2017年05月06日

つつじ(原町のユッサは本物の温泉だった) 増えた新築の家に花が咲く


つつじ(原町のユッサは本物の温泉だった)


増えた新築の家に花が咲く

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冬の貴婦人




石すえてつつじ燃ゆるやユッサかな


新しき住まいを得てそ住み着くやシャガの花咲き通う道かな

藤の花緋色の牡丹蔵ありし昔栄し街中の家

石により冬の貴婦人淋しきを星型の花回りに咲きぬ


原町のユッサは本物の温泉だった、この辺では温泉は湧かないからただ普通の水だと思っていた。となるとあの温泉はこの辺では貴重だとなる
この辺には温泉はないからだ。湯本から北はない。
それで今度できる新地の駅前の温泉も価値がある。
あれはまだ工事はじまらないからいつできるかわからない
ともかく本物の温泉にはこの辺では入れない、それで700円とか高くなっていたのである

庭にツツジが赤く新緑だった、あそこの庭ももっと見栄えのいいものにするといい
今回はつつじが咲いてそれが温泉とあっていたのである。
それが本物の温泉だということで価値が生れた
すいたときに入ってみてもいい、自分はあそこでは入ったことがない
700円は高いと思ったのである。でもこの辺では本物の温泉は近くで入れないから価値がある。

鹿島区の街中に白藤が咲いて緋色の牡丹が咲いた、その家に蔵があるということは古い家で昔栄えた家もしれない、一方でこの辺では新しい住宅地が広がった
ダイユーエートの近くにも新しい住宅地が生れた、それは比較的安い建て売りである。
2300万円とかで売り出している、それでも日本の家は高すぎるのである。

今家建ててるなんちゃらホームもほとんどアブナイんやで上物で3000万なら 
純利益は1000万こえるんやでボウズ丸儲けなんや

これは本当かどうかわからないけどこうした内部情報というか実際にたずさわった人が言うとき信憑性がでてくる、そんなにもうけるから日本の家は高いとなる
ただ建て売りは土地こみだから高くなる、あそこの土地は500万くらいしていたからだ
するとそれほど高いとは言えない、他は高級住宅街となった、三つくらいそういう街が生れた

そこにシャガの花が咲くというとき街として見るとまた不思議に感じる
シャガの花は山の村のようなところに咲くのがあっていると思ったからである。
でも街の中に咲いてもそれなりの情緒が生れていた
仮設にはやはり庭でも何でも仮の宿で落ち着かないしにあわない
でも一旦庭ある家に住むと落ち着いてここに住み暮らすんだなとみる

なんか毎日街を回りを見て歩く、遠くに旅しないと回りを良くみる
白藤に緋色の牡丹が咲いていた家は古い家なのだろう
蔵がある家は古い家である。街中にはあまりないからである。
なんらか昔なら街中でも栄えていた家があっても不思議ではない

いづれにしろこれだけ新しい家ができたことの変化もまた驚きである。
この辺はほとんど変化がない世界だったからである。
西町の70坪700万円の土地が売られていたがいつまでも売れることもなかった
それが次々に新しい家が建ち新しい街ができてゆくことには驚きである。
それは別に悪いことではない、特にいい庭に花が咲いていると鑑賞できるからいいのである。つまり家でも庭が整備されてきれいであり花が咲いていると街全体の美観が良くなるのである。
街中でも郊外でも今の時期は花めぐりするのがいい、今が一番花が映える季節だからである。

2017年05月07日

庭の石の意味するもの(詩) (震災以後変化した街の様子)


庭の石の意味するもの(詩)

(震災以後変化した街の様子)
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これは原町だけどこの石は大きいし貫祿がありいい石である。
石にも個性がある、この石は見ていると心も落ち着く
これも新しく建った家のなである

庭の石の意味するもの

一つの石が据えられる
動かぬ石が据えられる
それはこの土地に生きる標
そして庭に花が咲く
赤いつつじが燃えるように咲く
その石の陰にひっそりと咲く
冬の貴婦人は目だたずに
また新しい家が建ち
ここに住む人がいてシャガの花が咲く
一つの石は定着する意志
ここに生きようとする意志
ここに根を張る意志
木を植えるのもまた同じ
土地に根を張り育ち花が咲く
人のいない空家に残る石
その石が淋しいのは
そこに生きる人がいなくなり
そこに人の生きる意志がなくなったから

庭というときその意味するものは何か?それはやはり思想がある。
庭作りするとき必ず石をすえるとき石は何を意味しているのか?
石は定着するその土地に生きようとする意志なのである。

この辺で不思議なのは次々に新しい家が建ち人が移ってくる
その人たちはここに前から住んでいる人ではないだろう
いくら津浪の被害があってもこんなに家が建てられないからである。
アパートに大東建託もまだ建てられている、15棟くらいある。
これにも驚きである。そんなに入る人がいるのかとなるからだ
いわきナンバーが多いときやはり浪江とか大熊とかでも移ってきている人がいるからだろう。復興住宅も浪江の人がほとんどだからである。

仮設になると庭もないしそこに仮りにいるというだけになる、でも一軒の家を建て庭に石をすえるとここに定着して住むとみる
だからこうして新しい家を見ているのが不思議だとなる
この辺はほとんど変わらない町だったからである。
いつまでも西町の70坪700万円の土地は売れていなかったのである。
それがたちまちに一つの新しい街に変貌したのである。

一方で小高区とか浪江町でもそこは家が空家になり人が住まなくなった
人が住まないと家も死んでゆくし街も死んでゆく
それは近くに人が住まなくなった家がある、その庭は結構いい庭なのである。
でもその石を見ているとなんとも淋しいのである。
石が淋しく感じるというのも不思議である。
つまり庭に据えられた石は人間になっていたのである。
それは自然の石とはまた違っていたのである。
だから人が住まなくなったとき余計に淋しものを感じたのである。
あそこの家は時々帰ってきてはいるから何なのかわからない
連休には車で帰ってきていたが日頃は誰も住んでいない空家である
だから完全に空家ともいえないのかもしれない。

ともかくこの辺の不思議は原町とか鹿島にはこうして新しい家が次々に建っている
原町は広いからもっと建っているだろう。復興住宅でも規模が桁違いだとなる
だから人口は南相馬市で6万くらいになっていても減っていても実際の人口は違う、
まだ除染でも工事関係者も来ているし外から浪江からなど入って来た人か多いから
一万くらいは南相馬市の人口になっていない、だから7万くらいあった元の人口とさほど変わらないかもしれないのである。
鹿島区になると人口も一万となるとさほど変わりないしスーパーも二つできて良くなっている
コモドインなどホテルも小池にできたことは何か都会化したなと思う
一万といっても外からきて住民登録していな人がかなりいるとなると1万より1000人なのかわからないが多くなっている
やはり人口でその市町村の規模を見るとわかりやすい。

とにかくこんなに大きな変化を経験することはなかなかないことだろう。
小高とか浪江とか避難区域になったところはこの逆であり極端な変化になった
家が空家だらけで街がゴーストタウンのようになっている
その差が大きすぎるのである。だから原町とか鹿島とか相馬市でも新地でも金のある人は家を建てているのである。
するとますます小高とか浪江とかに帰らない人が多くなる
何かそういう大きな変化にとまどってしまう。
ただ原町とか鹿島は避難区域となったところとは違い今は街自体は影響を受けていないのである。




2017年05月08日

なぜ原発事故で若い人は流出したのか? (郷土愛が希薄化した結果?)


なぜ原発事故で若い人は流出したのか?

(郷土愛が希薄化した結果?)

そこがどんなに寒く、どんなに乾燥し、どんなに湿潤な土地であろうともいやなのもはそこを去りそこを愛するものだけがそこに残って作った共同体を愛するものである。それが郷土愛であり祖国愛の源流だろう。

風土と郷土愛-藤井昭二


●自然環境(真善美)

●風土性

●家族(愛)

●郷土の人間関係(協力関係)

●豊かな暮らし(利便性)


この人の考察では自然条件がどんなに厳しくてもそこに人間は住んでいる、黄土高原のヤオトンなどもそうである。草木も生えていないような所に良く住んでいられるとなる
砂漠に住む人でもシベリアでも自然条件の厳しい所に人は住んでいる
そこに住んでいるのはその土地を愛しているというよりそこに住まざるをえないからだろう。

自然環境とか風土性で培われるものがある。それが文化文明を作ったというのもそうである。宗教でも一神教が生れたのは砂漠からである、それはイスラムでも共通している
世界を見ると日本のように山が木で覆われているのは少ない、木もない山も多い、
砂漠の山などもそうである。シナイ山といわれる所も木がない岩山である。
だから住むには厳しいとなる、日本ではそういう点では恵まれている

風土性は人間に大きく影響する、福島県でもハマ、ナカ、アイズでまるっきり風土が違う気候が全く違っている、福島市とかは夏は盆地で暑いからいやだとなる
阿武隈高原を越えると涼しい風が海から吹いてきてほっとした。
何か熱風の中から出てきた感じにもなった。
だから福島市には住みたくないし他にも会津も冬になると雪に埋もれるから住みたくない浜通りのいい点は寒からず暑からずなことである。
だから天候からすれば浜通りは老後のおすすめの場所であり浜通りに住みたいという人はいたし現実にいたのである。
老後を会津とか北海道を選ぶのは気候の厳しさを知らないからだとなる
体の弱い人は住めない、老人には住みにくいとなる
ただそこに住んでいる人はその風土に慣れているから住めるともなる

そもそもその土地が悪条件でも住むというとき郷土愛の前に家族愛というのは誰でももっているから家族がいれば住むとなる、ただ家族に冷たくされたというとき故郷に帰りたくないという人もいる、駅では東京などに出て行った人が女性でも帰ってくる、その時なつかしいとなるときまず家族に両親とかに会えることなのである。
駅では母親が待っていたりするからである。
自分も郷土愛というとき家族がいて家族の元に帰れるということであった
自然とか郷土の人間関係など全く関係なかったのである。
自然とか考えるようになったのはその後のことである。
自分は都会は向いていなかったからである。人ごみとか騒音の環境を嫌悪することがあったからだ

だから今原発事故で郷土から流出した若い人々は飯館村などでも回りの監視状態の人間関係から離れて福島市とか都会で暮らす方がいいとなっている
田舎の人間関係は相互監視状態になっていて窮屈なのである。
そして今は田舎でもみんな農民ではないから共同性も希薄化している
そうなると家族愛となると別に郷土にあるわけではない、どこに住んでも家族が入れば家族愛があるから郷土にこだわる必要がない
むしろ現代は豊かな暮らし利便性が優先されるとなる

だから石川啄木があれほど望郷になったのか不思議だとなる、それほど田舎で暮らしている人に自然への思いはない、自然の美にしても普通の人は農民でも意識しない
むしろ農民だったら苦労だけを言う、ただ自分のように外から見ていると楽だから自然の中に暮らしていることはいいとなる
現代は特に郷土と結びつけるものが希薄化している、だから原発事故で放射能問題があっても若い人たちはこれを契機にかえって流出したのかとなる
ただ老人は郷土に愛着があり残ったとなる
だから自然条件の厳しい所に住んでいるのは郷土愛とは限らないのである。
郷土を嫌っていてもしかたなくいるという人も多いのである。
それよりそういう外の世界を知らない時代はそこに住むほかないとなる

自分が自然環境を重んじるというとき自然の中にロゴスを形成する、アイディンティティ化するものとして追求してきた。そこに精神の調和と形成を求めてきた。
東京とかなると完全にロゴスは崩壊している、無秩序の世界、混沌の世界でありそこに精神の安定はえられない、だから良くあんなところに正常でいられるなと思う
そこに住むことができること自体異常になっているのかとも思うのである。

いづれにしろこの辺で原発を誘致したのも利便性でり豊かな暮らしをしたいためである。郷土愛というより利便性とか豊かさを求めることが強かったのである
逆に山尾三省の不思議は異常に自然環境、風土性を求めていたのである。
それを自ら実践したのである、なんでそこでするのか?
それは演技であり貧乏をショー化するようにも見えたのである。
何か現代はかえって不自然に見えてしまっていたのである。
田舎でも山尾三省のような人はいない、みんな利便性と豊かさを求めている
だから原発事故で放射能の被害もあるがそれだけではない利便性と豊かさを求めてまた田舎の人間関係のわずらわしさを嫌ってこの際都会に出た方がいいともなったともいえる
つまりすべてが原発事故が原因だったとはならないのである。
郷土愛が希薄化した結果として流出したともなる
もし山尾三省のような人がいたらそうはならなかったことは確かだからである。

つまりいい家をもちたい、いい車をもちたい、うまもいものを食べたい、・・・
そうした欲望が限りなくありそうなった、立派な家を借金してまで建てているとか
いい車に乗っているとか漁師は原発の補償金で事故前からぜいたくしていたし原発御殿と言われる家を建てていたり何か欲望のためには何でもするともなっていたのである。
それは別に漁師だけではないみんなそうだったのてある。それが現代の生活でありどこでも同じである。
ある人は見栄のために事業を成功していたとか装っていたけど借金していたのである。
借金してまで自分を良く見せる、そのためにはどんなことでもするというのが現状なのである。
お前も同じじゃないかといえばうまいものは食べたいというのはそうである。
でも家はあるし車はもっていないからそういう贅沢は求めていない
だから山尾三省と比べるとあまりにも違いすぎるのである。
ただパンが贅沢だとなると誰も今の世の中には受け入れられないのである。

山に還る
その山がたとえチェルノブエリの灰に汚染されているとしても
わたくしには他に還るところがないのだから

この人の不思議は別に原子力発電とか放射能の被害にあったように書いているのだ
老人はまさにこういう心境だから故郷に帰りたいとなっているのだ
若い人たちはそうはならない、若い母親だったら放射能の怖さが優先される
そこに世代が分離して老人だけが故郷に取り残されたとなったのである。


posted by 老鶯 at 09:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

山の変容(abstract pictures-many transformed mountains)


山の変容(abstract pictures-many transformed mountains) 


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a brige on the height of mountain

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a mysterious fortress(謎の要塞)


これらの山々の変化は一つのパタ-ン化したソフトの使い方でできる
それは創作とも違う、ただソフトでそうなるようにできているからだ
だからソフトの使い方を知ればいくらでもできるとなる

山というのは普通はこんなものと普通は見ていないし見れない、でもこういう山の変化があるのもしれない、それを実際の山では見れないのかもしれない
光の加減でそういう変化が起きているけど山はそんなに見ることができない
それで不思議だとなる

When it is possible plenty if I know how to use software because it which it is possible for by how to use software that the change of these mountains became one puttered is the body which there is to be only soft, and to be so which is different from the creation, it is

Though such a change is up in the trick of the light which may not watch it which it does not become known to that but there is the change of such a mountain not to usually consider that mountains do not usually come, and not to be able to watch in the real mountain, in the mountain, it is in it which I cannot watch so if mysterious

2017年05月09日

高齢化社会の課題 健康、金、暇、介護やボランティアの問題など?


高齢化社会の課題


健康、金、暇、介護やボランティアの問題など?


高齢化社会というのはそれは世界的に起きている、中国でも起きている、中国は最も高齢化で影響を受ける、世界で一番の高齢化社会になるからだ、その用意もされていない、年金もなくてもう子供も援助しないなど自殺までしていることが問題になっている
人類は高齢化社会を経験していない、60くらいまで死んでいれば高齢化の問題は起きていない、80以上になると起きてくる

高齢化で問題になるのが金であり暇であり健康である。何か異常なほどの健康ブームになっているのは老人は健康を気づかうからである。
健康だけが関心の人もいるだろう。何か自分も病気になったせいもあるが健康を気にするだから食べ物とかも気にしている、今までは食べ物など気にしていなかった
もちろんその時は与えられたものを食べているだけだったこともある
自分で買って料理するとなれば食べ物を気にかけるようになる
とにかく買うものでも料理するとき種類が多すぎて困るのである。
だからなるべく買ってすませるようになる

高齢化の課題で一番の問題は健康である。まず60代以降健康がそこなわれたら高齢化社会の脱落者になる、でも60代以降病気になる人が多い、重篤なものになるともう急速に老いて普通の生活すらできなくなる、そういう人も近くにいる
そして死ぬ人も次々にでてくる、高齢化社会をのりきることは健康の面でも容易ではないなんらかどうしても体が弱ってくるからだ
ただ高齢化に備えるといってもむずかしいものがある。
人生そのものの積み重ねたものが結果として現れるのが健康面である程度そうであり精神面でもそうである。
だから老人になってから何かできるとか変わることができないのである。

老人にとって金があることも大事である。でも金だけではない意外と暇の問題がある。
高齢化社会とは暇が時間が増えるということである。
それは予測されていないしそれに備えることも簡単にできない
なぜなら趣味でも何でも人間はこれまで生きた延長としてしか生きられないからである。知識だって凡人は積み重ねであり何かを積み重ねて行けば詳しくなれる
それをしてないものはすぐに何か年取ったから理解するようにはならない
ただそうして積み重ねてきたものがあると老人になると理解が深まる
なんか自分は詩でも理解できないが今になると深く理解できる
芸術そのものが何でも理解する、鑑賞すること自体がむずかしいのである。

退職すると暇になりその暇になることが意外と苦しむ、それがボケに通じることもあるかもしれない、駅に毎日行っていると近くの人が自動販売機のジュースを飲みにくる、その人は80近いのか年齢はわからない、目がとろんとして反応が悪い、目が死んでいるのだ。こういう人はボケてくのかという不安がある
そして今なぜシニアのボランティアが人気になるかというとシニアは暇であり生きがいを探しているのである。そういう人が本当に多いのである。
でもボランティアも簡単に誰にでもできるものではない、その人の向いたものではないと長続きしないだろう。
でも何か生きがいがないと老人は目も死んでだんだん生きながら廃人のようになる恐怖がある。だから老後は生きがいが意外と大事である。
それは金でも得られないものである。生きがいを簡単に金では買いないからである。

金にならなくても何か生きがいをもつ必要がある。知り合いの女性は農業が好きだから小さな畑でしている、それは農家の出でありその人は農業が好きだからしている
金にもならないしかえって金がかかっているのである。
でもそれでも生きがいとしてはいい、自分が駅に行ってボランティアしているのもそうである。これは別に無人駅でも困らないがでも何か用がありしている
駅は実際にかかわると本当に不思議な場所であり様々な人が人生が交差する場であることを発見したのである。
つまり老後になっても新しく発見することがある、それはボランティアでもそうである。ボランティアを通じて発見するものがある、人との交わりから得られるものがある
老後は利益を追求するより生きがいを追求することになるからだ

自分も介護しているとき関心が介護する人に向く、ひどいのになると24時間も介護する人につききりになる、それは肉体的なものだけではなく、精神的に常に介護する人に向けられていたことにきづいた、今は関心がいろいろな方向に向くようになることになってわかった、だから介護というのは社会からも隔絶されるし社会との関わりもなくなってしまう危険がある。介護はだから相当な労力の無駄にもなる
自分の場合は介護することがカルマだと自覚していたからしていた
それにしても十年となると長かったなとなる、十年一昔になるからだ
この介護の問題も高齢化社会の大きな課題である、介護殺人が次々に起きていることでもわかる、老後が介護になったときその介護でエネルギーを消耗してしまうことにもなる
すると老後の時間を有効に活かせないのである。

生きがいがないというときそれがボケに通じることが怖いのである。
自分の家族の一人は退職してから何もしていない、食事すら用意するものがいてしていない、そのうちボケたのはそういう原因もあったことは確かである。
一人は100歳まで生きたが確かに寝たきりになってからはボケていたがそれまではボケなかったのである。
それは火事を93才頃までしていたからである。趣味もなにもない女性だったけど家事をしていたからボケなかったのかとなる
一方食事を用意されていた何もしない女性はボケたのである。
田から一見働いている人がひどいな苦しいなと見るが何もしないで与えられた人が実はボケたから見方が変わる
つまり生きがいがないという今年後とがなくなることそれがボケに通じるから怖いのである。

駅で目が死んでいる、ぼやーとしている老人はもう死んでいるのかもしれない、そういう老人も多くなっているかもしれない、暇だから南相馬市のパークゴルフ場に百人もいたのには驚いた、この辺は他より10パーセント老人が多いからである。
ただ若い人は駅では会う、子供にも会う、駅は世代間でもそうだがいろいろな人が出入りして会う場所なことに気づいたのである。
今は病院だったらほとんど老人である、子供は学校であり、仕事している人は会社でありみんなばらばらでありそうした人たちとは会わないでも駅ではそういう様々な人が交差しているのである。
だから駅は意外と面白い場所だなと気づいたのである。
だから介護が終わったから駅のボランティアは面白いことに気づいてしている

自分は他にいろいろしているがパソコンの抽象画も発見したことである。これもありえないようなことである。これが芸術なのかともなるがやはりパソコンから生れた芸術なのである。絵が描けなくても絵を楽しめるからだ、これもパソコンをしていたからできたことである。
つまり人間は年をとっても新しいものを発見することができる、また発見することが大事なのである。それは人によって違うものになる
なんか自分は鉄道の旅が長いから鉄道に思い入れがある。

でも鉄道を利用してただ乗客になっているのと駅でボランティアしているのとは全く違ったものだった、だからこれも不思議だった、人間は何でもそうだけどサービスを提供するものと受けるものとは違う、サービスを与えるものは奴隷だとなるがでも与える方でも学ぶものがある、与えられているだけでは社会のことも何もわからないのてある。
いづれにしろ老後の問題はすでに若いときからはじまっているから備えることがむずかしい、金は備えても今度は老後をどうすごすかとなると用意はできないからだ
ただ健康などもある程度備えることができる
自分の場合は学校にも社会にも適合できない、でもそうして自由にしていたから運動をかなりしていてそれが良かったのかとなる、デスクワークなどばかりしていたら体に悪い
からだ

いづれにし老後に備えるとしても金だけではない、今50代でも未婚率が異常に高くなっているとかありこういう人は自分と同じように老後に備えていないのである。
自分がそのことを書いたけど本当に家族がないことがいかに悲惨なことになるか
それを予測していないからのんびりしているのである。
病気なにったらもう地獄である。介護になってもそうである。
頼るものがない、頼るのは誰もいない、そして自分が書いたように頼った人は金しか求めない、病気の時もそうであり介護でもそうである。その時どういうことになるのか?
それは本当にそら恐ろしいことなのである。

ただ人間はとてもあらゆることに老後に備えることはできない、何かしら欠けてくる
だから高齢化社会をのりきることはいかに大変なことかわかる
しかしそれがみんなに課せられている時代なのである。
高齢化社会は確かに負の面も大きいのだけどもし人類がこの課題をのりきれば大きな進歩なことは確かである、それがプラスに作用すれば人類の大きな進歩になる
なぜならそれは何か技術的なものではなく精神的な面が大きいからである。
生きがいを求めるということもそうである。それは金だげではない、精神的な要素が大きいからである。

今日の鹿島駅 「鉄道詩紀行ーきむらけん」から読む駅の不思議


今日の鹿島駅


「鉄道詩紀行ーきむらけん」から読む駅の不思議


鉄道の保守管理の人が定期的に回って見ている、前も盲人の歩む黄色のブロックを見て直した、盲人というとき一人が定期的に通っている、でも向かい側には行かない
だから危険というものでもないが電車に乗る時は多少危険になる
ただ車掌が見ていて確認している
駅で盲人を見るのは定期的に通っている人だけである。
でも一人でもいれば整備する義務がある、法律でも決まっているのだ
でもいつも思うことは盲人が利用するのは田舎ではほとんど見ないのである。
そのために黄色のブロックを作るのは贅沢なようでもそれだけ障害者のために金を使う労力を使うことは弱者に配慮した社会だとなる
ただ現代は盲人でも車だとか電車でも危険が多すぎる、人とぶつかるくらいならいいが
車とか電車は危険になる、だから盲人にとっては危険が多い社会である

今日きた人は相馬の天の粒という品種の米作りに関係している人だった、その人は話しなかった、話する人としない人がいる、ただパンフレットのようなものを見た
そこに天の粒とあったからである。それをインターネットで調べたらずいぶん出てきた
天の粒は外国まで売り出して相当に宣伝している
相馬の米として売り出しているのである。これは品種改良したもので相馬のブランド米として売り出しているのである。ただその人は何もしゃべらなかった。

それからまた四人くらい保守点検に来ていた、定期的に来ている、それから原町の駅員がきてホームのトイレに何か置いた、そして燕が巣を作っていたのを壊してそこに巣を作れないように網をかぶせた
自分が燕の糞を掃除したから汚れるから撤去したのである。
定期的に原町の駅員が回ってみている、何かこうして仕事がある
無人駅でも定期的に見回ることが必要になる

無人駅でも困らないにしても何かそこに人間の手が必要になる、そして何か話したりすると人間的になる、ただ普通は駅で話したりしないので話さない人もいる
ただ駅には必ず待つ時間がありそこで何かしら話するということがある
その待つ時間が人間的なものを駅に作り出しているのである。

今日は岩沼から来た老夫婦がいた、その人は電車に乗ったことがないで乗り方がわからなくなっていた、本当に電車の乗り方すらわからなくなっている人が意外と多い
それだけ電車というのは乗らないものになったということである。
車社会になったということである。電車の乗り方がわからないなどありえいことだったからである。その人は町中でまた会った、自分の家の近くに来ていたのである。

ともかくいろんな人が行き来している、駅の面白さはそこにある。
もちろん話せる人とできない人がいる、だからなぜ来ているのかわからない人もいる
でもこの街に駅に来たということは縁であり何かが記憶されるのかもしれない。
ただ自分も鉄をとでずいぶん旅したけど駅でも待っていたけどそこで土地の人となど話したことがないから普通は話などしない
でも駅はただ通過する場所ではないことに気づいた、駅で待つ時間も何か旅していたら印象として残すべきものである。それで撮り鉄は駅舎の写真をとるのである。
ただ写真ばかりでも記憶に残るとはならない、写真で残して思い出すこともあるが人間はともかく忘れやすいのである。

駅というのはほんの一時でも何かを人が残してゆく場でもある。そういう人々が交差して電車を待っていることは駅に人生も交差している、そういう場所は今はなかなかない
そういう世代を問わず職業問わず貧富も問わず地域も問わず近くでも遠方のものでも交わるという場は意外とない、子供と子供が交わる場は学校である。病人と病人が交わる場は病院である。仕事として交わる場が会社である。
ではそういうものを越えて交わる場というものが現代にはないのである

だから駅というのはみんな気づいていないが不思議な場所なのだ
それに気づいたのは駅員のボランティアしてみてわかった
旅しても駅はやはり通りすぎるだけであるが駅にいて案内したり見送ったりしていると何か駅が人間的交流の場であることに気づいたのである

人が出会い、そして別れる場である、ときめきがあり、悲しみがある
その駅には様々な人が混ざりあっている、裕福な人もいればホームレスもいる、健康な人もいれば病んでいる人もいる、
いわば停車場は人の博物館だ
(日本鉄道詩紀行ーきむらけん)

待合室の長椅子の
ビロードの
毛の中に
魂のかけらを
みんな忘れてゆく停車場である。(小熊秀雄)

この本は鉄道好きな人には相当に奥深いものを読み込んでいる、停車場は人の博物館だーまさにこれを感じた、ただ停車場というときそれは昔の感覚である。
その時はさらに駅は人間臭いものがあったからだ、そしてその時代は鉄道が最盛期であり人が駅に集まっていた時である。だから駅が最も熱気があったし駅前通りができたのもそのためである。
だからその時代なら余計にそうなる、薄荷(はっか)の匂いがするというときそのことなのだろう。小熊秀雄は北海道の出身だから薄荷の博物館が北見にあるからなじみのものだった

魂のかけらを
みんな忘れてゆく停車場である

ここが駅の不思議だったのである。一時であれ何かしらその人のたましいのかけらを駅に残してゆく、地元の人も利用するから遠方の人が駅にいるのとはまた違っている
でも駅には様々な人が行き来している、地元の人でもそうである。そういう場所が今は意外とないのである。病院だったら病人と老人がほとんどでありいろいろな世代の人とは会わないのである。学校だったら子供だけとかそういうことが多いのが現代である。
だから田舎駅ですらいろんな人が行き来していることが違っている
そこに駅の魅力を作り出している、一時でもそれぞれ多様な人々が魂のかけらを残してゆくのである。

駅にさす花を入れ換え様々な人出入りして今日もすぎゆく

ともかく駅にかかわることはそこが無人駅であっても人間的なものを付与される、そこに人間がいなければそうはならない、ただ機械がロボットがいるだけになる
機械やロボットはその人間的なものを嗅ぎ取ることはできないのである。
そこに人間がいてはじめて嗅ぎ取ることができる

実際に駅にはどこでも今や監視カメラがあり犯罪者がつかまえられたというから驚きである。田舎の駅でも監視カメラがどこにあるかわからない、監視社会なのである。駅には犯罪者もいるし変な人もいる、がらの悪い人もいるしそっち系の人もいる
つまり本当に人間の博物館になっているのが駅なのである。
でも監視カメラであれ機械がいくら精巧になっても人間的なものは人間しか感じることができないし作り出すことができないのである。

参考にした本(日本鉄道詩紀行ーきむらけん)




2017年05月10日

原発事故が現代に問うたもの (苦闘に生きて死んだ戦前の農民ー猪狩満直など)


原発事故が現代に問うたもの

(苦闘に生きて死んだ戦前の農民ー猪狩満直など)

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そもそも自分は農民でもないしまずそうした戦前のどん底の貧乏の農民を理解できない
また戦争で死んだ人たちの苦しみも理解できない、何か理解するというとき同じような体験をしたとき理解できる
ある人は10年夫を介護していた、その時自分も介護していた
でも話したこともないから自分も相手のことは知らないからその苦労も知らない
だから相手も無関心だったし自分も無関心だったのである。
ただ互いにそのことを知ったとき同情しあわたのである。

貧乏でも貧乏を体験しない人はいくら本を読んだとしても理解できないのである。
何かをそのことをイメージしようとしても甘いものとなりできない
だから昔でも歴史でも常に人間は今の生活からしかイメージできないのである。
そこに錯覚が生れる、過去は何か今の生活からみるといい面だけを見るようになる
今からすると自然環境は良かったから昔の方がいいとかなる
でも現実にそこに暮らす人は食うや食わずだったとなりこんな所嫌だとなる
タイムマシンに乗って過去にさかのぼればそうなってしまう
そこは今から比べるとあまりにも過酷な世界なのである。

北海道の開拓にしてもあまりにも過酷でありだから
火のような呪いがあると満直が詩にした、そういうことばぎりぎりの生きる死ぬかのなかで生れた言葉である。普通呪うなどあからさまに言わないからである。
そこまで厳しい生活だったということである。
それは観念的には全く理解できない世界である。

戦争というのも何か美化するようになるけどあまりにも過酷な経験である。
だから姉は従軍看護婦として赤紙一枚で戦地に送られた
四年間シンガポールに今のマレーシアのジョホールバルで過ごした
死ぬときまで何かうなされるようにしてそのことを語りつづけていたのである。
それだけ忘れられない過酷な経験だったからそうなった
そういう過酷さをもう楽な生活をしている現代人には理解できないのである。
もちろん現代には現代の苦しさがありそのことを訴える
でもその時代の過酷さはとても現代では理解できないのである。

だからそういう人たちのことを書くとなると体験がないから書けないとなる
ただ原発事故でそういう農民であれそのことが何を今に語るのかと問われた
今は農業は辛いし金にならないからと常に否定的になり誰も跡も継ぎたくないとなった
親から農業だけはやるなと殴られたとしてその人は原発や建築現場で働いた
猪狩満直の時代はそもそも農業しか仕事がなかった
わざわざ北海道のような所に開拓には入らないが戦前までみんな農業しか仕事がない
そのことが戦争の原因にもなっていたのである。
満州に日本が進出したのは広大な土地を得て農業するためだったのである。
それであの寒い地で米まで作ろうとしていたのである。
農業には土地が必要だから満州に進出したのである。
その後も戦争が終わってもブラジルとかに移民したのも農業するためだった

ところが日本が工業化してゆくと農業に従事する人はどんどん減っていった、今や一割にもみたないし全体の生産額でもそうである。
そういう時代になると誰でも金になる仕事につきたいとなり会社勤めになる
田舎でもほとんど会社員であり農業だけで暮らしている人は一割にも満たないのである。だから人間は時代に適合して生きざるをえない
だから奇妙なのは山尾三省のようになるとパンも食べないとかなるとそれは何なのだ
テレビで良くやる貧乏を見せるための演技なのかとなる
この豊かな時代にパンも食べないとか食べるなとか何なのだとかかえって批判される
そんなことを受け入れる人は今の時代にはいないからである。

山尾三省と猪狩満直とか三野混沌などと昔の農民と比べるとまるで違ったものである。
それはまず観念的に自然と共生する思想があってそういう貧乏な生活を試みたのである。一方で猪狩満直とか三野混沌などはただぎりぎりで必死に貧乏を生きざるをえなかったのである。だからその貧乏を呪うとまでなっていた
それほど過酷だったからである。
自分もまた自然とか農業でも観念的に見ているのである。

では現代にそういう過酷な過去を生きた人たちは何を問うのかとなる
原発周辺はあまりにもその逆だったのである。
漁師は漁師で海を漁業権を売り渡して原発御殿を建てて贅沢していたし
飽くことなく現代の贅沢を求めていた、その欲は限りないものとなっていた
それはもう手段を問わないのである。原発が金になるならいい、それで景気が良くなるならいいとしかないのである。
借金して家を立派な家を建てる人が本当に多い時代である。
借金してまで贅沢したいのが現代である。猪狩満直は粗末な小屋に住んでいた
食うや食わずの生活だった、そういう農民が多いのが戦前だった
その生活の差があまりにも大きいものだった

だからそういう昔の人たちは現代の生活をみてどう思うのかとなる
この生活は何なのだと思うだろう、俺は食うや食わずで最後は病気で死んだ
ここの暮らしは何なのだ、こんな世界がありうるのかとなってしまう。
今から過去へイメージすることは現実にあったことだし一応記録もあるからイメージはできる、でもまた未来となるとこれはイメージできないのである。
ただ農業というのが楽ではないことは変わっていないのである

でも趣味でやっている人がいくら苦労を言ってもそれで生活するわけでもいな、みんなスーパーで買って暮らしている、野菜でもそうである。
だから金なくしては野菜も買えないし暮らしていけないのである。
それにしても人間の不思議はそんなぎりぎりの生活でも希望をもっていたということである。
余りにも満たされた生活では人間は自堕落になり希望すら失うというのも逆説なのか?

原発事故で避難した人たちが苦しいというけども毎日パチンコとかギャンブルしている人がどこが苦しいのかとなる、その人たちに言い分があってもそうである。
6年間はほとんど遊び暮らす楽な暮らしだったなと見るのである。
それは過去の過酷な生活を比べることやシリア難民とかと比べることはできない
それにしても自分は介護していたしその回りでも苦労していた人たちはいる
それを自分たちのみが苦しいと訴えていたのも納得いかなかったのである。
そしてなぜ同情しないのかと怒りになっているのも納得いかなかったのである。

その前にそもそも原発を誘致して贅沢をしたいということがありそれが事故となり漁業でも農業そのものもを破壊されてしまったとなる
その農業などでも飯館村などでは回復不可能にもなっている
水さえ飲めないとまでなっている、それは何なのだろうとなる
そして若い人が流出してもう町も村も維持できない状態になっている
飯館村ではこのままでは1000人くらいになるという、それも老人の割合が半分以上だからどうして村が維持できるのかという深刻な状態に将来なる
そこには希望もなにもなくなってしまうのである。

どんな時でも 仲間よ
俺たちは俺たちの瞳のような子供のあることを忘れはしないだろう
どんなときでも 仲間よ
俺たちは新しい地を継ぐ子供のあることを忘れはしないんだ
(仲間よ、俺たちは戦っている)

俺たちは俺たちの瞳のような子供のあることを忘れはしないだろう

これは何か生きる子供の純粋な気持ちをもちつづけることであり
そして新しい地を受け継ぐ子供のあることとは何なのか?
そういうふうに親が苦労して生きていたときそのことを子供は知っていて受け継ぐ
だからそういう過酷な状態でも人間は希望だけは持ち続ける

一方で農業だけはやるなと親に殴られた人は親になり原発で働いて豊かになってもその地を受け継ぐ人がいなくなったのである。
双葉町では原発と未来を築く町としてあった、その未来は無惨に破壊されたのである。
だから過度な豊かさを求めてそれを得たとしてもそれが未来の希望になるとは限らないのである。
現実に子供たちはその地を受け継がないで去ってしまったということである。
子供が受け継ぐというときカルト宗教団体のうよなものも受け継がないだろう。
いづれその偽善にきづくからである。

だから不思議なのはそうした過酷な貧乏の中ででも人間は未来に希望をもっていたということである。その昔の過酷さと比べると原発事故はまた違った被害だけど楽だとはなる
でも若い人たちは次代を継ぐ人たちは去って行ってしまったのである。

どんな時でも 仲間よ

その仲間もみんなばらばらになって帰ってこなくなったのである。
どんなときという時というとき苦しい時でもとういことである。
それが家族ですらばらばらになり老人だけが故郷に取り残されたのである。
仲間といっても会社員の時代になると違うからそうなったともなる


参考にした本

猪狩満直と「移住民」-佐藤久弥著
posted by 老鶯 at 09:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2017年05月11日

浪江の山林火災で放射性量は上がっていた (常に隠蔽されるごまかす体質は変わらない)


浪江の山林火災で放射性量は上がっていた

(常に隠蔽されるごまかす体質は変わらない)



東京電力福島第1原発事故に伴う帰還困難区域に指定されている浪江町井手の十万山で起きた山林火災で、 
県は9日、周辺3カ所で8日測定した大気中を浮遊するちりの放射性セシウム137の濃度が前日の約3〜9倍に上がったと発表した。 

配信 2017年5月10日 

毎日新聞 続きは会員登録をしてご覧になれます 


浪江の山林火災で放射性物質が拡散して放射線量が上がった、やすらぎ荘で9マイクロシーベルとになっている、これは今だと高いとなる
そもそも飯館村でもあれだけ高かったのに草野で7マイクロシーベルくらいあったのにその半分以下とかなっている、0・5とかになっている
それがなぜなのか?除染した結果なのか?
ただ森の中は3マイクロとかありそれは変わっていない、森の周辺の樹木を切って除染した。でも森があるとそこから放射性物質が流出する
山林の放射性物質の放射線量は変わりない

放射性物質は減るのはセシウムだったら30年後でありその間減らない、ただ除染すれば減る、でも山林は除染できないことで浪江の山林火災でまた放射性物質が拡散した
除染するにはどうするのかというと泥ととか土についているからそれを除去する
溜池を今は泥と水を分離して除染している
でも回りから放射性物質の泥がまた流れてくると同じになる
それでも数学的には放射性物質が一定数ばらまかれたというときその一定数が変わらないその一定数を減らすには除染する他ないとなる

部屋の中の放射性物質は減らないのは除染できないからである。
屋根とかは洗い流して樋とか土にたまった放射性物質をとりのぞき減った
山林は除染できないからそこに一定数放射性物質が残存する
だからこれほどやっかいなものはないのである。

モニタリングポストの値は下の土をとったりして設置されているし低い、モニタリングポストの近くでも倍とかありだから倍とかにして見ないとわからない
飯館村で0・5でも実際は1以上になっているから今では高いとなる
0・23以下が住める基準になっているからだ。

なんか放射性物質とか考えると数学的思考が身につくともなる、そもそも数値でしか計り得ようがないからだ。だからこの辺では放射能に興味をもつ子供でも若い人でもでてくることは確かである。現実にこれだけ被害があるからそれが直接かかわるからである。

原発の問題は浪江の山林火災でも同じようなことがおきた

放射性物質は拡散しないから安心してください

こうしたことが福島県の広報で発信された、原発も爆発したとき御用学者がメルトダウンはしていなとしきりに言っていたが嘘だった
今回も同じだった、真実を報道しないでただ安全です、安心してくださいという報道になったのである。
原発はこのうよに常に少しでも不安を与えることに異常に過敏なのである。
そこで真実の報道はおさえられ、安心です、安全ですという報道になる
それこそ「安全神話」を作ったことでもわかる
そして事故が起きるということも言えない、科学的合理的なことも追求されずねじまげられて報道される、そんなわからない危険なものには手を出すなとなる
原発にたずさわるもの科学者でも常におびえているからそうなっているのだ。
いくら安全を唱えても科学者でも不安がありそれでなんとか科学的合理的な追求ではなくごまかそうとする、それが原発にかかわるものの体質となっていたのである。

別に一部で放射線量が上がったとしてもそれを正直に発表すればそういうことはない、でも必ずごまかすからかえって信じられなくなりみんなを不安にととしいれているのであるかえってそのことが不安を拡大させている、不安になる人はその結果かえってふえる
不安になる人は東京でも九州辺りのペットボトルを飲むとかなる
そもそもモニタリングポストがその数値をごまかすものとして置かれていたのである。
だから何を信用していいかわからないのが原発だったのである。

つまり何か原発で起きるときメルトダウンはしないとか今回の火事でも放射性物質は拡散しなとか報道する、そういう体質は変わらなかった
だから今ある原発でも同じであり常に隠蔽されるし安全だ、安全だとごまかしてでも言っていなければならない、そこが原発の最大の問題だったのである。
そのことで拡散することを指摘した新聞社に謝罪させているというのも同じ体質である。
真実の報道をさせないのである。
原発の問題はそういうことが積もり積もって大事故につながっていたのである。
そもそも隠蔽されて真実が追求できないようになっていたからである。
「安全神話」つくれるほど強大な権力をもっていてタッグを組んでいたからできたことだったのである。




今日の鹿島駅 飯館村の人と小高の人と話する


今日の鹿島駅

飯館村の人と小高の人と話する


実家が鹿島にある女性が来ていた。そういう人は多い、町の変わりようなどを説明する
飯館の蕨平の人がまた来ていた、鹿島にある競輪の券の売り場にゆく、あそこには定期的に来る人がいる、タクシーで行くからそれなりに収入にはなる
あそこができるとき反対する人たちもいたがおしきられた、自分も反対の方だった
それでも仕事ができるとか人が集まるとかで賛成した
底辺で働く人はあそこで掃除の仕事ができるからいいとか言っていた
底辺だとそういう発想になるのだろう。だがらの悪い人も来る
でもこのギャンブルだけは人類からなくすことはできないだろう。
なぜ寺が博打場になったのか?寺銭が払われたのか?
これも何か人間の業みたいなものなのかもしれない、酒とかもそうでありやめることができない、貧乏なときは酒は栄養補給だったのだろう。
タバコもやめることができない、でも阿武隈山地は葉たばこで生活できていたのである。

飯館の人は今回は釣り竿を三本くらいもってきていた、釣りもしていたのである。
海の方だと満潮のときでないとだめだという、満潮の時期を新聞など調べて行くという。なんでも最近、ホッキガイとか牡蠣などもとれたという、松川浦の人は85歳で牡蠣を震災後も食べていた
その人も飯館村の放射線量が高いことを知っていても平気で飲んでいるという。
全然気にしていない、老人は関係ないんだよとなっているからだ
今回の放射能汚染で老人は影響を受けないのである。
だから避難しても帰るというとき故郷への住み慣れた所へ帰るということもあるが放射能をこのように全く気にしないことも原因しているのである。
確かに85歳なら放射能など関係なくなるからだ

飯館村では大きな川がないけど岩魚がとれるの?と聞いたらとれると言った
かえって細い川がいいんだよ、岩魚はそういう所を好む、岩魚を釣れる人は上級者だよと言っていた。
飯館村には大きな川がないのである。細流はある、自分がいつも行っていたのは大倉から峠を越えて飯館村に入る場所だった、そこには家が二三軒あったが一軒が廃屋になり
一軒が残っていた、その時そこは森につつまれていて人が通れる道があってもめったに通らない神秘的な場所だった、そこにはきれいな水が流れていて岩魚がひそんでいたというでもその岩魚を見ることはできない、今は舗装した道ができてその神秘的な森につつまれた細流はなくなった、でもその細流は今も流れている
ヤマメは橲原(じさばら)の水無川の上流の八木沢峠の麓の川に行くと深い淵があり泳いでいるのを見たことがある。
あそこは今は放射線量が高く避難区域になって空家になっている家がある

大石の裏にできたたるみや、岩の下にあるえぐれ、倒木などの障害物の周囲にできる緩流帯はイワナの好む緩い流れと隠れ場所を兼ね備えた高ポイントとなっている場合が多いのです。

水が少ない場所でも生きていけるように、歩くことができます。歩くと言っても、前びれを上手に使い、身体をくねくね動かして、水のない場所も移動します。

飯館村に住んでいる人に直接話を聞くことはなかなかできない、ただそこに住んでいる人は確実にその土地のことを知っているから聞いてみる必要がある。
山には山の暮らしがある。岩魚でもとれれば食料にもなるからだ
自分はそうして釣りとか農業に実際にたずさわらない、そこに自然をみるとき欠けたものになる、実際に釣りとか農業をすれば自然に直接接するから自然により深く知ることになる、それで釣りをしながら山村を歩く哲学者がいたということもうなづける
釣りは自然と接するものとして有効なのである。
ただ自分に釣りは向いていない、自然が好きとしてもじっとして待っているのが嫌なのである。何かすぐに動くのがいいのである。だから自転車で次々に回ってゆくとなる
でもそれも自然と接することなのだが釣りは明らかに自然と融合するものになる
ギャンブルよりは趣味としてはいいのである。

今日は小高の人にもあった、小高の人はやはり金をもっているのだろう。
その人は車がないので原町に良くタクシーで行っていたという、原町までタクシーで入ったら4000円くらいとられた、だからやはり小高の人は補償金で金が今はあるようだ
ただこれからは金が入ってこないのだからどうなるのかとなる
その人も老人だから働くつもりはない、そういう環境で働く気もなくなったのである。
でも働ける人は働いた方がいいよとか言っていたのも矛盾である。

そのうち小高に帰って住んでいる人が駅に来た、仮設の仲間だった人である。
その人は原町とか鹿島のスーパーでも買物に来ている
小高にはスーパーがないのだから買物に来る、鹿島でもキクチスーパーが新しくなりシシドスーパーもできたから買物はできる、シシドスーパは原町にはないからである。
シシドスーパーはもともと卸屋だから新鮮なものを売るから評判が良かったのである。
小高の人は今仮設に残っているのは一割くらいである。
いつまでいられるのか?まだまだいられるみたいだ
でもその人が言うには仲間が減るとやはり小高に帰る人も増えてくるという、仲間が残っているとまだ残る人がいるという、それも六年間もいて親しくなり仲間となったからである。

ともかく駅にいろいろな人が行き来して集まるのである。
山梨の人は弁護士の事務所で助手みたいなことをしているみたいだ
その人も定期的に通っている、事業をしていた人だから事業のことなど人を使っていたからそうした人事にも詳しいのである。
そして言っていることがまともなのである。補償金でもちゃっと使い道を決めさせて与えないとただ浪費するだけになるとか人にはそれぞれの生活があれその分を越えた金をもらうとどうなるか、金銭感覚が狂いその人の生活を乱してしまうというのもそうである。
思わぬ大金が入ってきていいようでもそれで贅沢して浪費して終わりになるしもう金があるからと働かなくなるというのもそうである
この辺は実際にそうなってしまったからである。
あの人は経営者として失敗してもそういう人事の経験を積んでいるからまともなことが言えるのだろう。
大阪の人は何でもあからさまに言うけど本当に相手を助けるときは本気で助けるという。そういうことはやはり様々な人を使っていたから人に詳しくなる
ただその人は裏切られてそのことがショックで人を信用できなくなったのである。
自分もそうなったから同じ経験をしたからその人のことを理解できるのである。

ともかく駅は様々な人が行き来して集まる場所なのである。
今日は南相馬市のリサイクルセンターの近くの会社の人も来ていた。
東京からは清水建設の人が三人くらい来た。
清水建設の事務所はまだ鹿島区にあるからだ
まだ外からの人も来ているのである。それで前より仙台を行き来する乗客が三倍に増えたというのもそのためである。

いづれにし老人が多く集まるというときこの辺は他より10パーセント65歳以上が多いのである。それと仮設に住んでいる人も老人が多かった、だから老人は暇だから川子のパークゴルフ場に百人もいたように暇な老人が集まるからそうなるのである。
ボランティアを求める人も退職した人が多い、この辺に小高でもまだボランティアが来ているからだ。それはどういうことかというとむしろその要望があるというよりボランティアをしたいという人の要望の方が大きいのである。
道路公団に勤めていた人は道の脇を何か探していたのもそうである。
道路公団に勤めていたからそういうことをしていたのである。
自分も介護が終わり余裕ができると関心がいろいろな方向に向く

この辺は実際は自然でも豊かであった。釣りをすれば魚の生態系とかに興味をもちひいては自然を深く理解することになるのである。
つまり旅をしなくてもこの辺はもともと自然が豊かだから発見がある
だからわからないことも多いのである。飯館村は広いからそうだった
隠された知らない細流が他にもあったとなるのである。










鶯、夏の月(里に老いる)


老鶯夏の月(里に老いる)


老鶯や共に老いゆく里のあれ

老鶯や堤の広く里暮れぬ

田の増えて蛙も増え鳴く夏の月


今日の夜は夏の満月である。そして鹿島区では田んぼが増えた、だから蛙が増えて鳴く声も騒がしくひびく、田んぼが増えると蛙ももどってくるのである。
去年よりもまた増えているから農業も相当復興している、ただ山の方は田んぼにしているのはまだ少ない、田畑でももう跡継ぎがない所は荒地のままでありそれは別に利用するようになる、大きな畑にした所は会社経営にするとか言っていた。
小高ではそうするというとき個人の家ではやれなくなっているからだ

横峰の堤は広々としている、そこに夏になれば老鶯が鳴く、夏鶯と老鶯の受ける感じは相当に違う、老鶯というときどうしても老いたなるから老人をイメージするのである。
だからこの俳句もできた、高齢化社会というのはこれからさらに社会の問題になる
そもそも高齢者多いということはそれだけ社会全体に圧迫する、人口圧力が大きくなる
すると社会全体が高齢化社会になるのだ。若い人は何かかえって目立たないのである。

団塊の世代は若いときは今とは全然違う、暴力的になったとしてもその若いエネルギーが社会に噴出していたのである。それだけ若い人が多く日本は若い社会だったとなる
高齢化社会になるとこれは未だ経験しないものであり社会自体が高齢者に老人基準になるのである。それは停滞した活力のない社会ともなるがまた反面落ち着いた社会とか今までにない社会になる。

老いゆくというときどうしても共に老いるということで長く住んだ所に老人は住みたいのである。老人になるとなかなか新しい場所でも知己でも得にくいのである。
ただ別に老人になってもかえって今まで知らない人とも交わるのも増えている
老人ホームに入ったらそこでは今まで知らない人たちが一緒に暮らしたりしているからである。

この辺は小高とか浪江とかの老人と知り合うようになったのもそうである。
普通だったらあまり交わらないからである。元の相馬藩内で人が交わるようになったのである。近くの仮設に住んでいるから当然そうなる

老いるというときやはり里に老いるというのが自然である。
その里というとき街ではない、田んぼとか畑とか自然な生活のある所である。
そうなるとこの辺でも原町とかなると大きな街になるから里とはならない
鹿島、小高はまわりが田畑がら一万くらいの町だと回りが里になっているのである。
だから原町とか相馬市に暮らすのとはまた違った感覚になるのだ

前にも詩にしたが森の樹々がともに年輪重ねて老木となりやがて森に倒れ木となり還ってゆくという感じになる、ともにそこに年月を重ねた木なのである。
そこに木の連帯感が生れていたのである。


老木の語ること(詩)
http://musubu2.sblo.jp/article/169729214.html
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