鹿島駅前にとまっていた九人乗りのジャンボタクシー
小高小中学校の送迎用ー親は小高に帰らない
鹿島駅前にとまっていた小高への小中学校への送迎用タクシー
これは9人乗りでありいい感じだとなと見た。これは小中学校生徒の送迎用である。
小高で学校がはじまるから用意したという。
高校生も300人くらい通うようになるが高校生には援助がないという
小中学校は義務なのだと無料だという。
でもこれで問題なのは小中学校の生徒の親は小高に住まないのである。
通わせるのであり小高には住まない
なんか飯館村でもこういう問題が起きていた。
立派な校舎を建てて小中学生を通わせようと村長がした。
でも親は住みたくないとか反対する人がいた。
第一村長の孫は飯館村に住まないからだ
人を住まわせようとしても肝心の人が住まないのである
その運転手が言うには金は子の方がにぎっていて老人の親には小使いを渡す程度で老人は金をもっていないという。ええ、そうなのか?子の方が力があるのか?
その子の方は小高に帰らないで外に家を建てたりしている
つまり金を握っているのが子の方だからそうなっている
本当は小高の方に住んで子供を通わせるのがいい
でも親はそうしない、そうしたら小高の復興はないのである。
ただそのジャンボタクシーの通学の費用は市で出すから無料になる
それも運転手は贅沢だといっていた。
これも補償金をもらっているからだろう。
前らか言っていたが小高の人への補償が手厚すぎるのである。
そうして小高に親が帰り子供が通学するならいいが親が住まないでジャンボタクシーを用意させて通学させる
なんても相馬市からも通う人がいてそこは遠くなるから無理だとか運転手が言っていた。
結局何か復興といっても本気になって町でも村でも復興させるという気概は見えない
肝心の若い人たちがそうなのである。小高に住んで通わせればいいがそうしないからまたジャンボタクシーに金がかかる
でも国からなんらか援助が出るからそれに甘えるとなる
そしてそういうことに何か言うと冷たいとか常に言う
近くの仮設でもコンサートなどして「故郷が恋しい」とか泣いていたけどなにか空々しいという感じになる
なぜなら小高はすぐそばなのだから恋しいともならないはずである。
帰りたければすぐ帰れるからである。
東京とかに住んでいるのとは違うからである。それでテレビを見ている人はお涙ちょうだいになる。あんなに故郷が恋しいのだなとか見る、テレビは何かそうしたいい面だけを報道するのである。その裏の真実は報道しないのである。
小高の人たちには南相馬市は原町区でも鹿島区でも不満なのである。
それを言うのは南相馬市全体からすると負担になるからである。
何かというとそうして支援してし無料にしている
そして肝心の人は小高に住まないのである。
老人だけが帰っても復興にならない、その負担が市全体に及ぶからである。
飯館だと線量が高いということがあるが小高だとこの辺と変わりないから帰れる
それでも帰らないということに不満が南相馬市全体でつのっているのである。
このジャンボタクシーを見てこれから利用できる、足として利用できると思った。
バスは一日一二回だからである。
ただジャンボになるから料金が高くなるとかこれも市とかに援助されないと足として利用するには金がかかる、車のない電車を利用した老人もそれを言っていた。
車も年をとると危険だとなっているし高齢化社会ではこの足となる交通が必要になる
自分も原町などに自転車で行っているけどこれから行けなくなったら苦しい
駅前には店がスーパーでもないからである。
ともかく津波の被害地でも高台とか防潮堤とかインフラ的なものを整備しても肝心の人が住まない、若い人が住まないということが復興に通じていないのである。
若い人が流出しているからだ。そして日本全体も若い労働力が減少して人手不足に苦しんでいる時代である。
ベトナムとかネパールの人が増えたのはそのためである。
何か復興というとき本当に変だなと思ったのは補償金をもらったらみんなその補償金で外に出て家を建てたりして故郷には帰らないのである。
何のための補償金だったのか?故郷の復興など関係なく、故郷を出てそこで復興することに金は使われたのである。
もし補償金が少ないとか家を建てるほどの金ももらえないとしたら苦しくても故郷に住んだかもしれない、でも多額の補償金をもらった結果、若い人はその金をにぎり外に家を建てて帰ってこないのである。
そして老人には小使い程度の金をやっているというのもなんか変だとなる
老人ばかり帰って今度は小高でも病院がどうなるとかなると復興できないのである。
この矛盾は他の原発避難地域でも起きているのである。
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