2017年03月05日

今日の鹿島駅(春の日) (10年ぶりにいわきをまわり来た人)



今日の鹿島駅(春の日)

(10年ぶりにいわきをまわり来た人)

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紅梅や仙台に通ず線路かな

鹿島駅十年ぶりに来たりしと春の日さして鉄道の旅



今日は風がなく遅れがなかった、春の穏やかな日だった。土浦ナンバーの水戸管理局の人が信号室を見て回っていた。一人はこの前来た検査車両に乗ったことがあるという。
あの検査車両は浪江とか双葉大熊まで電車を通すために実験している車両である。
浪江は今年中に再開する、3月30日で避難解除になるからである。

そして双葉から大熊とかを通っていわき市までも開通する、その工事は点検ははじまっていたのである。ただ放射線量が高いので双葉とか大熊の駅にはとまらないという。
浪江から双葉に入ると0・5マイクロシ-ベルトから7マイクロシーベルトになるから高いから止まれないことがわかる。でもそうなるとなかなか双葉、大熊などの復興は遅れるとなる。いづれにしろいわき市までも通じる日が近いことを知った。

今日会ったのはいわき市からこっちに回って来た人だった、何かこっちに縁があったらしい人である。茨城の大学に在学していたというからだ。
震災前に来る予定だったがこれずに10年ぶりに来たという。鉄道の旅が好きだとは言っていた。今日は日曜日だから仕事ではない。
10年ぶりに来たとなればなつかしいのかもしれない、仙台まで開通したので来たのだろう自分でも介護ですでに東京に十年以上行っていないのである。

昨日は福島市からタクシーを貸し切りで鹿島駅まで来た人がいた。前も福島市からレンタカー借りて来た人がいた、鹿島では待ち合わせ場所がないので駅にしたという。
福島市から来るのは福島市に県庁があり仕事で福島市から南相馬市に来るということがある。新幹線を利用しても遠回りで時間がかかるから金がかかっても会社なら金が出るからタクシーできた。福島市には貸し切り専用のタクシーがある。
辰己屋というタクシー会社である。この会社を近くの人が知っていた。

近くに星自転車屋と大沼菓子店がある、10年ぶりに来た人は香の蔵でお土産を買った
うまいと言っていた。前に東京から来た人がわざわざ六号線の香の蔵にお土産を買いに行った、あそこまで行くのは不便である。
スーパーキクチの方が近い、あそこでも菅野漬け物屋のものは売っている、数はすくない

とにかく駅はこうして出会いの場所なのである。外から来る人が必ずいるしまだ工事関係とかで来る人もいる、やはりまだ開通したばかりだから外から来る人が多い
だから意外と何か用がある、別にいなくてもいいがやはり無人駅は困ることがある。
3月4日からの時刻が変わるので時刻表を置いたけど風で飛ばされていたのである。
それを原町駅に連絡したらすぐにまた置いた、セロハンで箱をはりつけて飛ばないようにしていた。時刻表をみんなもってゆく

ともかく紅梅が咲いて線路は仙台に通じているのがいい
いわき市まで通じればさらにいい、ただ特急ヒタチは走らない、もう走る姿を見れないとなるのは残念である。新幹線があるから時間的には東京まで行くのは変わらないからである。でももう一度鉄道ファンなら乗ってみたいということがある。
ただ十年以上その人もこっちに来なかったが自分も十年以上介護とか東京に行っていないのだ。時間がすぎるのはとにかく早いのである。

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福島貸切辰巳屋タクシー


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 常磐線の復旧に400億円かかっているからすごい、でももうけているのは新幹線でありあとは5パーセントしか収入がない
新幹線に接続するものとしてローカル線がある。ローカル線が維持できるのは新幹線があるからだとなる
これが鉄道の経済の実体なのである。

時代を越えられない、時代の犠牲となる人間 (大奥という場で犠牲となった絵島ーNHK歴史秘話ヒストリア)


時代を越えられない、時代の犠牲となる人間


(大奥という場で犠牲となった絵島ーNHK歴史秘話ヒストリア)



大奥の絵島の事件は何であったのか?結局大奥という江戸時代の女性が政治化した権力争いがありそれが原因となっていた。
そもそもそうした大奥というものがあること自体、江戸時代は今になるとありえないイメージもできないものとなっている
そんなところに何千人も女性がいたのかというのが謎になる
将軍の種を宿すためにそんなことをしていること自体江戸時代の暗黒があった
だから今になると江戸時代は庶民はいい顔していたとか言われるが政治は暗黒だった
ただどんな時代でも明暗があるから一がいには言えない

結局絵島はこうした江戸時代の大奥とかの今ではありえないものとして大奥という場の犠牲者だったのである。
それが時代でありその時代で人は必死に生きねばならなかった。
絵島は出世したのだからその大奥に適合したのだが反面そういう場所で犠牲者になったのである。
平賀源内でも天才だったけど才能を認められで発揮できずに死んだとかも時代のためである。
あまりにも時代に先んじている人物は時代に合わないものとして活かされないのである。
だからタイムマシンで過去に戻っても結局人間はその時代に適応しないかぎり生きられない、戦国自衛隊などの映画でもいくら戦車とかをもっていっても機関銃でもそんなものはガソリンがないとか弾がなくなるとかでいづれは使えなくなる、すると生き残るためにはその時代に適合するほかない、刀や槍で戦うほかなくなるのである。
その時代を越えて人は生きられないのである。

これは戦争などでもそうである。太平洋戦争では3百万人が死んだ、自分の姉も赤紙一枚で招集されてシンガポールに従軍看護婦として働いた。
そこで塗炭の苦しみを味わった、第一そうして3百万人が死んだのである。
その中には優秀な若い人もいたが高橋英吉なども才能を発揮できず死んだ
才能を発揮できないというときそういう人はいくらでもいた。
戦前に北海道に開墾に入った詩人の猪狩満直などもそうである。
病気で過労でで死んだのである。それが呪いとなっている

そういうふうに才能が発揮できずに死んだという人は無数にいる、その屍の上に才能を発揮できる人がいる、いくら才能があっても時代が悪ければ才能は発揮できない
何かたいしたことはないようでも自分が描いているパソコンの抽象画でもそうである。
自分でしていても不思議なのである。絵が描けなくても絵を作ることができることが不思議なのである。これもパソコンが生れたらでありまさにart(技術)が生れてできた芸術なのである。技術の進歩があってできた芸術である。

時代というとき技術も関係している、外国に行くというとき船でしか行けない時代と飛行機で行ける時代はあまりにも違うのである。外国に行けたのは極少数の選ばれた人だけである。今は誰でも行けるのも違っているし時代である。
そうなると新たな芸術でも学問でも生れる、なぜならそれだけ視野が広くなるからである現代人はそれだけグローバル化して視野が広くなっているのである。
ただ実際に外国に行ったことがある人とない人では相当な差があるし外国に住んだ人と住まない人でも外国の理解では差がある。
でも狭い村から出たことかないというのが普通だった時代とは余りも違っているのであ

人間が時代を越えられないというとき、例えば現代に生きていても現代という時代は技術的な面では越えられない、自動運転が普通になったとき交通事故もなくなったときどうなるのか
なんで交通事故であんなに死んでいたのかと不思議になるのである。
でもそれは時代であり時代の犠牲者だったとなるのは同じなのである。
貧乏でもそうである。戦前とかの貧乏は今とは比べようがない。
自分の父親は明治生まれであり最後は戦後十年くらいたってサシミを食べられるようになったが病気になり食欲がなく食べたくないと言って死んだ
これも時代だったのである。そのときはみんな貧乏だったからである。
バナナなどはこの辺に売っていない、病気の時仙台から買ってきたのである。

人間は時代を越えられないし時代の犠牲者となる、歴史を学ぶということはそうした人間の苦労をふりかえり今を考えることである。昔が良かったとかではない、そのいい面とまた暗黒面をふりかえることである。
女性でも絵島は当時だったら最高の職についたのである。でも大奥などという今ではイメージもできない場がありそういう場の犠牲者だったのである。
それは時代がそうしたのでありその時代を越えられないからそうなった。
そういうことは歴史では常にある、貧乏だったというとき江戸時代なら美人は遊女にされ不細工な女性は紙漉きさせられたとなる
それもどっちが過酷だかもわからない、そういう時代でありその犠牲者だともなる

とにかく歴史を学べばそんな時代と比べて今はいい時代だなとなる、その喜びをかみしめることができる、そうでないと今の時代にも不満ばかりになる
でも今の時代でも時代の不満があるのが人間社会である。いくら過去と比べても今の時代の苦しみがありそこに関心が集まり過去はそんなに考えないのである。
人間は歴史をふりかえれば犠牲の歴史でもあった。その犠牲の上に今日があるということも考えねばならない、それが現代の苦しみのみに注意が向けられて過去は忘れるのが人間なのである

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