2017年04月07日

ソーラーパネル工場と化した飯館村 (昔の牧歌的風景は失われた)


ソーラーパネル工場と化した飯館村

(昔の牧歌的風景は失われた)

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草野に建つ施設



もうこれ以上待てない」と、帰村を待ち望んでいる高齢者の切実な声だと聞いた。
村は、村民の声をとても大切にしてきた。

2015 年の終わり、7400 人のうち人口の約 6%に当たる 400 人しか戻っていない。さらに、その内訳は 60 歳以上が 69.1%を占め、20〜39 歳の層は 3.6%しかいない。「楢葉町の今」
を取り上げた NHK スペシャル「原発事故 5 年 ゼロからの町再建」(2016 年 1 月 26 日放送)では、周囲が空き家のなか、1

一部の村民からは、「復興拠点もそうだけど、ハコモノばかり作って維持管理費はどうするんだ」という批判があった。

復興復旧は国に頼らざるを得ない。しかし、国が用意できるのは公共事業である。ハード面などの事業が終われば「復興」が終わったことになってしまい、村民たちは置いてきぼりにされる。置いてきぼりにされた村民は、抗う力さえ残っていない。


危機に立つ住民主体の村づくり
飯舘村における「復興」計画と「村民の復興」の乖離 




世代間の分断
地域の分断

原発事故で起きたのは様々な分断であり争いでもあった、放射線量で色分けして補償金の差をつけたのもその主な原因である。
隣がちょっと高いから補償金を高くするとか隣は低いから補償金は低くするとか土地はつながっているのだからそんなこと簡単にできないのである。
放射性物質だって空間で土地でも境がないから流れて拡散するのである。
飯館村の70パーセントは森だからその森から放射性物質が流れてくる、放射性物質に汚染された泥も流れてくるとしたら田畑も汚染されるから深刻である。
飯館村は草野でも7マイクロシーベルとあった、だから飯館村は他よりは高いと思った
佐須で泥のかたまりが20マイクロシーベルとあったのには驚いた、そうしたホットスポットがあった。
だから飯館村の放射性物質の汚染は深刻だと思っていた。
例えば木材でも3マイクロシーベルとあったのだから木材すら利用できない、石すら汚染されているともなる

飯館村で除染していた人が石をぶつけられたのでショックだったという人がいた。
なぜそんなことになったのか?飯館村でも補償金が一様に支払われていない
放射線量で区分けしているからそうなった、自分の家は除染したところで補償金を他よりもらえないからは除染している人に石をぶつけた。
その家では除染してもらうより補償金をもらいたいかったのかとなる
こういうことは南相馬市でも起きていたのだ。
30キロ圏内で区切られたのが南相馬市である。その区切られた所が塩崎あたりでありそこで若い母親が泣いて訴えていた、30キロで区切られ隣がもらえて自分の家はもらえないとかなったからである、そういうことは原発事故以後争いの元になった
南相馬市では小高区と鹿島区はいがみあうようになった
ところが小高区内でも争っているし今度は小高は浪江がうらやましいとかなっているし浪江は浪江で区分けされているから争いになったのである。

そして地域間の分断があり世代間の分断も深刻である。家族は若い人たちと老人は分離した、そして若い人たちは避難している六年の間に生活が別になり既成事実となり帰らないとなったのである。
東京に避難した息子はその孫が東京の学校を中学、高校を出て就職したという、そして妻も息子の所に行き帰ってこないのである。
老人が一人災害復興住宅に住んでいる、老人だけが取り残されて住んでいるのが多いのである。6年の間に生活が別になりもう帰れなくなったのである。

「もうこれ以上待てない」と、帰村を待ち望んでいる高齢者の切実な声だと聞いた。
村は、村民の声をとても大切にしてきた。

老人は先がないし遠い先のことを考えられないのである。いつ死ぬのか死んだらどうするのかなど考えるが先のことをは考えられないのである。
前田の墓地の老木のようになっているのが老人なのである。
他にもその土地に根付いて離れない石ともにている、そこに長く住んでいれば人間は自然と石のようになってくるのである。
「ぽかぽかと春の日がさしてあったかいな、ここを動きたくない」とかなるのが老人なのである。

60 歳以上が 69.1%を占め、20〜39 歳の層は 3.6%しかいない。

楢葉町ではそうだが大内村だと70パーセントが帰るとか飯館村でも30パーセントが帰るということは老人が多いこともあるが老人が帰りたいのは切実なのである。
そこには土地に執着するものが他に強いのである。
他で新しい生活をはじめることはむずかしいのが老人でありそこに若い世代との分離が生れた

飯館村の復興とは何なのか?それがこの著者もわからないというとき元の暮らしにもどれないからそうなる、春になったら春田となりこれから田植えがはじまるのだという暮らしがあった、それも失われて荒地になっている、そしてソーラーパネル工場地帯になる
飯館村ではとにかく広いのである。比曽とか長泥とかは一回くらい何十年も前に行った記憶がある、そこも意外と古い村だったのである。
そしてまだ行っていない所があり飯館村は広いなとつくづく思う、すると牧草地になっていた土地もまた広いのである。そういう場所を活かすことができなくなったのが深刻である。

結果的にはソーラーパネル工場になってしまう、村自体がソーラーパネル工場を経営して成り立つような状態になる、そんな村になったらまでいな村とかとは関係ない、村自体が実はソーラーパネル工場地帯となる。
そんなところが癒しの場とはもうならない、森の風景もなくなる、ソーラーパネルが向いているのは平原とか砂漠でも何か人が住んでいないような大陸的広さの土地があるところに向いている。日本のような狭い場所には向いていない、景観が破壊されるからである。でも生活するためには村だって税金がないと成り立たない、すると村の役所が実はソーラーパネル工場を経営する会社と化していたのである。
それは結局双葉であれ大熊とか富岡が実は東電の会社員になっていたとにているのだ
自治体が巨大企業の下請けになり社員化していたのである。
実際に浪江町とか避難した人たちは東電の社宅のビルに避難して生活したからである

グローバル化社会になると多国籍企業が実は国家より力があり支配しているというときとにている。東電という国家と一体化した大企業によって小さな自治体など買収される、それだけ巨大な企業だったのである。
現実に漁業権を東電に売り渡して漁業者は贅沢していたのである。
要するにそれだけ巨大な会社でありその巨大さ故に小さな自治体などとりこまれてしまうだから飯館村が「までいな村」としての村作りをしていたというがそんな江戸時代の感覚とはまるで違ったものとして東電などが巨大企業がある。
それが今度はソーラーパネル工場となり村を経営するとなる
そこにはまでいなとか牧歌的なものはなにもない、飯館村は現代では牧歌的なアルカディアの風景があった、でもその飯館村でも比曽の人が原発で働いていたし大内村では三分の一が原発で働いていたのである。
だから原発地帯は東電の社員化していたのである。
それが原発事故後明確なものとして認識されたのである。

復興でもソーラーパネル工場が主流でありそれに箱物を作る工業事業であり除染しても実際は除染はたいして効果がない、森から放射性物質が流れだしてくるからである。
それで裏山の木を切って一億円かけて除染するより一億円もらった方がいいというのもその土地の人にとってはそうなる
飯館村のまでいな村作りはすでに喪失しているし不可能になっている
そもそもその基盤となる農業ができないからである。
ソーラーパネル工場の管理人となるのが役所の人でも村民でもそうである。
それが人間の生活する村なのかとなる、でも現実問題としてはそれしか方法がない
そして土地をもっている人は権利があり活かしたいとなるからソーラーパネル工場になる元の自然に環るわけではないのである。

ともかく人間が作る技術でも必ずいい面と悪い面が生れる、別に電気が悪いものではない石器でも発明したときそれは必ず人殺しに利用されたし鉄器でもそうである。
原子力でも核兵器にもなるが平和利用として原発は言いものだとされていたのである。
でも実際は原発は恐るべき害をもたらすものだった、石炭でも二酸化炭素を出すとか
石油でも温暖化するとかあるがではソーラーパネルが自然を破壊しないかというとこれも実際は景観を破壊するし消去できない廃棄物を出すのである。

そんなことを言うと炭とかをエネルギーにしていた時代が良かったともなる、それが一番自然と調和する生活だったと成る、現実に戦争の引揚者が飯館村に大量に入り一万人近くの人口があったことに驚くのである。
そんなに大勢の人間が飯館村にいたのか?飯館村で生活できたのかとなる
その時は本当に自給自足的な生活であり炭を燃料としていた時代だかである。
それで一万の人口を飯館村で養い生活していたということは今になるとイメージできないその時は木材があるからそれを売ったり石材は今でも売っている、何か地元のものが資源となり生活が成り立っていた、だから炭焼きの時代にもどればいいとかなる
そうすれば飯館村の牧歌的風景は貴重であり人々も訪れる、それは外からくる人には言える、でもそこで実際に生活するとなると収入がないとできないからソーラーパネル工場になってしまうのである。
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ここで死にたいんだ、執念の老木



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2017年04月08日

自治体とは何か? (原発事故で崩壊の危機に瀕する自治体ー文明の崩壊でもあった)


 自治体とは何か?


 (原発事故で崩壊の危機に瀕する自治体ー文明の崩壊でもあった)


そもそも「自治」は前述のとおり「自分たちのことを自分たちで処理すること」です。であれば、処理するための会則なり、法則なり、理念なり、何なりを共有してしかるべきだと思うわけです。「自治体」というならば、その「自」が共有すべき会則等があってしかるべきだと思うわけです。共有とは自分達で決めることです

この辺で起きたことは本当に様々なことが具体的に問われたのである。
それは学問的な問題ではない、具体的にどう解決したらいいかが問われた
第一自治体が崩壊する、町が村がなくなるなどということは誰も想定していないからだ
でも現実に町や村がなくなるということに直面したのである。

そもそも自治体とは何かと問うとき相当にむずかしいテーマでありその解答は実は法律だけの問題ではない、それはむずかしくいえば人間の実存にかかわるものである。
自治体も歴史的に生れたものであり歴史をたどらなければわからない。
日本では村が自治体の基本としてありつづけたのである。それが明治時代で変わったが江戸時代は村中心の自治が行われていたのである。

そして江戸時代をふりかえるとき封建制の時代だとなる、封建制とは何かとなるとそれは土地を基本にした支配制度である。土地が領主から与えられることによって支配が成り立つ、なぜ土地が基本になるかというと農業中心の社会では土地が実りを産み出すものであり土地なくして農業は成り立たないからである。
だから江戸時代までは国単位でも農業中心だから政治でも政り(まつりごと)でも天皇は大嘗祭をして米の豊作を願っていた、豊作を祈ることが天に祈ることが政り(まつりごと)だったのである。

六年甲戌(ねんかふじゅつ)、海犬養宿祢岡麻呂(あまのいぬかひのすくねをかまろ)の詔(みことのり)に応(こた)ふる歌一歌一首

御民(みたみ)われ 生(い)ける験(しるし)あり 天地(あめつち)の 栄ゆる時に あへらく思(おも)へば

天地が栄えるときに民も栄えるというのは農業中心の社会だからその政りごと祭りがありえたのである。それは自然と調和する社会があって成り立つものである。

確かに自治体とは近代的概念として生れた、だから自治体というときヨーロッパの歴史をたどることも必要になる、ヨーロッパにも自治体がありその歴史は古い、それはギリシャのポリスにはじまる、それは城壁げ囲まれた都市のことである。
それがヨーロッパでは自治体体なのである。だからパスポートにあなたはどこの市民ですかと書いてある、citizenが記され、でも日本では村とか町があり市に住まない人もいる
だからなじめないものなのである。

自治体とはな何か問えばそれは人間の根源的な生存にかかわるものである。
なぜなら原発事故でその人間の根源的な生存基盤が破壊されたこともわかる。
水や土や森や山やその生存基盤が喪失したことでもわかる、そうなるともう人間はそこに生きられない、生存基盤が失われたのである。
だからこれほど深刻な問題はなかったのである。

自分のテーマは自然とアイディンティティ化する文化的なものとして故郷を追求してきたその文化すらcultivate(耕す)-cultureだからその土地と密接に結びついて作られてきたものである。ヨーロッパでも葡萄の種類が多い、その葡萄に土地の名前がつけられているそれはその土地で産み出されたものだからその土地の名前がつけられている、それが文化なのである。日本でも米などがそうである。土地土地の米がブランドとなり売り出されているのとにている
文化というときそういう土地土地の地盤があってそこから芸術でも生れてきている
芸術というときそれは個人的なものではない、トータルなものとしての文化であり文明にもなる

木があるとしてその木はギリシャなら神殿の柱となりドイツだとゴシックの大聖堂の柱となる、それはモミの木をイメージしたものでありドイツの森を象ったものとなる
自然を基にして文化文明が生れる、例えば言葉でも日本語は日本の自然から産み出されている、日本の自然と密接に結びついたものとして生れている
それがネティブの言語である。だから日本語がなくなると日本の自然と切り離されたものとなり日本の文明そのものが消失するともなる

ともかく自治体の基本はそうした自然と一体化したアイディンティティ化したものとして築かれてきた、それが人間の存在基盤としてあった、国自体もそういう日本の自然との
アイディンティティ化してあった、だから天皇の政り(まつりごと)があり二宮尊徳の思想が生れた、それは農業中心の社会だから生れたものである。

それが明治以降工業社会になったときそうした基本となる自然から離れたものとして社会が築かれるようになった、その変化があまりにも大きかったのである。
そのために公害が起きたり原発事故では自治体の基盤である水や土や木や森や山が海が汚染されたのだから生きることすらできなくなる
それは文化的なことだけではない、生存するできなくなる深刻なものとなった。

つまり自治体があるとしてその構成するものは基本に自然がある。海があり山があり森かあり水があり土があり空気があるとなる
そういうものが根こそぎ汚染されたときその土地でどうして生きていけるのかとなる
今でもこの辺では水はペットボトルで買うほかない、山の方では自然の水をとって生活していた所がまだあった、それは無料だった、それもできない。
企業が巨大化するときそうした自治体が買い取ることができる、現実に東電は国と一体となり漁業権を海を買い取り自治体の存在基盤である自然も買い取っていたのである。
そして企業は利益だけをみるから人間の存在基盤である海であれ土であれ木であれ森であれそういうものを無視して利益を産み出すことだけを考える
企業にはもともと自治体が成り立つ自然など見ていないのである。

そもそも東京を見ればわかる、そこには田畑がないし水でもどこから供給されているのか意識しない、山から水が供給されていることを意識しない、でもその山も実は放射能で汚染されていたのである。利根川の上流も放射能で汚染されていたのである。
ただ東京にいれば自然はじかに意識しないのである。
そういう社会に生活しているとき自然は意識されない、電気をエネルギーとするとき自然より電気があれば生活できるとなる社会である。
そうなると電気文明となり原子力文明ともなりそれに依存するのであり自然に依存する社会ではない、でも東京すら放射能で水は汚染された生きていけないのである。
大企業は今やそうして自然を無視して破壊する力をもった、それはソーラーパネル工場と化したこの辺でもわかる、それは太陽をエネルギーとしてもやはり森を破壊してそこで水が産み出されるがそれがなくなるとかも言われるからやはり自然破壊だった
それと同時に景観も破壊されるから文化は消失するのである

ともかく原発事故で意識されたのは巨大企業によるまたは科学文明による自然の破壊でありそしてそれが自治体の崩壊になったのである。
法律的に自治体と県と国の関係がありそこで原発事故の問題は処理されねばならないものだった、ただ根源的に歴史的に問う時、これは文明文化というか大きな問題としてクローズアップされたのである。
科学文明工業文明原子力文明の崩壊だったのである。
そういう大きな視点で見る必要もある問題だったのである。
だから個々の問題としていろいろあるがそうした文明論的観点からみて対処することも必要なのである。
そうなると確かにむずかしくてどうすればいいのかわからないとなるが原発事故はそういう人間の存在基盤をゆるがす問題だったのである。
だから文明の転換すら考慮する問題であり個々の問題だけを追求しても解決しないともなる


タグ:自治体とは
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2017年04月10日

今日の鹿島駅(九州から来たボランティアが去る)



今日の鹿島駅(九州から来たボランティアが去る)


今日駅であったのは九州の福岡から来た人だった、ボランティアはまだ来ている、この前の人は新潟から来た人だった、名取の空港から帰る
九州となると新幹線でも遠すぎる、その人は前にも19時間かけて来たとういう。
小高の方でボランティアしている、ではなぜそんな遠くから来たのか?
鹿島駅の前のホンダの販売店がありその人もホンダで働いていた、その社長と友達だから来たという、何でも小学校に米を寄付して喜ばれたとか言っていた。
それにしても交通費だけで費用がかかると思うわからないがその交通費とか日当とかはボランティアでもでるという人がいるからそうなるのかもしれない、そんなに費用をかけてくることは容易ではないからだ

そもそもボランティアは何かあまり負担になることは向いていない
自分が無人駅の駅員としてボランティアしていると言ったら笑っていたけど
こんなボランティアはまず金の負担も何も負担を感じないからやれる
別に感謝されなくてもいい、そんな軽いものだからやれる

第一ボランティアで交通費でもかかるとしたらやりにくいだろう、最初の津浪の被害のときは自腹で来た人がいた、そのあとは国なのかわからないが交通費を出しているとかいう交通費くらいだしてもらわなければボランティアでも負担になるからできないと思う
そしてボランティを受け入れる側でもボランティアは継続的に来ないから役にたたないとか言っていた
今継続的に来て役に立っているのは花栽培を援助してくれる一つの大学だけだと言っていた。
ボランティアでもその場かぎりで去るようでは役に立たない、継続的に支援してくれないと支援される側もこまるのである。
だから海外の援助でもそうである。一時的に災害があったからと応援するより何か一つの目的のために継続的に支援してくれる人を望んでいるのである。

ともかくこの辺ではこの前は長崎の人が原発で働いていると来ていた。だから遠くから来る人はめずらしくない。
昨日は京都から来た人が大内にタクシーで行った、あそこにはプレハブの宿舎がありそこで働くのだろう。その人も大阪の伊丹空港から来たという、やはり今は関西とか九州になれば飛行機を利用する。

駅でこうして遠くから来た人を見送りしている、迎えるというのも駅の役割である。
駅というのが無人駅でも何か淋しいとはなる、別にいなくても困ることもないが他の遠くから来た人も言っていた
何か無人駅だとこの辺は淋しい町であり活気がない町だと見るというのも本当である。
この辺で無人駅となると日立木とか駒ヶ峰があるがそこは本当に淋しい町にもならない、村という感覚になるからだ
一人くらいしかのりおりがない無人駅である
ローカル線にはそういう一人くらいしかのりおりしない駅がある
だから北海道ではもうローカル線は維持できない

なぜ東JRがローカル線を維持できるのかというと新幹線の収入があり駅の中での店とかホテルとかも経営しているからその収入がありローカル線も維持している
常磐線の津浪の被害にあった区間を400億かけて直すことができたのも全体でそれだけの収入があるからだ、ローカル線は新幹線とつなぐために今はあるともなる

今は車の社会であり第一電車の乗り方さえ知らない人が多い、どうして電車にのるのかと知らない人がいるのに驚く、要するにそれほど電車は乗っていない、車だけの生活になっているからそうなる
電車の不便さは駅から用たすにしてもタクシーとか利用しないとできない、そうなると費用がかかる、高校生は自転車を利用しているが一般人はできない
駅からの交通の便がないのである。そこが一番の問題なのである。
そして駅から離れたところに病院がありスーパーがあったりと駅前通りはシャッター通りになって買物もできないのである。
ただ原町の駅前通りの靴屋にはいいものがおいてあった、あそこの店は見直した。
駅前通りを歩まないから何があるかもわからなくなっている

街の活性化というとき駅を見直すことも必要になる、駅は確かに街の玄関なのである。
外から来る人もまず駅におりたち駅からその市町村に入ってゆくから駅が印象的な場所になる、何か家でも玄関をきれいにしておくと運が良くなるとかいうのとにている。
その家の印象は玄関で決まるということをいうときにている
玄関は福を呼ぶ場になるのは人が出入りしてその家の印象が玄関で決まるとなるからだ。とはいえ自分は玄関も掃除しないとかあり自分の家は北向きで暗いからいい玄関ではない人間は何か明るい所をどうしても求める、店でも暗い所に入りにくい
原町なども駅前通りは狭苦しく暗いのである。どうしても日本の通りは暗い、狭いこともあり路地裏が多いのが特徴である。
沖縄の店が海に面してあったのはいい場所にあって気持ちいいとなる、いつも海が見える場所にあったからである。
景観というのは人間の気持ちにかなり影響する、それで古来から風水の思想が生れたのである。
どうしても人間は毎日住んでいる場所に影響されるからである。大都会だとどうしても狭苦しい所に住んでいるのが多いから心に余裕がないとなる


開発が前から検討されていた鹿島駅 (国鉄から民営化した弊害があった)


開発が前から検討されていた鹿島駅

(国鉄から民営化した弊害があった)


今日駅前の花壇にチューリップを植えている人がいた、これは自腹でしている、ここは地区の人が管理しているという。
駅というのはその人に聞いてみると所有権が複雑なのである。
国鉄から民営化したとき東JRになったとき東JRのものになり市町村とかの共有が失われた街の中にあってもそれが市町村では勝手にできないものになった
だからホーム沿いにある花壇の中の八重桜は切られてしまった、それを切るなとは街の人は言えない、なぜなら東JRの所有するものだからである。法律的に所有権があり街の人は何も言えない、前は鹿島町の所有するものであり次に合併して南相馬市が所有する区域に分けられた、東JRが所有するものと南相馬市が所有するものは明確に分けられたのであるでも駅の立派な新しいトイレは南相馬市で頼み掃除してもらっているのである。
南相馬市でその費用を払っているのである。

鹿島駅の開発は農協のスーパーができたときすでに提案されていたのである。
その時駅も開発してホテルを建てるとか駅そのものを新しくする案がでていた
その人はその区長とかでありそういうことにかかわっていたのである。
でもそれができなかったのである。その時が大きなチャンスだったができなかった
その人はそのことを熟知していて指導的な立場にあった人だから言えた

駐車場の問題も原町は無料のがありここは商工会で決められた場所は金をとっているから原町を利用しているとか言っていた、鹿島駅前の最大の問題は駐車場を広くとれないことなのである。車の時代だからそれが最大のアキレス腱になっている
ただ農協のスーパーができるとき駅前開発は地区で検討されていたし具体策もでていた
それは実行できなかっただけだった、そういうふうに考える人は農協スーパーができるときから回りにいたし具体的に検討されていたのである。

ただ駅の問題はそこはいくら民営化したからといって公共的な要素があり街の中にあるのだから余計にそうである。
現実に鹿島駅が無人化したとき誰が管理するのか、みるのかとなるといなくなった
確かに自動化しているからいいとなるがやはり人が見ていないと困ることもある。
そして無人化することはやはり東JRで管理しきれない、その費用が出せないからそうなる鹿島駅は常磐線が開通して小高に駅員が移動してそうなった事情があるがやはりそれでも無人化する駅ではない、それなりの人が出入りしているからである。

最初に駅前通りはもっと広くする予定だったというのもあり駅前開発が農協スーパーがでたとき実行されるべきものだった、それが商工会でもしなかったし今も商工会はしない、原町の駅前通りも歩道が狭いなども共通した問題だったのかもしれない、相馬市の駅前通りはプラタナスなどの木も植えたし歩道が広いから違っていた
駅前通りはやはり鉄道が盛んに利用されたとき開発されるべきものだった
それが今度は車社会になったとき鉄道をどう利用するのか問題になった
どうしても駐車場を広くすることが一番の課題になっていたのである。
それは今農協の葬祭場になっている所とか鹿島町の所有になっていてそういうことができたからである。
そして国鉄時代だと国のものだから民営でないから町としてそうした開発をやりやすかったとなる、予算も町とか国からも陳情すればできたこともあったからである。

ただ外部の人が言ったように今回原発事故で除染とかに莫大な金を使った、その金がゼネコンとかに流れて南相馬市の全体の復興に使われなかった
それは県とか市町村の自治体が関与しないことにより国と東電と原発事故の被害者が補償金を交渉するだけになったことも大きく影響した。
県とか南相馬市でも何ら指導権がなく国と東電と市民で直接交渉するだけになったからである。そして市は補償金のことで分断されたのである
つまり南相馬市が除染でも指導権をにぎりその金で南相馬市全体の街作りに使うべきだったという外部の人の意見があり納得する
小高でもそうだが鹿島でもそうであり原町でもそうだったのである。
その補償金は結局個々人に配布され個々人が外に家建てたりしたが肝心の街の復興費用としては使われなかったのである。

小高でも実は駅前でも何か開発すれば若い人も帰ってきたかもしれない、国とか東電からの金は個々の補償金として使われただけであり街自体の復興には使われなかったのであるだから余計に小高でも若い人はもう帰らないとなってしまった
街自体の復興に使われていれば前よりも良くなるのかと見たから帰ってくるからである。そういう街の復興として国や東電からの補償金などは使われなかったのである。
つまり今回も街を開発するチャンスだったのが商工会でも活かせなかったのである。
それは商工会の長がだめだったとかなり市長もだめだったとかなる

ただ鹿島駅のことはこうして前々から検討されていた、今回の地区の長の人はそのことを熟知していてはっきり言っていた、近くの人も見ていてそのことを知っていた
なぜなら駅前はその地区の人が管理していたからである。
いづれにしろ鹿島区の開発はどこか中心が必要でありそれが駅が駅前がふさわしいとなるそこに人が集まり安いからである。他に鹿島区ではないからである。
駅に外部からの人も入ってくるし街の玄関になるからである。そこは外部の人も内部の人も集まる広場にもなるからである。
ただ今は鹿島区といっても南相馬市の行政の中で行うものだから事情が違っている
南相馬市の中で鹿島もありその指示のもとに行うことになる
それは小高でもそうであり南相馬市の指示がないとできないという事情はある。
その土地の一部は南相馬市のものとなっているからである。

この問題も東JRとは駅でもそれがみんな東JRのものなのか?現実に無人駅になったとき管理されないものともなっているからだ
その駅前の花壇でも今回チューリップを植えていたものはその地区のものだった
東JR内の花壇は東JRだけで管理できるのかきれいにできるのかというとそこまで手が回らないから荒れているともなる
それはその地区の人とか町の人とか商工会がかかわってきれいにするのも必要である。
でも民営化した結果、町の人が立ち入ることもなにもできないとなると町の人にとっては美観もそこなわれるから困るのである。
つまりこういうことはいろんな場面で起きている問題である。

東電の事故だってそんな巨大な企業が何でも勝手にしていいのかとなっていた
地元に住んでいればわからないなりにわかろうと努力する、それがすぐ近くにあればいくら原子力のことがわからないにしても危機感をもつからである。
そこもその地元の人すら立ち入り禁止でありもう何もできない場所になっていた
だから東JRでなんでもしてくれればいいが事情があるにしろ無人駅にしたり花壇を荒れたままにしていたりしたら街の美観がそこなわれると困るのである。
そういうことは個々の家でも言える、空家になり荒れた家を放置しておくと街にとっては困る、それで空家をなるべく撤去する法律を作るとかなる

結局ここは俺の所有だからといって何でも勝手にできないのが人間なのである。
なんらかその土地に住めば公共的なものとして住むことになるからである。
土地でも自分の土地だからといって何でも勝手にできないことは確かなのである。
そういう問題は常にここだけではない各地で起きている
だから国鉄が民営化したということにも問題があった、自分たちの所有だけを主張するようになり街の人たちはかかわるなとなったからである。

原発でも同じである。その地元の人は原発には立ち入り禁止であり何らかかわることができないものだった
国と東電が管理して地元のものは立ち入り禁止だったのである。だから内部で何をしているのかなど全然わからないのである。
そうして避難するときも国と東電は一番放射線量が高い津島に避難したのである。
原発は地元の住民でも全くかかわることができないものだったのである。
だから国であれ大企業であれそういう権力によって一方的にされるとき危険なものとなる現実に自治体が消滅する危機に直面しているからである。

ともかく東JRの力も大きいと思った、なぜなら津浪の被害か復興するのに400億円かかった、その金は東JRで出したのである。それだけの大きな会社だからできたことである。
だから東JRの力は大きいしそれによって助かっているということはある
復興できたということもある。でも民営化した結果としてかえって公共性が失われたというマイナスの面もあったのかと思う
駅であれ鉄道であれそれは公共性が高いものだからである。
街の中にあり街の中で活きるであり分離して働くものではないからである。

自分が無人駅のボランティアしているとういときもそうである。
それは別にしなくてもいいものでもやはり街の人がかかわるのが駅であり鉄道なのであるそれが民営化で失われたことが問題なのである。
駅の待合室もなくなり駅構内が東JRの店だけになるというのもそうである。
金儲けのためには仕方がないとしても駅に休む場所がないというのも利用する側になると困るのである。それもやはり民営化するとそうなりやすいのである。
だから民営化にはマイナス面があったことを認識したのである。


追加


鹿島区の仮払い百億円→街自体の開発に使う

小高区の補償金→小高の街の復興に使う


鹿島区には仮払い金百億円が支払われた、これを全部個々人に配った
果たしてそれが良かったのか?

鹿島の駅前の開発に使うべきだったということもある
ただここは誰も議論もしていない、そういう提案も聞いていない
何かその時自治体で市の方でも鹿島区でもどう使うべきか議論するべきだった
ただ鹿島区にはそもそも原町の人が補償金は払うなと強固に主張する人がいた
だからそういう街自体の復興、開発のために使うということは誰も提案していない
ただ個々人でできるだけ多く補償金をもらうことしか頭になかったのである。

そういうことは上に立つ人が提案するべきだった
それが市町村でも県でもしなかったのである。
指導しなかった、そしてただ個々人が補償金をもらうことしか関心がなくなったのである
つまりこの金をみんなで使い街の開発に復興に使うことにしようとか提案さえなかったのである。それが今になって小高だったら避難区域になった所では若い人も帰らないとかなったのである。
街が荒廃してしまいそれを見たら復興はないとして若い人は帰らなくなった
もしこれからこんなふうに街を復興するとか示せばまた違っていたのかもしれない
そういうことは女川町とかではある程度示した、それでも流出が多いからどうとも言えないがやはり街自体の復興がおろそかになった無視されたことが帰らない要因になった



2017年04月11日

publicとprivateの対立が原発事故の根底にもあった (補償金問題にもあり争いの元になった)


publicとprivateの対立が原発事故の根底にもあった


(補償金問題にもあり争いの元になった)


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明治以降は入会権とかの共同性は喪失した
privateは奪うことでありpublic(公共性)を破壊した


privateの語源を調べると、
「stem of privare "to separate,deprive," from privus "one's own, individual,"」とあり、奪う、分離するという意味があるようです。

不思議なことは近代化というとき西欧文明に習えばprivateではなくpublicが社会の規範になりpublicの社会作りが行われるはずだった
しかし日本では明治維新後privateが私権が私益が追求される社会になった
日本では過剰に私的所有権を認める結果となったのである。
だから近代化が進歩したものとしてとらえることにも問題があった
江戸時代から明治となったとき進歩したというのではない江戸時代にあった文明が否定されて後退したということもあったのである。

なぜなら日本でもpublicがあった、農業社会だからそこでここの一画が自分の土地であり自由にしていいとかならない、村では共有の上に成り立つからである。
山から流れる水を利用するときも共有である。自然のものは共有なのである。
それを私的に奪いとるprivate社会になったのが明治以降の社会だったのである。
だから明治維新で社会が進歩したのではない、ただ変化したのである。
変化というとき悪く変化することもあるから変化がみんないいわけではなかった

江戸時代は一つの文明を形成していたしその中の価値観で生きていたのである。
この辺で葉山、端山信仰があるのは稲作と密接に結びついたものである。
山から水が供給されて田に流れて稲が実る、だから山の信仰があり山には先祖がいて
春には里におりてくるというときもそれは自然と密接に結びついた信仰となっていた
要するに一つの世界観が形成されていたのである。
エジプト文明でもマヤ文明でも必ず世界観が形成されて文明が成り立つのである。
だからそれらの過去の文明が現代から比べて遅れているとかならない、ただ文明は変わるのであり進歩するのではないのである。

江戸時代は農業中心の稲作文明だからそれは共有するpublicの社会である。それは西欧とは違ったものでも日本的publicなものである。入会権などもpublicなものだった
山の資源は共有されたものである。漁業権もそうである。それは自然の保護にも通じていた、ところが明治になったとき入会権はなくなり私的所有に無数に分割されたのである。そして山でも森でも土地でもつながっている、分割できないものとしてある
それがここが俺の土地だから売ろうとなにしようと勝手だという私的所有権を強固に主張できるようになった
この土地の公共性を無視した私的所有権を強固に認めたとき弊害が大きかった
公共的なものとして利用できなくなったからである。
今でも農地は勝手に宅地にできないとかあるがそれでも私的所有権がありpublicなものが土地の面では失われた

江戸時代は封建制の時代であり土地の上に成り立つ社会である。土地に依存して生きていたからである。土地から実りを得ていたからである。だから土地は共有するものであり私有はできないものだったのである。
土地の私有を強固にすると今度は個々人ではない大企業がその土地を買い占め私的所有権を強固に主張する、そしてその巨大な企業は漁業権でも買うことができたし現実にこの辺では東電に漁業権は売られたのである。
そして自治体すら買収された、入会権でも山林も森も土地も買い取られたとまでなっている、それがわかったのは原発事故で放射能で汚染されたからである
その時、木材も山菜も水さえ利用できなくなったからである。

巨大企業の権力はそれだけ大きいのだからその害も自治体を破壊するまでになる、江戸時代にはそんな大企業はなかったからである。そこが江戸時代とは根本的に違う社会である巨大企業がグローバルに進出するときそれは世界でこういうことが起きてくる
小さな部族社会など簡単に破壊されてゆくのである。
巨大企業が森を買い取ってしまい木材として伐採して森がなくなってしまうことも起きているからである。

要するに江戸時代は自然の生態系の中で生活していた、それが東電のような巨大企業がその生態系すら破壊したのである。地域というのは自然の生態系に生きていたしそれを越える生活はできなかった、しかしその生態系すら無視して破壊することができるのが巨大企業であり科学文明だったのである。
生態系というという時や弥生文明も稲作文明も実は生態系を破壊して成り立っていたのである。
海を入江などを干拓して田んぼにしてそれで人口を増やしてきたからである。
それが津浪で破壊されたことに驚いた、縄文時代は入江になった所には住んでいない
津浪が来た所には住んでいない、第一住めなかったからである。
稲作のために干拓した所が元の海に元の生態系に回復したとなったのである。
だから人間は生態系を破壊することは自然から復讐を受けるということもある
干拓したことがやはり自然破壊だったという驚きである。
なぜなら白砂松原の景色は実際は人工的の景色だったのである。それが根こそぎ津浪で破壊されたのである。

そしてこれらのprivateがこの辺では復興にも影響していたのである。
国であれ東電であれ莫大な補償金や復興資金でも除染費用でもみんな個々人の私的権利として主張されて市町村全体の復興資金に使われなかった
避難区域になって避難した原発避難者にはありとあらゆる補償金が支払われたのである。そして個々人の私的権利として主張されて莫大な資金が国からも東電からも支払われた
そして自分の家の前にも権利があるとか私道にもあるとか仏壇には40万とか補償されたりありとあらゆることに補償金が支払われたのである。
それは私的な個々人の権利として支払われた、そこで放射能量の多寡で補償金も多くもらったり少なくなったり全然もらえないとかこの辺では争いになったのである。
南相馬市は合併した小高,原町、鹿島で補償金の額が違って分断されたのである。

これも異常なほどにprivateが私的権利が主張されたためである
結果的に復興というとき市町村全体の復興とかにそうした資金は活用されなかった
個々人が故郷を出て家を建てたり個々人の復興に使われたのである。
肝心の市町村の復興には活用されなかったのである。
除染でもゼネコンから暴力団に一兆円もの除染費用が流れたとかなった
肝心の市町村の復興資金としては活用されなかった
もしその資金が市町村の復興資金に使われていればまたこの辺は違った状況になった

例えば鹿島区にはもともと30キロ圏外だから補償金はもらえない地区だった
それでは不公平になるとして市長が交渉して補償金を出した
その仮払金は100億円だった、この時だから原町区の人で強固に反対した人がいた
そんな金を鹿島に払うなとなったのである。
その後も今度は小高から避難して来た人たちとも争うようになった
ともかく原発避難者は何でも手厚い補償があり補償金をもらったからである。
ただそれはあくまでも個々人にでありそれを小高だったら小高の復興には活用されていない、原町でもそうである。

そのことが分断された原因でもある。もし小高でも私たちの補償金は街の区の復興に使うとなればまた違った見方が生れた、でも実際は個々人が勝手に補償金を私的に使い外に家を建てたりして帰らないということになった
それは小高の街や区全体の復興として活用されなかったのである。
もし小高全体の復興のためにその金が使われていたら他でもあまり文句は言わなかったかもしれない、なぜなら南相馬市全体をみたとき小高の土地も活用して復興してもらわないと市としては困るからである。
それは小高だけではない、原町でも鹿島でも言えたことだった
鹿島が仮払金百億円をもらったとき個々人に配布されたがもしそれが鹿島区の復興資金に活用すればまた違ったものとなった

そういう提案をする市の担当者もいないし商工会でもしない誰もしない、それは国からの東電からの金が県とか市町村で指導権をもたずゼネコンとかに一兆円の金は流れた
もし県とか市町村ですれば半分くらいの資金でまにあいあとの半分はそれでも5000億は市町村の復興資金、新しい街作りなどに活用されたかもしれないのである。
そういう指導とか提案さえなされなかったのである。
鹿島の仮払金は100億円というけどこれは大東銀行が所有している金と同じなのである。
大東銀行がもつ金か鹿島区に配布されたとなるのである。それはただ個々人に配布されて鹿島区の復興に例えば駅前の開発などには使われなかったのである。
だからその金は一過性のものとして消えたともなる、もし駅前でも開発がなされればその区域の繁栄が長くつづく資産として活用されたともなるからだ

いづれにしろprivateなことに終始してpublicなものが追求されなかった
それで市が分断されたり村も分断されたのである。
ただこのprivateなものとpublicなものの対立はどこでも起きている
大きく言えば国がpublicなものであり戦争とかなればpublicなものが優先され国のために死のことが犠牲になることが強いられる国なくして個々人もないとなるからだ。
ただ現代社会は私的な権利、所有権とか過剰に主張される時代でありその弊害が大きくなったのである。


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2017年04月12日

地獄から天国へ(詩)



地獄から天国へ(詩)

 いづれの行もおよびがたき身なれば、 とても地獄は 一 定すみかぞかし (親鸞)

死は苦しみからの解放
心の病,脳の病
最後に断末魔の苦しみ、叫び
人と人は憎しみ争う
人間の恐るべきエゴ
弱者として責められた恐怖
自らの病気と他者の責め苦
非情な人間の社会
それは地獄だった
人間の恐るべき業(カルマ)
業の欲の炎が燃え上がる
この世に現れたまぎれもない地獄
人は人にとって狼
人間は悪鬼ともなり夜叉ともなる
しかし死はこの世の地獄からの解放
もはや苦しみはない
人と人は争わない
和やかに手を握りあっている
やさしさが顔にあふれている
業(カルマ)から解放された仏
己自身も身内の苦しみをになった
しかしその苦しみからも解放された
自らの病気で苦しんだが
それも今はなく他者に脅かされることはない
今他者に頼ることがない
頼られても頼ることない幸せ
人が人に頼るとき不幸になる
その時弱みがありつけこまれる
そういう悪質なるものが人間
だから今は死者も安らかであり
自分もまた安らかになる
平和とは何か?
自分の病気であれ家族の病気であれ
苦しみのないこと
弱者となりて責められないこと
人と人が争わないこと
その時人は平和を感じる
なぜなら人と人の争いは終わらないから
死は必ずしも悪いものではない
苦しみからの解放であり
他者に頼ることからの解放であり
他者に責められることからの解放であり
業と欲からの解放である
酷い戦乱を戦争を生きたものは
ただ戦争のない世界を望む
人と人の酷い争いを見たものは
ただ争わないことを望む
しかしこの世に争いは消えない
そういうふうに憎しみ争うのはなぜなのか?
それはこの世の地獄を身にしみて経験して
天国の平和を望むようになること
もう二度と争いたくない
そういう気持ちをいだき天に昇るとき
そこに真の平和が実現している
天国にあるためはにこの世の地獄を経験する
この世は試練の場であり地獄の場でもある
その地獄を生きぬいたものに真の平和が訪れる
灼熱の地獄から涼しいパラダイスに
もう人と人は争わない
その顔から苦しみはとりされらて
安らかな慈悲に満ちた顔になる
業の炎は消えて安らかになる
だから死は悪いものではない
死を持ってしか解決しないことがある
それは苦しみからの解放である
争いからの解放である。
責め苦からの解放である。
そういう苦しみと地獄を経験して
真の天国が訪れる時がくる


地獄というとき来世にあるのではなくこの世にある。地獄の世に生れてきたのが人間なのだ。親鸞の言っていることは親鸞自体が地獄を経験したから言っている。
地獄の世を生きたから言っている、とても地獄から逃れられないのが人間なのである。
そういう地獄を経験したのがこの十年間の家族の介護と自らの病気とかであった。
自分の家の状態がまさに地獄の状態になったのである。
一人は重傷の認知症になって一人は介護が5年ほどつづきとか今度はその間に自分が病気になり二回入院した、そして自分一人しかみるものがなく苦しんだ
その時助けはなかった、それよりその弱さにつけこまれて大金を盗まれたり借金の強要をされたり恐怖の時を過ごした
自分の所に来た人も余裕がない、金もないから自分を責めるチャンスになったのである。そのことはプログでずっと書いてきた

認知症というのも過酷である。それはその人だけではない、それをみる人も過酷になる
精神を病んだ人をみると自分も病んでくる、そして病気というのは本人も苦しい
だから苦しみから解放されたいというだけが願いとなる、でも死の病となると死ぬ意外解放されることがないのである。
認知症でも馬鹿は死ななきゃ直らないとなる、直ることがないのである。
老人の病気はもう直らない、死に向かっているからである。
だから最大の願いはその苦しみから解放されることなのだ
それは死しかないのである。だから死がすべて悪いものとはならない
そういう状態になったら死にたいと思うのが自然なのである。

人間は最後は断末魔の苦しみを受ける、それで業(カルマ)が消滅する、死んだら地獄に行くのではなく今世が地獄なのである。
そして現実にもっとむごたらしい地獄が生々しくこの世にある、アフガニスタンでもシリアでもまさに地獄そのものである。
そしてそういう地獄で生きている人は戦争のないことがどれだけ平和かと切に思うようになる
自分の姉も四年間シンガポールで今のマレーシアのジョホールバルで従軍看護婦で辛酸をなめた。だから死ぬときまでそのことにうなされつづけていたのである。
だから戦争は余りにも悲惨でありそのことが忘れられなかったとなる

いづれにしろ人間の恐怖は弱者になることである。弱者というとき金のないのも弱者だがその時江戸時代だったら借金で遊女にされたり今でも同じようなことがある。
その弱みにつけこまれることが常にある。それも自分も受けたし憤りを感じた
でもみんな最後は老人になると弱者化する、強いものでも弱者化してゆく
子供の世話にならざるをえない状態になったとき親でも弱者化するのである。
だから老人になることは病気とかになりやすいから怖いのである。

医者であれ看護師であれ他者に頼るとき地獄になる、なぜか他者は別に愛をもって接するわけではない、機械的に接するし患者が虐待されることもある、そういうことも経験した老人は特に老人ホームでも邪魔者として虐待されやすいのである。
でも自分が病気になったりしたらどうしても医者だけではない、他者に頼らざるを得なくなる、それが家族がいないことの最大の恐怖だと経験したのである。
それもまた自業自得、カルマなことは確かである

ともかくもし天国だけにいたら天国の価値はわからない、地獄を経験したものが本当の天国の価値を知るのである。戦争で苦しんでいる人たちは戦争のない世界がどれだけ平和なのか心から感じる、でもそういう経験をしていない人は天国にいても感じないのである。だからこの世は地獄でありそれは天国を行くために必要だともなるのである。

人間が業をカルマをもつというとき欲がありその欲が消えないからまた自らも苦しむ
男女でも愛憎の炎が燃え上がる、何かそこには平和がない、争いになる。
戦争がなくても普通の生活のなかでも平和がない、自分の家もずっとそうだった
争いがつづいていて死んで争いがなくなったのである。死んで平和が訪れたとなる
だからすべて死が悪いものではないと今では思う
死というのは一つの浄化作用なのかとも思う、つまり罪業が消滅するのかと思う

大難を得て罪障消滅するー日蓮

これは別に信仰とは関係ない、みんな最後は大難にあう、死は最大の大難だからである。まず創価のようなカルトは法華経を批判することは最大の罪だとかいうけどそれが政教分離していないから怖いのである。創価とか公明を批判するものは罰があたるとなり何もいえないから好都合になる。政治の世界に宗教をもってくるとどうしてもイスラムでもそうだが問題が起きる、要するに創価を批判することは誰もできなくなる
マスメデアがしないのは創価が権力をもっているからであり別に宗教が怖いからではない巨大な権力集団だから誰も批判しないとなるだけである。
そういうことはカトリックで嫌というほどヨーロッパで経験しているから政教分離の法律ができたのである。

別に宗教者でなくてもみんな最後は死という大難を経験する、それは誰も逃れることはできない、「大難を得て罪障消滅する」というとき死をもって罪障消滅するということなのだろう。死は救いだともなるのである。


死はあらゆる善きものの中で最高の善きものかも知れない


タグ:地獄と天国

溶岩の山(mountains of lava)

溶岩の山(mountains of lava)

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rising mountain

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a piece of the earth

2017年04月13日

話し合いが意思疎通ができない社会 (原発事故でも話し合いの住民自治がなかった)


話し合いが意思疎通ができない社会


(原発事故でも話し合いの住民自治がなかった)


山梨から来た人の言っていることはまともだった、経営に失敗した人だけどその教訓を学んでいた。

「人間は信用できなくてもまず信用するほかないんだよ、それで自分も失敗したんだけど」
「それもそうですね、信用しなければ人も使えないから」
「もっと話し合いすべきなんだよ、相手のことを知るべきなんだよ、今は政治家でも話し合いしなくなったんだよ、選挙民とも話し合わないんだよ」

これは言えるだろう、経営するにしても人を使うにしても最初は信用しなければ何もできない、でもその人は裏切られた、自分もそうだった
話し合いしないとだめなんだよはというときこの辺でも原発事故でも補償金問題でも良く互いに話し合っていない、相手のことも知らない
話し合いといっても日頃から話し合っていないと気持ちを通じ合わせていなとできない

その人が言うには今は政治家でも何でも話し合いをしないと言っていた
政治家は信用できない、ただ利権だけで自分を得することしか考えていない、政治家はあてにならないと言っていた。
この辺では渡辺恒三とかも自分の利権だけを考えていたのだろう。
息子はアメリカの原子力会社のGEに勤めていたし原発は自分の利権として考えていた
それは地元でもみんな金になるものとして誘致していたから同じとはなる

地元で話し合いができていないと結局こうした利権政治家とかマスコミとか政府の権力で自治体が破壊されることにもなった
つまり自治体とは議員とか行政とかの自治体ではない、基本的には住民の自治のことだからである。

補償金とかで市民みんながばらばらになったというとき住民自体に話し合いができていなから国の言いなりになり対抗もできないのである。
だから住民自治が問われたのである。
ただそうした住民自治といっても日頃からしていなと何かあったからと簡単にはできないだろう。

むしろ江戸時代の方が住民自治があったというのも不思議である。封建制で身分制で住民の自治などない社会だと思われているがそうでもない
村という自給自足の社会では互いに親密な話し合いが常に成されていただろう。
そうしなければ生活もできない、みんな農民だとすると利害が一致しているからである
水を使うことでも自然と共生する社会である。

現代が話し合いができないというとき職業も無数に分かれて広域社会であり会社員社会であり会社が違うと相手との交流もなくなる、農業社会とは違う、農民だとやはり常に自然と密接に密着して生活しているから生活感覚も一致している
アイディンティティが一致しているのだ
村社会だと鍛冶屋があってもそれは農民の鍬とか鎌とかを作っていたから農民と一体化する、個々の農民に応じて道具を作っていたりしたのである。
だから村自体がみんな何をしているか知っているし関係しているから話し合いもできるとなる

現代のように広域社会となりグローバル社会になると地球の裏側からチリとかメキシコとかから野菜でも果物でも入ってくる、そうなるともうその人たちとの話し合いなどないのである。そこに介在するのは金だけだとなる
そこで金が重要になってくる、金さえあれば食料でも何でも手に入るとなるからだ
そこには互いの交流もない、話し合いもない、ただ金があればなんでも手に入るという社会になる、つまり金が話し合い、交流する媒介するものとなり生身の人間が交流することはないのである。

そういう社会は民主主義といっても何かその根底に話し合う素地がないから日頃から互いに知らないものとしてあるから話し合いができないとなる
だから皮肉なのは住民自治は江戸時代の方があったともなる
庄屋とか大家でも村の人々を熟知していたから話し合いもできたのである。

原発だって誘致するにしてもただ政治家は利権であり地元の人たちも金になるとして積極的に誘致した、補償金でも個々人ができるだけもらえばいいとしかならない、そこに話し合いはない、その金を市町村の復興に使うことはなかった
個々人に配られそれは一過性のものとして使われて終わるだけだともなる
そもそも自分たちの市町村でもどうするべきかなど考えられないだろう。
その範囲が広すぎると考えられなくなる、村社会とはあまりにも規模が違うからである。

現代とは話し合いとか意志疎通が会社社会とかグローバル社会になれば一番むずかしい、ただ金を通じて経済が結びあっているだけである。
だから金が神のようになってしまう。それはマルクスが指摘したことである。
でも実際は趣味程度の畑を作っている人は何かあったら食料が高くなって買えないとかいうけどそこでとれるものはごくわずかであり一人分にもならない、他人分けるものなど全くとれない、それが地元にあるとしても全くあてにならないのである。

だから金をもっていて買った方があてになる、でも確かに金は紙屑になることはある
でも現実にその畑からとれるものは全く期待できないのである。
そこに金をつぎ込んでもネギ一本すらもらえないのである。
ただ聞いているのは草むしりの苦労から鳥に食われるとか虫にやられたとか
モグラに荒らされるとか盗まれたとかそういう話だけなのである。
だからこれも矛盾だと思った、そんな畑は無駄ではないにしろ全くあてにできないのである。

いづれにしろ現代は連関性なき無数に部品化した社会でありそれがナチスを生んだというといピカートの思想もわかる、ファシズム化しやす社会である。
それは相互のつながりがない社会であり話し合いのない社会である。
ただ金を通じて社会が維持されている社会なのである。
カルト宗教団体もそういうナチスとにているのである。
そこでは一人一人相談になどのらない、何百万もいたらできるわけがない
だから指導は何かあれば題目を唱えろ、一票を入れろ、念仏を唱えろとなるだけである。
それはハイルヒットラーと同じなのである。
それが指導するのには一番楽だからそうなっているのである。

そしまず金だとなる

原発も事故前もそうだし事故後もまず金だとなり補償金をもらうこだけになる
肝心の市町村の復興には使われなかったのである。
その前には話し合いができなかったのである。まず金だとなりそればかりになる
そういう社会だからそうなったともなる
もし江戸時代の村のような自治があれば話し合いがありそうなっていなかったかもしれない、だから何が進歩なのかもわからないのである。
社会は変化はしたが進歩したわけではないのである。

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2017年04月14日

今日の鹿島駅(人が集まり、様々な人が来る駅)



今日の鹿島駅(人が集まり、様々な人が来る駅)


昨日は「関東鳶」と来ているものに記されている人が来た。その人は蒲庭(かばにわ)に泊まっていて仕事している、六号線まで買物に行って駅前の自転車屋でバイクを買ったのである。
蒲庭だと買物でも不便であり隔離されているようになっている、そのことを言っていた。それでバイクを買ったともなる、田舎では車がないと生活できないんだよとかも自分は言った
その人は大工もできるし鳶もできる、高いところ恐くないかと言ったらかえって自分はそういう場所、細い鉄骨のような所を歩くのが向いているというから驚く
そういう人は鳶に向いている、あの人はやせているがおそらく機敏なのだろう。
まだ若いこともある、ここでバイクを買うということは収入はいい方だろう
東京の方が一万くらい高くなると言っていた。それだけの差があるのもわかる

駅には別に鉄道を利用する人だけではない、いろいろな人がくる、鹿島区には一軒しか自転車屋がないというのも不便である。だからいづれそこもなくなると一軒もなくなるのである。そこではバイクの修理などもしているから不便になる
この辺で震災、原発事故で悪い面が多かったが多少いい面としては補償金が入ったことと外部から入ってくる人が多くそれで活気が出たことである。
駅にいるとやはりそうした外部から来る人と接することが多いのである。

この辺では来る人は決まっているだろう。昨日はイスズに仕事に来た人がタクシーで金沢に行った、食事する場所を聞いていた、あの人は食事する値段を気にしていた、イスズの向かい側に1500円くらいで食事できるよと言ったら高いと言っていた
あそこはこの辺では一番高給なレストランである。
あそこだと牡蠣のフライの大きなものが食べられる、それはうまいが高い
やはり料理は材料なのである。材料が良くないとどんなに料理を工夫してもだめである。でも出張だとしたらそのくらいの金が出るのかと思った
東京だとレストランも高いからそんなことを言っていたのか?それとも会社員も節約するようになった貧乏になったのかとも思う

わかったことはたまごやは菅野漬け物屋でありタニコウの人とかも見送りにきている、東北サッシのことも書いたが鹿島では目立った会社である。
九州からホンダの友達を頼ってボランティアに来た人も自動車関係である。
どうしても今は自動車関係の人は多くなる
東北電力の火発があるからあそこにもタクシーで行く人がくる
昨日はかえるという介護タクシーが来て車椅子で老人を下ろしていた。
駅にいると何か社会の動きがわかり面白いと思った
小さな町だとすぐ関係もわかるからまずいこともあるが社会を知りやすいとはなる

何か街には中心が必要なのだろう。外部の人も内部の人も交流する集まる場が必要なのだろう、駅はその玄関口なのである。なぜなら別に鉄道を利用しない人も来ているからである。そこに店があれば利用することになる
鹿島の駅前には一軒食堂があり食事したいという人は結構いる、だから利用することがある、でも駅前に店を集中して作れば活気が出るというのも本当だろう。
そういうことを30年前に計画したができなかった
今回も鹿島区に100億円も補償金がおりたのだからその半分を資金にして開発ができたかもしれない、それは小高とか原町とか浪江とかでも言えるだろう。
再開発が望まれているからである。原町だってスーパーが駅から離れてばらけてしまっている、道の駅はあるがあそこが街の中心とはなっていないみたいだ

図書館を建てたがあれが駅前にあり街の中心にふさわしいかとなると疑問である。
図書館は街の中心から離れた閑静な森とかある場所がいいように思える
本を読むとしたらそうなる、街の中心にはやはり店とか別なものが向いていると自分は思う。そして今の情報社会はスマホだとインターネットになり本はあまり読まないからである。自分は電子書籍で今は読んだりしているからである。
だからあそこに図書館を作ったのは失敗だったかもしれない、ただ賛否両論はある。

ともかくこの辺は本当は津浪や原発事故で急激に大変化したから新しい街作りを模索するべきだった、それが六年過ぎてもできなかった
人間の最大の弱点は急激な変化に弱い、対応できないのである。
それで自分の一身上でもいかに苦しんだかを書いてきた、認知症でもどう対応していいかわからなかったからである。
それが暴力になったときショックであった、でも認知症という病気がどういう病気を知っていれば対応がそれなりにできたのである。
インターネットに冷静にさせるこさとが大事だというときそうだった
相手の目を見て落ち着かせろというのもそうだった
自分はそれをインターネットで読んだ、家族の一人は急激な変化に対応できなかった
目を見ないでそらしたからかえって攻撃されたのである。
認知症は記憶障害であり忘れると興奮状態になるから危険になるからだ
認知症に対応するにはともかく興奮したら落ち着かせることが大事なのである。
それは精神病の対応ともにているかもしれない、ただ認知症は精神病とも違っていたのである。

まず今回のような大災害になると対処方法もわからなくなるから混乱するから何もできなかったともなる、まず補償金がもらえるとなると個々の安全を計るために補償金をできるだけ多くもらい安全を計るとなったのである。
第一自分は病気であり介護であり回りのことをなど考える余裕もなかったのである。
自分は津浪と原発事故が起きたとき身体障害者だったのである。
それでも介護せねばならないし震災前に一回は入院して震災後も入院して手術したのである。そういう状態ではとても回りのことなど考えることもできなかったのである。
今になると介護もないし余裕ができたから毎日駅に行ってボランティアしているのである



朝桜(今年の桜は・・・)


朝桜(今年の桜は・・・)

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鳥の飛び海を望みて朝桜

東風(こち)吹きて海を望みて朝桜

誰か見る桜咲きそめ昼の月

雨ぬれて水々しかな春の草

春の日や山鳩待ちぬホームかな

一里ほど歩いて大地に草萌ゆる

浪江まで開通するや草萌ゆる

山一つ霞むや遠く暮れてゆく

金屏風桜の映えて大広間

政宗の60万石の夕桜


みちのくの桜さきそむ雲間より月いで光りまた隠る

咲きそめし桜やあわれ雨しととぬれてまれにし人の行くかな

たちまちに死してかえらぬ人にあれあといくたび桜見むかな

若くして死す人あわれ生きたしと咲きし桜にその思いかな

満開の桜の風に吹きゆれぬ亡きにし人もかくありしかも

満開の桜そ今し朝日さし輝きけるや鳥飛びわたる

広々と海の開けし満開の朝の桜の丘に映えにき

盲人のまた来たりしやみちびきぬ駅舎に我の今日もありにき


今年は何か気候が変則的である。昨日は冬のように寒く今日は夏のようにもなった。
こういう気候は去年からつづいてる、寒暖の差が激しいのである。
今日の一日はまず駅に行った、そしたらやはり前にあった盲人がいたので導いた。
外部からの人も来たが仕事はわからなかった

それからロードで金沢の方に向かい坂をおりるとき転んだ、そこは急な坂でもなかったが坂はロードだと危険になる、下り坂は自転車では危険になる
前にもそういうことがあった。ロードだとスピードがでているから余計危険になる
そこは転んでも転びやすいところであり草地でありケガするとは思わなかった
自転車はパンクしたのか傷ついたが自分は何の傷もなかったので良かった

そこでそこから歩いたから疲れた、でも歩くことで発見することがある
現代は歩くことが人間回復なのである。つまり歩くことが新鮮な経験なのである。
歩いて見える景色は感覚は違っているのだ
人間の感覚は歩いてみる景色と自転車から見える景色と電車から見える景色は違っている車から見える景色は自分にはわからない、ともかく歩くことが新鮮な経験になっているのだ。車社会になると本当に歩かない、大地をふみしめて歩むという基本的なことがないのである。だから車ばかり乗っていないで歩くべきだとなる。

街まで一里くらいあるいた、草萌える季節であり遠くに鹿狼山が霞んで見えた
歩くことによって俳句でも短歌でも詩でも絵心も生れる、歩くことは新たな発見することなのである。
峠だって歩いて越えたら感覚的に違ってくる、歩けば江戸時代にもどる、江戸時代にもどりたいとか自分は書いてきたが江戸時代にもどりたい、江戸時代を経験したいのなら歩いてみることである。歩いてみる景色が江戸時代になるのである。
戦前までは結構歩いていた、車も乗っていないから歩いていた。
鉄道も実際は高い乗り物だから庶民はそんなに乗っていない、リヤカーとか引っ張り馬を利用していた、鉄道は貨物も多かったのである。

人間を回復するというとき車社会を一時的に拒否することが必要になる
だから鉄道の駅が意外と人間的な場所だと発見したのである。
車社会というのは何か否定できないものでも人間的なものを失わせたことがある。
車には人の出会いとか人間のぬくもりとかを拒絶するものがあるからだ。

今年の桜はあまり感じるものがない、ただ家族がみんな死んだのでそれで桜をみると死んだ人を思い出す
満開の桜のように咲いていたときもあったなと思い出す、それも死んでしまえば昔のことになる
最期は無惨に死んだ、みんな輝くと時は短いのである。
結局それは貧乏人だろうが金持ちだろうが栄華を究めても同じである。
一時の栄えだったとなる 

秀吉であれ政宗であれ結局一時の栄華を究めたにすぎない、別に自分の家なども規模は小さくても栄華があったが死んで消えた、
今跡を継いでいるのが自分だとなる、自分は何もしていないけど受け継いだだけだとなるがやはり栄華がある
貧乏のままで終わるのもまたわびしいとはなる、いづれにしろ栄華は一時のことなのである。
人間は王様に生まれても寿命はみんなさほど変わらないからである。