ネパールの暮らしは一番厳しい
(忘れられた昔の暮らしがあるーそこにも学ぶものがある)
裸足に慣れている。村などでは、舗装されていない、小石が転がっているでこぼこ道でも平気で裸足で歩いている。気合を入れるときは履物を脱ぐ人も多い。ガイジンが、高価な登山靴を履いてトレッキングをしている中、地元の人はすいすいと裸足やぞうりで山道を移動している。
ネパールの山中をトレッキングすると裸足で歩いている人がいる、裸足だということにびっくりする、インドでも力車の人は暑いのに裸足だった、そうういことが全く日本ではイメージすらできなくなっている
「 信濃路は 今の墾(は)り道 刈りばねに
足踏ましなむ 沓(くつ)履(は)け我が背 」
巻14−3399 作者未詳
沓はけというとき日常的に沓は履いていない時代である。そこは危険な所だから沓をはけとなっている
不思議なのは戦前までは草鞋を使っていた。草鞋を作ることを農家では仕事としていた。夜なべというとき草鞋を作っていたのである。その需要が大きかったからである。
戦前から戦後十年は江戸時代のつづきだったのである。
例えば自分の家では水道がないから近くの井戸ある家から水をもらっていたし燃料は炭だったし鉄砲風呂でバタを燃やしていた、それが子供時代の仕事だった。
そういう生活だったというときそれはネパールとか今の後進国と通じた生活だったのである。
ネパールの山中の生活でも葛尾村のような所での生活とにていたのである。
要するに自給自足で生活する他なかったのである。
ただ自給自足でも塩だけはできない所がありネパールでも命懸けで塩と麦を交換した。
岩塩が山中でとれて麦と交換した物語の映画があった
それを見ていないが塩の道がこの辺でもあるというとき飯館村では山中だから塩がなくしては生活できないということで松川浦から塩の道があった。
塩は貴重であり砂漠では黄金と等価で交換されたとかもある
塩の道で有名なのは松本から糸魚川に出る長い塩の道である。そこには牛繋ぎ石とか牛転がしという地名が残る、その距離は相当に長い、この辺の塩の道とは違うのである。
牛が塩を運んだというとき牛は坂道に強いし山道を行くのには適していた。
牛方宿というのも山中に残っていた。牛を休ませる宿があった。
だからネパールの山中をイメージするのにはいい、ただネパールの山が高く迫ってきて家があんな高い所にあるというときその厳しさは違ったいるが日本にも似たところがあった
人間の弱点は何かというとき常に心もなんでも今に奪われている、人生でも過去は忘れて今がすべてになることなのだ。
こんな便利な生活をしていれば昔の生活が何だったのかイメージすらできなくなる
自分は子供の時代にそうした江戸時代のつづきの生活を経験しているからなんとかイメージできるが忘れてもいるのだ。
そうして現代の生活にすべて心も奪われ現在しか見えなくなるときどうなるのか?
それが原発事故でもわかるように危険なものでもあったとういことなのだ。
どこまでも便利さを追求して原発の危険性も無視するし金があれば何でもいいんだという感覚になる。
そういう昔にもどることは無理でもそういう暮らしがありそういう貧乏でも不便でも人間は生きてきたということを知るべきなのである。
そこに人間生活の原点があるということを知るべきなのである。
それで万葉集はそうした人間の生活の原点を伝えるものであるから貴重なのである。
ただその原始的感覚がなかなか理解できないのは今からしか人間は見ない見えないからである。
それでネパールとか後進国に行ったときかえってそういう人間の原点の生活が現実にあるということに驚くのである。
先進国だと今はどこも同じような暮らしをしている、でもネパールとかなると原始時代にもどったような感覚になるのである。
だから裸足で歩いている人がいることに驚くのである。
ネパールではポールペンをくれとか良く言われる、ボールペンすらない、ノートもないだろう。なぜならそもそもそんな店もないだろう。
ではこれが日本ではどうだったかとなると例えは鉛筆が戦前とかにあったとしても貧乏だから鉛筆が極端に短くなるまで手でつかまえられないくらいまで使っていた。
それだけ鉛筆が貴重だったのである。だからネパールのような生活を日本ですらしていた時代があったが忘れられている
そして物はありあまって捨てているだけだとなる、もったいないというのもなくなった。
だからそうした昔の暮らしを知るにはネパールとかに行けば本当にそういうものがまだ現実としてあることになりタイムスリップすることになるから有意義だとなる
そこに現代の生活と比較して具体的に実感して学ぶものがある。
それはなぜ原発事故があってこの辺がこんな苦労を強いられたのかということの答えがあるともなる
つまりあまりにも贅沢になった結果として過去の生活が忘れられて結果的に土から水から森から生活する基盤となるものがすべて汚染されて住めなくなったという深刻な被害となった。
自給自足の生活をしていれば原発など建てる必要もない、でもその生活は余りにも違ったものとなっていた。そんな暮らしを今になるとイメージもできないのである。
そうして過去を忘れるとき何が起きてくるのか?
今回のような原発でも何でもいい金になればいいとかただひたすら便利な生活を求め金を求めるだけになってしまう。
そして肝心の人間の生活の原点となるものは忘れられてしまう。
馬酔木なす 栄えし君が 掘りし井の 石井の水は 飲めど飽かぬかも
栄えたというときそれは原発のようなものによって栄えたのではない、自然の水を利用する、井戸を掘ってその水を飲むことによって栄えた
その水はくめどあかぬかもとなった。
その水は枯れることはないしくめどあかぬものなのである。それは水道の水とも違っているのだ。
結局原発事故で人口流出した町では水道を維持すらできない、馬鹿高い料金を払わないと維持できない、原発補償金もなくなるからそうなる。
原発事故を考えるときこうしたことをこの辺では常に考えるようになった。
そんな過酷な昔にはもどれないにしてもあまりにも贅沢になれて人間の原点の生活が忘れられてしまったのである。
もしもっとその原点の生活の価値を知れば原発に頼るだけの生活ではないものになっていたし別にそんな過酷な生活ではないそれなりに豊かな生活も志向できたと思えるようになったのである。
一方でまずネパールの山の中から日本に出稼ぎに来たような人はネパールに帰りたくないとなり子供がいれば定住する人も増えているというのもわかる、その生活の差が大きすぎるのである。
これもタイムマシンで全く別な未来の世界に来たともなるからである。
カトマンズとかなると山の上の生活とは違うからその差も大きくはないが山の上の生活津はあまりにも厳しいとなる。
ヤハな人間は生きていけない、でもそういう生活も過去には日本にもあったということを知るべきである。
どこまでいってもたりないたりない、王侯のような生活をしていてもたりないとなっているのが日本でもあり先進国でもある。
そういうことが原発を生む土壌になっているのである。
ネパールの山では電気がない、ソーラーパネルを使っているというのも現代的である。
こういうところだとソーラーパネルの力が発揮される
文明の利器がかえって生きる、先進国ではかえって景観の破壊とか起きる
ソーラーパネルは先進国ではかえって向いていない面もあった。
こういうことはインターネットで調べると今は相当に詳しくなる