2017年04月14日

人間は70才まで老化しない? (百歳生きた母の例では・・・)


人間は70才まで老化しない?


(百歳生きた母の例では・・・)



本当は70才まで老化しない(武田邦彦)


これはまちがいないだろう、現代では栄養が十分であり70才までは老化しない、ただ60才以上は病気になる、なにかしら病気をかかえた人が多いのである。
それはいくら健康に注意してもその人の素質で病気になる
老化するというときスポーツ選手などが若いときのように体が動かないということであり普通の人はそんな激しい運動をしないから筋肉も衰えていないのである。
だから現代では70までは老化はしないというのは本当である。
ただ病気になるからそこで体が衰えるのは老化とは違うのである。

病気と老化は違う、老化は病気しなくても体が衰えることである。
例えば認知症は何なのかわからないけど脳の病気である。
それは老化ではないのである、老化による脳の衰えは記憶が悪くなることなどがある
腰が曲がったりすることもある、それは老化であり病気とも違うのである。
病気と老化は分けねばならない、認知症は最近発見された病気なのである。
認知症はこれまで病気とは認定されていない老化現象だとされていたのである。

老化と病気の相違は何なのか?それは老化は直らないが病気は直るということである。
だから認知症も病気だからいろいろ治療をためしているし薬も発明されている
病気だから直るとして研究されているのである。
もし老化だったら直らないのだから治療しても無駄なのである。

自分の母親は百歳まで生きたけど例えば血管に異常がなかった、病気がなかったのであるだから脳梗塞であり脳出血になっていない、それは病気なのである。
ただ腰が曲がった、90度に曲がった、それも病気とは言えずそれでも普通に生活していたからである。腰が曲がるとき苦しんだからそれは病気とも言えるが老化して曲がったのである。

老化とは脳だったら記憶が悪くなるとか誰でも起きてくる、耳も遠くなるとかもある
でも老化と病気は違う、病気は直るものとしてみる、だから研究しているのである。
老化は直らないから治療しても無駄なのである。
人間はたいがいは病気で死ぬ、病気で死なないものが老衰で死ぬのである。
それは正に寿命が来たから死ぬのである。動物でも何でもそうだが普通は病気で死ぬのである。老衰は病気で死ぬのとは違う、老化で死ぬから枯れるように死ぬのである。
だからさほど痛みも苦しみもないのである。
老衰の死に方が一番いい死に方である。百歳まで生きればたいがい老衰で死ぬ
その他はみんな病気で死ぬのである。

自分の母親が百歳まで生きたのはなぜか?体は細く重いものをもてるような女性でもなかった、まず激しい運動などできないのである。
ただ細く長く生きた女性だった、大正生まれで粗食であり苦労はしたが戦後から十年すぎて高度成長期になるとみんなと同じくいいものを食べていた
栄養は良くなったことも影響している
若いときは粗食だったということはそもそも細いのだけど体力がないのだけど基礎的に細くても生きる力があったとなる

ともかく何か過度に運動はしない、家事であり店などしていたが過重なことは無理はしていない、そもそもできないのである。体に負担をかけないことは確かだった
スホーツ選手が早死にするのは過度に体に負担をかけるからである。
母は平均的に毎日同じような生活をしていたのである。それも面白くない人生だったとけどそれが百歳まで生きた原因になる

大事なことは病気にならなかったことなのである。老化はしても病気にはならない
なぜならほとんどの人は病気で死ぬからである。
病気にならなければ老化してゆくが最期は老衰であり枯れるように死ぬ、痛みもなく自然な死になる、だからいつも眠るように死にたいと言っていたけどその願いはかなったのである。
老衰は仏教でいえば成仏することかもしれない、なぜなら苦悶も苦痛もないからである。
人間は自分でもそうだが60代で病気になったがその病気はたいしたことはなかった
だから自分は病気ではないし筋肉も衰えていない、ただ今は筋肉が衰えている、疲れるからだ。でも普通に生活できるから老化したともいえないのである。
忘れッぽくなっているのは確かであり人の名前などが覚えられない、でもそれで脳が退化したのか老化したのかとも思えない、なぜならあらゆることに理解力が深まっているからである。人間は脳が老化するということはなかなかないのだろう。
老人になってますます脳が働くということもありうるのである。

人間はこれからは70才ではない80才まで老化しなくなると思う
そういう環境に生きているからである。
60代で病気になってもならない人も多いし軽い人も多いから80才までは普通の人とたいして変わらずに生きられるかもしれない、ただ一番怖いのは病気なのである。
病気がなければ百歳まで生きて老衰で死ぬとなる、ただ百歳まで生きるとなるととうなるのかイメージできないのである。あと30年かとなるとその年齢がイメージできないのである。
ただ百歳もめずらしくなくなり人間は長寿になるから人生を長い目で見られるといういい面が生まれる、人間は仕事を完成しようとするとき百歳くらいまで生きないとできない
それで天才の北斎は

70歳までに描いたものには、ろくな絵はない。73歳になってどうやら、鳥やけだものや、虫や魚の本当の形とか、草木の生きている姿とかが分かってきた。だから80歳になるとずっと進歩し、90歳になったらいっそう奥まで見極めることができ、100歳になれば思い通りに描けるだろうし

江戸時代の平均寿命となると人生50年だろう、そういう時代に90まで生きたとなると例外的な存在である。
このことは平凡な人でも現代だったら言えるのである。
自分は天才ではないけど時間をかければそれなりのものになるということである。
まちがいなく年を重ねれば理解力は深まるのである。
何か自分は若いときは詩でも何でもたいしたものが書けないというよりは若いとき詩でも何でも文学的作品を書いている人が多いがそういうものが書けなかったのである。
そういうものが書けることがありまた理解力が深まってるからたいだいのものは理解できる、鑑賞できる、若いときは鑑賞もできなかったのである。

脳とは何か?それは人生の中で積み重ねで経験で作ってゆくものである。
脳に回路を人工的に作ってゆくのである。脳とは誰の脳も完成されたものはないのである資質はあるにしても未完のものとして与えられているのである。
それを生かすも殺すも本人次第だとなる
ただ天才はそうした積み重ねで成すのではない、すでに作られているのが天才だともなってしまう。
だから北斎は天才だからこういうことを言うのは何なのか?
やはり天才でも年を重ねてしか自然でも絵の上達はないということなのである。
要するに何かを理解するにはそれだけ人間は時間が必要なのである。
認知症のことなども経験して書いてきたがあれはこういうことだったのかとかあとで理解するようになる。その時は夢中であり理解できないのである。
だから何でも理解するのには時間がかかる、人間でも死んでからその人のことを理解することがある、それだけ理解すること自体がむずかしいということなのである。



2017年04月15日

無連関の社会がナチスを生んだ (分断部品化された社会ーピカート、イリイチを読む)



無連関の社会がナチスを生んだ


(分断部品化された社会ーピカート、イリイチを読む)


人間は自動車や飛行機によってむやみに空間を奪いとったから、人間は空間に内包しているものを真に所有するだけの時間的余裕をもたなかった
人間は空間を縦横に走り回ったがしかし彼はもろもろの事物をかたわらを素通りしただけである。

もはや人間はいない、もはや自然もそして神も存在しない、存在しているのは連関性喪失そのものの機構だけである

言葉と事物は割れていたのである。言葉はもはやそれが名づけるところの事物と対応していなかったのである。
「われわれ自身の中のヒットラーピカート」

飛行機だと地球の裏側まで一日とかで行ける、しかし飛行機では空間を全く体験できないその点船であれ鉄道であれ空間を体験はできる、本当に空間を体験できるのは歩くことなのである。だから歩くことが新鮮なことであり人間回復に通じている
車社会になるとまず歩くことはない、また電車にも乗らないから乗り方さえわからない人が多いのである。車社会とは自然からも風や光も感じないから自然から遮断されているのである。
現代社会を作っているのは自動車だということが言えるとき車は単なる車ではない、社会そのものなである。だからこそ鉄道より車が利用されて鉄道は廃れるとなる

大地を歩くことがふみしめて歩くことは大地を感じることである。

一里ほど歩み大地に草萌ゆる

歩むことにより大地から草が萌える春を感じる、でも車だと大地の表面をかすめるというだけになる。大地の重みを感じないのである。
だから高村光太郎の牛の詩は大地自然と一体化した詩でありそういう詩は今は作れなくなる、牛というのも牛肉したり乳牛したりとするとき牛本来の自然の姿ではなく人口化された機械化されたものとなる、牛でも馬でも昔を農耕していたし荷物を運んでいた
すると動物でも奇怪ではない、動物本来の自然を生きていたとなる
鶏でもそうである。今は卵を生む機械にされている、そのことは人間も同じように一つの機械にロボットにされている社会なのである。
生き物を機械としてあつかうとき人間も同じようにされるのはやはりカルマの法則なのかもしれない。

存在しているのは連関性喪失そのものの機構だけである。

機構というとなにのなか?一つの団体と組織とかであろう。それは社会全般でそうなっている、一見現代では当り前と思うものが異常なものの産物である。
それが現実社会を生きていれば気づかない、みんなその中で生きるために必死だから会社員になれば会社のために必死に働くだけだとなるからだ

分断され部分化、無数の部品化された社会というとき一見きづかなけどあらゆるものがそうなのである。
学校でもそうして分断分化された機構なのである。そして学年によって分けられているのもそうである。
学年ごとに分類されて同質のものとして分類され分離されて学年が年が違うと交流がなくなる、江戸時代には子供は子供社会がありそんな学年ごとに分化されていないのである。江戸時代の不思議は現代にないものがあったということである。
それは架空のものではない現実にあったから具体的なものとして比較できる

例えば農家というときそこは自給自足する一つの全体をになっていた。だから水でも裏山からとり木も利用して家の木材として利用したり動物でも牛でも馬でも農耕で使いとか鶏は庭を歩いているから庭の鳥となっていたのである。
ニワトリとはまさに庭と結びついていたのである。今はニワトリは籠に入れられ卵を産む機械とされている
昔の農家は自給自足の中で生きていた全体として生きていたのである。
だから納豆までも作っていたのである。
そういう世界では回りとの連関を無意識的に生活の中で実感しているから感覚的に相当に違ったものとなる
現代ではそういう世界を連関を意識できない社会である。水はどっから来るんだろうとなると裏山から来るのではない、ダムから来ているとなるとそれでも身近に感じられない
水というもののありがたさを感じるにはやはり自然そのものの水を感じる、裏山から流れる清水だったらそれを感じるのである。

馬酔木なす 栄えし君が 掘りし井の 石井の水は 飲めど飽かぬかも 

まさに万葉集にはそうして自然と密着して生きた人々の声が伝えられている
それは自然と共に栄えていた人間の姿である。
文明化するとそういうものがなくなる、水がどこから来るのか、
食糧がどこから来るのか?地球の裏側から来たりしているから意識できないのである。
ただその時必要なものは金であり金でなんでも買えるから金の方がありがたいとなってしまったのである。
とはいえ趣味程度の畑でも苦労が多くそこからごくわずかのものしかとれない、となると金があれば野菜でも果物でも手に入るとなりその地元の知っている人の畑は何の価値があるのだろうともなってしまう
その女性は農家の出であり自給自足の生活を実家ではしていた時があった。田舎では戦後十年くらいまではそうだった、だから遠い万葉集の時代のことではないのである。

いづれにしろ人間は学校だけではない、人間は分断され分化され分類されている
それはいたるところでそうである。まず会社が違うと何をしているかわからなくなる
そして人間は病院があるとするそこは医者や看護師がいて患者がいて分離隔離された機構なのである。それは学校は学年ごとに分離隔離されたものでるのとにているのだ。
老人ホームでもそうである。老人だけしかそこにはいないからだ。
子供は子供として老人は老人として病人は病人として隔離されているのである。
相互に分断され連関しない社会である。その連関がない社会故にヒットラーが生まれたというのもわかる。
カルト宗教団体がそれににているというとき宗教も分断分離されて隔離されているからだなぜそれほどの人間が集まるのか?それはナチスがヒットラーが生んだ構造と同じだからである。そこは真の共同体ではない即製されたインスタントな疑似共同体だという指摘があたっている。
真の共同体とは空間と時間の中で作られる、それは例えば相馬藩だったら江戸時代からその前からつづいていて形成されたものである。
そういう空間と自然の中でのアイディンティティを追求したのが自分であった。

だから原発事故でも実はこうした文明社会のなかで起きたことなのである。
原発の中には地元の人も立ち入れることはできない、それは病院が医者と看護師のもとに支配されているのともにているのである。
原発の中は科学者という専門家しか立ち入ることはできない、隔離されていたからである病院でも医者が薬剤師や看護師という専門家しか立ち入ることでできない、一般人はその中で無力化されているのである。
専門家というときそれも批判された、マスメデアも実は情報の専門家なのである。
だからマスメデアは情報の専門家として政府と東電と結託して「安全神話」作っていたのである。なぜなら何百万人に報道できるのがマスメデアでありマスメデアは大衆を情報で操作する力をもっているからである。その対抗として素人のインターネットメデアが生まれたのである。それはいいことだったのである。
でなければ情報まで専門家集団のマスメデアに牛耳られてしまうからである。

彼らの役割は傍観者、証人のそれに限定される。まるで法的プロセスとは何か大がかりなきしみ音をたてる機械のようなもので、一旦動き出したらその仕組みに精通したものしか近づいても操作してもいけないというかのようである(イリイチ)

専門家というときいたるところにいて分断された機構を作り支配するのである。
病院という空間では医者と看護師が学校では教育者が裁判所では法律家がとか原発では科学者がとかになり素人は立ち入ることができなくなる、カルト宗教団体も分断して隔離する機構である。それも文明批判として常にあった。
原発事故でもそうした文明という構造物から必然的に生まれたものである。
だから確かにアウトサイダーが言うように文明そのものの否定が拒絶によって人間回復するというのは言える、それを自分は田舎で追求してきたともなる
シュペングラーやニーチェやミラーとか上野霄里氏とか天才的な人はこうした部品化分類化した社会に耐えられないからそうなったのである。
ただそういう人は天才であり偶像崇拝になるから危険でもある。
またなぜ偶像化するというのも現代文明がヒットラーのようにそういうものを求めるているということもあるからなのだ。一人の人間なの中に人間を回復させようとするからそうなるのである。


福島第一原子力発電所の事故の原因の深層(イリイチの「専門家時代の幻想を読んで)


文明は必ず崩壊する運命にある 専門家ではなく専門家集団機構が崩壊した


文明は必ず崩壊する運命にある

原発事故で専門家ではなく専門家集団機構が崩壊した

sppppp123456787.jpg

江戸時代とか昔を万葉集でも参考にするのは別にその時代がいい時代だったとかその時代に暮らしたいというではない、そういう時代がありその時代の生活を今と比べてみると現代がどうなっているのか?
それが明確に対照化されてわかりやすいということである。
社会をみるとき現代だけをみているとわからないのである。
単純に比較すれば

学校がない

病院もない

会社もない

工場もない


鉄道もない

車もない

電気もない

電話も携帯もスマホもない


今当たり前にあるものが一切ないのである。そういう社会は現代では理解することがむずかしいのである。
そんなところで今なら生きていけるのかとなる、特に戦後十年の自給自足の生活を経験していない高度成長などに育った人は理解できない社会である。
例えば飛脚などがいて走って郵便を届けていた,それが人を継いで東京から大阪まで走った、その間に70人の人が継いで走っていたのである。
つまり郵便一つ送るにもそれだけの手間が必要になる。今ならボタン一つでできるからだそして江戸時代の人口が3000万人にもみたない社会であった。

そういう規模の社会が今になるとイメージできないのである。辺りが森でおおわれて電気もないのだから真っ暗な世界になる。
原発事故の避難区域になったところか人が住んでいないので夜になると暗くて嫌だというがそれが当たり前の世界が江戸時代だったのである。
そういう世界に生きていると人間はどうなるのか?それはまず都会では東京のよう大都会ではとてもイメージすらできない社会である。
江戸があったとしてもその江戸ともまるで違った世界だからである。
江戸ですら電気がないのだから真っ暗闇であり草木も眠る丑三つ時になっていたのであるこれだけでも相当な違いである。東京などは大都会は眠らない都市となっているからだ。

だから江戸時代と比較するとき現代の問題もわかりやすくなるのである。
ピカートとイリイチのことを例にしてその本から引用して現代の文明を批判した。
でもどこが問題でどこが違うのかとなるとわかりにくい。

それで専門家とは何なのか?江戸時代の専門家とは何なのかとなるとやはり専門家はいた
医者という専門家もいたし学者という専門家もいたし職人という専門家もいた。
専門家というときそれは個々人としての専門家である。
でも現代の文明で問題にしたのは専門家という個人ではなく専門家集団機構のことである教育というとき寺子屋があり先生がいたとしてそれは専門家集団機構のことではない。
教育という分野は国家でも私立でも専門家集団機構となっている
寺子屋の先生のように一人で教えていたりしないのである。

職人という個々人の専門家はいたとしても専門家集団機構とはならない。
現代はあらゆるものが専門家集団機構となっている、第一会社がそうである。
そしてみんなが会社員の時代では個々人の職人はいない、大工などが例外的にあってもその人たちも会社に所属していれば専門家集団機構に所属することになる
医者でも個々人の医者であり病院がないのだから専門家集団機構とはならない
ここで問題なのはこうした専門家集団機構は一つの巨大な権力をもつことである。
それは素人が立ち入れない集団を形成して権力をもつことである。
それは国家でも官僚という集団があり東大閥を形成して法曹界を牛耳るとかある

今回の東電の原発事故でもそうした科学者技術者集団が専門家集団機構が起こしたものである。そこはさらに政府とも一体化して巨大な専門家集団機構として権力をもったからとても素人では太刀打ちできない、それよりそこに立ち入ることもできないものとなっていた、つまり文明社会はそういう仕組み、システムの上に成り立っているのである。
だから原発事故でもそういう文明自体のシステムが崩壊したとなるのである。
だから専門家集団機構が崩壊したとき文明の崩壊にもなる
そういうことが原発事故でこの辺で起きたのである。
現実に故郷にも住めなくなったことでもわかる

そういうことは例えばマヤ文明でも起きていた、カンボジアのアンコールワットのような文明でも起きていた。それも高度な技術をもった文明だったのである。
その遺跡を見ればわかる、マヤの場合は天文学を駆使してテクノクラートが支配していたから現代が科学技術者が支配していると同じ構造だったのである。
それが崩壊したのは科学が天文学が限界に達して崩壊した、世界が滅びる日にちを割り出してそれで破滅だとかカルト宗教にもなっていたのである。
そのカルト宗教というとき原発もカルト宗教のようになっていた。
安全神話を作り絶対に事故は起きないとして原発を神のように崇めることにもなったのである。それが事故で崩壊してその周辺が住めなくなった状態は文明の崩壊である。
アンコールワットでもマヤでも森の中に遺跡は捨てられたのとこの辺はにているのである原発事故で文明の崩壊現象が起きたのである。

専門家とは人間の社会では常に存在するしそれは否定できない有用な人としてある。
実際に自分はインターネットなどで病気になったとき調べてそれで死ぬところだった
だから自分で病気など判断するのは危険なのである。
民間療法を頼り自分と同じような目にあった人がいる、情報の迷路に陥りかえって体を悪くしたのである。だから専門家は必要なのであり有用である。
ここで問題のはそうした個々の専門家ではない専門家集団機構となったものを問題にしている。
現代文明の問題はその専門家が専門家集団機構となって権力をもちそれが崩壊したとき原発事故のように文明も崩壊するということである。

それはアンコールワットでもマヤ文明でも起きていたのである。
なぜそうなるのか人間の知能は神のように全能ではない、限界がありそれでいくら優秀な科学技術集団で専門家集団機構として権力をもってもその権力の基盤となる科学技術が限界に達して崩壊する、それはマヤ文明などでも起きていたのである。
そこに人間の限界があり崩壊して文明の遺跡は森に埋もれたのである。
それと同じような現象が原発事故周辺で起きたのである。

2017年04月17日

朝桜(相馬市から新地まで-俳句十句と写真)


朝桜(相馬市から新地まで-俳句十句と写真)

hachimannnn111.jpg

hachimannnn111222.jpg
相馬氏の八幡神社

hachimannnn111222333.jpg
相馬神社
hachimannnn11122233344.jpg
相馬の城跡の堀の桜


新地の景色

hachimannnn1112223334455.jpg
今落ちた椿
hachimannnn111222333445566677.jpg
新地を行く電車
hachimannnn11122233344556667788.jpg
ここから海が見えた

hachimannnn1112223334455666778899.jpg
新地駅

注意ークリックして拡大しないときれいに見えません

今回の写真はみんな大きくしないと見栄えがしません


朝桜遠くに行かむつばめ飛ぶ

八幡の鳥居の赤く朝桜

金色の錦鯉に朝花散りぬ

金色の錦鯉浮き朝桜

馬を曳き相馬神社の朝桜

今落ちぬ椿の赤し望む海

朝桜海を望みて新地かな

新しき新地駅かなつばめ来る

残雪の蔵王光り見ゆ新地駅

春の朝海を望みて電車行く

草萌えて電車の行くや望む海

薬師堂帰りきてあわれ夕桜


朝日さしロードに走り風に散る花や遠くに我が行かむかな



朝からロードで新地まで行った、途中八幡神社の桜を見た。朝日がさし晴れていたからきれいに写真がとれた、写真は光の影響が大きい、桜はすでに盛んに散っていた
あそこの錦鯉に金色のがいて写真にとれた。
相馬神社では馬を曳いていたのは神社で野馬追いの馬を飼っているから相馬らしいとなる
新地の風景は変わってしまった、電車が海を望んで走っている、あういう風景はまるで変わった風景だし駅でもそうである。
新地の地形の特徴は海と接して高台になっていて海が望める
その高台に家が点々と森につつまれてあるからいいところである。

仙人は山の上から手を延ばして海の貝を取って食べていたと言われ、その食べ滓の貝殻が山のなかから今でも見つかるとのことです。これは、縄文時代の貝塚であり、この地域には石器時代の昔から集落があり、その遺跡が後に伝説を生んだと見られます

手長明神の伝説は各地にあるとして新地はその伝説が勝手に作られたものではない
現実に海の近くの高台に貝塚が発見されている、貝をとって暮らしていた人たちがいたのである。そういう地形になっているのである。
だからなんでも伝説でも歴史でも地形をみることが大事になる、その地形は地図を見ただけではわからないのである。

新地は津波の被害が大きかったけど新地駅は前より開発された良くなったし風景までが変わり電車からみる景色も海が広々と見えるから良くなった。
ただ風の影響を受けるので自分が見た写真にとった電車も徐行していた、それで写真もとれた。写真をとるにはいい景色に変化したのである。
そして新地にはソーラーパネルがなかった、だから景色が乱されていないからいい
実際に新地の人口は減っていない、若者も流出していないのである。

それに比べると小高でも浪江でも飯館でもその差が大きすぎるのである。
飯館は森につつまれたアルカディアだったけどソーラーパネル工場と化してしまった
あそこの草野に住宅ができるとしても何か住みたくない。風致が乱されてしまったのでがっかりした。
この辺で風光明媚というとき浪江の水墨画のような高瀬川であり森につつまれたアルカディア、桃源郷とかが飯館村であり新地は手長明神の伝説が残る海に接して高台に人家がある所としてあった。

阿武隈山脈は森が多いし森につつまれた世界である。だからそういう森の影深いところが多いのである。その風景自体変わっていないが飯館村は変わってしまった。
それが残念なのである。第一土がけずりとられたままで田畑も耕作できなくなったからである。だから飯館村が離れていたけど原発事故の影響が大きかったなと思う
何かそうした風景というのは景観というのは心に影響する、ソーラーパネルはその景観を乱すから嫌なのである。でも土地の利用方法がないからどうにもならないのである。

源義家の〈吹く風をなこその関と思へども道も狭(せ)に散る山桜花〉

今回は朝桜が晴れ渡り映えた、そして風で桜は散った、天候も昼間からは曇り雨も降ったそのあとまた晴れたのである。
だからこの歌がふさわしかった。ここでは山桜になっているけど自分が見たのは染井吉野の桜である。第一山桜だとこんなに散る景色は見ないのである。
だから何かこの山桜と染井吉野が混同されやすいのである。
これは感覚的には相当に違ったものであるが今は染井吉野の桜を見ているのが多いのである。

帰りは日立木の薬師堂の桜を見て帰ってきた。今回も疲れてぐったりして病気のようになった。何か疲れやすくなった。だから自転車は苦しくなった、でもやはり自然と一体化するのには自転車でありまた車もないから自転車で行く他ないのである。

2017年04月18日

老化は防ぐには筋力が大事 (自転車は効果的だったのかも)


老化は防ぐには筋力が大事


(自転車は効果的だったのかも)


 体の中には発汗の際に働く汗線周囲の筋肉や、視力を調節するレンズ周囲の筋肉など小さな筋肉も含めると650種類もの筋肉があり、その全てが連動して生命活動を支えています。これら全ての筋肉には共通点があります。それは、筋肉は神経を介して脳とつながっているということです。

 特に鍛えたいのは、「大腰筋」

鍛えたい太もも周辺部の筋肉のうち、特に重要なのが「大腰筋」です。大腰筋は股関節と骨盤をつなぐ大事な筋肉。歩行時に足を引き上げたり、階段の上り下りをしたり・・と日常動作で大きな役割を果たしている筋肉です。

自転車をこぐ時に、競輪選手のように頑張って自転車をこぐのではなく、あまり急な坂道ではない位の平坦な道で、頑張らない程度にこぐと、大腰筋が良く使われます。

大腰筋が重要なのは、大腰筋が、背骨と骨盤をつなぐ姿勢を保つ要の筋肉だからです。
大腰筋が衰えると、骨盤も歪みやすくなります。


人生の結果が老人にでる、しかしそれは予測できないものなのである。老人になってはじめてそきことを知り愕然とするのである。
それはあらゆる面でそうでありカルマの総決算が現れるのが60代以降である。
なぜなら人間はどんな人でもカルマを積んでいるからである。
カルマとは行為のことでありそき行為が結果として老人になり現れる

だからその人生は行為の積み重ねであり想き結果が老人に現れる、それが自転車と何の関係があるのかとなるとやはり自分の場合はあったのかと思う。
自分はサイクリング旅行したりしたのは40代でも車がないのだから自転車にのっていたからである。
ただ最初は20代でも電車でずっと旅行していた。そして自転車で旅行している人をうらやましくみていた、あんなことできないと思っていたのである。
それが電車の旅行がものたりなくなり40代からするようになった。
海外旅行もできないと思っていた、それを50代ではじめたのである。
人間は何か最初から思い込みがある、自分にはできないと思ってしまうのである。

新地駅であった老人は体は小さいのだけど何か言うことはわからなかったが盛んに自分の体の自慢をしていたのだと思う。そして俺は体は丈夫なんだ、見ろこの筋肉をと言って触らせた、それが本当に筋肉が盛り上がって堅いのである。ボディビルダーのような筋肉をしていた。自分の筋肉はさわると柔らかいのである。
あの人は肉体労働をしていた。そういう生活の積み重ねで筋力が鍛えられたのかもしれない、そういう人は他にもいる、体が大きいから体力があるとは限らない
船乗りだった人は体が小さいのである、あんな体で船乗りに漁師になれるのかと思った。でもその人は体が機敏なのである。だからゆれる船ではかえっていいのかと思った。
それから鳶をしている人も体が細いのだけど機敏なのだろう。高い所で細い鉄骨のような所を歩くの怖くないしかえってあっているというから驚きである。

いづれにしろ人間は生まれつきの資質は一生を左右するのも確かである。そういう資質は変えられないし作れないからである。
だから人間は本当に学歴ではない、資質が左右して仕事ができるかできないかで決まる、収入も決まる、鳶の人はやはり収入がいいし仕事ができる人は収入がいいのである。
大工だって何だって仕事には資質が作用している、東大でようが資質がなければ仕事ができないとなる、だから学歴で人間は評価できない、ただ理系となるとそういう素質が資質が関係しているからある程度は見れるのである。
文系となると東大と三流でもほとんど関係ないのである。
ただやはり学問でもなんでも積み重ねだからそれが影響してくるのである。
得手不得手があったとしても長年積み重ねがあれば詳しくなれる、第一あらゆることに精通などできないからである。

だから老化という問題もそうした人生の結果として現れるともなる、60代すぎると10年くらいの差ができる、特に病気したりしたらもう急激に老化しているのである。
だから老後は60代以降は病気が一番怖いのである。でもなんらかの資質でまた素質で病気になるのである。
自分は自転車にのりつづけていて悪い結果としても現れたかもしれない、自分の病気は自転車にのっていたためだっかもしれない、ただいい面として「大腰筋」が自転車だと鍛えられていたのかもしれない、何か若く見えるというのもそうかもしれない
自分は20代で60に見えていたのである。老成していたのである。
だから奇妙だけど今になると自分はその20代と変わりないともなる、顔でも変わらないとなるのである。
自分は母と同じように体力がない、だから激しい運動はできないのである。
自転車は登山のような激しい運動ではないからできたのである。

そして結果的に「大腰筋」が鍛えられていて筋肉が強化されていたのかもしれない、姿勢がまだいいからだ、ただ別に自分だけではない一般的に今は老人はそうなっている
病気になったりするのはまだ少ないからである。だから比較はできない。
ただ人間の体では筋肉が一見腕の力こぶとか目だった所をみるが全身が筋力でそれが脳にも影響しているというとき筋肉が神経とも連携している、となると筋肉は体にとって大事だから老化をふせぐためには筋肉を鍛えろとなっている
筋肉が大事だというとき寝たきりになると筋肉が急激に衰えて立つことも歩くこともできなくる、そのことによって介護する人は過重な負担を強いられるのである。

自分の母親は死ぬ一週間前までホータブルトイレにベットから起きてしていた。
それまでも這ってトイレにまで行っていた。なぜ寝たきりで動けなくならなかったのか?
それはやはり細身だったけけど筋力がまだあったからだったのともなる
筋力が弱ると起き上がることも立つこともできなくなるからだ。
こういうことで自分は介護してもなんとかできたのである
オムツもしてなかったからである。
だから介護されるにしてもこうして楽だと迷惑をかけないことがある。それには筋肉が働く必要があったのだ。

長寿社会というのは先が長いとなるとき金の問題も大きいがまた健康の問題も大きい、
どうしたら健康に長生きできるとか、どうしたら楽に死ねるとかなる
自分の母親はその点百歳まで生きたけどさほど迷惑をかけないで死んだなと思う。
ただ母の人生は何の面白味もない人生だったからそれがいいかどうかはわからない。
ただ健康面から見れば良かったとなるだけである。

ともかく老人になれば60代以上はやはり何でも日頃の生活の積み重ねが現れる、それはカルマでありそれが結果として現れる、それは肉体面でもそうだし精神的面でもそうなのである、それは刑法で罰せられるか罰せられないとかではない、その内面に刻印されるものがあるから怖いとなる、顔に責任をもてとかなるのもそうだろう。
人間はなんらかカルマを積むしそれは精神面でも体の面でもそれが結果として老人になり現れる、自分が十年間の自分の病気とか介護とか他者から苦しめられたのもカルマだったのである。
このカルマは誰でも相当に厳しいものとなる、ただ自分はそのカルマを十年間で清算したのかもしれない,それはまだわからないにしても何かそういう感じはする

落椿の里(橲原をたずねて)



落椿の里(橲原をたずねて)

dozouuuuuuuu123456.jpg
夕日さし土蔵の壁や落椿

koyasuuuji1.jpg

tubakiiiiiiij111.jpg

mochiiiiiiiiiiii1234.jpg
この墓は明治時代以降のものである 

ochitubakiiiii12345.jpg

midouuuuuuu123.jpg

tatemmmeishiii123.jpg
立目石



夕日さし土蔵の壁や落椿

この村に子安神社や春の暮

橲原の名もなき墓や落椿

橲原の渓流に和して夕鶯

渓流に声をみがきぬ夕鶯



滝響き高きに咲きぬ山桜夕日のさして風に吹き散る

夕日さし散りし椿や橲原に名もなき人の静かに眠る

渓流に鶯鳴きて橲原の夕ぐれあわれ山桜散る

橲原に御堂の一つ夕ぐれや枝垂桜に暮るる道かな

立目石夕日のさしてここにあれ渓流のひびき春の日暮れぬ

橲原に一軒隠され家のありたずねてあわれ春の夕ぐれ

橲原の木を柱にしその家に我が住む久し老いにけるかな

帰りきて待つ人なしも我が家かな春の夕星(ゆうづつ)一つきらめく


橲原にひさしぶりに行った、滝の所までは行ったがその奥には暗くなって行けなかった。あそこも放射性廃棄物場になった所があり風致が乱された
ただこの辺では人が住まなくなったというところはない、ただ八木沢峠の麓の家は住まなくなった、それは川をさかのぼったずっと奥である。

橲原(じさばら)というのは不思議な場所である。栃窪とも違う、狭い隠された山間の中にある小さな村である。この村でも江戸時代からあった。たいがい日本の村は江戸時代からある。
そもそもいつも思うことはこうした小さな村が日本には多い、そうしたらどうして暮らしていたのかということが不思議になる、橲原だったら木材資源があり炭焼きをしていたとかは山村だったらどこでも同じである。田畑はあるにしても狭いからその村で食べるくらいはとれた。あとは炭焼きとかで現金収入を得ていた。
炭焼きというのがあり生活できていたのかとなる

自分の家はその時まだ外材が入らないので姉が同級生がいてその人が橲原に住んでいてキリでありその人に木材を選んでもらい買い今の家を建てた
こういうことは戦後まもなくは普通だったのである。
外国は関係ない経済だった、森林でも森林鉄道が網の目のように張りめぐらされていたよように木材であり石材を蒸気機関車で運んだのである。
それは主に東京に運ばれたのである。ただ外国と関係しているというときアメリカに絹製品を売るために養蚕が全国でどこでも盛んでありそれは外国と関係してそうなっていたのである。それが外貨をかせいで外国の資源を石油なども輸入していたとなる
だからその時も外国と関係しないということはなかった
でもその絹製品を生産するのは養蚕だから農業だったのである。
だから山村でもできたしどんな辺鄙な所でもできたのが養蚕だったのである。

ともかくそうした国内経済とか自給自足の村とかに成り立っていたときはそれぞれのつながりが生活の中であった、そういうことは江戸時代から万葉集時代までそうだったし戦後十年くらいまではその延長だったのである。

天皇の御製歌(おほみうた)一首

あをによし奈良の山なる黒木もち造れる室(やど)は座(ま)せども飽かぬかも

「黒木」は皮のついたままの木のことである

橲原の木を柱にしその家に我が住む久し老いにけるかな

こうなるときやはり生活の充実感を感じる、外材だとそれを感じにくい、それは食糧でも地元からとれたものを食べているのが充実感があるけど外部から入るのが普通だから昔とは違っている、米でもそうだからそこが昔と一番違っているのかもしれない。
熊本地震でも橋が壊れて孤立する村ができた、今でも不便なのである。
今は流通がたたれると生活できないとかいう人がいたが本当にそうである。
あらゆる物資が村や町の外から入ってくるからである。外国から入ってくるのも普通だからである。
そういう生活は便利でも何か不安があり充実感がないのである。
その不安とは何かの異変が起きて外国からは物資でも入らなくなるという不安なのである

橲原は戦後やはり小池ですら戦争の引揚者が開墾に入った人たちがいた。だから開墾に入った人たちがいたかもしれない、ただ狭い所だから飯館村のようには開墾する土地がないからわずかだろう。あの名もない石くれの墓は明治時代からのものである。
なぜあのような墓なのか?普通でも墓を作ることは金がかかるから簡単にできなかったのである。だから墓でも今とは違って粗末なものが多いのである。
まず五輪の塔の墓は武士のものであり庶民はそんな立派な墓は作れないのである。
庶民は江戸時代は墓自体作れなかった、村のホトケッポという場に共同で埋めていたのである。
死者が眠る場所にふさわしいのは山である。だから山にもともと死者を埋めていたのである。
それで万葉集にも死者は山に眠っているのである。その山で死者に会いにゆくということがあった。
海側に墓地があるのは何か今回の津波のように向いていない、波の音がするし落ち着かないのである。

橲原の不思議は隠されたようにある村なことである。今は別に農業しているわけではないみんなどこでも会社員である。ただそこに田畑があり一応農村という外観があるとそこから昔を感じるのである。
だから放射能騒ぎがあってから田畑が作れないとか放射性廃棄物場になるとかそれで乱されたのである。この辺はまだ人が住めるし住んでいるからいいのである。
全く住めなくなった所がありそこは廃村になってしまったからだ。

橲原は落椿の里である。あの名もない墓地の所に椿が散っている、それがなんともあの場所にあっている、そういう場が田舎にはある、その場独特の雰囲気である。
それは新地でもそうであり飯館村でもそうであり何かその村特有の雰囲気がある。
それが放射能騒ぎで乱された、飯館村はソーラーパネルの村になったからそういう雰囲気がなくなった、それが一番自分にとっては悔しいとなる。
そのことで怒りを感じるのである。
例えば都会などは東京でも何か地震でも戦争でも破壊されたときそこはもともと自然が存在しないのだからその跡は無惨でもそんなに感じないかもしれない
そもそもあのような煩雑な場所に人間が住んでいることが異常に思えるのだ。
感覚的におかしくなってしまう、若いときはあのような都会の方でも良かったのである。田舎はなにもないものたりないものとして嫌っていたのである。

とにかく元のような平安な村にもどることである。それは橲原だけではない、避難区域になったところでもそうである。そういう村が消失したということは大きな損失なのであるそして放射性廃棄物場になりソーラーパネルの村になるのも困るのである。
海岸側はある程度はしかたないだろう。山村までソーラーパネルになるのが嫌なのであるでも飯館村ではなってしまった。橲原にはないが原町でも奥の方にソーラーパネルが設置されていたりする、それが数は少なくても嫌だとなる

それにしても家族が待っていない、それでも我が家なのだろうか?
家族がいないという経験もまた不思議である。介護していたときはやはり家族がまだいたから違っていた。がらんとした大きな家に一人いることが何か違和感を感じる
淋しいということもある、でも組でも四人は自分と同じく一人暮らしであり大きな家に住んでいるのである、一人は女性なのである。そういう独居老人が増えているのだ。
そこに問題も起きるのである。
何か家族がいないと誰かと話したいとかなってくる、それでスーパーであれ人ごみに老人が行くという気持がわかる、自分も家族がなくなってから人がいるところに人と話したいとなり駅に行ってボランティアしている、そこで人に話しかけているのである。
それを嫌がられることもあるが外からきた人には案内ということがあり用があるからいいのである。

今年の春は桜が散るのが早い、山桜さえ散っていた、山桜は染井吉野より遅く咲くがもう散っていたし船岡の千本桜も散っていたと車で行った人が言っていた、全国的にも桜が散るのが早かったことはまちがいない、今年は外に桜を見に行く前に散ってしまったとなる

タグ:橲原 落椿

2017年04月19日

桜散るー春時雨(仮設になお住む小高の人ー車椅子の行く風景)



桜散るー春時雨(仮設になお住む小高の人ー車椅子の行く風景)

harushiguuuu123.jpg


畑中を車椅子行く春時雨


幾年をここに桜の咲きて散る仮設に小高の人なお住みぬ

はや散りて残れる花も風荒く今日にも散りなむ時はすぎゆく

復興の団地の隣公園に椿の散りぬ3年はすぎぬ


畑の中を車椅子を押して行く人がいる、何かその光景も自然ととけあっているからなごむこれが病院だとそこは無機質な空間になる、人間はやはり障害者になっても自然の中にあるのが幸福だともなる、そういう配慮はなされていない、病院の中に庭があってそこで自然を感じるということもある
ターミナルケアの病院ではそういうことをしている、それは高額になり金持ち用になる
最期の時はただ体だけをみていてもそれが幸福とはならない
だからガンになっても登山したり合唱したりとしているのはそのためである。
最期はチューブで生かされいるのは悲惨である。
それが直るならいいが直らないから悲惨であり非人間的になるのである。
春時雨というのは結構経験するものである。ただこの季語に注意していないとわからないということはある。

川岸に小高の人がいた、一度も会ったことのない人である。その老人は小高に帰るのかと聞いたら新しい家を建てる予定だが大工さんがいないのでできないとか言っていた。
何か小高の人は新しい家建てるという人が前にもいた、でも老人だけが帰って新しい家に住んでどうなるのだろうとは思った
ただこの際金が入ったりしたから新しくするということはあるだろう。
復興住宅には入りたくないと言うのは家賃が結構高いからである。
近くの復興団地は7万とられているとか言っていた、家族が多いとそうなるし所得によって家賃は差があるからだ。
自分の墓の前の復興団地もすでに2,3年は過ぎているしその隣の公園ではそこに住む人が利用している、そこに椿が散っていた。

仮設暮らしというのは5年とか6年とか住んでいるというどういう気持ちになるのか不思議である。それはそうして住んでいる人しかわからないものである。
小高の人が鹿島に六年も住んでいるというのも不思議だとなるだろう。
他でも津浪の被害者でも未だに仮設に住んでいるし新しく家を建てる人はいても建てられない人も多い、原発避難者は小高でも新しい家を建てるというとき補償金をもらったからそうなるし恵まれているとなる
どうして新地駅前にあれだけ土地整備したのに新しい家が建てられないのか?
やはりそれだけの資金がないのだろう、家を建てるには土地こみ3000万くらい必要になるだろう。その金は大きい、そしてなぜ新地駅前の施設が工事がはじまらないのか?
それも人手不足が影響している、建築関係の人手不足は全国的なものである。

ともかく時間と共に次々に変わってゆくのが人間社会である。それが無常なのである。
震災から6年すぎたときもう祖父母とその子供と孫の生活は変わってしまったのだ。
生活が別々になってしまったから若い人は帰れなくなったのである。
この辺の変化が大きすぎたのである。その変化の波にもまれて時間が無常にすぎたのである。



はや散りて残れる花も風荒く今日にも散りなむ時はすぎゆく


今年の桜はこんな感じだった、咲いたと思ったら散っていた
天候の変化が激しい、一日のうちでもかわりやすい、今は風が強くなっている
プログだと一日の変化だが今昼間であり風が強くなったので書き加えた
こういうリアルタイムの報告に向いている
天候は刻々と変わっているからだ、今の季節は花がいろいす咲いたりまた変化が大きいからである



死を連想する桜(小夜嵐に散る桜ー三島由紀夫の辞世の歌について)


死を連想する桜(小夜嵐に散る桜ー三島由紀夫の辞世の歌について)


夜をこめて風吹きあれぬ残り咲く桜も散らむたちまちにして

我が家に風の荒くも吹き唸りきしみ春の夜落ち着かぬかも

小夜嵐花吹き散らす死ぬ人や世にある時のままならぬかも


 今年の天候は去年から変わりやすい、暑くなったと思えば寒い、寒暖の差の激しいのは去年からだったのである。今も風はうなり吹いている、これは小夜嵐である。

散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐 三島由紀夫

三島由紀夫が死んだの11月だからこれは想像の歌である。
でもそもそも桜は本当に死を連想するのである。それは咲いた思ったら散っているからそのように短い命ということで戦時中は若い人の命は桜にたとえられた、そして桜が散るように死ぬことがいいことだとされたのである。そのことで批判が今になるとでている
若くして死ぬこと別にいいことではないからである。
みんなもっと生きたいと死んだのである。誰も死にたいとは思っていなかったのである。その苦渋の歌も残されいる、全うされなかった生だったのである。
不思議なのは3百万に死んだとしてもその死を今になると深刻に考えないことなのであるこれだけの人間が死んだら一体なんなのだろうと真剣に考えるからである。
それがないというのがわからない、三島由紀夫はそれを考えた人だったのかもしれない

ただ三島由紀夫は有名になりぎた、マスコミにももてはやされた、だから現実社会というより仮想のマスコミでその名が実質の人間以上に拡大化された、マスコミに紹介されて宣伝されると今でもその人物が巨大化されることがある
何百万人の人が見ていればそうなる、ただ今ではマスコミというのはインターネットとか対抗メデアがでて常に批判の対象になったからあの時代とは違っている
第一あの時代にマスコミ自体が批判の対象になることはなかなかなかった
テレビはお茶の間に入りその影響が大きかったのである。
楯の会の若い人の制服を来て行進しているときそれがドラマを演出しているのかと見えたそれが現実とは思えなかったのである。

何かマスコミとかテレビは今でもそうだが現実と乖離していることがある。
仮想の世界と見ている場合がある、それより仮想と現実の区別がつかなくなるのである。それで仮想の作られた映像が真実と思わせられていたことがありそれが問題になった。
イラク戦争の時は油まみれの海鳥を写して世界でイラクはひどいことをするなと怒りになったのである。
マスコミとかテレビは演出するものであり現実と真実とは違ったものなのである。
だから三島由紀夫が現実に決起して自殺のようにして割腹して死んだのには驚いたのである。演技だと思っていたのが現実になったことにみんな驚いたのである。
ただ人間は自ら英雄になろうとしてもなれない、その時代もあるし平和な時代に英雄になることはできない、いくら演出してもドラマの主人公になろうとしても現実ではなれないのである。その時代時代で状況が違ってくるからである。

散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐

散るのは死ぬのは嫌だというのが普通である。でも散るこそ死ぬこそいさぎよい、死ぬこそ華々しいことだとなった、三島由紀夫は老人になることを異常に恐れていたのである。その気持ちはわかる、想像してみても老醜はあまりにも悲惨だったのである。
それはもう自分でもそうだがみんな恐怖なのである。でも逃れようがないのである。
だから早く盛りの時に桜のように散った方がいい、死んだ方がいいとなるのもわかるのである。
三島由紀夫は英雄になろうとしたが演出しても時代でなれなかった、「心の青雲」のプログの都築氏もそうした英雄を望んだ、でも病気になりプログは中断された
都築氏の方が空手の師範であり実践者だったのであるから三島由紀夫より現実的に英雄になれた人間だったかもしれない、でも病気で中断した、プログを読んでいてなぜ透析しているほどなのにあんなに強きなのかわからなかった
人間はどうしても病気になると弱きになる、自分も病気していたからそうだった
自分の病気は腎臓も悪くしたが透析はしていないし結構身体障害者になり苦しかったが
その時介護までしていたからそれほどの病気ではなかったともなる
でも実際は相当に苦しかったのである。

この歌にも三島由紀夫の作られた演出していることが現れている、作為的であり別にさきがけて死ぬ状況にもないのに自らそうしただけだったのである。
それはまさに演技者でありマスコミにもてはやされた人でありそういう人は演技者になりやすいのである。現実の人間は小さくても巨大化されから巨大であらねばならいとなってしまうことがある、マスコミによって作られた虚像になりやすいのである。
その当時はそれだけテレビとかマスコミの影響が大きかったからである。
演技者は現実の英雄にはなれない、今の時代はそうした派手な英雄は求めていないのである。マスコミはテレビは虚像を作り出すのである、今でもそういうことがある。
でも今はマスコミを批判する対抗メデアがインターネットが出てきたりしてマスコミにテレビの報道に乗らなくなったのである。




2017年04月20日

新しいキクチスーパー開店 鹿島区は人口も減らないし前より便利になっている



新しいキクチスーパー開店


鹿島区は人口も減らないし前より便利になっている

kicuchiiiss1.JPG

kicuchiiissss333.JPG
前とは違って明るいし見やすい、品物も多い



キクチスーパーが今日開店した、中は原町のキクチスーパーと同じようになっていて品物も増えて見やすくなっている
シシドスーパーもできたし競争になると買う方にとっては便利である。
隣にも新しく店ができるらしい、どういう店かわからない
南相馬市では鹿島区は震災以降かえって良くなっている、人口も減らない、他からわからないけど双葉郡地域からも移ってきて家を建てた人がいるからだ
シシドスーパーの隣に復興住宅ができて浪江の人たちが入っている
経済というときやはり人口がものをいう、一人でもいればそれだけ消費するということがあるから二つのスーパーができたのである。

それで昨日小高の人は人口が多い方が力もつんだよなとか言って嘆いていたのもわかる
小高とか浪江は本当に復興するのがむずかしくなっているのは極端な人口の減少なのである。それも帰ったのは老人がほとんどだからである。
なぜ自分が小高の人は放射線量も低いから帰らないのかと言っていたが
まず回りが豊かな便利な生活をしているとき人間はその生活レベルを下げたくないのである、戦後十年くらいまでは炭を使っていたし水道もない生活だったがみんなそういう生活だからいいわけである。誰もが同じような生活をしていたからいいのである

北海道に土砂崩れとか水害で北海道に移住した十津川村の時代は明治であり結局その村にいても別に豊かな生活などできない、北海道に開拓に入ってもたいして変わらない生活になっていたのである。
なぜこの辺で復興をむずかしくしているのか?それは今回の津波被災地では同じ課題をかかえている、人口の流出であり若い人の流出である。
それは結局とどまるにしてもそこでまず復興すること自体が重荷となるからだ
そうなると便利な所が回りにいくらでもあるのだから原発避難者は補償金をもらったのだから移住した方がいいとなって若い人は帰らないのである。

逆に戦後十年のような生活だったらみんな不便で貧乏な生活をしていたのだから外に出ても同じだとなり残っていたかもしれないのである。
そういう時代の影響が大きかった、町でも村でも復興するということの意義を書いたが
回りに南相馬市だったら原町でも鹿島でも前と同じような生活をしているのだからこっちでもいいやとなってしまう。
鹿島などは前より良くなっているしこっちの方がいいとなってしまう。

いづれにしろ鹿島区ではまだ大東圏建託がアパートを建てている、15棟くらある、だから他から移り住む人がいるから建てている、いわきナンバーが多いから双葉郡の方から移っている、人口はへらないのである。
今回のキクチスーパー開店もこれも買い物にはいいなと思う、毎日買い物が仕事になっているからだ。料理などしていない、何を買うかの方が家事では問題だったのである。
買い物の方のコツがわかれば料理もそれに応じてできる、簡単なものでもそうである。
だから今は品物の数が多いから買い物が一仕事になるのである。

鹿島区でたりないのはレストランとかであり一人暮らしで利用できるものである。
そうすれば一人暮らしでも楽である。何か自分で作ったものがうまくない、外食した方が食堂でもレストランの方でもうまいのである。
ともかく鹿島区は小高と比べるとその差が大きい、鹿島が震災前より良くなっている
もちろん津波などの被害も大きかったのだが人口が減らないのが大きい
人口が減ると一万を割ったりすると相当に影響がでてきていた
全体にしぼんでゆく感じになるからだ。
もう一つなにの店ができるのか楽しみだともなるのが鹿島区である。

小さな駅から見えるもの (車社会を批判した本を読む-「日本文明最強の秘密」増田悦佐)


小さな駅から見えるもの


(車社会を批判した本を読む-「日本文明最強の秘密」増田悦佐)


「日本文明最強の秘密」増田悦佐)
は示唆に富んでいる、車と電車の対比で車社会の非人間性を説いている、それは常日頃自分も感じていた。
ただそれをこういうふうに明確に理論化することはできなかった。
車は人と人の交流を拒絶する閉鎖された空間なのである。
だから歩く旅なら必ず道行があり歩きながら旅すると親しくなったのである。
そういう人間的なものを排除したのが車である。
ある所で自転車でテントを張っていたら車から出てきた人がいた
その車に泊まっていることがわからなかった、車で寝泊まりしている人はわからないのである。だから交流もないのである。
たた車は閉鎖された空間だから自由がある、プライバシーが維持できるとなる
一方電車は区切られた部屋がない、ヨーロッパだとコンパートメントがあるがそこでも何人か一緒になる。何か車の人とは話ができない、そこに乗り合わせた人しか話はできない電車ではみんな一つの車両にのるだからそうした閉鎖的空間は作れないのである。

車社会は人を分散させ居住地差別を作り出し本質的に貧乏人、高齢者、ハンディキャッフをもった人間を排除する社会だ、車社会は車に乗れない人の身分を半人前にして彼らを社会の「一人前のメンバー」から排除した。

車をもつものともたないものの差は大きい、就職するにも車が運転できないとできない、それはなぜかというと当然車社会になっているからそうなっている
車で一軒一軒回るとか車なしでは何もできない社会になっているから車をもたない、運転できないのは一人前にならないそれは障害者と同じになってしまうのである。

それで駅でボランティアしていて不思議に思ったのは盲人が通っている、それで何回か電車にのせてやる、それは車掌も気にしている、やはり結構電車にのるのは危険なのであるハードルが高いのであり危険がともなっていたのである。
車社会では盲人でもそうした配慮がない社会である。車社会にとっては歩行者とか自転車は邪魔者になる、目障りなのである。そういう社会が車社会なのである。
車が必要であるとしても車が貨物だけの輸送になればかなり減るし違ったものになる
田舎では一人一台ももっている家がある、だから車が多すぎるのである。

つまり車をもたない人間はハンディキャップをもった人とにているのである。
でも車でも今は高齢者も80くらいでも普通に運転している
知っている人は80くらいの人にのせてもらっている、そのことによって頼りにされているでももしもっと年をとり運転ができなくる,危険になるときどうなるのか?
もう運転できなくなることは頼りにもされないとなる、第一夫婦がいて夫が運転できないというのは男としての能力もない頼りにならないとされるのが車社会なのである。
でも高齢化社会になると運転は危険になるし相手もいるから運転免許をとたあげるまでになる。でも車社会ではそうすると高齢者は無能化されるのである。

この本で指摘していることには自分は共感した。車をもっていないし生活は自転車が足となっているからである。でもさらに年をとると自転車も近くはいいとして遠くなると無理になる。その時電車を利用するようになるかもしれないのである。
高齢化社会には車が向いていないということがあるのだ
そして車社会はエネルギーの効率か悪いというのもそであり貨物輸送に向いているというのもそうである。遠い距離を運ぶには鉄道が向いていても荷物をおろして点から点の移動は向いていないからである。

そしてこの本で面白かったのは

高齢化するほど、新しい環境への適応能力が鈍くなるので、なるべく早く移住してしまったほうがいい、どうせ移住するなら一家離村、集落離村をして都市生活に適応した方がいい

こんなことを言っているが何かこの辺では原発事故で避難区域になった所ではもう一割くらいしか帰らないとなると町や村を維持できなくなる
それもほとんど老人だからそこでこれから生活を維持できなくなる
介護するにしても訪問するにも老人はまとまっていた方が効率的になるからだ。
だから老人は親しい人たちとかえって移住した方がいいのかとなる
ここには自分が書いたように町や村でも歴史的アイディンティティとか自然とのアイディンティティとかいろいろあり簡単にはいかない問題である。
ただ小高とか浪江を見ているとこれはもう前のようにはもどれないとみるからこれもありなのかと思った。これに異論があるし自分は賛成ではなかった。
でも現実的問題として老人だけ帰って復興できないしその老人を誰がめんどうみるのかとなるからこれもありなのかと思った。

ともかく駅が意外と自分にとって社会の眼を開かせた場所になったことの不思議である。なぜそうなったのかというと家族がみんな死んで一人になったことがあり淋しいから駅に行き話すようになったからである。
そして駅は意外と人間的な場だと発見したのである。多様な人々が交わる場所であることを発見したのである。
もともと自分は鉄道の旅が長いし旅ばかりしていたので鉄道が好きだったこともある
それが影響してボランティアの駅員になったとき鉄道を運営する側に立つことの不思議を経験したのである。

ただ鉄道の現状は過酷である。下の図でもわかるようにかろうじて常磐線は仙台まで残る線だったのである。それでもいわき市から原ノ町までは二両しかでなかったし過疎の線でもあった。しかし仙台まで通じることで常磐線は活きていたのである。
だから常磐線にかんしては過疎の線とは廃線にはならない線だったのである。

maprailwayyyy1.jpg

jjjjjjjjjjjjlll1.jpg

地図を良く見なかったがいわき市まで常磐線は東京までの通勤列車がいわき市からもでている
複線でありいわき市から仙台間は単線なのである。
いわき市から原ノ町までは時間も別であり一時間に一本も通らない、いわき市から原町の間には市になっている区間がない
いつも二両の電車であり乗る人が少ないし駅も無人駅が多い
ここは過疎化している、今度は原発事故でさらにもう人が住まないとなるここの常磐線を維持するのは苦しい
双葉などはこの区間が開通してもとめれない、放射線量が高くて止めれない
でもいわき市と常磐線が通じないと鉄道も活きてこないのである。
たから3年後くらいに通じるがその沿線には人口が10分の一とかに減っているとしたらどうなるのか?
その影響はあまりにも大きいとなる
タグ:車社会批判