2017年04月21日

春ののどかな風景になごむ田舎 それが放射能災害で失われた悔しさ


春ののどかな風景になごむ田舎


それが放射能災害で失われた悔しさ

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鶏(カケ)鳴いて牛なき昼間のどかかな

菜の花に鶏庭歩む農家かな

犬連れて長き散歩や春の草


散り急ぐ桜にしあれ闇深し浮かばれぬものは御霊なるかも

吹きあれる嵐もやみて残る花夕日のさして我がおしむかな


この辺の変化は大きすぎた、のどかな田園風景でも失われたことがある。
津浪の被災地でもそうだし放射能汚染でもそうだし今でもその影響が大きい
放射性物質の廃棄物があり前の田園風景とは違う、ただ田畑はそれなりに回復している
畑になると半分くらいしか耕作されていないだろう。
そこは荒地になっている、農業はもともと高齢化して跡継ぎがいなくなっていた
そしてこの辺では若い人の人口が流出して老人が他より10パーセント増えた
だから繁盛しているのは最近川子にできたパークゴルフ場である
あそこは本当に広いから気持ちいい場所である。
そこに百人くらいいたのには驚いた、それだけ暇な元気な老人が集まっていたのである。

街からすぐ近くに庭にまさに庭鳥が鶏が歩いている、コケコッコーと辺りに鳴き声がひびく、その近くに牛が飼われてモウとなく、それが田園風景であった
それは昔ならどこにでもあった田園風景である。そこで心が和む
それが街のすぐ近くだからこの辺はそういう場所でもあった
一万の町だったらどこでもそういう風景があった
それが放射能騒ぎで乱された、そして平安がまだもどっていない

ただ鹿島区はまだいいほうだろう、小高とか浪江は悲惨である。
一旦街でも人が住まなくなるとあれほど荒廃するのかと思う
この辺の問題は若い人の流出であり特に若い女性が流出している
すると結婚して子供を産む人がへっているから将来の人口構造も老人だけが増えるとなる
自分の場合は別に都会に今は憧れたりしない、田舎の方が魅力があるし自分にあっている老人になると都会には住みたくない、特に東京などに住みたくないだろう
銀座とかなんとか行きたくもないのである。人が混みすぎるからだ
関西でも京都でも行きたくない、今や外人で観光客が増えすぎているからだ
それで情緒も壊されているのである。

芸術とかなると田舎かからしか生れないだろ、文化だってそうである。
ただこの芸術もそのベースになる田舎の生活がなくなったらありえないのである。
飯館村などは森のアルカディとか桃源郷の感じがあったが放射能汚染で土がけずられ放射性廃棄物場となる、ソーラーパネル場になるとかでそこも前の平和なのどかな風景は失われた、だから自分にとってはこんなふうにしたものに怒りを覚える
そもそも田舎を愛さないもの、自然を愛さないものが人間なのか?
東京のような所に平気で住んでいる人間が人間なのか?
そういう疑問が常にあった、そういう異常な人口環境で生活している人間はもはや人間なのかとまでなる
そこからもしかしたら原発事故も生れてきた、まずそういう人たちが自然環境とかを考慮しないからである。ビルの谷間で生きていても平気な人たちだからである。
そういう非人間性が原発を作り出して田舎を破壊したのかもしれない
ただそれに同調したのも地元の人たちでもあるから都会だけの責任ではないともなる

いづれにしろ桜は今年は早くも散った,外の桜を見ることもなかった
散りいぞく桜だった、そして浮かばれぬというとき戦争で死んだ300百万人の御霊だともなる
あの風は強く被害もあった、ソーラーパネルが災害復興団地から落下した
やはりソーラーパネルはこれから何が起きるかわからいのである。
台風などがきて破壊されるかもしれないし土砂崩れもおきてくる
山には作るのは問題がある。ただソーラーパネルは参入しやすいのかもしれない
どこでもソーラーパネルになっているからである。
そしてこの辺では津浪であれ放射能被害で荒地が膨大にふえたからソーラーパネルになりやすいのである。その荒地になったとこに設置しやすいとなるからだ
津浪で磯部であれ右田であれもうそこには誰も住んでいないからメガソーラ場になったのである

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今日の鹿島駅(春の雷が鳴り虹がかかった)


今日の鹿島駅(春の雷が鳴り虹がかかった)

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屋形の方に虹が見えた、でも駅からも見えたのである。
はっきりした写真をとるために近くでとったのである。



つばめ来る糞を残して田舎駅

春の雷人交わるや田舎駅

春の虹待つ女(ヒト) あれや田舎駅


今日は別に何もない駅だったが時刻表が汚れていた、それは昨日つばめが駅の中に入り巣を作ろうとしていたからである。
それでこれは掃除しなければならないと思った。駅でも汚れることがあり掃除も必要である。

それから突然春の雷が鳴った、かなり大きな音だった、次ぎにもう一回鳴って終わった
この時自分はなんとなく虹がかかると思った
そしたらうっすらと虹が出ていた、それで見えやすいところで写真をとった
虹は消えやすいので写真がとりにくい、そして写真でもそれがいつの季節の虹かわかりにくい、虹だけとってもわからないからである。
だから写真ですべてがわかるとはならないのである。

なんか今年は調子いいかもしれない、結局介護十年間というのは長かったのである。
十年一昔となる、それにしても時間はたちまちすぎると思った。
何かが苦しいことがあるとそのことに追われて時間がたちまちすぎる
そして次々に人が変わるのである。

80くらいになるとみんな浦島太郎になる、若い人は年寄りを知らなくなる、今の時代は特にそうなる、退職したりすると会社人間だった人は役目がなくなり会社の人とも交流がなくなり忘れられるのだ
とにかく人間は忘れられやすいのである。だから社会的役割を退職しても老後でも持つ必要がある
それでシニアのボランティアが増えているのもわかる、何か役割を求めてしているのである。

ただボランティアもむずかしい、それが利益を求めるとボランティアではなくなるし何かそれで報酬を求めてそうである。そういう人はシルバーセンターで金をもらった方がいいとなる、それもまた社会の役に立っているからだ
ボランティアは報酬を求めないことが基本にあると思った
もちろん自分のしていることはそんなもの何の役にたっているのともなる

ただ何か駅のボランティアが自分に向いていた、別に一日中いるわけでもないし時々来て駅をみているだけである。それでも何か用があったりするからいいのである。
今日は掃除しておくとかなる、するとなんらか役目があるとなるからだ
退職でも老後でも役目がなくなることが意外と大きな問題になってくる
生きがいもなくなるからだ、でもまた介護とかの仕事は負担が大きすぎてやれない、苦しくなるものはボランティアしにくいのである。
正直十年間介護してエネルギーを消耗したからである。

今日は春の虹を見たので縁起がいいとなる、それより天候は経験でこの空模様は虹がかかるなと察する、実際に今日はそうだった、この辺は海側に虹がかかりやすい、それも夕方に陽が沈むときにかかりやすいことは経験で知っていたからである。
だからこれは偶然ではない、確率的に虹が出やすい状態だったのである。
天候もだから偶然というより縁起がいいというよりは確率的に判断できるのである。

ともかくこのプログは刻々変わる変化を報告するのに向いている、天候は刻々変わっているからである。すると読む人も臨場感があって読むとなる
二日遅れとかなると何か臨場感がうすれてくる、だから今日この虹を見た人は共感するとなる、見ない人はあの天気だと虹がかかったのかとみる
ただ相馬市と原町では天候は違っている、鹿島だけで雷がなり虹がかかったようである。

2017年04月22日

南相馬市鹿島区の小池のホテルでランチ (コモドイン南相馬ー都会化した鹿島)


南相馬市鹿島区の小池のホテルでランチ

(コモドイン南相馬ー都会化した鹿島)

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ボランティアのバスが二台とまっていた

クリック拡大すると東日本震災ボランティアと書いてある

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もう一部屋がありそこも広いのである。

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これで800円は安い、牡蠣もついていたからである。(日替わり定食)


春日さし石あたたかく動かざり

春の日や死者安らかに故郷に


今日も小池のホテルにランチが食べられと知ったのでランチを食べに行った
途中に家の前古墳があるのは目だつ、寺内と小池は古墳が多いのである。
なぜあそこに古墳なのかとなると高台であったからだろう。
平地は湿地帯が多いからあのような高台が住みやすいとなる
そこに眠っている人は安らかだなと春の日だから思う

石でも春の日がさしてここがいいと動かないともなる、だから老人になって住居を移すことは酷にな、それで小池の人に聞いたのだが右田の人たちが小池に移り家を建てた、でもその一人の老人がその新居に入ってからまもなく死んだという、そうした関連死がこの辺には多いことは確かである。老人は変化に弱いからである。

そして小池にまた百人は入れる簡易宿泊所がまたできた、なぜまたこんなに外から人が入ってくるのかと思う、一部はすでに簡易宿泊所は壊されているからだ。
ここの簡易宿泊所は部屋数が多いからまだそんなに外部から人が入ってくるのかとなる
この辺ではすでに除染は終わっているからである。
ただもしかたら鹿島からでも原発事故のあった所に双葉や大熊の方にここから行くということはある。そのための宿泊所になるということはある。

ここから近いところにできたホテルは前からあるのは知っていたがランチをするようになったのは知らなかった、去年からすでにはじめていた。近くでもわからないことがある。この辺はまだ変化があり変わってゆく、原町まで行けばレストランなどが多くランチには困らない、でも遠いからなかなか行けない、自転車だと散歩がてらに来れるから便利である。何かホテルというとき都会的である。あんなところにできるとは思わなかった。

そしてボランティアをのせてきたのか?二台のバスが駐車していた。そんなにまだボランティアが団体できているのかとなる
その後ろは青森ナンバーのダンプが十台くらいあった。これも何なのかわからない。
青森の会社が来ているのだろう。

それにしてもそのホテルの食堂には50人くらい収容できる感じの広さがあった、本当に普通のホテル並みである。そんなに人が来るのかと思った。
11時30分で入ったのは自分一人だったからである。ボランティアなど団体がくれば確かにそれだけの人数分が必要である。もちろん泊まっている人も食事するから用意した。
他にも会社がそうしたホテルになった所がある
でもそんなに外部から人が入りつづけるのかとなる、すでに一段落しているからである。その辺がわからないが鹿島区は何か震災以後外部の人が大量に入ってきて変化した
あのようなホテルのランチが食べられるとは鹿島ではおもいもよらなかった。

鹿島区は都会化しているというのも家が次々に建ったからである。新しい街が三つ四つできたと思う、そして大東建託のアパート15棟は建っている、二つは建設中である。
いわきナンバーだから浪江とか双葉や大熊とかからも人が入ってきているのだろう
だから鹿島区のの人口は減らないのである。
だから都会化して便利になるということがあった
それに比べると小高とかの差はあまりに大きいから小高に住みたくなくなる気持はわかるそうなると余計に住みたくないとなり残っているのは老人がほとんどである。
それは老人は石のようにその土地に定着して動けなくなるからである。
人間も生物だから植物のようにもなるのである。

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コモドイン南相馬市




情報とは何なのか? (インターネットで郷土密着の報道が可能になった)


情報とは何なのか?

(インターネットで郷土密着の報道が可能になった)

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南相馬市鹿島区の小池のホテルでランチ (コモドイン南相馬ー都会化した鹿島)


人間は生活するために知りたいということが常にある、それは簡単なのでは旅したらその土地のことを知りたいので地図を持ってゆく、今ならスマホが地図代わりになり、みんなスマホを見ている、だから何か話しかけても答えないというか対話がなくなっている
自分がボランティアの駅員として案内しても答えない、必要ないよとなる人も多い
うざいんだよなとかもなる、でもその土地に来てスマホばかり見ているのは何か情報を得るのに問題がある

そもそも情報とは何かとなったらこれも広範囲なものになる、原始時代から情報は必要だった。獲物がどこにいるのかとか、狩猟生活だったらそうだし食べるものでも毒になるものがありそれを見分けねばならない、キノコなどでもそうである。
つまり人間は長い年月でそうした情報を蓄積してきたのである。
その情報は膨大なものでありもうそれを知り得ようがない
原始時代の部族で暮らしていたらその情報は限られている、だから理解しやすい、江戸時代のような自給自足のような村の生活での情報も限られているのである。
そこで暮らす情報は得るのは知識でも限られているから混乱することはない
日々の生活でそうした知識は実践的に身についているからである。

そもそも情報というと実に広範囲であり限りないのである。それは自分がプログで書いているのも情報である、では自分で書いてみて報道のようなことをしてみて一つの小さな一万くらいの町でもその情報がいかに多様かを知るのである
もう報告しきれないくらい情報があるのだ
それは過去にさかのぼれば縄文時代があり現代まで知るとしたらもう小さな町でも無限に情報はある、伝えるものがある。

それで今日のプログでは小池のことを書いたが過去にさかのぼればなぜあそこに古墳が多いのかとなる、古墳だらけになってしまうだろう。なぜそんなに古墳を作ったのかともなる、古墳とは墓なのである。墓がそれだけ増えたとういことである。
人間は次々に死ぬとしたら大きな古墳のような墓を作っていたら墓だらけになり人間の住む所がなくなってしまう、ただ墓は生きた人間が埋められているものだから簡単にそれを取り去ることができないということもある
ただ古墳があまりに多く作られたので古代に禁止されたこともあった


大化の改新(645)の翌年、孝徳天皇の2年1月1日、賀正の礼が行なわれたあと、改新の詔が発せられた。同じ年の3月22日、厚葬と旧俗の廃止が告げられた。
「この頃我が国の人民が貧しいのは、むやみに立派な墓を作ることに費やしているため」として、墓の制度を決め、尊卑の別を設けることになった。次がその時に決められた墓制である。

こういうことが古代からあったのも今でも納得する、明治以降庶民が墓を作りすぎて墓ばかりがふえてきた、死者は増えてゆくばかりなのだからいちいち墓を新しく作っていたら土地利用でもできない、墓が今生きている人の生活を圧迫するのである。
例えば宗教団体の墓があるとする、創価などでも山村の一画が墓地にされたとき、墓地により公害までになる、でもそれが檀家の戒名商売と同じであり墓は金になるからしている人間は宗教でも何でも金儲けになるのである。


 学会や工事担当の大成建設側は激しい巻き返しを図りましたが、地権者の間にも「反対」の声が強くなり、断念に追い込まれました。学会側は町への撤回申し出のなかで「開発用地取得が困難になった」としています。


創価学会の巨大墓地は全国に13ヵ所44万基(建設中含む)。どこも完成前に完売、推定収入3千億円ともされる超高収益事業です。新潟県では1997年、小国町で議会の同意を取りつけたものの、議会解散請求の住民投票に阻まれて断念

こういうことも起きている、大成建設と創価は密接な関係があり大成建設は工事を請け負うためにそうしている、創価関係の工事は大成建設が請け負うからである。
富士山にあった正本堂もそうだったが僧侶との争いで壊されたのもなんなのだとなる
カルト宗教団体は組織化集団化して権力化しているから宗教とは関係ない圧力団体となるその数が多いからそれは小さな町とかコミニュティまで破壊するともなる
そういことは別に大企業でも起きてくる、今回の東電は巨大企業であり市町村がそれによって甚大な被害を受けて町や村が消失の危機になったことでもわかる
そういう巨大な権力化したものは小さな村とか町でも市すら買収してコミニュティも破壊してしまうのである。小池にはエホバの小さな会館もあり違和感を覚える
あれもカルトだからである。アメリカの後ろ楯があり金が回ってきているともなるからだ

墓で不思議なのは海老の人が駅に来て墓地に墓参りに行くから花を買いたいというので花屋に案内した、海老の不思議は高台に墓地だけが残り村は津浪で消失したのである。
あの風景は不思議だった、墓地だけ残って村が消えた、その残った墓地に墓参りしに来たというのも奇妙になる,墓だけが村の形見として残ったのである。

こうしてその土地の情報をさかのぼれば原始時代から古代から江戸時代とあり地層のように積み重なっていて現代の問題として現れるのである。
ただその古墳に春の日がさしているときここに眠っている人は安らいでいるとか感じてしまうのである。都会だともう墓は作れない、その土地もない、だから地下に骨壺だけを収める狭い部屋を作りお参りする,それも嫌だなとなる、そこで死者が安らぐのだろうかともなる
いづれにしろ墓を語るだけでこれ際限がないのである。

そしてなぜ今度は小池に新しい簡易宿泊所ができたのか?百人も収容できるものができたのか?それだけの工事などがまだあるのかとなる、除染はこの辺は終わっているからだ。
それも需要を望めるから作っている、右田の人たちが集まり家を建てた所で老人がその新しい家に入ってまもなく死んだというのも聞いた。
それも一つの情報である。ニュースである、そのニュースにしても限りないのである。
全国ニュースになると北朝鮮とか何か大きなことでありみんなどこのテレビ局でも報道している

でも情報の基本は実際はそこに生活している場の情報が大事なのである。ただそれは今までは報道されない、福島県でもテレビでも新聞でも報道するとしてもとても報道しきれないのである。
そして情報は多様だから一万の町でもそうであり古代からさかのぼり現代までとなると無限にある、でも意外とそうしてその土地の歴史を知りそして現代を知ることが必要になるそれが津浪とか原発事故でわかった、郷土史とかはそうした地域全体のことを知ることでありそれが今回の津浪や原発事故と深く関係していたことを書いてきた
郷土史とは過去の歴史だけではない、現代につながるものとしてみるのである。
郷土を知るといってもまず地形とかから知る必要がある、それが近くてもなかなかわかりにくい場合がある、地理を知るには体で知るというのが本当に知ることである。
峠をのぼれば体で地理を知ることになる、それが地図からだけではわからないからであるそれは日本全国でもそうである。だから地理を知ることは基本にありそれがむずかしいのである。

それからコモドインというホテルでランチを食べた、こんな山の方にホテルができたのも震災以後の外部から人が流入してきたからである。
その変化は鹿島区でも大きかった、今でも復興住宅ができて今度は浪江の人たちが移り住んでいる、だから鹿島区は人口が減っていないのである。
ともかく狭い地域でも知ることは容易ではない、ただ小さい町だと俯瞰的に知る、全体を把握して知ることができる、それも時間軸と空間軸でできる
これが南相馬市の原町区となるともともと5万人くらい住んでいたから全体を知ることは不可能になるのだ。

とにかく情報は限りがない、グローバル社会になったら情報は際限のないものになりもうしりえようがないのである。そこで情報操作されやすいのである。
なぜなら外国となると知り得ようがないからだ。フェクニュースでも信じてしまうのである。ただ狭い範囲の町や村とかなるとフェクニュースは通じにくくなる
みんなその土地に生きていて土地と密着しているから嘘がつきにくいのである。
すぐばれてしまうといこともある。外国だと実際は確かめる方法もないからフェクニュースでも信じてしまうのである。

いづれにしろ郷土密着型の報道はインターネットで報道するのが簡単になりできたことである。それで自分でも報道してみて報道とは何かとか情報とは何かと考えるようになった記者とは何かとかも考える、こういうことは報道できないなら考えもしない、ただ報道されるものを一方的に受け入れるほかないのである。
つくづく一人一人の人間が情報なのである。
今日駅であった人も情報である。今まで福島市からバスで帰ってきたとか若い女性だった東京から故郷に帰ってくる人がいるからだ。
今日この女性は故郷に帰ってきたのだなと思う、迎えの車が来て去った。
駅にはいろんな人が行き来していることがわかった。それだけでも多様なのである。
活きた人間が血流のように社会に回っていることを感じた
駅は特に多様な人が交わる場所だったのである。


posted by 老鶯 at 20:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2017年04月23日

巨大企業などが地域社会をつぶす (原発事故も東電による地域破壊)


巨大企業などが地域社会をつぶす


(原発事故も東電による地域破壊) 

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先進国の人たちが使う紙や木材の量が増えるにつれて、熱帯雨林などの森林はどんどん切られていく。 
日本も、国内に森林があるが、発展途上国から安い木材を輸入し、使い捨てしている。 東南アジアのラワンなどの南洋材は日本に輸出されている。 日本の商社は、フィリピンの森林を伐採しつくした後、インドネシア、マレーシアへと相手を変え、東南アジアの熱帯雨林を食いつぶしてきた
environment_problem/sinrinhakai_sabakuka.htm

これはグローバル企業による森林破壊である。この森林破壊によりそこで昔から暮らしていた地域の人たちも動物も被害を受ける、動物は駆逐される
なぜ原発事故が起きてきたのか追求してきた、それは東電とかの国家並みの巨大企業によって地域社会が破壊されたのである。
東電というのは全く自分などがイメージできない巨大会社だったのである。
国家並みというより一つの国家だったのである。
だからこそ政治家も官僚も検察官も天下り先となりマスコミも何百億という宣伝費を投入できた。それで支配できたのである、実質に権力をもっていたの東電だったのである。
電気を産み出すのは東電であり政府ではないからである。官僚でもないからである。
実質の富は東電が大企業が産み出している、だからその富を産みだすものに従うようになる、地域でも漁業権を売り渡すだけではない、農業の基となる土や水まで売り渡して買い取られたとまでなった、なぜなら土とか水とか森林でも放射能汚染されたからである。
そうなったらもうそこには住めないと町ごと村ごと避難させられて住めなくなったのである。

これまでの地域社会は農業が基でというときどうしても自然環境と適合した生活になる
その生活は自然環境を配慮したものとなる、でないとそこでは生活できないからである。でも大企業はそうした地域社会とは違うものとして巨大化したものである
ゼネコンなら建築を主にして巨大企業になりトヨタなら自動車を作る会社として巨大化する、製薬会社なら薬を売る会社として巨大化する
アメリカだったら軍需産業が発展して巨大化して兵器を売るために戦争まで必要になる
会社は物を作るとしてそれを売って利益をあげねばならない、それが巨大なのだから問題が起きてきているのだ。
自然環境と適合して長年生活してきた歴史とか文化も簡単に破壊してしまうのである。
そしてこの巨大企業が国家と結びつく、東電でもそうだしアメリカだったら軍需産業だったら国家と結びつく、そして国家に戦争しろとまで要求できる
それでアメリカは戦争をしかけて兵器を売るとまでなる
そういう巨大化は何でも社会に弊害をもたらす、社会自体を破壊してしまう力をもっている

それは一つの軍隊でもある、だから政府では戦争準備して兵役にゼネコンの社員をつかせようとしたのもわかる、そこは軍隊組織になっているからだ、建設は戦争するとき不可欠だからである、それだけ巨大だと会社にしても社員に給料を払うのだから仕事が必要になる、その時地域の共同体とか自然環境など考慮しないのである。
森林でも根こそぎ破壊してゆく、それをとめるものが大企業にはない、なぜなら森林を破壊したら水が供給されず田に水が流れないとか農民のように心配しない、ただ木材を得ればいいとうだけになるからだ、その土地の自然環境はそれで根こそぎ破壊されるのである原発事故による放射能汚染も同じだったのである。

力関係では大企業ゝ国家ゝ地方自治体とかなる、この大企業の力は国家をも支配する
そして報道でもマスコミでも支配できた、巨額な何百億もの宣伝費がマスコミに支払われていたからである。そういうマスコミがとても批判などできないのである。
それによって「安全神話」が作られたのである。
内部の人は原発にたずさわる科学者でも技術者でも実は何らかの懸念があり不安があったでも強固に安全神話が作られたのはなぜか?
その前に巨大な権力として構成されてしまったからである。
人間は巨大な権力をもったときどうなるのか?その権力で何でも通すことができるようになる、すべてを支配できるようになる、だからこの辺では地方自治体などその大企業にたちうちできなくなっていた。
東電の幹部に浪江町長が怒っていたけどこれも力関係では東電が上だから腹いせにしかならない、東電と国家は一体となっているから国家と地方自治体では力関係では国家に従わなければならないからである。

そして報道関係でもマスコミは安全神話を作ったのは大企業がスポンサーになっていたからである。福島民報でも民友でも原発に賛成していたし批判はしない、推進役になった。福島県の報道関係はみんな原発の安全神話に加担していたのである。
それだけ報道といっても雑誌を一カ月一回くら発行してどれだけの収入があるのかとなる報道だけではそもそも収入にならない、すると宣伝費にたよるほかなく、東電のような大会社の宣伝費になると報道会社など養うことができるとなる
インターネットとかなるとこれも無料だからできる、でもまだこれはマスコミのような力をもっていない、宣伝力がない。

この大企業との問題はそれか巨大であるために社会への圧力も大きくなることである。
ゼネコンでもやはり仕事が欲しいとなる、社員を養うためにはそうなる
するとオリンピックでもそうだが請け負いたいとなる、オリンピックなどしなくてもいいがゼネコンにとっては必要だとなり圧力となる、そこに国民の税金が湯水のように使われることになる、原発事故でも除染でゼネコンに莫大な金が流れたが復興のためには使われなかったとかなる
こうして巨大企業は一国だけではない、地球全体にグローバルに圧力となっているのだ。多国籍企業が世界を支配するというときもそうである。
製薬会社でも薬を売るために病気を作り出さねばならないとかまでなる、みんな健康だったら薬も売れないあがったりとなるからだ。それは戦争でも言える、戦争がなければ軍需産業では飯の食い上げになる。だから国家に戦争をしてくれと圧力をかける
そういう恐ろしさと矛盾が巨大企業が産み出しているのである。

これは巨大なもの団体組織がもっている害悪がある、例えば創価の墓地建設で自然環境が破壊される村の伝統が破壊されとかで裁判沙汰になったことでもわかる
巨大なるものの弊害が大きいのである。カルト宗教団体も巨大なること自体が社会に圧力をかけてゆがめる、創価は特にそうである、福島民報では聖教新聞を刷っているし毎日新聞でもすっている、そしてマスコミに批判できないようにするのは東電したことと同じなのである。そして大成建設と創価は結びついているのもそうである
創価は宗教とは何の関係もない、なぜなら組織が軍隊組織になっているからだ
参謀とかいたり軍隊の階級制の組織になっている,これは組織化したところではどこでも起きている
そこで目的としているのは人数をただ増やして一票をえて政治権力をもつことしかないのである。

つまり巨大な会社とか宗教団体も危険なものであり社会をゆがめるものなのだ。
それが危険なものとしてあっても巨大なるが故に権力をもっているが故に批判できない、そして東電のような原発事故が起きてとりかえしのつかないことになる
そしてそうした巨大なるもの会社でも宗教団体でも制御することはできないのである。
それでロシアではエホバの布教を禁止したことでもわかる、それは国家にとって危険だと認識したからである。国家がのっとられという危険を感じたからである。
実際にエホバでもそれが数をひたすら増やそうとして権力化してゆく、それは創価と同じである。そうして国家も乗っ取られるのである。
オウムは極端なものとしてオウム王国を作ろうとしていたし創価も創価王国を作ろうとしている、巨大化した権力化した団体組織はみんなその権力故に弊害となりやすいのである巨大なるが故に権力がある故に制御できなくなるのである。
国家自体を東電がとりこんだようになったのもそのためである。

いづれにしろ現代文明はこうして地域社会とか自治体は破壊されやすい、その力関係に大きな差があるからだ、その時どうなるのか?この辺のように故郷にも住めなくなるということである。水も土も森も山を汚染されて住めなくなる、そして故郷からも追われて漂流者になったのである。
だからこの巨大団体組織を制御するものが必要なのだが現代文明にはない、国家すらないすると巨大企業や団体組織が国家となり国民をも蹂躙することになるのである。
もちろん巨大企業でも必要でありそこに勤める人は国民に尽くしているとうこともある。ただ巨大なるが故の弊害がある、その巨大なるが故に国家を左右して大企業が国家となっていることが問題なのである。それはグローバルに起きてきている現代の問題である。

巨大企業は恐竜のようになっている、それらは地方の小さい自治体とか地域社会をふみつぶす、それに抵抗する術がない、自然環境すら根こそぎ破壊される、そんな力は江戸時代まではなかった、現代文明が何かゴジラによって破壊されるように都会だけではない、
地方の自然環境すら破壊する力をもっているのだ
巨大企業もそうだが東京というときその巨大都市が地方自治体とか地方の自然環境でも破壊する圧力になっているのだ
なぜなら東京に供給するものが一千万ともなれば莫大なものになるからだ
だから東電もその電気を供給するために原発をフクシマに作ったり新潟に作ったりしているのである。

東京の人口圧力がそうさせているともなる、その巨大さ故にそれが自然環境破壊になる
もちろんそれで経済力があるともなるがその巨大さが怪物的になり文明を破綻に導いているということもある
だから東京が大地震がきてどうなるのかとか不安なのはその巨大さ故にそうなっている
その被害も莫大なものとなからだ。巨大なるが故にそれが崩壊するときは恐怖となる
地震でも各地に小村があるようなら被害はさほどではない、あまりにも巨大なるが故に
そういう巨大災害で都市そのものが滅びてしまうということもありうる
再建不可能になってしまうということである。そして脱出するほか方法がなくなってしまう畏れがある。ソドム、ゴムラが神に滅ぼされたように脱出するほかなくなるのである。
posted by 老鶯 at 11:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2017年04月24日

原発事故と山尾三省 (春の日に鶏が庭を歩く(詩)


原発事故と山尾三省

(春の日に鶏が庭を歩く(詩)

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春の日に鶏は庭を歩く

鶏(にわとり)が庭を歩いている
最近そうした風景を見ていない
鶏は工場のような
ケージの中で卵を産む機械とされる
そして肉はブロイラーにされる
その肉は実は危険なものとなる
鶏は広い庭を歩いている
近くに牛がモウと鳴く
清水が湧く所に清水と地名がついている
のどかな春の日である
この辺には古墳が多い
家の庭にも古墳がある
これらの古墳に春の日がさしている
ここに眠れる先祖は幸いなるかな
犬が春草に鼻をおしつけ匂いをかぎ散歩する
見慣れた光景に実は貴重なものがあった
その貴重なものを貴重なものとしない
鶏が庭を歩いている
その姿が自然であり心がなごむ
春の雲がほっかりと流れて
気ままに自転車でホタリングする
しかしのどかな風景は原発事故で失われた

鶏は庭の鳥だった、あれを見てはっきりわかった。それを見たときなんともいえないものを感じた、そういう姿を見ていないからである。それが近くで見れたので余計にそうなった、こんな光景は当り前であり普通はなんとも思わない
しかし今や鶏でも庭を歩いているのを見ないからそう見えたのである。
その時鶏は庭鳥として生き生きして生きていた、本来の庭鳥になっていた
これは何か人間が江戸時代の浮世絵で歩いて旅している
その歩くということは人間の本来の姿としてある。それが車社会でなくなった
だから歩くこと自体が人間を回復することになっているのだ

鶏は今悲惨である。卵を産む機械であり肉を生産する機械である。そこに人間にとっていいものではない、やはりそこに害あるものが作られている、今の食糧にはそういうことがある。鶏が自然な姿ではないよう人間そのものも自然な姿ではないのが現代文明である。車に乗っている人間は人間の自然な姿ではない、機械の一部に化しているのだ
それはあらゆる面でそうなっている、鉄道でも車より人間的でも電車という機械の一部になってしまうのはまねがれないのである。
もし江戸時代のようだったら人間はみな歩いている、だから人と人がそこで交わり話したりする、車は通りすぎゆくだけである。そうした車の洪水のなかで暮らしているのは本当は異常なことではないか?ただその異常性を鶏が庭を歩いているのが自然なように気づかないのである。

自然の中で動物が生きることが自然なことでありそれを見たとき人間も感動する。動物園の動物を見ても感動はしない、野生の動物をみたときそれが本当の動物の姿である。
人間はそういうことすら気づかないし文明の中で麻痺してしまったのである。
異常なことが異常に見えないのである。第一東京のような所で生活できること自体が異常だからできるとしかいいようがない、そこには自然はないからである。
人間が生きているのではない、機械がロボットになった人間が生きているともなる

山尾三省はそういう都会人だったが屋久島に来て自然と一体となる生活をした。
それは実際は過酷だった、だから妻は早くしんだし本人も60代で死んだのである。
第一パンを食うのが贅沢だとした生活では栄養失調にもなるからだ
そこには無理があった、だから貧乏生活を売りにしている芸人のようにも見られたのである。一面そういことがあった無理な生活だったのである。

現実に農業というけどこれはあまりにも厳しいのである。知っている人が趣味のようなわずかの畑をしているがそこで聞くのはただ苦労だけなのである。
虫にやられた、鳥に食われた、肥料に金がかかる、種に金がかかる、隣の畑の人がじろっと見ていて嫌だとか、そこに聞く話は苦労だけである。
それでまともにとれた野菜もないのである。しかし金はかかっている、ネギ二三本もらって何ももらえないのである。ただ苦労だけを聞かされているだけである。
そんなら買った方がつくづくいいと思うのも矛盾なのである。

山尾三省は都会人であり都会から田舎に来て頭の中での理想を実践したのである。
だからもともと農民だった人とは違う、土着的な農民とは違うのである。
ただ不思議なのは核兵器に反対するのはわかるが原子力発電を拒否する反対することとしてアンチテーゼとして農業をしていたのである。
普通原子力発電まではあまり反対しない、核兵器は反対してもしないのである。
例えば広島でも核兵器には反対しても原子力発電には反対していないのである。

畑には大根が太っている
その大根をひきぬいて大根おろしを作る

つわぶきの新芽がのびている
その新芽をひきぬき集めて食べる
やっと春になった
にこにこしながら食べる
こんなおいしいものは
この世にはまたとない

これは地のものの文化であり文明であり
核兵器を作る人たちや原子力発電所を作る人たちへの、捧げものではない

このように原子力発電所に対して拒絶して抵抗して農民になったのである。
ところが農業の現実はそうんなものではない、前にも書いたけど親が農業していた人が
農業だけはするなと親に殴られたということを聞いた、その子供は原発で働くようになったのである。そして避難区域になった小高にもどっているがそこは帰ったのは老人がほとんどなのである。
その他大原の人は代々の農家だったけど子供は跡は継がない、今はそこは空家になっている、農業の現実は過酷なのである。
だから今になるとみんな高齢化社会になり跡を継ぐ人などまれなのである。
農業は何か代々跡を継いでやるものでありそれに適している
なぜなら土作りとかは簡単にはできない、代々に土を作りをして土が肥えてくるということもある。そういうノウハウは農家で生活していれば身につくこともあるからだ

いづれにしろ人間は矛盾を生きている、自分自身も田舎で暮らしていて投資信託などしてグローバル化した世界で金儲けしようとしているのもそうである。
お前も山尾三省のようになれとか言われることは確かである。
でも自分は山尾三省のようにはなりたくないしそういうことも望んでいないのである。
ある程度の現代の生活を享受したいとなる、パンも食べられない生活はもう現代では偏屈者としかならないし誰もまねもしないからである。
それをみんなに要求するのは無理だとなる
ただ原発事故以後そういう反省が一般の人にも生まれたのである。

この辺の人を見ると本当に貪欲になっていたのである。漁業者は原発の補償金で御殿のような家を建てていたとか他より田舎では贅沢していた、田舎では一人一台車をもっていてそれもいい車をもっているのである。
そして家を建てて借金をしている人も多い、借金して自分は事業して成功したとしている人もいてその人に自分が借金を要求されて苦しんだのである。
そのことをプログで書いてきた、こういう贅沢を望むものが原発を作らせたともいえる。
別にパンなどは原発がなくても食べられる生活はこの辺でできた、山尾三省のような生活は異常であり作られた演技のように見えるのもそのためである。
ただそこに原発事故があり見直されたのである。
自分の求めたものとも共通しているからだ。

ともかく一番自分で不思議だと思ったのは鳥が庭を歩いている姿だった
それが何とも言えないもの、自然でありそれが天国の庭を歩いている鶏に見えたのであるそれはおおげさかもしれなんが何かそれほど人間は自然なものから離れてしまったとういことかもしれない、自然なもののが何かわからなくなった
そして人工的なもの都会でもそこに暮らすことが普通になりその異常性に気づかなくなった、原発でもなんでもいい金にあればいいじゃないかしかない、そのために漁業権をも売り渡すしなんでもするとまでなっていたのである。
借金してまで贅沢しているのと同じである。借金しているのは昔とは贅沢するためにそうしているのが多いからである。
そういう異常性なものが普通となり異常と正常の区別すらつかなくなっているが現代文明に暮らしている人たちなのである。

だから人間は今自然な生とは何か知らねばならない、とりもどさなければならない、医療でもチューブ人間になって活かされたりするのは不自然なのである。
自然な死がそこで何かを知る必要がある、人間の本当の自然な姿とはどういうものなのか知る必要がある、その姿を見たら感動する、それは歩く姿を見てそれに感動しているのと同じなのである。歩くということは人間の自然な姿として太古からあったからである。
それすらない文明社会はなんなのだとなるからである。


山尾三省の詩を読む (原発事故で見直されたその生活)
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2017年04月25日

国造(くにのみやっこ)が最初のクニ そのクニ(郷)が原発事故で破壊された


国造(くにのみやっこ)が最初のクニ


そのクニ(郷)が原発事故で破壊された


●鉄道の上り下りの感覚

毛野国」は分割され、都に近いほうを「上毛野国(かみつけのくに・こうずけのくに)」、遠いほうを「下毛野国(しもつけのくに)」とした。

奇妙なのは常磐線が開通してもいわき市までは通じていない、上野までも通じていない、上りと下りというとき都に近い方が上りになり遠い方が下となる
東京を中心になるとき東京に近いが方が上りになり東京より離れることが下りになる

現在は地方から東京に行くことを「上京」と言いますが、江戸の頃は「東(あずま)下り」と称しました。
天子様のおわす京(大坂)が千年の都で、江戸は発展途上の振興地扱いだったからです。
ですから、都会から運ばれてくる洗練された品物を「下りもの」と呼び、それ以外の地方産出のものを「下らないもの」と呼びました。

この感覚は今でもある、でも常磐線が開通して違和感を感じたのはいわき市から東京へ通じていない、仙台にしか通じていない、すると仙台へ行くのが下りになっている
仙台へ行くのは今は上りという感じになる。
駅にいると本当に仙台から行き来する人が多いのである。それはいわき市から通じないということもあるがそれだけではない、新幹線で仙台から行き来する人が多いからである。もともとここは仙台とのつながりが多いから仙台が東北の中心となると仙台へ行くのが上りとなる感覚になる、そもそも東京やいわし市方面から人が来ないから余計にそうなったのである。

「京に上る」というとき何か意気込みがあった、前は東京に行くことでてある。
実際に経済的には地方の会社でも工場でも本社が東京にあるのが多い、それで出張して来る人が結構多いのである。東北サッシの社長は本社は神奈川県にあるとかなる
ホンダとかイスズとか自動車会社も本社から出張してくる人がいた
工場でもそうである。だから実際は上りとなると東京であり下りは東京から東北の方へ離れる時下りになる。
でも常磐線がいわき市から東京へ通じないのだから仙台経由になると仙台へ上りとなる感覚になる。一方通行になったからである。

国造(くにのみやっこ)が最初の国

白河国造
石背国造
阿尺国造あさか
道奥菊多国造みちのおくのきくた
信夫国造 しのぶ
石城国造いわき
染羽国造しめは
浮田国造うきた
伊久国造
思国造

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「国造本紀」の国造系譜 - 国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリ

この国造で注意しなければならないのがと染羽国造浮田国造である。
染羽国造は「標葉」になって今の浪江町である。
国造みると浮田-染羽が最初の国である。
だから相馬氏が支配して相馬市とか南相馬市となる前の国は浪江町と鹿島であり鹿島には浮田という地名がありそこが浮田国造の置かれた地域だとなる
そこは海から離れた所であるから地域的に住みやすい所であった。
そもそもなぜ鹿島区に古墳が多いのかとなるともともと浮田国造とあり最初の国が設置されていたからである。
それは毛野国と関係していた、毛野は大きな勢力でありそれで毛野系統の国造が置かれた
相馬市であれ南相馬市であれ中心は浮田国造が置かれた鹿島区が中心であった。

このことは注意せねばならない、なぜなら古代にはここに生活の中心があったからであるだから古墳が多いとかなるし寺内の前方後円墳から金銅双魚佩(ぎょはい)が発見されたりしている。万葉集の真野の草原もこの地とされているのはそのためである。
この国造は中央の政権があったとしてそれによって記録に残ったのではない、もともとそこが人口が多いとかクニとしての力がありそれで中央政府から認められて記録に残されたとなる、でも古墳だと原町の桜井古墳が大きいのだからそっちに国造があっても不思議ではない、しかし小さな古墳は小池とか横手に多いのである。

最初のクニというときそれは生活感覚で最小のアイディンティティをもてる範囲を示していたのかもしれない、クニとして意識するということは上からのおしつけではない、何らかの共通の共同の世界がコミニュティが形成されたからクニとなった。
このことは現代にも関係している
鉄道では磐城太田駅があるがなぜ磐城になったのかとなる、もともと高駅という名だった高という地名があり和名抄では高郷のことだろう。
そして浪江町から双葉、大熊とかは車でもいわきナンバーなのである。いわきの勢力下に入っている地域だともなるし相馬氏と岩城氏が争った時は境目にあったとなる

いづれにしろ国造はその範囲が地理的にも生活でもクニとして意識されたのである。
人間は地理が大事だというとき共通のアイディンティティがまず土地から形成されるからである。理念などからは形成されないのである。
アメリカとかは余りに大きいから理念から国家が形成されたs 人工国家になる
でも自然村とか自然国家となるとまず土地から形成されているのである。
土地に根ざしたものとしてクニが起こっているのである。
第一大和というとき山戸であり山の入り口とかであり狭い村の範囲が大きな国となったことでもわかる、ヤマトとはもともと国造のような小さな村の範囲だったのである。
そこに形成されたアイディンティティが国の基になったのである。

ただ地理からみると浜通りとかは地形の変化がない、ところが飯館村とかなると高原になり山に囲まれているから別世界になる、それは地理的には別な国の感覚になる
丸森もそうである。伊久国造になり地理的には別な世界であり別なアイディンティティが形成されるのである。
古代とかなると交通が発達しないから地理的に隔絶して生活していた。
そういう時代でも中央からの大和政権がかかわっていたことも確かである。
縄文時代には国はないからである。つまり国造が置かれたとき中央で国として認めたとなるのだ。だから国造には天皇の系統が記されているのである。
だから古代から中央と地方のかかわりがありそれが現代にも引き継がれている
国家と地方自治体の対立がありそれが原発事故で露になったのである。

●人間はそれぞれのクニを基にアイディンティティを形成していた

奄美の郷(クニ)
奄美の郷人(くにびと)
沖縄の郷(クニ)
沖縄の郷人(クニビト)
アイヌの郷
アイヌの郷人
ホピの郷
ホピの郷人
郷という言葉と
郷人という言葉を
心をかめてつぶやく
統治のない 郷(くに)
原子力発電所のない 郷
核兵器のない郷

(山尾三省)

山尾三省の不思議は原子力発電所のない郷を志向していた
核兵器のない国にするとかは誰でも言っている、連合でもカルト宗教団体でも盛んに言っている、創価でも言っていた、でも創価の聖教新聞では東電の宣伝を一番していたのである。宣伝費を一番もらっていたとなる
核兵器には盛んに反対しているが原発にはほとんどあらゆる団体が推進派だったのである朝日新聞すらそうだった、なぜなら原発事故が起きたとき、中国旅行に朝日新聞社などマスコミの幹部が全部招待されていたからだ。

だから原子力発電に反対しているというのはまれだったしほとんどそれに注目している人もいなかったのである。なぜだから原子力発電所のない郷(クニ)を志向していたのか不思議だとなる、ここに注目している人はまれだったと思うからだ。

いづれにしろ現代の感覚ではこういう郷(クニ)となるとグローバル化でもありえないとなる、だからこそ原発事故だから町や村が離散状態になったというわけでもない、国家の中にグローバルな大企業の中にみんな所属しているからそうなった
みんな田舎でもその土地によって生活していない、みんな会社員として生活しているからである。
つまり郷(クニ)に所属している感覚が薄れているのである。国家に所属しているという感覚より大企業に所属している会社に所属しているのである。
戦争のときは国に命を捧げたのだから国家に所属していた、それが今はそうなっていないだから愛国心なども薄れているのである。
愛国心の基は愛郷心でありその郷とはクニのことだったのである。
人間はアイディンティティを形成できるのは国造(くにのみやっこ)が最初の国だったように狭い範囲だったのである。

そして原発事故ではその郷(くに)は奪われて離散したのである。そしてその郷を回復することが望まれているがそれが不可能にもなっているのだ。
なぜそうなのか?郷というものがすでに喪失していたということもある
グローバル経済でもそうである。
米でもいろいろ食べてみる、会津のひとめぼれを食べたから次とつやひめを食べてみるかとなる、これはやはり一番人気で売れていた、次は何を食べようか、最近は北海道の米もうまくなっているのか?今度は秋田小町を食べてみようと思ったらこの辺で売っていない、無洗米は売っていない、自分はめんどうだから無洗米しか食べないからだ
それがアマゾンの通販で売っていたのである。それも送料込みで値段は高くないのである味噌でも近くに作り売っている、でもそこではダシ付きの味噌ではないから自分は買ってない、時間がないしめんどうになるからだ
こんな生活自体が郷(クニ)が喪失させている原因になっている
お袋の味とか故郷の味はない、どこの郷でも味わえるからだ
ただ会津でも秋田でも山形でも故郷の米を食べればそれが故郷の味だとはなる
ただもともとそういう郷(クニ)の感覚は希薄化していたのである。

ただその土地に生きるものは地理的にはその土地からアイディンティティを形成するのは変わりない、そこに地域地域の文化がcultivate-耕されてculture(文化)になったのである。
それは大きな単位になるときドイツでもそうだがゲルマンの文化が形成されたとなる
国単位で違った個性の文化が醸成されたのである。 
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2017年04月26日

復興大臣が辞任 それぞれの言い分があった


復興大臣が辞任

それぞれの言い分があった


調子に乗るなよトウホグ土人が。焼け太りの乞食の分際でほざくな。 
東京が無事だったからこそ、今、お前ら土人が生きていられるんだろうが。 
同時期に東京が大規模災害に遭っていたら、お前ら三日で全員野垂れ死んでいるわ


人間はみんな言い分がある。こういうことも東京の人たちだったら言い分としてある
東京の経済力があって東北でも他でも恩恵を受けているとういことも事実としてある
ただ必ずまたそのプラス面があるとしてマイナス面もある。
巨大な東京があることで迷惑になることもあるのが今回の原発事故にもなった
東電では東京に原発を作るのが効率的だけど事故を恐れてフクシマに作ったからだ

東京という膨大な人口が経済力ともなるがそれが圧力となり原発にフクシマに作らせたりする、一方で東京があったから援助が受けられているという側面はある
ただフクシマ原発の場合は津浪とは違って東京の責任も大きいからこの人の言うことはあてはまらない、ただこういう言い分はある

例えば南相馬市でも小高と鹿島区が補償金で争ったとき双方の言い分があり小高の人たちが避難させられたのだから補償金が高くさせられて援助されるのは当然だということにもなった、でも自分が言ったように鹿島区の人たちの言い分もある
なんであいつら毎日パチンコやギャンブルで遊んでいるのだということはここだけではない、他でも言われていることだからである。

今回の震災の被害では地域的対立が東京と福島とか東北とかで鮮明になった
内部でも補償金で争って地域が分断されたことがあった
なんであれそれぞれの住む所や地域が違ったり立場が違うとそれぞれの言い分が生れてくる、それはどうにもならないことである。
だからこういう発言でも一方的に否定することはできない
結局それぞれの言いたいことを言う、言い分を聞くことが民主主義になる

ところがマスコミとかがそうした様々な地域や立場の人たちの生の言い分を取り上げるわけではない、直接民主主義ではない、マスコミによって拡大化される民主主義なのである確かに今回の復興大臣のは発言には問題があった。
ただそれがマスコミによって過度に報道され糾弾される、それが民主主義をゆがめているのだ。
それでトランプ大統領はマスコミを嫌い拒否したのである。一方的に糾弾されるからである。
実際は国民の移民に対する反発は大きかったし中部の製造業など自動車などの工場は閉鎖されて失業しているとかそういう人たちの言い分はマスコミによって無視されていたのである。ただ移民を攻撃していることだげが拡大化されて報道される
それは感情的にまでなる、それはアメリカの国情を正確に伝えていなかったのである。
要するにマスコミは何か一部分でもそれが拡大化して放送される
そういうマスメデアなのである。

双方の言い分を言わせることはマスコミではあまりしない、マスコミで判断して一方的に報道している、そもそも報道されないことに重要なものがある。
何を報道するかもマスコミで決めているからである。すると重要でみんなに知らされるべきことも知らないとなってしまうのである。

ただ言い分というとき個々人でも言い分がありその言い分を聞いていたらきりがないとなる、個々人にも事情があり言い分があるからだ
いづれにしろ民主主義でも直接民主主義ではない、広い範囲になるとそうなる
するとマスコミの報道に左右される度合いが強くなるのである。
でもインターネットでもそれはマスコミを通さない発言だから直接民主主義になる
その生の声が今までとは違っていてもそれがマスコミのようにまだ小さい声にしかならないから影響力が弱い、でも対抗メデアとなったのは民主主義にはいいことだった
第一今までこうして民衆の生の声を知ることができなかったからである。

この辺では津浪の被害者がいて津浪と原発被害者がいて原発避難者がいてとか複雑だったのである。その人たちはみんな利害が一致しないことがあった、それで分断されたのである。だから被害者の言い分だけを聞くというのも一方的になる
原発避難者については言えたのである。

いづれにしろアメリカでもそうだが民主主義でもすべてが公平になることはない、ある集団は地域は無視されて報道もされないことがある。するとそこには援助がいかないとかの問題が起きている、だからアメリカの不満層が無視されていたことなどわからなかったのである。南相馬市内だと一応みんな補償金はもらっているが隣の相馬市になるともらえない、それで不満を言っている人がいたことなど誰もとりあげない
別に放射線量など変わらないのである。
相馬市では真野ダムの水を利用しているとなるとやはり飲み水は利用できないとペットポトルを利用しているかもしれない、するとやはり被害があるとなるからだ
でも相馬市の被害は放射能汚染に関しては何も補償もないのである。

ただわからないのは飯館村でも放射線量で区分けされて補償金の差があったことである。それで除染員が石をぶつけられたとっばちり受けた、どうして飯館村でも補償金の差が起きたのか理解しにくいのである。一様に高かったとみていたからである。
だから一様に補償金は払われていたと思っていたからである。
隣同士を放射線量で補償金に差をつけることがおかしいことだったのである
隣だったら放射性物質だって移動してくるからである。
そういう放射線量で地域を細分化して分断したこと自体が過ちだったのである。

要するに海側は浪江ですら低い、とすると山側と海側に分けるのが放射線量からすれば理にかなっていた、ただ30キロ圏で分けたのがいいのかとなる
それによって生活そのものができない町や村が存続できないような状態になったからだ
科学的根拠があっても何かそれだけでを基準にして良かったのか?
小高などはみんな避難させたのは失敗だったと思う
一旦あのようになると回復できなくなってしまったのである。
避難した人は若い人でも別な暮らしになりそこでなじみ移住先で暮らすことが復興になったからである。補償金もそのために使われて村や町の復興には使われなかったのである。いづれにしろこの辺ではいろいろ問われた、様々な問題が実際的な問題として問われたのである。



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寺内で古墳の発掘調査 なぜ桜井古墳のある原町に国造(くにのみやっこ)置かれなかったのか?


寺内で古墳の発掘調査


なぜ桜井古墳のある原町に国造(くにのみやっこ)置かれなかったのか?

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発掘現場
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真野の草原(かやはら)の万葉集の歌の謎


ここを読まないとわかりにくです



国造は、自らの統治権を認められる代わりに大和政権に対して、子弟・子女の出仕、地方物産物や馬、兵士などの貢上を行わねばなりませんでした。


国造とは、その地方の行政・軍事・裁判権などが与えられた地方官です。もともとはその地方を支配していた豪族ですから、その支配権をヤマト政権が国造という官を与えることで追認した面も大きかったようです。

国造は日本における地方官で、軍事権、裁判権なども持ち、実質的にその地方の支配者であったが、大化の改新以降は主に祭祀を司る世襲制の名誉職となった物をいう

律令制の導入により国造は廃止され、国造は郡司に任命されます。そして郡の上に国が置かれ、中央から国司が派遣されました

5世紀には倭の五王が中国の南朝(宋)に朝貢して朝鮮南部の利権を主張し、百済・高句麗よりは下位だったが、倭王の国際的な地位を確立させた。一方では渡来人を流入させて国力をやしない、経済力・軍事力は飛躍的に上昇した。

武蔵国(東京・埼玉)では、笠原直使主(かさはらのあたいおみ)と同族の小杵(おき)が国造(くにのみやつこ)(国を治める豪族)の地位を争っていた。小杵は関東全域に影響力を持つ上毛野(かみつけぬ)(群馬)の豪族・小熊(おくま)に支援を求め、使主を殺そうとした。それを察知した使主は大和に逃げ経緯を訴え出た。朝廷は使主を国造と認め、小杵を誅殺(ちゅうさつ)した。使主は感謝のしるしに4カ所の領地を屯倉(みやけ)として朝廷に差し出した。

「大和政権にとって、上毛野は軽視できない勢力でした。安閑元年の出来事かどうかはともかく、豪族同士の抗争を好機ととらえ、積極的に介入したことは間違いないでしょう」http://www.sankei.com/life/news/130219/lif1302190021-n1.html


仏教の受け入れに賛成したのは蘇我氏であり、反対したのは朝廷で神を祀る仕事をしていた中臣氏と蘇我氏に対立していた物部氏でしたが、やがて蘇我氏と物部氏の政治的対立に発展します。

いっぽうで国造の支配する地域には多くの独立性の強い中小首長が存在していたため、国造は絶対的な権力はもちえず、その基盤は脆弱であった。それゆえ、大和朝廷は地方支配の組織をより確かなものにする必要があった。

これらの出土遺物?や撥形をなす前方部の形状などから古墳時代前期の築造と推定される。年代的には4世紀?後半から5世紀?初頭が想定され、埋葬された人物は新田川流域を治めていた有力豪族?だったと考えられる。

前方後方墳をさかんに築造した北関東?地方とくに下野国|下野?(現在の栃木県?)および常陸国|常陸?(現在の茨城県?)との濃密な文化交流も考慮される。


寺内で南相馬市の文化財課で古墳の発掘をしていた、あそこになにかしらないがまた建物が建つ、もしかしたらまた大東建託のアパートかもしれない。今二棟建設中であるからだ。

発掘調査する人に聞いてみた、その人はあまりしゃべる人ではなかった。地元の人ではなく外部から来て就職した人である。
古墳は意外と発掘されるものなのだろう。最近で土をとっていた屋形から発掘されている古墳は鹿島区では多い、特に寺内から小池は多いから発掘されるかもしれない、
一番驚いたのは寺内の前方後円墳から金銅双魚佩が発見されたことである。
この辺では非常に珍しい貴重なものとなった

古墳時代があり奈良とかでも関東でも大古墳が作られた、それから小古墳も日本列島全体に無数に作られたのだ。古墳時代という明確な一時代を築いたのである。
古墳があれば明らかにその時代を意識するのである

古墳がなぜこれほど作られたのか?それは葬送としての墓であり先祖崇拝が基本にあったからかもしれない、アモイなども先祖崇拝の像であり世界の宗教は先祖崇拝が最初にあるからだ。それが過度なものになるとき問題が起きた
古墳の厚葬は禁止された、古墳は小さくても場所をとる、古墳だらけになったら墓だらけになったら今生きている人の邪魔になってしまうのである。

国造(くにのみやっこ)というのはわかりにいけどこれは在地の有力者、豪族がいて中央から大和政権が認めた地方官だとある、つまりこれは大和政権下の支配が最初に及んでいた地域だとなる
でも大和政権というのはそれが日本全国を支配していたわけではないし第一強力な地域の豪族がいて統一されていなかった、さらにそこに複雑化したのは渡来人が韓国から入ってきてその人たちがヤマト王権の国造り深く参画したことなのである。
それはその人たちが外来の文化を技術でも仏教でももたらしたからである。

ヤマト王権といっても様々な勢力の混合体でありそれに対立する地域の豪族もありそれらが全部ヤマト王権に組み入れられいないのである。
吉備などはヤマト王権に代わるような巨大な勢力だったからである。
そこでヤマト王権と権力争いが各地で起きていたのである。

そしてその時さらに複雑なのが蝦夷であり蝦夷とは何かとなるとまたこれも不明になっている、蝦夷とは縄文人の末裔なのか、何かわからない、ただ地元の土着的勢力であり
最初に対立した集団である。でもそれがヤマト王権と対立したというのではなく、東北では物部氏と毛野氏が大きな勢力でありそれらがヤマト王権と同格とかなっていて支配下には入っていないということがあった。


武蔵国(東京・埼玉)では、笠原直使主(かさはらのあたいおみ)と同族の小杵(おき)が国造(くにのみやつこ)(国を治める豪族)の地位を争っていた。小杵は関東全域に影響力を持つ上毛野(かみつけぬ)(群馬)の豪族・小熊(おくま)に支援を求め、使主を殺そうとした。それを察知した使主は大和に逃げ経緯を訴え出た。朝廷は使主を国造と認め、小杵を誅殺(ちゅうさつ)した。使主は感謝のしるしに4カ所の領地を屯倉(みやけ)として朝廷に差し出した。

この争いでもわかるように毛野はヤマト王権と対立するような大きな勢力だった
そして笠原直使主はその毛野の勢力に圧迫されていてヤマト王権に支援を求めていたのである。
そして毛野系統から南相馬市の鹿島区の浮田に浮田国造が置かれたのである。
毛野がこの争いでもわかるように大きな勢力だったからこそこういう争いが起きた。
ヤマト王権が支配できない大勢力が各地にあったからである。

だから古代の歴史を古墳時代から見るとこの辺では桜井古墳がありそこが一番大きな勢力としてあったことは確かである。
ではそこになぜ国造(くにのみやっこ)が置かれなかったのか?
それは桜井古墳は寺内や小池の古墳より古い、4世紀とかのものである。
それだけ古いということは最初にこの辺で一番大きな勢力をもっていた一群がそこに住んでいたとなる。
桜井古墳は物部氏が作ったものだともされる、この物部氏とはヤマト王権として統一する前に日本を二分する大豪族であり古来の日本の神道派でありそれが仏教を導入した蘇我氏と争ったというのが定説である。ただ仏教に反対したわけではないという説が最近でてきた。

物部氏が東北地方で蝦夷と戦った、それが海老であり海老はエヒであり蝦夷だった。
そして御刀神社がありそこは蝦夷と敵対する場所にあり刀を刺したところだとなるとまさに蝦夷と戦った場所にふさわしいのである。
地理的に考察すると納得することが多いのである。
神社というのはなぜその場所にあるかが問題になる、その場所なくてならないものとして神社がある、古墳もまたどういう場所にあるかがそれこをみることが大事になる
歴史を場所から地理からまず解きあかすのがわかりやすいのである。
今なら地政学となるが古代などでもそうなるのはその時はその土地に根付いて生活しているからそうなる、その土地のもので食料でも家の材料でもまかなっているからそうなる

ただ古代で複雑になっているのは日本では渡来人が濃厚にヤマト王権が成立する過程でも深くかかわっていた、それと仏教も深くかかわっていた
ヤマト王権は鎮護国家として仏教を採用して統一したという経緯があるからだ
その象徴が奈良の大仏なのである。
そこにも渡来人が朝鮮半島の韓国系がかかわっていたのである
鹿島区にある唐神という地名がそうである。唐の神でありカラとは中国のことではなく韓国のことである。韓(から)でありカラとつくとき韓国系統と関係しているのである。
そして今東北電力が建っている所の鳥打沢も発掘したが大きな製鉄遺跡でありそこにも渡来人がかかわっていた
そして発掘されたの武器を製造していたのではなく仏教の祭具などが多く発掘されたのである。蝦夷制服のための武器が製造されていたのではないのである。

なぜ桜井古墳がそんなに古いのもに国造(くにのみやっこ)が置かれなかったかとなるとそれはかえってそこが一番この辺では発展して人口が多く勢力があったからヤマト王権に組み入れられない、国造(くにのみやっこ)の地方官が置かれなかったとなる
毛野氏がヤマト王権と対立して争いがあったように毛野氏もヤマト王権に全面的に服属していたとはならないのである。

ただ古代というとき縄文時代のような延長のようにみることもある。
でも実際はこのように強力な政治勢力が争っていた時代だともなる
それは今北朝鮮をめぐって中国とアメリカとロシアがせめぎあったり日本もかかわっているのとも同じである。それだけすでに中央の政治でも地方にかかわっていたのである。
その要因はヤマト王権が資源を求めて東北に進出したからである。
それは技術者の渡来人を先導して深く東北に鉄の生産とか奈良の大仏の鍍金になる黄金だとかを求めて進出してきていたからである。

陸奥の真野の草原遠けども面影にして見ゆといふものを (笠女郎)

すめろきの みよさかえむと あずまなる みちのくやまに くがねはなさく

草原(かやはら)となっているけどこれはとても萱原だとは思えない、萱だったらその当時どこでも繁っているからだ、ただ寺内から小池辺りもそうである。
だからといってあの辺は確かに真野郷だけどそうとは思えないのである。
確かなことは韓半島の渡来人の技術者とともに鉄や黄金を求めてみちのくにヤマト王権が進出したことなのである。
その一連のものとしてその過程の中で真野の草原が地名として知られるようになった。
草原(かやはら)はだから自分では地名説をとっているのである。
萱が繁っている光景はその当時めずらしくないしそれがただ美しいからとして奈良の都で話題になるとは思えないからである。
話題になったのはそこに鉄がとれて黄金がとれたことだからである。

ともかくその文化財の人は外部から来た人である、でもなぜ考古学などに興味をもち就職したのかである。普通はそういうところにはよほど興味がないとしないだろう。
その人は聞いたがそれほど興味あって就職したようではない
発掘して古墳としてわかるのは円形の溝のようなものが発見されるとそこが古墳とわかるそうである。円形の溝を造り土盛りしていためだそうである。
でもそういうものを見いだすのも容易ではないと思う。
これは地味な活動である、ただ寺内の前方後円墳から金銅双魚佩が発見されたように宝物が発掘されば興味がでる、何も発掘されなければ古墳すらなかったとなると徒労にもなる
学芸員が観光の邪魔をしている、役に立たないというときそうかもしれない
例えば金銅双魚佩の模造品を示して観光させればわかりやすいとかある
やはり学問というのは専門もあるが教育とは違う、わかりやすく面白いことが要求される
どんな学問でもそうでありすべてのことに人は詳しくなれない、でも何かわかりやすく説明されると興味をもつようになるからである。。


とにかくこの辺は建物がまだ次々に建つから都会化しているのである。
今日は小池のコモドインのホテルでカレーを食べた、うまいカレーだった
一人しか入っていないのも不思議である。


posted by 老鶯 at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)