避難した人が帰らないのは既成事実化したから
(家を建てたり学校でも6年も他で通ったため)
小高区と鹿島区の対立はわかるが原町区はそうではないと思っていた
ただ小学生と中学生を送迎する9人乗りのタクシーの運転手が
「小高は甘やかしているんだ」というのを聞いたとき原町でも小高の人への不満があることを知った
なぜ原町は小高について不満がないと思っていたのは原町は鹿島区からする3倍くらい補償金がもらっていると思ったからだ、ただこれは地域によっても違うからわからない。
ただ原町でも不満だというときやはり小高への不満は南相馬市全体としてそうなのであるそれは第一市長自体が小高の人に自立してやってくれと言っているからである。
それが何か表立って言えないのはマスコミでもボランティアでも常にまだ来ていて小高の人はかわいそうだとして支援しているからである。
そもそも小高の問題は30キロ圏内で避難区域にした政府の指導に問題があった。
それは放射線で科学的根拠があったからやむをえない処置ということもあった。
ただ現実の生活を破壊してしまったことが問題だった
何か放射線のこともあるがその放射線問題と現実の生活をどう折り合いをつけるかが課題になっている
いくら放射線が問題でもでは現実の生活を破壊していいのか?
それは飯館村でも他でも起きている、結局今になると町が一旦避難区域になり人が住まなくなるとどうなったのか?6年も人が住まないともう回復できなくなった
第一6年も避難した人たちは外で生活していたというとき学校でも小学一年だったものが六年になっていたのである。すると外での生活になじむ、親でも外で生活することを考える、それで補償金をもらったから家建てたりしたらもう故郷には帰らないのである。
家を建ててそこで仕事をもったりして生活がそこでできていたらもう帰らないのである。農業している人に聞いたら3年農作業しないと体がなまってできなくなるという。
となると毎日パチンコとかギャンブルしていた人たちは農業をしない、補償金をもらうことだけを考えるようになったのである。
だから避難区域に指定して6年もすぎたとき回復できなくさせた、それは国の指導で成されたものだけどそれも大きな問題だった。
避難区域にしてもせいぜい3年くらいだった良かったともいえる
もう6年とかなると回復不可能になっていたのである。
避難した人たちにしてももう外での生活が既成事実になっていたのである。
一旦そうして既成事実化するともうそれを簡単には変えられない
現実問題として家を建てたりしたら帰ることはないのである。
そのことが予想していなかった、避難区域にしたときそこまで予想しなかったのかもしれない、回復できると思っていたのかもしれない。そこに誤算があったともなる
飯館村でも補償金で村を出る組と残る組が分断されたというときもうすでに外で生活する、家を建てて生活している既成事実がある、そうなるともう簡単に帰ることはできない
帰ることは不可能になっている、いくら帰れといっても村長の孫が飯館村の学校に通わないというのはそのためである。
帰るとか帰らないとか分断されたときすでに帰らない人は帰らないのであり分断されたのである。その人たちに帰れというのは無理になっていた
結果的に残されたのは老人だけだったとなる
帰った人の8割くらいは老人なのである。町自体が村がうば捨て山のようにもなる
でもそのためには市町村でも負担が強いられる
南相馬市では復興団地が作られて主に浪江の人たちが入るようになった
5階建ての団地が5つくらいできたのには驚いた
その主に浪江の人たちを南相馬市でかかえることになった
それはいわき市に二万人とか移住して家を建てた大熊とか双葉とかが問題になった
原発の問題はこうして広範囲に影響するものだったのである。
そういうことは全然協議もなにもされていなかった
現実に原発を建てた土地の所有者と県の許可で決められていたのである。
その出発点からして現在の問題が起きる要因を作っていたのである。
ともかく帰れとか言う時、既成事実化しているからそれを言っても無駄だとなる
逆に今度は今の生活を破壊するのかと避難した人たちには言われる
6年の間に回復できない、規制事実化したのである。
例えば石が置かれているとしてその石を他に移すと労力がかかる
でも一旦移すとまた石は重いから他に移すことはできなくなる
既成事実化するということはそういうことだった
だから避難区域にして避難させたことが町を破壊したとなる
回復しようにも既成事実化しているから回復できなくなってしまった。
だから出て行った人をもどすことはできない、するとどうしたらいいのか?
外部から住む人を呼び込むのか?
ともかくすでに規制事実化しているのだからそれを前提にして議論しないと解決方法はない、第一小学校でも中学校でもタクシーで通わせるにも市の負担になる
実際は小高に住んで通わせるのがいいのである。でも小高には住まないのである。
それは飯館村でも起きている、立派な学校を建てても村外から通わせるというのは何なのだろうとなる、そんなら外の学校に通った方がいいともなる
何かそうした矛盾があり苦しむ、単純に帰ればいいと思ったが既成事実化していることが重いものとして今になると影響したのである。
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