2017年03月12日

南相馬市のユッサで会ったのはネパール人 (人手不足で増える外国人労働者)



南相馬市のユッサで会ったのはネパール人


(人手不足で増える外国人労働者)


ベトナム、ネパール、台湾が急増


国籍別では、中国が最多の約66万6000人で、以下韓国、フィリピン、ブラジル、ベトナムの順(下表)。特にベトナムはこの1年で4万以上も日本在留者が増加した。ネパール、台湾も在留者の伸びが高かった。

    (1)中国     665,847人   (構成比29.8%) (+ 1.7%)
  (2)韓国     457,772人   (構成比20.5%) (− 1.7%)
  (3)フィリピン  229,595人   (構成比10.3%) (+ 5.5%)
  (4)ブ ラ ジル  173,437人   (構成比 7.8%) (− 1.1%)
  (5)ベ ト ナム  146,956人  (構成比 6.6%) (+47.2%)
  (6)ネ パ ール   54,775人  (構成比 2.5%) (+29.4%)
  (7)米国      52,271人  (構成比 2.3%) (+ 2.0%)
  (8)台湾      48,723人  (構成比 2.2%) (+21.2%)
  (9)ペルー     47,721人  (構成比 2.1%) (− 0.5%)
  (10)タイ       45,379人  (構成比 2.0%) (+ 5.3%)

今日ユッサであったのはネパール人だった、色が黒いのでどこの人かと思った。
そしたらネパールだと英語で答えた、ネパール人は英語をしゃべれる、ガイドするときも英語で案内してくれた。
英語がしゃべるというときその国はイギリス帝国に支配されたからである。
マレーシアとかビルマでも今のミャンマーでもそうである。インドとかもそうである。
エジプトでも紙幣がポンドである。だから世界では未だに英語とか通じることでイギリスの支配を感じるのである。
フィリピン人が英語を話すというときアメリカが支配していたからでありイギリスとは関係ない、そしてスペインとかポルトガルが南米を支配した、だからメキシコはスペイン語でありブラジルはポルトガル語である。

今外国人が日本に来てるというときベトナムとネパールが増えたいるというとき本当だと実感した。なぜなら鹿島駅であったのは中国人が連れてきたベトナム人だったのである。連れて来た中国人は日本語をしゃべれるから案内した
今回会ったネパール人は英語をしゃべれる、カトマンズの出身だった。
ということはカトマンズは一番の大都会であり必ずそこから奥地に入る
だからその人は都会人でもある、ただネパールは山の国であり3000メートル級の高地にも人が住んでいて貧しいのである。牛を飼っていたりジャガイモがとれたとかあったがまずあの高い山で何を食べているのかとなる、もう何もできないという感じなのだ。
そんなところで良く生きているなという感じになる。
だから卵までインドから輸入したりしている、リンゴも小さいものを食べたがそれがリンゴなのかとなる、ともかくネパールは最貧国なのである。

その人は所沢からレンタカーで日本の会社の人に連れられて来た人だった、聞いてみると会社は川崎にあり所沢からレンタカーでここまできた、エネルギー館の仕事できた。
そしてその会社ではネパール人を20人くらい雇っているという
その訳はその会社の社長の娘がネパール人と結婚したとか言っていた、それで縁故がありネパール人を雇っている
そしてなぜベトナム人であれネパール人などが今日本で増えているのか?
それは人手不足がそれだけ深刻なのである。
ここではまだ建築関係で人手が必要でありその人手がたりない、それで外国人が入ってくる。

そして注意しなければならないのは中国人が一番多いことはわかる、ここの裁縫関係の会社でもいつも中国人の女性が働いている、でも中国は豊かになっている、まず北京となると日本と物価でもさほどかわりないのである。ある面で日本より中国が豊かになっているのが現実である。
なぜなら満州里とかあんな果てでもトヨタの車をもっているという人がいて裕福な人がいるからだ。だから10年前とか20年前の中国とは余りにも違っているのである。
その時物価は十分の一だったからである。今や新幹線まで走っている時代である。
だからこそ中国は賃金も高くなったから日本の会社でも東南アジアに移している
つまりベトナム人とかネパール人が増えたというとき中国人だけには頼れなくなったからである。
低賃金で雇えるのは東南アジアである、タイも豊かになっているからベトナムとかネパールとかパキスタンとかになる、その辺はまだまだ貧乏であり物価が安いからである。
今度増えてくるのはミャンマー人とかかもしれない

いづれにしろ日本は人手不足が深刻になってきている、この辺でも若い人が流出して人手不足でありもう跡継ぎがいないとか補償金をもらって店をやめたとはいう人もいる
人手不足は医者でも看護師でもそうであり介護士でもそうである。
特にこの辺は原発事故で若い人が流出しているから深刻である、津浪の被災地でも最大の問題は若い人が働き手が流出したから復興できない、いくら防潮堤とか嵩上げの土地を作っても肝心の住む人がいないとなると復興はありえないのである。

ともかくこの辺は沖縄から九州から北海道の人がくるのがめずらしくないのだが外国人もこれだけ多様化して増えているのは田舎では驚きである。
まず今や外国人の旅行者も都会だとあふれているし驚くことではない
ただNHKのテレビで白馬では日本人でスキーする人が集まらないと外国人相手になった。
それはどこでも起きていることである。
そのために女性の主人が英語をしゃべりコミニケーションしていた、その人は別に英語が話せるわけではないがコミニケーションするために覚えたという
そして習字とか外人に教えて好評なのである。
要するに英語でもあくまでも言葉でありコミニケーションの手段である。
だからそういう必要性があれば英語も覚える
ただ高校生がしゃべれないというとき何か外人を特別に意識するからである。
高校生くらいの英語で十分ある程度は通じるのである
ただ自分もそうだったがそういう機会がないしなれていないだけなのである。

これだけ外人が増えてくるとまた英語が重要性を帯びてくる、英語がどうしても共通語になりやすい、何か英語をしゃべるとステータスが高くなる、スペイン語とかだとそうは感じない、だからフィリピン人が英語を話したときフィリピン人は貧乏なんだけど一目置かれるというのも奇妙なのである。
英語をしゃべれる人としゃべれない人で差別ができているのだ。
英語がしゃべれる人はステータスが高くなるのはイギリスが七つの海を支配した時期があったからである。それとアメリカが英語をしゃべるということが大きいのである。
スペインとかポルトガルは小国になっている、英語をしゃべるアメリカは大国だから違っているのだ。

観光でも白馬では高校に国際観光科ができたりするときそれだけ外国人が多いからいかにコミニケーションをするか大事になり英語も実践的に学ばざるを得なくなっている
ただ日本人は英語が苦手である。日本語と英語には何か構造的に根本的に違っていて脳が働かないのだと思う、ただ結局言葉もあくまで人間と人間がコミニケーションするツールでありそれは英語だけとは限らないのである。
英語が優れているからではなく英語がイギリス帝国によって普及したからそうなっているにすぎないのである。
でも英語しゃべれることは損得で考えればグローバル化した世界でますます必要になり得だとなる、だからどうしても英語教育が小学生からやるとかなる

ただ言葉にしても事前に知識があったりすると通じる、どうもわからなかったがカトマンズがハートなんとか言ったときカトマンズがヒンズー教の聖地とかの意味でありヒンズーの寺院が多いからそのことを言ったのかもしれない,つまりそういう知識があれば経験があれば察しがつくことがある。
言葉の前にそうした知識とか経験があることも大事なのである。
ただしゃべるとなると場数を踏むことでありなれなのである。
日本人は相当に英語を学んでいるのだからなれれば話せる
自分も外国にアメリカでも一年でも住んでいたら相当にしゃべれるようになったと思う
その基礎ができていたからである。それを逃したのが失敗だったとなる
もう遂にそれを取り戻す時間がなくなったのである。

結局そうして貴重な機会を取り逃がしているのが人間であり老人になってみんな後悔しているのである。
ヒマラヤだってもっと登ることができた、十回も上ったという人に出会ったからである。だからこれも今や行けないというとき残念だとなる
人間はすぐに年とる、だから何かすべきことをしないとあとで後悔するのである。
だから自分は50歳から外国旅行して本当に良かった、60代になったら介護でどこにも十年間行けなくなったからである。
だからそういうことを考慮していないと後悔することになる
退職してからやりたいことをやると思っても病気になったり介護になったりすることが多いのである、その予定は狂い安いのである、人間は本当に貴重な時間を無駄にしている
これはみなん老人になったとき痛切に否が応でも知るのである。


  
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2017年03月13日

ネパールの暮らしは一番厳しい (忘れられた昔の暮らしがあるーそこにも学ぶものがある)


ネパールの暮らしは一番厳しい

(忘れられた昔の暮らしがあるーそこにも学ぶものがある)


裸足に慣れている。村などでは、舗装されていない、小石が転がっているでこぼこ道でも平気で裸足で歩いている。気合を入れるときは履物を脱ぐ人も多い。ガイジンが、高価な登山靴を履いてトレッキングをしている中、地元の人はすいすいと裸足やぞうりで山道を移動している。


ネパールの山中をトレッキングすると裸足で歩いている人がいる、裸足だということにびっくりする、インドでも力車の人は暑いのに裸足だった、そうういことが全く日本ではイメージすらできなくなっている

「 信濃路は 今の墾(は)り道 刈りばねに
    足踏ましなむ 沓(くつ)履(は)け我が背 」
                     巻14−3399 作者未詳

沓はけというとき日常的に沓は履いていない時代である。そこは危険な所だから沓をはけとなっている
不思議なのは戦前までは草鞋を使っていた。草鞋を作ることを農家では仕事としていた。夜なべというとき草鞋を作っていたのである。その需要が大きかったからである。
戦前から戦後十年は江戸時代のつづきだったのである。

例えば自分の家では水道がないから近くの井戸ある家から水をもらっていたし燃料は炭だったし鉄砲風呂でバタを燃やしていた、それが子供時代の仕事だった。
そういう生活だったというときそれはネパールとか今の後進国と通じた生活だったのである。
ネパールの山中の生活でも葛尾村のような所での生活とにていたのである。
要するに自給自足で生活する他なかったのである。

ただ自給自足でも塩だけはできない所がありネパールでも命懸けで塩と麦を交換した。
岩塩が山中でとれて麦と交換した物語の映画があった
それを見ていないが塩の道がこの辺でもあるというとき飯館村では山中だから塩がなくしては生活できないということで松川浦から塩の道があった。
塩は貴重であり砂漠では黄金と等価で交換されたとかもある

塩の道で有名なのは松本から糸魚川に出る長い塩の道である。そこには牛繋ぎ石とか牛転がしという地名が残る、その距離は相当に長い、この辺の塩の道とは違うのである。
牛が塩を運んだというとき牛は坂道に強いし山道を行くのには適していた。
牛方宿というのも山中に残っていた。牛を休ませる宿があった。
だからネパールの山中をイメージするのにはいい、ただネパールの山が高く迫ってきて家があんな高い所にあるというときその厳しさは違ったいるが日本にも似たところがあった

人間の弱点は何かというとき常に心もなんでも今に奪われている、人生でも過去は忘れて今がすべてになることなのだ。
こんな便利な生活をしていれば昔の生活が何だったのかイメージすらできなくなる
自分は子供の時代にそうした江戸時代のつづきの生活を経験しているからなんとかイメージできるが忘れてもいるのだ。
そうして現代の生活にすべて心も奪われ現在しか見えなくなるときどうなるのか?
それが原発事故でもわかるように危険なものでもあったとういことなのだ。
どこまでも便利さを追求して原発の危険性も無視するし金があれば何でもいいんだという感覚になる。

そういう昔にもどることは無理でもそういう暮らしがありそういう貧乏でも不便でも人間は生きてきたということを知るべきなのである。
そこに人間生活の原点があるということを知るべきなのである。
それで万葉集はそうした人間の生活の原点を伝えるものであるから貴重なのである。
ただその原始的感覚がなかなか理解できないのは今からしか人間は見ない見えないからである。
それでネパールとか後進国に行ったときかえってそういう人間の原点の生活が現実にあるということに驚くのである。
先進国だと今はどこも同じような暮らしをしている、でもネパールとかなると原始時代にもどったような感覚になるのである。
だから裸足で歩いている人がいることに驚くのである。

ネパールではポールペンをくれとか良く言われる、ボールペンすらない、ノートもないだろう。なぜならそもそもそんな店もないだろう。
ではこれが日本ではどうだったかとなると例えは鉛筆が戦前とかにあったとしても貧乏だから鉛筆が極端に短くなるまで手でつかまえられないくらいまで使っていた。
それだけ鉛筆が貴重だったのである。だからネパールのような生活を日本ですらしていた時代があったが忘れられている
そして物はありあまって捨てているだけだとなる、もったいないというのもなくなった。
だからそうした昔の暮らしを知るにはネパールとかに行けば本当にそういうものがまだ現実としてあることになりタイムスリップすることになるから有意義だとなる
そこに現代の生活と比較して具体的に実感して学ぶものがある。

それはなぜ原発事故があってこの辺がこんな苦労を強いられたのかということの答えがあるともなる
つまりあまりにも贅沢になった結果として過去の生活が忘れられて結果的に土から水から森から生活する基盤となるものがすべて汚染されて住めなくなったという深刻な被害となった。
自給自足の生活をしていれば原発など建てる必要もない、でもその生活は余りにも違ったものとなっていた。そんな暮らしを今になるとイメージもできないのである。
そうして過去を忘れるとき何が起きてくるのか?
今回のような原発でも何でもいい金になればいいとかただひたすら便利な生活を求め金を求めるだけになってしまう。
そして肝心の人間の生活の原点となるものは忘れられてしまう。

馬酔木なす 栄えし君が 掘りし井の 石井の水は 飲めど飽かぬかも

栄えたというときそれは原発のようなものによって栄えたのではない、自然の水を利用する、井戸を掘ってその水を飲むことによって栄えた
その水はくめどあかぬかもとなった。
その水は枯れることはないしくめどあかぬものなのである。それは水道の水とも違っているのだ。
結局原発事故で人口流出した町では水道を維持すらできない、馬鹿高い料金を払わないと維持できない、原発補償金もなくなるからそうなる。
原発事故を考えるときこうしたことをこの辺では常に考えるようになった。
そんな過酷な昔にはもどれないにしてもあまりにも贅沢になれて人間の原点の生活が忘れられてしまったのである。
もしもっとその原点の生活の価値を知れば原発に頼るだけの生活ではないものになっていたし別にそんな過酷な生活ではないそれなりに豊かな生活も志向できたと思えるようになったのである。  

一方でまずネパールの山の中から日本に出稼ぎに来たような人はネパールに帰りたくないとなり子供がいれば定住する人も増えているというのもわかる、その生活の差が大きすぎるのである。
これもタイムマシンで全く別な未来の世界に来たともなるからである。
カトマンズとかなると山の上の生活とは違うからその差も大きくはないが山の上の生活津はあまりにも厳しいとなる。
ヤハな人間は生きていけない、でもそういう生活も過去には日本にもあったということを知るべきである。
どこまでいってもたりないたりない、王侯のような生活をしていてもたりないとなっているのが日本でもあり先進国でもある。
そういうことが原発を生む土壌になっているのである。



ネパールの山では電気がない、ソーラーパネルを使っているというのも現代的である。
こういうところだとソーラーパネルの力が発揮される
文明の利器がかえって生きる、先進国ではかえって景観の破壊とか起きる
ソーラーパネルは先進国ではかえって向いていない面もあった。

こういうことはインターネットで調べると今は相当に詳しくなる
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2017年03月14日

国家は国民に犠牲強いる-原発も同じ (国家とクニの相違ー心の青雲に欠けていたクニ)


国家は国民に犠牲強いる-原発も同じ


(国家とクニの相違ー心の青雲に欠けていたクニ)


国家とクニは違ったものである。「心の青雲」の著者にはクニが欠けていたのである。
それは東京とか大都会だとクニがない
「あなたのおクニはどこですか?」と問うとき、国家のことではない、故郷とか狭い範囲の一つのクニである。会津ならそういうクニとしてのまとまりがあるから
「会津嶺の国をさ遠く・・・・・」とかの万葉集の歌が生れた。
防人は国家によってクニから筑紫とかまでも兵隊として行かされた
その時クニからでて国家を意識したのである。それは防衛のためであり戦争のためである

その時防人に出された人の悲哀を歌ったのが万葉集に残された、その時思ったのは自分の住んでいた故郷、クニであり家族である。親であり妻である。
国家は古代からこのように非情なものなのである。クニとは違ったものであり対外的に国家は意識される、だから国家と戦争は一番密接に関係している
外国の戦争のとき一番国家を意識するからである。
だから太平洋戦争のとき一番国家を意識して国家のために300万人が犠牲となったのである。

 久慈川は 幸くあり待て 潮船に ま楫しじ貫き 我は 帰り来む

久慈川はクニを象徴するものでありその故郷にクニに帰ることこそ望みだった。
でも国家のためにそのクニから引き離されてゆく、
クニとはそれは自然発生的に生れたものであり国家は人為的人工的な要素が大きく働く、だからこそstateというときクニとは別な意味になる。
それは国家というとき民主主義でも社会主義国家でも一つのイデオロギー国家になる
それはロシアの前のソビエト連邦でもそうだし中国でも共産主義国家でありアメリカもまた主義の国家である。それはクニとは違ったものである。countryではないのである。

防人でも戦争に出されたが帰ってゆく場所は久慈川が流れるクニである。川というとき大きな川になるとライン川が父なる川というときクニを象徴するものになる
日本の場合は確かに日本を象徴するものとして富士山がある。それは大きな国の象徴として聳え立つことは確かである。
それは国家と違ったクニ意識となる、ただそうして自然とアイディンティティをもつとき戦争とは相いれないのである。富士が優美であってもそれが戦争とは結びつかない
それより何であれ戦争と自然の美は結びつかない,戦争は何であれ自然をも破壊するからだ。
「心の青雲」では戦争に何か英雄的なものを求めている、それは古典的な英雄であるが現代ではありえないし太平洋戦争でもそこに英雄的なものを見いだせるのかとなると疑問になる。ただ喧嘩両成敗のように日本にも理があった

国家を維持するときそれはシリアでもそうだが国家が喪失すると難民化したりする、すると家族もなにもない、ばらばらになってしまう、流浪の民となる。
それは大陸では陸続きで絶え間なく民族間でも国でも戦争が起きていたからそうなった。ユダヤ民族がそうである。国そのものがなくなってしまうのである。
そうなったら小さなクニも家族もないとなるから国家が最優先になる。

クニというとき故郷的なものがありそこには家族がいて死んだ先祖がいるという場所にもなる。国家というと軍隊があり何か重々しいものになる
ただ一庶民でも外国にゆくと日本人ということ日本国家を意識させられる、だから国家意識は別に平和なときでも外国にいるとき意識させられる、外国人から常に日本人とも見られるからである。一庶民でも日本を代表するようにもなる、それは国内ではそういう意識はもたされないのである。

でも外国だと「あなたのcitizenはどこですか」とかパスポートにも記される

 citizenとは市民である。市が外国では国になっている、もともとギリシャの国家というときポリスであり市のことだからである。中世になるとburgessでありburgは城だか城下町とかなり江戸時代の藩単位のクニだとなる、相馬市民とか会津市民とかなる

ある国、または、別の政治共同体に属する生来の、または、帰化した構成員
(a native or naturalized member of a state or other political community)

国家とは political communityであり政治的結合体という要素が強い、それはローマ帝国ともにている、ローマ帝国はどうしてもあれだけの広い領土を治めるとなると政治的結合体となるからである。そこで法律も重んじられ公正さが求められる。
ローマ法が今でも通用しているのはそのためである。それはアメリカ合衆国ともにているのである。

このことが原発と何の関係があるのかとなるとある。原発は国家防衛の視点から国家的政策として作られたのである。それはアメリカからのおしつけがあったというときもそうである。
核装備のために準備のために備えのために原発が国家にとて必要だということがあった。エネルギー政策は国家的なものになるとしても原発は核武装という備えのために国家的政策としてあった。国家防衛のためだというときそれは戦争とも結びついているのである。国家は対外的に成り立ち戦争と一番結びつくのである。
だからこそ「心の青雲」の著者はそうした国家論を語っている

そして国家はクニを破壊したのが原発事故だったのである。国家的政策として原発が建てられクニが破壊された、そして故郷はクニに住めなくなった。クニは放射能物質に汚染されて肝心の水も飲めなくなり作物を育てる土でも汚染されたのである。
つまり防人の久慈川が幸(さき)くありまてというクニが故郷が消失したのである。
帰る場所がなくなったのである。帰る場所があって遠く筑紫まで兵士として遠征した。
でもその故郷がクニが喪失したときもう帰る場所がなくなったのである。
国家によってクニが故郷が破壊されたのである。
「心の青雲」の著者には他でも都会にはそもそもクニ意識はない、育たない、ビルの谷間では川もなにもない、そのクニがなくて国家がある、そうなるとクニは無視されるのである。
しかし人間の生存の基盤はアイディンティティはクニにある、国家とは別でありそれは自然発生的に生れたものなのである。

第一ヤマトというときそれは狭い範囲の村から発祥していた、それが奈良全体となり国家意識が生れた、それはクニが基であり日本語でもそうしたクニから生れたものである。
文化はクニから生れた、国家にはだから常に非人間的なもの冷酷なものが非情なものがある。それはどこの国家でもそうである。
だから国家により戦争でなくてもクニが犠牲にされるということが今回の原発事故でもあった、ただではそのクニを意識すること、守ることがクニに住んでいる人にあったかというとこれもなかった。
第一クニといっても故郷とといってもそれが何なのか、その大切さを意識してたのかとなると疑問だとなる。

いづれにしろ「幸くありまて」というとき何か待つ場所、待っている人がいないと人間は根なし草にもなる。難民になるとそうである。また家族がいなくなると旅しても待っている人がいないから根なし草のようになるのがわかった。
だから故郷とはクニには誰かが待っているという場所だったということも意識したのである。


国と地方の歴史を見直す (原発は国策であり地域を破壊した)

「心に青雲」の著者の都築氏の病気の回復を願います

思想的には一致しないが共感することが多々あったからです
そこには一貫した主張があったからです

ともかく60代は病気になる人が多い、自分も一時腎不全になって入院したからである。
ただ自分は腎臓の病気ではなかった、一時透析になるとか医者から言われたのである。
腎臓の病気も怖いのである。

posted by 老鶯 at 09:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

鹿島駅前にとまっていた九人乗りのジャンボタクシー ( 小高小中学校の送迎用ー親は小高に帰らない)



鹿島駅前にとまっていた九人乗りのジャンボタクシー


小高小中学校の送迎用ー親は小高に帰らない

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鹿島駅前にとまっていた小高への小中学校への送迎用タクシー



これは9人乗りでありいい感じだとなと見た。これは小中学校生徒の送迎用である。
小高で学校がはじまるから用意したという。
高校生も300人くらい通うようになるが高校生には援助がないという
小中学校は義務なのだと無料だという。

でもこれで問題なのは小中学校の生徒の親は小高に住まないのである。
通わせるのであり小高には住まない
なんか飯館村でもこういう問題が起きていた。
立派な校舎を建てて小中学生を通わせようと村長がした。
でも親は住みたくないとか反対する人がいた。
第一村長の孫は飯館村に住まないからだ
人を住まわせようとしても肝心の人が住まないのである

その運転手が言うには金は子の方がにぎっていて老人の親には小使いを渡す程度で老人は金をもっていないという。ええ、そうなのか?子の方が力があるのか?
その子の方は小高に帰らないで外に家を建てたりしている
つまり金を握っているのが子の方だからそうなっている
本当は小高の方に住んで子供を通わせるのがいい
でも親はそうしない、そうしたら小高の復興はないのである。

ただそのジャンボタクシーの通学の費用は市で出すから無料になる
それも運転手は贅沢だといっていた。
これも補償金をもらっているからだろう。
前らか言っていたが小高の人への補償が手厚すぎるのである。
そうして小高に親が帰り子供が通学するならいいが親が住まないでジャンボタクシーを用意させて通学させる
なんても相馬市からも通う人がいてそこは遠くなるから無理だとか運転手が言っていた。

結局何か復興といっても本気になって町でも村でも復興させるという気概は見えない
肝心の若い人たちがそうなのである。小高に住んで通わせればいいがそうしないからまたジャンボタクシーに金がかかる
でも国からなんらか援助が出るからそれに甘えるとなる
そしてそういうことに何か言うと冷たいとか常に言う
近くの仮設でもコンサートなどして「故郷が恋しい」とか泣いていたけどなにか空々しいという感じになる
なぜなら小高はすぐそばなのだから恋しいともならないはずである。
帰りたければすぐ帰れるからである。
東京とかに住んでいるのとは違うからである。それでテレビを見ている人はお涙ちょうだいになる。あんなに故郷が恋しいのだなとか見る、テレビは何かそうしたいい面だけを報道するのである。その裏の真実は報道しないのである。
小高の人たちには南相馬市は原町区でも鹿島区でも不満なのである。

それを言うのは南相馬市全体からすると負担になるからである。
何かというとそうして支援してし無料にしている
そして肝心の人は小高に住まないのである。
老人だけが帰っても復興にならない、その負担が市全体に及ぶからである。
飯館だと線量が高いということがあるが小高だとこの辺と変わりないから帰れる
それでも帰らないということに不満が南相馬市全体でつのっているのである。

このジャンボタクシーを見てこれから利用できる、足として利用できると思った。
バスは一日一二回だからである。
ただジャンボになるから料金が高くなるとかこれも市とかに援助されないと足として利用するには金がかかる、車のない電車を利用した老人もそれを言っていた。
車も年をとると危険だとなっているし高齢化社会ではこの足となる交通が必要になる
自分も原町などに自転車で行っているけどこれから行けなくなったら苦しい
駅前には店がスーパーでもないからである。


ともかく津波の被害地でも高台とか防潮堤とかインフラ的なものを整備しても肝心の人が住まない、若い人が住まないということが復興に通じていないのである。
若い人が流出しているからだ。そして日本全体も若い労働力が減少して人手不足に苦しんでいる時代である。
ベトナムとかネパールの人が増えたのはそのためである。
何か復興というとき本当に変だなと思ったのは補償金をもらったらみんなその補償金で外に出て家を建てたりして故郷には帰らないのである。
何のための補償金だったのか?故郷の復興など関係なく、故郷を出てそこで復興することに金は使われたのである。
もし補償金が少ないとか家を建てるほどの金ももらえないとしたら苦しくても故郷に住んだかもしれない、でも多額の補償金をもらった結果、若い人はその金をにぎり外に家を建てて帰ってこないのである。
そして老人には小使い程度の金をやっているというのもなんか変だとなる
老人ばかり帰って今度は小高でも病院がどうなるとかなると復興できないのである。
この矛盾は他の原発避難地域でも起きているのである。

2017年03月15日

グローバル化経済でも人を入れるのには覚悟が必要 人間はモノではないし機械でもないから問題が起きる


グローバル化経済でも人を入れるのには覚悟が必要


人間はモノではないし機械でもないから問題が起きる


世界分業ということは、生産地域が偏在することを意味します。生産地域が偏在した場合、その地域の生産が何らかの理由で不可能になった場合、その影響は全世界に広がります。たとえば穀物の生産をアメリカに依存していたとして、アメリカが大干ばつに襲われて穀物がほとんど収穫出来なかったらどうなるでしょう


グローバル化経済の問題はいろいろ指摘されている、それは世界の現実となっている。
世界の分業化というのもそうである。
そういうことは国内問題としても起きてきた。
例えば江戸時代は米が伊達藩では商品作物として作り江戸に船で石巻とかから出していた米が商品作物化してそれが飢饉を作り出したとかある
米は売るものとなったとき地元では高い買いないとかなる
世界的商品作物となるとそれは世界中で起きている
東南アジアではエビを養殖して日本に輸出しても地元では食べないとか、コーヒーの産地ではコーヒーばかり作って畑でいろいろな食料を作らないので飢饉に見舞われたとかあるグローバル化資本主義にはそうした矛盾が生れる

基本的に自分が探求したのはクニとしての生産文化共同体の中で生活するというのが人間の自然な姿だと追求してきた。クニというときグローバル化経済になれば日本国となるがこれにしても十分大きいし自給できるものなのである。
果物だってそれなりに日本ではとれるのである。そうしたもともと地産地消から成り立っていたのが社会である。
それより村という単位で自給自足してきたのがもともとの人間の生活だったのである。
グローバル化経済というのはそういう人間的な経済からはみだした異常な世界である。
そこから環境破壊とか何でも様々な問題が生れて世界がアメリカでも移民を制限するようになったのである。

要するにグローバル化経済の一番矛盾がわかるのはヒト、モノが自由に出入りするというときモノだけだったら余り感じない、いくらバナナが安く入ってきてもそのバナナを作り出す人間の苦労などわからないからである。それは国内だってそうである。
ところが外国人が入ってくると人間が入ってくると全然違ったものとなる
ネパール人でも入ってくるとモノではないから人間だから様々な人間的なことをその入ってきたヒトから付随してくるのである。
その人の家族はどうだとか、その人がネパールでどういう暮らしをしているのかとか宗教が違うと文化の相違もあるし食べ物でもなんでも違うからそこから衝突も誤解も生れる
ヒトが安い労働力として機械のようにロボットのようには使えないとういことである。
日本にとたら格差を感じるしやがてなぜ自分の給料は日本人と比べたら安いのだと不満になりそれが治安の悪化になってゆく

ネパール人が日本で働くというときネパール人がどんな生活をしているかを知ると知らないではまた違っている、自分は登山したからあんな高い山の上で何を食べて生活しているのかと思った。裸足で歩いているのも驚きだった。ボールペンもない村である。
その差が大きいから理解できなくなる、でも自分の子供のときは水道もない、電気も裸電球一つくらいで燃料が炭だったというときネパールの暮らしもある程度理解できた。
昔の生活でも江戸時代でもある程度理解できたのである。
葛尾村などは戦後十数年してろやっと電気が通ったとかある、電気がない時代があった。もちろん家電などなにもない時代があったのだ。
洗濯でも近くの小川でしていた、それは自分の家でも町内でもそうだったのである。
そういう生活をしていればネバールの山の中の生活も理解できる
もうそういう生活とかけはなれているから理解できなくなった。
でも昔の生活を知りたかったらネバールの山奥に行ってみればわかる
そこには万葉集に歌われた時代に帰るともなるからだ。
自分は通りすぎただけだけど本当にそうである。万葉集時代を実感できるのである。

グローバル化経済というときヒト,モノが自由に出入りするというときヒトが入るということは必ず問題が起きるしまたヒトが入らなければグローバル化とは何か理解できないのである。
それで労働者だけではない観光で外国人が大量に入ってくるときそれを感じる
モノではないヒトが入ってくるから人間の交流が生れる
白馬村のおばさんが日本人のスキー客が来なくなり外国人相手となり習字を教えたりしている、英語も覚えて教えている、そして一番印象的だったのが外国人と抱き合って別れを惜しんでいたことなのである。
その姿は経済的に日本が苦しいからもう一度来てくださいねという願いもこめられていたのである。
そもそも日本人の習慣ではあんなにおばさんでも若い男とだきあうなどしないのである。あの映像からは言葉ではわからないものを感じた
そこまで日本人も苦しくなりしなければならなくなったのかということもある。
でも反面そこには人間との交流があるということも感じたのである。
モノだけ入ってきてはそうした人間の交流はないのである。
だから労働者でも外国人が入ってくると人間の交流が生れる
でも人間だからこそやがてなぜ日本人と格差があるのだと不満になってくるのである。

結局人間はモノではない、人間が入ってくれば相手を人間としてみて人間として交流するいくら外国人でも相手が人間なのである。家族もあるし人間的感情もあるしそれは人間であれば同じなのである。
人間だからこそ差別されたり格差がある社会には耐えられないとなるのだ。
それがグローバル化経済では露骨になる、それはネパール人のような人が入ってくれば余計にそうなる
これは一体なんなのだと自分たちの国の生活と比べるからである。
ただカトマンズとなると外国人としっちゅう接しているから違っている、山奥に入ると全く別世界になるからだ。
逆に人が入るということはそこに人間的交流が観光できた外国人のように生れる
だから言葉がわからなくなもあんな抱き合って別れを惜しむということは言葉ではない人間と人間の交流が生れているとなる
いづれにしグローバル化経済はもうある程度はさけられない、そういう世界になっているそのいい面とは悪い面を世界のどこでも受けざるをえないのである。

こういうことは別に国内でも普通に起きている、それを一番感じるのは家にお手伝いさんとかヘルパーとかでもいい入ってくる人である。
そういう人は家族のように待遇されやすいのである。そしてあからさまに暮らしの比較がされる、こんな贅沢しているのか、こんなものを食べているのかとか差があると不満になる、それで大金を盗まれたとかいろいろ自分は経験した。
だから自分はそんな金持ちでもないから十分も働かないのに雇うのが嫌になっている
そのために費やす雇う方の苦労が多いのである。
実際に使っているというより使われている、それが実感である。人を雇うということはこれほど大変なことである。
そして生活相談もしてきて絶えず金を要求される、それにも応じなければならない
家族の一員のようになってしまう、生身の人を雇うとういことはそれだけの苦労がある。これは本当に外国人でも同じなのである。ロボットのようには雇えない
その一人の人間のバックには家族もいるし文化も宗教の相違などもあるしいろいろなものとかかわらざるをえなくなるのである。
そこには確かにいい面はあるのだがそれは安易に安い労働力として受け入れることはできないものがある。それを覚悟していないとやはり世界で起きている移民の問題がわからないのである。


NHK 小さな旅「聖火の夢 つなぐ〜長野県 白馬村」

再放送 2017年3月18日(土) 午前5時15分(25分) 

 


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分断された原発避難地域 それぞれの意志を明確にせよ!


分断された原発避難地域

それぞれの意志を明確にせよ!

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原発避難者にも言い分がある。小高の人にも言い分がある。鹿島と同じにするなというときそういう反発はすでにあった。
鹿島の人の言い分とまた原町区の人の言い分も違うのである。
だから本当に複雑なのである。

そもそも避難区域となった小高でも飯館村でも他でもその内部でも分断されている
帰った人は一割くらいであり老人がほとんどである。
そしてその気持ちでも分断されている、帰る人と帰らない人で大きく二つに分断された
でもこれもまた二つとはならない、様子を見て帰る環境が調ったら帰るという人たちもいる。

もう帰らないとして家を現実に建てて避難区域の外で生活をはじめた人たちもいる
その人たちはもう避難区域になったところと関係ない、関係したくないと現実的になる。そういう人もかなりいる、その割合はわからないが調査すれば家を建てた人は確実にそうである。その人たちは復興とは関係ない、何かまだ補償金をもらいたいというだけである
ある人は名取に家を建てた、その人は別に親不孝でもない、親の部屋まで作ったから住んでくれと言っているそうだ、でもその親は小高に帰って住んでいるのである。
でもこうして外に家を建ててそこで仕事をはじめ子育てしている人にとって小高でも避難区域になったところとは関係なくなる
それでも矛盾しているのは親が残っているのに子供は帰らない、するとその親を世話するのは小高だったら南相馬市であり避難区域になった町村なのである。
それでも親が介護状態になったら名取に引き取るようになるのかもしれない、世話する人がいないしもう南相馬市民でもないのだから南相馬市で福祉でもサービスを受けるのはむずかしいからである。

現実にすでに南相馬市では介護のサービスを受けられないとして移り住んだ場所で福祉のサービスを受けている老人が結構いるのである。
東京の多摩に子の家族が移り高校生はそこの学校を出て就職したとかあり浪江の老人は原町市の復興団地に最近一人で入ったのである。
南相馬市では福祉のサービスが人手不足とかで受けられないとなりそうなった。
だからさらにそういうことはこれからも起きてくる

つまり帰りたいといっても避難区域には病院もないとか商業施設もないとか帰れる状態ではないとなり帰らないとなる
その前に現実問題として子供の教育も外で避難した6年の間に他の市とかでした。
6年となると長いである。すでに子供は他の土地になじんだとなる

ともかく帰った人と帰らないとしている人ははっきりしているのだ。帰らないという人と帰った人とは別個のものになったのである。
原発避難者というとき何か未だに浪江だったら浪江町民として考える、飯館村でもそうである。どこでもそうである、それは補償金と関係してその町村に籍を置くとういうだけなのである。
だからこの対処方法は図のように分けて対処するしかない
帰らないという人を帰れといってもできない、それはそれでいいとしてもうその人たちは復興とは関係ない人たちとしてみる
そこがややこしくしているのである。そして帰っている人、帰るつもりの人とが復興の対象となる。でも帰るつもりの人もまたあいまいである
放射線量が低くなったら帰るとか帰れるような状態、医者とかスーパーなどできて環境が調ったから帰る、それまで補償しろ、金をだせ、市長村でも国でもめんどうみろとなる。帰るつもりというのもあいまいなのである。
あなたたちは本当に復興をする気かあるの、あなたたちは補償金をもらいつづけていればいいというだけじゃないの、現実に老人が多いから国民年金で少ないから補償をつづけてもらいたいとテレビで主張した小高の老人もいるからだ。

ともかく何であれ帰って住んだ人はそこに住むのだから復興を目指す、その他の帰るつもりの人はあいまいなのである。自ら何かするのか?ただそこに住める環境が調えば帰るとなる、自分たちはそうしてお膳立てされたとき帰るとしている
そのお膳立てするのは誰なの、それは回りの人であり外の人であり国が被害を与えたのだから国でしなるとなる、南相馬市だったら南相馬市全体だともなるし県だともなる


一方でそうして原発避難民が被害を主張するのはいい、でも今度は国でも国民でもそんなに補償金を払うこと払い続けることに不満になる
それは国民の税金だからである。国策で原発を建てたのだから補償は当然だとなる
でもそうして補償ばかり要求すると国民の反発も大きくなりいじめが起きた
原発避難民は南相馬市内でも分断された、国でも県でもいつまでも期限なく補償はできないとなる
帰るつもりの人たちといってもその人たちは帰るという強固な意志がある人はどれくらいいるのか?それもよくわからないのである。
何かそれぞれの心が分断されたともなる、一致しなくなった。
でもこれはいつまでも避難民が一つとして考えるから複雑になる
図のように分けて対処する、それ意外方法がない、避難民を一つの市や町や村の人として考えるから複雑になり解決できない



放射線量問題があっても帰る人は帰りそこで生活して復興してゆく

帰るつもりの人は帰るものと帰らないものに分ける

あいまいなものを許さない

帰らない人たちは帰らない人たちとして対処する


こうして分けて対処しないといつまでも解決の道が見いだせない

結果的に帰らない人が多くなり避難区域はインフラでも維持できない、もう消滅するほかないとなるかもしれない、現実に人口が減って水道料金がえられないので維持できないという問題も起きている
限界集落化して夕張市のようになりそこでは現在の便利な生活が維持できなくなる
そうなると南相馬市でも財政的負担が大きいから小高を切り捨てるほかないともなる
自分がそうしたいのではないし小高は維持させたいとしても財政的に労力でも人手もたりないとなりそうなる。

要するにそれぞれの意志を確認してはっきりさせてそれで解決の道を見いだしてゆく
飯館村でも一億でも補償金をもらって外に出る人はでる、それを引き止めようとしてもできない、そして残った人は残った人で復興に努力するほかない
でも遂にその限界が来たらまさに限界集落として消滅するほかないとなる
それがいいのか悪いのかわからない、でも何か他に解決方法があるのか?
何かそこに明確化して対処するほかない、いつまでもだらだらああでもないこうでもないとしても解決するのだろうか?
そして国でも国民でもそういうことを許さない、鹿島と一緒にするなというけど南相馬市民でもそういうことを小高の人ははっきりさせて市でも市民でも対処するとなる

実際避難区域の外の人も南相馬市でも県民でも国民でも困る、いつまでも補償金を払い続けることはできない、どこかで区切りをつけなければならない
それが冷たいと言われても現実を解決する方法は他にあるのか?
もちろん様々な立場の人がいるしその言い分を聞いていたらまたまた複雑化する
限りなくそれぞれの言い分はあるからだ。そしたら解決するのは延々ともめてできないのである。

【知に働けば角が立つ,情に棹させば流される】

「意地を通せば窮屈だ、とかく人の世は住みにくい」と続く〕
理知的でいようとすると人間関係に角が立って生活が穏やかでなくなり、情を重んじれば、どこまでも感情にひきずられてしまう。 

 情に流されるというときいつまでもかわいそうだかわいそうだとしていると情に流されて補償金をいつまでも出し続けろとなり
知に働くと理詰めで言うとお前は冷たい奴だとなる
一体どうしたらいいのか、それぞれの解決策を提示してください



posted by 老鶯 at 17:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2017年03月16日

抽象画は変化の芸術だから著作権違反を問われるかもしれない


抽象画は変化の芸術だから著作権違反を問われるかもしれない

Because the abstract picture is art of the changes, I may be asked the copyright violation

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The nerve which shakes-sensitive brain

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mystery


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a river on the heaven

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railway


これは明らかに著作権違反だろう、原画を見ればどうしてもわかってしまう
でもインターネットでは世界になるから指摘されない、商業利用でなければいいのかもしれない、

自分のしていること抽象画はいつも著作権のことを考えてしまうのである。
自分のものもを原画にしたものはそういうことがないがインターネットにある原画を元にすると著作権違反なのかと思う

商業用でとないしもうけているわけでもないからいいのかという感じでしている
自分の抽象画も世界で利用されていてもわからないということもある

ともかく抽象画は無限に変化するものとしてある。
だからいつまでも同じものがあることに違和感を感じるのである。
変化することに抽象画の創作の意味があるからだ


It should be never the commerce use but not to have pointed out by the world on the Internet because it is knowing if I watch the original picture that this will be copyright violation clearly,

The one's thing abstract image doing always thinks about copyrights.
The thing which I made the oneself のものもを original picture does not have such a thing, but thinks whether it is copyright violation when made from the original picture in the Internet

It may be said that I do not know it even if one's abstract picture which is a feeling whether is good is used in the world because there is not it if for commercial use and does not gain

Anyway, it is said that the abstract picture changes endlessly.
Therefore I feel sense of incongruity in there being the same thing forever.
In changing of the creation of the abstract picture is because have a meaning

原発事故や津浪で人が住まなくなった土地 (メガソーラー場とか放射性物質の廃棄場になる危険)


原発事故や津浪で人が住まなくなった土地


(メガソーラー場とか放射性物質の廃棄場になる危険)


地球は誰かの所有するものではない、神が造り神の所有するものである。ところが人間が生れて人間が土地でも海すら所有するようになった
そこで何が起きてきたのか?

津浪や原発事故では人が住まなくなり荒地化した、その土地は自然にもどったようでももどらない、その土地は人間が所有していたから今度はその土地の所有者がソーラーパネルの会社に売ったのである。
ただ荒地としておくより金になるからそうする
つまり自然は自然のままではないし自然にもどらない、自然が所有するというとき人間がいなければそれは自然にもどるし自然のままである。

例えば津浪でもこの辺は八沢浦でも元の入江になったので驚いた、それは浦浪がよせてきて朝日がさしてきらきらさしてきたときは奇跡のように思えた
そこで人が死んだのだが津浪でも美を作り出していたのである
凄惨な光景ばかり津浪では見てショックだったが八沢浦などは家があまりなかったのでそういう光景はなかった。他にもそういう光景は生れたのである。

そもそも八沢浦でも開拓して田にしたのだからそこは自然を破壊してできた場所だった
そういうところは日本には多い、土地がないので埋め立てて田にしたところが多いのである。それが日本に住むものの宿命となっていた、カルマとなっていたのである。

そして松原というのは美しかったがこれも人工的な自然だったのである。
それが津浪により根こそぎ破壊されて流されてしまったのには恐怖した
でも自然から見れば自然にもどったのである。
自然はだから常に美を作り出すから美しい入江にもどったし北海道の釧路湿原のようになったところもあった自然のままだったらそうなったのである。
その光景は美しいものだったのである。

そして今度は磯部でもそうだが右田でもメガソーラー場になった
それは景観の破壊になる、なぜそうなるかというと自然は自然にもどるわけではない
結局土地は誰かの所有地なのである。自然の神の所有ではないのである。
するとその土地をもっている人はその土地をいかす利用して金にしたいとなる
特に津浪で流されて土地があっても何にも役にたたなくなったからである
そして金がほしいとなり土地をメガソーラー会社に売る

もし自然がもどるというとき人間が所有していないなら美しい入江として自然にもどる
人間がいる限りそうはならない、なんとか土地を活かして金にしたいとなるからだ
だから海さえ漁師の組合によって所有されていた、漁業権をもっていたからである。
つまり人間によって海すら所有されていたからその権利を主張して金にしようとする
そして東電に漁業権を売り渡して多額の補償金を事故前も事故後も船主などはもらっているのである
自分の家の前の海にも権利があるとして主張していた
それは金を要求できるからそんなことまで主張する

要するに人間はそもそも自然景観を保つことには無関心である。
なぜなら金にならないからである。土とった所がむきだしになっているのが嫌だと書いたがそれだって金になるから業者に売る
人間はなにかしら利益にならないと生活できないからそうなる
自然が誰も所有されないものなら美しい景観は保たれたままだったのである。
なんとか米が食べたい、土地がない、では海だったところを干拓しようとなり八沢浦でもどこでも埋め立てられたのである。

一番景観を重視していたのは自然そのものでありか自然を作った神だったともなる
人間は生活するためにどうしても自然を破壊しなければ生きていけなかったのである。
稲作だって大規模な森林破壊とか自然破壊であり松原も塩害を防ぐために作られた
人間の歴史はこうして自然破壊の歴史、環境汚染と破壊の歴史でもあった
そうならざるをえないものだったのである。文明そのものがそういう環境破壊を必然的にひきおこした。

それは人間が土地を所有している、海さえ所有しているために自然破壊も起きた。
そもそも漁業権とか山の入会権となるとそこで魚を獲り木材をとるにしても山菜をとるにしてもそこで生活していたら自然を破壊しない、自然を保全しないと成り立たない
そのために漁業権があったし入会権もあった
それを今度は原発に漁業権は売る、津浪の跡は金にならないからメガソーラー会社に売るとかなる。それはそもそも人間が所有しているから必ずそうなる

では個人が村でも所有しないとなると誰が所有するのか、自然にもどるのか自然のままになるのかとなるとならない、今度は国が所有するようになる
誰も所有しないということはありえないのである。
そこで飯館村ではもう放射能汚染で住めないから個々人の土地を売って他で生活したい
その気持ちもわかるのだがでは飯館村とか限界集落など人が住まなくなるとそこが自然にもどるということはない、以前として誰かの所有になる、そこが中国人とかが買い占めるかもしれないし最終的には国の所有になる
国の所有になると今度は放射性廃棄物処理場ともなるしメガソーラー場にもなる
なぜなら人が住んでいないことは国のものとなり反対するものがいないから景観なども気にする必要がないのである。
だからこの土地は俺のものだ、俺の勝手だ、俺も生活しなければならない、一文にもならない土地をもっていても何もならないとなる
それもわかるがそうなると他の人も困る、その廃棄物から南相馬市に放射性物質が流れだしてくる、現実に飯館村でフレコンバックが壊れて川に流れだしたからである。

原発事故でも津浪でも様々なことが問われたが一体土地が誰のものなのか?
海は誰のものなのかということも問われたのである。
土地にかかわらないものでも海で魚をとらないものは何に言うな、海は魚をとる漁師のものだとはならない、ではなぜ東電に海を売り渡してそれで原発御殿とか建てて贅沢していたのか?それは魚をとることと関係ないことである、漁業資源の保全とも関係ない、むしろ漁業資源を汚染したからである。

土地でも海でもつながっている、地球はつながっている、その一区画を所有するということがなじまない、国が所有するにしてもこれまた勝手に国の都合いいようにされてそこに住む住民は困る、だから飯館村でも補償金をもらって土地を売って外で新しい生活をしたいという人と残る人に分かれ争っている
でも人が住まないと飯館村にもソーラーパネルが作られ景観が破壊される、破壊されるだけではない災害にもなるとなり反対運動が起きている
それはそこに人が住んでいるからである。
磯部でも右田でも人が住まないとなるとたちまちメガソーラー場になる
おそらく小高などももう人が住まない領域が広大になるからそこがメガソーラー場になるかもしれない、なぜなら金にしたいと所有者は思うからである。
生活するには景観がどうだとか言っていられないからである。

ともかく人が住まないことで起きることはどうなるかわからないことがある。
でも飯館村だけで決められるのも土地はつながっているから困るのである。
海だってそうである。海もつながっているから一区域だけではない、広範囲に汚染されたし魚は遠くでとれたものも汚染されていたのである。
だから人間が自然を所有する、国でも所有することは問題が起きる
だから土地でもオレの土地だから自由にしていい、海も俺たちの海だから自由にしていいとはならないのである。

太陽光発電と環境・自然破壊:メガソーラー規制は待ったなし

危険な山に作られたメガソーラー

ソーラーパネルの利用としては携帯用のが役に立つかもしれない
ネバールのような電気のない所でも電気が作れるとなるとその利用価値が大きいとなる
ただメガソーラーにしても日本では土地が狭いから自然破壊になる
大陸のような土地があればそうはならない、やはり技術も風土が関係する
風土にあった技術を考える必要がある
原発は日本の風土にも向いていなかったのである。地震が多すぎるからである。


posted by 老鶯 at 14:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

今日の鹿島駅(ドイツ人のエンジニア来る) 田舎の駅でもいろいろな人が出入りする場



今日の鹿島駅(ドイツ人のエンジニア来る)


田舎の駅でもいろいろな人が出入りする場


今日きたのは二人連れのドイツ人と日本人である。電気関係の人であり東北電力に来た
東北電力は鹿島からも近いから前にも来た人がいた、タクシーで行った
東北電力の火発は2000人くらい働いているとか雇用がある。

日本人はそのドイツ人を案内しているから英語がしゃべれる、まず英語がしゃべれないと案内はできない、理系とか技術者は英語を覚えやすいと思う
仕事でどうしても国際的になっているからだ、これは別に文系の仕事でもそうである。
今や庶民レベルでも国際化している
フィリピン人の母親を頼ってきた若者が英語をしゃべっているから別に英語がしゃべれるから偉いとはならない、その人はエンジニアだから違っている
ネパール人だって英語を話している、ネパールは世界の最貧国だけど英語は話しているのである。

そのドイツ人を案内した日本人がいたから通訳になったからこの辺の事情を話した。
ベトナム人とかネパール人が多いと話したら通訳したので理解した
会話と英語の文章読むのとは違う、会話は慣れが関係している
日本人は外人に特に欧米人にものおじするからしゃべれないというのもわかる
また相手がエンジニアとかなるとまたしゃべりにくいとなる
何か引け目を感じるからである。

今回来た人はステータスが一番高い人だった、だからかえってめずらしいとなる
そしてつくづく感じたことはこんな田舎町が国際化していることである。
これは十年間介護していて気づかないことだった
もちろん津浪とか原発事故で全国からも海外からも関心が集まり来たためである。

それにしてもこんなに一田舎駅が国際的になっていることには我ながら驚くし知らない人もいるだろう。
そんなに外国人が来ていたのかとなる、中国人ならめずらしくはない。
でも多様な人が来ている、ただエンジニアとか知識人とはなかなか合わない
そういう人とはなかなか話もできない、外人が俳句を作っているとしてもほとんどいいのがない、やはりこうした文化の理解となるとレベルが高すぎるのである。

でも国際交流はほんのちょっとした会話でもありうる、だから白馬村のおばさんが外人のスキー客を迎えるようになったのはそのためである。
日本が貧乏になるとき外人が観光客で迎えるというときどうしても国際化せざるをえな、それは庶民のレベルではじまっていたのである。

自動化した電光掲示板がジャパニーズオンリィというとき東京辺りでは英語ででてくるからかもしれない、いづれにしろ東京だって十数年行ったことがないから変わっているだろう、外人だらけだというとき前も隣にいた人が日本人だと思ったら中国人だということがあった。今はさらに多様な外人が来ていることはまちがいない
モノだけではない、ヒトが入ってくるとどうしても庶民レベルで国際化する
ただそれは前からあったことだが観光客が増えたとういことで誰でも外人と接する
すると英語も必要になる、ただこの英語でも会話力はやはり慣れだからあのように日常的に外人と接している人でないとすらすら英語がでてこないのである。
ドイツだと英語の元はドイツ語なんだから知識人は英語をしゃべれる

とにかく鹿島駅のような所が全国の人が集まり外人もいろいろ来る場となっていることには驚いた。
前から外人の労働者が来ていたことは来ていた。でも今は無人駅とはなっている田舎駅にこんなに外国人が出入りしていることには驚いた
だから何か毎日駅に行って案内することがある
外人ではないが今日は「右田の一本松」を見に行くという人が若者がいた
その人は歩いて見に行った、若者は3キロくらいは歩く、海の方まで歩く
そういう津浪とか原発事故関係で結構前よりは来ている
ここ何日かは風が吹かないので電車は遅れない

東北電力が大きい、その会社の人が住んでいる社宅、団地もある。
この辺では東北電力は大きな存在なのである。それは原発が東電がこれほど大きな会社だとういことを事故後に自分が自覚したのと同じである。
東北電力はこの辺の大きな仕事の場となっている
それは東電の原発とにていたのである。

ただその人はこの辺の事情を全然知らない人だった、はじめてきた人である。
原町がここよりずっと大きいということも知らなかった。
南相馬市として合併したことも知らなかった。
ここには何もない原町には何でもあると言った
ホテルもあると言ったが何にも知らないのである。
労働者として来た人はこの辺のことに詳しくなっている
その人は全然知らない人だったのである。

今思ったことは野馬追いのことをちょっと説明すれば面白かった。
写真も駅に飾ってあったからである。「サムライ」と言えば通じたかもしれない
つまり観光案内として駅にも人が必要なのである。
ただ待ち合わせ時間でも短いから観光案内とまではいかない
日本人だったら観光に来ている人がいるから案内できる
外国人で仕事に来た人には説明するのは時間がかかるしめんどうだとなる
「サムライ」が通じれば通じたかもしれない、しかしその「サムライ」さえ知らない人がいる、フィリピン人の若者は相撲は知っていてもサムライは知らなかったからだ。

今日とまっていたのは原町の平和タクシーである。
その運転手が言うのには鹿島から原町へのせることはできるが
鹿島内はできないという、権利がないからできないという
タクシー会社も権利が制限されている、今は鹿島では北郷タクシーしかないのである。
鹿島の駅前はともかちこうしていろいろな人が出入りする場だったのである

ともかく国際化しているということはあらゆる面でそうだが最近は観光面で国際化している、別に欧米人だけではない、中国人は普通になったが東南アジア方面からも来ている
だからそうなるとみんな英語が通じるわけではない、そうなるとコミニケーションに困るかえって中国語はわからない、発音がわからない、だからこの辺にいつも中国人がいても話すことはできないのである。


2017年03月17日

升形、井戸の紋の旗印のルーツを探る 近江の彦根城の井伊家ー直虎につながる 升形、井戸の紋の旗印のルーツを探る 近江の彦根城の井伊家ー直虎につながる


升形、井戸の紋の旗印のルーツを探る


近江の彦根城の井伊家ー直虎につながる

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鐘の旗印

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●井伊家のルーツ

井伊家の家紋は二種類あり、定紋(じょうもん)が橘紋(たちばなもん)で替紋(かえもん)が井桁紋(いげたもん)です。

定紋は正式の紋で公式の場で使用します。表紋(おもてもん)とも呼ばれます。

替紋は非公式の場で使用する紋で裏紋(うらもん)とも呼ばれます。旗印などに使われますが、用途については特に決まりはないため、それぞれの大名家のルールで使い分けされていました。

井伊家の家紋はなぜ「橘」と「井桁」なのでしょうか?それは井伊家の祖先共保(ともやす)が井戸から生まれたという伝説に由来します。

共保は井伊谷に移り井伊氏を名乗ります。この共保が井伊氏の祖先だと説明しています。

共保が出生した井戸の脇に橘が茂っていたので、井伊家の定紋は「橘」になり、井戸から生まれたという言い伝えから替紋は「井桁」となりました。


遠江国引佐郡渭伊郷井伊谷
主な根拠地遠江国井伊谷
近江国彦根
滋賀県彦根市 など
著名な人物井伊直政
井伊直弼
井伊直愛
井伊直孝
井伊直虎

井伊家の家系のルーツをさかのぼると、初代当主である井伊共保(いい ともやす)に行き着きます。この井伊共保は元々は捨て子だと言われているのですが、遠江の国司を務めていた三国共資という人物の養子になり、その家督を継いだとされています。

その後、井伊共保は自分が捨てられていた場所である井伊谷(いいのや)に城を構えて井伊氏を名乗ります。ここに井伊家のルールはあると言えそうですね。


南北朝時代になると、遠江の豪族として名を馳せていた井伊家は南朝に味方し、その後南朝の衰退と共に北朝方の今川氏の家臣となります。しかし、主君にあたる今川家との関係は決して良いものとは言えなかったようで、何度も争いの危機を迎えたと言われています。
今川家との争いを防ぎたいと考えた、井伊直虎の曽祖父にあたる井伊直平は娘を今川義元に妾として差し出し、何とか危機を回避したこともありました。


NHK大河ドラマの井伊直虎が近江の彦根城の井伊家の先祖だったとなる、この紋は長久手の戦いでも関が原の戦いでも一番目立っているのである。
それだけ活躍して徳川の四天王になった。三河勢が三人なのに井伊家は別だった

●関が原では三成の旗印と井伊家の旗印が一番目立って描かれている

関が原の戦いではやはりその升形の旗が一番目立っているのである。
では南相馬市の原町区にある蔵のある家はこの井伊家とかかわりあるのかとなるとその由来はわからない、その家臣だったのかもわからない。
野馬追いの旗は鎌倉時代からの由来のもので戦国時代のものは少ないだろう。
戦国時代にはそんなに多様な旗がないのである。
例えば相馬藩と伊達藩が戦ったとしても相馬藩だったら九曜の紋の旗になり伊達藩だったら竹に雀の旗印になる、鎌倉時代は家を代表するものとして紋があり旗印があった。
だから野馬追いの旗は鎌倉時代に由来していて戦国時代にはその旗印が使われていたのかという疑問がある。
戦争のときにそんなに多様な旗印を使ったのかとなる疑問である。
ただ旗印が家宝として残っていたのでそれを野馬追い祭りで使ったのかとなる
戦国時代でも旗印はそんなに使われていないのである。

井伊家の旗印は目立っている、石田三成の旗も目立っている、石田三成の旗は野馬追いにも江戸時代には出ていた、石田三成は相馬にも来ていてた

1599年(慶長4)には、京を出発する時三成から三胤に征矢に漢詩(七言絶句)を添えて贈られました。このように三成には恩義があったので、関ヶ原の戦に参陣せず、その為三成に内通していた疑いで相馬氏は領土没収となります

井伊家は三成の興亡は関が原合戦図の旗印を見ると一目瞭然である。一番どちらにしても目立っているからだ。
三胤は三成の字をもらって名付けた。


●野馬追いの旗の謎

野馬追いの旗は鎌倉時代に由来していて一族、家の旗印であった。でもそれが戦国時代になると家といっても相馬氏でも範囲が広くなるから一家の紋とか旗印で戦争するということはあったのかとなる
相馬藩の九曜の紋の旗印は使われるが一家の紋とか旗印は使われたのか?
そんなに多様な旗印が必要だったのかとなる、武田家だったら三菱の武田家の紋であり伊達家だったら竹に雀とかに統一される
するとそして統一される前の一家の御家人の旗が野馬追いの旗でありだから種類が多いとなる。
残された合戦の図にはこんなに多様な旗印は使われないないからだ。
鎌倉時代から戦国時代になると大きなまとまりが勢力ができて戦うようになったとき一家とか一族の旗は不必要になってきた。
ただ井伊家のように有力な家の旗印は戦国時代でも関が原の戦いでも使用された。
相馬藩でも大きな戦いになったら相馬藩の旗印、相馬氏の旗印の九曜の紋になる
それは関が原でも他でも見られる、でも他の多様な紋は合戦図には残されていないのである。

ただこの辺は研究の余地があり自分にはそれだけの研究ができない、インターネット上で調べた限りではそうでありなぜか野馬追いが旗祭りだというときその由来を研究している者がいないのである。
それは旗印がその由来も複雑でありわかりにくいからである。
鎌倉時代にさかのぼるとなるとその系統も不明になってくるからだ。
その中でも升形の旗印は井伊家が徳川幕府の四天王になったので目立ったのである。
その他の旗印は由来が不明になったと推察できるが自分には解明できないのである。


野馬追いの旗印の由来 (井形と升形の紋ー原町区の古い農家をたずねて探る)
posted by 老鶯 at 11:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)