2017年03月17日

原発訴訟で東電と国の責任を認める 津浪を予測していたし対策をたてなかった


原発訴訟で東電と国の責任を認める

津浪を予測していたし対策をたてなかった

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今回の判決は別に補償金をもらえない人にも大きい、国と東電に過失があり津浪という自然災害で不可抗力に起きたのではないという判断は大きい

東電は科学者のエリート集団だから津浪を予測していた、30年以内に地震が起きて津浪が起きることを予測していた。

地震が起こり津浪かが起こることを東電は予測していた

ただその対策をとらなかった、それが責任

自分は科学に弱いから変だけど東電は科学者集団だから地震が起こり津浪を起こることをこの辺でも予測していた事である。それも10メートル以上とかの大津波のことを予測していたのである

第一この辺でそんな津浪のことを一般の人は関心がない、津浪など来た事がないから来ないと確信していた、恐れる人もなかったのである。
自分なども津浪のことなど考えたこともない
ただ海岸沿いに住んでいた人は海とは関係なく何か怖いという感覚はあった
それで鹿島だと小学校前まで津浪が来たがそこで浪にのまれる夢を何回も見たのである。あの辺は家がないからそういう夢を見やすかったのである。
だから海岸沿いに住んでいた人たちは夢で浪がおしよせる夢を見ていた
それは津浪とは限らない、高潮でも現実に八沢浦の湊では防潮堤が破壊され水びたしになったことがあったからだ。
海岸沿いには津浪でなくても常にそういうことがあった
それで磯部の佐藤氏は相馬氏が支配する前の中世の豪族で館を構えていたが同じように高潮のために危険だと今の日立木の鬼越城に移ったのである。

ただ夢とか伝説とかなると誰もそれを信じて行動には移しにくい、でも今なら科学者の言うことは信じやすいし信憑性が高くなる

だから東電の科学者はチームは津浪が来ることを予測していた

そのことを知ったら、ええ津浪が来るのか、この辺ではそんな話聞いたことないけど
科学者が言うなら本当かもしれない、警戒しないといけないな

津浪のことをこの辺で相馬でも津浪が来るんだということ大きな津浪が来るということを東電から知らされて警戒する、するとそういう知識がすりこまれるとあれだけの地震だったらもう津浪が来るという知識がすりこまれているから咄嗟に避難した
でも津浪のことをこの辺では知らないし経験がないから警戒しないで避難しないで死んだ人が多い、特に65歳以上の老人はそうして逃げないで死んだのである。
老人でも津浪はこの辺では経験していない、今回の津浪で相馬藩政記に400年前津浪が来て700人溺死という記録があったことが発見されて驚いたのである。

だから東北電力では津浪が来ることそれもかなり高い10メートルも15メートル以上の津浪がくるとして対策をして高い所に建てたから辛うじて助かったのである。
10メートルでは危ない、16メートルにしろと当路の副社長の人が言って高台に作られて助かった。そこは津浪が前にも来ていたからそうなった。

ともかく怠慢だったのは報道関係にもあった
何か危険を知らせる、事前に情報を知らせる、知識を与えるのも報道関係の勤めである。
報道関係者が東電で30年以内に震度8以上の地震がきて10メートル以上の津浪が来ると
予測した

そういうことを新聞でもテレビでも伝えていたかとなると伝えていないだろう。
伝えたとしても読者も無関心だったかもしれない、自分なども原発でも津浪のことでも無関心だったからである。
でもやはり報道関係者にはそうした危険を警告する、知識を情報を与える役目があった
でも福島民報でも民友でも原発は安全だという「安全神話」に組みした方だからそんな危険を警告する報道はしなかったともなる
ただ安全、安全しか言わせなかったからである。それは東電で働く人にも楯にして言わせていたのである。そこで働いている人は今でも東電は批判できないんだよなと言っているからである。

今回の事故のことでももし東電が東北電力のように地元で津浪を警戒して実際に対策をとっていればこうはならなかった
むしろ津浪を警告して東電に助けられたとなり東電様様になっていただろう。
東北電力の女川原発にはそこに避難した地元の人がいて助かったともあるからだ
東北電力のように東電も株があがったのである。
放送というとき自分は今回インターネットがありプログで発信した。
それはインターネットがあったからできたことであり自分の発言などマスコミでは取り上げられない、それは他の人でもそうである。
マスコミは取捨選択する権力をもっているからである

ところが報道する権利はマスコミだけではない、このように庶民さえもてるとなるとまた違った社会になる、自ら報道することはやはりなにかしかの責任と関心を喚起するからである、報道することが実際は興奮することであり金がもらえないとしてもやりたいことがわかった。
こうしてマスコミの記者だけではない一億総記者になる時代である。
そしてこのように号外が出た、そしてそれに対して即座にコメントしてプログで発表するというのもインターネットが速報性に優れているからそうできる
ただまだまだ個人でとは権力がないから追求力が弱いのである。

要するに今回の原発事故は政府と東電に大きな責任がありそれを検察も認めたとなる
地震や津浪の自然災害のためではなくそれに備えることができたのに備えなかった
ただ「安全神話」を作り肝心の備えのためには金もださない、対策をたてていなかったのである。過失致傷の責任があったともなる。
それを裁判で認めた意義は大きい、ただそうなると現実に賠償金の支払いを命じられた
でもその賠償金はまた裁判を起こした人たちだけのものではない
被害を受けたのは広範囲であるからだ、その賠償金をもらえない人の不満も大きいのである。ただ国でもそんなに賠償金を支払えないというのも現実なのである。
それをあまり訴えると今度は国民の反発でいじめとがが起きてくるからだ。


posted by 老鶯 at 19:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2017年03月18日

野馬追いの旗とヨーロッパの中世の城と旗の共通性 (野馬追いと同じ祭りがヨーロッパにもある)


野馬追いの旗とヨーロッパの中世の城と旗の共通性


(野馬追いと同じ祭りがヨーロッパにもある)

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2014夏のブリュッセル★ (写真拝借)

これは野馬追いと同じである

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野馬追いの旗にもこれと同じ識別化がある


騎士団は軍隊の中枢と見なされていた。上級貴族として「バナレット騎士(旗騎士:旗は領地管轄権の象徴であり、供の者を従えていた)」

「戦う人−耕す人」に二分された(10世紀)。これによって「a.武装して戦う特権を有し、そのために通常は課税されない人々」と「自然物を生産し、自分の需要に加えて他人(=b.の人々の労働の成果で暮らせる特権を持つ人)の需要を満たすように期待された人々」が区別された



公家の家紋は優雅なものが多く、武家の家紋は実用的で、戦いの場において、敵味方の陣地識別のために旗や幕に用いて目印としたのに始まり、簡略で、しかも識別しやすい幾何学模様が多いのが特色といえる。ことに群雄割拠して互いにしのぎを削るような争いが続くにつれて、一軍の将たる者は、地方の群雄の家紋をつねに熟知しなくてはならなくなり、このために『見聞諸家紋』という書籍さえ刊行されるほどであった。

 関ヶ原の戦いを契機として、太平の世の基盤ができて、武具、武器、旗、幟、馬印などは無用のものとなり、紋章の用途のうえに一大変革が行われた。つまり家紋は、武士の威儀を正すのに必要なものとなり、儀礼のうえからも、自己の家格門地を表す服装の決まりができて、参勤交代あるいは登城をするときの行列に、家紋を明示する必要に迫られ

ヨーロッパと日本は別の世界であり歴史も理解しにくいと思っているが封建制があることで共通している、封建制があったのはヨーロッパと日本だけだッからである。
それで明治維新が成されたという説もある。西欧化でたきという説である。
それは封建制というのはやはり歴史的人間の発展としてヨーロッパと日本にしかないということが重要である。

だから騎士とサムライもにているしなぜヨーロッパに城が日本と同じように多くあのように紋章学まであるように紋の種類も多く旗の種類も多いのかとなる
それにはやはり封建制があり城が多く騎士がいてサムライがいたからだとなる

それはそういう歴史的基盤の共通性がありそうした紋章学とか旗が生れたのである。
ただそういう歴史があるのは日本とヨーロッパだけなのである。
だから野馬追いが旗祭りだというときヨーロッパでも同じ祭りがありブリュッセルでの旅の報告では野馬追いと同じ祭りがあった。騎馬行列もそうであり様々な旗があるのも同じだった、つまり野馬追い祭りは日本だけのものではない、ヨーロッパとそっくりなものがあった、旗でも同じような旗があった。幾何学紋様であり識別するものとしての旗である
だからヨーロッパというのは異質な社会だと見ているが野馬追い祭りからみると何か親近感を覚えるのである。同じ歴史があり文化があったとなる
ただキリスト教がかかわるのでそこがわかりにくいとなるが日本でもサムライの前進が僧兵だったということを言うひともあり京都でも比叡山なども寺領が一つの町を形成していた。それはヨーロッパでも同じであり修道院は要塞であり城でもあったし騎士団もいたからこれは僧兵である。
一見日本と中国は漢字を使っているから共通性があると思っている、でも日本の村と中国の村はまるで違ったものだという学者もいる、日本の村は封建制へと発展した村だった。だから封建制があるということで中国にはないからヨーロッパの歴史に日本はにているのである。

「戦う人−耕す人」に二分された(10世紀)。これによって「武装して戦う特権を有しそのために通常は課税されない人々」

これも日本にもある、戦う人とはサムライになった人であり耕す人は農民である。
でも日本では相馬藩でもそうだがその両方をかねそなえた郷士がいた
農民であり侍であった人である。それは城勤めになった侍は専門家して官僚ともなった。兵農分離したのである。刀狩りによってそうなった。

野馬追いでは郷士から出ていて農民と侍だった人たちである。町内とか街内から出る家は極わずかである。農家に古い家が残り鎧や旗が残されていた
それは勝手に作ったものではなく先祖伝来の旗である。

ただこの旗も

関ヶ原の戦いを契機として、太平の世の基盤ができて、武具、武器、旗、幟、馬印などは無用のものとなり、紋章の用途のうえに一大変革が行われた。

つまり相馬野馬追いにはあれだけ多様な旗があるけど戦国時代でも大きな藩とかにまとまると家の旗とかは必要なくなる、相馬藩とか伊達藩とかで戦うから相馬藩なら九曜の紋であり伊達藩なら竹に雀の紋の旗とかなるのである。
野馬追いの旗の種類の多さは鎌倉時代に由来していて多いのである。
戦国時代からはまだ使われたにしろ家の旗はそれほど使われない、その後は儀礼的なものその家の家柄を示す地位を示すものと変わってきた。

野馬追いの旗は公家の紋とは区別される、公家の紋は天皇の紋が菊のように植物が多い、橘などもそうである。鎌倉時代から戦国時代になるとその植物紋が受け継がれたにしろ
多様なものになった。識別を基とするとき幾何学的な抽象的な単純なものが多数生れたのはヨーロッパの旗でも同じものがありにているとなる

いづれにしろヨーロッパの歴史というとなにかむずかしくなじめないということがある。でも野馬追いの旗からみると共通性があり親しみやすくなる。
だからヨーロッパの城や騎士や旗とかを研究すればヨーロッパの歴史に興味がもてる
つまり相馬藩というとき何か世界史と関係ないように見えてあるともなる
歴史に興味をもつというときやはり身近なものから始めないとできないからである





posted by 老鶯 at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

春の日に原町の街中の牛飼う農家から原ノ町駅を見る



春の日に原町の街中の牛飼う農家から原ノ町駅を見る

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パノラマ写真ーソーラーパネルがあるのも今の風景である。
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クリック拡大

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この石はいい石である、これだけの石があり新築である。
誰が建てたのか?気になるが原町は広いからいちいち気にしていられない

古いままの原ノ町駅

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ここにレールが使われていた




紛々と梅のにおふや晩年に

梅林や牛に山鳩畑かな

街中に牛飼う家や春の雲

大石をすえて新居や梅におふ

春耕や残る街中の畑かな


久しくも一本松のここに立ち一つの池の水ぬるむかな


梅は盛りでありいたるところにおっている。晩年というとき一見年取って嫌だなとみる。でも自分はあらゆるものを深く見れる鑑賞できる、詩などもいいものが創作できる
今まではなかなかいいものが作れなかったが自然にできるとなる
やはり芸術などもなかなかすぐには理解できないし創作もできない
それだけ自然を知るのには歳月が必要だともなる
普通の人だったらどうしてもそうなる、だから大器晩成とは別に大器でなくても理解が深まるし創作もできるようになるのだ。

今日見た風景は変わっていた。六号線の高見町から海の方に行くとそこは工場があり倉庫などがある一帯である。渋佐地区になる
仙台にも卸町とかありそういう場所であり景色は良くない。
でもそこに牛を飼う農家があり畑もあった。この風景も不思議だった。
こんなところに農家があり牛を飼っているというのもにあわない風景だった
この辺はもともとは田畑であり農家があった所である。

この梅林に山鳩も来ていたし鳥がとまっていて春の雲が浮いている
何か牧歌的だなと思うが全然そういう場所ではない、第一ここに農家がある、牛がいるということがそぐわないのである。
でもこういう場所がまだ街中に残っていたことはなごむともなる

何かこの辺でも新築の家が増えた、浪江の人が建てた家もあった、小高の人も建てたし相当に原町でも新築の家が増えた、原町はこの辺では一番住むには便利だからである。
原町は大きいからわかりにくい、鹿島区くらいだとすみからすみまでわかるとなる
それでもわからないものがあるのが現代の社会なのである。

今日は原町駅に行き原町の駅舎を見た、そしたら意外とそれは鹿島の駅舎と同じく明治30年に作られたままのものだったのである。
改装はしても中味は変わっていなかった。
南相馬市のチャンネルで原町駅のことを説明していた。
ホームにレールが使われていた、あれは気づかない、なぜレールなど使ったのだろうか?やはり明治となると鉄が貴重であり建築するにも利用したとなる
壁は自分の家がそうだったように土壁だったろう、するとまるで大きな農家のような造りだったとなる、原の町駅は大きいから昔は残っていないと思った。
蒸気機関車のとき方向転換する場があり大きな駅だった、今は半分くらいに縮小している

高校のとき通った駅だがその時蒸気機関車だったけど鉄道自体に興味はその時もっていなかった。やはり人間は興味をもたないと注意して見ないのである。
勉強だって興味がなければしないし強制的に試験があるからとやらせても身につかないのである。
鉄道だといろいろ興味をもつ人がいる、一番多いのは撮り鉄である。
デジタル写真の時代だからそうなる
ただ鉄道は自分でも原町に行くときめったに乗らない、買い物でも自転車である
途中回れないとかへ不便である。駅に来ても歩いて用たせないから困るのである。
タクシーになるとまた金がかかるからである。駅からのアクセスが不便だから利用しないそれで北海道は半分廃線になというのもわかる。
日高線を復旧するのに130億かかるというから洪水で破壊されたレールは放置されたままである。そしてもう復旧できないから廃線にすると会社では言う。
常磐線の復旧は津波で流された区間を直すのに400億かかった
でも東JRでは復旧したのである。今月は浪江まで開通する

今日は彼岸の入りであり原町の橋本町では墓参りの人が来ていた。
原町の街中で畑を耕す女性がいた、まだこういう光景はこの辺ではある。
それでほっとするということはある。
ただ原町の街は通りはシャッター通りでありさびれている、これはどこでもそうである。何か復興事業も一段落してこれからさらにさびれてゆくから困る
それは相当に深刻な状態になるかもしれない、震災前だって生活が苦しい人が多い
そのことで自分はひどいめにあったことを書いてきた。
復興景気は終わるとこれから農産物でも放射能で売れないとか苦しくなる

何か自分でも自分が病気になったり介護になったりさんざんな目にあったことを書いてきた、つくづく負のスパイラルに陥ってゆくのが人間である。
だから小高でも浪江でも飯館でも避難区域になったところは負のスパイラルに陥りやすいから復興がむずかしくなるのである。
結局いいことにいいことが重なり悪いことには悪いことが重なるのである。

また川子のパークゴルフ場によった、あそこに植えた樹が大きくなるにはこれも何十年とかかる、それで夏は日影がなくなるので日ざしをまともに受けたらできないと思った。
海岸地帯も日影ないので夏はいられない、木が育つまでには何十年もかかる、50年もかかるとなったらもう今生きている人は日影休むことができない
でも20代とかなら老人になったときその木も成長しているから休めるとなる
今の老人は日影に休むことができないのである。
だから老人は先は短いからそうした息の長いことをするのに向いていない
だから復興するのにも長い先を考えるとしたらできない

人間は先をみることがつくづくむずかしい、何が起きるかわからないからである。
東芝で失敗したのは原子力に力を入れすぎたことである。
それが未来だとしてフクシマで事故になりその影響でアメリカの会社まで影響して窮地に追い込まれたのである。先をみることを誤ったのである。
それが致命的結果になったのである。
ただその先をみるというときこれは老人ではできない、先がないからである。
たから老人は復興に向いていないのである。



2017年03月19日

職がないと長崎から来て東京で強盗 (地方の経済の苦境)


職がないと長崎から来て東京で強盗


(地方の経済の苦境)


前田好範容疑者(27)ら2人は午前1時ごろ、 
西武新宿駅近くで、会社員の男性(38)に「困っているから1万円くれ」と言って胸ぐらをつかみ、 
現金およそ1万4,000円が入ったポーチを強奪して逃走し、手配中の警察官に現行犯逮捕された。

前田容疑者は、職を求め、長崎県から上京したばかりだったという。 

ttp://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00352872.html


地方はもう年金と生保がベーシックインカムになってるんだよ 
受給者を固めて住まわせて、その地域にショッピングモールを作って街を極限まで小型化しその中で細々とカネを回す 
もちろん公務員は一等地に住んでデパートに買い物に行くから「山の手とスラム」みたいな二極化 


長崎は人口流出が凄いんだよ 
ただでさえ立地は西の果てだし、平地は少ないし 
仕事も長時間労働&低賃金ばかりだし 
若者はどんどん出て行ってる 
唯一の東証一部上場企業の十八銀行は福岡FG傘下になる予定で遂に 
全国初の0社に 
三菱重工業長崎造船所もこの所あんな状態で元気出ないよ

東京・西武新宿駅近くで、男性から現金を強奪した男らが現行犯逮捕された。


このニュースに注目したのは長崎から来た人に鹿島駅であったからだ。別にこの辺は全国から来るからめずらしくない、その人は原発関係で働きに来た
長崎には職がないとして働きにきた、ただ長崎はなにかここからだと遠く感じる
弘前の人も職がないと来ていたがまだ青森だとここから近い感じになる
長崎はなにかここからだと日本の果てのように感じた

何か日本の経済は東京中心になりすぎた、例えば地方に工場があっても東北サッシでも初任給が基本的に13万とか安い感じがする、それが田舎の平均だといえばそうになる
でも今の時代に13万だと田舎でも苦しいとなる、要するにパートなみの給料なのかとなる自宅から通いばそれでも家賃を払わないからやっていけるとなるのか?

田舎は東京から富を収奪されているというとき東北サッシの社長が神奈川の人であり本社が神奈川でも東京にある感じになる
たいがい本社は東京にある、すると地方は安い賃金で働かされて豊かになれない
それはグローバル化経済で貧乏な国低賃金で働いているのとにている
この前駅に来た人も友伸電気であり東京から来ていた、このように東京に本社があり地方に幹部の人が来る、すると地方では安い賃金で働くのであり給料も安いとなる
東京に富が集中するのを批判するのもわかる、社会システムがそうなっいるためである。東京はやはり日本の頭脳となっているから東京に富が集まるのである。
地方は低賃金で働かせられるのである。

東京電力だってフクシマに原発を作ったというときそういうシステムになっている社会だからフクシマに原発を建てた、地方の工場と同じである。
ただ原発は東京に建てられないからフクシマに建てた
でも原発だけはこの辺の経済を豊かにしていたのである。
ともかく原発は危険だから給料が高いからである。日当が二万くらいになっていたかもしれない、すると東北サッシで働くより相当高いとなる

結局でもそうした東京中心の経済が日本全体からすると社会の歪みをもたらしている
それで原発事故が起きたりする
東北電力は地元だから同じ原発を建てるにしても津浪に警戒していたのである。
実際にそれだけの対策をしていたから助かったとなる
これは別に今だけではない、そもそも双葉とか大熊辺りはこの辺でも工場がないとか出稼ぎ地帯になっていた、出稼ぎしなくて地元で働けるようにと原発が誘致された。
そういう東京中心の経済がやはり原発事故とかの原因ともなっていた。日本全体のバランスのよい社会が作られていないことがこうした問題起す根があった。

いづれにしろ今は給料が安いし賃金も上がらない、何か若者が消費しないというときそれだけの金がもらえないということがある。
高度成長時代は消費欲があった、マイホームがほしい、車がほしい、電化製品がほしいと消費欲があり景気が良かった、今は買うものがないとうより買えないということがある。そして金をもっているのは高度成長時代に資本蓄積した、貯金していた老人だとなる
その時は貯金していると倍になったからである。
保険でもかけていると倍になっていたのである。金利はその高い時のものが継続されていたからである。
とすると金利の影響が意外と大きいとなる、ローンでも金利が安いとき買えば20年とか計算するとかなり得になる、金利が高ければそれだけまた長い間払うから損になる

地方はもう年金と生保がベーシックインカムになってるんだよ 
受給者を固めて住まわせて、その地域にショッピングモールを作って街を極限まで小型化しその中で細々とカネを回す

自分が病気になり介護になりどれだけひどい目にあったか書いてきた
それを冷静に考えるとそれだけ地方では経済的に困窮している人が増えたしこれからも増えてくる、だからこの辺では原発避難民でも補償金でもめるのはやはりもらえない人が多かったし経済的に苦しい人が多いからうらやむとなる
自分は別にうらやんだのではない、金の不満より避難民がパチンコなどで毎日遊んでいることに不満だったのである。
なぜならその時自分は病気で苦しみ介護で苦しんでいたからである。

だからなにやかにやといっても原発避難民は金をもらえるだけもらうということをとめることはできない、いくら他者が言ってももらうものともらうとなる
裁判を起こしてももらうとなる、ただだんだん復興景気も一段落して復興バブルとか補償金バブルもなくなるとこの辺の経済は相当に厳しくなる
すでにそういう兆候が現れている、もともと経済的に地方は厳しかったからだ

地方はもう年金と生保がベーシックインカムになってるんだよ

この指摘は面白い、現実に自分がしていることはこのことである。田舎では仕事がなくなれば金をまわさざるをえなくなる、大金持ちはまず田舎には住めない
そして老人が多いのだから年金頼りであり生活保護者も増えてくる、そういうぎりぎりの線の人が多いからである。まず国民年金でも8万もらってもまともに暮らせない
8万もらっていない人もいるからだ。
この辺は復興バブル、補償金バブルが終わるとさらに経済的に厳しい状態になってゆく
すると多少でも金ある人にたかるとか強奪するとかまでなってくる
そのことを身をもって経験しているしそれは継続しているからだ。
この辺で人口流出した結果、街を極限まで小型化しその中で細々とカネを回すも現実化している問題である。
人手不足というときそれはスキルのある人手不足と低賃金の人手不足である。
低賃金だと職にありついても暮らしは改善されないのである。、スキルある賃金の高い職にはそもそもつける人は限られている
スキルというとき東京にはそういう仕事があり日本の頭脳になっているから富が集中するのである

ともかくインターネットだと地方の生々しいことが話題になるときテレビとは違ったものとして情報を受け取る
地方にはそれぞれの事情があるがテレビは東京中心の話題に占領されるからである。

問題の大型客船は2011年にドイツのアイーダ・クルーズ社から受注したもので、12万トン級2隻。しかし、設計や建造に手間取り、納入が遅れるなどした結果、16年3月期までに約2400億円の損失を計上

長崎の三菱重工の造船がうまくいかない、それも大きな影響がある。
鹿島駅であった原発で働いている人がどういうことでここまで来たのかわからない
でも長崎にいい職がないから金になる原発に来たというのは確かである。
それは弘前の人も同じである。
それにしても原発の廃炉事業は未来の事業ではない、負の産物となったのでありそれにそそぐ労力でも金でも莫大なのである。
これはなんらか未来につながるものではない、未来につながるものならいいが何かただ金と労力を無駄に使役されるとみる
何かそこに未来につながる技術の開発とかあればいいのだが負の遺産の後始末だけだとなる、東芝の原子力事業でも失敗して危機に瀕している
結局原発は疫病神になったのである。



posted by 老鶯 at 21:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2017年03月20日

霧が勝敗を決した関が原の戦い (原発では先が見えていたのに備えなかった)



霧が勝敗を決した関が原の戦い


(原発では先が見えていたのに備えなかった)


風雲!関ヶ原の戦い!C激突開始

このサイトはわかりやすい小説になっている



誰か勝敗をにぎる
神の関与して歴史は動く
関が原深く霧のおおいぬ
家康の東軍霧の中を進む
小早川秀明の裏切り
三成は敗れぬ
霧深く先は見えぬ
誰が勝敗を握るのか
神のみぞ知る
天の時、地の利、人の和
天候に地の利に人の和
裏切りにより人の和は敗れ
天候に左右され敗れぬ
誰が先を見るのか
霧に深くおおわれ
時ならぬ異変
先は見えずに敗退す
誰も先は見えぬ
勝敗をにぎるものは何か
その采配は誰がするのか
神にしありや知らず
人知を越えるものがかかわる
先が見えぬに故に無謀の暴挙
無惨に屍の虚しく積まれぬ

天の時、地の利、人の和というときこれは必ず影響している、関が原は東西を分かれる地の利の場所であった。
あそこを新幹線でも通ると雪が残っているから寒い感じになる、でも関が原をぬけて近江に出ると景色も変わる、実際にあそこは地理的にもそういう場所である。
だから古代にも東西の戦いがあり雌雄を決したのである。

テレビで見たのでも霧が勝敗を決したというとき勝ち負けはどっちに転ぶかわからなかった。三成の西軍が優勢だったからである。霧がそのとき深くおおい東軍が有利になった
これは信長の桶狭間でもそうである。天候の影響が勝負を決める
要するに霧がかかり先が見えないというときまさに歴史でも人生でも同じなのである。
先を見ることができないのである。

もし先を見ることができたらそれは超能力者であり最高の権威をもつことができる、だから卑弥呼の権威は日食を予言したことから起きていたという説もあるしマヤ文明でも天文学を究めたのは先を見るためである
宇宙を知り天候を知り先を知るためにテクノクラートが支配した
常に文明にそういうことがある、つまり未来を将来を知ることが生死を決するからである
ただ歴史でも個々の人生でも先を見ることができない、深く霧がおおい先が見えない
もし先が見えたら日本でもアメリカと無謀な戦争などしない、その時日本はアメリカに勝つと確信して戦争したのである。負けるとしたらしない、先が見えないことは無謀なことができるとなる

いかに先を見ることが大事かというとそれが生死にかかわり国の運命にもかかわり個々の運命でもそうである。
運命を左右するから先を見ることが大事なのである。
津浪のことだってもしその先を見ることができたら防ぐことができたからそれを警告して実行させたら救世主にもなった。
ただ津浪の予測もできないことはなかった、それは実際は予測できたことだったのである相馬藩では記録がないにしても伊達藩ではあり海が近いのだから危機感をもってもよかったが危機感をもたなかった
人間は危機感をもたない、平和がつづくと危機感がなくなりそれが危険なものになってゆく、何か戦後は平和がつづき永遠に平和つづく感じになる
アメリカが日本を守ってくれるという安易な気持ちになっている
でもその危機感のなさがまた危険なことになり戦争にもなるかもれない

今は予測となると科学である、だから科学だと実際に相馬市でも奥の方に津浪が来ていたことはボーリング調査で震災の7年前に証明されていた、海の砂が発見されていたからだ
ただそれが400年前の慶長津浪かどうかはわからない、貞観津浪のものだったらしい
それから現実に東電では科学者の集まりだから10メートル以上の津浪が来ると予測していた、このことはやはり科学の時代だということを如実に示していたのある。

30年以内に10メートル以上の津浪が来る!

このことをみんな知識として知れば津浪に警戒して多くの命が助かったかもしれない
津浪に対してほとんど無警戒だったからである。
これを大々的に報道していればこの辺でも自覚して助かった人がいたかもしれない
そうなると東電でも科学者は今でもそうだが神様のようになっていて権威を高めることができたのである
先を見ることが歴史でも個々人でも何でも大事なのである。それは命にかかわってくるからである。

会社でも経営でも先を見ることができないから失敗する、東芝のうよな大会社でも原子力に頼り未来を託した結果、巨大な企業が傾いむいてゆく、先を見る力がいかに大事かこれでもわかる、でもその時は原子力は未来だったのである。
フクシマの事故が起こりもう原子力発電は世界でも見捨てられるようになった
先を見ることが誤った結果としてそれが膨大な命を失いまた社員でも路頭に迷わせることになる

歴史でも会社でも個々人でも先が見えないのである。自分でもさんざんな目にあったとこを書いてきたけどそれは予測されていたし自分も不安だった
こんな恵まれた生活がつづくと思えなかった、それが現実化したのである。
まず結婚していないとか人が増えているけど家族がいないとかなると悲惨な結果が待っている、病気になったり親の介護になったりしたら自分と同じ運命になる
金もないとした自分より悲惨なものとなる
自分は親が心配して保険とかもかけていたし金も残していた。
それもないとすると目もあてられないものとなる、それは実際は目に見えてそうなることはわかるものだったのである。
そういうことを若くても見ている人はいるし賢いとなる、自分はのんびりしすぎていたのである。

もちろん明日のことを心配してもどうにもならないということはある。でも先を見て備えることも本当に大事である。それが生死にかかわってくるからである。
もちろん株でも何でも先を見ることは至難である。何が起きてくるか予測がつかない
でもその予測できないことが致命的になる
東電はその先を予測していたけど備えなかったのである。
そういうことは個々人でもある、個々人だとかえって見えやすいことがある
ただそういう危機感があっても本気にならないからいざそういう危機に瀕したときどうにもならなくなっているのだ。

事業に失敗した人も先を見ていない、そこで本当に無謀な経営だった、自分はかかわならいにしてもなぜそんな無謀なことをしたのかと今ではなる
もちろんそんなに先を気にしていたらなにもできないということは言える
でもあまりにも人は先を見ないで無謀に事を起こしすぎるのである。
原発などはよほど慎重にしないとどれだけ危険なものか科学者はわかっていてもそれに備えなかったのである。
結果的にはもう取り返しのつかない大惨事になったのである。



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春の日にパークゴルフ場から向かいの山に上る (山から海が広々と見えるようになった)


春の日にパークゴルフ場から向かいの山に上る

(山から海が広々と見えるようになった)

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パノラマ パークゴルフ場の向かい側の山から見る-クリック拡大

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春の山沖に船行く望む丘

船二艘望む丘かな春の海


川子のパークゴルフ場に行った、そこで話を聞いた。

「パークゴルフは簡単にできるもんですか」
「なかなかそうでもないです、ゴルフやっている人も苦労したと聞きましたから」
「この回りを自転車で走れるコースにするのもいいのでは、自転車が好きなもので」
「いや、パークゴルフの玉は重いから危険です」
「あの玉は重いんですか」
「転がってくると危ないです」
「そういうもんなのか、簡単にはできない」
「上達するには訓練もありますしみんなが上手にはなれない」
「そういうもんですか、なんか甘くみていたな」

前の人はパークゴルフは簡単にできると言っていた、では簡単にできるのかと思った、今日聞いた案内の人はかなりむずかしいと言っていた。
前の人はパークゴルフのことを知らなかったのである。
ともかく何であれ遊びだって知らないということは経験していないことは簡単に考えてしまうのである。あの玉が転がってきて危険だとは思わなかった、確かに重そうに見えた

自転車走るのは無理なようだ、向かい側の森を切った所の上り道を電動のマウテンバイクで上ったら山から海から視界が気持ちよく開けた。
この辺は何か森を切ったりして土をとる場所が多いのである。あそこもそうなのかもしれない。ただ道ができていて上に上れるようになっていた
あそこは何かマウテンバイクのコースにはいいなと思った。

山も見えるし海も見える、海には二艘の船が行くのが見えた、あそこを整備すれば気持ちいい場所になる。見晴らしがいいからだ

その後は右田の方にでて帰ってきた、途中津浪で流された右田の墓地に墓参りする女性がいた
何か津浪で変なのは海老でもここでも烏崎で墓地が残り家がなくなっていることなのだ
墓は立派なのが多いのである。
だから常にこの逆だと良かったのになと思う
墓地が残って肝心の住む家がみんななくなってしまったからである。
墓地がなくなっても家があればまた墓は作れるからである。
家がなくなり墓参りする場になったというのも奇妙な感じになる
その人は家を町内に建てたという、仮設でも原発避難者と小高の人をうらやましがっていたかもしれない、津浪の被害者には補償金は出なかったからである。
その女性は家を建てることができたのだから余裕がある人だったのかもしれない。
海老の人はローンで苦しいと言っていた。

ともかくあそこの土地はどうするのかやはりソーラーパネル場になるのか?
田んぼにするとは言っていた、何かにしないと金も入らないしただ荒地になっているだけである。だからどうしても何か金になることに使うようになる
それがみんないいとは限らない、ソーラーパネルがどうしても一番作りやすいのである。
地元のことでも良くわからないことがある、パークゴルフでも経験していない人はわからないのである。また土地の利用をどうするかなども関心をもつ
それは毎日行き来しているからそうなる、何かこの辺は突然にソーラーパネル場になるのが多いのである、これは全国的にそうである。
ソーラーパネルは意外と簡単に設置できるかばしれない、そんなに大工事にはならない
何かそうして安易に作れるからこんなに増えたのかもしれない、業者も増えたのである。それがかえって景観の破壊に通じていたということがある

2017年03月21日

巨大会社が国家化して原発事故を起こした (巨大企業に自治体も統治されつぶされるもする)


巨大会社が国家化して原発事故を起こした


(巨大企業に自治体も統治されつぶされるもする)


「国家ではなく企業が世界を統治する」

イギリス東インド会社によるインド統治や東清鉄道、南満州鉄道の鉄道附属地が有名な例だが、イギリス東インド会社以外の植民企業や新しい島を企業が開発した場合など、ほかにもいくつかの例がある。

ある地域を企業が地方自治体に近いかたちで統治することは、現在の日本でも不可能ではない。ある地域をある企業が買い取って、その地域に大規模な集合住宅とともに上下水道や学校、警備、インフラ整備のようなサービスを提供し、同時に契約により毎月の管理費や契約違反時の違約金のようなものを定めればよい

企業には解散ということがありうると考えられているのに対して、国家の解散というのは通常考えられていない

この辺では様々なことが問題になった。とてもそれに答えを出すことはできない、
ここで問題にしているのは

国家と企業

国家と地方自治体

自治体と企業(会社)

これが問題になる、これも大きなテーマであり簡単に答えは出せない、このサイトで注目したのは

企業には解散ということがありうると考えられているのに対して、国家の解散というのは通常考えられていない

これはこの辺のことを考えると市町村とか故郷を解散すること消滅することはありえない市町村とか故郷とかは永続するものとしてある、それが解散とか消滅の危機に瀕している現代は会社社会であり企業社会である、俺は南相馬市の市民だとか浪江町の町民だとか普通生活していたらあまり意識しないし意識しないでも生活できた
ただ原発事故以後はそれぞれの市町村が補償金などをめぐり過剰に意識されたのである。そして避難区域になった町村は消滅の危機に瀕している
それは津浪の被害地でも人口流出でそういうことがある。

そもそも日本人の生活単位が村にあったときそれは自給自足で生きていたからそうなったそこに今のような大きな会社はないからみんな村に属していて村という小さな単位を世界として生きていた。だから会社を社(やしろ)に会するとなり村の延長のように訳したのである。江戸時代には会社はない、でも・・・・屋とか屋号がありそれが会社とにていた
あとは職人でも個人で仕事をもらいしていたのである。

明治以降は会社の存在が大きくなった。会社が国家を左右するまでになって巨大化したのである。だから昨日のトヨタの紡績会社から自動車を作ること戦前からはじめていた
そしてそれが国家ともかかわっていた、トヨタはそれだけ大きくなって経営が苦しくなったときその影響が失業者であふれるとか国家自体もトヨタがつぶれると傾くとまでなり国営会社になった、国家で管理することになった、日銀もかかわり金を出して支えたのである。

このテレビドラマではしきりにトヨタの社長が国を発展させる、国を豊かにするということで国家意識をもっていた、国のために働くのだという意識をもって会社を運営していたそして人員整理をしないということに固執していたのは会社が家族のようなものだからできないとしていたのである。
会社も巨大化すると国家と同じなようなものになる、巨大なるが故につぶすと国家も危うくなるからである。銀行でも日銀の命令で融資させていたのである。
国家と銀行も結びついて資金を調達するのである。

このことを原発事故からみると東電がトヨタにあたる、東電が国家なのか国家が東電なのか区別がつかない、なぜならやはり事故後の20兆円の廃炉資金は国の税金から出るからそうなる、東電の原子力事業は国家もになっていた。
東電も巨大企業だから国家ではつぶすことができないから税金を注入する。
そして自治体とはこの国家と一体化した東電の前に小さいものであり従うほかないものとしてもあった。

ある地域を企業が地方自治体に近いかたちで統治することは、現在の日本でも不可能ではない。ある地域をある企業が買い取って、

東電に明らかに富岡町とか大熊町とか双葉町はかいとられていたのである。それ故に自治体は財政的には豊かになっていたのである。
昔の村のような農業中心の社会でもないし出稼ぎをなくすためにとか貧乏を脱するために原発が作られたからである。
その時自治体は東電に支配される結果になっていたのである。
だから東電が原発事故を起こしたときそれと同時に自治体も崩壊した、消滅の危機にひんするようになったのである。

要するに昔のようにこの辺でも故郷という意識は希薄化している、そもそも故郷は何かなどというと別に意識していないのである。
むしろ今は田舎でも会社員がほとんどだというとき会社を意識するが故郷とか自治体を意識しない、それで浪江町の人が会社が二本松に移りその人も移住したとなる
故郷とか自治体に属しているより会社に属しているからそうなる

ただ自治体とはなになのか?そういうことが意識させられた
自治体とはトータルなものとして機能するものである。
だからこういう自治体の危機になったとき病院を維持するには福祉を維持するには教育を維持するにはとか深刻な問題になったのである。
つまり現実にそうしたものも崩壊してゆく危機にさらされたのである。
でもそもそも故郷とか自治体は会社のように簡単に解散できるものなのか?
それが根本的に故郷とか自治体は会社とは違ったものである。

確かに車でも電気でも現代ではなくては困るもの欠かせないものである。
でも車でも電気でもない時代がありそれでも村とかは存在していたのである。
村とかの寿命は千年とかある場合もある、会社のように解散できないものとして継続されてきた
だから山に先祖が眠り守ってくれるとかという意識が生れた、先祖が守るというときそこに代々継続された時間軸としての故郷が形成されてきた。自然と一体化したアイディンティティが形成されてきた。
会社はそんなに継続されない、トヨタの車だった売れなくなり会社もつぶれるかもしれない、でも自治体はそんな簡単に解散したり消滅したりできないものとしてあった

だから故郷でも自治体体でも消滅するということは人間としてのアイディンティティを奪われることでありそれは経済的ものだけでなく人間として生きる場継続する場の消滅だとすると深刻なものになる
それは国家が消失するともにているかもしれないのだ。
だから国家とは何かとなるときも巨大会社と一体化してそれが国家だとなるとき同じなのである。国家は巨大会社の一部門なのかとなってしまう。
国家とは何かと考えるときもむずかしいが何か根本的な問題としてそういうことが原発事故で問われたのである。

posted by 老鶯 at 14:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2017年03月22日

春の日の短歌


春の日の短歌

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新しき視界開けぬ春の山

new sight open in the distance

I look around mountains in spring


やすっぽし壺の壊れて悔やまぬも価値ある壺の壊れて惜しも

白菊に朝の日さして金盞花添えて咲くかな我が部屋に見ゆ

こころよく仕える人のあれにかしその女なしも我は哀しき

蝋梅に朝の日さしてなおも咲く母なき後の部屋にいるかな

電車の音のひびくを家に聞く仙台に通ず春の朝かな

駅前に黄のクロッカス咲きにけりその明るさや客を待つかな



壺でも価値のある壺が壊れたら惜しいと思う、でも安っぽい壺なら惜しいとは思わない、ただ壊れたかとかなるだけである。やはり人間も価値が違っている、
ただ人間の価値はわからない、ロックフェラーが死んだけど巨万の富を残したけどその人がどれだけ価値があるかもわからない、どれだけ人類に貢献したかとなるとわからない、むしろロックフェラーは悪の権化のように影の支配者のように常に陰謀論で言われているからである。
本当にロックフェラーが価値ある人物だったかどうかわからないのである。
とすると金だけで人間の価値も計れないとなる、なぜならそれだけの巨万の富を残したのだからそうなる、金で計れば一番価値あるとなるからだ。

金盞花と万寿菊は同じものだった、この色は明るい、確かに金色に輝いている
人間でもまずこころよく仕える人はほとんどいない、いやいやながら仕えている、働いている、金のためにしかたがないんだよなとなる、でも家族だったらそういうことはない
結局家族がみんないなくなってその悲哀を介護から十年間自分が苦しみ悲しんだ
家族がいないことがどれだけ悲惨なことになるか今になって身をもって経験したのであるそれも自分のカルマだった、なんらか起きることはカルマなのである。
複雑ではあるが蝋梅はまだ咲いている、3カ月咲いている、こんなに長く咲く花はない
だから長寿の花としてふさわしい、そして人間は死んでも何かその後がある
家というのは嫁いだ娘のことをその部屋に親が偲んでいるとか何か家にはそうした思い出が残る、人間の家は単なる箱ではない、何か精神的なものが付与されている
だから原発事故でも津浪で避難した人はその家がなくなることが悲しいとなる
家に帰りたいというとき家は単なる物ではない、箱ではないからそうなる

電車が仙台まで開通して不思議だと思ったのはその電車の行く音が家までひびいてくる
それは仙台まで通じている音なのである。
今までは相馬市と原町間の短い区間であったが今度は仙台からさらに遠くへと通じている音である。それが春にふさわしい
この辺では仙台に行く人も来る人も多い、この前は岩切から来ていた。
駅で送り迎えしているのが自分である。駅は今まで感じなかったがそうして人が交わる場所だったのである。バス停にはそういうことはない、何か駅は単に人を運ぶというだけではない、駅に駅前に広場の役目があるとか何か人と人が交わる場所としての機能があっただから駅というの交通の手段としてみるだけではない、そうした別な視点からも見ることが見直すことが必要である。
交通の手段だけだとすると車にはかなわないからである。鉄道とか駅とかには他の役割が機能があるべきでありそうすれば駅も鉄道も活性化するともなる


駅の活性化を考える (付加価値とコラボーレーションの時代)


駅の活性化を考える


(付加価値とコラボーレーションの時代)

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チューリヒ中央駅

欧米では改札口もないからホームまでもが街の雰囲気に渾然一体と
なっている。
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余暇的付加価値:

小規模な住宅地に接するように立地することで、非日常的な空間をもたらし、
「休憩」「おしゃべり」という余暇活動を促す。

 集客的付加価値:

国道との距離が近いことで、
道の駅のような役割を担い、「草花見学・育成」「駅
舎見学」という集客性の高い活動を促す。

 行楽的付加価値

駅舎とホームが直結することで、ホームへの出入りが容易になり、
ホームまで「駅舎見学」「飲食」という行楽地的活動を促す



社会は同じようなことを考えている人が必ずいる、インターネットではそれがわかるので共通項が即座にキーワードで出てくるのでそこから議論を深めることができる

駅の用途というとき普通は電車をのりおりする場としか考えない、人がそこで出会って分かれるという場でもある
だから別に電車を利用しない人でも駅前には仕事でも待ち合わせとか多様な人が訪れる
道の駅にもそういう機能があるが駅にもそういう機能があり道の駅のない町でも駅が一番目立つしわかりやすいから駅に行く
自転車旅行でも知らない町に行ったとき駅に行くのが便利である。
そこで情報を仕入れるのである
駅は街全体の中で機能する役立つ場としてある。

だから電車を利用しなくても駅前にもっと店やその他施設があれば集まる
それで南相馬市では駅前に図書館を作ったがあれは外から来た人は利用しない
まず自分も調べ物するとき旅行で立ち寄ったがとても時間も余裕もないのでできない
外から来た人はそうした時間の余裕がないのである。
図書館は相当に暇な人でないと利用できない、いちいち本を調べるのがめんどうなのである。
インターネットだとこのようにキーワードでそれなりのものが出てくる
これを図書館で調べるとなるともうできないのである。
だから図書館にはここ10年もほとんど行っていないのである。
家事でも時間がとられるからそうなった。原町で遠いためにもそうなる

駅では意外と多様な人々が来て分かれる場であることがわかった
高校生とかばかりが目だつけどそうではない、遠くから来る人が意外といる
今日あった人は千倉の住宅に中学と高校の時住んでいた人である。
その人は東京に夫がいて大阪に住んでいるというからそれも遠いと思った。
結構昔とか前にここに住んでいて来る人がいる

やはり一番多いのは仙台から来る人である。この前も墓参りに来たとかある。
この辺の墓地は仙台から来る人が多い、それだけ仙台との交流がこの辺は深いのである。車で来る人も嫁の実家がここだとかありそういう縁の人が来る
墓地を見ると意外と今は外から来る人が多い、仙台のナンバーは良くみかけるからだ。
仙台に移り住んで墓参りだけに来るといひ人もいるだろう。
現代は移動しやすい時代だから何代も墓がつづくということがむずかしくなり
墓が捨てられるというのもそうしてみんな広い地域に住むようになったからである。

「草花見学・育成」「駅舎見学」という集客性の高い活動を促す

要するに駅を公園とか花壇とか何か街の中で憩いの場所として活用する
電車が来る鉄道のみに利用を限定するのではなく街の中での駅舎の活用を考える
一つのものに限定して利用するというより街という中に鉄道の駅もあり活用される
そこは待ち合わせの場だったり人と人が出会う場であったり憩う場所だったりする公園とか広場の機能をもたせる
公園はあってもそこは地元の人しか利用しないし子供が少ないから子供もあまり利用していないのが淋しい

鹿島駅前には春の日がさしてクロッカスが咲いていた、そこは花壇になり憩いの場となるただ八重桜の木は切られたのでその影に休み電車を待つことはなくなった
駅は公園とか広場とかの機能がありそこに花壇があれば四季の花が楽しむ場ともなる
そして外からの人が来ても第一印象としていいものになる
原ノ町駅は大きくても前に広場もないし憩う空間がないのである。


なぜ自分が駅に行くようになったのかというと駅はすぐ近くであり一人になってからそこで人と交われるということを発見したからである。
ちょうど無人駅となっていたのでそれで何かしらの役に立つから行くようになった。
そしてホームに出入り自由だから見送りしているのである。
待合室で待っている人は誰かと話したい、今日あった人もそうである。
知り合いもいなくなっているとか言っていた。
そこに人がいて少しでも人と話したりすると駅でも活きた場所となる
何か今はそういう場所が少ない、コンビニでもスーパーでも買物する場であっても人と人が出会う場でもない、買物をすることで時間がとられる

欧米では改札口もないからホームまでもが街の雰囲気に渾然一体となっている

確かに欧米では駅のホームへ出入り自由なのである。無人駅で駅員がいないから出入り自由になり自分は見送りしている、ホームに出入り自由になるとそうでないのとではかなり違ったものになる、ホームに出入り自由になるとそれは広場とか街と直結して出入り自由な空間となるのである。もし駅員がいて切符をみるとかするとホームには出入り自由になれないのである。そこに無人駅となり自由に人が行き来する空間が生れたとなるのも不思議である。
うらやましいのは自転車も自由にホームへ出入りできてそのまま電車にのせられるようになっている
自転車専用の車両があるからだ、だから街とホームとは道として直結しているのだ
日本のように輪行するとかなるとめんどうなのである。自転車をこのように利用できれば電車の利用も増えるはずである。

「駅舎見学」というときヨーロッパの駅は立派なのが多い、アーチ型のローマ風の威風堂々したもの大きな教会のような神殿のようなものがあるから駅舎が見学の対象にもなるしまたヨーロッパでは建物が人間に威厳を与える、それはアテネィの学堂というラファエロの絵にも現れている、そういう駅におりると何か人間にも威厳あるものに見える
ヨーロッパの文明は建築と不可分にあり建築が威厳を与えている文明である。
だから駅もそうした建築として威厳あるものとして作られたともなる

そして駅だと待つ時間がある、それが見ていると30分くらいある人が多い、それは外から来た人なのである。待ち合わせの時間がローカル線で生れる
都会の路線だと新幹線とかなるとそうした待ち合わせの時間はもてないのである。
その待ち合わせの時間があることでそれが人間な時間が生れるのである
ただそこで待っているだけではつまらないから多少でも話したりするといいとなる

新地駅とか山下駅は駅前が広く駐車場になり山下駅はスーパーができたので駅に人が集まるようになった。
新地駅でもまだ施設ができていないが温泉が出たとかで施設が作られると人が電車を利用しなくても駅前に人が集まる、鉄道だけの駅ではない、町全体の中に駅が活用するものとして新しく作られたのである。
海が見えるようになり見晴らしが良くなったことでもそこが外から来る人にとってもいい場所になった。
いづれにしろ駅を鉄道だけの駅として利用するだけになるとやはり現代の生活には合わなくなり廃れてゆく、市や町全体の中に駅も活用されるようにする
それはこの辺でも小高でも浪江でもそういう街作りを志向する、ヒントになる
駅が活性化する場として蘇るとういことがある。
ただ鉄道だけを利用するということになると廃れるのである。

現代は食事するにもただ腹をみたすだけでいいとはならない、その空間を楽しむとか何か付加価値が要求されている、ただうまいもの食べるというだけでは今の生活にはあわないだからいい景色があり内装もきれいだとかなると食べるものもおいしいとなる
要するに一つだけの価値ではない、付加価値が要求されて何かとのコラボーレーションが要求されるのが現代だとなる

2017年03月24日

春の日の駅(広域化社会が人を分散させる)


春の日の駅(広域化社会が人を分散させる)

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蝋梅や塀静かに猫歩む


この町に住みしと遠く去りにけり我が見送りて春の日さしぬ


駅であったのはカナダのトロントから母をたずねて来たというのも意外だった、昨日は鹿島区の住宅に住んでいたと、中学と高校のとき住んでいたという女性が来た
その人は東京に夫がいて大阪に住んでいるというからどういうことなのか?
母が住んでいると沖縄から来た若者もいた、何かキャンプでする格好をしていたから沖縄で自由に暮らしている若者かもしれない、沖縄にはそういう人が結構いるからである

仙台から来る人が一番多いが他にもいろな地域から来ている、これは別に原発事故で避難したためではない、それとは関係ない人たちなのである。
現代社会は前にも書いてきたが広域化グローバル化社会である。
その影響をどんな小さな田舎町でも受けざるをえないのである。

なぜ原発事故が起きて避難区域に人がもどらないというときこういうふうに広域化グローバル化した社会が影響している
どこにでも住んでいい、昔のように故郷とかにこだわりそこに縛られる社会ではない
そういう社会のいい面もあるが悪い面もある、結局地域の結束力がなくなり金さえあればどこに住んでいようがかまわないとなる、だから補償金一億円でももらって外に暮らした方がいいともなる
広域化社会とかグローバル化した社会は金の力は大きくなる。
田舎でも同じなのである。
大東建託がまだアパートを建てている、もう10以上建てている、それだけの需要があるのだろう。

家でも新しく建った家はみんな外から来た建築会社であり地元ではない、これも広域化社会なのである。自分のユニットバスをつくってもらったのは仙台の会社だった
それで地元の人が怒っていた、仕事をまわせと怒っていた
でも地元だと二倍になっていた。仙台からこうした会社が仕事を求めてくることはそれだけ地元でも競争にさらされているのである。

地元の会社でも地元の人が経営しているのではない、東北サッシが神奈川に社長がいてそこが本工場なのである。たいがい地方の会社や工場はそうなっている
それも広域化社会だからそうなっている、すると地元の材料で家を建て地元の食料でまかなっていた時代とはあまりにも違うのである。
そのことは地元にこだわらない、どこに住んでも金さえあればいいとなってしまう

ただ故郷というときいくら広域化してもグローバル化してもこだわるものがある
アイディンティティを求めるものがある、それは先祖の地だとか代々受け継がれてきたものがありそこにアイディンティティを見いだしてゆく
祭りなどがそうである。何か他にも家があるというときそこには単なる人が住む箱ではない、思い出がつまっている場である。

だからおそらく中学と高校時代にここに住んでいたというときなつかしいとなり訪れる
それがここに育った人なら先祖代々の家なら余計にそうなる
ともかくここに住んでいたとか言う人も結構来る、それだけ人は今や分散化して広域社会に住むようになったのである。

タグ:広域化社会