボランティアで道路の掃除のようなことをしていたとなる、人間は人生で今までしてきたことにこだわるからそうなる
道路公団で勤めていたからその延長として道路に関心があり掃除のようなことをしていたのである。

いづれにしろ高齢化社会というとき社会全体でもそうだが高齢になること、90までも生きるということが未知の世界なのである。それが優れた人が90まで生きるというのではない一般の人が普通にそうなってゆくのが高齢化社会なのである。
未知の領域だから社会的にも個々人にも問題が起きる
でも老人になったからといって何か急に変わるわけではない、人生は継続であるから老人の生も今までの継続としてあるから何か急にボランティアしろと言っても簡単には見つからないだろう。

つまり人生設計をすでに老人になる前に準備しておく、それは金銭的な面もあるが精神的な面でもそうである。でもそんな設計をすること自体がむずかしいとなる
結局人間は日々のことに追われているのが現実だからである。
でも90まで生きるとしたら60から人生の成果を出せばいいとなるとあせる必要がなくなる
長い目で長い人生設計ができるということは確かである。60くらいで死ぬとなると何もできずに成果を出せずに死ぬということがある、遊んでいてもあっというまに時間はすぎるからである。
つまり人間の経験が限られていてそれで知見も広がらないし深められないからだ

ただ老人というとき

「90歳になって老後が心配とか、わけの分かんないこと言っている人がこないだテレビに出てた。オイいつまで生きてるつもりだよと思いながら見てました」と麻生大臣が語った。

こういう時代だということである。



よそ者に対する江戸時代と今の感覚 (江戸時代にも習うものがあった)


よそ者に対する江戸時代と今の感覚


(江戸時代にも習うものがあった)

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今日は駅に「浪江」とかいたナンバープレイトを見た、何かめずらしいから「浪江」だけど浪江から来たのと一言聞いただけたである。
その人はそのこと自体不愉快であり怒るように拒否した
地元の人らしい、浪江の人のものを借りたのかどうかわからない、最初から会話を拒否しているからだ、バイクは原町の人げ原付バイクで南相馬とかのナンバープレイトだったような気がする、それで聞いたりしたがその若い人は普通に答えるだけである。
あの若い人は最初はお前はなんで聞くんだということで怒っていた

そういうふうに会話を拒否する人は別に駅でもいる、何か聞かれたくない人はいる
だからプライバシーがあるから一応聞いたとしてもそんなに詮索はしない
嫌だとなればそれ以上は聞かない、でもそこに別に簡単なことでもとっかかりが会話になる、それをしたくない人はいるし現代ではそうしたことを嫌う人が多いかもしれない
そういう自分も旅に出てその土地の人に聞かれても何かも答えないことがある
自分はそもそもコミニケーションができない性格だったのは社会的訓練が欠けていたためである。何か会社で営業のような仕事をしていれば気を使うということがあるだろう。
だからあまり人のことは言えないのである。

与那国島では木陰で休んでいるだけで怪しいと警察に連絡されて職務質問を受けた
その近くの人が通報したのである。それをふりかえると箱根の関所では村々の人が
関所を通らない人を見守りしていた、関所守り村があった
だから関所を通らずに越えることはむずかしいと思った
その土地の人が怪しい人が通ったら番所に通報するからだ
それが江戸時代の感覚なのである。

誰かよそ者、怪しい人が来たらみんなが見ているからすぐにわかる

与那国島は閉鎖された島だからそういう感覚が残っていたのである。
江戸時代の感覚は関所がありその関所を通り別な国に行く感覚になっていたかもしれないパスポートを出して外国に入るという感覚になっていた、関所を出れば外国なのである。今のように自由に旅できる時代ではない、自由に他国に出入りできることもできない時代である。

だから旅すということは容易ではない、気軽に行けるものでもない

 周防なる磐國山を越えむ日は手向けよくせよ荒しその道

峠は、中国地方で垰あるいは乢とも書き、「たお」「とう」「たわ」「たわげ」などと呼ぶ地方があり

峠の語源は「手向け(たむけ)」で、旅行者が安全を祈って道祖神に手向けた場所の意味と言われている。「峠」という文字は日本で作られた国字(和製漢字)である。

なぜ和製漢字となったかというと日本は山が多く峠が多いからである。
峠というのはそこから新たな世界へ入ってゆく場になる
国境になりやすい、そこで手向けするというとき何か江戸時代までは隣の村へ入るのにもよそ者になる、手向けするというとき安全を祈るのだが別な土地に入るということはまた危険にもなる、危険というとき自然だけではない人間が住んでいるから危険になる
よそ者をみんな警戒しているからである。特に江戸時代前まではそうである。

要するに今は明治以降は鉄道で移動するようになったとき関所がなくなり切符一枚で日本全国どこでも行けるようになった、それが日本人という意識をもつようになったというのもわかる、江戸時代だったら日本人という意識がもちにくい、藩が国でありその一員としては意識しても日本人として意識することがむずかしかったからだ

ともかく江戸時代まで他国に行くということは相当に難儀した、関所を通らない人々を監視していた見守り村があったということでもわかる
関所を通り他国に入るときは相当に気遣いがあった、自由がない時代といえばそうである
でも奇妙だけどそうした気遣いまるでなくなったのが現代なのである。どこに行こうがその土地のことを気づかっている人は少ないだろう。
どこにでも行ける泊まるなら金を払えばいいだけだよとなる
それはどこに行っても金を払うものが消費者が王様だとなるのである。
だからよその土地に行って気兼ねなどしない、気遣いがなくなっている
第一旅行してそんなに気づかうとなると行くことさえ嫌になるだろう。
それで東北には旅したくないというとき東北人にはまだそうした自分の土地だとか村だとかいう感覚が残っているからだろうよそ者に冷たいとか打ち解けないとかある
でも「郷に入っては郷に従い」という諺は長い経験から歴史から生れてきた言葉なのである。
長い経験から生れたものには古いというだけではないなにかしら時代が変わっても意味がある
そういうものが無視されると人間社会は成り立たなくなるのである。

何か江戸時代というのがまるで現代からすると自由のない窮屈な世界だと思う
でもそこにも何かそういう時代でも今と比べると何かしら意味があった
現代は全く逆にどこの土地に行こうが気遣いをしない
金を払えばいいんだとしかならないのである。
その金だけ払えば世界中どこでも待遇されるんだとなる

しかし他国に入るときはそれだけではない、その土地の者に世話になることもある
いくら金をやればいいといってもそこの土地には土地の人がいるからである。
そこに感謝の気持ちをもつ必要がでてくる、ただそんな窮屈なことを言っている時代ではないこともわかる、自分自身もそんなことなかったから言えないのだけどいろいろ経験して反省するとそういうこともあったなと思う

だから駅でちょっと案内しただけでありがとうと言われたとき不思議に思ったのである。それは知らない土地に来ればなんらかわからないことがあり尋ねることもでてくるからである。
それはやはり鉄道とか車社会になったとき起きたことである。
峠だろうが何だろうが他国に入るという感覚はなくなる、突っ走って境だろうがなんだろうが突き抜けてゆくだけだとなるからだ。
鉄道でも車で機械はやはりそうした人間的感覚を破壊してしまのである。
機械にはそういうことが常にある、便利なものでもそれが人間社会や人間的なものを根こそぎ無遠慮に破壊してしまうことがある
グローバル社会もそうである。金さえあればその土地の人や文化があってもそんなことは無視する、金だけが力となりあとの人間的なこと歴史的なこと文化的なことなど一切無視されてしまう、金もまた機械とにていたのである。まず機械が気づかうなどありえないからである。

いづれにしろこの辺では小高の人や浪江の人が移り住んだ、するとそこで小高は南相馬市だから補償金でもめた、それもやはり金さえあればいいとなっていたのである。
鹿島の人に別に世話になるのでもない、土地は借りたが買物でも何でも別にそれで土地の人に気づかうということはなかった、かえって買物してやって助けてやっているのよねと小高の女性の人は言っていたのである。そうなっているのが別に小高の人だからというのではなくそういう社会になっていたのである。

その土地の者に気づかうということがなかったのである。それはみんなそういう時代に生きていればそうなる、つまり金だけがあまりにも力をもちすぎてしまったとういことである。もしちょっとした道案内でも小銭をもらっても金をやった方に感謝しろとなるのが現代社会なのである。
なぜ駅で案内してありがとうと言われたのか?それは結局ボランティアであり金をとらないとういことにあった。金を払わないからこそありがとうという言葉になって返ってきたともなる、金が万能になる社会はそうした人と人の関係も気づかうことなどなくなってしまうのである。

多額の補償金をもらってもそれで福島県内でも他でも住んでその土地の人への気遣いがなく、立派な家を建ていい車を買ったとかそういうことをしていて批判されたこともわかるいくら金があるとしてもその土地に前から住んでいる人がいる
その人たちはかえって土地が上がったり病院がこんだり迷惑しているからだ
そういうことは仮設に住んだ小高の人にも言えたのである。
俺たちは避難者なんだから当然だとなってしまったのである。

ただ人間にはいろいろいるからみんながそうではない、最近知り合った小高の人は気があう、だから自分は別に小高の人と付き合わないということでもないのである。
浪江の人もやはりよその土地に来たのだからなんらかそうした気遣いが必要になる
でも同じように現代社会はそういうことがない社会なのである。
だから江戸時代と比べると江戸時代は何でも今から比べると自由がないだとかいろいろ遅れているとなるがそれでもそこにはよその土地に入れば人でも気づかうということがあった、それをマイナスの面にみれば窮屈だとなるが一方ではその土地に長く住む者にとってはやはりそういうふに接してくれば歓迎するともなる
ただそうなると東北はだから嫌なんだ、行きたくないとなるのもわかる
都会だったら別にそんなことが全くない、都会だと誰が来て誰が去ったかもよくわからないからそうなる。田舎ではそれがわかるから問題が起きる


今日の鹿島駅 (川崎市から来たボランティアと駅で会う)


今日の鹿島駅


川崎市から来たボランティアと駅で会う


今日駅で会ったのは地元の人だった、時々自分の家族のことを知っている人とあう。みんな死んだよという、あの人は顔は知っている、近くに住んでいた人である。
だから母親のことも知っている、何か駅はつくづく人が出会う場所である。
それは地元の人だった今はなかなか会う場所がない、すると今あの人はどうしているんだろうとなる、そしたら死んでいたよとかなる
もう誰なのかわからなくなっている人もいる、人も常に変わっているのである。
死ぬ人も増えてくるから余計にそうなる

今日もう一人あった人は川崎から来たボランティアの人だった
その人は自分のプログを読んで駅に来ていたのである。
プログを読んでいる人とじかに会うことはほとんどない
ただ最近駅のことを書いてここにいることを知って会いに来たのである。
原町の橋本町の墓地の近くに事務所がある、その橋本町には自分の母親の実家の墓があるだからあそこに入る所だろう。

川崎市というとき小田急線沿線で百合ヶ丘という所に下宿していた、S大学に通っていた
自分は大学でも問題起こしていたからあまり思い出したくないということもある
ただ自分は確かに川崎市にいたのである。
S大学(生田キャンパス)まで電車5分 新百合ヶ丘→これだった
向ヶ丘遊園地は有名である。百合ヶ丘という所の下宿だった、そこは結構田舎だったのである。回りに田んぼとか畑があったからだ、その様子も相当に変わっているだろう。
川崎市というときそういう因縁があったとなる
それにしてもあまりにも昔であり記憶が遠のいてしまった

ボランティアの人は川崎市の人である。年は自分より4,5歳年上だった
でも小高の人よりは若く見えた、その人は引っ越しの手伝いなどしているから力仕事をしている、でも結構その年では楽ではないとも思う
高速を使ってきている、ここまで来るのに費用がかかるといっていた。
自腹だとなると川崎からここまで往復するとなるとそれなりの費用がかかる
年金暮らしだからそんなに使えないというのもわかる

何でも南相馬市で飯館などで切った材木を燃やしているという、それも何なのだろう。
浪江で森林が燃えて放射性物質が拡散すると騒いだ、飯館村の木材は最初は3マイクロシーベルとあった。だから木材でも高いのである。その後は減った
樹皮に放射性物質が付着しているという、だからそういうものを燃やしていいのかという疑問はある、ただそうしたものでも処理しないと困るから燃やすのである。

それにしても74才くらいなると力仕事は結構きついように思う、ただまだそのくらいの年で農作業もしている人がいるからいろいろである。
そういう年でもやはりここまで来てボランティアしているのは熱意があるというか驚くということもある、この前の人は福岡県から来ていた、駅の前のホンダの車販売店に友達がいるということでここまできた、その後は熊本に移動してボランティアしているという
やはり何か役に立ちたいといいう気持ちがあり行っている
その人はフェスブックもしている、だから年はとっても時代の利器を利用している
自分もそうだがこの年だと簡単にできないと思うからだ
自分はたまたまワープロから通信して覚えたのである。それは偶然だったのである。
それは富士通のワープロに通信するものがついていためにできたのである。
自分でしようとしたのではなくそういうワープロを買ったからできた

何かボランティアの時代ということもある、それだけ老人が多く生きがいを求めているのである。ただ費用がかかるとなると結構楽ではない、自分がしているボランティアは簡単だし金がかからないからそういう負担がないからいい、交通費だけでもそれなりにかかるとなるとボランティアも楽ではないとなるからだ
ただ74歳とかなるとそういう人も来ているのかとなる,だから高齢化社会なのである。
ボランティアというときその土地の人とつながりができる、すると移住しやすくなることは確かである。
ただ働いている人が多いからボランティアは暇がなければできない金も必要になる
それで60代から退職した人たちが多くなっている、でもその人たちが移住するとなるとむずかしい
今はボランティアで助ける方でもだんだん助けられる方になるからそうなる
ただこの浜通りでいいのは気候なのである。これだけはすすめられる
暑くもなく寒くもないから老人が住むにはいいのである。

SHIMIZU様?、ボランティアごくろうさまです

これからも相馬地方の情報発信しますのでよろしくお願いします

今日の鹿島駅をまとめてカテゴリーに追加


今日の鹿島駅をまとめてカテゴリーに追加


これまで書いた今日の鹿島駅を新しいカテゴリーにまとめた
一月から5月まで書きつづけた
定点観測になった、これは日々変化することだからプログに向いていた
プログとはその日のことを報告することになる
すると日々変わる場で定点観測することに向いているのだ
だから地域地域で放送局になれるのがプログなのである。
それも南相馬市だって広いから鹿島駅を中心にした定点観測になる
他の人はまた別な定点観測の報告する
小高の人がしているが情報量が少ないのである。

駅というのは実際ボランティアしてみたら不思議な所だった
これは駅を利用する一乗客だったらわからないことだった
駅にいると今日も地元の知っている人が話しした、自分の母親のことを知っていた
そしてそのことを聞いてあの人は自分の母親のことを語ってくれたとなり親しみを覚えた
何か故郷とは親とか祖父母とも関係している場なのである。
誰か知っていて語ってくれるとうれしいとなる
誰も知らなくなったら淋しとなる、死者もそうして知る人がいて語ってくれるとここが故郷で母でも父でも生きた場所なんだなとなる
だから避難地域になったところでは墓参りするにしても知己もいなくなったりすると何か淋しいとなる
ただ墓だけが物のように残されているのが淋しいのである。
やはり人間は物だけではない、そこに物語ることがあると死んだ人も生きてくるのである。
だから歴史はHI-STORYなのである。

駅は意外と実際は活気がある場所だった、あそこは駅だけではない、車の駐車場として利用されている
トイレもきれいだし良く車で来る人が利用している
自分の母親を知っている人は孫の迎えるためにきていた、小学生が駅前に集まってくるのである。
だからいろいろな人が来るから活気がある場所なのである。

今日は自分のプログを読んでいた川崎の人が来たのもそうである。
自分はいつもいるわけではない、主に昼間に一時間とかいる
他の時間もいるがいつもいないのである。
その人は会って良かったと言っていた
そういう外部からの人も来て混じり合う場所なのである。

なんかあそこにいるとさびれた町にしても活気があるなと思う
一番人が集まるのは今はどこでもスーパーだけどあそこであまり人と話したりはしない
何か駅の不思議は人を迎えたり送ったり待ったりすることにある
それが人間的な場所を演出しているのである。
駅は駅前は広場になっているのだ、そういう場はなかなかない、そこで町に生きるものの活気を感じたのである。
淋しさをまぎらわすにはいいとなる、そこは何か人間臭い場所だったからである。

今は買物にしても何にしてもほとんど人と話もしないからである。
駅の特徴はまた多様な人が世代でも交わっているのである。
あそこは小学生が集まる、駅前で遊んだりもしている、だから子供から老人から外部の人も来てまじわる場所だったのてある。
そういう場所はなかなかない、確かにスーバーには町の人全員がきている感じにはなる
でもそこで何か多様な人がいるという感覚になれないのである。
大勢人が来ているなと感じるだけである。
おそらく駅は迎えたり見送りしたりするから違っているのだ
それが人間臭い情をかもしだす場にもなっているのだ、別れとか出会いを演出する場だから人間的なのである。
「元気でな」とか「また帰るのを待っているよ」とか親と子の出会いと別れがある
そういう場所は駅にしかない、道の駅ではそんな光景はあまりないだろう。
そういうふうにして人が集まるから違っているのだ




2017年05月25日

「成熟社会」は高齢化社会で実現される (駐車場が通りにないことが致命的になっていた)


「成熟社会」は高齢化社会で実現される


駐車場が通りにないことが致命的になっていた


地方の商店街が人来ない一番の原因が駐車場が無いからだよ。 
店舗解体に助成出して駐車場増やせば少しはマシになる。

シャッター商店街が埋まるとはとても思えないし、駐車場もないから今更客も来ないだろう 
10年位前に田舎の中央通りにちょっとしたショッピングモールが出来たけど、はじめからほとんど客がいない状態だよw 
みんなイオンや郊外のバイパス通りの方に行ってるw

空き店舗潰して駐車場にすればいい

商店街の土地は近代的な店舗にする際には狭すぎるんわ 

ただ、重税果たして売却を推進しようとしても時間がかかるし、必ずしも土地統合に 
結びつくとは限らない 
隣接地を統合して店舗なり住宅なりを建てる場合に特例を設けるなどして土地の 
統合を推進した方が良いはず

シャッター通りは店舗併用住宅がほとんどだろ? 
だから固定資産税が大した事ない 
駐車場なんかにすると固定資産税が跳ね上がる

地方は車社会だから商店街の活性化は無理 
地歩の人間なんか競うように入口近くの駐車スペースを奪い合うからな 
たった数メートルすら歩くのを嫌がる

地方の商店街何かで出店するとしたら 
飲食店以外でどんな業種があるんだろうなぁ 
理髪店位しか思い付かんな



鹿島駅前の駐車場が狭いことを問題にしてきた、駅前は一軒の家具屋が閉じて理髪店が閉じ角の家の庇が破れているけど修繕していない、美観的にも良くない
ただトイレは新しくしてきれいにしている

要するに車社会になった結果としてこういうことが起きてきたのである。
車社会になると今までの通りはただ車が通りすぎる場所にすぎなくなった
まず車が駐車できないからである。車というのは空間占有率が大きいのである。
自転車とかバイクとかなると台数でも車より置けるが車が置けない
それだけの空間を土地を必要とする
すると今までの通りは歩いて買物するようにできている
その大きな相違がシャッター通りにしたのである。
大きな駐車場を作れないということである。

それで郊外にイオンとかできるのも大きな駐車場のスペースが確保できるからである。
原町のイオンの前の駐車場は馬鹿に広いからである。
今回鹿島区のスーパーキクチが新装して開店したけどこれも駐車場が狭いとういことがあり広い駐車場を作ったのである。
だから現代は車社会に適応しないと商売もできないのである。

だから鹿島駅での一番の問題が駐車場が狭いことなのである。他からきて駐車するスペースが狭すぎるのである。農協と決められた場は駐車できないからである。
現代はでも車をもたない人は車社会のことが意外と実感としてわからないのである。
車をどこにとめようかとなるのが車社会なのである。
今までの通りにはそれがないからシャッター通りになる

車社会というのは便利でも旧来もっていたものを破壊した。その影響はあまりにも大きすぎたのである。何か車というとき俳句とか短歌にしにくいのである。
ただ歩くということは今や人間回復になる、歩くことは絵になるけど歩いて旅していた人がいたとしても広重のような浮世絵にはならないのである。
そういう社会が失われたからもう二度とそういう絵は生れないのである。
車がない歩く社会のときは鉄道も活きていた、駅で下りて通りを歩いて買物したりしたからである。
原町の駅でおりて靴屋まで歩いて買った、いいものが置いてあった
ただその歩く距離が結構あったなと思うほど今は歩かない生活なのである。

分散社会になったというとき車社会であれば別に分散していてもいいからである。
車で行けばいいとなるからどこでもいいとなるからである
ただ高齢化社会は昔を回顧するようになるから昔のいい面をとりもどそうとする
その高齢者が多いとき車社会が転換する圧力になる
田舎でも車が運転できなくなるとたちまち社会的弱者に転落する
80でも車を運転している人がいるがそれで乗せてもらっている女性がいる
でも車が運転できないとなるそういうこともできなくなる
その人は社会的弱者となり相手にされないともなるから怖いのである。
もし昔のように歩く生活なら老人でもそうはならない

どうしても夫婦でも夫が車をもたないで運転できないとなると夫の資格も男としての資格までないと感じてしまう社会である。社会的不具者になってしまうのである。
何か機械というのはそもそも人間を人間的なものから離脱させるものである。
ちょっと会話しようとしてもスマホを操作してしない、旅をしたりよその市町村に来たら必ず道がわからなくなり聞くことがある、そこで土地の人とかかわることになる
でも今は土地の人とかかわる必要もないのである。
スマホで地図を見て案内されて車でGPSとかで自動で案内し運転する
そこに人間が介在しなくなっているのである。人間はかえってわずらむほしいものとなる機械化自動化する人間はいらないんだよともなる
すると土地の人とも交わらないとなる、江戸時代は歩く旅だから土地の人ともまじわる、何か人間的にも濃密な旅をしていた、今は高速を突っ走ってゆくし新幹線で一時間だとかなる旅である、すると中間ははぶかれてただ通過するだけになるのだ
目的地にどれだけ早くつくかが問題になるだけだとなる、するとそこに旅情も生れないのである。

高齢化社会は今までの車社会とかに向かない、「成熟社会」を目指すようになる
スロー社会である。もともとそういうものを自分は俳句短歌とかでも詩でも追求してきたのである。
景観というとき確かにそこに暮らしがなければありえない、人間の営みが景観を作っているのは確かである。
菜の花が一面に咲いているというときそれは菜の花をただ鑑賞するためではない
花としてではない菜種油とかとして生活で利用するために作られていたのである。
その生活があってこそ菜の花の景観が作られていたのである。
それは田んぼでも畑でも果樹園でもそうである。生活のためにあり景観が作られてきた
それが津浪や原発事故で破壊されたことでもわかる
荒地と化したことでもわかる、茫々と草が生えて草原化してやがて森になるのが自然だった、そういう風景に変化した不思議をプログで紹介してきた
その草原は確かに草雲雀というように雲雀にはあった風景だった不思議である。

いづれにしろ車社会の転換が望まれている、なぜなら車を減らせばある程度江戸時代にもどるのである。本当に昔にもどりたかったら車が全く通らない世界を再現すればそうなるそうなると歩く他ない、自転車で行くほかなくなるからである。
すると歩く街とか歩いて生活するように社会もなる、自転車で買物できるような街にもなるのである。一部都会でヨーロッパではそうなっている
車社会からの脱却、転換が民意となってそうなったのである。

成熟社会というときそれは確実に高齢化社会に適した社会なのである。
これだけ老人が増えれば老人に適した社会がいいとなるからだ
だから高齢化の負の面が強調されるがプラスの面としては落ち着いたスローな社会の新たな再現がありうる、車を全部なくすというのではなく制限されてそれに代わるものが志向されるとういことである。


posted by 老鶯 at 10:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

石を考える (童話的なものとして)


石を考える

(童話的なものとして)

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南相馬市鹿島区橲原(じさばらの立目石


ここに石がある、この石に形があり、色があり、重さがある。
形は幾何学的に見ることである、石は正方形のようなものもあるし三角形のようなものがある。台形のようなものが多い。山は三角形であり立体的に見れば円錐になる
自然を幾何学として見るのが必要になることがある、計測するときはそうなる
山でも高さがあるからだ、石は見る場合、この石は一体ここにいつからあったのだろう。
そんなことがわかるかい、確かにわからない、ではどうしてここにこの石があるのか?
石は土から生れたのか?石は火山の噴火などで飛んでくることがある
この石もそうかもしれない、ただこの辺には大きな石はない
ではどうしてここに大きな石があるのか?
もしかしたら近くに川があるからここが大昔川であり石があったのかもしれない

もともとこの山の村は森だった、人は住んでいなかった、すると森の中にこの石はあったそれを見る人もいなかった、人が来て森を切り払い田畑を作ったときこの石は現れたのである。
そしてここの森を切り払って住んだ人たちは隣の村から来た人たちだった
そしてここに住んでいて別な村になった、それでその村との境にあったから境石と名付けられた、昔はやたら境とつく地名が多いのは村が無数になりそこで村人は共同で暮らしていたから隣の村でも別であり区別する必要があった、村々で所有する山もありそこに他の村の人は入っていけないというしきたりもできた

石一つでも考えるといろいろなことがある、その考えることが学問なのである。
石にもいろいろな質がある、その石の成り立ちはその石の質を調べればわかるだろう。
石にも岩もいろいろな種類があり形成されているからだ

岩石の不思議は砕くと土になる、土の基は岩石であり砂の基も岩石だということである。地球はもともと岩石でなりたちその岩石が砕けて土になり砂になったというのも興味深い土がなければ植物は育たないから動物も地球にはいなかったろう。
岩石にはなにかしらの栄養分がつまっているのだ、水にミネラルがふくまれのは岩石に水がしみこんでその栄養分がまじるからである。
純粋な水は化学の上であるが水にはなんらかの栄養分でも不純物でも混じっているのだ。岩石は地球を作って基本なのだ

石は動かない、何か牛のように動かない、牛は一日どっしりと寝そべって動かないことがある、岩石も牛とにている、どっしりと構えて動かないのである。
何か石によると自分もどっしりした気分になる、心も落ち着く、石は同じ場所にあった
それは千年とか万年単位で同じ場所にあった
代々人が変わっても石は変わらずあった、おじいちゃんのおじいちゃんのそのまたおじいちゅんやおばあちゃんの・・・代からあった
人の命は長く生きても百年だ、石の命は千年とか万年とかとてつもなく長いのである。
人は次々に死んでもこの石だけはそうしてここにあったのだ
百年もすぎたら住んでいた家もなくなったり変わるがこの石は千年も変わらずにここにある、だから岩は千歳(ちとせ)の岩と言われるのだ

我が君は 千代に八千代世に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

日本の国にもこのように長い歳月つづいたからこの歌が生れた、国が作られるにはそれだけ長い時間が必要なのだ、その長さが国の威厳を作っているのだ。
この歌は日本の大地のそこからから鳴りひびく歌なのである。

posted by 老鶯 at 20:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 童話

2017年05月26日

南相馬市の10年後2030年の恐怖 すでに南相馬市では65歳以上が33パーセント 南相馬市の10年後2030年の恐怖 (すでに南相馬市では65歳以上が33パーセント)


南相馬市の10年後2030年の恐怖


すでに南相馬市では65歳以上が33パーセント

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2030年には約1.8人で1人を扶養することになることを意味している。

首都圏以外の地方経済はますます地盤沈下が続き、行政サービスを維持できない限界集落が急速に増加。車を運転できなくなった高齢者世帯は、買い物難民・通院難民と化している。地方自治体は、経済特区による企業誘致やサービス効率化のためのコンパクトシティなどを推進しているが、税収不足もあって思うように進まない

日本の大企業は年間1200社ペースで減っている。このまま進むと、あと15年程度で大企業はなくなる。これは大企業の税率が高いためで、先日1200億円の資本金を1億円にしようとしたシャープも、税金を何とかやすくしたかったからの奇策だった。


南相馬市の65歳以上人口は29.4%(19072人/64941人)、実人口ベースで33.2% (16485人/49664人)となった。

介護負担が大きい郷里に戻ることを躊躇する若年世代が増えることが予想される。



インターネットで調べたら何か2030年の未来像がイメージできた。

日本の大企業は年間1200社ペースで減っている

10年後にそうなのとなるが現実に東芝やシャープとか電器関係でそうなっている
あんな大企業だったのが消滅するなど考えられなかった
大企業が安泰ではない終身雇用などもうなくなっている
大企業から革新的技術革命がないというのもそれに呼応している
でも今でも大企業信仰があり受験でもそのために勉強している
するとそうした旧来の勉強方法とか安全志向とういうかそういものを目指していても
無駄だとなる、darkness duoでは盛んにそのことを言っている。
ただそれが10年後というのは早いと感じるが現実に大企業が没落しているのを見ているからそうなのかとなる
そもそも年間1200社の大企業が減っている?こうなったら日本社会自体が崩壊してゆくような恐怖になる、統計だけからはわかりにくいものがある。
数字だけが先行して内容がよくつかめないからである。
ただ大企業が日本の屋台骨であったからその影響は計り知れないとなる

南相馬市とか原発事故周辺は何かそうした日本の衰退を先取りした極端化した地域であるただ奇妙なことは補償金で例えば飯館村とか葛尾村でも一般的に倍の所得増加に今はなっているのである。この辺は補償金バブルになっている
それがいつまでつづくのか、5年なのか10年なのか?その頃に補償金の貯えもなくなってくる。すると仕事がこの辺になるのかとなる
浪江町から復興住宅に南相馬市で2000人くらい移住しているかもしれない
南相馬市ではそういう人たちを人口に入れていないから実際は南相馬市の現在住んでいる人は外部の工事関係者も入ってきているので減っていないのである。
鹿島区の人口はそうした浪江とかの移住者がいて増えている、ただ戸籍がないから人口に数えられないだけなのである。

高齢化でもこの辺は極端である、33パーセントとはすでに2030年の日本と同じなのである
車を運転できなくなった高齢者世帯は、買い物難民・通院難民と化している。

今でも80くらいの人が運転している、これも運転するのが危険になる、90歳でも運転しているのが田舎の実情なのである。これもだから危険になる
車社会は高齢化社会に向いていないのである。そこで何らかの対策が必要になる
高齢化社会向きのインフラ整備が必要になる、鉄道などやバスの利用が必要になる
仮設住宅から小型のバスが出ていたり9人乗りのタクシーとかそうしたものの利用を促進する必要がでてくる

介護負担が大きい郷里に戻ることを躊躇する若年世代が増えることが予想される。

若い世代の流出というとき何か姑と一緒にいるのが嫁が嫌だから出る、それに文句は言えない、放射能のことをもちだせば何も老人は言えないからだ
すでに若い世代との生活は別になっているのだ
原町の復興団地に入った人は子供世代は東京に出た、多摩地区だとか言っていた
すでに孫は六年がすぎて中学高校をそこで学んでその土地に就職した
妻もそこで暮らしているという、その人たちは帰ってこないのである。
そこは川崎市であり川崎市は人口が増えている
ボランティアで来た人がいたけどこの辺とは全然違った都会である。

武蔵小杉が住みたい街に選ばれるのは訪れた人がみんな街の雰囲気の良さに圧倒されるんだよ。 
住民が若い!! 
日本中で見かける手押し車の婆が武蔵小杉では全部ベビーカーの若い女に変わる。

川崎市とか横浜市は人口が増えるが埼玉とか千葉は減少してゆくことはやはり距離の関係だろう。川崎市は東京に40分とかそれより近いからである。

この辺で乳母車を押している人より手押し車押している老婆が多い
65歳以上が3割ということは三人に一人が65歳以上なのである。
老人と会う確率がそれだけ多いのである。若い人がみかけるのは駅で高校生であり
通学の中学生と小学生が駅前を通る時くらいである。
あとは老人が多いのである。
その相違は大きい、団塊の世代が子供時代は子供であふれていたし若い人の熱気で満ちていたのである。

この辺は何か何でも極端な現象として現れている、ただ東京でも高齢化の増加率を見ると一番高いのである。東京ではだから伊豆に杉並区が老人ホームを作ったようにそこにうば捨て山のようにして入れる、都内だと土地が高いとかで作れないからである。
この東京の高齢化も大きな問題となる。その数が多いからとても東京だけで解決しなくなっているのだ。
でもそうした過疎地域に老人ホームができても活性化するかとなると問題がある。
そもそも老人の介護を若い人がするのが向いていないのである。
なんか死んでゆく人間を若い人が見ているのはそぐわないのである。
もっと別なものにそのエネルギーを費やすべきだと思うからである。

いづれにしろ2030年というとまだ自分も生きている可能性が確率的に大きい、その時のことをこの辺の実情から見ると恐怖になる
今は震災バブルのように補償金とか工事関係者とかで活気がある。でもそれも減ってきているし2030年になったらどうなるのか?
相当にさびれてしまうだろう。
そして今でもそうなように病院でも看護師不足とか介護士不足とかが深刻なのである。
すると救急車も来ないとか病院に入院できない、施設にも入れないとかなる
それは全国的に起きてくるがこの辺は極端でありさらに深刻になる
そして流出した若い世代はもう生活が別になり介護したくないとなり余計に帰ってこなくなる
つまりうば捨て山のようにこの辺がなるかもしれない、それだけ取り残された老人が多いからである。

ただ自分は都会には性格的に向いていない、田舎で精神が安定する、だから別に都会のような便利な生活を特にしたいとは思わない、今は通販などあるから文化的な面でも本でもそれから映画でもアマゾンで安く見れるのには驚いた。一回の視聴だけど安く見れる
こうしてインターネットは東京との文化格差を縮小したのである。
むしろ文化というとき何度も言っているけど地方からしか起こらない、自然から離れて文化はないからである。
ただ又同時に田舎でも都会的なものが必要なのである、活気をもたらすためにはやはりまた老人がこれだけ多いとなるとアンパランスになるのである。

年金30パーセント減額

消費税20パーセント

預金封鎖?

何か経済的にも老人には厳しくなる、物価が上がることは年金とか貯金の人は苦しくなるからだ。
何かいい未来は見えてこない、とういうより老人は未来より過去に生きているのでまた別である。
ただこうした10年後でも予測はどうなるかわからない
もっと深刻になるかもしれないしまた何か別なことが起きて違った未来になっているかもしれない
ただ人口的な面から見る未来はやはり現実をリアルに反映する
避難区域で二割にくらいの人口しかもどっていない、それも半分以上は老人である。
それは町や村が存続できるかどうかの瀬戸際になっているからだ。
だから10年後も生きるとしてその時生きているのはこの辺では相当に厳しいとイメージする
個々人でも肉体的に厳しくなる、それに追い打ちをかけて回りでも老人には厳しい環境になっているからだ

県庁を廃止して市が直接国と対話する ( 廃藩置は失敗だった-原発事故も県が許可したためだった)


県庁を廃止して市が直接国と対話する

廃藩置県は失敗だった-原発事故も県が許可したためだった

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インターネットでは本とかの解説が多くなり映画でも誰かが解説しているからその時その映画をアマゾンで注文して見たりする「アレキサンドリア」という映画をアマゾンで見たアレキサンドリアには自分も行ったことがある、エジフト文明の最後の場所でクレオパトラの時代でありローマにより滅ぼされた
関連したものでアレキサンドリアの映画が即座に見れた

今回の解説する雑誌はサピオと中央公論である。

中央公論で30万都市を日本全国に(村上誠一郎)

県庁を廃止して市が直接国と対話する

今議論されている道州制より、30万、40万の市を日本に300くらい作る、国と直接対話した方がよほど効率的である

県庁、道州制の「州庁」は必要ない、市が直接国と対話してこれがたりないから予算くれなどとやったほうがよっぽど早いんですよ

台風で被害を受けた伊豆大島でお年寄りに避難を呼びかけても応じない人が多い
そういう人たちに国や地方自治体が移れといえますか?
民主主義の国である限りそこに住みたい人は住ませてあげるほかないのです


このことで原発がなぜ建てられたのか?
それが双葉とか大熊の土地所有者と県の許可で決められたと言われる
県が介在した結果として変な方向にもっていかれた
そこに最も身近になる南相馬市とかいわき市はかかわられなかったということである。
国と県が結びついて肝心のその周辺都市の意向は省かれたのである。
おそらく県で決めたというとき福島市は距離的に50qから60qと離れているから原発事故になっても関係ないと思っていたのである。
それは自分の町も30q離れているから関係ないのかと思っていたからだ。
それか意外と福島市は放射線量が浜通りの海側より高かかったのである。
これも何かの罰だったのか、カルマだったのか因縁だったのかとなる

というのは福島市も放射性物質は風でどこに流れるかわからない、危険なんだよとなれば簡単に許可しないからである。福島市の人たちもかかわり原発を建てさせないとなっていたからである。そういう危機感は全くないから県で許可したのである。

そもそも明治維新の廃藩置県は無理な行政単位でありそれが弊害を生んだ、だから自分は江戸時代のことを良くとりあげるけどその江戸時代が遅れた前近代的なものとしてみる
でもよくよく比べてみると江戸時代に現代に失われたものがかえってそこにあり現代がおかしいなと言うとき江戸時代と比べると見えてくるものがある。
近代化とは様々な弊害を生んだ、その大元が廃藩置県にもあったのである。
それは無理な線引きで日本全国を分割したからである。

だからむしろ江戸時代の藩こそが自然を基にして歴史を作ってきたからそこにこそ自治体のよるべき習うべき継続すべきものがあった。県にはそうした歴史が積み重ねられていないのだ。県というのは単位が大きすぎから政治でも行政でも地域密着型になりにくいのである。何か本当に不自然なのである。

福島県は最初は会津県とか二本松県とか磐城県とかの構想があった。それは江戸時代の藩の継続としての県だったのである。だから福島県というのは不自然である。それは日本全国の県というのは不自然である、それは自然としてもアイディンティティをもてない広さである。会津とかは気候でも地勢とか浜通りとはまるで違ったものだからである。
文化形成も違ったものとなるし歴史の継続としてもそうである。

福島県は会津県、二本松県、磐城県とかなった方がわかりやすいし歴史的継続もあったのである。それは風土的にも一体感がもてる地域だったのである。
そして選挙区でも福島一区が相馬の方までありそこは阿武隈山脈でさえぎられているから地理的一体感がないのである。福島市と仙台より交通の便でも遠くなるのである。

地方自治というとき今は30万くらいの単位だとその土地に密着した政治でも行政でも文化面だってできる、県単位では県の歌を作るにしても会津も中通りも浜通りもあればそれらをふくんだ地域として作れないのである。
人間が身体と感じる範囲はやはりめんなに広くてはできない、ちょうど相馬藩くらいが範囲としては適当だとなる、会津は広いが一つの山国として地理的一体感がある。

原発は浜通りにとって一番身近なものだった、いわき市と南相馬市と相馬市でもそうだし浪江町とか双葉町とかは相馬藩内だからその辺も合併して広域化した市がかかわり決めるべきものだったのであ。その時は県ではなく国と直接交渉すべきだったのである。
県というのは自治体ではないから地に足をつけていない、だから簡単に離れているという感覚で許可したともなる、自治体とは市町村はその土地に継続して生きるものによって作られる、それは自然でも歴史でも継続したものとしてある

だからつくづく廃藩置県は不自然であり今になりまた江戸時代のことを見直すことになるそこに継続されるべきものがなかった、藩の継続というとき30万くらいの都市として市として継続してゆくことであった
そこで住民自治体が形成される、原発でもそうしたら30万の都市の内で検討された
一区画の土地所有者とか双葉とか大熊とかの町だけではない南相馬市でもいわき市でも検討される重大な課題としてとりくむ、事故後に現実にいわき市でも南相馬市でもその後始末をさせられる結果になったからである。
特にいわき市は二万人移住したとなりそこで軋轢が生まれたからである。
南相馬市でも復興住宅が建ち浪江の人でも他でも2000人くらい入ってくるようになった
まさにすでに現実はもう浪江とか双葉とかてはない、広域的な都市の住民となったのである。


posted by 老鶯 at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連